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| 英国の Penguin Books Ltd. から2008年に出版された Penguin Readers シリーズの1冊である エドガー・アラン・ポー作 「黒猫とその他の物語(The Black Cat and Other Stories)」の表紙 Cover illustration by Julian De Narvaez |
米国の小説家/詩人で、かつ、雑誌編集者で、名探偵の C・オーギュスト・デュパン(C. Auguste Dupin → 2017年12月4日付ブログで紹介済)を生み出していたエドガー・アラン・ポー(Edgar Allan Poe → 2022年12月31日付ブログで紹介済)作短編「赤死病の仮面(The Masque of the Red Death)」は、米国の雑誌である「グラハムズ マガジン」の1842年5月号に、「The Mask of the Red Death: A Fantasy」と言うタイトルで発表された。
その後、「ブロードウェイ ジャーナル(Broadway Journal)」の1845年7月号に、改訂版が掲載され、タイトルが「The Masque of the Red Death」へ変更されている。
エドガー・アラン・ポー作短編「赤死病の仮面」の場合、ある国において、「赤死病(Red Death)」と呼ばれる疫病が至るところで蔓延している状況から、その物語が始まる。
ひとたび「赤死病」に罹患すると、まず最初に、胃に焼けるような痛みを感じると、続いて、眩暈が起こり、最後には、全身から血が吹き出して、死に至ると言う非常に恐ろしい疫病で、長い間、人々を苦しめていた。
「赤死病」により国内の半分の人々が亡くなると、勇敢で賢明な国王プロスペロウ(Prince Prospero)は、疫病の魔の手から逃れるために、健康な臣下達と友人達の千人を引き連れて、都市を離れると、森の中に所在する城砦の奥に立て籠もる。
国王プロスペロウ達が立て籠もったのは、巨大で美しい城砦で、周囲を高くて強固な城壁が取り巻いていた。城内と城外を結ぶ城門は、ただ一つしかなく、国王プロスペロウは、この唯一の城門を厳重に閉じさせると、城門に鍵をかけた。そして、国王プロスペロウは、城壁越しに、この鍵を城砦の外にある湖へと投げ込んだ。
城門を開ける鍵は、先程、国王プロスペロウが湖へ投げ込んだものしかないため、これで、何者と言えども、外部から城砦内へと入ることはできないと言えた。「赤死病」も同様だった。
城砦内には、国王プロスペロウ達が立て籠もったとしても、1年は保つ程、充分な食料が蓄えられていた。
城砦外では、疫病が引き続き猛威を振るうのを余所に、城砦内では、完全に安心しきった国王プロスペロウと友人達は、踊り子や音楽家を呼んで、ワインを飲み、食事を楽しみ、饗宴の日々を送る。
彼らが饗宴に耽る中、5ヶ月が経過したが、城砦外では、あいかわらず、「赤死病」が蔓延したままだった。
饗宴の日々を送る国王プロスペロウは、彼の友人達のために、仮面舞踏会を開催することを思い付いた。
しかし、この仮面舞踏会の当日、城砦内に立て籠もって、饗宴に耽る国王プロスペロウと友人達にとって、非常に恐ろしいことが降り掛かるのであった。



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