2016年8月20日土曜日

ロンドン ハーリーストリート90番地(90 Harley Street):フローレンス・ナイチンゲールーロンドンでの所縁の地(その1)

ハーリーストリート90番地の建物―
フローレンス・ナイチンゲールは、クリミア戦争に看護婦として従軍する前に、
この病院に勤務していた

2016年8月13日付ブログにおいて述べた通り、英国はフランスと一緒にクリミア戦争(Crimean War:1853年ー1856年)に参戦し、クリミア半島においてロシア軍と戦いを繰り広げたが、戦地の兵舎病院での不衛生さが大きな問題となった。戦争での負傷と言うよりも、兵舎病院における不衛生さが原因で亡くなる兵士が非常に多かったのである。この事態を重くみたヴィクトリア女王(Queen Victoria:1819年ー1901年 在位期間:1837年ー1901年)の提言を受け、クリミア戦争に看護婦として従軍したフローレンス・ナイチンゲール(Florence Nightingale:1820年ー1910年)とクリミア戦争を終結させた自由党初の首相である第3代パーマストン子爵ヘンリー・ジョン・テンプル(Henry John Temple, 3rd Viscount Palmerston:1784年ー1865年)の助けの下、軍病院開設の気運が高まった。そして、英国南部のネトリー(Netleyーサウザンプトン水道(Southampton Water)に面する)の土地が収用され、1863年3月11日にネトリー軍病院(Netley Hospital)が開院した。

ハーリーストリート90番地の建物外壁に彫られた
通り名の表示

ロンドン大学(University of London)で医学博士を取得したジョン・H・ワトスンは、軍医として従軍する前に、このネトリー軍病院で必要な研修を受けている。

ハーリーストリート沿いに置かれた植栽

ネトリー軍病院開院に大きく寄与した人物の一人として、上記の通り、フローレンス・ナイチンゲールが挙げられる。ロンドンには、フローレンス・ナイチンゲール所縁の地として、以下の場所がある。

ハーリーストリート90番地の反対側に建つ建物

(1)Institute for the Care of Sick Gentlemen
住所: ハーリーストリート90番地(90 Harley Street, Marylebone, London W1G 7HS)

フローレンス・ナイチンゲールは、クリミア戦争に看護婦として従軍する前、この病院に1853年8月から1854年10月まで勤務していた。このことを示す内容が建物の外壁に彫られている。

フローレンス・ナイチンゲールが1854年10月までこの病院に勤務していたことを示す表示が
ハーリーストリート90番地の建物外壁に彫られている

この建物は、南北に延びるハーリーストリート(Harley Street)と東西に走るウェイマウスストリート(Weymouth Street)が交差する北東の角に所在している。

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