英国のプーシキン出版(Pushkin Press)から 2022年に刊行されている Pushkin Vertigo シリーズの一つである 高木彬光作「刺青殺人事件」の内扉 (Cover design by Jo Walker) |
第二次世界大戦(1939年ー1945年)/ 太平洋戦争(1941年-1945年)が終わり、1年が経過した1946年(昭和21年)8月20日、東亜医大の医学博士で、刺青の研究家でもある早川平四郎博士(Dr. Heishiro Hayakawa)に誘われて、「江戸彫勇会(Edo Tattoo Society)」が主催する刺青競艶会を見学にやって来た東京帝国大学医学部法医学教室の研究員である松下研三(Kenzo Matsushita - 29歳)は、そこで、中学時代の先輩である最上久(Hisashi Mogami)と再会する。その後、彼は、刺青競艶会において、背中に見事に彫られた「大蛇丸(Orochimaru)」の刺青を以って、審査員、参加者および観客の全員の目を奪い、場を圧倒した野村絹枝(Kinue Nomura)と知り合い、彼女の圧倒的な魅力に惹かれて、彼女と関係を持ってしまう。
「兄で、父親の野村彫安(Horiyasu Nomura)と同じ刺青師である野村常太郎(Tsunetaro Nomura)の背中に彫られた(1)「児雷也(Jiraiya - 蝦蟇)」・(2)「自分の背中に彫られた大蛇丸(蛇)」・(3)「双子の妹である野村珠枝(Tamae Nomura)の背中に彫られた綱出姫(Tsunedahime - 蛞蝓)」の三すくみの呪いにより、自分は殺されるかもしれない。実際、正体不明の人物から、「お前の命は、間もなく終わる。」と告げる手紙を受け取った。」と、不安を感じる野村絹枝との約束に基づき、松下研三は、下北沢(Shimokitazawa)にある彼女の自宅を訪ねた。松下研三は、同じように、彼女の自宅を訪ねて来た早川平四郎博士と、偶然、一緒になる。
松下研三と早川平四郎博士の2人は、野村絹枝の自宅内を搜索するものの、彼女の姿を発見することはできなかった。更に、野村絹枝の自宅内の搜索を続ける彼らは、内側から鍵がかかった浴室内において、女性の死体を発見するのであった。
浴室内の死体には、首と両手両足しかなく、胴体はなかった。松下研三と早川平四郎博士の2人は、首を見て、野村絹枝の死体と判断した。
背中に「大蛇丸」が彫られた野村絹枝の胴体は、一体、どこに消えてしまったのか?
そもそも、野村絹枝を殺害した犯人は、彼女の胴体を持って、鍵がかかった浴室内から、一体、どのような方法で抜け出すことができたのか?
野村絹枝の愛人で、最上久の兄である最上竹蔵(Takezo Mogami)も、大阪への出張した後、行方不明になっていたが、その後、彼が社長を務める土建屋「最上組(Mogami Group)」の倉庫(三鷹(Mitaka)に所在)において、死体で発見された。
最上竹蔵自身が、愛人である野村絹枝を殺害した後、拳銃自殺を遂げたように思えたが、他殺の可能性も否定できなかった。
松下研三の兄で、警視庁捜査一課長である松下英一郎警部(Detective Chief Inspector Eiichiro Matsushita → 英訳版の場合、何故か、Daiyu Matsushita となっている)が指揮する捜査は、非常に難航する。
そんな最中、松下研三は、野村絹枝の兄である野村常太郎を、偶然、捜し当てる。野村常太郎は、今回の事件の核心を知っているようで、松下研三に対して、「今回の件は、暫く自分に任せてほしい。」と頼む。松下研三は、野村常太郎の言葉を信じて、暫く待つことにしたが、そうこうするうちに、野村常太郎も、何者かによって、背中に彫られた「児雷也」の刺青を皮ごと剥がされた上に、殺されてしまったのである。
事件の重要な関係者を殺されてしまったため、松下研三は、兄である松下英一郎警部から、激しく叱責される。
責任を感じた松下研三は、事態をなんとか打開しようと模索する中、第一高等学校時代の友人である神津恭介(Kyosuke Kamizu)と再会する。神津恭介は、一高時代に整数論の論文を書き上げて、「神津の前に神津なく、神津の後に神津なし。」と評価された天才であった。
神津恭介との再会を喜んだ松下研三は、神津恭介に対して、今回の謎を解き明かすように依頼した。
「刺青殺人事件(The Tattoo Murder)」は、日本の推理作家である高木彬光(Akimitsu Takagi:1920年ー1995年)によるデビュー長編推理小説で、神津恭介(Kyosuke Kamizu)シリーズの第1作目に該る「刺青殺人事件(The Tattoo Murder)」(1948年)は、「週刊文春」が推理作家や推理小説の愛好者へのアンケートに基づいて選出した「東西ミステリーベスト100」の国内編において、上位に選ばれている(1985年版ー10位 / 2012年版ー32位)。
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