2014年11月22日土曜日

ロンドン ノースウィックテラス5番地(5 Northwick Terrace)

一番左の建物部分が、アガサ・クリスティーが住んでいた「ノースウィックテラス5番地」

1914年に第一次世界大戦が勃発したことに伴い、アガサ・メアリー・クラリッサ・ミラー(Agatha Mary Clarissa Miller:1890年ー1976年)の婚約者アーチボルド・クリスティー大尉(Archibald Christie(通称 アーチー(Archie):1889年ー1962年)は、ドイツ軍との戦いのため、前線(フランス)に赴く。1914年末、正確に言うと、クリスマスイブの午後、アガサは、英国に一時帰国していたアーチーと結婚式を挙げ、クリスティー夫人となった。その後、再度出兵した夫と離れると、彼女は、生まれ故郷であるデヴォン州(Devon)のトーキー(Torquay)で母親と暮らしながら、薬剤師の助手(Apothecaries' Assistant)として勤務し、そこで(将来、エルキュール・ポワロやミス・ジェーン・マープル等が活躍する小説で数多く使用される)毒薬の知識を得たのである。


4年後の1918年、第一次世界大戦が終結し、同年9月にアーチーが空軍省(Air Ministry)に大佐(Colonel)として転属になったため、アガサ・クリスティーは生まれ故郷のトーキーを離れて、アーチーと一緒にロンドンに移り住むことになった。彼らがロンドンで最初に新居を構えたのは、ロンドン北西部のセントジョンズウッド地区(St. John's Wood)にあるノースウィックテラス5番地(5 Northwick Terrace)のフラットであった。

道路を挟んで、「ノースウィックテラス5番地」の反対側のフラット群
「ノースウィックテラス5番地」と同じ側に並ぶフラット群

ノースウィックテラスは、ローズ・クリケット場(Lord's Cricket Ground)から延びるセントジョンズウッドロード(St. John's Wood Road)とロンドン市内のマーブルアーチ(Marble Arch)から延びるエッジウェアロード(Edgware Road)が交差する角の近くにある通りである。ノースウィックテラスから北東へ少し行くと、緑豊かなリージェンツパーク(Regents Park)がある一方、逆に南へ少し下ると、彼女の生まれ故郷であるトーキーに帰る際の始発駅となるパディントン駅(Paddington Station)が位置しており、住環境としては非常に便利かつ良い場所である。また、ノースウィックテラス自体も非常に閑静な住宅街で、群衆を嫌い、静かな生活を好んだアガサ・クリスティーにとって、ロンドンで初めての暮らしを始めるにはうってつけのところだったと言える。

「ノースウィックテラス5番地」の前でも、秋の紅葉が進んでいる

彼女が新婚時代を過ごしたノースウィックテラス5番地は、3階建ての建物群の一番左端に該る。「小さな浴室と台所がついており、外には庭があった。」という彼女の自伝の記述通り、現在の建物は当時の様子をある程度今に伝えている。レンガ造りのアパート外観は庶民的な感じを残しているが、外から推測する限り、内装は相当綺麗になっているものと思われる。
1919年に一人娘のロザリンド(Rosalind)が生まれるまで、彼女はこのノースウィックテラス5番地で暮らしていたとのこと。

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