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| 広場から見たセントバーソロミュー病院の北翼 <筆者撮影> |
| 下から「ホガースの階段」と呼ばれる吹き抜け階段を下から見上げたところ - アーサー・ヘイスティングス中尉と旧友のジョン・キャヴェンティッシュの2人が 上から降りて来る場面が、この角度で撮影されている。 <筆者撮影> |
12世紀のイングランド王であるヘンリー1世碩学王(Henry I Beauclerc:1068年頃ー1135年 在位期間:1100年ー1135年)の寵臣ラヒア(Rahere:?ー1144年)により1123年に設立されたセントバーソロミュー病院は、テューダー朝(House of Tudor)の第2代イングランド王であるヘンリー8世(Henry VIII:1491年ー1547年 在位期間:1509年ー1547年 → 2024年7月26日付ブログで紹介済)が宗教改革の一環として実施した修道院解散(Dissolution of the monasteries:1536年ー1539年)政策に基づき、イングランド国内にあった多くの修道院が解散、そして、財産没収の憂き目に遭う中、貧民救済病院として生き残ったものの、修道院としての収入の道が絶たれたため、一時は経営難に陥る。
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| ヘンリー8世門からセントバーソロミュー病院の北翼へ向かうところ - 画面中央奥には、噴水と庭がある広場が見える。 <筆者撮影> |
そこで、セントバーソロミュー修道院は、1546年12月27日にシティー・オブ・ロンドン共同体(City of London Corporation - 正式名:Mayor and Commonalty and Citizens of the City of London)から認可を受ける合意に調印したことで、ヘンリー8世による再設立を受けることになり、1547年1月、法的に「ヘンリー8世設立・シティー・オブ・ロンドン・ウェストスミスフィールド救貧院(House of the Poore in West Smithfield in the suburbs of the City of London of Henry VIII’s Foundation)」と命名された。
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| 1702年に完成したヘンリー8世門 - なお、アーチ門上にある石像は、ロンドンで唯一のヘンリー8世の石像である。 <筆者撮影> |
セントバーソロミュー病院の入口となる「ヘンリー8世門(Henry VIII Gatehouse)」は、1702年に完成。
当該門の上に据えられたヘンリー8世の石像は、ロンドンに現存する彼の石像として、唯一のものである。
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| セントバーソロミュー病院の北翼の立て看板(その1) <筆者撮影> |
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| セントバーソロミュー病院の北翼の立て看板(その2) <筆者撮影> |
現在のセントバーソロミュー病院の建物は、スコットランド出身の建築家であるジェイムズ・ギブス(James Gibbs:1682年ー1754年)により設計された。
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| セントバーソロミュー病院の北翼の入口 - この奥に、ウィリアム・ホガースによる2つの巨大な壁画が囲む吹き抜け階段がある。 <筆者撮影> |
(1)1732年:北翼が完成(北翼には、英国の画家であるウィリアム・ホガース(William Hogarth:1697年ー1764年)による聖書を題材にした2つの巨大な壁画が囲む吹き抜け階段や大広間(Great Hall - 次回に紹介する予定)がある)
(2)1740年:南翼が完成
(3)1752年:西翼が完成
(4)1769年:東翼が完成
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| セントバーソロミュー病院内の広場(その1) <筆者撮影> |
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| セントバーソロミュー病院内の広場(その2) <筆者撮影> |
上記の4区画のうち、現存しているのは、北翼を含む3区画だけである。
1859年には、4区画の中心に位置する広場に、噴水と庭が設置されている。
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| セントバーソロミュー病院内の広場(その3) <筆者撮影> |
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| セントバーソロミュー病院内の広場(その4) <筆者撮影> |
1948年に国民保険サービス(National Health Service)が設立された後、同病院は、正式に「セントバーソロミュー病院」の名で知られるようになる。












































