2025年12月21日日曜日

セントバーソロミュー病院 / 北翼(St. Bartholomew's Hospital / North Wing)- その3

広場から見たセントバーソロミュー病院の北翼
<筆者撮影>

英国の TV 会社 ITV 社による制作の下、「Agatha Christie’s Poirot」の第20話(第2シリーズ)かつアガサ・クリスティー生誕100周年記念スペシャルとして、1990年9月16日に放映されたアガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)作「スタイルズ荘の怪事件The Mysterious Affair at Styles → 2023年12月3日 / 12月6日付ブログで紹介済)」(1920年)の TV ドラマ版において、物語の冒頭、第一次世界大戦(1914年ー1918年)中に負傷したアーサー・ヘイスティングス中尉(Lieutenant Arthur Hastings - アガサ・クリスティーの原作では、大尉(Captain)となっている)が彼の旧友であるジョン・キャヴェンディッシュ(John Cavendish)と再会する場面が、セントバーソロミュー病院(St. Bartholomew's Hospital → 2014年6月14日付ブログで紹介済)の北翼(North Wing)にある「ホガースの階段(Hogarth Staircase → 2025年12月15日付ブログで紹介済)」と呼ばれる吹き抜け階段において撮影されている。


下から「ホガースの階段」と呼ばれる吹き抜け階段を下から見上げたところ -
アーサー・ヘイスティングス中尉と旧友のジョン・キャヴェンティッシュの2人が
上から降りて来る場面が、この角度で撮影されている。
<筆者撮影>


12世紀のイングランド王であるヘンリー1世碩学王(Henry I Beauclerc:1068年頃ー1135年 在位期間:1100年ー1135年)の寵臣ラヒア(Rahere:?ー1144年)により1123年に設立されたセントバーソロミュー病院は、テューダー朝(House of Tudor)の第2代イングランド王であるヘンリー8世(Henry VIII:1491年ー1547年 在位期間:1509年ー1547年 → 2024年7月26日付ブログで紹介済)が宗教改革の一環として実施した修道院解散(Dissolution of the monasteries:1536年ー1539年)政策に基づき、イングランド国内にあった多くの修道院が解散、そして、財産没収の憂き目に遭う中、貧民救済病院として生き残ったものの、修道院としての収入の道が絶たれたため、一時は経営難に陥る。


ヘンリー8世門からセントバーソロミュー病院の北翼へ向かうところ -
画面中央奥には、噴水と庭がある広場が見える。
<筆者撮影>

そこで、セントバーソロミュー修道院は、1546年12月27日にシティー・オブ・ロンドン共同体(City of London Corporation - 正式名:Mayor and Commonalty and Citizens of the City of London)から認可を受ける合意に調印したことで、ヘンリー8世による再設立を受けることになり、1547年1月、法的に「ヘンリー8世設立・シティー・オブ・ロンドン・ウェストスミスフィールド救貧院(House of the Poore in West Smithfield in the suburbs of the City of London of Henry VIII’s Foundation)」と命名された。


1702年に完成したヘンリー8世門 -
なお、アーチ門上にある石像は、ロンドンで唯一のヘンリー8世の石像である。
<筆者撮影>


セントバーソロミュー病院の入口となる「ヘンリー8世門(Henry VIII Gatehouse)」は、1702年に完成。

当該門の上に据えられたヘンリー8世の石像は、ロンドンに現存する彼の石像として、唯一のものである。


セントバーソロミュー病院の北翼の立て看板(その1)
<筆者撮影>

セントバーソロミュー病院の北翼の立て看板(その2)
<筆者撮影>


現在のセントバーソロミュー病院の建物は、スコットランド出身の建築家であるジェイムズ・ギブス(James Gibbs:1682年ー1754年)により設計された。


セントバーソロミュー病院の北翼の入口 -
この奥に、
ウィリアム・ホガースによる2つの巨大な壁画が囲む吹き抜け階段がある。
<筆者撮影>


(1)1732年:北翼が完成(北翼には、英国の画家であるウィリアム・ホガース(William Hogarth:1697年ー1764年)による聖書を題材にした2つの巨大な壁画が囲む吹き抜け階段や大広間(Great Hall - 次回に紹介する予定)がある)

(2)1740年:南翼が完成

(3)1752年:西翼が完成

(4)1769年:東翼が完成


セントバーソロミュー病院内の広場(その1)
<筆者撮影>

セントバーソロミュー病院内の広場(その2)
<筆者撮影>


上記の4区画のうち、現存しているのは、北翼を含む3区画だけである。

1859年には、4区画の中心に位置する広場に、噴水と庭が設置されている。


セントバーソロミュー病院内の広場(その3)
<筆者撮影>

セントバーソロミュー病院内の広場(その4)
<筆者撮影>


1948年に国民保険サービス(National Health Service)が設立された後、同病院は、正式に「セントバーソロミュー病院」の名で知られるようになる。


2025年12月20日土曜日

シティー内に点在するスヌーピー彫刻の探訪(Snoopy in the City: Sculpture trail)- その4

セントブライズパッセージに設置された
3番目のスヌーピー彫刻「Plant Dreams, Harvest Joy」
<筆者撮影>


スヌーピー(Snoopy)が主人公である米国人気コミック「ピーナッツ(Peanuts)」の誕生75周年を記念して、12名のアーティストがデザインしたスヌーピー彫刻が、2025年11月19日から2026年1月16日までの約2ヶ月間、シティー・オブ・ロンドン(City of London → 2018年8月4日 / 8月11日付ブログで紹介済)内の各地に展示されている。



前回に続き、12名のアーティストがデザインしたスヌーピー彫刻について、個別に紹介していきたい。


(3)

*彫刻名: Plant Dreams, Harvest Joy

*アーティスト名: Kim Thompson





*展示場所: セントブライズパッセージ(St. Bride’s Passage - セントブライド教会(St. Bride’s Church)の南側にある小道)


左奥に見える階段を上って行ったところがセントブライズパッセージで、
そこに
番目のスヌーピー彫刻「Plant Dreams, Harvest Joy」が設置されている。
<筆者撮影>

セントブライズパッセージから見たセントブライド教会(現在、修復工事中)-
当地に元々建っていた教会の建物は、1666年のロンドン大火(The Great Fire of London →
2018年9月8日 / 9月15日 / 9月22日 / 9月29日付ブログで紹介済)により焼失。
現在の教会の建物は、ステュアート朝(House f Stuart)の第4代国王であるジェイムズ2世
(James II :1633年-1701年 在位期間:1685年ー1688年)から
シティー・オブ・ロンドン再建の任を託された
英国の建築家であるサー・クリストファー・レン
(Sir Christopher Wren:1632年ー1723年)が1672年にバロック様式で再建したもの。
現在、セントブライド教会の建物は、Grade I listed building に指定されている。
<筆者撮影>

ロンドン大火から350年後の2016年に
英国のロイヤルメール(Royal Mail)が発行した記念切手(その1)

ロンドン大火から350年後の2016年に
英国のロイヤルメールが発行した記念切手(その2)

ロンドン大火から350年後の2016年に
英国のロイヤルメールが発行した記念切手(その3)

ロンドン大火から350年後の2016年に
英国のロイヤルメールが発行した記念切手(その4)

ロンドン大火から350年後の2016年に
英国のロイヤルメールが発行した記念切手(その5)

ロンドン大火から350年後の2016年に
英国のロイヤルメールが発行した記念切手(その6)

セントブライズパッセージに面した
セントブライド協会(St. Bride Institute)の出入口
<筆者撮影>


2025年12月19日金曜日

セントバーソロミュー病院 / 北翼(St. Bartholomew's Hospital / North Wing)- その2

セントバーソロミュー病院内に設置されている
セントバーソロミュー病院 / 北翼(Barts North Wing)への案内掲示板
<筆者撮影>

英国の TV 会社 ITV 社による制作の下、「Agatha Christie’s Poirot」の第20話(第2シリーズ)かつアガサ・クリスティー生誕100周年記念スペシャルとして、1990年9月16日に放映されたアガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)作「スタイルズ荘の怪事件The Mysterious Affair at Styles → 2023年12月3日 / 12月6日付ブログで紹介済)」(1920年)の TV ドラマ版において、物語の冒頭、第一次世界大戦(1914年ー1918年)中に負傷したアーサー・ヘイスティングス中尉(Lieutenant Arthur Hastings - アガサ・クリスティーの原作では、大尉(Captain)となっている)が彼の旧友であるジョン・キャヴェンディッシュ(John Cavendish)と再会する場面が、セントバーソロミュー病院(St. Bartholomew's Hospital → 2014年6月14日付ブログで紹介済)の北翼(North Wing)にある「ホガースの階段(Hogarth Staircase → 2025年12月15日付ブログで紹介済)」と呼ばれる吹き抜け階段において撮影されている。


下から「ホガースの階段」と呼ばれる吹き抜け階段を下から見上げたところ -
アーサー・ヘイスティングス中尉と旧友のジョン・キャヴェンティッシュの2人が
上から降りて来る場面が、この角度で撮影されている。
<筆者撮影>


セントバーソロミュー病院は、ロンドンのスミスフィールド(Smithfield)に所在する病院で、「王立セントバーソロミュー病院(The Royal Hospital of St. Bartholomew)」が、その正式名であるが、「バーツ(Barts)」と言う略称が、一般的に知られている。

セントバーソロミュー病院の設立は、1123年まで遡り、ヨーロッパで最も古い歴史を有する病院とされている。


セントバーソロミュー病院博物館(St. Bartholomew's Hospital Museum)内にある
病院の歴史に関する説明資料 -
左側が 
セントバーソロミュー修道院(病院)を設立したラヒアで、
右側が彼の夢の中に現れた聖人セントバーソロミュー。
<筆者撮影>


12世紀のイングランド王であるヘンリー1世碩学王(Henry I Beauclerc:1068年頃ー1135年 在位期間:1100年ー1135年)の寵臣ラヒア(Rahere:?ー1144年)が、ローマ巡礼中に、重い病に倒れたが、彼の神への強い祈りが届いたかのように、奇跡的に病から回復。

その際、彼の夢の中に、イエス・キリストの使徒の一人である聖人セントバーソロミュー(St. Bartholomew)が現れると、ロンドンのスミスフィールドに貧民や病人を助けるための修道院(病院)を建てるように告げたと伝えられている。

この聖人セントバーソロミューのお告げに従って、イングランドに戻ったラヒアは、1123年、スミスフィールドの地にセントバーソロミュー修道院を設立したのである。


ケンブリッジ大学創立800周年を記念して、
英国の児童文学作家 / イラストレーターであるクェンティン・ブレイク
(Quentin Blake:1932年ー)が描いた
ヘンリー8世とキングスカレッジ合唱団の絵葉書
<筆者がケンブリッジのフィッツウィリアム博物館(Fitzwilliam Museum
→ 2024年7月20日 / 7月24日付ブログで紹介済)で購入>


そして、時代は、テューダー朝(House of Tudor)の第2代イングランド王であるヘンリー8世(Henry VIII:1491年ー1547年 在位期間:1509年ー1547年 → 2024年7月26日付ブログで紹介済)による統治時まで下る。

ヘンリー8世は、男の世継ぎ(嫡子)が生まれていない王妃キャサリン・オブ・アラゴン(Catherine of Aragon:1487年ー1536年)との離婚を画策して、ローマのカトリック教会と対立し、1534年に国王至上法(首長令)を発布の上、自らを英国国教会(Church of England)の長とするとともに、カトリック教会から英国国教会の分離を行った。


1702年に完成したヘンリー8世門(Henry VIII Gatehouse)-
なお、アーチ門上にある石像は、ロンドンで唯一のヘンリー8世の石像である。
<筆者撮影>


ヘンリー8世が宗教改革の一環として実施した修道院解散(Dissolution of the monasteries:1536年ー1539年)政策に基づき、イングランド国内にあった多くの修道院が解散、そして、財産没収の憂き目に遭った。

セントバーソロミュー修道院は、貧民救済病院として生き残ったものの、修道院としての収入の道が絶たれたため、一時は経営難に陥った。


1546年12月27日に
ヘンリー8世とシティー・オブ・ロンドン共同体の間で交わされた
セントバーソロミュー修道院に関する合意書
ヘンリー8世がシティー・オブ・ロンドン共同体に対して
セントバーソロミュー修道院の支援を約束する書状) -
セントバーソロミュー病院博物館内に展示されている。
<筆者撮影>


そこで、貧民救済病院として生き残ったセントバーソロミュー修道院は、1546年12月27日にシティー・オブ・ロンドン共同体(City of London Corporation - 正式名:Mayor and Commonalty and Citizens of the City of London)から認可を受ける合意に調印したことで、ヘンリー8世による再設立を受けることになった。

1547年1月、セントバーソロミュー修道院は、法的に「ヘンリー8世設立・シティー・オブ・ロンドン・ウェストスミスフィールド救貧院(House of the Poore in West Smithfield in the suburbs of the City of London of Henry VIII’s Foundation)」と命名され、初代病院長に、ヘンリー8世の侍医(外科医)で解剖学者でもあったトマス・ヴィカリー(Thomas Vicary:1490年頃ー1561年)が就任。


セントバーソロミュー・ザ・レス教会の入口
<筆者撮影>


ヘンリー8世による修道院解散政策に基づき、セントバーソロミュー修道院の敷地は、英国国教会の小教区として再編されて、同修道院内にあったセントバーソロミュー・ザ・レス教会(St. Bartholomew The Less)が教区教会となった。

これは、英国内の病院でも特異なケースで、セントバーソロミュー・ザ・レス教会は、病院の敷地内に建てられた教会として、唯一現存している。


セントバーソロミュー・ザ・レス教会の塔を見上げたところ
<筆者撮影>

2025年12月18日木曜日

シティー内に点在するスヌーピー彫刻の探訪(Snoopy in the City: Sculpture trail)- その3

プレイハウスヤード内に設置された
2番目のスヌーピー彫刻「Penguin Parade」
<筆者撮影>

スヌーピー(Snoopy)が主人公である米国人気コミック「ピーナッツ(Peanuts)」の誕生75周年を記念して、12名のアーティストがデザインしたスヌーピー彫刻が、2025年11月19日から2026年1月16日までの約2ヶ月間、シティー・オブ・ロンドン(City of London → 2018年8月4日 / 8月11日付ブログで紹介済)内の各地に展示されている。



前回に続き、12名のアーティストがデザインしたスヌーピー彫刻について、個別に紹介していきたい。


(2)

*彫刻名: Penguin Parade

*アーティスト名: Simon Randall





*展示場所: プレイハウスヤード(Playhouse Yard)


チャーチエントリー(Church Entry)から見たプレイハウスヤード -
遠方に、スヌーピー彫刻が見える。
<筆者撮影>

イングランドとアイルランドの女王で、
テューダー朝(House of Tudor)の第5代かつ最後の君主であるエリザベス1世
(Elizabeth I:1533年ー1603年 在位期間:1558年-1603年)
による統治時代、Blackfriars Theatre」と言う劇場が、
ここに建っていたことに因んで、
「プレイハウス(劇場)ヤード」と名付けられている。
<筆者撮影>

ナショナルポートレートギャラリー
(National Portrait Gallery)で販売されている
エリザベス1世の肖像画の葉書
(Unknown English artist / 1600年頃 / Oil on panel
1273 mm x 997 mm) -
エリザベス1世は、王族しか着れない
イタチ科オコジョの毛皮をその身に纏っている。
オコジョの白い冬毛は、「純血」を意味しており、
実際、エリザベス1世は、英国の安定のために、
生涯、誰とも結婚しなかったので、「処女女王」と呼ばれた。
エリザベス1世の」赤毛」と「白塗りの化粧」は、
当時流行したものである。

2025年12月17日水曜日

シティー内に点在するスヌーピー彫刻の探訪(Snoopy in the City: Sculpture trail)- その2

ホテル「レオナルド ロイヤル ロンドン セントポールズ」の前に設置された
1番目のスヌーピー彫刻「Snoopy’s Winter Chorus」
<筆者撮影>

スヌーピー(Snoopy)が主人公である米国人気コミック「ピーナッツ(Peanuts)」の誕生75周年を記念して、12名のアーティストがデザインしたスヌーピー彫刻が、2025年11月19日から2026年1月16日までの約2ヶ月間、シティー・オブ・ロンドン(City of London → 2018年8月4日 / 8月11日付ブログで紹介済)内の各地に展示されている。



今回から、12名のアーティストがデザインしたスヌーピー彫刻について、個別に紹介していきたい。


(1)

*彫刻名: Snoopy’s Winter Chorus

*アーティスト名: Laura-Kate Draws





*展示場所: セントポール大聖堂(St. Paul’s Cathedral → 2018年8月18日 / 8月25日付ブログで紹介済)の近くにあるゴッドリマンストリート(Godliman Street)とカーターレーン(Carter Lane)の角に経つホテル「レオナルド ロイヤル ロンドン セントポールズ(Leonardo Royal London St. Paul’s)」の前


ゴッドリマンストリートから見たセントポール大聖堂
<筆者撮影>


ゴッドリマンストリートを挟んだ反対側には、
ツーリストインフォメーションセンター(Tourist Information Centre)が建っている。

<筆者撮影>