2024年5月8日水曜日

マンリー・W・ウェルマン / ウェイド・ウェルマン共作「シャーロック・ホームズの宇宙戦争」(The War of the Worlds by Manly W. Wellman & Wade Wellman)- その1

英国の Titan Publishing Group Ltd. の Titan Books 部門から
2009年に出版された
マンリー・ウェイド・ウェルマン / ウェイド・ウェルマン共作
「シャーロック・ホームズの更なる冒険 / 宇宙戦争」の表紙


今回、米国の作家であるマンリー・ウェイド・ウェルマン(Manly Wade Wellman:1903年ー1986年)と息子のウェイド・ウェルマン(Wade Wellman)の共作による SF 小説「シャーロック・ホームズの宇宙戦争(Sherlock Holmes’s War of the Worlds)」(1975年)について、紹介したい。


本作品は、シャーロック・ホームズとジョン・H・ワトスンの2人が、英国の作家であるハーバート・ジョージ・ウェルズ(Herbert George Wells:1866年ー1946年)が1898年に発表した SF 小説「宇宙戦争(The War of the Worlds)」に遭遇した事件が描かれている。


H・G・ウェルズ作「宇宙戦争」を原作した映画や TV ドラマ等が何度も制作されており、米国の映画制作者であるスティーヴン・スピルバーグ(Steven Spielberg:1946年ー)が監督を務め、米国の俳優 / 映画プロデューサーであるトム・クルーズ(Tom Cruise:1962年ー)が主演した米国映画「宇宙戦争(War of the Worlds)」(2005年)は、世界中で大ヒットした。


本作品の序文によると、父親のマンリー・ウェイド・ウェルマンと共作した息子のウェイド・ウェルマンは、1968年に映画「恐怖の研究(A Study in Terror)」を観て、本作品の着想を得た、とのこと。映画「恐怖の研究」は、シャーロック・ホームズが、ヴィクトリア朝時代を大きく揺るがせた「切り裂きジャック(Jack the Ripper)」事件に取り組む話で、これを観たウェイド・ウェルマンは、「ホームズは、H・G・ウェルズ作「宇宙戦争」に遭遇した場合、どのように対処するのか?」と考えて、父親のマンリー・ウェイド・ウェルマンに対して、執筆の協力を求めた。

マンリー・ウェイド・ウェルマンは、息子からの執筆の協力を受諾したが、その際、ホームズとワトスンに加えて、ジョージ・エドワード・チャレンジャー教授(Professor George Edward Challenger)の登場を提案した。チャレンジャー教授とは、サー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Sir Arthur Ignatius Conan Doyle:1859年-1930年)が1912年に発表した SF 小説「失われた世界(The Lost World)」等において、主役を務める科学者である。


また、息子のウェイド・ウェルマンは、映画「恐怖の研究」以外に、フランスの小説家 / 劇作家 / 詩人であるアンリ・ルネ・アルベール・ギ・ド・モーパッサン(Henri Rene lbert Guy de Maupassant:1850年ー1893年)の短篇集「ル・オルラ(Le Horla)」(1887年)の映画化作品「狂人日記(Diary of a Madman)」を観て、本作品の参考にした、と語っている。

実際、本作品中で、ホームズがギ・ド・モーパッサン作「ル・オルラ」を読んだ後、ギ・ド・モーパッサンについて語る場面が出てくる。


2024年5月7日火曜日

高木彬光作「能面殺人事件」(The Noh Mask Murder by Akimitsu Takagi)- その1

英国のプーシキン出版(Pushkin Press)から
2024年に刊行されている
 Pushkin Vertigo シリーズの一つである

高木彬光作「能面殺人事件」の表紙
(Cover design by Jo Walker)


「能面殺人事件(The Noh Mask Murder)」は、日本の推理作家である高木彬光(Akimitsu Takagi:1920年ー1995年)によるデビュー長編推理小説で、神津恭介(Kyosuke Kamizu)シリーズの第1作目に該る「刺青殺人事件(The Tattoo Murder → 2024年4月21日 / 4月23日 / 4月25日付でブログで紹介済)」(1948年)に続く長編推理小説の第2作である。

「能面殺人事件」は、1949年に雑誌「宝石」に掲載された。


高木彬光の長編推理小説第1作である「刺青殺人事件」は、第二次世界大戦(1939年ー1945年)/ 太平洋戦争(1941年-1945年)後間もない戦後混乱期の社会情勢を背景として、妖艶な刺青である「自雷也(Jiraiya - 蝦蟇の妖術を使う)」、「大蛇丸(Orochimaru - 蛇の妖術を使う)」、そして、「綱出姫(Tsunedahime - 蛞蝓の妖術を使う)」の三すくみによる呪い、日本家屋の浴室内における密室殺人や胴体のない死体等、怪奇趣味に彩られた本格推理小説である。


一方、高木彬光の長編推理小説第2作である「能面殺人事件」の場合、「刺青殺人事件」と同じく、密室殺人を主軸として、昔からの呪いを秘める鬼女(般若)の能面を付けた謎の人物の暗躍、殺人現場に残されたジャスミンの香り、そして、葬儀屋に注文された三つの棺等、怪奇趣味に彩られた本格推理小説となっている。


また、刺青殺人事件」において、探偵役を務めるのは、高木彬光によるシリーズ探偵の一人である神津恭介であるが、「能面殺人事件」では、当初、作者と同じ名前の高木彬光(Akimitsu Takagi)が探偵役を務めるものの、物語の途中で、舞台から姿を消してしまう。その後は、高木彬光のワトスン役だった柳光一(Koichi Yanagi)が、探偵役として、三つの殺人事件にかかる捜査の過程を記録していく形式を採っている。


作者の高木彬光によると、デビュー作の「刺青殺人事件」と第2作目の「能面殺人事件」のどちらを先に執筆するのか、非常に迷った末に、「刺青殺人事件」を選択した、とのこと。


なお、「能面殺人事件」は、第3回探偵作家クラブ賞を受賞している。 


2024年5月6日月曜日

ロバート・J・ハリス作「深紅色の研究」(A Study in Crimson by Robert. J. Harris)- その1

英国の Birlinn Ltd から、Polygon Book として
2022年に刊行されている
 ロバート・J・ハリス
作「深紅色の研究」の
ペーパーバック版表紙

Cover design by Abigail Salvesen


ロバート・J・ハリス(Robert. J. Harris:1955年ー)は、スコットランドのダンディー(Dundee)出身の学者 / 作家である。なお、ダンディーは、北海(North Sea)に面するテイ湾(Firth of Tay)の北岸に位置しているスコットランドで人口4番目の都市となっている。

彼は、スコットランドのセントアンドリュース大学(University of St. Andrews)を卒業した後、学者となり、1990年代から作家活動を開始。


ロバート・J・ハリスは、特に、子供向けのファンタジー小説や歴史小説を著作しており、米国のファンタジー小説 / SF 小説家であるジェイン・ハイアット・ヨーレン(Jane Hyatt Yolen:1939年ー)との共著を2000年代に発表していることで、よく知られている。

また、彼は、ファンタジーボードゲームの「タリスマン(Talisman)」とその続編の「ミスガルディア(Mythgardia)」を発案している。


ロバート・J・ハリスは、米国ペンシルヴァニア州(Pennsylvania)出身のファンタジー小説家であるデボラ・ターナー・ハリス(Deborah Turner Harris:1951年ー)と結婚して、現在、スコットランドに在住。


ロバート・J・ハリスは、第二次世界大戦(1939年ー1945年)時に時代設定を置いた以下のシャーロック・ホームズシリーズを刊行している。


(1)「深紅色の研究(A Study in Crimson)」(2020年)

(2)「悪魔の業火(The Devil’s Blaze)」(2022年)


今回は、ロバート・J・ハリス作シャーロック・ホームズシリーズの第1作目に該る「深紅色の研究」について、紹介したい。


1942年9月7日、陸軍省(War Office)からの依頼に基づき、シャーロック・ホームズとジョン・H・ワトスンは、ベーカーストリート221B(221B Baker Street)を出ると、クロイドン(Croydon)の飛行場からスコットランドへと離陸した。スコットランドの空軍基地へと着いた2人は、車である城へと向かう。

そこでは、秘密裡に軍事開発が行われており、新しい空雷(aerial torpedo)の研究をしていた女性科学者のエルスペス・マックレディー博士(Dr. Elspeth Mac Ready)の部屋から悲鳴が聞こえてきたため、別の博士達がドアをノックするも、何の反応もなかった。彼らがドアを破って、部屋の中に入ったところ、誰も居らず、室内を捜索した結果、エルスペス・マックレディー博士の姿を発見できなかった。

そのため、事態を重くみた陸軍省が、ホームズに対して、内密での捜査依頼を行ったのである。

翌日(9月8日)の朝、事件をあっさりと解決してしまったホームズは、インヴァネス駅(Inverness Staton)まで軍の車で送ってもらうと、ワトスンと一緒に、1等車に乗り、ロンドンへと戻ることにした。


ロンドンへと戻る列車の中、ワトスンの回想が続く。

1935年、ホームズは、ベーカーストリート221Bの諮問探偵事務所を閉めると、2年間、その行方が判らなかった。そして、2年後、世界中を巡ったホームズは、ロンドンへと帰還した。ちょうどその頃、ワトスンは、妻のメアリー(Mary)を亡くしていた。

その後、第二次世界大戦が勃発して、1940年9月7日、ドイツ軍による英国爆撃(The Blitz)が始まった。そして、爆撃により、ワトスンの家も破壊されたため、ワトスンは、再度、ホームズと一緒に、ベーカーストリート221Bに住むことにしたのである。


キングスクロス駅(King’s Cross Station)に着いた2人は、灯火管制による真っ暗闇の中、徒歩で駅からベーカーストリート221Bへ戻った。午後10時だった。そして、ハドスン夫人(Mrs. Hudson)が用意していた食事をとると、就寝。


翌日(9月9日)の早朝、誰かがベーカーストリート221Bを訪ねて来たため、ハドスン夫人が対応。ワトスンが時計で時刻を確かめると、まだ午前5時半過ぎだった。

早朝、ベーカーストリート221Bを訪ねて来たのは、スコットランドヤードのレストレード警部(Inspector Lestrade)だった。

ホームズは、レストレード警部に対して、「首相が誘拐されたのか?それとも、残忍な殺人事件なのか?」と尋ねると、レストレード警部は、「後者の方です。直ぐに着替えて、一緒に現場へ行ってほしい。」と頼み込む。

急いで着替えたホームズとワトスンの2人は、ベーカーストリート221Bの前で待っていた警察車輌に乗り込むと、レストレード警部と一緒に、現場であるセブンダイヤルズ(Seven Dials)へと向かうのであった。


2024年5月5日日曜日

P・D・ジェイムズ作「女には向かない職業」(An Unsuitable Job for a Woman by P. D. James)- その1

英国の Faber and Faber Limited から
2020年に刊行されている
 
P・D・ジェイムズ作「女には向かない職業」の表紙
Cover design by Faber and Faber Limited /
Cover illustration by Ms. Angela Harding


フィリス・ドロシー・ジェイムズ(Phyllis Dorothy James:1920年ー2014年)は、英国の女流推理作家で、一般に、「P・D・ジェイムズ(P. D. James)」と呼ばれている。

彼女は、1920年にオックスフォード(Oxford)に出生した後、ケンブリッジ女子高校(Cambridge High School for Girls)を卒業し、1949年から1968年まで国民保健サービス(National Health Service : NHS)に勤務。その後、内務省(Home Office)において、Police Department や Criminal Policy Department 等で働き、それらの経験が、彼女の小説に生かされている。

彼女は、それまでの功績が評価され、1991年に一代貴族として、「ホーランドパークのジェイムズ女男爵(Baroness James of Holland Park)」に叙された。


P・D・ジェイムズの主なシリーズは、アダム・ダリグリッシュ(Adam Dalgliesh)シリーズで、彼女の処女作、かつ、シリーズの第1作でもある「女の顔を覆え(Cover Her Face → 2020年11月21日付ブログで紹介済)」(1962年)からシリーズ最終作に該る「秘密(The Private Patient)」(2008年)まで、全14作品が発表されている。

アダム・ダリグリッシュは、初登場時、スコットランドヤードの主任警部(Chief Inspector)であるが、シリーズが進むと、警視(Superintendent)へと昇進する。


P・D・ジェイムズのシリーズには、アダム・ダリグリッシュシリーズの他に、女探偵のコーデリア・グレイ(Cordelia Gray)シリーズがあり、


(1)「女には向かない職業(An Unsuitable Job for a Woman)」(1972年)

(2)「皮膚の下の頭蓋骨(The Skull Beneath the Skin)」(1982年)


の2作品が発表されている。

今回は、コーデリア・グレイシリーズの第1作に該る「女には向かない職業」について、紹介したい。


6月の朝、コーデリア・グレイ(22歳)は、地下鉄オックスフォードサーカス駅(Oxford Circus Tube Station)を出ると、キングリーストリート(Kingly Street)へ入り、探偵事務所(Detective Agency)へと急いでいた。

彼女は、地下鉄ベーカールーライン(Bakerloo Line)に乗り、テムズ河(River Thames)の南岸から地下鉄オックスフォードサーカス駅へと向かったが、ランベスノース(Lambeth North)の辺りで地下鉄の故障に見舞われて、出勤に30分遅れていたのである。


実は、コーデリア・グレイは、若輩ながら、バーナード・G・プライド(Bernard G. Pryde)と一緒に、プライド探偵事務所(Pryde’s Detective Agency)の共同パートナーを務めていた。

また、バーナード・G・プライドは、元警察官で、アダム・ダリグリッシュの部下でもあった。


探偵事務所に着いたコーデリア・グレイは、パートナーのバーナード・G・プライドが自殺している現場に遭遇して、驚く。

実は、バーナード・G・プライドは、癌に罹っており、手首を切って、事務所内で自殺していたのである。


2024年5月4日土曜日

100年間にロイヤルメールから発行された記念切手(100 Years of Commemorative Stamps)- その4

2024年4月16日に、英国のロイヤルメール(Royal Mail)から、100年間に出た切手に関する10種類の記念切手が発行されたので、前回に引き続き、御紹介したい。


(7)


左上から時計回りに、「Robert Burns: The Immortal Memory」(1996年)、「Millennium」(1999年)、そして、「Architects of the Air」(1997年)の記念切手がまとめられている。
これら3枚の記念切手は、ウィンザー朝第4代女王であるエリザベス2世(Queen Elizabeth II:1926年–2022年 / 在位期間:1952年–2022年)の在位中のうち、1990年代に発行されている。

なお、ロバート・バーンズ(Robert Burns:1759年ー1796年)は、スコットランドの国民的詩人で、スコットランド語を使った詩作で知られており、スコットランド民謡の収集や普及に努めた。「Robert Burns: The Immortal Memory」は、彼の没後200周年を記念して発行された。

また、レジナルド・ジョーゼフ・ミッチェル(Reginald Joseph Mitchell:1895年ー1937年)は、英国の航空技術者で、スーパーマリン スピットファイア(Supermarine Spitfire)を設計したことで知られている。彼が設計した単発のレシプロ単座戦闘機であるスーパーマリン スピットファイアは、英国のスーパーマリン社で開発され、第二次世界大戦(1939年−1945年)において、英国軍を初めとする連合国軍で使用された。スーパーマリン スピットファイアは、1940年のバトル・オブ・ブリテン(Battle of Britain)の際、ドイツ空軍による攻撃から英国を防衛するために、大活躍した。

(8)

左上から時計回りに、「The Weather」(2001年)、「Lest we Forgot」(2007年)、そして、「Sounds of Britain」(2006年)の記念切手がまとめられている。
これら3枚の記念切手は、ウィンザー朝第4代女王であるエリザベス2世の在位中のうち、2000年代に発行されている。

なお、天気(The Weather)に関する記念切手4種類が2001年3月13日に発行されており、2024年4月6日付ブログで紹介しているので、そちらも御参照いただきたい。

また、「Lest we Forgot」は、第一次世界大戦(1914年−1918年)/ 第二次世界大戦における戦没者追悼のための記念切手で、この時期、毎年発行されている。

2024年5月3日金曜日

横溝正史作「犬神家の一族」(The Inugami Curse by Seishi Yokomizo)- その4

英国のプーシキン出版(Pushkin Press)から
2020年に刊行されている
 Pushkin Vertigo シリーズの一つである

横溝正史作「犬神家の一族」の内扉
(Cover design by Anna Morrison)


194x年(昭和2x年)の2月、那須(Nasu)湖畔の本宅において、信州財界の大物(one of the leading businessmen of the Shinshu region)である犬神佐兵衛(Sahei Inugami)が、81歳の生涯を終えた。

犬神佐兵衛は、裸一貫の身から事業を興して、犬神グループ(Inugami Group)を創設すると、グループの中核となる製糸業で、莫大な資産を築き、日本の生糸王(Silk King of Japan)と称されるまでになっていた。


同年の10月18日、私立探偵(private investigator)の金田一耕助(Kosuke Kindachi)が、東京から那須湖畔を訪れた。

彼が那須湖畔を訪れたのは、古館法律事務所(Furudate Law Office)に勤務する若林豊一郎(Toyoichiro Wakabayashi)から、「近いうちに、犬神家に容易ならざる事態が起きそうだ。そこで、那須へ来て、調査してほしい。そして、容易ならざる事態をなんとか未然に防いでほしい。」と書かれた手紙を受け取ったからである。


那須ホテル(Nasu Inn)に宿泊した金田一耕助は、早速、電話で若林豊一郎に連絡をとったが、湖へと漕ぎ出した野々宮珠世(Tamayo Nonomiya - 那須神社の神官で、犬神佐兵衛が終生の恩人と慕う野々宮大弐(Daini Nonomiya)の孫)が乗るボートが突然沈み始めるのを目撃し、慌てて湖畔へと駆け出す。

そして、金田一耕助が、野々宮珠世の身辺の世話役で、護衛も務める下男の猿増(Saruzo)と一緒に、沈むボートから彼女を救出した後、那須ホテルへ戻ったところ、彼に仕事を依頼してきた古館法律事務所の若林豊一郎が、何者かによって毒殺されていたのだ。


那須ホテルへと駆け付けた古館法律事務所の所長である古館恭三(Kyozo Furudate)によると、若林豊一郎が犬神家の誰かに買収されて、古館法律事務所の金庫に保管している犬神佐兵衛の遺言状を盗み見て、買収者にその内容を知らせていたようだった。

部下の若林豊一郎が心配していた通り、犬神家に容易ならざる事態が起きる可能性を懸念した古館恭三は、金田一耕助に、犬神佐兵衛の遺言状の公開の場に立ち会うように依頼するのであった。


同年の11月1日、犬神佐兵衛の長女である犬神松子(Matsuko Inugami)の一人息子で、第二次世界大戦(1939年ー1945年)/ 太平洋戦争(1941年ー1945年)に出征していた犬神佐清(Sukekiyo Inugami)が、戦地のビルマ(Burma)から、遂に復員した。

驚くことに、犬神佐清は、ビルマでの戦いの際、顔に大怪我を負ったため、負傷した顔を隠すべく、ゴムマスクを被った姿で、母親の松子と一緒に、那須湖畔の本宅へと戻って来たのである。


犬神佐清が復員したことを受け、犬神家の顧問弁護士(Inugami clan’s attorney)である古館恭三は、金田一耕助の立ち会いの下、犬神佐兵衛の遺言状を公開した。

犬神佐兵衛が残した遺言状は、


*全相続権を示す犬神家の家宝である「斧(よき)」・「琴(こと)」・「菊(きく)」の3つを、犬神佐兵衛の終生の恩人である野々宮大弐の孫娘である野々宮珠世が、犬神佐兵衛の孫である犬神佐清、犬神佐武(Suketake Inugami - 次女の犬神竹子(Takeko Inugami)の息子)、そして、犬神佐智(Suketomo Inugami - 三女の犬神梅子(Umeko Inugami)の息子)の3人の中から配偶者を選ぶことを条件に、彼女に与える。

*野々宮珠世が、3人の中から配偶者を選ばず、相続権を失った場合、または、3人の中から配偶者を選ぶ前に、死亡した場合、犬神家の全財産は5等分され、犬神佐清、犬神佐武、そして、犬神佐智の3人がそれぞれ 1 / 5 ずつを相続し、残りの 2 / 5 については、犬神佐兵衛の愛人である青沼菊乃(Kikuno Aonuma)の息子の青沼静馬(Shizuma Aonuma)が相続する。


と言う内容だった。


古館恭三によって公開された犬神佐兵衛の遺言状の内容を聞いた長女の犬神松子、次女の犬神竹子、そして、三女の犬神梅子の憎悪と怒りは、頂点に達した。

以前から、3姉妹の家族同士の折り合いは、あまり良くなく、お互いが常に反目し合っていたが、犬神佐兵衛の遺言状の公開を受けて、3姉妹の仲は更に険悪となり、野々宮珠世の関心を得ようと、躍起になったのである。

また、本物の犬神佐清は、実は既に戦死していて、ゴムマスクを被った犬神佐清は、偽者ではないのかと言う嫌疑をかけられ、出征前に那須神社に奉納した手形(指紋)との照合を迫られるが、母親の犬神松子がこれを拒否した。


犬神佐清が那須湖畔の本宅へと戻って来て、半月が経過した同年の11月15日、次女の犬神竹子の息子である犬神佐武は、犬神佐清の手形合わせの件で呼び出された野々宮珠世に対して、強引に関係を迫るが、そこへ駆け付けた猿蔵に妨害されて、未遂に終わった。その後、犬神佐武は、何者かに惨殺され、その生首が「菊」人形として飾られると言う事件が発生する。


更に、三女の犬神梅子の息子である犬神佐智が、野々宮珠世を薬で眠らせて襲い、既成事実をつくろうとしたが、顔を隠した復員服の男に妨害され、その男から電話連絡を受けた猿蔵が野々宮珠世を救出して、失敗に終わった。その後、犬神佐智は、何者によって、「琴」の糸で首を絞められて殺害された。


野々宮珠世が相続する予定の犬神家の財産を狙う求婚者が2人、殺害されると言う事件が続いたのである。


2024年5月2日木曜日

100年間にロイヤルメールから発行された記念切手(100 Years of Commemorative Stamps)- その3

 2024年4月16日に、英国のロイヤルメール(Royal Mail)から、100年間に出た切手に関する10種類の記念切手が発行されたので、前回に引き続き、御紹介したい。


(5)


左上から時計回りに、「Philympia 70 Stamp Exhibition」(1970年)、「British Wildlife」(1977年)、そして、「British Achievement in Chemistry」(1977年)の記念切手がまとめられている。
これら3枚の記念切手は、ウィンザー朝第4代女王であるエリザベス2世(Queen Elizabeth II:1926年–2022年 / 在位期間:1952年–2022年)の在位中のうち、1970年代に発行されている。

なお、「Philympia 70 Stamp Exhibition」は、ロンドンのウェストケンジントン地区(West Kensington)にある見本市会場オリンピア(Olympia)において、1970年9月18日から同年9月26日までの間、開催された国際切手博覧会(International Stamp Exhibition)のことで、当該博覧会を記念して発行された3枚の切手のうちの1枚が、「1847 first embossed (9d)」の図案を使用したものである。

また、英国王立化学協会(Royal Institute of Chemistry)」は、化学の推進を目的として、1877年に設立された学術機関で、「British Achievement in Chemistry」は、英国王立化学協会の設立100周年を記念して、1977年に発行されたものである。1980年に英国王立化学協会、化学会(Chemical Society)、ファラデー協会(Faraday Society)と分析化学会(Society for Analytical Chemistry)の4つが統合されて、英国王立化学会(Royal Society of Chemistry)となり、現在に至っている。

(6)

左上から時計回りに、「Flowers」(1987年)、「Halley's Comet」(1986年)、そして、「Transport and Communications」(1988年)の記念切手がまとめられている。
これら3枚の記念切手は、ウィンザー朝第4代女王であるエリザベス2世の在位中の地、1980年代に発行されている。

なお、「ハレー彗星(Halley's Comet)」は、75.32年周期で地球に接近する短周期彗星で、前回は1986年2月に回帰しており、その際に記念切手が発行された。次回の回帰は、2061年7月と計算されている。

2024年5月1日水曜日

横溝正史作「犬神家の一族」(The Inugami Curse by Seishi Yokomizo)- その3

英国のプーシキン出版(Pushkin Press)から
2020年に刊行されている
 Pushkin Vertigo シリーズの一つである

横溝正史作「犬神家の一族」の裏表紙
(Cover design by Anna Morrison)


194x年(昭和2x年)の2月、那須(Nasu)湖畔の本宅において、信州財界の大物(one of the leading businessmen of the Shinshu region)である犬神佐兵衛(Sahei Inugami)が、81歳の生涯を終えた。

犬神佐兵衛は、裸一貫の身から事業を興して、犬神グループ(Inugami Group)を創設すると、グループの中核となる製糸業で、莫大な資産を築き、日本の生糸王(Silk King of Japan)と称されるまでになっていた。


同年の10月18日、私立探偵(private investigator)の金田一耕助(Kosuke Kindachi)が、東京から那須湖畔を訪れた。

彼が那須湖畔を訪れたのは、古館法律事務所(Furudate Law Office)に勤務する若林豊一郎(Toyoichiro Wakabayashi)から、「近いうちに、犬神家に容易ならざる事態が起きそうだ。そこで、那須へ来て、調査してほしい。そして、容易ならざる事態をなんとか未然に防いでほしい。」と書かれた手紙を受け取ったからである。


那須ホテル(Nasu Inn)に宿泊した金田一耕助は、早速、電話で若林豊一郎に連絡をとった。

若林豊一郎が那須ホテルにやって来るのを待つ間、金田一耕助が那須湖越しに犬神家の邸宅を望んでいると、野々宮珠世(Tamayo Nonomiya)がボートで湖へと漕ぎ出すのに、目を止めた。

野々宮珠世は、那須神社(Nasu Shrine)の神官である野々宮大弐(Daini Nonomiya)の孫で、野々宮大弐を終生の恩人と慕う犬神佐兵衛によって、犬神家に引き取られて、犬神家に寄寓しているのである。

野々宮珠世が漕ぐボートを、金田一耕助が眺めていると、彼女が乗るボートが突然沈み始めるのを目撃し、慌てて湖畔へと駆け出した。そして、金田一耕助は、野々宮珠世の身辺の世話役で、護衛も務める下男の猿増(Saruzo)と一緒に、沈むボートから彼女を救出する。金田一耕助と猿蔵が調べたところ、野々宮珠世が乗っていたボートには、穴が開けられていたのである。

猿蔵によると、野々宮珠世が命を狙われたのは、3度目とのこと。1度目は、野々宮珠世の寝室のベッドの中に、蛇が入れられており、2度目は、彼女が運転する車のブレーキが効かないように細工されていたのだ。正体不明の何者かが仕掛けた罠に、野々宮珠世は3度も掛かったが、奇跡的に、3度とも、危機一髪で助かった訳だ。


野々宮珠世と猿蔵と別れて、金田一耕助が那須ホテルへ戻ったところ、彼に仕事を依頼してきた古館法律事務所の若林豊一郎が、何者かによって毒殺されていた。

部下の若林豊一郎が殺されたことを知らされ、那須ホテルへと駆け付けた古館法律事務所の所長である古館恭三(Kyozo Furudate)は、金田一耕助に対して、驚くべきことを告げる。それは、若林豊一郎が犬神家の誰かに買収され、古館法律事務所の金庫に保管している犬神佐兵衛の遺言状を盗み見て、買収者にその内容を知らせていたようだった。

部下の若林豊一郎が心配していた通り、犬神家に容易ならざる事態が起きる可能性を懸念した古館恭三は、金田一耕助に、犬神佐兵衛の遺言状の公開の場に立ち会うように依頼したのである。


2024年4月30日火曜日

100年間にロイヤルメールから発行された記念切手(100 Years of Commemorative Stamps)- その2

2024年4月16日に、英国のロイヤルメール(Royal Mail)から、100年間に出た切手に関する10種類の記念切手が発行されたので、前回に引き続き、御紹介したい。


(3)


左上から時計回りに、「Tercentenary of 'General Letter Office'」(1960年)、「Coronation of Queen Elizabeth II」(1953年)、そして、「Festival of Britain」(1951年)の記念切手がまとめられている。
これら3枚の記念切手は、ウィンザー朝第3代国王であるジョージ6世(George VI:1895年ー1952年 / 在位期間:1936年ー1952年)とウィンザー朝第4代女王であるエリザベス2世(Queen Elizabeth II:1926年−2022年 / 在位期間:1952年ー2022年)の在位中のうち、1950年代に発行されている。

なお、エリザベス2世の戴冠式50周年記念切手10種類が2003年6月2日に発行されており、2022年9月20日付ブログで紹介しているので、そちらも御参照いただきたい。

(4)

左上から時計回りに、「Landcapes」(1966年)、「Investiture of HRH The Prince of Wales」(1969年)、そして、「Nature Week」(1963年)の記念切手がまとめられている。
これら3枚の記念切手は、ウィンザー朝第4代女王であるエリザベス2世の在位中のうち、1960年代に発行されている。

なお、ウェールズ公(Prince of Wales - 英国において、王位の法定相続人たる王子に与えられる称号)は、エリザベス2世の後を継いで、ウィンザー朝第5代国王として即位したチャールズ3世(King Charles III:1948年ー 在位期間:2022年ー)で、1958年に当該称号を得て、立太子されている。
チャールズ3世がまだウェールズ公だった際、70歳の誕生日を記念して、2018年に記念切手6種類が発行されており、2022年9月10日付ブログで紹介しているので、そちらも御参照いただきたい。

2024年4月29日月曜日

横溝正史作「犬神家の一族」(The Inugami Curse by Seishi Yokomizo)- その2

横溝正史作「犬神家の一族」に登場する事件関係者の系譜
<筆者作成>


日本の推理作家である横溝正史(Seishi Yokomizo:1902年ー1981年)による長編推理小説で、金田一耕助(Kosuke Kindaichi)シリーズの一つである「犬神家の一族(The Inugami Curse)」は、1950年(昭和25年)1月から1951年(昭和26年)5月にかけて、雑誌「キング」に連載された後、1951年5月に講談社から単行本化された。


194x年(昭和2x年)の2月、那須(Nasu)湖畔の本宅において、信州財界の大物(one of the leading businessmen of the Shinshu region)である犬神佐兵衛(Sahei Inugami)が、81歳の生涯を終えた。

犬神佐兵衛は、裸一貫の身から事業を興して、犬神グループ(Inugami Group)を創設した。そして、彼は、グループの中核となる製糸業で、莫大な資産を築き、日本の生糸王(Silk King of Japan)と称されるまでになっていた。


古館法律事務所(Furudate Law Office)の所長である古館恭三(Kyozo Furudate)は、犬神家の顧問弁護士(Inugami clan’s attorney)として、犬神佐兵衛から遺言状の管理を任されており、彼の遺産の分配や犬神グループの事業継承者等を記した遺言状については、犬神家の一族全員が揃った場において公開するよう、指示を受けていた。

犬神佐兵衛の長女である犬神松子(Matsuko Inugami)の一人息子の犬神佐清(Sukekiyo Inugami)が、第二次世界大戦(1939年ー1945年)/ 太平洋戦争(1941年ー1945年)に出征しており、彼が戦地のビルマ(Burma)から復員するのを待って、犬神佐兵衛の遺言状は、発表されることになった。


犬神グループの総帥である犬神佐兵衛は、生涯に渡って、正妻を娶っておらず、それぞれ母親が異なる長女の犬神松子、次女の犬神竹子(Takeko Inugami)、そして、三女の犬神梅子(Umeko Inugami)の3人を設けていた。

犬神佐兵衛は、3人の娘に婿養子を迎えて、孫として、長女の松子には、佐清(29歳)が、次女の竹子には、佐武(Suketake - 28歳)と小夜子(Sayoko - 22歳)が、そして、三女の梅子には、佐智(Suketomo - 27歳)が生まれていた。生憎と、3人の娘の家族同士の折り合いは、あまり良くなく、お互いが常に反目し合っていたのである。


同年の10月18日、私立探偵(private investigator)の金田一耕助が、東京から那須湖畔を訪れた。

彼が那須湖畔を訪れたのは、古館法律事務所に勤務する若林豊一郎(Toyoichiro Wakabayashi)から手紙を受け取り、その手紙には、「近いうちに、犬神家に容易ならざる事態が起きそうだ。(I am extremely concerned that the Inugami clan will be faced with a great situation in the near future.)そこで、那須へ来て、調査してほしい。そして、容易ならざる事態をなんとか未然に防いでほしい。(I am writing to bid you to come to Nasu and to conduct an investigation into this matter, so as to prevent such a tragedy.)」と書かれていたからであった。

金田一耕助は、当時、「本陣殺人事件(The Honjin Murders → 2024年3月16日 / 3月21日 / 3月26日 / 3月30日付ブログで紹介済)」、「獄門島(Death on Gokumon Island → 2024年3月4日 / 3月6日 / 3月8日 / 3月10日付ブログで紹介済)」事件や「八つ墓(The Village of Eight Graves → 今後、紹介する予定)」事件を既に解決しており、若林豊一郎は、金田一耕助の活躍を耳にして、彼に白羽の矢を立てたのだ。


2024年4月28日日曜日

100年間にロイヤルメールから発行された記念切手(100 Years of Commemorative Stamps)- その1

2024年4月16日に、英国のロイヤルメール(Royal Mail)から、100年間に出た切手に関する10種類の記念切手が発行されたので、5回に分けて御紹介したい。


(1)


左上から時計回りに、「British Empire Exhibition」(1924年)、「Postal Union Congress」(1929年)、そして、「Silver Jubilee」(1935年)の記念切手がまとめられている。
これら3枚の記念切手は、ザクセン-コーブルク-ゴータ朝(Saxe-Coburg-Gotha Dynasty)第2代国王であるジョージ5世(George V:1865年ー1936年 / 在位期間:1910年ー1936年)の在位中のうち、1920年代と1930年代に発行されている。ジョージ5世は、1917年に王朝名をザクセン-コーブルク-ゴータ朝から現在のウィンザー朝(Windsor Dynasty)へ変更して、ウィンザー朝の初代君主となっている。

なお、「Silver Jubilee」とは、在位25周年を意味しており、ジョージ5世は1910年に即位しているので、1935年が在位25周年に該当する。

(2)


左上から時計回りに、「Royal Silver Wedding」(1948年)、「Centenary of First Adhesive Postage Stamps」(1940年)、そして、「Peace and Reconstruction」(1946年)の記念切手がまとめられている。
これら3枚の記念切手は、ウィンザー朝第3代国王であるジョージ6世(George VI:1895年ー1952年 / 在位期間:1936年ー1952年)の在位中のうち、1940年代に発行されている。

なお、「Royal Silver Wedding」とは、結婚25周年を意味しており、ジョージ6世は1923年に第14代ストラスモア伯爵クロード・ボーズ=ライアンの四女であるエリザベスと結婚しているので、1948年が結婚25周年に該当する。ジョージ6世は、2人の王女(長女:エリザベスと次女:マーガレット)を設けているが、長女のエリザベスが、ジョージ6世の没後、ウィンザー朝第4代女王であるエリザベス2世(Queen Elizabeth II:1926年–2022年 / 在位期間:1952年–2022年)として即位している。

また、ハノーヴァー朝(Hanover Dynasty)の第6代女王であるヴィクトリア(Queen Victoria:1819年ー1901年 / 在位期間:1837年ー1901年)の在位中の1840年に、ゴム糊付き郵便切手(Adhesive Postage Stamp)が初めて発行され、ジョージ6世の在位中の1940年に、ゴム糊付き郵便切手の発行100周年を迎えている。

2024年4月26日金曜日

横溝正史作「犬神家の一族」(The Inugami Curse by Seishi Yokomizo)- その1

英国のプーシキン出版(Pushkin Press)から
2020年に刊行されている
 Pushkin Vertigo シリーズの一つである

横溝正史作「犬神家の一族」の表紙
(Cover design by Anna Morrison)


「犬神家の一族(The Inugami Curse)」は、日本の推理作家である横溝正史(Seishi Yokomizo:1902年ー1981年)による長編推理小説で、金田一耕助(Kosuke Kindaichi)シリーズの一つである。


「犬神家の一族」は、1950年(昭和25年)1月から1951年(昭和26年)5月にかけて、雑誌「キング」に連載された。

作者の横溝正史は、雑誌「キング」の編集サイドから、「(1947年(昭和22年)1月から1948年(昭和23年)10月にかけて、雑誌「宝石」に連載された)金田一耕助シリーズの第2作目に該る「獄門島(Death on Gokumon Island → 2024年3月4日 / 3月6日 / 3月8日 / 3月10日付ブログで紹介済)」のように、物語中に起きる殺人事件に意味を付与して欲しい。」との注文を受け、犬神家の3つの家宝に該る「斧(よき)」、「琴(こと)」、そして、「菊(きく)」による見立て殺人を考案した。


雑誌「キング」に掲載された「犬神家の一族」の連載前の予告によると、犬神家は、東京、信州と瀬戸内海の孤島に分かれていると設定されていたが、実際の連載では、信州のみが事件の舞台となった。


「犬神家の一族」の初回を読んだ後、激賞した雑誌「キング」の編集長から、横溝正史は、「本作品を3年間続けてほしい。」と要望されたが、それ程の大長編を執筆するだけの準備をできていなかったため、実際の連載は、約1年半で完結している。


雑誌「キング」に連載された後、1951年5月に講談社から単行本化された「犬神家の一族」は、当初、通俗長編であると見做されて、専門家による評価はあまり高くなかった。

その後、1976年に角川春樹事務所による第1回映像作品として映画化(監督:市川崑(1915年ー2008年)/ 主演:石坂浩二(1941年ー))され、また、1977年に毎日放送(MBS テレビ)と角川春樹事務所による共同企画に基づき、横溝正史シリーズの第1作(主演:古谷一行(1944年ー2022年))としてテレビドラマ化されたことで、「犬神家の一族」の人気は、一気に上がり、横溝正史作品、また、金田一耕助作品と言えば、「犬神家の一族」と言われる程までになった。

「犬神家の一族」の場合、現在、3本の映画と8本のテレビドラマが制作されており、横溝正史作品としては、最も映像化回数が多い。特に、市川崑が監督した1976年に公開された映画版は、「日本映画の金字塔」とよく称されている。


2024年4月25日木曜日

高木彬光作「刺青殺人事件」(The Tattoo Murder by Akimitsu Takagi)- その3

英国のプーシキン出版(Pushkin Press)から
2022年に刊行されている
 Pushkin Vertigo シリーズの一つである

高木彬光作「刺青殺人事件」の内扉
(Cover design by Jo Walker)


第二次世界大戦(1939年ー1945年)/ 太平洋戦争(1941年-1945年)が終わり、1年が経過した1946年(昭和21年)8月20日、東亜医大の医学博士で、刺青の研究家でもある早川平四郎博士(Dr. Heishiro Hayakawa)に誘われて、「江戸彫勇会(Edo Tattoo Society)」が主催する刺青競艶会を見学にやって来た東京帝国大学医学部法医学教室の研究員である松下研三(Kenzo Matsushita - 29歳)は、そこで、中学時代の先輩である最上久(Hisashi Mogami)と再会する。その後、彼は、刺青競艶会において、背中に見事に彫られた「大蛇丸(Orochimaru)」の刺青を以って、審査員、参加者および観客の全員の目を奪い、場を圧倒した野村絹枝(Kinue Nomura)と知り合い、彼女の圧倒的な魅力に惹かれて、彼女と関係を持ってしまう。


「兄で、父親の野村彫安(Horiyasu Nomura)と同じ刺青師である野村常太郎(Tsunetaro Nomura)の背中に彫られた(1)「児雷也(Jiraiya - 蝦蟇)」・(2)「自分の背中に彫られた大蛇丸(蛇)」・(3)「双子の妹である野村珠枝(Tamae Nomura)の背中に彫られた綱出姫(Tsunedahime - 蛞蝓)」の三すくみの呪いにより、自分は殺されるかもしれない。実際、正体不明の人物から、「お前の命は、間もなく終わる。」と告げる手紙を受け取った。」と、不安を感じる野村絹枝との約束に基づき、松下研三は、下北沢(Shimokitazawa)にある彼女の自宅を訪ねた。松下研三は、同じように、彼女の自宅を訪ねて来た早川平四郎博士と、偶然、一緒になる。

松下研三と早川平四郎博士の2人は、野村絹枝の自宅内を搜索するものの、彼女の姿を発見することはできなかった。更に、野村絹枝の自宅内の搜索を続ける彼らは、内側から鍵がかかった浴室内において、女性の死体を発見するのであった。

浴室内の死体には、首と両手両足しかなく、胴体はなかった。松下研三と早川平四郎博士の2人は、首を見て、野村絹枝の死体と判断した。


背中に「大蛇丸」が彫られた野村絹枝の胴体は、一体、どこに消えてしまったのか?

そもそも、野村絹枝を殺害した犯人は、彼女の胴体を持って、鍵がかかった浴室内から、一体、どのような方法で抜け出すことができたのか?


野村絹枝の愛人で、最上久の兄である最上竹蔵(Takezo Mogami)も、大阪への出張した後、行方不明になっていたが、その後、彼が社長を務める土建屋「最上組(Mogami Group)」の倉庫(三鷹(Mitaka)に所在)において、死体で発見された。

最上竹蔵自身が、愛人である野村絹枝を殺害した後、拳銃自殺を遂げたように思えたが、他殺の可能性も否定できなかった。


松下研三の兄で、警視庁捜査一課長である松下英一郎警部(Detective Chief Inspector Eiichiro Matsushita → 英訳版の場合、何故か、Daiyu Matsushita となっている)が指揮する捜査は、非常に難航する。

そんな最中、松下研三は、野村絹枝の兄である野村常太郎を、偶然、捜し当てる。野村常太郎は、今回の事件の核心を知っているようで、松下研三に対して、「今回の件は、暫く自分に任せてほしい。」と頼む。松下研三は、野村常太郎の言葉を信じて、暫く待つことにしたが、そうこうするうちに、野村常太郎も、何者かによって、背中に彫られた「児雷也」の刺青を皮ごと剥がされた上に、殺されてしまったのである。


事件の重要な関係者を殺されてしまったため、松下研三は、兄である松下英一郎警部から、激しく叱責される。

責任を感じた松下研三は、事態をなんとか打開しようと模索する中、第一高等学校時代の友人である神津恭介(Kyosuke Kamizu)と再会する。神津恭介は、一高時代に整数論の論文を書き上げて、「神津の前に神津なく、神津の後に神津なし。」と評価された天才であった。

神津恭介との再会を喜んだ松下研三は、神津恭介に対して、今回の謎を解き明かすように依頼した。


「刺青殺人事件(The Tattoo Murder)」は、日本の推理作家である高木彬光(Akimitsu Takagi:1920年ー1995年)によるデビュー長編推理小説で、神津恭介(Kyosuke Kamizu)シリーズの第1作目に該る「刺青殺人事件(The Tattoo Murder)」(1948年)は、「週刊文春」が推理作家や推理小説の愛好者へのアンケートに基づいて選出した「東西ミステリーベスト100」の国内編において、上位に選ばれている(1985年版ー10位 / 2012年版ー32位)。


2024年4月24日水曜日

恐竜の時代(The Age of the Dinosaurs)記念切手 - その3

2024年3月12日に、英国のロイヤルメール(Royal Mail)から、恐竜の時代(The Age of the Dinosaurs)に関する12種類の記念切手が発行されたので、前々回と前回に引き続き、御紹介したい。 


Mary Anning(メアリー・アニング:1799年ー1847年)-
英国の初期の化石採集者(fossil hunter)で、
古生物学者
< National History Museum, London / Designed by The Chase >

Ichthyosaur(イクチオサウルス / 魚竜 - 中生代の海生爬虫類)-
1810年に父親を結核で亡くしたメアリー・アニングは、兄のジョセフと一緒に、
英国南部ドーセット州(Dorset)の
ライムレジス(Lyme Regis)村沿岸の崖において、化石を採集し、
観光客に売ることで生計を立てていたが、
1811年に
イクチオサウルスの骨格の化石を発見した。
発見当時、メアリー・アニングは12歳で、
イクチオサウルスの全身化石が発見されたのは、最初であった。
< National History Museum, London / Designed by The Chase >

Dapedium - Extinct genus of primitive neopterygian ray-finned fish
< Oxford University Museum of Natural History / Designed by The Chase >

Plesiosaur(プレシオサウルス / 長頚竜・首長竜 - 海生爬虫類
< National History Museum, London / Designed by The Chase >

Mary Anning Miniature Sheet
< Designed by The Chase >

2024年4月23日火曜日

高木彬光作「刺青殺人事件」(The Tattoo Murder by Akimitsu Takagi)- その2

英国のプーシキン出版(Pushkin Press)から
2022年に刊行されている
 Pushkin Vertigo シリーズの一つである

高木彬光作「刺青殺人事件」の裏表紙
(Cover design by Jo Walker)


日本の推理作家である高木彬光(Akimitsu Takagi:1920年ー1995年)によるデビュー長編推理小説で、神津恭介(Kyosuke Kamizu)シリーズの第1作目に該る「刺青殺人事件(The Tattoo Murder)」は、第二次世界大戦(1939年ー1945年)/ 太平洋戦争(1941年-1945年)が終わり、1年が経過した1946年(昭和21年)8月20日、東京帝国大学医学部法医学教室の研究員である松下研三(Kenzo Matsushita - 29歳)が、東亜医大の医学博士で、刺青の研究家でもある早川平四郎博士(Dr. Heishiro Hayakawa)に誘われて、「江戸彫勇会(Edo Tattoo Society)」が主催する刺青競艶会を見学にやって来たところから、物語が始まる。

松下研三は、そこで、中学時代の先輩である最上久(Hisashi Mogami)と再会する。なんと、早川平四郎博士と最上久は、叔父と甥の関係にあった。


その後、刺青競艶会において、審査員、参加者および観客の全員の目を奪い、場を圧倒したのは、野村絹枝(Kinue Nomura)で、彼女の背中に見事に彫られた「大蛇丸(Orochimaru)」の刺青だった。彼女は、女性部門の優勝を掻っ攫ったのである。

野村絹枝は、最上久の兄で、土建屋「最上組(Mogami Group)」の社長である最上竹蔵(Takezo Mogami)の愛人となっていた。


野村絹枝本人と彼女の見事な刺青の圧倒的な魅力に惹かれた松下研三は、後日、彼女を訪ねた際に、彼女から背中の刺青の由来を聞かされるとともに、彼女と関係を持ってしまう。


彼女の父で、刺青師である野村彫安(Horiyasu Nomura)は、


(1)野村常太郎(Tsunetaro Nomura - 野村絹枝の兄で、父親と同じ刺青師)に「自来也 / 児雷也(Jiraiya - 蝦蟇の妖術を使う)」を、

(2)野村絹枝に「大蛇丸(蛇の妖術を使う)」を、

そして、

(3)野村珠枝(Tamae Nomura - 野村絹枝の双子の妹)に「綱出姫(Tsunedahime - 蛞蝓の妖術を使う)」を


彫り分けたのである。


「自来也 / 児雷也」、「大蛇丸」と「綱出姫」は、感和亭鬼武が江戸時代の文化3年(1806年)に刊行した読本「自来也説話」が設定の基礎となり、戯作者である美図垣笑顔、一筆庵(浮世絵師の渓斎英泉)、柳下亭種員、そして、柳下亭種清の順で書き継がれて、江戸時代後期の天保10年(1839年)から明治元年(1868年)にかけて刊行されたものの、残念ながら、未完に終わった43編から成る長編の合巻作品である「児雷也豪傑譚」に登場する人物である。

「児雷也豪傑譚」の主人公は、蝦蟇を操る「児雷也」であるが、一筆庵が作を担当した頃から、蛞蝓を操る「綱出姫(後に、「児雷也」の妻となる)と蛇を操る「大蛇丸(「児雷也」の宿敵)」も登場して、「児雷也(蝦蟇)」・「大蛇丸(蛇)」・「綱出姫(蛞蝓)」の三すくみを配した関係が設定され、物語の幅が拡大された。その後、彼らは、三すくみの争いを繰り広げて行く。


従って、「児雷也(蝦蟇)」・「大蛇丸(蛇)」・「綱出姫(蛞蝓)」の三すくみを1人の身体に彫った場合、3人が争い合った末に、刺青を彫られた本人が死んでしまうため、タブーとされていた。

刺青師である野村彫安は、「児雷也(蝦蟇)」・「大蛇丸(蛇)」・「綱出姫(蛞蝓)」の三すくみを、1人の身体にではなく、自分の子供3人の背中に彫ったのである。


「「児雷也(蝦蟇)」・「大蛇丸(蛇)」・「綱出姫(蛞蝓)」の三すくみの呪いにより、自分は殺されるかもしれない。実際、正体不明の人物から、「お前の命は、間もなく終わる。」と告げる手紙を受け取った。」と、不安を感じる野村絹枝との約束に基づき、松下研三は、下北沢(Shimokitazawa)にある彼女の自宅を訪ねた。松下研三は、同じように、彼女の自宅を訪ねて来た早川平四郎博士と、偶然、一緒になる。

松下研三と早川平四郎博士の2人は、野村絹枝の自宅内を搜索するものの、彼女の姿を発見することはできなかった。更に、野村絹枝の自宅内の搜索を続ける彼らは、内側から鍵がかかった浴室内において、女性の死体を発見する。

浴室内の死体には、首と両手両足しかなく、胴体はなかった。松下研三と早川平四郎博士の2人は、首を見て、野村絹枝の死体と判断した。


背中に「大蛇丸」が彫られた野村絹枝の胴体は、一体、どこに消えてしまったのか?

そもそも、野村絹枝を殺害した犯人は、彼女の胴体を持って、鍵がかかった浴室内から、一体、どのような方法で抜け出すことができたのか?