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| ナショナルポートレイトギャラリー(National Portrait Gallery)に所蔵 / 展示されている ジョージ・ロムニー作のエマ・ハートの肖像画(1785年頃) <筆者撮影> |
そのジョージ・ロムニーに多大な芸術的霊感を与えてくれる女神(muse)とも言える存在となったエマ・ハート(Emma Hart:1765年ー1815年)は、英国の絵画モデル / 舞踏家 / 女優である。
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| ナショナルポートレイトギャラリーに所蔵 / 展示されている ジョージ・ロムニー作の自画像(Self-portrait)(1784年) <筆者撮影> |
1765年4月26日、鍛治職人(blacksmith)の父ヘンリー・ライオン(Henry Lyon)と母メアリー・キッド(Mary Kidd)の下、チェシャー州(Cheshire)のネス(Ness)に出生したエイミー・ライオン(Amy Lyon)は、エマ・ハート(Emma Hart)へと名前を変え、1779年、もしくは、1780年初めに、ロンドンへ向かう。
1781年6月 / 7月頃、エマ・ハートは、初代ウォーリック伯爵フランシス・グレヴィル(Francis Greville, 1st Earl of Warwick:1719年ー1773年)の次男であるチャールズ・フランシス・グレヴィル(Charles Francis Greville:1749年ー1809年)と親しくなり、彼の愛人となる。
1786年、エマ・ハートは、ナポリ(Naples)へと向かい、チャールズ・フランシス・グレヴィルの叔父で、英国の外交官で、ナポリ公使として駐在していたサー・ウィリアム・ダグラス・ハミルトン(Sir William Douglas Hamilton:1730年ー1803年)の愛人となる。当時、チャールズ・フランシス・グレヴィルは、裕福な妻を見つけて、正式な結婚をしようと考えており、彼女を叔父のサー・ウィリアム・ダグラス・ハミルトンの愛人とさせて、叔父の再婚を阻止するとともに、自分も彼女を厄介払いしようとしたのである。
エマ・ハートにすっかり魅了されたサー・ウィリアム・ダグラス・ハミルトンは、彼女と正式に結婚することを決める。英国に一時帰国した彼女(26歳)は、サー・ウィリアム・ダグラス・ハミルトンとの結婚(1791年9月6日)後、ナポリへと戻る。
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| ナショナルポートレイトギャラリーに所蔵 / 展示されている Sir William Beechey 作のホレーシ・ネルソンの肖像画(1800年) <筆者撮影> |
サー・ウィリアム・ダグラス・ハミルトンの正式な妻、即ち、ナポリ公使夫人となったレディー・エマ・ハミルトンの前に、1793年9月10日、後に英国海軍提督となる初代ネルソン子爵ホレーショ・ネルソン(Horatio Nelson, 1st Viscount Nelson:1758年ー1805年)が現れた。
トゥーロン攻囲戦(Siege of Toulon:1793年9月18日ー同年12月18日)でフランス共和国軍を攻撃するため、特使として援軍を求めて、ナポリへやって来たのである。
エマ・ハミルトンは、ナポリ公使夫人として、ホレーショ・ネルソンを歓迎。ホレーショ・ネルソンは、5日後の1793年9月15日にナポリを離れるが、この時点で、彼は彼女に対して恋愛感情を既に抱いていたようである。
5年後の1798年9月22日、ホレーショ・ネルソンがナポリを再訪した際、事態は大きく動き出す。
1798年8月1日から同年8月2日早朝にかけて行われたナイルの海戦(Battle of the Nile → アブキール湾の海戦(Battle of Aboukir Bay)とも呼ばれる)において。フランス艦隊を壊滅させる武功を挙げた英国艦隊を率いたホレーショ・ネルソンが、再度ナポリへとやって来たのである。
その時点で、ホレーショ・ネルソンは、片腕と歯のほとんどを失っており、5年前に比べると、容貌が大きく様変わりしていた。また、彼は、ひとしきり続く咳にも悩まされていた。ホレーショ・ネルソンと再会したエマ・ハミルトンは、彼の異様な容貌を見て、失神してしまう。
エマ・ハミルトンは、ホレーショ・ネルソンをナポリ公使邸へ連れて行き、彼の看病を付き切りで行った。また、ホレーショ・ネルソンの誕生日である9月29日には、1800名のゲストを招待して、パーティーを開催、彼の40歳を祝った。
その後、エマ・ハミルトンは、ホレーショ・ネルソンの秘書兼通訳を務め、程なくして、2人は恋愛関係になった。前述の通り、エマ・ハミルトンは、1791年にサー・ウィリアム・ダグラス・ハミルトンと結婚して、ナポリ公使夫人と言う立場にあり、また、ホレーショ・ネルソンも、1787年にフランシス・ハーバート・ウールワード(Frances Herbert Woolward:1758年ー1831年)に結婚していたため、2人とも不倫だった訳である。
2人の不倫関係は、何故か、周囲から寛大に見られており、エマ・ハミルトンの夫であるサー・ウィリアム・ダグラス・ハミルトンも、そうであった。サー・ウィリアム・ダグラス・ハミルトンとしては、ホレーショ・ネルソンを英国にとって必要不可欠な人物であると見做して、エマ・ハミルトンとホレーショ・ネルソンの不倫関係を黙認する一方、ホレーショ・ネルソンとの友情関係も維持していた、とのこと。
ただ、エマ・ハミルトンとホレーショ・ネルソンの不倫関係は、ナポリから本国である英国へと伝わり、新聞報道を経て、公となってしまった。



