2014年7月6日日曜日

ロンドン ランガムホテル(Langham Hotel)


ランガムホテル(Langham Hotel)は、ロンドン地下鉄のオックスフォードサーカス駅(Oxford Circus Tube Station)からポートランドプレイス(Portland Place)を北に上がったところに位置する7階建てのホテルである。
1865年にオープンした当時、ロンドンで最高級のホテルと見做され、王侯貴族、政治家、芸術家や作家等がよく滞在したそうで、フランスのナポレオン3世(亡命中)や「トム・ソーヤの冒険」等で有名な米国の作家マーク・トウェイン(Mark Twain:1835年ー1910年)も当ホテルに宿泊したとのこと。内装は、白色、緋色や金色で統一されており、天井の彫刻や床のモザイクはイタリア職人の手によるものである。

シャーロック・ホームズ作品に、ランガムホテルは何回か登場している。
*四つの署名ーアーサー・モースタン大尉(メアリー・モースタンの父親)
*ボヘミアの醜聞ーフォン・クラム伯爵(ボヘミア国王)
*レディー・フランシス・カーファックスの失踪ーフィリップ・グリーン
が当ホテルに宿泊している。


1889年8月、このホテルで3人のアイリッシュ系の男性が食事会を行った。
その3人は、(1)米国のフィラデルフィアに本社を構える「リピンコット・マンスリー・マガジン(Lippincott's Monthly Magazine)」のエージェントのジョーゼフ・マーシャル・ストッダート博士(Joseph Marshall Stoddart:アイルランド生まれの米国人)(2)新進気鋭の若い作家として売り出し中のオスカー・ワイルド(Oscar Wilde:1854年ー1900年)(ダブリンの名門に生まれた生粋のアイルランド人)、そして、(3)サー・アーサー・コナン・ドイル(アイルランドの血をひくスコットランド人)であった。

ナショナルポートレートギャラリー
(National Portrait Gallery)で販売されている
オスカー・ワイルドの写真の葉書
(Napoleon Sarony / 1882年 / Albumen panel card
305 mm x 184 mm) 

この食事会で、ストッダートは、ワイルドとドイルの二人から、それぞれ長編物を一作同誌に寄稿する約束を取り付けた。
ドイルは早速執筆に取りかかり、約1ヶ月間で原稿を書き上げ、それをストッダート宛に送付した。このタイトルが、「四つの署名(The Sign of the Four)」で、事件の依頼人であるメアリー・モースタン(Mary Morstan)の父親で、行方不明となったアーサー・モースタン大尉(Captain Arthur Morstan)の宿泊先として、ランガムホテルが使用された。「四つの署名」は、「リピンコット・マンスリー・マガジン」の1890年2月号に掲載されたが、続いて、同誌の1890年7月号に掲載されたワイルドの作品は、あの有名な「ドリアン・グレイの肖像(The Picture of Dorian Gray)」であった。
なお、ドイルの原稿料は、4万5千語の小説で100ポンドだったが、当時、英国の世紀末文学の旗手として期待されていたワイルドの原稿料は倍の200ポンドだったとのこと。この時のドイルは「ストランドマガジン(The Strand Magazine)」で爆発的な人気を得るかなり前であり、残念ながら、売れっ子のワイルドとは、それ位の開きがあったのである。


その後、ランガムホテルは、第二次世界大戦中に英国政府によって接収され、戦後もBBC放送局(British Broadcasting Corporation)に使用された。今から20数年前までは、同社の管理棟として使われていたため、一般人が中に入ることができなかったが、1991年にヒルトン系のホテルとして半世紀ぶりに復活し、「四つの署名」が書かれた当時の外観・内装がそのまま再現されているそうなので、ホームズファンにとっては嬉しい限りで、往年の豪華さに思いを馳せることができるのではないかと思う。

ランガムホテルのパームコート(Palm Court)でのアフターヌーンティーは有名で、2010年には紅茶界のオスカー賞「The Tea Guild's Top London's Afternoon Tea 2010」を受賞している。

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