2026年10月8日木曜日

アガサ・クリスティー作「書斎の死体」<小説版(愛蔵版)>(The Body in the Library by Agatha Christie )- その1

2026年に英国の HarperCollinsPublishers 社から出版された
アガサ・クリスティー作「書斎の死体」の
愛蔵版(ハードカバー版)の表紙
(Cover design and 
illustration
by Megan Smith / 
HarperCollinsPublishers Ltd. +
Cover illustsrations: Shutterstock.com) -
ロンドン郊外のセントメアリーミード村にある
ゴシントンホールに住むドリー・バントリーの
ベッド脇に置かれた灯りと本が手前に、
そして、なぞの女性が死体となって発見された
書斎の本棚が奥に描かれている。
なお、「The Clue of the Broken Match」は、
ドリー・バントリーが読んでいる
推理小説のタイトルである。


英国の HarperCollinsPublishers 社から、アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)作「牧師館の殺人(The Murder at the Vicarage → 2022年10月30日 / 10月31日付ブログで紹介済)」(1930年)の愛蔵版(ハードバック版 → 2026年9月28日 / 10月3日付ブログで紹介済)が、今年(2026年)出版された。

本作品は、アガサ・クリスティーが執筆した長編としては、第10作目に該り、ミス・ジェーン・マープル(Miss Jane Marple)シリーズに属する長編のうち、第1作目に該っている。


2026年に英国の HarperCollinsPublishers 社から出版された
アガサ・クリスティー作「牧師館の殺人」の
愛蔵版(ハードカバー版)の表紙
(Cover design and 
illustration
by Poppy Loughtman / 
HarperCollinsPublishers Ltd. ) -
ロンドン郊外のセントメアリーミード村にある教会が、
表紙に描かれている。
なお、レナード・クレメント牧師(Reverend Leonard Clement
→ 2024年8月18日付ブログで紹介済)が、司祭を務めている。


なお、エルキュール・ポワロ(Hercule Poirot)は、アガサ・クリスティーが執筆した長編第1作目の「スタイルズ荘の怪事件(The Mysterious Affair at Styles → 2023年12月3日 / 12月6日付ブログで紹介済)」(1920年)に、また、トマス・ベレズフォード(Thomas Beresford - 愛称:トミー(Tommy))とプルーデンス・カウリー(Prudence Cowley - 愛称:タペンス(Tuppence)のコンビは、アガサ・クリスティーが執筆した長編第2作目の「秘密機関(The Secret Adversary → 2025年7月20日 / 10月1日付ブログで紹介済)」(1922年)に既に登場済で、数年が経過しているので、ミス・マープルの初登場は、やや遅めと言える。


今年、HarperCollinsPublishers 社から、「牧師館の殺人」に続いて、「書斎の死体(The Body in the Library)」(1942年)の愛蔵版(ハードバック版)が出たので、今回、紹介したい。


ジグソーパズル「ミス・マープルの世界」の完成形
<筆者撮影>


「書斎の死体」は、アガサ・クリスティーが執筆した長編としては、第31作目に該り、ミス・ジェーン・マープル(Miss Jane Marple)シリーズに属する長編のうち、第2作目に該っている。


ドリー・バントリーは、
ジズソーパズルの左下の位置に居て、
夫のアーサー・バントリー大佐と立ち話をしている。
<筆者撮影>


「奥様、奥様!書斎に死体があります!」

メイドのメアリー(Mary)が発するヒステリックな第一声で、ドリー・バントリー(Mrs. Dolly Bantry → 2024年8月14日付ブログで紹介済)は目を覚ますと、退役軍人である夫のアーサー・バントリー大佐(Colonel Arthur Bantry → 2024年8月14日付ブログで紹介済)を起こす。こうして、邸宅ゴシントンホール(Gossington Hall)における平和で穏やかな秋の朝は、メイドの叫び声で打ち破られるのであった。


アーサー・バントリー大佐は、
ジズソーパズルの左下の位置に居て、
妻のドリー・バントリーと立ち話をしている。
<筆者撮影>


バントリー大佐が書斎に赴くと、暖炉の前の敷物の上に、銀色のスパンコールを散りばめたイヴニングドレス姿の、背の高いプラチナブロンドの若い女性の絞殺死体が横たわっていた。ところが、大佐には、殺されている女性の身元に全く心当たりがなかった。


2026年に英国の HarperCollinsPublishers 社から出版された
アガサ・クリスティー作「書斎の死体」の
愛蔵版(ハードカバー版)の見開き部分


バントリー大佐は、直ぐに警察に連絡を行い、バントリー大佐の友人で、ラドフォードシャー州(Radfordshire)警察の本部長(Chief Constable)であるメルチェット大佐(Colonel Melchett)が、部下のスラック警部(Inspector Slack → 2024年8月20日付ブログで紹介済)を伴い、ゴシントンホールへと駆け付ける。


ジズソーパズルのやや右上の位置で、
右手を右頬に当てて、
ヘイドック医師(Dr. Haydock → 2024年8月18日付ブログで紹介済)と
話をしている背広姿の男性が、スラック警部である。
<筆者撮影>


一方、妻のバントリー夫人は、人間の本質を鋭く見抜く眼力を持つ旧友のミス・マープルに、助けを求める。


ミス・ジェーン・マープルは、
ジズソーパズル中央のやや右側の位置に居て、
テラス用の椅子に座り、得意の編み物をしている。
<筆者撮影>


何故、閑静な屋敷に、それも、書斎に、若い女性の死体が突然現れたのか?彼女の身元は?何故、彼女は絞殺されることになったのか?そして、彼女は、どこからここまでやって来たのか?

様々な噂や憶測が、ゴシントンホールが所在するセントメアリーミード村(St. Mary Mead)の中を駆け巡るのであった。


2026年10月7日水曜日

初代テニスン男爵アルフレッド・テニスン(Alfred Tennyson, 1st Baron Tennyson)- その3

シティー・オブ・ロンドン(City of London
→ 2018年8月4日 / 8月11日付ブログで紹介済)内の
ギルドホールアートギャラリー(Guildhall Art Gallery
→ 2025年5月13日 / 5月18日 / 5月23日 / 5月28日付ブログで紹介済)に
所蔵 / 展示されている
初代テニスン男爵アルフレッド・テニスンの胸像(その1)
<筆者撮影>


アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)が1962年に発表したミス・マープルシリーズ作品の長編第8作目「鏡は横にひび割れて(Mirror Crack’d from Side to Side)」の題名は、初代テニスン男爵アルフレッド・テニスン(Alfred Tennyson, 1st Baron Tennyson:1809年ー1892年)による詩「シャロット姫(The Lady of Shalott)」(1833年)をベースにしている。


英国の Harper Collins Publishers 社から出版されている
アガサ・クリスティー作ミス・マープルシリーズ
「鏡は横にひび割れて」のペーパーバック版の表紙
<イラスト:ビル・ブラッグ氏(Mr. Bill Bragg)>


Out flew the web and floated wide -

The mirror crack’d from side to side;

“The curse is come upon me,” cried

The Lady of Shalott.


横にひび割れた鏡 -
ジグソーパズル「アガサ・クリスティーの世界(The World of Agatha Christie)」の一部
<筆者撮影>


織物はとびちり、ひろがれり

鏡は横にひび割れぬ

「ああ、呪いがわが身に」と、

シャロット姫は叫べり。

(橋本福夫訳)


テイト・ブリテン美術館(Tate Britain → 2018年2月18日付ブログで紹介済)で購入した
英国の画家であるジョン・ウィリアム・ウォーターハウス
(John William Waterhouse:1849年ー1917年)
作
「シャロット姫(The Lady of Shalott → 2024年9月28日付ブログで紹介済)」
(1888年)の絵葉書
Oil paint on canvas
153 cm x 200 cm
Presented by Sir Henry Tate in 1894


1809年8月6日、英国国教会の牧師である父ジョージ・クレイトン・テニスン(George Clayton Tennyson)と母エリザベス(Elizabeth - 旧姓:Fytche)の三男として、リンカンシャー州(Lincolnshire)サマズビー(Somersby)に出生したアルフレッド・テニスンは、かなり裕福な家で育ち、ケンブリッジ(Cambridge)のトリニティーカレッジ(Trinity College)に入学した1827年に、兄であるフレデリック・テニスン(長男 / Frederick Tennyson:1807年ー1898年)やチャールズ・テニスン・ターナー(次男 / Charles Tennyson Turner:1808年ー1879年)と一緒に、最初の詩集「Poems by Two Brothers」を出版。

続いて、彼は、1830年、単独の詩集となる「Poems Chiefly Lyrica」を出版した。


アルフレッド・テニスンは、1833年に詩「シャロット姫」を発表するも、酷評の憂き目に遭い、以降、約10年間沈黙してしまう。


アルフレッド・テニスンは、1842年に詩集「Poems by Alfred Tennyson」を発表。同詩集は2冊に分かれており、1冊目は今までの作品を収録し、2冊目には新作が含まれていた。同詩集の発表で復活したアルフレッド・テニスンは、1845年に年金を授与された。

1847年に叙事詩「The Princess」を発表。

1849年には、1833年9月にウィーン(Vienna)で急死したケンブリッジ時代の学友で、英国の詩人であるアーサー・ヘンリー・ハーラム(Arthur Henry Hallam:1811年ー1833年)を弔う長詩「イン・メモリアム(In Memoriam A.H.H.)」を完成。なお、アーサー・ヘンリー・ハーラムは、アルフレッド・テニスンの妹エミリア・テニスン(Emilia Tennyson:1811年ー1887年)と婚約していた。


ナショナルポートレイトギャラリー(National Portrait Gallery)内で所蔵 / 展示されている
アルバート公の肖像画
(By Franz Xaver Winterhalter / Oil on canvas / 1867年 /
based on a portrait of 1859)
<筆者撮影>


アルバート公(Albert Prince Consort:1819年ー1861年)の推薦を受けて、アルフレッド・テニスンは、1850年に、英国の代表的なロマン派詩人であるウィリアム・ワーズワース(William Wordsworth:1770年ー1850年 → 2024年12月10日 / 12月11日および2025年2月14日 / 3月17日付ブログで紹介済)の後継者として、「桂冠詩人(Poet Laureate:宮廷職で、優れた詩人に与えられる称号)」となる。

彼は、1892年に亡くなるまで、「桂冠詩人」の称号を保持した。


ナショナルポートレイトギャラリーで販売されている
ウィリアム・ワーズワースの肖像画の葉書
(by Benjamin Robert Haydon / chalk / 1818年 / 546 mm x 419 mm) -
ウィリアム・ワーズワースは、英国の代表的なロマン派詩人で、
湖水地方をこよなく愛した。


シティー・オブ・ロンドン内の
ギルドホールアートギャラリーに所蔵 / 展示されている
初代テニスン男爵アルフレッド・テニスンの胸像(その2)
<筆者撮影>


アルフレッド・テニスンは、同年6月に、子供の頃から知り合いであるエミリー・セルウッド(Emily Sellwood:1813年ー1896年)と結婚して、長男ハーラム(Hallam:1852年ー1928年)と次男ライオネル(Lionel:1854年ー1886年)を設けた。なお、長男の名前は、ケンブリッジ時代の学友で、英国の詩人であるアーサー・ヘンリー・ハーラムに因んでいる。


アルバート公の死後、長詩「イン・メモリアム」を読んで、 友人を亡くした場合と最愛の夫を亡くした場合と状況はやや異なるものの、深く感銘を受けたハノーヴァー朝(House of Hanover)の第6代女王で、かつ、初代インド女帝であるヴィクトリア女王(Queen Victoria:1819年ー1901年 在位期間:1837年ー1901年 → 2017年12月10日 / 12月17日付ブログで紹介済)は、1862年4月と1883年8月の2回、アルフレッド・テニスンと面会している。


ヴィクトリア女王の生誕200周年を記念して、
ロイヤルメール(Royal Mail)から2019年に発行された切手6種類の1枚 -
最愛の夫であるアルバート公の死後、
ヴィクトリア女王は、常に喪服で過ごした、とのこと。


その後も、彼は、


1855年:「Maud」

1859年ー1864年:アーサー王伝説(King Arthur and the Knights of the Round Table)に取材した物語詩「国王牧歌(Idylls of the King)」

1864年:哀れな水夫の物語詩「イーノック・アーデン(Enoch Arden)」

1886年:「Locksley Hall Sixty Years After」

1889年:短詩「砂州を越えて(Crossing the Bar)」


等を発表。


ヴィクトリア女王の生誕200周年を記念して、
ロイヤルメール(Royal Mail)から2019年に発行された切手6種類の1枚 -
ヴィクトリア女王から引見を受ける初代ビーコンズフィールド伯爵ベンジャミン・ディズレーリ
(彼は、当時、第二次ディズレーリ内閣(1874年ー1880年)を組閣しており、
南アフリカ連邦をまとめるべく、
1877年4月に、最後に残ったトランスヴァール共和国を併合した直後)


アルフレッド・テニスンは、英国の政治家 / 小説家で、ヴィクトリア朝の中期に、保守党の党首として、英国首相を2回(第1次内閣:1868年 / 第2次内閣:1874年ー1880年)務めた初代ビーコンズフィールド伯爵ベンジャミン・ディズレーリ(Benjamin Disraeli, 1st Earl of Beaconsfield:1804年-1881年 → 2022年8月14日 / 8月16日付ブログで紹介済)から、1865年と1868年の2回、準男爵の称号(baronetcy)授与の打診を受けたが、これを固辞。


パーラメントスクエアガーデン(Parliament Square Garden)内に建つ
初代ビーコンズフィールド伯爵ベンジャミン・ディズレーリのブロンズ像
(Sculptor : Mario Raggi / 1883年)
<筆者撮影>


その後、英国の政治家で、ヴィクトリア朝の中期から後期にかけて、自由党の党首として、英国首相を4回(第一次内閣:1868年-1874年 / 第二次内閣:1880年-1885年 / 第三次内閣:1886年 / 第四次内閣:1892年ー1894年)務めたウィリアム・ユワート・グラッドストン(William Ewart Gladstone:1809年ー1898年 → 2022年8月22日 / 8月24日付ブログで紹介済)から、1883年に貴族の爵位(peerage)授与の打診を受け、これを受諾。


ストランド通り(Strand → 2015年3月29日付ブログで紹介済)が
フリートストリート(Fleet Street → 2014年9月21日付ブログで紹介済)へと変わる道の中央浮島にある
セント・クレメント・デーンズ教会(St. Clement Danes Church)の前に建つ
ウィリアム・ユワート・グラッドストンのブロンズ像
(Sculptor : Sir Hamo Thornycroft / 1905年)
<筆者撮影>


その結果、アルフレッド・テニスンは、1884年に、ヴィクトリア女王からテニスン男爵(Baron Tennyson)に叙せられた。また、同年3月に、貴族院(House of Lords)に席を得る。


1892年10月6日、83歳で亡くなった初代テニスン男爵アルフレッド・テニスンは、ウェストミンスター寺院(Westminster Abbey)に埋葬された。

長男のハーラムが爵位を継いで、第2代テニスン男爵(2nd Baron Tennyson)となり、1897年に父アルフレッド・テニスンの伝記を記している。後に、彼は、第2代オーストラリア総督(Governor-General of Australia)の地位にも就いている。


2026年10月6日火曜日

ロンドン ハックニーエンパイア劇場(Hackney Empire Theatre)- その3

ハックニーエンパイア劇場内の天井
<筆者撮影>

ハックニーエンパイア劇場の舞台側から観客席を見上げたところ
<筆者撮影>

アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)作「スペイン櫃の謎(The Mystery of the Spanish Chest)」(1960年)は、1932年に発表された短編「バグダッドの大櫃の謎(The Mystery of the Baghdad Chest)」を改稿した中編で、短編集「クリスマスプディングの冒険(The Adventure of the Christmas Pudding)」(1960年)に収録されている。


英国の HarperCollinsPublishers 社から以前に出版されていた
アガサ・クリスティー作短編集「クリスマスプディングの冒険」の
ペーパーバック版の表紙 -
中編「スペイン櫃の謎」が収録されている。


英国の HarperCollinsPublishers 社から現在出版されている
アガサ・クリスティー作短編集「クリスマスプディングの冒険」の
ペーパーバック版の表紙 -
中編「スペイン櫃の謎」が収録されている。


アガサ・クリスティー作「スペイン櫃の謎」の TV ドラマ版が、英国の TV 会社 ITV 社による制作の下、1991年2月17日に放映された「Agatha Christie’s Poirot」の第27話(第3シリーズ)において、物語の冒頭、英国の俳優であるサー・デヴィッド・スーシェ(Sir David Suchet:1946年ー)が演じる名探偵エルキュール・ポワロが、アーサー・ヘイスティングス大尉(Captain Arthur Hastings)と一緒に、オペラ「リゴレット(Rigoletto - ヴィクトル・ユーゴーの戯曲「王様はお楽しみ」を原作にしたヴェルディ(Verdi)による歌劇)」を観劇した劇場として、ハックニーエンパイア劇場(Hackney Empire Theatre)の内部が撮影に使用されている。


第27話「スペイン櫃の謎」が収録された
エルキュール・ポワロシリーズの DVD コレクション No. 3 の表紙


ハックニーエンパイア劇場は、ロンドンの特別区の一つであるハックニー区(London Borough of Hackney)ハックニー地区(Hackney)内に所在しており、南北に延びるメアストリート(Mare Street)の西側に建っている。


ハックニーエンパイア劇場の周辺地図(Google Maps から抜粋)


劇場の建設やデザインを専門とする英国の建築家であるフランク・マッチャム(Frank Matcham:1854年ー1920年)による設計に基づいて、1901年にミュージックホールとして建てられたハックニーエンパイア劇場は、その後、TV スタジオ(1956年ー1962年)、そして、ビンゴホール(1963年ー1984年)と言う変遷を経る。


ハックニーエンパイア劇場の入口から、廊下経由、
Stalls 席(1階)へと向かうところ
<筆者撮影>

Stalls 席から上階席を見上げたところ
<筆者撮影>

Stalls 席から舞台を眺めたところ
<筆者撮影>


ビンゴホールの運営会社がハックニーエンパイア劇場の維持管理費用の捻出が困難となったため、1984年、ハックニーエンパイア劇場は、取り壊しの危機を迎えた。

その際、英国の俳優 / 劇作家であるローランド・マルドゥーン(Roland Muldoon:1941年ー)が主催する「Cartoon Archetypical Slogan Theatre (CAST)」に対して、ビンゴホールの運営会社から接触があった。「CAST」は、当時、英国の地方を巡業する劇団で、ロンドンにおける拠点を必要としていたのである。


Stalls 席脇の通路部分
<筆者撮影>

Stalls 席脇の通路の天井照明
<筆者撮影>


そこで、ローランド・マルドゥーンがハックニーエンパイア劇場の支配人(theatre director)に就任し、改修工事を経て、85周年に該る1986年12月9日、ハックニーエンパイア劇場は、劇場として再オープン。


ハックニーエンパイア劇場の歴史を案内する説明板(その3)
<筆者撮影>


約1300席の収容人数を有する劇場として生まれ変わったハックニーエンパイア劇場は、英国における喜劇上演劇場として、次第に知名度を上げていった。


Dress Circle 席(2階)から舞台を眺めたところ
<筆者撮影>

舞台に向かって、Dress Circle 席の左手を見たところ -
エルキュール・ポワロとアーサー・ヘイスティングス大尉が観劇したボックス席は、
画面奥の場所だろうか?
<筆者撮影>

Dress Circle 席から更に上階席を見上げたところ
<筆者撮影>

Dress Circle 席周囲の通路と照明(その1)
<筆者撮影>

Dress Circle 席周囲の通路と照明(その2)
<筆者撮影>


改修工事のため、ハックニーエンパイア劇場は、2001年に一旦クローズ。

Tim Ronalds Architects による増改築工事を経て、2004年に再オープン。

その際、「Marie Lloyd」と言うパブが、増改築部分の1階(GF)に入居。


ハックニーエンパイア劇場の歴史を案内する説明板(その4)
<筆者撮影>

ハックニーエンパイア劇場の増改築部分
<筆者撮影>

ハックニーエンパイア劇場は、現在、演劇、オペラ、喜劇、ダンスや音楽等、多彩な演目を上演している。

同劇場は、ガーディアン紙(The Guardian)に「ロンドンで最も美しい劇場(the most beautiful theatre)」と評されている。


舞台上から観客席を眺めたところ(その1)
<筆者撮影>

舞台上から観客席を眺めたところ(その2)
<筆者撮影>


ハックニーエンパイア劇場は、「オープンハウスフェスティバル(Open House Festival)」と言う普段は立ち入ることができない歴史的建物やデザイン建築等を見学できるイベントにおいて、2026年9月19日(土)と9月20日(日)の両日、一般に開放され、舞台を含めた劇場内部を自由に巡ることができた。


来場時に入口で配布されていた
ハックニーエンパイア劇場のちらしの表面

来場時に入口で配布されていた
ハックニーエンパイア劇場のちらしの裏面


2026年10月5日月曜日

スコットランド女王メアリー・ステュアート / メアリー1世(Mary Stuart / Mary I, Queen of Scots)- その1

ナショナルポートレイトギャラリー(National Portrait Gallery)で所蔵 / 展示されている
スコットランド女王メアリー・ステュアート / メアリー1世の肖像画の葉書
(By an unknown artist after a portrait by Nicholas Hilliard /
1578年 / Oil on panel)
<筆者撮影>


アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)作「スペイン櫃の謎(The Mystery of the Spanish Chest)」(1960年)の TV ドラマ版が、英国の TV 会社 ITV 社による制作の下、「Agatha Christie’s Poirot」の第27話(第3シリーズ)として、1991年2月17日に放映されている。英国の俳優であるサー・デヴィッド・スーシェ(Sir David Suchet:1946年ー)が、名探偵エルキュール・ポワロを演じている。ちなみに、日本における最初の放映日は、1992年4月2日である。


英国の HarperCollinsPublishers 社から以前に出版されていた
アガサ・クリスティー作短編集「クリスマスプディングの冒険」の
ペーパーバック版の表紙 -
中編「スペイン櫃の謎」が収録されている。


英国の HarperCollinsPublishers 社から現在出版されている
アガサ・クリスティー作短編集「クリスマスプディングの冒険」の
ペーパーバック版の表紙 -
中編「スペイン櫃の謎」が収録されている。


アガサ・クリスティー作「スペイン櫃の謎」は、1932年に発表された短編「バグダッドの大櫃の謎(The Mystery of the Baghdad Chest)」を改稿した中編で、短編集「クリスマスプディングの冒険(The Adventure of the Christmas Pudding)」(1960年)に収録されている。


第27話「スペイン櫃の謎」が収録された
エルキュール・ポワロシリーズの DVD コレクション No. 3 の表紙


第27話「スペイン櫃の謎」が収録された
エルキュール・ポワロシリーズの DVD コレクション No. 3 の裏表紙


事件の主要関係者について、アガサ・クリスティーの原作と英国 TV ドラマ版の間で、以下の差異がある。


(1)美貌の女性

<原作> 名前は、「マーガリータ・クレイトン(Margharita Clayton - 年齢:夫よりも数歳若い40代後半)」となっている。

<英国 TV ドラマ版> 名前が「マーガリート・クレイトン(Marguerite Clayton)」へ変更されている。原作よりも年齢が若い女優が演じている。


(2)上記(1)の夫

<原作> 名前は、「アーノルド・クレイトン(Arnold Clayton - 年齢:55歳)」となっている。英国の大蔵省(Treasury)に勤務。

<英国 TV ドラマ版> 名前が「エドワード・クレイトン(Edward Clayton)」へ変更されている。原作よりも年齢が若い俳優が演じている。職業については、明確に言及されていないが、物語におけるセリフから推測すると、弁護士のように思われる。


(3)上記(1)の友人

<原作> 名前は、「チャールズ・リッチ(Charles Rich - 年齢:48歳)」となっている。また、引退した軍人で、裕福な独身者と言う設定になっている。

<英国 TV ドラマ版> 名前が「ジョン・リッチ(John Rich)」へ変更されている。また、2ー3ヶ月前に、妻メアリー(Mary)を亡くした設定になっている。原作よりも年齢が若い俳優が演じている。


(4)上記(1)の旧友

<原作> 名前は、「ジョック・マクラーレン(Jock McLaren - 年齢:46歳)」となっている。また、階級は「海軍中佐(Commander)」となっている。

<英国 TV ドラマ版> 名前が「カーティス(Curtiss)」へ変更されている。また、階級が「陸軍大佐(Colonel)」へ変更されている。原作よりも年齢がかなり上の俳優が演じている。


アガサ・クリスティーの原作の場合、マーガリータ・クレイトンに面会したエルキュール・ポワロは、彼女について、次のような印象を抱いている。


That apparently childlike candour, that frank innocence - Was it just that? Or did it mask something else? There had been women like that in medieval days - women on whom history had not been able to agree. He thought of Mary Stuart, the Scottish Queen. Had she known, that night in Kirk o’ Fields, of the deed that was to be done? Or was she completely innocent? Had the conspirators told her nothing? Was she one of those childlike simple women who can say to themselves ‘I do not know’ and believe it? He felt the spell of Margharita Clayton. But he was not entirely sure about her …


マーガリータ・クレイトンに会って、エルキュール・ポワロの頭に浮かんだ「メアリー・ステュアート(Mary Stuart:1542年12月8日ー1587年2月8日)」とは、スコットランドの「メアリー1世(Mary I)」のことで、生後間もない1542年12月14日から1567年7月24日までの間、スコットランド女王の座に就いていた。


ナショナルポートレイトギャラリーで販売されている
エリザベス1世の肖像画の葉書
(Unknown English artist / 1600年頃 / Oil on panel
1273 mm x 997 mm) -
エリザベス1世は、王族しか着れない
イタチ科オコジョの毛皮をその身に纏っている。
オコジョの白い冬毛は、「純血」を意味しており、
実際、エリザベス1世は、英国の安定のために、
生涯、誰とも結婚しなかったので、「処女女王」と呼ばれた。
エリザベス1世の」赤毛」と「白塗りの化粧」は、
当時流行したものである。


メアリー・ステュアートは、テューダー朝(House of Tudor)の第5代かつ最後のイングランド王エリザベス1世(Elizabeth I:1533年ー1603年 在位期間:1558年-1603年 → 2023年6月24日 / 7月2日付ブログで紹介済)と比較されることが多く、数多くの芸術作品の題材にもなっている。

また、メアリー・ステュアートは、親しみを込めて、「クイーン・オブ・スコッツ(Queen of Scots)」とも呼ばれている。