2026年6月11日木曜日

ロンドン フィッツロイスクエア29番地(29 Fitzroy Square)- その2

兄トビーの急死(1906年)と姉ヴァネッサの結婚(1907年)に伴い、
ヴァージニア・ウルフが弟エイドリアンと一緒に引っ越した先の
フィッツロイスクエア29番地の建物全景(その2)
<筆者撮影>


英国の著名な批評家 / 歴史家である父サー・レスリー・スティーヴン(Leslie Stephen:1832年ー1904年)が1904年2月22日に72歳で死去したことに伴い、2度目の神経衰弱に陥ったヴァージニア・ウルフ(Virginia Woolf / 本名:アデリーン・ヴァージニア・スティーブン(Adeline Virginia Stephen):1882年ー1941年)は、姉のヴァネッサ(Vanessa Bell:1879年ー1961年 → 後に英国の画家 / インテリアデザイナーとなる)、長男のトビー(Thoby:1880年ー1906年)と次男のエイドリアン(Adrian:1883年ー1948年)と一緒に、それまで住んでいたハイドパークゲイト通り22番地(22 Hyde Park Gate → 2026年5月12日 / 5月17日付ブログで紹介済)の家を売却して、ゴードンスクエア46番地(46 Gordon Square → 2026年5月22日 / 5月27日付ブログで紹介済)に家を購入した。


ヴァージニア・ウルフが生まれた
ハイドパークゲイト通り22番地の建物全景
<筆者撮影>


ヴァージニア・ウルフが神経衰弱の療養からゴードンスクエア46番地の家へ戻り、落ち着いた翌年の1905年3月頃から、兄のトビーがケンブリッジ大学(University of Cambridge)において知り合った才気溢れる青年達が、ゴードンスクエア46番地の家に集まるようになった。彼らの集まりは、後に「ブルームズベリーグループ(Bloomsbury Group)」と言う著述家や芸術家の知的サークルへとなる。


英国の著名な批評家 / 歴史家である父サー・レスリー・スティーヴンが
1904年2月22日に亡くなった後、
ハイドパークゲイト通り22番地の家を売却して、
ヴァージニア・ウルフ達が引っ越したゴードンスクエア46番地の建物全景
<筆者撮影>


1906年の秋、兄のトビー達がギリシア / トルコ旅行へ出かけた際、トビーが腸チフス(typhoid fever)に罹患し、同年11月20日に、26歳の若さで急死してしまう。

また、トビーが亡くなった2日後、姉のヴァネッサがアーサー・クライヴ・へワード・ベル(Arthur Clive Heward Bell:1881年-1964年 → 後に英国の芸術批評家となる)からの求婚を受け、2人は1907年に結婚。


ナショナルポートレイトギャラリー
(National Portrait Gallery)で販売
されている
ヴァージニア・ウルフの肖像写真の絵葉書
(by George Charles Beresford / 1902年7月 /
platinum print / 152 mm x 108 mm)


上記の結果、2人となったヴァージニア・ウルフと弟のエイドリアンは、1907年8月、ゴードンスクエア46番地の家から、フィッツロヴィア(Fitzrovia)の端正なフィッツロイスクエア29番地(29 Fitzroy Square)の家へ引っ越した。

ヴァージニア・ウルフ達が引っ越したフィッツロイスクエア29番地には、アイルランド出身の文学者 / 脚本家 / 劇作家 / 評論家 / 政治家 / 教育家 / ジャーナリストであるジョージ・バーナード・ショー(George Bernard Shaw:1856年ー1950年)が、1887年から1898年までの間、住んでいた。



姉のヴァネッサが結婚したアーサー・クライヴ・へワード・ベルの父親は、ウェールズ(Wales)の鉱山業で巨万の富を築いており、姉のヴァネッサは、アーサー・クライヴ・へワード・ベルとの結婚により、裕福な一族への仲間入りを果たしていた。

ヴァージニア・ウルフとしては、姉のヴァネッサが結婚により富を得たこと自体、公正ではないと憤っており、彼女と弟のエイドリアンは、フィッツロイスクエア29番地の家で、倹しく生活を送った。


フィッツロイスクエア29番地の建物入口
<筆者撮影>


また、ヴァージニア・ウルフは、フィッツロイスクエア29番地の家で、彼女の処女作(小説)となる「船出(The Voyage Out)」の執筆に取り掛かっている。

「船出」が実際に出版されるのは、1915年である。


ヴァージニア・ウルフが、1907年から1911年までの間、
フィッツロイスクエア29番地に住んでいたことを示すプラーク
<筆者撮影>


フィッツロイスクエア29番地の建物入口の右側の外壁に、「ヴァージニア・ウルフ(旧姓:ヴァージニア・スティーブン)が、1907年から1911年までの間、ここに住んでいた」ことを示す Greater London Council のプラークが掛けられている。


ジョージ・バーナード・ショーが、1887年から1898年までの間、
フィッツロイスクエア29番地に住んでいたことを示すプラーク
<筆者撮影>


更に、そのプラークの上に、「ジョージ・バーナード・ショーが、1887年から1898年までの間、住んでいた」ことを示すプラークも掛けられている。 


                                    

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