2026年8月2日日曜日

ロンドン リッチモンド宮殿(Richmond Palace)- その5

リッチモンド宮殿の跡地(東側)と Old Deer Park(西側)の間を
南北に延びるオールドパレスレーン沿いに建つ住居(その3)
<筆者撮影>

英国のファンタジー / SF / 推理作家であるフィリップ・パーサー=ハラード(Philip Purser-Hallard:1971年ー)が、Titan Publishing Group Ltd. から、「シャーロック・ホームズの更なる冒険(The further adventures of Sherlock Holmes)」シリーズとは別シリーズの「シャーロック・ホームズ(Sherlock Holmes)」シリーズの一つとして、2019年に発表した「人間消失(The Vanishing Man → 2026年6月7日 / 6月15日 / 6月21日 / 7月3日付ブログで紹介済)」の場合、1896年9月14日(月)から9月15日(火)にかけて、トマス・ケルウェイ(Thomas Kellway)と名乗る人物が「テレキネシス(Telekinesis)」を使って、物体を移動する実験を、リッチモンド(Richmond → 2018年3月17日 / 3月24日付ブログで紹介済)にあるサー・ニューナム・スペイト(Sir Newham Speight - The Society for the Scientific Investigation of Psychical Phenomena の会長(Chairman))の自宅 Parapluvium House 内に設けれらた実験室で実施した際、衆人環視の中、トマス・ケルウェイが隔離された室内から姿を消してしまうと言う非常に不可思議な事件が発生したため、サー・ニューナム・スペイトは、シャーロック・ホームズに対して、助けを求める。


英国の Titan Publishing Group Ltd. の Titan Books 部門から
2019年に出版された
フィリップ・パーサー=ハラード作
「シャーロック・ホームズ:人間消失」の表紙
(Images : Shutterstock)


サー・ニューナム・スペイトの自宅である Parapluvium House が所在したリッチモンドは、ロンドンの特別区の一つで、ロンドン南西部郊外のリッチモンド・アポン・テムズ区(London Borough of Richmond upon Thames)内にあり、テムズ河の中流域に位置して、テムズ河の東岸に広がる高級住宅地である。


リッチモンドに嘗てあったリッチモンド宮殿(Richmond Palace)は、薔薇戦争(Wars of the Roses → 2024年6月18日 / 6月24日 / 6月28日 / 7月2日付ブログで紹介済)の第三次内乱(1485年)に該り、1485年8月22日に行われたボズワースの戦い(Battle of Bosworth)において、ヨーク朝(House of York)の第3代イングランド王であるリチャード3世(Richard III:1452年-1485年 在位期間 1483年ー1485年 → 2023年10月9日 / 2024年6月14日付ブログで紹介済)を破り、テューダー朝(House of Tudor)の初代イングランド王として即位したヘンリー7世(Henry VII:1457年ー1509年 在位期間:1485年ー1509年 → 2024年7月5日付ブログで紹介済)が、同地にあった宮殿(大半が木造建築)が1497年12月23日の火災により焼失したため、翌年の1498年から1501年にかけて建設。

ヘンリー7世は、王位継承前、リッチモンド伯(Earl of Richmond)として知られていたので、それに因んで、新宮殿を「リッチモンド宮殿」と名付けられた。


リッチモンド宮殿は、


(1)テューダー朝の初代イングランド王であるヘンリー7世


ナショナルポートレイトギャラリー(National Portrait Gallery)で販売されている
ヘンリー7世の肖像画の葉書
(Unknown Netherlandish artist / 1505年 / Oil on panel
425 mm x 305 mm) 


(2)テューダー朝の第2代イングランド王であるヘンリー8世(Henry VIII:1491年ー1547年 在位期間:1509年ー1547年 → 2024年7月26日付ブログで紹介済)


セントバーソロミュー病院(St. Bartholomew's Hospital
→ 2014年6月14日付ブログで紹介済)の
北翼(North Wing → 2025年12月15日 / 12月19日 /
12月21日 / 12月22日付ブログで紹介済)
大広間の最奥の壁に掲げられている
ヘンリー8世の肖像画
<筆者撮影>


(3)テューダー朝の第4代イングランド王メアリー1世(Mary I:1516年ー1558年 在位期間:1553年-1558年)


ナショナルポートレイトギャラリーで販売されている
メアリー1世の肖像画の葉書
(Master John / 1544年 / Oil on panel
711 mm x 508 mm) 


(4)テューダー朝の第5代かつ最後のイングランド王エリザベス1世(Elizabeth I:1533年ー1603年 在位期間:1558年-1603年 → 2023年6月24日 / 7月2日付ブログで紹介済)


ナショナルポートレイトギャラリーで販売されている
エリザベス1世の肖像画の葉書
(Unknown English artist / 1600年頃 / Oil on panel
1273 mm x 997 mm) -
エリザベス1世は、王族しか着れない
イタチ科オコジョの毛皮をその身に纏っている。
オコジョの白い冬毛は、「純血」を意味しており、
実際、エリザベス1世は、英国の安定のために、
生涯、誰とも結婚しなかったので、「処女女王」と呼ばれた。
エリザベス1世の」赤毛」と「白塗りの化粧」は、
当時流行したものである。


(5)ステュアート朝(House of Stuart)の初代国王であるジェイムズ1世(James I:1566年ー1625年 在位期間:1603年-1625年)が即位。


ナショナルポートレイトギャラリーで所蔵 / 展示されている
ジェイムズ1世の肖像画
(By Daniel Mytens
 / Oil on canvas / 1621年)
<筆者撮影>


(6)ステュアート朝の第2代国王であるチャールズ1世(Charles Ⅰ:1600年ー1649年 在位期間:1625年ー1649年 → 2017年4月29日付ブログで紹介済)


ナショナルポートレイトギャラリーで販売されている
チャールズ1世の肖像画の葉書
(Daniel Mytens
 / 1631年 / Oil on canvas
2159 mm x 1346 mm) 


と、テューダー朝の第3代イングランド王エドワード6世(Edward VI:1537年ー1553年 在位期間:1547年ー1553年)とヘンリー8世の妹メアリー・テューダー(Mary Tudor:1496年ー1533年)の孫に該るジェーン・グレイ(Jane Grey:1537年ー1554年 在位期間:1553年7月10日ー同年7月19日)を除き、連続はしないものの、6代にわたって、英国王室の住まい、もしくは、宮廷であり続けた。


リッチモンド宮殿の跡地(東側)と Old Deer Park(西側)の間を
南北に延びるオールドパレスレーン沿いに建つ住居の外壁には、
「嘗て此処にはリッチモンド宮殿が建っていて、
ヘンリー7世とエリザベス1世は、当該宮殿において亡くなっている」ことを示す
銘板が掛けられている。

<筆者撮影>


チャールズ1世は、ステュアート朝の初代国王ジェイムズ1世の次男として出生したが、兄であるヘンリー王子(Prince Henry - 正式名:ヘンリー・フレデリック / ウェールズ公(Henry Frederick, Prince of Wales:1594年ー1612年))が腸チフスに倒れて18歳の若さで死亡したため、1616年に王太子(Prince of Wales)に叙位された。

1625年に父ジェイムズ1世の死去に伴い、王位を継承して、チャールズ1世となる。彼は、父王と同様に「王権神授説」を信奉して、議会と対立。1628年に議会は「権利の請願(Petition of Right)」を提出し、課税には議会の承認を得ることを求めたが、チャールズ1世は1629年に議会を解散して、議会の指導者を投獄する等、専制政治を実行した。


ナショナルギャラリー(National Gallery)で所蔵 / 展示されている
アンソニー・ヴァン・ダイク
Anthony van Dyck / バロック期のフランドルの画家:1599年ー1641年
→ 2025年9月27日 / 10月4日 / 10月8日 / 10月13日付ブログで紹介済)

「チャールズ1世騎馬像(Equestrian Portrait of Charles I)」
(1638年ー1639年頃 / Oil on canvas / 367 cm x 292.1 cm)
<筆者撮影>


ナショナルポートレイトギャラリーで販売されている
アンソニー・ヴァン・ダイクの肖像画の葉書
(Sir 
Anthony van Dyck / 1640年頃 / Oil on panel
560 mm x 460 mm) 


チャールズ1世は、1626年頃、王妃ヘンリエッタ・マリア・オブ・フランス(Henrietta Maria of France:1609年-1669年)に対して、リッチモンド宮殿と荘園を与えたため、リッチモンド宮殿が、英国王室子息の住まいとなる。


チャリングクロス交差点(Charing Crossー2016年5月25日付ブログで紹介済)内に建つ
チャールズ1世の騎馬像 -
片足を上げている騎馬像の場合、
「不慮の死」を表わすと言われており、
実際、チャールズ1世は公開処刑されている。
なお、チャールズ1世の騎馬像の後ろにあるのは、
トラファルガー(Battle of Trafalgar)の海戦において、フランス/スペイン連合艦隊を打ち破った
英国海軍提督の初代ネルソン子爵ホレーショ・ネルソン
(Horatio Nelson, 1st Viscount Nelson)の記念柱(Nelson Column)
<筆者撮影>


更に、彼は国教統一にも乗り出し、ピューリタン(Puritan)を弾圧したため、各地での反乱を引き起こす引き金となった。

1642年、チャールズ1世が反国王派の議員を逮捕しようとしたことに伴い、議会派と王党派の内戦が勃発。これが、清教徒革命(Puritan Revolution:1642年ー1649年)である。


ナショナルポートレイトギャラリーで販売されている
オリヴァー・クロムウェルの肖像画の葉書
(Robert Walker / 1649年頃 / Oil on canvas
1257 mm x 1016 mm) 


当初、内戦は王党派が優勢であったが、鉄騎隊を率いるオリヴァー・クロムウェル(Oliver Cromwell:1599年ー1658年)が議会派を勝利に導いた。1646年、チャールズ1世は議会派に降伏して、囚われの身となる。一旦脱出するものの、1648年、再度幸降伏する。



フランドルの画家パーテル・パウル・ルーベンスが描いた
バンケティングハウス内の天井画
<筆者撮影>


1649年1月27日、チャールズ1世の処刑が宣告され、同年1月30日、フランドルの画家パーテル・パウル・ルーベンス(Peter Paul Rubens:1577年ー1640年)に内装や天井画を依頼したホワイトホール宮殿(Whitehall Palace)のバンケティングハウス(Banqueting House)前で公開処刑(斬首)された。


バンケティングハウスの入口上に設置されている
チャールズ1世の胸像
<筆者撮影>


チャールズ1世の処刑後、英国議会の命令に基づき、リッチモンド宮殿の不動産鑑定が行われ、13,000ポンドで売却される。

その後、リッチモンド宮殿の大部分が、1649年から1659年にかけて、オリヴァー・クロムウェルにより取り壊され、石材や木材等は建築資材として再利用された。


チジックハウス(Chiswick House → 2016年7月23日付ブログで紹介済)で
所蔵 / 展示されているアンソニー・ヴァン・ダイク作
「英国王チャールズ1世と家族の肖像画」(1632年)-
正式な名前は、「チャールズ1世、ヘンリエッタ・マリアと
二人の子供(チャールズ王子とメアリー王女)」
(Charles I and Henrietta Maria with their two eldest children,
Prince Charles and Princess Mary)。
<筆者撮影>


1660年の王政復古(Restoration)を経て、チャールズ2世(Charles II:1630年ー1685年 在位期間:1660年ー1685年)がステュアート朝の第3代国王として即位した際、リッチモンド宮殿と荘園は、彼の母で、チャールズ1世の未亡人であるヘンリエッタ・マリア・オブ・フランスの手へ戻されたが、清教徒革命中および護国卿(Lord Protector)オリヴァー・クロムウェルによる独裁体制中、彼女はフランスで亡命生活を送っていた。

ヘンリエッタ・マリア・オブ・フランスは、1662年に英国へ帰国したが、リッチモンド宮殿のほとんどが解体された後だったことに加えて、1665年に酷い気管支炎を患い、湿気が多いイングランドの気候が原因と考えた彼女は、同年にフランスへ戻ってしまったこと等もあり、その後、宮殿が再建されることはなかった。


リッチモンド宮殿のうち、現在も残っているのは、


*「ゲイトハウス(Gate House)」と呼ばれる楼門


緑地帯「リッチモンドグリーン(Richmond Green
→ 2026年7月24日付ブログで紹介済)」に面して、
リッチモンド宮殿の楼門「ゲイトハウス」が
現在も残っている。
<筆者撮影>


*「トランピーターズハウス(Trumpeters’ House)」と呼ばれる邸宅


リッチモンド宮殿の一部として残る
「トランピーターズハウス」
<筆者撮影>


*「ワードローブ(Wardrobe)」と呼ばれる衣類が保管されていた家屋


等に限られ、これらは Grade I listed の指定を受けている。


リッチモンドの周辺地図(Google Maps から抜粋)


これらの周辺には、オールドパレスヤード(Old Palace Yard)やオールドパレスレーン(Old Palace Lane)と言う名称の通りが残り、以前、ここに宮殿が建っていた場所であることを今に伝えている。


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