2015年2月28日土曜日

ロンドン ハノーヴァースクエア / セントジョージズ教会(Hanover Square / St. George's Church)

ハノーヴァースクエア内にある広場

サー・アーサー・コナン・ドイル作「独身の貴族(The Noble Bachelor)」(出版社によっては、「花婿失踪事件(A Case of Identity)」との対比から「花嫁失踪事件」と訳しているケースあり)において、1887年10月、ロバート・ウォルシンガム・ド・ヴェア・セント・サイモン卿(Lord Robert Walsingham de Vere St Simon)との結婚式の後、花嫁であるハティー・ドラン(Hatty Doran)が披露宴の席上、気分がすぐれないと言って自室に引き下がり、そのまま姿を消してしまったのである。セント・サイモン卿がベーカーストリート221Bのシャーロック・ホームズの元を訪れ、ドラン嬢の行方を捜してほしいと依頼する。


セント・サイモン卿の来訪に先立ち、ホームズの指示に基づいて、ジョン・ワトスンは新聞の山の中から本件に関する記事を探して、ホームズに読んで聞かせるのであった。ワトスンはモーニングポスト(Morning Post)他の記事を読み上げた。

ハノーヴァースクエア側から見たセントジョージズ教会

「他にもあるかい?」と、ホームズは欠伸をしながら尋ねた。
「あるよ、大層ね。モーニングポストに別の記事が載っている。結婚は完全に内輪で行われる予定で、結婚式の場所はハノーヴァースクエアのセントジョージズ教会となっている。結婚式に招待されたのは、親しい友人が6名だけで、結婚式後、一行はアロイシウス・ドラン氏が購入したランカスターゲートにある家具付きの家へ戻る予定だったようだ。2日後ーつまり、この前の水曜日だが、結婚式が執り行われ、ハネムーンはピーターズフィールドの近くにあるバックウォーター卿の邸宅で過ごす予定という簡単な告知が出ている。これで、花嫁が失踪する前に載った記事は全部だ。」

ハノーヴァースクエア内にあるウィリアム・ピット(小ピット)
(William Pitt (the Younger):1759年ー1806年)のブロンズ像
ー彼は、1783年ー1801年と1804年ー1806年の2回、
英国首相を務めている

'Anything else ?' asked Holmes, yawning.
'Oh, yes ; plenty. Then there is another note in the Morning Post to say that the marriage would be an absolutely quiet one, that it would be at St George's, Hanover Square, that only half a dozen intimate friends would be invited, and that the party would return to the furnished house at Lancaster Gate which has been taken by Mr Aloysius Doran. Two days later - that is, on Wednesday last - there is a curt announcement that the wedding had taken place, and that the honeymoon would be passed at Lord Backwater's place, near Petersfield. These are all the notices which appeared before the disappearance of he bride.'

ハノーヴァースクエア内でも、
ロンドンの東部と西部を結ぶ地下トンネルを建設する
クロスレール工事が行われている

セント・サイモン卿とハティー・ドランの結婚式が執り行われたセントジョージ教会(St. George's)が所在するハノーヴァースクエア(Hanover Square)は、ロンドンのメイフェア地区(Mayfair)内にある。具体的に言うと、マーブルアーチ(Marble Arch)から東に延びるオックスフォードストリート(Oxford Street)とピカデリーサーカス(Piccadilly Circus)から北へ延びるリージェントストリート(Regent Street)が交差するオックスフォードサーカス(Oxford Circus)の南西にあり、徒歩数分圏内である。

ハノーヴァースクエアの南東の角にあるヴォーグハウス(Vogue House)
ー画面右奥の角を回ったところに、雑誌「ヴォーグ(Vogue)」等を販売する店がある

初代スカボロー伯爵(1st Earl of Scarbrough)で、名誉革命(Glorious Revolution:1688年)時の政治家として名を馳せたリチャード・ルムレイ(Richard Lumley)により、1713年にハノーヴァースクエアは住宅街として開発された。1714年に英国王がステュアート朝からハノーヴァー朝に替わったことに伴い、当広場はハノーヴァースクエアと名付けられた。それ以降、約300年の間にハノーヴァースクエアを取り囲む建物の大部分は建替えられてしまい、18世紀当時の建物はほとんど残っていない。

セントジョージズ教会の入口の屋根は、コリント式の柱で支えられている

セント・サイモン卿とハティー・ドランの結婚式が行われたセントジョージズ教会は実在しているが、ハノーヴァースクエア内には所在していない。実際には、ハノーヴァースクエアから南へ少し下ったところ、セントジョージストリート(St. George Street)とマドックスストリート(Maddox Street)が交差する南東の角に、セントジョージズ教会は建っている。
1721年にウィリアム・ステュアート将軍(General William Stuart)が寄贈した土地をベースにして、ジョン・ジェイムズ(John James)が設計し、1721年から1725年にかけて、セントジョージズ教会は建設された。教会の入口の屋根はコリント式の柱で支えられている。
メイフェア地区内にあるというロケーション上、ここで上流階級の結婚式が頻繁に執り行われているそうで、有名なところでは、米国第25代副大統領で、かつ、第26代大統領のセオドア・ルーズヴェルト(Theodore Roosevelt:1858年ー1919年)が1886年12月2日ここで妻エディス・キャロー(Edith Carow)との結婚式を行っている。

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