2017年5月27日土曜日

ロンドン ハウンズディッチ(Houndsditch)/ダンカンストリート13番地(13 Duncan Street)

ハウンズディッチ通り―夕方、帰宅を急ぐ人達

サー・アーサー・コナン・ドイル作「緋色の研究(A Study in Scarlet)」(1887年)の冒頭、1878年にジョン・H・ワトスンはロンドン大学(University of Londonー2016年8月6日付ブログで紹介済)で医学博士号を取得した後、ネトリー軍病院(Netley Hospitalー2016年8月13日付ブログで紹介済)で軍医になるために必要な研修を受けて、第二次アフガン戦争(Second Anglo-Afghan Wars:1878年ー1880年)に軍医補として従軍する。戦場において、ワトスンは銃で肩を撃たれて、重傷を負い、英国へと送還される。


英国に戻ったワトスンは、親類縁者が居ないため、ロンドンのストランド通り(Strandー2015年3月29日付ブログで紹介済)にあるホテルに滞在して、無意味な生活を送っていた。そんな最中、ワトスンは、ピカデリーサーカス(Piccadilly Circus)にあるクライテリオンバー(Criterion Barー2014年6月8日付ブログで紹介済)において、セントバーソロミュー病院(St. Bartholomew's Hospitalー2014年6月14日付ブログで紹介済)勤務時に外科助手をしていたスタンフォード(Stamford)青年に出会う。ワトスンがスタンフォード青年に「そこそこの家賃で住むことができる部屋を捜している。」という話をすると、同病院の化学実験室で働いているシャーロック・ホームズという一風変わった人物を紹介される。初対面にもかかわらず、ワトスンが負傷してアフガニスタンから帰って来たことを、ホームズは一目で言い当てて、ワトスンを驚かせた。

ハウンズディッチ通りの南側(その1)

こうして、ベーカーストリート221B(221B Baker Streetー2014年6月22日/6月29日付ブログで紹介済)において、ホームズとワトスンの共同生活が始まるのであった。彼らが共同生活を始めて間もなく、ホームズの元にスコットランドヤードのグレッグスン警部(Inspector Gregson)から事件発生を告げる手紙が届く。ホームズに誘われたワトスンは、ホームズと一緒に、ブリクストンロード(Brixton Roadー2017年5月20日付ブログで紹介済)近くの現場ローリストンガーデンズ3番地(3 Lauriston Gardensー2017年3月4日付ブログで紹介済)へと向かった。ホームズ達が到着した現場には、グレッグスン警部とレストレード警部(Inspector Lestrade)が二人を待っていた。現場で死亡していたのは、イーノック・J・ドレッバー(Enoch J. Drebber)の名刺を持つ、立派な服装をした中年の男性だった。

ハウンズディッチ通りの南側(その2)

イーノック・J・ドレッバーの死体を発見したのは、ジョン・ランス巡査(Constable John Rance)であるという話をレストレード警部から聞くと、ホームズとワトスンの二人は、早速、彼が住むケニントンパークゲート(Kennington Park Gate)のオードリーコート46番地(46 Audley Courtー2017年3月25日付ブログで紹介済)へと向かう。そこで、ジョン・ランス巡査から死体発見の経緯を聞いたホームズは、ワトスンに対して、「彼は犯人を捕まえられる絶好のチャンスをみすみすとふいにしたのさ。」と嘆くのであった。

ハウンズディッチ通りの南側(その3)

イーノック・J・ドレッバーの死体を持ち上げた際、床に落ちた女性の結婚指輪に気付いたホームズは、この指輪が犯人に繋がるものだと考え、朝刊全紙に広告を掲載して、
(1)金の結婚指輪がブリクストンロード近くのパブ「ホワイトハート(White Hart)」とホーランドグローヴ通り(Holland Grove)の間の道路で見つかったこと
(2)落とし主は、今晩8時から9時までの間に、ベーカーストリート221Bのワトスン博士を訪ねること
と告げるのであった。
そして、ホームズの予想通り、午後8時を過ぎた頃、彼らの部屋を訪ねて来た人が居た。

ハウンズディッチ通りから通称「ガーキンビル」を望む

「どうぞお入り下さい。」と、私(ワトスン)は叫んだ。
私の呼びかけに応じて、私達が想像していたような粗暴な男ではなく、非常に年老いて、皺だらけの女性がよろよろと部屋に入って来た。彼女は、急に明るい部屋に入ったためか、目が眩んだようで、会釈をした後、霞んだ目ををしばたかせながら、私達を見て立っていた。その一方で、そわそわしたように、震える指先でポケットの中を手探りしていた。私がホームズをちらりと見ると、彼は不満げな表情を浮かべていたので、私は平然とした態度を保つのが精一杯だった。
皺だらけの老婆は夕刊を取り出すと、私達が出した広告の部分を指差した。「これを見て、やって来ました。」と、もう一度会釈しながら、彼女は言った。「ブリクストンロードで見つかった金の結婚指輪。これは、私の娘のサリーのものです。娘は結婚してから、まだ1年しか経っていません。娘の夫はユニオン汽船の給仕です。もし彼が家に帰って来て、娘が結婚指輪を失くしたことに気付けば、彼が何を言い出すか、想像もできません。娘の夫は、機嫌がいい時でも、非常に短気な男ですが、酒を飲むと、もっとひどくなります。昨夜、娘はサーカスを観に行きました。一緒に...」
「これが娘さんの指輪かね?」と、私は尋ねた。
「そうです。ありがとうございます。」と、老婆は叫んだ。「サリーも、さぞ喜ぶでしょう。それは、娘の指輪です。」
「あなたの住所はどこですか?」と、私は鉛筆を取り上げながら尋ねた。
「ハウンズディッチのダンカンストリート13番地です。ここからはかなり遠いですよ。」

「ガーキンビル」の全景

"Come in," I cried.
At my summons, instead of the man of violence whom we expected, a very old and wrinkled woman hobbled into the apartment. She appeared to be dazzled by the sudden blaze of light, and after dropping a curtsey, she stood blinking at us with her bleared eyes and fumbling in her pocket with nervous, shaky fingers. I glanced at my companion, and his face had assumed such a disconsolate expression that it was all I could do to keep my countenance.
The old crone drew out an evening paper, and pointed at our advertisement. "It's this as has brought me, good gentlemen," she said, dropping another curtsey; "a gold wedding ring in the Brixton Road. It belongs to my girl Sally, as was married only this time twelvemonth, which her husband is steward aboard a Union boat, and what he'd say if he come 'ome and found her without her ring is more than I can think, he being short enough at the best o' times, but more especially when he has the drink. If it please you, she went to the circus last night along with …"
"Is that her ring?" I asked.
"The Lord be thanked!" cried the old woman; "Sally will be a glad woman this night. That's the ring."
"And what may your address be?" I inquired, taking up a pencil.
"13 Duncan Street, Houndsditch. A weary way from here."

ハウンズディッチ通りから「ヘロンタワー」を望む

イーノック・J・ドレッバーの殺害現場で見つかった金の結婚指輪を引き取りにやって来た老婆がワトスンに尋ねられて答えた住所である「ハウンズディッチ(Houndsditch)」とは、「Hounds(猟犬)」と「ditch(溝/どぶ/排水溝)」が組み合わされた非常に変わった名前であるが、現在の住所表記上、地区名としては存在していないが、通り名としては存在している。
鉄道駅であるリヴァプールストリート駅(Liverpool Street Stationー2016年2月27日付ブログで紹介済)の横を南北に走るビショップスゲート通り(Bishopsgate)から地下鉄オルドゲート駅(Aldgate Tube Stationー2016年3月5日付ブログで紹介済)セントボトルフストリート(St. Botolph Street) へと向かって南東へ延びる一歩通行の道アウトウィッチストリート(Outwich Street)が途中で名前を変えて、ハウンズディッチ通り(Houndsditch)となる。

「ヘロンタワー」を見上げたところ(その1)

シティー・オブ・ロンドン(City of London)の周囲を取り巻くロンドンウォール(London Wall)と呼ばれる外壁に沿って、溝が掘られた。これは、(1)シティー内へのアクセスルートを管理するためと、もう一つは(2)シティーを防衛するためである。13世紀初め頃に掘られた溝の幅は、最大25m位まで及んでいた、とのこと。ところが、近隣の住民が汚物やゴミ等をこの溝の中に捨て始めたため、衛生面での懸念もあって、非常に大きな問題となったようである。実際、汚物やゴミ等の他に、犬の死骸も溝に捨てられたので、それに因んで、この辺りの呼び名として、「ハウンズディッチ」が定着したものと思われる。近年、通り沿いの工事現場から犬の頭蓋骨が地中から複数発掘された、とのこと。

「ヘロンタワー」を見上げたところ(その2)

20世紀に入ると、ハウンズディッチ通りは衣類や小物等を販売するマーケットで有名になり、「ハウンズディッチ卸売り店/問屋(Houndsditch Warehouse)」というデパートが営業し、「ユダヤ人居住区のセルフリッジズ(Selfridges of the Jewish Quartier)」と呼ばれた。

ハウンズディッチ通りの北側―
セントボトルフストリートへと至る手前(その1)

今後の Brexit の状況次第によっては判らないもの、現状、シティー内に流入する企業が非常に多く、シティー内のオフィス需要が供給を上回っているため、シティーの外へ向かって、不動産開発が急速に進んでいる。ハウンズディッチ通り一帯もその例外ではなく、通り沿いには新しいオフィスビルが建ち並んでいる。近くには、通称「ガーキンビル(The Gherkin)」(ビルの正式名は、「30 St. Mary Axe」)や「ヘロンタワー(Heron Tower)」と呼ばれる高層ビルが建設されている。

ハウンズディッチ通りの北側―
セントボトルフストリートへと至る手前(その2)

ちなみに、ハウンズディッチ通りの近くには、ダンカンストリート(Duncan Street)は存在しておらず。現在の住所表記上、イズリントン地区(Islington)内にある地下鉄エンジェル駅(Angel Tube Station)の北側に存在している。

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