2018年1月21日日曜日

キム・ニューマン作「ドラキュラ崩御」(’Judgement of Tears - Anno Dracula 1959’ by Kim Newman)

創元推理文庫「ドラキュラ崩御」の表紙
表紙のオブジェは、松野光洋氏が造形。

「ドラキュラ崩御(Judgement of Tears - Anno Dracula 1959)」は、英国のファンタジー作家、映画批評家で、かつ、ジャーナリストでもあるキム・ニューマン(Kim Newman:1959年ー)が執筆した「ドラキュラ紀元(Anno Dracula→2018年1月7日付ブログで紹介済)」(1992年)と「ドラキュラ戦記(The Bloody Red Baron - Anno Dracula 1918→2018年1月14日付ブログで紹介済)」(1995年)に続く長編3部作の第3作かつ最終作で、1998年11月に発表された。

1959年、イタリアのローマは、ドラキュラ伯爵(Count Dracula)の成婚に沸き返っており、ドラキュラ伯爵を祝福するために、世界中の吸血鬼がローマへと集まりつつあった。そんな映画の都ローマに、今、吸血鬼ばかりを狙う暗殺者「深紅の処刑人」が暗躍していた。暗殺者の最終ターゲットは、ドラキュラ伯爵なのだろうか?
一方、ドラキュラ伯爵の成婚に沸くローマにおいて、英国諜報部員だったチャールズ・ボウルガード(Charles Beauregard)は死期を迎えつつあった。1888年、ロンドンのホワイトチャペル地区(Whitechapel)で吸血鬼の娼婦ばかりを連続で惨殺した「銀ナイフ(Silver Knife)」こと、切り裂きジャック(Jack the Ripper)事件を追った際に出会った吸血鬼の美少女ジュヌヴィエーヴ・ディドネ(Genevieve Dieudonne→ドラキュラ伯爵とは血統を異にする)と恋人となったことにより、人間のまま長寿であったが、彼の命の炎は正に今消えようとしていたのである。
そんな彼を英国情報部のヘイミッシュ・ボンド中佐(Commander Hamish Bond)が訪れる。ボンド中佐は、どんな場所に必ず白い飼い猫を連れて姿を見せるロシア人のスパイを追っていたのだが、刺客の群れがボンド中佐に襲いかかる。
そして、チャールズ・ボウルガードの恋人のジュヌヴィエーヴ・ディドネも、彼と最後の面会をするために(彼に吸血鬼へとなることを説得するために)、ローマへと向かっているのであった。

「ドラキュラ崩御」は、物語の舞台を映画の都ローマに置いたことにより、「映像の魔術師」の異名を持つイタリアの映画監督 /脚本家のフェデリコ・フェリーニ(Federico Fellini:1920年ー1993年 活動期間:1950年ー1993年)の影響を強く受け、物語の雰囲気もそれらしい。
前2作と同様に、「ドラキュラ崩御」にも、虚実ないまぜのキャラクターが多数出ており、3部作の大団円を迎える。作者のキム・ニューマンとしては、英国の軍人(海軍情報部勤務)で冒険小説家のイアン・ランカスター・フレミング(Ian Lancaster Fleming:1908年ー1964年)が生み出した「007」こと、ジェイムズ・ボンド(James Bond)を登場させたかったようであるが、おそらく、版権上の問題か、それが叶わず、「ジェイムズ(James)」のスコットランド名に該る「ヘイミッシュ(Hamish)」を使用した英国情報部のボンド中佐を登場させている。

作者のキム・ニューマンは、当初、当作品を「ドラキュラ チャチャチャ(Dracula Cha Cha Cha)」という題名で発表している。「ドラキュラ チャチャチャ」は、イタリアのピアニスト、作曲家で、歌手でもあったブルーノ・マルティーノ(Bruno Martino:1925年ー2000年)が出したアルバム「イタリアン グラフィティー(Italian Graffiti)」(1960年 / 1961年)の中に含まれる曲で、キム・ニューマンはこの曲名を題名として使用したものと思われる。この曲は、米国の舞台演出家 / 映画監督だったヴィンセント・ミネリ(Vincente Minnelli:1903年ー1986年)が監督した「Two Weeks in Another Town」(1962年)で使用されている。
その後、当作品の題名は、物語に出てくる太古より吸血鬼と敵対する「涙の母」に基づいて、「涙の審判(Judgement of Tears)」へと変更されている。

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