2026年10月20日火曜日

エセル・リナ・ホワイト作「消えた女性」<小説版>(The Lady Vanishes by Ethel Lina White )- その1

2024年に英国の Pushkin Press 社から出版された
エセル・リナ・ホワイト作「消えた女性」のペーパーバック版の表紙
(Cover design by Jo Walker / Photo by SSPL + Getty Images /
Photo by Found Image Holdings + Corbis via Getty Images) 


英国ウェールズ地方(Wales)モンマスシャー(Monmouthshire)生まれの女性推理作家で、1930ー1940年代を代表する推理作家の一人と言われているエセル・リナ・ホワイト(Ethel Lina White:1876年ー1944年)が1933年に発表した長編第6作目に該る「誰かが見ている(Some Must Watch → 2020年6月7日付ブログで紹介済)」は、英国の出版社であるプーシキンプレス社(Pushkin Press)から、「螺旋階段(The Spiral Staircase → 2026年10月9日 / 10月19日付ブログで紹介済)」と言うタイトルで、2025年に出版されている。

本作品は、彼女の代表作の一つで、ドイツ人のロバート・シオドマク監督(Robert Siodmak:1900年ー1973年)により、1946年に「螺旋階段(The Spiral Staircase)」と言うタイトルで、米国で映画化されている。

2025年にプーシキンプレス社から出た版は、ロバート・シオドマク監督により映画化された際のタイトルに準拠している。


エセル・リナ・ホワイトが1936年に発表した長編第9作目に該る「車輪の空転(The Wheel Spins)」が、英国の出版社であるプーシキンプレス社(Pushkin Press)から、「消えた女性(The Lady Vanishes)」と言うタイトルで、2024年に出版されているので、今回、紹介したい。

本作品も、彼女の代表作の一つで、英国人で、「サイコ」、「鳥」や「レベッカ」等で有名なアルフレッド・ジョーゼフ・ヒッチコック監督(Alfred Joseph Hitchcock:1899年ー1980年)がにより、1938年に「バルカン超特急(The Lady Vanishes)」と言うタイトルで、英国で映画化されている。

2024年にプーシキンプレス社から出た版は、アルフレッド・ヒッチコック監督により映画化された際のタイトルに準拠している。


「消えた女性」の場合、社交界の名士(名花)であるアイリス・カー(Iris Carr)が、欧州大陸で夏の休暇を過ごした後、アドリア海に臨むイタリア北東部の港市トリエステ(Trieste)から英国へ戻るところから、物語が始まる。


駅のプラットフォームにおいて、2人の男性が裁判の証人のことで議論しているのを見ていたアイリス・カーは、突然、気を失ってしまう。

暫くして気が付くと、彼女は、待合室のベンチで横になっていた。スーツケースと帽子は近くにあったが、お金、切符やパスポート等が入った鞄が手元になかった。

周囲で見守っていたポーターが、彼女に鞄を手渡す。幸いにして、鞄の中に、お金、切符やパスポート等は入っていた。ホテルの領収書も、一緒に入っていた。


アイリス・カーは、鞄の中から取り出した切符をポーターに見せると、ポーターは、彼女の手をとり、プラットフォームへ向かって、 駆け出す。

そして、ポーターは、 動き出した列車の一番近い車輌のドアを開けると、アイリス・カーのスーツケースを車輌内へ放り込んだ後、乗客の女性の手助けを得て、アイリス・カーもなんとか車輌に無事乗せることができた。


アイリス・カーがなんとか列車に乗ることを手助けした乗客の女性は、英国人の教師(English governess)であるウィニフレッド・フォイ(Winifred Foy - 愛称:ウィニー(Winnie))で、休暇のため、英国へと戻る途中だった。

ウィニフレッド・フォイは、落ち着いたアイリス・カーを、食堂車でのお茶へと誘う。


2026年10月19日月曜日

エセル・リナ・ホワイト作「螺旋階段」<小説版>(The Spiral Staircase by Ethel Lina White )- その2

2025年に英国の Pushkin Press 社から出版された
エセル・リナ・ホワイト作「螺旋階段」のペーパーバック版の裏表紙
(Cover design by Jo Walker
) 


英国ウェールズ地方(Wales)モンマスシャー(Monmouthshire)生まれの女性推理作家で、1930ー1940年代を代表する推理作家の一人と言われているエセル・リナ・ホワイト(Ethel Lina White:1876年ー1944年)が1933年に発表した長編第6作目に該る「螺旋階段(The Spiral Staircase - 原題:誰かが見ている(Some Must Watch → 2020年6月7日付ブログで紹介済))」の場合、イングランドとウェールズの境界、何もない荒涼とした田園地帯に建つ「サミット邸(The Summit)」が、物語の舞台となる。サミット邸は、一番近い町から22マイル(約36㎞)、一番近い村からは12マイル(約20㎞)離れた辺鄙で、不便な場所に所在していた。


一風変わったウォーレン(Warren)一家が住むこの屋敷に、女主人の世話役として雇われたヘレン・カペル(Helen Capel:23歳)は、不吉な予感に震えていた。

何故ならば、近隣の町や村で、若い女性4人が連続して、何者かに殺害されているのだ。最初の2人は町(パブの外の通りや庭)で、3人目は村(パブの屋内)で殺されたのだが、サミット邸からはまだ離れた世界の話である。ところが、4人目はサミット邸から僅か5マイル(約8㎞)しか離れていない一軒家の中で絞殺されたのである。

つまり、若い女性ばかりを殺害している犯人は、少しずつサミット邸へと近づいて来ているのであった。次に殺人鬼に狙われるのは、自分かもしれない。何故か、ヘレンは、そう感じていた。


雷鳴が近づくある夕暮れ、散歩に出かけたヘレンは、サミット邸に戻ろうとしていた。雨と風が激しくなりつつある中、正門からサミット邸の玄関へと向かうヘレンは、ある樹木の幹が2つに分かれるのを目撃した。それは、つまり、謎の男が樹木の幹の後ろから出て来て、暗闇の中へと姿を消したのである。


英国の Arcturus Publishing Limited から
 Crime Classics シリーズの一つとして出版されている
エセル・リナ・ホワイト作「誰かが見ている」の表紙 –
「激しくなる嵐の夜、サミット邸内の階段に佇み、
恐怖に震えるヘレンに忍び寄る連続殺人鬼の影」という感じで、
物語のハイライト場面の雰囲気を非常にうまく伝えている。
ただし、厳密に言うと、ヘレンが着ている服の色は、
赤色ではなく、青色が正当である。


嵐が激しくなる夜、サミット邸に居るのは、ヘレンの他には、


(1)レディーウォーレン(Lady Warren):寝たきりの老齢の女主人

(2)セバスチャン・ウォーレン教授(Professor Sebastian Warren):女主人の義理の息子で、妻を早くに亡くしている。

(3)ブランシェ・ウォーレン(Miss Blanche Warren):ウォーレン教授の妹

(4)ニュートン・ウォーレン(Newton Warren):ウォーレン教授の息子

(5)シモーネ・ウォーレン(Simone Warren):ニュートンの妻で、スティーヴン・ライスに対して、色目を使っている。

(6)スティーヴン・ライス(Stephen Rice - 愛称:スティーヴ(Steve)):サミット邸に居ついているウォーレン教授の学生で、教授から Indian Civil Service を学んでいる。また、オットー(Otto)と名付けた犬を部屋で飼っている。

(7)バーカー(Nurse Barker):レディーウォーレンを担当する新任の看護婦

(8)オーテス夫妻(Mr. & Mrs. Oates):サミット邸の家事全般をとりしきる執事と家政婦

(9)パリー(Dr. Parry):レディーウォーレンを担当する若き医師(ウェールズ人)


の10人。


丁度そこに、パブ「ザ・ブル(The Bull)」のオーナーであるウィリアムズ(Williams)からパリー医師宛に電話がある。

以前、サミット邸で働いていた女性セリドウェン・オーウェン(Ceridwen Owen)の死体が見つかったのである。近所に住むビーン大尉(Captain Bean)が市場から自宅に戻った際、ドアの鍵を開けようと、鍵穴をよく見るために、マッチを擦ったところ、庭の隅に彼女の死体が横たわっているのを発見したのだ。

遂に、連続殺人鬼の魔の手が、サミット邸の近くまで達したと言える。


パリー医師は、死体を調べるために、オーテス氏は、レディーウォーレン用の酸素ボンベを調達するために、それぞれ、嵐の中、サミット邸を出て行く。更には、ニュートン・ウォーレン、シモーネ・ウォーレンとスティーヴン・ライスの間で、痴話喧嘩が発生し、スティーヴン、シモーネ、そして、ニュートンの順に、サミット邸を出て行ってしまう。


サミット邸からどんどん人が居なくなるにつれて、ヘレン・カペルは、ひたひたと忍び寄る連続殺人鬼の影に怯えるのであった。遂には、男性のように体格がよいバーカー看護婦に対して、ヘレンは疑惑の目を向けるようになる。


この非常事態の下、ウォーレン教授は、翌朝までサミット邸を内側から封鎖するよう、指示を下す。しかし、実際には、ヘレンが恐れるよりもずっと近くに、連続殺人鬼はその姿を隠していたのである。


そして、最後、連続殺人鬼が、遂にヘレンの前にその姿を現すのである。


2026年10月18日日曜日

<第2300回> ジョシュア・レノルズ(Joshua Reynolds)- その5

バーリントンハウスの中庭に建つ
王立芸術院の初代会長を務めたジョシュア・レノルズのブロンズ像(その1)
Sculptor : Aalfred Drury / Bronze / 1931年
<筆者撮影>


アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)が1967年に発表した長編「終りなき夜に生れつく(Endless Night → 2026年4月13日 / 4月30日付ブログで紹介済)」において、バリントンマナーハウス(Barrington Manor)で開催されたオークションに出品された絵画の作者のうちの1人であるジョシュア・レノルズ(Sir Joshua Reynolds:1723年ー1792年)は英国の画家で、同時代に活躍したジョージ・ロムニー(George Romney:1734年ー1802年 → 2026年5月16日 / 5月21日 / 5月26日 / 5月31日付ブログで紹介済)やトマス・ゲインズバラ(Thomas Gainsborough:1727年ー1788年)と並び称された著名な画家である。


2026年に英国の HarperCollinsPublishers 社から出版された
アガサ・クリスティー作「終りなき夜に生れてつく」の
愛蔵版(ハードカバー版)の表紙
(Cover design and 
illustration
by Sarah Foster / 
HarperCollinsPublishers Ltd. ) -
ドライバー等の職業を転々とするその日暮らしの風来坊であるマイケル・ロジャー(通称:マイク)と

米国の大富豪(石油王)の娘で、裕福な相続人であるフェニラ・グットマン(通称:エリー)の2人は、

マイクがドライバーとして働いていた頃に知り合った芸術家気質の著名な建築家で、

余命いくばくもないルドルフ・サントニックスに依頼して、

キングストンビショップ村にある

海を臨むことができる美しい眺望の景勝地「ジプシーが丘」に

自分達の夢の邸宅を建ててもらった場面が描かれている。


ロンドンには、共同で展覧会を開催するための芸術家の団体として、大英芸術家協会(Society of Artists of Great Britain)が1760年に設立され、当初、ジョシュア・レノルズは、同協会の創設メンバーの一人だった。

大英芸術家協会は、1760年4月に最初の展覧会を開催し、1765年にハノーヴァー朝の第3代国王であるジョージ3世(George III:1683年ー1820年 在位期間:1760年ー1820年)の勅許を受け、同年、会員数は211人に達する。


ナショナルポートレイトギャラリー(National Portrait Gallery)に所蔵 / 展示されている
ハノーヴァー朝の第3代英国王であるジョージ3世の肖像画
(By the studio of Allan Ramsay / Oil on canvas /
based on a portrait of 1761 - 1762)
<筆者撮影>


ところが、1767年に入ると、会員のうち、有力な建築家であるジェイムズ・ペイン(James Paine:1717年ー1789年)とサー・ウィリアム・チェンバーズ(Sir William Chambers:1723年ー1796年)の間で派閥争いが勃発したことに伴い、サー・ウィリアム・チェンバーズやジョシュア・レノルズ達は、大英芸術家協会を脱退。

彼らは、新しい芸術家の団体として、王立芸術院(Royal Academy of Arts)を1768年に設立して、ジョシュア・レノルズが初代会長に選任され、1792年に亡くなるまで、会長職を務めた。


バーリントンハウスの中庭に建つ
王立芸術院の初代会長を務めたジョシュア・レノルズのブロンズ像(その2)
<筆者撮影>


1768年12月10日にジョージ3世が署名した王立芸術院設立に関する協定書(instrument of foundation)上、会員総数は40名と定められていたが、実際には、34名が創設会員に名を連ねた。トマス・ゲインズバラも、その一人である。

1769年に、2人が会員に追加され、総勢出36名となった。


バーリントンハウスの中庭に建つ
王立芸術院の初代会長を務めたジョシュア・レノルズのブロンズ像(その3)
<筆者撮影>


王立芸術院は、全ての芸術家に対して門戸を開くことを旨として、1769年4月25日から同年5月27日まで、最初の展覧会を開催。

この展覧会は、「王立芸術院サマーエキシビション(RA Summer Exhibition)」として、一般に認知されるようになり、現在も、毎年開催されている。


バーリントンハウス内の中庭 -
反対側に見える建物に、王立芸術院が入居している。
<筆者撮影>


王立芸術院は、創立当初から、いくつか場所を点々としたが、現在は、英国政府が所有しているバーリントンハウス(Burlington House)に本拠地を構えている。

また、バーリントンハウスの中庭には、王立芸術院の初代会長を務めたジョシュア・レノルズのブロンズ像が建っている。



ナショナルギャラリーの建物正面を下から見上げたところ 
<筆者撮影>


テイト・ブリテン美術館の建物正面を階段下から見上げたところ 
<筆者撮影>


このように、王立芸術院は、ナショナルギャラリー(National Gallery)やテイト・ブリテン美術館(Tate Britain → 2018年2月18日付ブログで紹介済)に匹敵する存在として、現在も存続しているが、一方、サー・ウィリアム・チェンバーズやジョシュア・レノルズ達が脱退してしまった大英芸術家協会は、1791年まで展覧会を開催した後、解散の憂き目に遭っている。 


2026年10月17日土曜日

アガサ・クリスティー作「書斎の死体」<小説版(愛蔵版)>(The Body in the Library by Agatha Christie )- その2

2026年に英国の HarperCollinsPublishers 社から出版された
アガサ・クリスティー作「書斎の死体」の
愛蔵版(ハードカバー版)の裏表紙
(Cover design and 
illustration
by Megan Smith / 
HarperCollinsPublishers Ltd. +
Cover illustsrations: Shutterstock.com)

アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)が1942年に発表した「書斎の死体(The Body in the Library)」(1942年)は、アガサ・クリスティーが執筆した長編としては、第31作目に該り、ミス・ジェーン・マープル(Miss Jane Marple)シリーズに属する長編のうち、第2作目に該っている。

ジグソーパズル「ミス・マープルの世界」の完成形
<筆者撮影>

「奥様、奥様!書斎に死体があります!」

メイドのメアリー(Mary)が発するヒステリックな第一声で、ドリー・バントリー(Mrs. Dolly Bantry → 2024年8月14日付ブログで紹介済)は目を覚ますと、退役軍人である夫のアーサー・バントリー大佐(Colonel Arthur Bantry → 2024年8月14日付ブログで紹介済)を起こす。こうして、邸宅ゴシントンホール(Gossington Hall)における平和で穏やかな秋の朝は、メイドの叫び声で打ち破られるのであった。


ドリー・バントリーは、
ジズソーパズルの左下の位置に居て、
夫のアーサー・バントリー大佐と立ち話をしている。
<筆者撮影>


アーサー・バントリー大佐は、
ジズソーパズルの左下の位置に居て、
妻のドリー・バントリーと立ち話をしている。
<筆者撮影>


バントリー大佐が書斎に赴くと、暖炉の前の敷物の上に、銀色のスパンコールを散りばめたイヴニングドレス姿の、背の高いプラチナブロンドの若い女性の絞殺死体が横たわっていた。ところが、大佐には、殺されている女性の身元に全く心当たりがなかった。

バントリー大佐は、直ぐに警察に連絡を行い、バントリー大佐の友人で、ラドフォードシャー州(Radfordshire)警察の本部長(Chief Constable)であるメルチェット大佐(Colonel Melchett)が、部下のスラック警部(Inspector Slack → 2024年8月20日付ブログで紹介済)を伴い、ゴシントンホールへと駆け付ける。


ジズソーパズルのやや右上の位置で、
右手を右頬に当てて、ヘイドック医師と話をしている背広姿の男性が、
スラック警部である。
<筆者撮影>


一方、妻のバントリー夫人は、人間の本質を鋭く見抜く眼力を持つ旧友のミス・マープルに、助けを求める。


ミス・ジェーン・マープルは、
ジズソーパズル中央のやや右側の位置に居て、
テラス用の椅子に座り、得意の編み物をしている。
<筆者撮影>


何故、閑静な屋敷に、それも、書斎に、若い女性の死体が突然現れたのか?彼女の身元は?何故、彼女は絞殺されることになったのか?そして、彼女は、どこからここまでやって来たのか?

様々な噂や憶測が、ゴシントンホールが所在するセントメアリーミード村(St. Mary Mead)の中を駆け巡るのであった。


ビル・ブラッグ氏(Mr. Bill Bragg)が描く
ミス・マープルシリーズの長編第2作目「書斎の死体」の一場面


ビル・ブラッグ氏によるイラストには、

邸宅ゴシントンホールに住むアーサー・バントリー大佐が、

書斎の暖炉の前の敷物の上に、

若い女性の絞殺死体が横たわっているのを発見する場面が描かれている。

あるいは、ある人物が、酔っ払って真夜中に帰宅した際、

自宅の部屋の敷物の上で発見した女性の死体を、

以前から気に入らないバントリー大佐の邸宅へと運び、

書斎の暖炉の前の敷物の上に放置した場面だろうか?

Harper Collins Publishers 社から出版されている

「書斎の死体」のペーパーバック版の表紙には、

ビル・ブラッグ氏によるイラストが、

卓上ランプの形に切り取られているものが使用されている。


メルチェット大佐とスラック警部は、ゴシントンホールの書斎で死んでいた女性が、撮影所の大道具係として勤めているバジル・ブレイク(Basil Blake)の恋人で、同じプラチナブロンドの ダイナ・リー(Dinah Lee)ではないかと考え、セントメアリーミード村の郊外にある彼のコテージへと赴いた。ところが、メルチェット大佐とスラック警部の2人がバジル・ブレイクのコテージを訪問している最中、当のダイナ・リーがコテージに戻って来たのである。残念ながら、メルチェット大佐達の予想は外れてしまった。


ヘイドック医師(Dr. Haydock → 2024年8月18日付ブログで紹介済)による検死の結果、


(1)女性は前日の午後10時から午後12時までの間でに死亡したこと

(2)薬物を投与された後に、絞殺されたこと

(3)性的な虐待は受けていないこと


等が判明。


ヘイドック医師は、
ジズソーパズル中央のやや右側の位置に居て、
テラス用の椅子に座って、編み物をしているミス・マープルに背を向け、
左手に紅茶カップを、そして、右手に受け皿を持って、立っている。
<筆者撮影>


一方、ミス・マープルは、死体の噛まれた爪や古びたドレス等に気付き、女性の外見と合致しないことを、ドリー・バントリーに伝える。


そんな最中、セントメアリーミード村の近隣のデーンマス(Danemouth)にあるマジェスティックホテル(Majestic Hotel)に滞在中の大富豪であるコンウェイ・ジェファースン(Conway Jefferson)が、ホテルのダンサーであるルビー・キーン(Ruby Keene:18歳)が行方不明であることを、現地警察に届け出た。

メルチェット大佐からの依頼に応じて、ルビー・キーンの従姉妹で、彼女と同じく、ホテルのダンサーであるジョージー・ターナー(Josie Turner)が、ゴシントンホールの書斎で死んでいた女性が従姉妹のルビー・キーンであることを確認。


マジェスティックホテルの宿泊客達の証言によると、前日の午後11時頃まで、ルビー・キーンがホテルの宿泊客の一人であるジョージ・バートレット(George Bartlett)と一緒に踊っているところを見ていたが、その後の真夜中のダンス演技に、彼女は姿を見せなかった。そのため、ジョージー・ターナーが、急遽、ルビー・キーンの代わりに、ダンス演技に出た、とのこと。


大富豪コンウェイ・ジェファースンは、8年前の飛行機事故により、妻、息子と娘の3人を亡くしており、現在、義理の娘であるアデレイド・ジェファースン(Adelaide Jefferson)と義理の息子であるマーク・ギャスケル(Mark Gaskell)と一緒に暮らしていた。

今回のホテル滞在時に、コンウェイ・ジェファースンは、ルビー・キーンに出会い、気に入った彼女と養子縁組するつもりであったこと、また、その手続が完了するまでの間、彼女を優遇するために、遺言書を修正したことを、警察に告げる。

当然のことながら、自分達の取り分が減ることになるアデレイド・ジェファースンとマーク・ギャスケルに容疑がかかるものの、彼ら2人は、事件当夜、コンウェイ・ジェファースンやジョージー・ターナーと一緒に、ずーっとブリッジをしていたと言うアリバイがあった。


ジズソーパズルのやや左上の位置で、
右手に紅茶カップを、そして、左手に受け皿を持って、
歩いている背広姿の男性が、サー・ヘンリー・クリザ・リングである。
<筆者撮影>


事件の捜査が進展しないことに苛立ったコンウェイ・ジェファースンは、知り合いで、スコットランドヤード(ロンドン警視庁)の元警視総監(retired head of Scotland Yard)だったサー・ヘンリー・クリザリング(Sir Henry Clithering → 2024年8月20日付ブログで紹介済)をマジェスティックホテルまで呼び出すと、捜査への参加を求めた。

サー・ヘンリー・クリザリングは、ドリー・バントリーに帯同して、ホテルへ調査に来ていたミス・マープルを偶然見かけると、彼女を捜査に誘うのであった。


2026年10月16日金曜日

ロンドン レスタースクエア47番地(47 Leicester Square)

ジョシュア・レノルズが住んでいたレスタースクエア47番地の建物があった場所
<筆者撮影>

アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)が1967年に発表した長編「終りなき夜に生れつく(Endless Night → 2026年4月13日 / 4月30日付ブログで紹介済)」において、バリントンマナーハウス(Barrington Manor)で開催されたオークションに出品された絵画の作者のうちの1人であるジョシュア・レノルズ(Sir Joshua Reynolds:1723年ー1792年)は英国の画家で、同時代に活躍したジョージ・ロムニー(George Romney:1734年ー1802年 → 2026年5月16日 / 5月21日 / 5月26日 / 5月31日付ブログで紹介済)やトマス・ゲインズバラ(Thomas Gainsborough:1727年ー1788年)と並び称された著名な画家である。


2026年に英国の HarperCollinsPublishers 社から出版された
アガサ・クリスティー作「終りなき夜に生れてつく」の
愛蔵版(ハードカバー版)の表紙
(Cover design and 
illustration
by Sarah Foster / 
HarperCollinsPublishers Ltd. ) -
ドライバー等の職業を転々とするその日暮らしの風来坊であるマイケル・ロジャー(通称:マイク)と

米国の大富豪(石油王)の娘で、裕福な相続人であるフェニラ・グットマン(通称:エリー)の2人は、

マイクがドライバーとして働いていた頃に知り合った芸術家気質の著名な建築家で、

余命いくばくもないルドルフ・サントニックスに依頼して、

キングストンビショップ村にある

海を臨むことができる美しい眺望の景勝地「ジプシーが丘」に

自分達の夢の邸宅を建ててもらった場面が描かれている。


1723年7月16日、サミュエル・レノルズ牧師(Reverend Samuel Reynolds)の三男(第7子)として、デヴォン州(Devon)プリンプトン(Plympton)に出生したジョシュア・レノルズは、少年の頃から絵画に興味を抱いており、1740年、英国の肖像画家で、同じデヴォン州生まれのトマス・ハドスン(Thomas Hudson:1701年ー1779年)に弟子入りして、修行を始める。


ナショナルポートレイトギャラリー(Naitional Portrait Gallery)に所蔵 / 展示されている
ジョシュア・レノルズ作「Self-Portrait(自画像)」
(1747年ー1749年頃)
<筆者撮影>


1749年5月に英国海軍の代将に任ぜられた初代ケッペル子爵オーガスタス・ケッペル(Augustus Keppel, 1st Viscount Keppel:1725年ー1786年) が、海賊対策のため、地中海へ向けて出航した際、ジョシュア・レノルズは、戦列艦「セチュリオン(HMS Centurion)」に便乗して、地中海西部のメノルカ島(Menorca)まで一緒に行き、そこからイタリアへ渡り、約2年間、ローマ(Roma)に滞在して、ルネサンスを代表するイタリアの画家であるラファエロ・サンティ(Raffaello Santi:1483年ー1520年)等の古典作品を熱心に研究した。

ローマ滞在中に、ジョシュア・レノルズは、酷い風邪に罹患して、回復したものの、聴覚の一部を失ってしまう。その結果、彼は補聴器を持ち歩くようになる。


ジョシュア・レノルズが住んでいたレスタースクエア47番地の建物があった場所に建つ
ビルを下から見上げたところ

<筆者撮影>

ジョシュア・レノルズが住んでいたレスタースクエア47番地の建物があった場所に建つ
ビルの1階(GF)と2階(1F)の間の外壁に施された装飾

<筆者撮影>


約2年間のローマ滞在を終えて、1752年10月に英国に戻ったジョシュア・レノルズは、デヴォン州(Devon)で3ヶ月程過ごした後、1753年にロンドンへ出て来ると、驚くべき速さで、肖像画家としての成功を手にしていく。

売れっ子の肖像画家となったジョシュア・レノルズは、彼の作品を展示する場所や彼のアシスタント達が住む場所等を含めて、より広いスペースが必要となったため、1760年、レスターフィールズ(Leicester Fields - 現在のレスタースクエア(Leicester Square))のレスタースクエア47番地(47 Leicester Square)の建物へと引っ越した。

超多忙のため、満足に休みをとれないジョシュア・レノルズは、肖像画のモデルの衣服については、ローマからの帰国時に一緒に帯同して来たイタリア人のジュゼッペ・フィリッポ・リベラティ・マルチ(Giuseppe Filippo Liberati Marchi:1735年ー1808年)を初めとするアシスタント達に任せるようになる。


「Nicholson - Super Scale - London Atlas」から
ソーホー地区の地図を抜粋。-
レスタースクエアは、右下にある緑色で表示された広場で、
ジョシュア・レノルズが住んでいたレスタースクエア47番地の建物は、
レスタースクエアの西側に建っている。



レスタースクエア47番地は、ロンドンの中心部シティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)ソーホー地区(Soho)内に所在しており、レスタースクエアの西側に建っている。


レスタースクエア47番地の建物の1階(GF)と2階(1F)の間の外壁にあるプラーク(その1)
<筆者撮影>

レスタースクエア47番地の建物の1階(GF)と2階(1F)の間の外壁にあるプラーク(その2)
<筆者撮影>


レスタースクエア47番地の建物の1階(GF)と2階(1F)の間の外壁と1階(GF)の外壁の両方に、「SIR JOSHUA REYNOLDS 1723-1792 PORTRAIT PAINTER lived and died in a house on this site」と記したプラークがそれぞれ架けられている。

1階(GF)と2階(1F)の間の外壁に掛けられているプラークには、「London City Council」の表示がある一方、1階(GF)の外壁に掛けられているプラークには、「London City Council」の表示がないため、1階(GF)と2階(1F)の間の外壁に掛けられているプラークが正式なものと 考えられる。


レスタースクエア47番地の建物の1階(GF)の外壁にあるプラーク(その1)
<筆者撮影>

レスタースクエア47番地の建物の1階(GF)の外壁にあるプラーク(その2)
<筆者撮影>


ジョシュア・レノルズは、1768年12月に王立芸術院(Royal Academy of Arts)の初代会長に就任し、1769年4月に騎士爵(Knight)に叙せられた後、1784年8月に主席宮廷画家(Principal Painter in Ordinary)に任命されると言う立身出世の道を辿る。

ところが、彼は、1789年に左目の視力を失い、1790年に引退を余儀なくされた。


セントポールズチャーチヤード(St. Pau's Churchyard→2015年7月26日付ブログで紹介済)から見た
セントポールポール大聖堂の大ドームと側面
<筆者撮影>


そして、ジョシュア・レノルズは、1792年2月23日の晩、レスタースクエア47番地の自宅において亡くなり、彼の遺体は、セントポール大聖堂(St. Paul’s Cathedral → 2018年8月18日 / 8月25日 / 9月1日付ブログで紹介済)に葬られたのである。


2026年10月15日木曜日

コナン・ドイル作「シャーロック・ホームズの冒険」<グラフィックノベル版>(The Adventures of Sherlock Holmes by Conan Doyle )- その7

2024年に英国の Guild of Master Craftsman Publishing Ltd. から
Button Books シリーズの1冊として、英訳版が刊行されている
Noh Yi-jeong 作「シャーロック・ホームズの冒険」に収録されている
「ぶな屋敷」から抜粋(その1)


韓国(South Korea)のイラストレーターである Noh Yi-jeong により制作の上、2022年に韓国の Blue Rabbit Publishing Co, Ltd. から Manga Classic Literature シリーズの1冊として出版された後、2024年に英国の Guild of Master Craftsman Publishing Ltd. から Button Books シリーズの1冊として、英訳版が刊行されているサー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Sir Arthur Ignatius Conan Doyle:1859年ー1930年)作「シャーロック・ホームズの冒険(The Adventures of Sherlock Holmes)」のグラフィックノベル版に収録されている短編5作のうち、最後の作品は、「ぶな屋敷(The Copper Beeches)」である。


「ぶな屋敷」は、シャーロック・ホームズシリーズの短編小説56作のうち、12番目に発表された作品で、英国の「ストランドマガジン(The Strand Magazine)」の1892年6月号に掲載された後、同年発行の第1短編集「シャーロック・ホームズの冒険(The Adventures of Sherlock Holmes)」に収録されている。


ちなみに、本作品は、作者であるコナン・ドイルの母親であるメアリーが思いついたアイディアが、物語のベースになっている。

1891年7月の「ボへミアの醜聞(A Scandal in Bohemia → 2022年12月18日+2023年8月6日 / 8月9日 / 8月19日付ブログで紹介済)」を皮切りに、「ストランドマガジン」に毎月シャーロック・ホームズ作品を連載していたコナン・ドイルであったが、毎回新しいストーリーを考え出して作品を創作することが、彼にはだんだん苦痛となってきていた。また、コナン・ドイルとしては、自分の文学的才能は長編歴史小説の分野において発揮/ 評価されるべきと考えており、ホームズ作品は彼にとってはあくまでも副業に過ぎなかったのである。

ところが、「ストランドマガジン」を通じて、ホームズ作品が予想以上に爆発的な人気を得るに至ったため、コナン・ドイルは、ホームズ作品の原稿締め切りに毎回追われる始末で、自分が本来注力したい長編歴史小説に時間を全く割けない状況であった。

そのため、コナン・ドイルとしては、ホームズシリーズを打ち切るつもりでいたが、母親から物語のアイディアを得たことにより、ホームズシリーズは存続することとなった。


英国で出版された「ストランドマガジン」
1892年6月号に掲載された挿絵(その1) -
ベイカーストリート221B において、
シャーロック・ホームズは、ジョン・H・ワトスンに対して、
「最近、自分のところに持ち込まれる依頼の質が落ちた。」と嘆く。
挿絵:シドニー・エドワード・パジェット

(Sidney Edward Paget 1860年 - 1908年)


ジョン・H・ワトスンに対して、「ここのところ、自分のところに持ち込まれる依頼の質が落ちた。」と嘆くホームズの元に、若い家庭教師であるヴァイオレット・ハンター(Violet Hunter)から、相談の手紙が来た。

約束した翌日の午前10時半に、ベイカーストリート221B(221B Baker Street → 2014年6月22日 / 6月29日付ブログで紹介済)に現れたヴァイオレット・ハンターによると、彼女は、現在、失業中で、次の仕事の目処が立っていなかった。そんな中、ウェストエンド(West End)にある家庭教師紹介所ウェストアウェイ(Westaway)において、彼女は、ジェフロ・ルーカッスル氏(Mr. Jephro Rucastle)なる人物から、破格の給料(年額100ポンド → 後に、年額120ポンドへ値上げ / なお、ヴァイオレット・ハンターは、以前の勤務先で、月額で4ポンドの報酬を得ていた)で、住み込みの家庭教師の申し出を受けた。


しかしながら、このあまりに高額の報酬には、いくつかの条件があった。


(1)ハンプシャー州(Hampshire)のウィンチェスター(Winchester)から5マイル離れた「ぶな屋敷」に住み込むこと

(2)6歳の腕白坊主の面倒を見ること

(3)妻(ルーカッスル夫人)のちょっとした頼みをきくこと

(4)雇い主(ルーカッスル氏)が指定する服を着ること

(5)「ぶな屋敷」へ来る際に、髪を短く切ってくること


条件のうち、(1)から(3)については、ヴァイオレット・ハンターとしても、問題なかったが、(4)と(5)に関しては、何か不自然なところがあると疑い始めた。特に、(5)の場合、亡き母からも喜ばれていた長い髪を切ることになり、彼女としては、受け入れることができず、その場でルーカッスル氏の申し出を断ってしまった。


ルーカッスル氏の申し出を断ったヴァイオレット・ハンターであったが、生活が苦しくなってきたため、折角舞い込んだ高額の働き口を受けなかったことを後悔していた。そんな最中、ルーカッスル氏から、彼女宛に再考を求める手紙が届いた。その手紙の中で、報酬の年額が当初の100ポンドから120ポンドへと引き上げられていたのである。


英国で出版された「ストランドマガジン(The Strand Magazine)」
1892年6月号に掲載された挿絵(その2) -
推理に必要なデータが不足しているシャーロック・ホームズとしては、
ヴァイオレット・ハンターがぶな屋敷へ赴くことを止めることはできなかったが、
彼女に対して、「昼でも夜でも構わないので、何かあれば、
電報で知らせてほしい。」と頼むのであった。
挿絵:シドニー・エドワード・パジェット


生活が苦しい中、高額な報酬に未練があるものの、ルーカッスル氏から提示された不自然な条件に引き続き疑念を抱くヴァイオレット・ハンターは、ホームズに対して、助言を求める。

彼女の話を聞いたホームズは、こう答えた。「正直に言うと、これが自分の妹だったら、引き受けさせたくないですね。(I confess that it is not the situation which I should like to see a sister of mine apply for.)」と。


(1)「女家庭教師の来訪(A Visit from a governess)」(20ページ)


2024年に英国の Guild of Master Craftsman Publishing Ltd. から
Button Books シリーズの1冊として、英訳版が刊行されている
Noh Yi-jeong 作「シャーロック・ホームズの冒険」に収録されている
「ぶな屋敷」から抜粋(その2)


ある日の午前、若い家庭教師であるヴァイオレット・ハンターがベイカーストリート221B のホームズの元を訪れる冒頭から、「ぶな屋敷」で住み込みの家庭教師として働き始めた彼女からホームズ宛に緊急を知らせる電報が届き、ホームズとワトスンの2人が急いで現地へと向かうところまでが描かれている。


(2)「ぶな屋敷の別棟の謎(The secret wing)」(16ページ)


2024年に英国の Guild of Master Craftsman Publishing Ltd. から
Button Books シリーズの1冊として、英訳版が刊行されている
Noh Yi-jeong 作「シャーロック・ホームズの冒険」に収録されている
「ぶな屋敷」から抜粋(その3)


ウィンチェスターの「黒鳥ホテル(Black Swan Hotel)」において、ヴァイオレット・ハンターと落ち合ったホームズとワトスンの2人が、彼女から「ぶな屋敷」で起こっている非常に奇妙な話の数々を聞くところから、物語の最後までが描かれている。


2024年に英国の Guild of Master Craftsman Publishing Ltd. から
Button Books シリーズの1冊として、英訳版が刊行されている
Noh Yi-jeong 作「シャーロック・ホームズの冒険」に収録されている
「ぶな屋敷」から抜粋(その4)


イケメンのホームズ / ワトスンや彼らの年齢設定等については、読者によって好みが分かれると思われるが、「ボヘミアの醜聞(A Scandal in Bohemia → 2026年1月19日付ブログで紹介済)」、「赤毛組合(The Red-Headed League → 2026年1月24日付ブログで紹介済)」、「まだらの紐(The Speckled Band  → 2026年10月10日付ブログで紹介済)」や「六つのナポレオン像(The Six Napoleons  → 2026年10月13日付ブログで紹介済)」と同様に、36ページの中に、物語がうまくまとめられている。