2026年8月5日水曜日

ロンドン パラダイスロード34番地 / ホガースハウス(Hogarth House, 34 Paradise Road)- その2

パラダイスロード沿いの歩道から
パラダイスロード34番地「ホガースハウス」を見たところ
<筆者撮影>


1912年8月10日に結婚した英国の小説家 / 評論家であるヴァージニア・ウルフ(Virginia Woolf / 本名:アデリーン・ヴァージニア・スティーブン(Adeline Virginia Stephen):1882年ー1941年 / 英国の小説家 / 評論家)レナード・シドニー・ウルフ(Leonard Sidney Woolf:1880年ー1969年 / 英国の作家 / 出版業者 / 公務員の2人は、シティー・オブ・ロンドン(City of London → 2018年8月4日 / 8月11日付ブログで紹介済)の西端に所在しているクリフォーズイン(Clifford’s Inn → 2026年7月9日 / 7月10日付ブログで紹介済)と言うフラットへ移り住んだ。


1912年8月10日に結婚した
ヴァージニア・ウルフとレナード・シドニー・ウルフの2人が
移り住んだフラット「クリフォーズイン」の玄関を北側から見たところ
<筆者撮影>


ヴァージニア・ウルフは、1912年12月から1913年3月にかけて行った彼女の最初の長編小説となる「船出(The Voyage Out)」の大幅な改稿作業の結果、肉体的にも、精神的にも、極度の消耗状態になった。その後、彼女は何度も神経衰弱に陥り、1913年9月9日には、睡眠薬のヴェロナール(veronal)の過剰摂取により、自殺を試みたが、なんとか一命をとりとめた。


ナショナルポートレイトギャラリー
(National Portrait Gallery)で販売
されている
ヴァージニア・ウルフの肖像写真の絵葉書
(by George Charles Beresford / 1902年7月 /
platinum print / 152 mm x 108 mm)


重度の精神疾患に苦しむヴァージニア・ウルフのことを心配したレナード・シドニー・ウルフは、1914年の秋、彼女を連れて、ロンドン市内を離れ、緑豊かなリッチモンド(Richmond → 2018年3月17日 / 3月24日付ブログで紹介済)にあるリッチモンドグリーン(Richmond Green → 2026年7月24日付ブログで紹介済)へと引っ越した。


リッチモンドグリーンの緑地帯を
南西側から北東方面へと進むところ
<筆者撮影>


テムズ河(River Thames)の上流にあるリッチモンドは、ロンドンの特別区の一つで、ロンドン南西部郊外のリッチモンド・アポン・テムズ区(London Borough of Richmond upon Thames)内にあり、テムズ河の中流域に位置して、テムズ河の東岸に広がる高級住宅地である。


リッチモンドの周辺地図 -
Google Maps から抜粋。
画面中央から左側にある大きな緑地帯が「リッチモンドグリーン」で、
画面右下の赤い矢印部分に、パラダイスロード34番地のホガースハウスが所在している。


ヴァージニア・ウルフとレナード・シドニー・ウルフの2人がリッチモンドグリーンへ引っ越した1914年の秋頃、彼女の精神状態は落ち着いていたが、引越後の1915年2月には、精神疾患が再発、彼女の容体は悪くなってしまう。


パラダイスロード沿いの歩道から
パラダイスロード34番地「ホガースハウス」の入口を見たところ
<筆者撮影>


そこで、1915年3月、彼らは、リッチモンドグリーン近くのパラダイスロード34番地(34 Paradise Road)の家へ再度引っ越して、その家を「ホガースハウス(Hogarth House)」と名付けた。

リッチモンドグリーンからパラダイスロード34番地の「ホガースハウス」へ引っ越したものの、ヴァージニア・ウルフの精神疾患は、1917年まで続いた。

レナード・シドニー・ウルフは、彼女が興味を持てそうな趣味や活動をなんとか見つけて、執筆による精神的ストレスから彼女を解放しようと努めた。幸いにして、2人が興味を持っていた印刷技術に注目したレナード・シドニー・ウルフは、1917年3月、「ホガースプレス(Hogarth Press)」と言う出版社を、「ホガースハウス」の居間に設立したのである。


パラダイスロード34番地「ホガースハウス」の外壁には、
Greater London Council のプラークが掛けられている。
<筆者撮影>


レナード・シドニー・ウルフは、小さな手動印刷機、古い活字、道具や材料等を購入。
レナード・シドニー・ウルフとヴァージニア・ウルフの2人は、活字を一字一字拾い、自分達で印刷と製本を行った。

2人が「ホガースプレス」として出版した最初の本は、「Two Stories」で、1917年7月のことであった。「Two Stories」は、レナード・シドニー・ウルフの随筆とヴァージニア・ウルフの短編「壁の染み(The Mark on the Wall)」が収録された32ページの小冊子だった。


パラダイスロード34番地「ホガースハウス」の外壁に掛けられている
Greater London Council のプラークには、
レナード・ウルフとヴァージニア・ウルフの2人が、1915年から1924年までの間、
パラダイスロード34番地の建物に住んでおり、
また、1917年にここで出版社「ホガースプレス」を設立したことが記されている。
<筆者撮影>


「ホガースプレス」は、当初、レナード・シドニー・ウルフとヴァージニア・ウルフによる手作業だったので、150部止まりの出版が多かった。

そのため、アイルランド出身の小説家 / 詩人であるジェイムズ・オーガスティン・アロイジアス・ジョイス(James Augustine Aloysius Joyce:1882年ー1941年)が長編小説「ユリシーズ(Ulysses)」を持ち込んだ際には、大作のため、印刷を断らざるを得なかった。


トマス・スターンズ・エリオットが住んでいたフラットが、
ケンジントン&チェルシー王立区(Royal Borough of Kensington and Chelsea)内の
ケンジントンコートプレイス通り(Kensington Court Place)沿いに建っている。
このフラットは、現在、
「ケンジントンコートガーデンズ(Kensington Court Gardens)」と呼ばれている。
<筆者撮影>


トマス・スターンズ・エリオットは、1965年にこのフラットで死去した。
<筆者撮影>

その後、「ホガースプレス」に追加の設備が導入され、事業が拡大した結果、一部の印刷作業は、外部の会社に委託されるようになった。

「ホガースプレス」は、当初、レナード・シドニー・ウルフとヴァージニア・ウルフの2人が属する著述家や芸術家の知的サークルである「ブルームズベリーグループ(Bloomsbury Group)」による著作の出版が中心であったが、米国出身の英国の詩人 / 文芸批評家であるトマス・スターンズ・エリオット(Thomas Stearns Eliot:1888年ー1965年 → 2017年6月25日付ブログで紹介済)作「荒地(The Waste Land)」(1923年)やオーストリアの心理学者 / 精神科医であるジークムント・フロイト(Sigmund Freud:1856年ー1939年)の著作等も発行している。


ハムステッド地区(Hampstead → 2018年8月26日付ブログで紹介済)内に所在する
タヴィストック クリニック(Tavistock Clinic)前に設置されている
ジークムント・フロイト像
<筆者撮影>


1938年にヴァージニア・ウルフが「ホガースプレス」による出版事業から離れた後、夫のレナード・シドニー・ウルフは、英国の出版業者 / 詩人であるルドルフ・ジョン・フレデリック・レーマン(Rudolf John Frederick Lehmann:1907年ー1987年)と共同で「ホガースプレス」を経営。

レナード・シドニー・ウルフの出版業への熱意は生涯にわたるもので、第二次世界大戦(1939年ー1945年)後、そして、ヴァージニア・ウルフの死(1941年)後も続いたが、最終的には、1946年に現在のペンギンランダムハウス(Penguin Random House)に統合された。

「ホガースプレス」は、1917年の設立以降、1946年のペンギンランダムハウスへの統合までの間に、527冊のタイトルに及ぶ本を出版したのである。 


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