2018年1月14日日曜日

キム・ニューマン作「ドラキュラ戦記」(’The Bloody Red Baron - Anno Dracula 1918’ by Kim Newman)

創元推理文庫「ドラキュラ戦記」の表紙
表紙のオブジェは、松野光洋氏が造形。

「ドラキュラ戦記(The Bloody Red Baron - Anno Dracula 1918)」は、英国のファンタジー作家、映画批評家で、かつ、ジャーナリストでもあるキム・ニューマン(Kim Newman:1959年ー)が執筆した「ドラキュラ紀元(Anno Draculaー2018年1月7日付ブログで紹介済)」に続く長編3部作の第2作で、1995年11月に発表された。

1897年に英国諜報部員のチャールズ・ボウルガード(Charles Beauregard)と吸血鬼の美少女ジュヌヴィエーヴ・ディドネ(Genevieve Dieudonne→ドラキュラ伯爵とは血統を異にする)により英国から放逐されたドラキュラ伯爵(Count Dracula)は。ロシア皇帝一家を通じて、欧州大陸内に自分の下僕となる吸血鬼を増やしていた。そして、ドラキュラ伯爵は、ドイツ等を率いて、覇権を奪取すべく、遂に英国への報復を開始したのである。それが、このアナザーワールドにおける第一次世界大戦に相当する。
英国への復讐に燃えるドラキュラ伯爵に先鋭を務めるのは、撃墜王で、「赤い男爵(Red Baron)」の異名で呼ばれる吸血鬼のマンフレート・フォン・リヒトホーフェン(Manfred von Richthofen)率いる吸血鬼軍団が乗った不死の空軍であった。撃墜王リヒトホーフェン達が夜の戦場の空を駆け巡る。
第一次世界大戦中の1918年、吸血鬼軍団の拠点となっている古城へと若き諜報部員が派遣される。一方、米国の作家で、ドイツに亡命中の吸血鬼エドガー・アラン・ポー(Edgar Allan Poe)も、ドイツ皇帝の密命を帯びて、同じ古城を目指していた。撃墜王リヒトホーフェンの自伝のゴーストライターとなるためである。

アイルランド人の小説家であるブラム・ストーカー(Bram Stoker)こと、エイブラハム・ストーカー(Abraham Stoker:1847年ー1912年)が執筆したゴシック小説 / ホラー小説「吸血鬼ドラキュラ(Draculaー2017年12月24日付ブログと同年12月26日付ブログで紹介済)」(1897年)とは異なる結末から、虚実ない混ぜのアナザーワールドが更に展開していく。

作者のキム・ニューマンは、当作品を「血まみれの赤い男爵(The Bloody Red Baron)」という題名で発表している。
ドイツ軍の撃墜王だったマンフレート・アルブレヒト・フライヘア・フォン・リヒトホーフェン(Manfred Albrecht Freiheir von Richthofen:1892年ー1918年)は、実在の人物で、アルブレヒト・リヒトホーフェン男爵の長男として出生。そして、第一次世界大戦(1914年ー1918年)に参戦した各国の中で、最高の撃墜記録(80機を撃墜した他、未公認が3機)を保持するエースパイロットとして有名である。彼は自分の乗機を鮮紅色(明るい赤色)に塗装していたことから、「赤い男爵(英国:Red Baron)」や「赤い悪魔(フランス:Diable Rouge)」の異名で呼ばれた。彼は、他にも、「赤い騎士(英国:Red Knight)」、「小さな赤(フランス:Le petit rouge)」や「赤い戦闘機乗り(ドイツ:Der rote Kampfflieger)」とも呼ばれた。
前日に2機の英国空軍戦闘機を撃墜して、公式記録を80機とした翌日の1918年4月21日の朝、英国空軍第209戦闘機中隊との空中戦において、乗機右側面から肺と心臓を貫通した1発によって致命傷を受け、ドイツ時間の午前11時45分頃に不時着して、連合国軍兵士達が駆け付けた時点では、既に死亡していた。25歳没、最終階級は大尉だった。

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