2015年10月31日土曜日

ロンドン ユーストン駅(Euston Station)

ユーストン駅の駅舎正面

サー・アーサー・コナン・ドイル作「プライオリー学校(The Priory School)」では、私立プライオリー学校 (The Priory School)の創立者で、校長でもあるソーニークロフト・ハックスタブル博士(Thorneycroft Huxtable)がベーカーストリート221Bのシャーロック・ホームズの元を突然訪れるが、居間に入って来た途端、疲労困憊のあまり、床に足を滑らせて気を失ってしまう。ホームズが急いで頭にクッションを当てて、ジョン・ワトスンが口にブランデーをふくませると、気を取り直した博士は、ホームズとワトスンに対して、彼の学校の寄宿舎から、ホルダーネス公爵(Duke of Holdernesse)の一人息子であるソルタイア卿(Lord Saltire)が誘拐されたと告げるのであった。ソルタイア卿に加えて、人付き合いの悪いドイツ人教師ハイデッガー(Heidegger)も寄宿舎から姿を消しており、彼の自転車もなくなっていた。
北イングランドのマックルトン(Mackleton)にある私立プライオリー学校へ向かう前に、事件の詳細を知ろうとするホームズはハックスタブル博士に対して、ここ最近ソルタイア卿に手紙が来ていないかどうかを尋ねると、博士は「手紙は父君であるホルダーネス公爵からしか来ていない。」と答えるのであった。

ユーストン駅の構内―
天井がコンクリートの打ちっぱなしのままで味気ない

「成る程。ところで、公爵が出された最後の手紙ですが、ソルタイア卿の失踪後、部屋に残っていましたか?」
「いいえ、ソルタイア卿がお持ちになって行かれたようです。ホームズさん、そろそろユーストン駅へ出かける時間だと思いますが。」
「僕の方で四輪馬車を呼びましょう。15分程お待ちいただければ、出発できますよ。ハックスタブルさん、もし御宅の方に電報をお打ちになられるのであれば、関係者には、捜査は未だにリヴァプールか、あるいは、彼らの注意を逸らせられそうな場所で行われていると思わせておく方が良いでしょう。その間に、私はあなたの学校内で内密に捜査します。おそらく、事件の臭跡はまだそれ程薄れていないでしょうから、ワトスンと僕のような老練な猟犬であれば、嗅ぎ出せると思います。」

ユーストンロード沿いに残るエントランスロッジ(西側)

'I see, By the way, that last letter of the Duke's - was it found in the boy's room after he was gone?'
'No, he had taken it with him. I think, Mr Holmes, it is time that we were leaving for Euston!'
'I will order a four-wheeler. In a quarter of an hour we shall be at your service. If you are telegraphing home, Mr Huxtable, it would be well to allow the people in your neighborhood to imagine that the enquiry is still going on in Liverpool, or wherever else that red herring led your pack. In the meantime I will do a little quite work at your own doors, and perhaps the scent is not so cold but that two old hounds like Watson and myself may get a sniff on it!'

ユーストンロード沿いに残るエントランスロッジ(東側)

ホームズ、ワトスンとハックスタブル博士の3人が私立プライオリー学校があるマックルトンへ向かうために利用しようとしていたユーストン駅(Euston Station)は、ロンドン・カムデン区(London Borough of Camden)内にある主要な鉄道駅の一つである。現在、ユーストン駅は、ロンドンからウェストミッドランズ、北西イングランド、北ウェールズおよびスコットランドへ向かうウェストコースト本線(West Coast Main Line)の玄関口であり、それらからの南の終着駅となっている。

ユーストン駅前にある戦争記念碑

駅を建設する場所は、1830年代初め頃、ロンドン&バーミンガム鉄道(London and Birmingham Railway)の技師であるジョージ・スティーヴンソン(George Stephenson:1781年ー1848年)と彼の息子のロバート・スティーヴンソン(Robert Stephenson:1803年ー1859年)によって選定された。そして、建築家のフィリップ・ハードウィック(Philip Hardwick:1792年ー1870年→駅舎担当)と技師のサー・チャールズ・フォックス(Sir Charles Fox:1810年ー1874年→プラットフォーム担当)の設計を経て、技師のサー・ウィリアム・キュビット(Sir William Cubitt:1785年ー1861年)によって建設された。駅を建設した土地を所有していたグラフトン公爵(Duke of Grafton)の本宅があるサフォーク州(Suffolk)のユーストンホール(Euston Hall)に因んで、ユーストン駅と命名され、1837年7月20日に開業した。開業当初、駅には出発用と到着用の2本のプラットフォームしかなかった。

エントランスロッジの外壁には、
ユーストン駅から向かう場所の名前が彫られている

列車発着の増加に伴い、駅の大規模な拡張が急務となり、フィリップ・ハードウィックの息子である建築家フィリップ・チャールズ・ハードウィック(Philip Charles Hardwick:1822年ー1892年)の設計により、「グレートホール(Great Hall)」と呼ばれるコンコースが1849年にオープンした。また、彫刻家ジョン・トーマス(John Thomas:1813年ー1862年)によって、ロンドン、リヴァプールやマンチェスター等、鉄道で結ばれる都市を表現した8つの彫像が設置された。ただし、ユーストンロード(Euston Road)に面して建つ、ポートランドストーンでできたエントランスロッジ(Entrance Lodge)、戦争記念碑と駅舎正面に設置されているロバート・スティーヴンソンのブロンズ像を除くと、当時の駅の面影は、現在、ほとんど残っていない。
1870年代と1890年代にも駅の拡張が行われ、プラットフォームの数は最終的には15まで増やされている。
ホームズ、ワトスンとハックスタブル博士がユーストン駅から私立プライオリー学校があるマックルトンへ旅立ったのは、この頃である。

ユーストン駅の駅舎前に設置されている
ロバート・スティーヴンソンのブロンズ像

(1)老朽化に伴い、時代遅れになってきたこと、また、(2)更なる拡張を行うには手狭かつ硬直化したレイアウトであること等から、1960年初頭に駅舎の建替えが決定され、1961年から1962年にかけて、旧駅舎が取り壊され、ウェストコースト本線の電化と同機をとって、1968年に新駅舎が開業した。「電気の時代」の到来を象徴するものであった。プラットフォームの数も18へと増設されている。
ところが、完成した新駅舎の評判は極めて悪く、「ロンドンにおける最も醜悪なコンクリートの固まりの一つ(one of the nastiest concrete boxes in London)」とまで酷評されている。

評判が良くないユーストン駅の駅舎

ロンドン&バーミンガム鉄道(1837年ー1845年)を皮切りに、駅の所有者は、ロンドン&ノースウェスタン鉄道(London & North Western Railway:1846年ー1922年)、ロンドン・ミッドランド&スコティッシュ鉄道(London Midland and Scottish Railway:1923年ー1947年)、英国国鉄(British Railway:1948年ー1994年)、そして、レールトラック(Railtrack:1994年ー2001年)へと移り変わり、現在はネットワークレール(Network Rail:2001年ー)が経営している。
2007年4月5日、英国不動産開発会社大手の一つであるブリティッシュランド(British Land)が、完成後50年近くが経過した現在の駅舎を取り壊して、新しい駅舎を建設する計画を発表され、今年(2015年)になって、やっと新駅舎のイメージ図が公開された。計画によると、駅を開業したままの建替えとなるため、2017年に着工し、そこから16年を要するようである


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