2026年8月12日水曜日

ロンドン 地下鉄ピカデリーサーカス駅(Piccadilly Circus Tube Station)- その1

地下鉄ピカデリーサーカス駅の
ピカデリーラインが停まるプラットフォームの壁にある駅表示
<筆者撮影>


アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)の長編第2作目で、かつ、トマス・ベレズフォード(Thomas Beresford - 愛称:トミー(Tommy))とプルーデンス・カウリー(Prudence Cowley - 愛称:タペンス(Tuppence))の記念すべきシリーズ第1作目に該る「秘密機関(The Secret Adversary → 2025年7月20日 / 10月1日付ブログで紹介済)」(1922年)は、英国の海運会社であるキュナードライン(Cunard Line)が所有する当時世界最大の旅客船で、米国ニューヨーク(New York)から英国リヴァプール(Liverpool)へと向かっていたルシタニア号(RMS Lusitania → 2025年7月22日 / 7月23日付ブログで紹介済)が、1915年5月7日の午後2時、アイルランド(Ireland)沖15㎞ の地点で、ドイツ帝国海軍(Imperial Germany Navy)の潜水艦 Uボート(U-boat)から2発の魚雷攻撃を受けて、沈没したところから、その物語が始まる。


2015年に英国の HarperCollinsPublishers 社から出版された
アガサ・クリスティー作「秘密機関」の
ペーパーバック版の表紙
(Cover design : 
HarperCollinsPublishers Ltd. /
Agatha Christie Ltd. 2015
)


第一次世界大戦(1914年ー1918年)が終わり、世界が復興へと向かう中、ロンドンの地下鉄ドーヴァーストリート駅(Dover Street Tube Station → 2025年7月30日 / 8月5日付ブログで紹介済)のドーヴァーストリート(Dover Street → 2025年7月28日 / 7月29日付ブログで紹介済)出口において、昔馴染みのトミーとタペンスは、偶然出くわした。


HarperCollins Publishers 社から2008年に出ている
アガサ・クリスティー作「秘密機関」のグラフィックノベル版
(→ 2023年8月1日 / 8月14日 / 8月16日 / 8月21日付ブログで紹介済)
-
第一次世界大戦後、タペンスこと、プルーデンス・カウリーと
トミーこと、トマス・ベレズフォードの2人は、
ロンドンの地下鉄ドーヴァーストリート駅のドーヴァーストリート出口において、数年ぶりに再会する。


二人は、お互いに戦後の就職難に悩まされていた。トミーの方は、大戦中の1916年に負傷しており、一方、タペンスの方は、大戦中ずーっと、ボランティアとして、様々な形で働いていたのである。

久々の再会を果たしたトミーとタペンスの2人は、自分達で「青年冒険家商会(The Young Adventurers, Ltd.)」を設立して、報酬を獲得するべく、話し合った。


ロンドンの地下鉄ドーヴァーストリート駅のドーヴァーストリート出口があった
ドーヴァーストリート5−7番地(5-7 Dover Street)の建物外観
<筆者撮影>


Tommy was holding the paper thoughtfully. His face burned a deeper red.

‘Shall we really try it?’ He said at last. ‘Shall we, Tuppence? Just for the fun of the thing?’

’Tommy, you’re a sport! I knew you would be! Let’s drink to success.’ She poured some cold dregs of tea into the two cups.

‘Here’s to our joint venture, and may it prosper!’

‘The Young Adventurers, Ltd.!’ responded Tommy.

They put down the cups and laughed rather uncertainly. Tuppence rose.

‘I must return to my palatial suite at the hostel.’

‘Perhaps it is time I strolled round to the Ritz,’ agreed Tommy with a grin. ‘Where shall we meet? And when?’

‘Twelve o’clock tomorrow. Piccadilly Tube station. Will that suit you?’

‘My time is my own,’ replied Mr Beresford magnificently. 

‘So long, then.’

‘Goodbye, old thing.’ 


地下鉄ピカデリーサーカス駅のピカデリーラインが停まるプラットフォームへ
車輌が入って来たところ
<筆者撮影>


トミーは広告文を書いた紙をじっと見つめ、顔を真っ赤にした。

「やってみようか?」ついに言った。「ためしにやってみよう、タペンス」

「トミー、あなたならそう言うと思ったわ。じゃあ、成功を祈って乾杯しましょ」タペンスが二つのカップに冷めた紅茶を注いだ。

「わたしたちの ジョイント・ベンチャーが成功しますように」

「ヤング・アドベンチャラーズに」トミーも応じた。

二人はカップを置くと、ためらいがちに笑った。タペンスが椅子から立ちあがった。

「そろそろユースホステルの”豪華な”部屋に戻らないと」

「それじゃ、ぼくはリッツ・ホテルの前で金持ちを捜そうかな」トミーはニヤリとした。

「こんどはどこで会おうか?いつにする?」

「明日の十二時、地下鉄のピカデリー駅はどう?」

「いいとも」トミーは元気よくうなずいた。

「それじゃ、また」

「ああ、また明日」

(嵯峨 静江訳)


ピカデリー通りの反対側から、リッツ ロンドンの建物外壁を見上げたところ
<筆者撮影>


タペンスと別れた後、トミーが立ち寄ろうとした「リッツ・ホテル」とは、ロンドン中心部のピカデリー通り(Piccadilly → 2025年7月31日付ブログで紹介済)沿いで、グリーンパーク(Green Park)に面して建つ高級ホテルの「リッツ ロンドン(The Ritz London → 2025年7月2日 / 7月14日付ブログで紹介済)」のことである。


招待客が兵隊島に到着した日の晩餐会において、
謎の声(オーウェン氏)による告発により、招待客8人と執事 / 料理人夫婦が戦慄する場面
(HarperCollins Publishers 社から2009年に出ている
アガサ・クリスティー作「そして誰もいなくなった」のグラフィックノベル版
(→ 2020年9月13日付ブログで紹介済)から抜粋)


アガサ・クリスティーが1939年に発表したノンシリーズ作品「そして誰もいなくなった(And Then There Were None)」において、1930年代後半の8月、英国デヴォン州(Devon)の沖合いに浮かぶ兵隊島(Soldier Island)に、年齢も職業も異なる8人の男女が招かれるところから、物語が始まる。

彼らを島で迎えた執事のトマス・ロジャーズ(Thomas Rogers)と料理人のエセル・ロジャーズ(Ethel Rogers)の夫婦は、エリック・ノーマン・オーウェン氏(Mr. Ulick Norman Owen)とユナ・ナンシー・オーウェン夫人(Mrs. Una Nancy Owen)に自分達は雇われていると招待客に告げる。しかし、彼らの招待主で、この島の所有者であるオーウェン夫妻は、いつまで待っても、姿を現さないままだった。

雇い主のオーウェン氏からロジャーズ夫妻宛に雇用にかかる手紙が出されたのが、リッツ ロンドンからだった。


ピカデリー通りの同じ側から、リッツ ロンドンの建物外壁を見上げたところ
<筆者撮影>


リッツ ロンドンの開業は、1906年5月24日で、開業後、約120年が経っている。

リッツ ロンドンは、ピカデリーライン(Piccadilly Line)、ジュビリーライン(Jubilee Line)とヴィクトリアライン(Victoria Line)の3線が乗り入れる地下鉄グリーンパーク駅(Green Park Tube Station → 2025年7月30日付ブログで紹介済)の直ぐ真横に建っており、徒歩1分と言う利便性を誇る。

また、トミーとタペンスが数年ぶりに再会したドーヴァーストリートとは、目と鼻の先である。


ピカデリーサーカス(Piccadilly Circus)の地下にある
地下鉄ピカデリーサーカス駅の改札口

<筆者撮影>


そして、トミーとタペンスの2人が翌日の昼12時に会う約束をした地下鉄ピカデリーサーカス駅(Piccadilly Circus Tube Station)は、ロンドンの中心部にあるシティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)内のソーホー地区(Soho)とセントジェイムズ地区(St. James’s)の境界線近辺に所在する駅で、ピカデリーラインとベイカールーライン(Bakerloo Line)の2線が乗り入れている。


「Nicholson - Super Scale - London Atlas」から
ソーホー地区の地図を抜粋。


ピカデリーラインの場合、地下鉄ピカデリーサーカス駅は、西側の地下鉄グリーンパーク駅と東側の地下鉄レスタースクエア駅(Leicester Square Tube Station)の間にあり、また、ベイカールーラインの場合、北側の地下鉄オックスフォードサーカス駅(Oxford Circus Tube Station)と南側の地下鉄チャリングクロス駅(Charing Cross Tube Station)の間に位置している。


2026年8月11日火曜日

ロンドン タヴィストックスクエア52番地(52 Tavistock Square)- その1

レナード・シドニー・ウルフとヴァージニア・ウルフの2人が、
約10年間を過ごしたリッチモンドを離れ、ロンドンの中心部へと戻り、
1924年3月に移った
タヴィストックスクエア52番地の跡地に建つ
タヴィストックホテル(Tavistock Hotel)
<筆者撮影>

1912年8月10日に結婚した英国の小説家 / 評論家であるヴァージニア・ウルフ(Virginia Woolf / 本名:アデリーン・ヴァージニア・スティーブン(Adeline Virginia Stephen):1882年ー1941年 / 英国の小説家 / 評論家)レナード・シドニー・ウルフ(Leonard Sidney Woolf:1880年ー1969年 / 英国の作家 / 出版業者 / 公務員の2人は、シティー・オブ・ロンドン(City of London → 2018年8月4日 / 8月11日付ブログで紹介済)の西端に所在しているクリフォーズイン(Clifford’s Inn → 2026年7月9日 / 7月10日付ブログで紹介済)と言うフラットへ移り住んだ。


1912年8月10日に結婚した
ヴァージニア・ウルフとレナード・シドニー・ウルフの2人が
移り住んだフラット「クリフォーズイン」の玄関を北側から見たところ
<筆者撮影>


ヴァージニア・ウルフは、1912年12月から1913年3月にかけて行った彼女の最初の長編小説となる「船出(The Voyage Out)」の大幅な改稿作業の結果、肉体的にも、精神的にも、極度の消耗状態になった。その後、彼女は何度も神経衰弱に陥り、1913年9月9日には、睡眠薬のヴェロナール(veronal)の過剰摂取により、自殺を試みたが、なんとか一命をとりとめた。


ナショナルポートレイトギャラリー
(National Portrait Gallery)で販売
されている
ヴァージニア・ウルフの肖像写真の絵葉書
(by George Charles Beresford / 1902年7月 /
platinum print / 152 mm x 108 mm)


重度の精神疾患に苦しむヴァージニア・ウルフのことを心配したレナード・シドニー・ウルフは、1914年の秋、彼女を連れて、ロンドン市内を離れ、テムズ河(River Thames)の中流域に位置する緑豊かなリッチモンド(Richmond → 2018年3月17日 / 3月24日付ブログで紹介済)にあるリッチモンドグリーン(Richmond Green → 2026年7月24日付ブログで紹介済)へと引っ越した。

ヴァージニア・ウルフとレナード・シドニー・ウルフの2人がリッチモンドグリーンへ引っ越した1914年の秋頃、彼女の精神状態は落ち着いていたが、引越後の1915年2月には、精神疾患が再発、彼女の容体は悪くなってしまう。


リッチモンドグリーンの緑地帯を
南西側から北東方面へと進むところ
<筆者撮影>


そこで、1915年3月、彼らは、リッチモンドグリーン近くのパラダイスロード34番地(34 Paradise Road → 2026年7月31日 / 8月5日付ブログで紹介済)の家へ再度引っ越して、その家を「ホガースハウス(Hogarth House)」と名付けた。

リッチモンドグリーンからパラダイスロード34番地の「ホガースハウス」へ引っ越したものの、ヴァージニア・ウルフの精神疾患は、1917年まで続いた。

レナード・シドニー・ウルフは、彼女が興味を持てそうな趣味や活動をなんとか見つけて、執筆による精神的ストレスから彼女を解放しようと努めた。幸いにして、2人が興味を持っていた印刷技術に注目したレナード・シドニー・ウルフは、1917年3月、「ホガースプレス(Hogarth Press)」と言う出版社を、「ホガースハウス」の居間に設立。

レナード・シドニー・ウルフは、小さな手動印刷機、古い活字、道具や材料等を購入して、ヴァージニア・ウルフと2人で、活字を一字一字拾い、自分達で印刷と製本を行った。2人が「ホガースプレス」として出版した最初の本は、「Two Stories」で、1917年7月のことであった。「Two Stories」は、レナード・シドニー・ウルフの随筆とヴァージニア・ウルフの短編「壁の染み(The Mark on the Wall)」が収録された32ページの小冊子だった。

「ホガースプレス」は、当初、レナード・シドニー・ウルフとヴァージニア・ウルフの2人による手作業だったので、150部止まりの出版が多かったが、その後、「ホガースプレス」に追加の設備が導入され、事業が拡大した結果、一部の印刷作業は、外部の会社に委託されるようになった。


1915年3月に
ヴァージニア・ウルフとレナード・シドニー・ウルフの2人が
リッチモンドグリーンから移り住んだパラダイスロード34番地の建物
<筆者撮影>


ヴァージニア・ウルフは、レナード・シドニー・ウルフと一緒に、パラダイスロード34番地のホガースハウスに居る間に、以下の長編3作を発表して、小説家として歩み始めていた。


*長編第1作目「船出」

*長編第2作目「夜と昼(Night and Day)」

*長編第3作目「ジェイコブの部屋(Jacob’s Room)」


レナード・シドニー・ウルフとヴァージニア・ウルフの2人が
1924年3月から住んだ
タヴィストックスクエア52番地の建物は、
1939年にドイツ軍によるロンドン大空襲(Blitz)のため、
大きな被害を蒙ってしまう。
その結果、当時の住居は取り壊され、
その跡地には、現在、タヴィストックホテルが建っている。
<筆者撮影>


「ホガースプレス」の出版事業に参加したことにより、ヴァージニア・ウルフの精神状態が落ち着き、その結果、執筆にも脂がのってきたため、レナード・シドニー・ウルフとヴァージニア・ウルフの2人は、1914年の秋から約10年間を過ごしたリッチモンドを離れ、ロンドンの中心部へと戻り、1924年3月、タヴィストックスクエア52番地(52 Tavistock Square)に居を構えた。

2人が1917年3月に設立した「ホガースプレス」は、タヴィストックスクエア52番地の建物の地下に設置。



タヴィストックスクエア52番地は、ロンドンの特別区の一つであるカムデン区(London Borough of Camden)のブルームズベリー地区(Bloomsbury)内に所在している。


「Nicholson - Super Scale - London Atlas」から
ブルームズベリー地区近辺の地図を抜粋。


英国の著名な批評家 / 歴史家である父サー・レスリー・スティーヴンが
1904年2月22日に亡くなった後、
ハイドパークゲイト通り22番地の家
(22 Hyde Park Gate → 2026年5月12日 / 5月17日付ブログで紹介済)を売却して、
ヴァージニア・ウルフ達が引っ越したゴードンスクエア46番地の建物全景
<筆者撮影>


タヴィストックスクエア52番地の建物が面するタヴィストックスクエア(Tavistock Square)は、英国の著名な批評家 / 歴史家である父サー・レスリー・スティーヴン(Leslie Stephen:1832年ー1904年)が1904年2月22日に亡くなった後、ヴァージニア・ウルフが、姉のヴァネッサ(Vanessa Bell:1879年ー1961年 → 後に英国の画家 / インテリアデザイナーとなる)、長男のトビー(Thoby:1880年ー1906年)や次男のエイドリアン(Adrian:1883年ー1948年)と一緒に移り住んだゴードンスクエア46番地(46 Gordon Square → 2026年5月22日 / 5月27日付ブログで紹介済)が面するゴードンスクエア(Gordon Square → 2026年6月1日付ブログで紹介済)の東側に位置している。


レナード・シドニー・ウルフとヴァージニア・ウルフの2人が
1924年3月から住んだ
タヴィストックスクエア52番地の跡地に建つ
タヴィストックホテルの建物外壁を下から見上げたところ。
<筆者撮影>


レナード・シドニー・ウルフとヴァージニア・ウルフの2人がロンドンの中心部へと戻って来たのは、第一次世界大戦(1914年ー1918年)を経て、戦勝国である英国の経済が急速に回復し、好景気に沸いている頃で、戦前のヴィクトリア朝時代の文化が過去のものとなりつつあった。


2026年8月10日月曜日

エルキュール・ポワロの世界 <ジグソーパズル>(The World of Hercule Poirot )- その41A

英国の HarperCollinsPublishers 社から以前に出版されていた
アガサ・クリスティー作「鳩のなかの猫」ペーパーバック版の表紙 -
ロンドンにある有名な私立女子校であるメドウバンク校(Meadowbank School)が、
今回の事件の舞台となるが、これが表紙に描かれていると思われる。
メドウバンク校は、英国屈指の名門校で、王族の子女達が学ぶ一方で、
革新的な教育システムも採り入れていた。


英国の Orion Publishing Group Ltd. から2023年に発行されている「エルキュール・ポワロの世界(The World of Hercule Poirot)」と言うジグソーパズル内に散りばめられているエルキュール・ポワロシリーズの登場人物や各作品に関連した112個の手掛かりについて、引き続き、紹介したい。

前回に引き続き、各作品に出てくる登場人物、建物や手掛かり等が、その対象となる。


ジグソーパズル「エルキュール・ポワロの世界」の完成形
<筆者撮影>


(96)私立女子校生(schoolgirl)



ジグソーパズル中央に立つエルキュール・ポワロ(Hercule Poirot → 2025年10月11日付ブログで紹介済)から右真横へ移動した位置に居て、画面右側にある柱の側に立っている執事のジョージ(George → 2025年10月23日付ブログで紹介済)の左斜め下に、「オリエント急行の殺人(Murder on the Orient Express → 2023年8月25日 / 8月29日付ブログで紹介済)」(1934年)に登場するイスタンブール(Istanbul)発カレー(Calais)行きオリエント急行(Orient Express)の寝台車を担当する車掌であるフランス人のピエール・ポール・ミシェル(Pierre Paul Michel → 2026年1月2日 / 1月4日付ブログで紹介済)と一緒に、右手に帽子を持った私立女子校生が立っている。


(97)テニスラケット(tennis racket)



ジョン・レイス大佐(Colonel John Race → 2025年10月25日付ブログで紹介済)が、ジグソーパズルの左下近くに居て、ジグソーパズル中央に立つエルキュール・ポワロの方を見つめている。背広を着て、右手には、帽子を持っている。なお、背広の右ポケットから、メモ用紙なのか、紙のようなものがはみ出ている。ジョン・レイス大佐の左斜め上に建つ柱に、テニスラケットが立て掛けられている。


(98)砂袋(sandbag)



ジグソーパズル中央に立つエルキュール・ポワロの右斜め後ろの位置に立っているスコットランドヤードのジェイムズ・ハロルド・ジャップ警部(Inspector James Harold Japp / 後に主任警部(Chief Inspector)に昇進 → 2025年10月24日付ブログで紹介済)の背後にある柱の右側に、クリスマスツリー(Christmas tree → 2026年4月5日 / 4月17日付ブログで紹介済)が設置されている。クリスマスツリーの下に、砂袋が置かれている。


これらから連想されるのは、アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)が1959年に発表した「鳩のなかの猫(Cat Among the Pigeons)」である。

「死者のあやまち」は、アガサ・クリスティーが執筆した長編としては、第51作目に該り、そして、エルキュール・ポワロシリーズの長編としては、第28作目に該っている。


中東のラマット王国(Ramat)では、若き国王であるアリ・ユースフ(Prince Ali Yusuf)は民主化を進めていたが、国王に対する革命(coup d'etat)が勃発する。

自身に迫る危機を事前に察したアリ・ユースフ国王は、彼の親友で、彼のお抱え飛行士でもあるボブ・ローリンスン(Bob Rawlinson)に対して、数十万ポンドの価値にもなる王家に伝わる宝石を密かに国外へ運び出すことを依頼した。アリ・ユースフ国王からの依頼を受けたボブ・ローリンスンは、咄嗟に姉のジョアン・サットクリフ(Joan Sutcliffe)と姪のジェニファー・サットクリフ(Jennifer Sutcliffe - 肺炎(pneumonia)が治った後の転地療養を兼ねている)が2ヶ月間滞在しているホテル(Ritz Savoy Hotel)の部屋を訪ねたが、生憎と、彼女達は留守だった。そこで、ボブ・ローリンスンは、姪のジェニファーが使っているテニス用のラケットの握り部分に宝石が入った包みを隠すと、ホテルの部屋を出た。ボブ・ローリンスンとしては、自分の行動を誰にも見られていないつもりでいたが、実際には、彼の行動は、何者かに見られていたのである。


2026年8月9日日曜日

アガサ・クリスティー作「スペイン櫃の謎」<英国 TV ドラマ版>(The Mystery of the Spanish Chest by Agatha Christie )- その1

第27話「スペイン櫃の謎」が収録された
エルキュール・ポワロシリーズの DVD コレクション No. 3 の表紙


アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)作「スペイン櫃の謎(The Mystery of the Spanish Chest)」(1960年)の TV ドラマ版が、英国の TV 会社 ITV 社による制作の下、「Agatha Christie’s Poirot」の第27話(第3シリーズ)として、1991年2月17日に放映されている。英国の俳優であるサー・デヴィッド・スーシェ(Sir David Suchet:1946年ー)が、名探偵エルキュール・ポワロを演じている。ちなみに、日本における最初の放映日は、1992年4月2日である。


アガサ・クリスティー作「スペイン櫃の謎」は、1932年に発表された短編「バグダッドの大櫃の謎(The Mystery of the Baghdad Chest)」を改稿した中編で、短編集「クリスマスプディングの冒険(The Adventure of the Christmas Pudding)」(1960年)に収録されている。


英国の HarperCollinsPublishers 社から以前に出版されていた
アガサ・クリスティー作短編集「クリスマスプディングの冒険」の
ペーパーバック版の表紙 -
中編「スペイン櫃の謎」が収録されている。


英国 TV ドラマ版における主な登場人物(エルキュール・ポワロを除く)と出演者は、以下の通り。


(1)アーサー・ヘイスティングス大尉(Captain Arthur Hastings):Hugh Fraser

(2)ジェイムズ・ジャップ主任警部(Chief Inspector James Japp):Philip Jackson


(3)マーガリート・クレイトン(Marguerite Clayton - 美貌の女性): Caroline Langrishe

(4)エドワード・クレイトン(Edward Clayton - マーガリートの夫):Malcolm Sinclair

(5)ジョン・リッチ少佐(Major John Rich - 陸軍少佐 / マーガリートの友人):Pip Torrens

(6)カーティス大佐(Colonel Curtiss - 陸軍大佐 / マーガリートの旧友):John McEnery

(7)レディー・キャロライン・チャタートン(Lady Caroline Chatterton - マーガリートの友人 / ポワロの知人):Antonia Pemberton

(8)バーゴイン(Burgoyne - ジョン・リッチ少佐の執事):Peter Copley


アガサ・クリスティーの原作に比べると、英国 TV ドラマ版における登場人物には、以下の違いが見受けられる。


(1)

<原作> ポワロがアーサー・ヘイスティングス大尉のことを言及する場面はあるものの、本人は登場しない。代わりに、ポワロの秘書フェリシティー・レモン(Miss Felicity Lemon)と執事ジョージ(George)が登場する。

<英国 TV ドラマ版> アーサー・ヘイスティングス大尉が登場して、ポワロの秘書フェリシティー・レモンと執事ジョージは登場しない。


(2)

<原作> ジェイムズ・ジャップ主任警部は登場しないで、ミラー警部(Inspector Miller)が登場する。

<英国 TV ドラマ版> ジェイムズ・ジャップ主任警部が登場して、ミラー警部は登場しない。


(3)

<原作> 名前は、「マーガリータ・クレイトン(Margharita Clayton - 年齢:夫よりも数歳若い40代後半)」となっている。

<英国 TV ドラマ版> 名前が「マーガリート・クレイトン(Marguerite Clayton)」へ変更されている。原作よりも年齢が若い女優が演じている。


(4)

<原作> 名前は、「アーノルド・クレイトン(Arnold Clayton - 年齢:55歳)」となっている。

<英国 TV ドラマ版> 名前が「エドワード・クレイトン(Edward Clayton)」へ変更されている。原作よりも年齢が若い俳優が演じている。


(5)

<原作> 名前は、「チャールズ・リッチ(Charles Rich - 年齢:48歳)」となっている。また、引退した軍人で、裕福な独身者と言う設定になっている。

<英国 TV ドラマ版> 名前が「ジョン・リッチ(John Rich)」へ変更されている。また、2ー3ヶ月前に、妻メアリー(Mary)を亡くした設定になっている。原作よりも年齢が若い俳優が演じている。


(6)

<原作> 名前は、「ジョック・マクラーレン(Jock McLaren - 年齢:46歳)」となっている。また、階級は「海軍中佐(Commander)」となっている。

<英国 TV ドラマ版> 名前が「カーティス(Curtiss)」へ変更されている。また、階級が「陸軍大佐(Colonel)」へ変更されている。原作よりも年齢がかなり上の俳優が演じている。


(7)

<原作> 名前は、「レディー・アビー・チャタートン(Lady Abbie Chatterton)」となっている。

<英国 TV ドラマ版> 名前が「レディー・キャロライン・チャタートン(Lady Caroline Chatterton)」へ変更されている。


(8)

<原作> 名前は、「ウィリアム・バージェス(William Burgess - 年齢:37-38歳)」となっている。

<英国 TV ドラマ版> 名前が「バーゴイン(Burgoyne)」へ変更されている。原作よりも年齢がかなり上の俳優が演じている。


アガサ・クリスティーの原作の場合、他にジェレミー・スペンス(Jeremy Spence - 年齢:37歳)とリンダ・スペンス(Linda Spence - 年齢:30代前半)と言う若い夫婦が登場するが、英国 TV ドラマ版の場合、2人とも割愛されている。 


        

2026年8月8日土曜日

ロンドン タスカーロード / モールステュディオズ(Mall Studios / Tasker Road)

英国の芸術家 / 彫刻家であるジョスリン・バーバラ・ヘップワースと
英国の抽象画家であるベンジャミン・ローダー・ニコルスンの2人が使用していた
モールステュディオズ」のうち、7番目のアトリエは、
画面奥の右手に建っている。
<筆者撮影>

ロンドンの中心部シティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)のストランド地区(Strand)にあり、テムズ河(River Thames)を見下ろす絶好のロケーションに建つサマセットハウス(Somerset House → 2016年7月17日)内に設けられているコートールドギャラリー(Courtauld Gallery)の3階(Floor 2)にある「Project Space」において、2026年6月日から同年10月4日まで、「Hepworth and Nicholson / The Hampstead Studio Photographs→ 2026年8月3日付ブログで紹介済)」と言う英国の芸術家 / 彫刻家であるジョスリン・バーバラ・ヘップワース(JocelynBarbara Hepworth:1903年ー1975年 → 2024年10月1日 / 10月31日 / 11月2日付ブログで紹介済)の特別展が行われているので、今回紹介したい。


コートールドギャラリーの
3階(Floor 2)のレイアウト図



Portrait of Barbara Hepworth by Paul Laib (1869 - 1958)
1933年 / Vintage gelation silver print


Portrait of Ben Nicholson by Paul Laib (1869 - 1958)
1933年 / Vintage gelation silver print










ジョスリン・バーバラ・ヘップワースは、1925年に英国の彫刻家であるジョン・ラッテンベリー・スキーピング(John Rattenbury Skeaping:1901年ー1980年)と結婚していたが、1931年に英国の抽象画家であるベンジャミン・ローダー・ニコルスン(Benjamin Lauder Nicholson:1894年ー1982年)と出会い、不倫関係となるが、ジョン・ラッテンベリー・スキーピングとの婚姻関係はそのまま維持。

その2年後の1933年に、彼女は、ジョン・ラッテンベリー・スキーピングに対して、離婚を申し出て、同年3月に離婚。

当時、ベンジャミン・ローダー・ニコルスンは、英国の画家であるローザ・ウィニフレッド・ニコルスン(Rosa Winifred Nicholson:1893年ー1981年)と婚姻関係にあったが、1938年に離婚が成立。

その結果、ジョスリン・バーバラ・ヘップワースは、1938年11月17日、ロンドンの北西部にあるハムステッド登記所(Hampstead Register Office)において、ベンジャミン・ローダー・ニコルスンと結婚した。




コートールドギャラリーにおいて開催されている特別展「Hepworth and Nicholson / The Hampstead Studio Photographs」は、
ジョスリン・バーバラ・ヘップワースとベンジャミン・ローダー・ニコルスンの2人がハムステッド地区(Hampstead → 2018年8月26日付ブログで紹介済)内に保有していた「モールステュディオズ(Mall Studios)」と呼ばれるアトリエにおいて撮影された写真である。


地下鉄ベルサイズパーク駅の周辺地図(Google Maps から抜粋)-
画面右上の赤い矢印部分に、モールステュディオズ」が所在している。



モールステュディオズ(Mall Studios)」へ行くには、ノーザンライン(Northern Line)が停車する地下鉄ハムステッド駅(Hampstead Tube Station)から東方面へ向かう。

地下鉄ハムステッド駅前から始まるハムステッドハイストリート(Hampstead High Street)が、ロスリンヒル通り(Rosslyn Hill)、そして、ヘイヴァーストックヒル通り(Haverstock Hill)へと名前を変えて、同じく、ノーザンラインが停車する地下鉄ベルサイズパーク駅(Belsize Park Tube Station)の前を通過。

ヘイヴァーストックヒル通りを更に東方面へと向かい、進行方向左手にパークヒルロード(Parkhill Road)が見えた時点で、パークヒルロードへと左折。

パークヒルロードを北進し、前方にパークヒルロードを横切るタスカーロード(Tasker Road)が見え得た時点で、タスカーロードへと右折。

モールステュディオズ」と呼ばれるアトリエは、タスカーロードの北側に延びる小道沿いに立っている。




モールステュディオズ」は、建築家トマス・バッターベリー(Thomas Batterberry)によって1872年に建設された歴史的な芸術家向けアトリエ群で、彫刻家や画家にとって理想的な天窓や高い天井を備えた構造となっている。
ジョスリン・バーバラ・ヘップワースとベンジャミン・ローダー・ニコルスンの2人は、「モールステュディオズ」のうち、7番目のアトリエを使用していた、とのこと。