2018年1月28日日曜日

ジェイムズ・ボンド(James Bond)

2014年7月4日から同年9月15日までの間、
ロンドン市内で開催された「ブックス・アバウト・タウン(Books about Town)」というイベントにおいて、
ブルームズベリー スクエア ガーデンズ(Bloomsbury Square Gardens)に設置された
ジェイムズ・ボンドをテーマにした本の形をしたベンチ(BookBench)

英国のファンタジー作家、映画批評家で、かつ、ジャーナリストでもあるキム・ニューマン(Kim Newman:1959年ー)が執筆した「ドラキュラ崩御(Judgement of Tears - Anno Dracula 1959→2018年1月21日付ブログで紹介済)」に、英国情報部のヘイミッシュ・ボンド中佐(Commander Hamish Bond)が登場する。
彼のモデルとなったジェイムズ・ボンド(James Bond)は、ジャーナリスト、銀行員、株式仲買人、軍人、そして、作家という経歴を辿った英国のイアン・ランカスター・フレミング(Ian Lancaster Fleming:1908年ー1964年)が創出したキャラクターである。ジェイムズ・ボンドは、英国秘密情報部員(British Secret Service agent)であり、イアン・フレミングが発表したスパイ小説の主人公として活躍した。


ジェイムズ・ボンドは、ヴィカーズ・ディフェンス・システムズ社に勤めるスコットランド人である父アンドリュー・ボンド(Andrew Bond)とスイス人である母モニック・ドラクロワ(Monique Delacroix)の間に、長男として出生。なお、彼の生年月日は、公式には明らかにされていない。
彼の父アンドリューは企業スパイだったため、父の転勤に伴い、幼少期は西ヨーロッパ各地に移り住んだ。その後、ジェイムズが11歳の時、彼の両親がフレンチアルプスの登山中に事故死したため、叔母のチャーミアンに引き取られて、育てられた。
オックスフォード大学(Oxford University → 2015年11月21日付ブログで紹介済)を卒業した後、ジェイムズ・ボンドは、海軍中尉として、第二次世界大戦(1939年ー1945年)に出征し、終戦後、秘密情報部に入り、現在に至っている。

ジェイムズ・ボンドは、英国秘密情報部員としての任務を遂行するために、自分の一存で容疑者を殺めても、形而上の罪に問われないという殺人許可証、所謂、「殺しのライセンス」を付与されており、「007(ダブル・オー・セブン)」のコードネームで呼ばれている。なお、「007」とは、英国秘密情報部の00セクションに所属する7番目の番号を割り当てられたエージェントのことを指す。

ジェイムズ・ボンドをテーマにしたブックベンチの裏側

作者のイアン・フレミングは、第二次世界大戦中、英国海軍情報部(NID = Naval Intelligence Division)において、特殊工作に携わっており(最終的な階級は中佐)、その際の経験を活かして、ジェイムズ・ボンド(007)シリーズを執筆した、と言われている。

ジェイムズ・ボンドは、以下の長編12作の他、「薔薇と拳銃(For Your Eyes Only)」(1960年)や「オクトパシー(Octopussy and the Living Daylights)」(1966年)の短編集でも大活躍している。

(1)「カジノ・ロワイヤル(Casino Royale)」(1953年)
(2)「死ぬのは奴らだ(Live and Let Die)」)1954年)
(3)「ムーンレイカー(Moonraker)」(1955年)
(4)「ダイヤモンドは永遠に(Diamonds Are Forever)」(1956年)
(5)「ロシアから愛をこめて(From Russia, With Love)」(1957年)
(6)「ドクター・ノオ(Doctor No)」(1958年)
(7)「ゴールドフィンガー(Goldfinger)」(1959年)
(8)「サンダーボール作戦(Thunderball)」(1961年)
(9)「わたしを愛したスパイ(The Spy Who Loved Me)」(1962年)
(10)「女王陛下の007(On Her Majesty’s Secret Service)」(1963年)
(11)「007は二度死ぬ(You Only Live Twice)」(1964年)
(12)「黄金の銃を持つ男(The Man With the Golden Gun)」(1965年)

2018年1月27日土曜日

ロンドン グリニッジ(Greenwich)

快走帆船のカティーサーク号

サー・アーサー・コナン・ドイル作「四つの署名(The Sign of the Four)」(1890年)では、若い女性メアリー・モースタン(Mary Morstan)がベーカーストリート221Bのシャーロック・ホームズの元を訪れて、風変わりな事件の調査依頼をする。

カティーサーク号は、中国のお茶等を運んでいた
カティーサーク号の縦断面模型

元英国陸軍インド派遣軍の大尉だった彼女の父親アーサー・モースタン(Captain Arthur Morstan)は、インドから英国に戻った10年前に、謎の失踪を遂げていた。彼はロンドンのランガムホテル(Langham Hotel→2014年7月6日付ブログで紹介済)に滞在していたが、娘のモースタン嬢が彼を訪ねると、身の回り品や荷物等を残したまま、姿を消しており、その後の消息が判らなかった。そして、6年前から年に1回、「未知の友」を名乗る正体不明の人物から彼女宛に大粒の真珠が送られてくるようになり、今回、その人物から面会を求める手紙が届いたのである。
彼女の依頼に応じて、ホームズとジョン・H・ワトスンの二人は彼女に同行して、待ち合わせ場所のライシアム劇場(Lyceum Theatreー2014年7月12日付ブログで紹介済)へ向かった。そして、ホームズ達一行は、そこで正体不明の人物によって手配された馬車に乗り込むのであった。

カティーサーク号の模型

ホームズ、ワトスンとモースタン嬢の三人は、ロンドン郊外のある邸宅へと連れて行かれ、そこでサディアス・ショルト(Thaddeus Sholto)という小男に出迎えられる。彼が手紙の差出人で、ホームズ達一行は、彼からモースタン嬢の父親であるアーサー・モースタン大尉と彼の父親であるジョン・ショルト少佐(Major John Sholto)との間に起きたインド駐留時代の因縁話を聞かされるのであった。
サディアス・ショルトによると、父親のジョン・ショルト少佐が亡くなる際、上記の事情を聞いて責任を感じた兄のバーソロミュー・ショルト(Bartholomew Sholto)と彼が、モースタン嬢宛に毎年真珠を送っていたのである。アッパーノーウッド(Upper Norwood)にある屋敷の屋根裏部屋にジョン・ショルト少佐が隠していた財宝を発見した彼ら兄弟は、モースタン嬢に財宝を分配しようと決めた。

カティーサーク号の甲板からは、
テムズ河越しに、
カナリーワーフ(Canary Whard)に建つ
高層ビル群が見える

しかし、ホームズ一行がサディアス・ショルトに連れられて、バーソロミュー・ショルトの屋敷を訪れると、バーソロミュー・ショルトはインド洋のアンダマン諸島の土着民が使う毒矢によって殺されているのを発見した。そして、問題の財宝は何者かによって奪い去られていたのである。
ホームズの依頼に応じて、ワトスンは、ランベス地区(Lambeth)の水辺近くにあるピンチンレーン3番地(No. 3 Pinchin Lane→2017年10月28日付ブログで紹介済)に住む鳥の剥製屋シャーマン(Sherman)から、犬のトビー(Toby)を借り出す。そして、ホームズとワトスンの二人は、バーソロミュー・ショルトの殺害現場に残っていたクレオソートの臭いを手掛かりにして、トビーと一緒に、現場からロンドン市内を通り、犯人の逃走経路を追跡して行く。

カティーサーク号のメインマスト

ホームズとワトスンの二人が、犬のトビーと一緒に、ストリーサム地区(Streatham→2017年12月2日付ブログで紹介済)、ブリクストン地区(Brixton→2017年12月3日付ブログで紹介済)、キャンバーウェル地区(Camberwell→2017年12月9日付ブログで紹介済)、オヴァールクリケット場(Oval)を抜けて、ケニントンレーン(Kennington Lane→2017年12月16日付ブログで紹介済)へと達した。そして、彼らは更にボンドストリート(Bond Street→2017年12月23日付ブログで紹介済)、マイルズストリート(Miles Street→2017年12月23日付ブログで紹介済)やナイツプレイス(Knight’s Place→2017年12月23日付ブログで紹介済)を通って、ナインエルムズ地区(Nine Elms→2017年12月30日付ブログと2018年1月6日付ブログで紹介済)までやって来たが、ブロデリック&ネルソンの材木置き場という間違った場所に辿り着いてしまった。どうやら、犬のトビーは、どこかの地点から違うクレオソートの臭いを辿ってしまったようだ。

カティーサーク号を操る舵輪

二人はトビーをクレオソートの臭いの跡が二つの方向に分かれていたナイツプレイスへと戻し、犯人達の跡を再度辿らせた。そして、彼らはベルモントプレイス(Belmon Place→2018年1月13日付ブログで紹介済)とプリンスズストリート(Prince’s Street→2018年1月13日付ブログで紹介済)を抜けて、ブロードストリート(Broad Street→2018年1月13日付ブログで紹介済)の終点で、テムズ河岸に出るが、そこは船着き場で、どうやら犯人達はここで船に乗って、警察の追跡をまこうとしたようだ。

カティーサーク号の船底

私達が渡し船の座席に座る際、「あの手の人達に関して大事なことは、」と、ホームズは言った。「彼らの情報がほんのちょっとでも重要かもしれないと、決して思わせないことだ。もしそう思わせたら、彼らは直ぐに牡蠣のように口をつぐんでしまう。彼らが言うことをしぶしぶ聞いてあげるふりをすれば、必要な情報は大抵聞き出せるのさ。」
「よく判ったよ。」と、私は言った。
「それでは、これからどうすれば良いと思うかい?」
「私なら、これから船を調達して、オーロラ号の跡を追って、テムズ河を下るな。」
「ワトスン、それは途方もなく大変な仕事になるぞ。オーロラ号が、こことグリニッジの間で、テムズ河の両側のどの船着き場に停泊しておるのか判らない。あの橋から下流には、浮き桟橋の迷路が何マイルにも渡っている。もし君一人でオーロラ号を捜そうとしたら、何日かかるのか判らないよ。」
「それじゃ、スコットランドヤードに頼もう。」
「駄目だ。最終局面になるまでは、アセルニー・ジョーンズをおそらく呼ばない。彼は悪い奴ではないから、立場上、彼の評判が悪くなるようなことはしたくないな。しかし、ここまで来た以上は、僕は自分自身でやり遂げたいという気持ちなんだ。」

帆船の舟先に取り付けられていた像が展示されている

’The main thing with people of that sort,’ said Holmes, as we sat in the sheet of the wherry. ’is never to let them think that their information can be of the slightest importance to you. If you do, they will instantly shut up like an oyster. If you listen to them under protest, as it were, you are very likely to get what you want.’
‘Our course now seems pretty clear,’ said I.
‘What would you do, then?’
‘I would engage a launch and go down the river on the track of the Aurora.’
‘My dear fellow, it would be a colossal task. She may have touched at any wharf on either side of the stream here and Greenwich. Below the bridge there is a perfect labyrinth of landing-places for miles. It would take you days and days to exhaust them, if you set about it alone!’
‘Employ the police, then.’
‘No, I shall probably call Athelney Jones at the last moment. He is not a bad fellow, and I should not like to do anything which would injure him professionally. But I have a fancy for working it out myself, now that we have gone so far.’

カティーサーク号の巨大な船体が
空中に支えられている
カティーサーク号の面舵

テムズ河(River Thames)を横切る渡し船の上で、ホームズが行なったワトスンとの会話の中に出てきたグリニッジ(Greenwich) とは、ロンドンの南東部にあるロンドン特別区の一つグリニッジ王立区(Royal Borough of Greenwich)内に所在する町で、テムズ河の南岸に位置している。

夜間照明により、カティーサーク号の巨大な船体が、闇夜に照らし出されている

テムズ河の水運と密接に結びついてきた港町は、「海事都市 / 河港都市グリニッジ(Maritime Greenwich)」として、ユネスコの世界遺産に登録されており、以下のような歴史的建造物群がある。
(1)グリニッジ天文台(Royal Observatory Greenwich)
(2)国立海事博物館(National Maritime Museum)
(3)旧王立海軍大学(The Old Royal Naval College)
(4)快走帆船のカティーサーク号(Cutty Sark)
(5)扇博物館(The Fan Museum)
(6)セントアルフィージ教会(St. Alfege Church)

テイト・ブリテン美術館(Tate Museum)に所蔵されている
絵画に描かれている旧王立海軍大学

グリニッジの場合、特にグリニッジ天文台がある町として非常に有名で、グリニッジ子午線(Greenwich Meridian=経度の 0 度線)がグリニッジ天文台を通っている。またm、協定世界時に置き換えられるまでの間、グリニッジ天文台での時間計測をベースとしたグリニッジ標準時(Green Mean Time)が用いられた。
現在、グリニッジは天体観測を主導する立場には最早ないが、天文学や航海術等に満ちたグリニッジは、今尚、多くの観光客を世界中から集めている。

2018年1月21日日曜日

キム・ニューマン作「ドラキュラ崩御」(’Judgement of Tears - Anno Dracula 1959’ by Kim Newman)

創元推理文庫「ドラキュラ崩御」の表紙
表紙のオブジェは、松野光洋氏が造形。

「ドラキュラ崩御(Judgement of Tears - Anno Dracula 1959)」は、英国のファンタジー作家、映画批評家で、かつ、ジャーナリストでもあるキム・ニューマン(Kim Newman:1959年ー)が執筆した「ドラキュラ紀元(Anno Dracula→2018年1月7日付ブログで紹介済)」(1992年)と「ドラキュラ戦記(The Bloody Red Baron - Anno Dracula 1918→2018年1月14日付ブログで紹介済)」(1995年)に続く長編3部作の第3作かつ最終作で、1998年11月に発表された。

1959年、イタリアのローマは、ドラキュラ伯爵(Count Dracula)の成婚に沸き返っており、ドラキュラ伯爵を祝福するために、世界中の吸血鬼がローマへと集まりつつあった。そんな映画の都ローマに、今、吸血鬼ばかりを狙う暗殺者「深紅の処刑人」が暗躍していた。暗殺者の最終ターゲットは、ドラキュラ伯爵なのだろうか?
一方、ドラキュラ伯爵の成婚に沸くローマにおいて、英国諜報部員だったチャールズ・ボウルガード(Charles Beauregard)は死期を迎えつつあった。1888年、ロンドンのホワイトチャペル地区(Whitechapel)で吸血鬼の娼婦ばかりを連続で惨殺した「銀ナイフ(Silver Knife)」こと、切り裂きジャック(Jack the Ripper)事件を追った際に出会った吸血鬼の美少女ジュヌヴィエーヴ・ディドネ(Genevieve Dieudonne→ドラキュラ伯爵とは血統を異にする)と恋人となったことにより、人間のまま長寿であったが、彼の命の炎は正に今消えようとしていたのである。
そんな彼を英国情報部のヘイミッシュ・ボンド中佐(Commander Hamish Bond)が訪れる。ボンド中佐は、どんな場所に必ず白い飼い猫を連れて姿を見せるロシア人のスパイを追っていたのだが、刺客の群れがボンド中佐に襲いかかる。
そして、チャールズ・ボウルガードの恋人のジュヌヴィエーヴ・ディドネも、彼と最後の面会をするために(彼に吸血鬼へとなることを説得するために)、ローマへと向かっているのであった。

「ドラキュラ崩御」は、物語の舞台を映画の都ローマに置いたことにより、「映像の魔術師」の異名を持つイタリアの映画監督 /脚本家のフェデリコ・フェリーニ(Federico Fellini:1920年ー1993年 活動期間:1950年ー1993年)の影響を強く受け、物語の雰囲気もそれらしい。
前2作と同様に、「ドラキュラ崩御」にも、虚実ないまぜのキャラクターが多数出ており、3部作の大団円を迎える。作者のキム・ニューマンとしては、英国の軍人(海軍情報部勤務)で冒険小説家のイアン・ランカスター・フレミング(Ian Lancaster Fleming:1908年ー1964年)が生み出した「007」こと、ジェイムズ・ボンド(James Bond)を登場させたかったようであるが、おそらく、版権上の問題か、それが叶わず、「ジェイムズ(James)」のスコットランド名に該る「ヘイミッシュ(Hamish)」を使用した英国情報部のボンド中佐を登場させている。

作者のキム・ニューマンは、当初、当作品を「ドラキュラ チャチャチャ(Dracula Cha Cha Cha)」という題名で発表している。「ドラキュラ チャチャチャ」は、イタリアのピアニスト、作曲家で、歌手でもあったブルーノ・マルティーノ(Bruno Martino:1925年ー2000年)が出したアルバム「イタリアン グラフィティー(Italian Graffiti)」(1960年 / 1961年)の中に含まれる曲で、キム・ニューマンはこの曲名を題名として使用したものと思われる。この曲は、米国の舞台演出家 / 映画監督だったヴィンセント・ミネリ(Vincente Minnelli:1903年ー1986年)が監督した「Two Weeks in Another Town」(1962年)で使用されている。
その後、当作品の題名は、物語に出てくる太古より吸血鬼と敵対する「涙の母」に基づいて、「涙の審判(Judgement of Tears)」へと変更されている。

2018年1月20日土曜日

ケント州(Kent) グレーヴゼンド(Gravesend)

グレーヴゼンドの南東に位置するロチェスター(Rochester)にある
ロチェスター城(Rochester Castle)

サー・アーサー・コナン・ドイル作「四つの署名(The Sign of the Four)」(1890年)では、若い女性メアリー・モースタン(Mary Morstan)がベーカーストリート221Bのシャーロック・ホームズの元を訪れて、風変わりな事件の調査依頼をする。

元英国陸軍インド派遣軍の大尉だった彼女の父親アーサー・モースタン(Captain Arthur Morstan)は、インドから英国に戻った10年前に、謎の失踪を遂げていた。彼はロンドンのランガムホテル(Langham Hotel→2014年7月6日付ブログで紹介済)に滞在していたが、娘のモースタン嬢が彼を訪ねると、身の回り品や荷物等を残したまま、姿を消しており、その後の消息が判らなかった。そして、6年前から年に1回、「未知の友」を名乗る正体不明の人物から彼女宛に大粒の真珠が送られてくるようになり、今回、その人物から面会を求める手紙が届いたのである。
彼女の依頼に応じて、ホームズとジョン・H・ワトスンの二人は彼女に同行して、待ち合わせ場所のライシアム劇場(Lyceum Theatreー2014年7月12日付ブログで紹介済)へ向かった。そして、ホームズ達一行は、そこで正体不明の人物によって手配された馬車に乗り込むのであった。

ホームズ、ワトスンとモースタン嬢の三人は、ロンドン郊外のある邸宅へと連れて行かれ、そこでサディアス・ショルト(Thaddeus Sholto)という小男に出迎えられる。彼が手紙の差出人で、ホームズ達一行は、彼からモースタン嬢の父親であるアーサー・モースタン大尉と彼の父親であるジョン・ショルト少佐(Major John Sholto)との間に起きたインド駐留時代の因縁話を聞かされるのであった。
サディアス・ショルトによると、父親のジョン・ショルト少佐が亡くなる際、上記の事情を聞いて責任を感じた兄のバーソロミュー・ショルト(Bartholomew Sholto)と彼が、モースタン嬢宛に毎年真珠を送っていたのである。アッパーノーウッド(Upper Norwood)にある屋敷の屋根裏部屋にジョン・ショルト少佐が隠していた財宝を発見した彼ら兄弟は、モースタン嬢に財宝を分配しようと決めた。

しかし、ホームズ一行がサディアス・ショルトに連れられて、バーソロミュー・ショルトの屋敷を訪れると、バーソロミュー・ショルトはインド洋のアンダマン諸島の土着民が使う毒矢によって殺されているのを発見した。そして、問題の財宝は何者かによって奪い去られていたのである。
ホームズの依頼に応じて、ワトスンは、ランベス地区(Lambeth)の水辺近くにあるピンチンレーン3番地(No. 3 Pinchin Lane→2017年10月28日付ブログで紹介済)に住む鳥の剥製屋シャーマン(Sherman)から、犬のトビー(Toby)を借り出す。そして、ホームズとワトスンの二人は、バーソロミュー・ショルトの殺害現場に残っていたクレオソートの臭いを手掛かりにして、トビーと一緒に、現場からロンドン市内を通り、犯人の逃走経路を追跡して行く。

ホームズとワトスンの二人が、犬のトビーと一緒に、ストリーサム地区(Streatham→2017年12月2日付ブログで紹介済)、ブリクストン地区(Brixton→2017年12月3日付ブログで紹介済)、キャンバーウェル地区(Camberwell→2017年12月9日付ブログで紹介済)、オヴァールクリケット場(Oval)を抜けて、ケニントンレーン(Kennington Lane→2017年12月16日付ブログで紹介済)へと達した。そして、彼らは更にボンドストリート(Bond Street→2017年12月23日付ブログで紹介済)、マイルズストリート(Miles Street→2017年12月23日付ブログで紹介済)やナイツプレイス(Knight’s Place→2017年12月23日付ブログで紹介済)を通って、ナインエルムズ地区(Nine Elms→2017年12月30日付ブログと2018年1月6日付ブログで紹介済)までやって来たが、ブロデリック&ネルソンの材木置き場という間違った場所に辿り着いてしまった。どうやら、犬のトビーは、どこかの地点から違うクレオソートの臭いを辿ってしまったようだ。

二人はトビーをクレオソートの臭いの跡が二つの方向に分かれていたナイツプレイスへと戻し、犯人達の跡を再度辿らせた。そして、彼らはベルモントプレイス(Belmon Place→2018年1月13日付ブログで紹介済)とプリンスズストリート(Prince’s Street→2018年1月13日付ブログで紹介済)を抜けて、ブロードストリート(Broad Street→2018年1月13日付ブログで紹介済)の終点で、テムズ河岸に出るが、そこは船着き場で、どうやら犯人達はここで船に乗って、警察の追跡をまこうとしたようだ。

「御主人は御留守ですか?」と、ホームズは残念そうな声で言った。「それは残念ですね。御主人と御話をしたかったのですが…」
「主人は昨日の朝から出かけております。実を申しますと、主人のことが心配になり始めているんです。しかし、船のことであれば、私でお役に立てるかもしれません。」
「御主人の蒸気船をお借りしたいと思っていたんです。」
「まあ、どうしましょう。主人はその蒸気船に乗って出かけてしまったんですよ。それで、私は不思議に思っているんです。その蒸気船には、ウールウィッチまで行って、帰って来る位の石炭しか積んでいないことを知っています。もし主人が艀で出かけて行ったのであれば、私は何も心配しません。というのも、主人はグレーヴゼンドまでなんども仕事で行っているからです。もし仕事が長引いているのであれば、主人はどこかに泊まったのかもしれません。でも、石炭を充分に積んでいない蒸気船では、何の役にも立ちません。」
「御主人は、テムズ河を下ったところの船着き場で、石炭を追加で買ったのかもしれませんよ。」
「そうかもしれませんが、それは主人の主義には合いません。何故なら、臨時で買った石炭の袋の金額のことで、主人が何度も声を荒げているのを聞いたことがあるからです。それに、醜い顔で外国風の話し方をする木の義足をした男が、私は嫌いなんです。一体、何の目的があって、彼はこの辺りをうろついているんでしょうか?」
「木の義足をした男ですって!」と、ホームズは軽い驚きを示しながら言った。

‘Away, is he?’ Said Holmes, in a disappointed voice. ‘I am sorry for that, for I wanted to speak to Mr Smith.’
‘He’s been away since yesterday mornin’, sir, and, truth to tell, I am beginning to feel frightened about him. But if it was about a boat, sir, maybe I could serve as well.’
‘I wanted to hire his steam launch.’
‘Why, bless you, sir, it is in the steam launch that he has gone. That’s what puzzles me; for I know there ain’t more coals in her than would take her to about Woolwich and back. If he’d been away in the barge I’d ha’ thought nothin’; for many a time a job has taken him as far as Gravesend, and then if there was much do in’ there he might ha’ stayed over. But what good is a steam launch without coals?’
‘He might have bought some at a wharf down the river.’
‘He might, sir, but it weren’t his way. Many a time I’ve heard him call out at the prices they charge for a few odd bags. Besides, I don’t like that wooden-legged man, wi’ his ugly face and outlandish talk. What did he want always knockin’ about here for?’
‘A wood-legged man?’ said Holmes, with bland surprise.

スミス夫人(Mrs. Smith)がホームズに語ったグレーヴゼンド(Gravesend)は、英国の南東部に位置するケント州(Kent)のうち、その北西部にあるグレーヴシャム地区(Gravesham)内に所在しており、テムズ河(River Thames)下流部の南岸に臨む河港都市である。
グレーヴゼンドは、「地の涯(at the end of grove)」を意味する「graaf-ham」に因んで名付けられたという説があるが、実際には諸説ある。

グレーヴゼンドでは、当初は農業が産業の中心であったが、プランタジネット朝最後のイングランド王であるリチャード2世(Richard II:1367年ー1400年 在位期間:1377年ー1399年)によりロンドンへの旅客輸送にかかる渡船独占営業権を勅許されたことに伴い、テムズ河の水運に関する行政業務に携わるようになった。また、16世紀以降、英国の海上貿易の発展に伴って、グレーヴゼンドは貿易港としても成長する。そして、19世紀前半には、保養地や海水浴場としても一般に知られるようになった他、各種工場や埠頭等が建設される。
つまり、スミス夫人がホームズに語った通り、「四つの署名」事件が発生した1888年当時、グレーヴゼンドは河港都市として既にかなりの発展を遂げていたものと思われる。
現在、グレーヴゼンドには、河港都市としての立地条件を生かして、製紙、セメント、機械や造船等の工場が多く建ち並ぶ工業都市となっている上、テムズ河南岸沿いに広がっている工業地帯の商業、教育や娯楽等の中心地という役割も果たしている。

2018年1月14日日曜日

キム・ニューマン作「ドラキュラ戦記」(’The Bloody Red Baron - Anno Dracula 1918’ by Kim Newman)

創元推理文庫「ドラキュラ戦記」の表紙
表紙のオブジェは、松野光洋氏が造形。

「ドラキュラ戦記(The Bloody Red Baron - Anno Dracula 1918)」は、英国のファンタジー作家、映画批評家で、かつ、ジャーナリストでもあるキム・ニューマン(Kim Newman:1959年ー)が執筆した「ドラキュラ紀元(Anno Draculaー2018年1月7日付ブログで紹介済)」に続く長編3部作の第2作で、1995年11月に発表された。

1897年に英国諜報部員のチャールズ・ボウルガード(Charles Beauregard)と吸血鬼の美少女ジュヌヴィエーヴ・ディドネ(Genevieve Dieudonne→ドラキュラ伯爵とは血統を異にする)により英国から放逐されたドラキュラ伯爵(Count Dracula)は。ロシア皇帝一家を通じて、欧州大陸内に自分の下僕となる吸血鬼を増やしていた。そして、ドラキュラ伯爵は、ドイツ等を率いて、覇権を奪取すべく、遂に英国への報復を開始したのである。それが、このアナザーワールドにおける第一次世界大戦に相当する。
英国への復讐に燃えるドラキュラ伯爵に先鋭を務めるのは、撃墜王で、「赤い男爵(Red Baron)」の異名で呼ばれる吸血鬼のマンフレート・フォン・リヒトホーフェン(Manfred von Richthofen)率いる吸血鬼軍団が乗った不死の空軍であった。撃墜王リヒトホーフェン達が夜の戦場の空を駆け巡る。
第一次世界大戦中の1918年、吸血鬼軍団の拠点となっている古城へと若き諜報部員が派遣される。一方、米国の作家で、ドイツに亡命中の吸血鬼エドガー・アラン・ポー(Edgar Allan Poe)も、ドイツ皇帝の密命を帯びて、同じ古城を目指していた。撃墜王リヒトホーフェンの自伝のゴーストライターとなるためである。

アイルランド人の小説家であるブラム・ストーカー(Bram Stoker)こと、エイブラハム・ストーカー(Abraham Stoker:1847年ー1912年)が執筆したゴシック小説 / ホラー小説「吸血鬼ドラキュラ(Draculaー2017年12月24日付ブログと同年12月26日付ブログで紹介済)」(1897年)とは異なる結末から、虚実ない混ぜのアナザーワールドが更に展開していく。

作者のキム・ニューマンは、当作品を「血まみれの赤い男爵(The Bloody Red Baron)」という題名で発表している。
ドイツ軍の撃墜王だったマンフレート・アルブレヒト・フライヘア・フォン・リヒトホーフェン(Manfred Albrecht Freiheir von Richthofen:1892年ー1918年)は、実在の人物で、アルブレヒト・リヒトホーフェン男爵の長男として出生。そして、第一次世界大戦(1914年ー1918年)に参戦した各国の中で、最高の撃墜記録(80機を撃墜した他、未公認が3機)を保持するエースパイロットとして有名である。彼は自分の乗機を鮮紅色(明るい赤色)に塗装していたことから、「赤い男爵(英国:Red Baron)」や「赤い悪魔(フランス:Diable Rouge)」の異名で呼ばれた。彼は、他にも、「赤い騎士(英国:Red Knight)」、「小さな赤(フランス:Le petit rouge)」や「赤い戦闘機乗り(ドイツ:Der rote Kampfflieger)」とも呼ばれた。
前日に2機の英国空軍戦闘機を撃墜して、公式記録を80機とした翌日の1918年4月21日の朝、英国空軍第209戦闘機中隊との空中戦において、乗機右側面から肺と心臓を貫通した1発によって致命傷を受け、ドイツ時間の午前11時45分頃に不時着して、連合国軍兵士達が駆け付けた時点では、既に死亡していた。25歳没、最終階級は大尉だった。

2018年1月13日土曜日

ロンドン ベルモントプレイス / プリンスズストリート / ブロードストリート(Belmont Place / Prince’s Street / Broad Street)

ホームズ、ワトスンの二人と犬のトビーが
バーソロミュー・ショルトを殺害した犯人達の跡を再度辿った際に通り抜けた
ベルモントプレイス、プリンスズストリートおよびブロードストリートは、
現在の住所表記上、全て架空の住所であるが、
おそらく、彼らはアルバートエンバンクメント通り(Albert Enbankment)を進んで行ったものと思われる

サー・アーサー・コナン・ドイル作「四つの署名(The Sign of the Four)」(1890年)では、若い女性メアリー・モースタン(Mary Morstan)がベーカーストリート221Bのシャーロック・ホームズの元を訪れて、風変わりな事件の調査依頼をする。


元英国陸軍インド派遣軍の大尉だった彼女の父親アーサー・モースタン(Captain Arthur Morstan)は、インドから英国に戻った10年前に、謎の失踪を遂げていた。彼はロンドンのランガムホテル(Langham Hotel→2014年7月6日付ブログで紹介済)に滞在していたが、娘のモースタン嬢が彼を訪ねると、身の回り品や荷物等を残したまま、姿を消しており、その後の消息が判らなかった。そして、6年前から年に1回、「未知の友」を名乗る正体不明の人物から彼女宛に大粒の真珠が送られてくるようになり、今回、その人物から面会を求める手紙が届いたのである。
彼女の依頼に応じて、ホームズとジョン・H・ワトスンの二人は彼女に同行して、待ち合わせ場所のライシアム劇場(Lyceum Theatreー2014年7月12日付ブログで紹介済)へ向かった。そして、ホームズ達一行は、そこで正体不明の人物によって手配された馬車に乗り込むのであった。

ヴォクスホール橋(Vauxhall Bridge)を渡った
テムズ河南岸にあるロータリー

ホームズ、ワトスンとモースタン嬢の三人は、ロンドン郊外のある邸宅へと連れて行かれ、そこでサディアス・ショルト(Thaddeus Sholto)という小男に出迎えられる。彼が手紙の差出人で、ホームズ達一行は、彼からモースタン嬢の父親であるアーサー・モースタン大尉と彼の父親であるジョン・ショルト少佐(Major John Sholto)との間に起きたインド駐留時代の因縁話を聞かされるのであった。
サディアス・ショルトによると、父親のジョン・ショルト少佐が亡くなる際、上記の事情を聞いて責任を感じた兄のバーソロミュー・ショルト(Bartholomew Sholto)と彼が、モースタン嬢宛に毎年真珠を送っていたのである。アッパーノーウッド(Upper Norwood)にある屋敷の屋根裏部屋にジョン・ショルト少佐が隠していた財宝を発見した彼ら兄弟は、モースタン嬢に財宝を分配しようと決めた。

しかし、ホームズ一行がサディアス・ショルトに連れられて、バーソロミュー・ショルトの屋敷を訪れると、バーソロミュー・ショルトはインド洋のアンダマン諸島の土着民が使う毒矢によって殺されているのを発見した。そして、問題の財宝は何者かによって奪い去られていたのである。

ロータリーの中央には、
地下鉄ヴォクスホール駅(Vauxhall Tube Station)の出入口がある

ホームズの依頼に応じて、ワトスンは、ランベス地区(Lambeth)の水辺近くにあるピンチンレーン3番地(No. 3 Pinchin Lane→2017年10月28日付ブログで紹介済)に住む鳥の剥製屋シャーマン(Sherman)から、犬のトビー(Toby)を借り出す。そして、ホームズとワトスンの二人は、バーソロミュー・ショルトの殺害現場に残っていたクレオソートの臭いを手掛かりにして、トビーと一緒に、現場からロンドン市内を通り、犯人の逃走経路を追跡して行く。

ホームズとワトスンの二人が、犬のトビーと一緒に、ストリーサム地区(Streatham→2017年12月2日付ブログで紹介済)、ブリクストン地区(Brixton→2017年12月3日付ブログで紹介済)、キャンバーウェル地区(Camberwell→2017年12月9日付ブログで紹介済)、オヴァールクリケット場(Oval)を抜けて、ケニントンレーン(Kennington Lane→2017年12月16日付ブログで紹介済)へと達した。そして、彼らは更にボンドストリート(Bond Street→2017年12月23日付ブログで紹介済)、マイルズストリート(Miles Street→2017年12月23日付ブログで紹介済)やナイツプレイス(Knight’s Place→2017年12月23日付ブログで紹介済)を通って、ナインエルムズ地区(Nine Elms→2017年12月30日付ブログと2018年1月6日付ブログで紹介済)までやって来たが、ブロデリック&ネルソンの材木置き場という間違った場所に辿り着いてしまった。どうやら、犬のトビーは、どこかの地点から違うクレオソートの臭いを辿ってしまったようだ。

ホームズとワトスンの二人と犬のトビーは、
当初、ロータリーからナインエルムズ地区(西方面)へと、
違うクレオソートの臭いの跡を辿ってしまったが、
再度、正しいクレオソートの臭いの跡を辿り、
ロータリーからアルバートエンバンクメント通り(北方面)へと
進んだものと思われる

「これからどうする?」と、私は尋ねた。「絶対確実なトビーでも、うまくいかなかった。」
「トビーは正しく犯人達を追跡した。」と、ホームズは言って、トビーを樽から降ろすと、材木置き場から外へ連れ出した。「一日にどれ位多くの量のクレオソートがロンドン内で運ばれているかを考えれば、僕達が追跡する進路を横切るものがあっても、何ら驚くことはないさ。特に、今の時期、クレオソートは材木の乾燥用として多量に使用されている。トビーを責める訳にはいかないよ。」
「私達はもう一度元の臭いを辿る必要があるな。」
「そうだな。そして、幸いな異に、それ程戻らなくても済む筈だ。ナイツプレイスの角で、トビーが方向を迷ったのは明らかで、それは、クレオソートの臭いの跡が二つの方向に別れていたためだ。僕達は間違った臭いの跡を辿った訳だから、もう一方の臭いの跡を辿るだけだ。」
それは、非常に簡単なことだった。間違った場所まで連れて戻ると、トビーは大きな輪を描いて一周すると、新しい方向へと走り出した。
「トビーにあのクレオソートの樽が運び出されてきた元の場所へ連れて行かないように、気を付けないとな。」と、私は言った。
「僕もそう考えたさ。しかし、あの樽が車道を通ったのに対して、トビーはずーっと歩道を進んでいるのが判るだろう。そうさ、僕達はクレオソートの正しい臭いを辿っているんだ。」
クレオソートの臭いは、ベルモントプレイスとプリンスズストリートを抜けて、テムズ河岸へと向かい、下って行った。ブロードストリートの終点で、右側へ下って、河岸に出た。そこには、小さな木の船着き場があった。トビーは私達をこの船着き場の先端まで引っ張って行くと、目の前に広がるテムズ河の暗い流れを見つめながら、立って鳴いた。
「ついていないな。」と、ホームズは言った。「犯人達は、ここで舟に乗ったんだ。」
小さな平底小舟や小船がテムズ河の上や船着き場に係留されていた。私達は一隻一隻順番にトビーを乗せて調べさせた。トビーは真剣に臭いを嗅いだが、それらしい素振りを全く見せなかったのである。

テムズ河とアルバートエンバンクメント通りに挟まれた場所に建つ
英国 MI6 が入っているビル

‘What now? ‘ I asked. ’Toby has lost his character for infallibility.’
‘He acted according to his lights,’ said Holmes, lifting him down from the barrel and walking him out of the timber-yard. ‘If you consider how much creosote is carted about London in one day, it is no great wonder that our trail should have been crossed. It is much used now, especially for the seasoning of wood. Poor Toby is not to blame.’
‘We must get on the main scent again, I suppose.’
‘Yes. And, fortunately, we have no distance to go. Evidently what puzzled the dog at the corner of Knight’s Place was that there were two different trails running in opposite directions. We took the wrong one. It only remains to follow the other.’
There was no difficulty about this. On being led to the place where he had committed his fault, Toby cast about in a wide circle and finally dashed off in a fresh direction.
‘We must take care that he does not now bring us to the place where the creosote-barrel came from,’ I observed.
‘I had thought of that. But you notice that he keeps on the pavement, whereas the barrel passed down the roadway. No, we are on the true scent now.’
It tended down towards the riverside, running through Belmont Place and Prince’s Street. At the end of Broad Street it ran right down to the water’s edge, where there was a small wooden wharf. Toby led us to the very edge of this, and there stood whining, looking out on the dark current beyond.
‘We are out of luck,’ said Holmes. ‘They have taken to a boat here.’
Several small punts and skiffs were lying about in the water and on the edge of the wharf. We took Toby round to each in turn, but though he sniffed earnestly, he made no sign.

アルバートエンバンクメント通りから英国 MI6 が入っているビルを望む

ホームズとワトスンの二人、そして、犬のトビーがバーソロミュー・ショルトを殺害した犯人達が逃げた後を再度辿って、通り抜けたベルモントプレイス(Belmont Place)、プリンスズストリート(Prince’s Street)およびブロードストリート(Broad Street)は、現在の住所表記上、テムズ河(River Thames)の南岸にあるロンドン・ランベス区(London Borough of Lambeth)やロンドン・ワンズワース区(London Borough of Wandsworth)等には存在しておらず、残念ながら、架空の住所である。

2018年1月7日日曜日

キム・ニューマン作「ドラキュラ紀元」(’Anno Dracula’ by Kim Newman)

創元推理文庫「ドラキュラ紀元」の表紙
表紙のオブジェは、松野光洋氏が造形。

アイルランド人の小説家であるブラム・ストーカー(Bram Stoker)こと、エイブラハム・ストーカー(Abraham Stoker:1847年ー1912年)が執筆したゴシック小説 / ホラー小説「吸血鬼ドラキュラ(Draculaー2017年12月24日付ブログと同年12月26日付ブログで紹介済)」(1897年)では、英国に一旦上陸した吸血鬼のドラキュラ伯爵(Count Dracula)は、アムステルダム大学の名誉教授であるエイブラハム・ヴァン・ヘルシング(Abraham Van Helsingー2017年12月31日付ブログで紹介済)達によって、英国から撃退され、最終的には、故郷のトランシルヴァニア(Transylvania)にあるドラキュラ城(Castle Dracula)へと逃げ帰るところを、彼らに滅ぼされる。そして、7年後、事件の関係者である新人事務弁護士ジョナサン・ハーカー(Jonathan Harker)と教師ウィルヘルミナ・マレー(Wilhelmina Murray)が結婚し、二人の間に生まれた子供が、ドラキュラ伯爵との闘いの最中、命を落とした北米的テキサス州の大地主クィンシー・モリス(Quincey Morris)に因んで、クィンシーと名付けられたところで、物語は終わりを迎える。これが、ブラム・ストーカーによる原作の結末である。

英国のファンタジー作家、映画批評家で、かつ、ジャーナリストでもあるキム・ニューマン(Kim Newman:1959年ー)は、ブラム・ストーカーの原作にあるような吸血鬼ドラキュラがヴァン・ヘルシング教授達に敗れて滅ぼされるのではなく、逆に、ドラキュラ伯爵がヴァン・ヘルシング教授に打ち勝って、彼を殺害したところから、物語を始めている。これが、3部作続くキム・ニューマンの長編第1作「ドラキュラ紀元(Anno Dracula)」で、1992年10月に発表された。

ヴァン・ヘルシング教授を破ったドラキュラ伯爵は、更にクィンシー・モリスやジョナサン・ハーカーを殺害した後、ジョナサン・ハーカーの婚約者であるウィルヘルミナ・マレーを吸血鬼へと変え、ドラキュラの花嫁達の中に加える。そして、ドラキュラ伯爵は英国内に吸血鬼を次々と増やしていった。やがて、ドラキュラ伯爵は、英国のヴィクトリア女王(Queen Victoriaー2017年12月10日付ブログと同年12月17日付ブログで紹介済)と結婚し、「王配下(Prince Consort)」として、遂に英国全土を手中に収めたのである。

時に1888年、ロンドンのホワイトチャペル地区(Whitechapel)では、吸血鬼の娼婦ばかりが惨殺される事件が発生していた。吸血鬼にはまだなっていない人間である諜報部員のチャールズ・ボウルガード(Charles Beauregard)は、謎のディオゲネスクラブ(Diogenes Club)経由、英国の闇内閣の指示を受けて、連続殺人犯「銀ナイフ(Silver Knife)」こと、「切り裂きジャック(Jack the Ripper)」の事件捜査に乗り出すこととなった。
一方、ドラキュラ伯爵とは血統を異にする吸血鬼の美少女ジュヌヴィエーヴ・ディドネ(Genevieve Dieudonne)も、彼女なりの理由から、切り裂きジャックの正体を追い始める。
切り裂きジャックを個々に追うチャールズ・ボウルガードとジュヌヴィエーヴ・ディドネの二人は、やがて邂逅を迎える。そして、スコットランドヤードのレストレード警部(Inspector Lestrade)、更に、ジキル博士(Dr. Jekyll)までが、彼らなりの思惑で、二人の捜査に関与してくるのである。果たして、チャールズ・ボウルガードとジュヌヴィエーヴ・ディドネの二人は、連続殺人犯の切り裂きジャックを捕まえることができるのであろうか?

「ドラキュラ紀元」は、実在の人物(ヴィクトリア女王他)、キム・ニューマン自身が考案した架空のキャラクター(ジュヌヴィエーヴ・ディドネ→彼の他の作品にも登場)および他の作家が考案した架空のキャラクター(ブラム・ストーカーが考案したドラキュラ伯爵)は当然のこと、マイクロフト・ホームズ / レストレード警部(サー・アーサー・コナン・ドイルが考案)やジキル博士(ロバート・ルイス・スティーヴンソンが考案)等が虚実ないまぜとなった作品で、アナザーワールドにおける「吸血鬼ドラキュラ」の続編である。

1992年10月に発表された「ドラキュラ紀元」は、’Dracula Society’s Children of the Night Award’、’Lord Ruthven Assembly’s Fiction Award’ や ‘International Horror Guild Award (Best Novel)’ 等、数々の賞を受賞している。

2018年1月6日土曜日

ロンドン ナインエルムズ地区(Nine Elms)-その2

テムズ河とナインエルムズレーンに挟まれた辺りは再開発が進行中で、
高層フラットが次々と建設されている

現在、地下鉄ヴォクスホール駅(Vauxhall Tube Station)からテムズ河(River Thames)沿いを西へ延びる道路はナインエルムズレーン(Nine Elms Lane)と呼ばれているが、17世紀中頃当時、道路の両側に楡(ニレ)の木(elm tree)が植えられていたため、そう命名されてことに伴い、この辺りもナインエルムズ(Nine Elms)と名付けられたようである。

地下鉄ヴォクスホール駅(その1)
地下鉄ヴォクスホール駅(その2)

元々、この辺りは、主に工業団地(industrial estate)で、バタシー火力発電所(Battersea Power Station)が建設されたり、ニューコヴェントガーデンマーケット(New Covent Garden Market)が開設され、鉄道網等も整備された。その後、特にテムズ河沿いに住宅街が開発されることに伴い、多くの住民を見込んだ商業施設等が増えている。

ヴォクスホール橋(Vauxhall Bridge)から見た
ナインエルムズ地区(その1)
ヴォクスホール橋から見たナインエルムズ地区(その2)

2008年10月、米国は、現在、ロンドンの中心部シティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)のメイフェア地区(Mayfair)内のグローヴナースクエア(Grosvenor Squareー2015年2月22日付ブログで紹介済)の西側に建つ大使館をナインエルムズ地区へと移転させる計画を発表。同地区内での建設工事は概ね竣工して、近日中に移転する予定である。
また、2013年4月、オランダも、チェルシー&ケンジントン王立区(Royal Borough of Chelsea & Kensington)のハイドパーク(Hyde Parkー2015年3月14日付ブログで紹介済)近くにある大使館を、同じようにナインエルムズ地区へ移転させる計画を公にした。

ヴォクスホール橋から見たバタシー火力発電所−
現在、オフィスやフラット等への大改修工事が進められている

また、操業を停止した後、巨大な無用の産物として将来の利用を危ぶまれていたバタシー火力発電所については、2013年より大改修工事が開始され、オフィスやフラット等への改装が進められている。地上階には、商業店舗、レストランやカフェ等が多数入居する予定である。なお、今のところ、東京オリンピックが開催される2020年竣工を目指して、改修計画が進行中である。