2026年4月14日火曜日

ロンドン セシルコート11番地(11 Cecil Court)

モーツァルト一家がロンドンで最初に滞在した
セシルコート11番地の建物を正面から見たところ
<筆者撮影>

アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)が1938年に発表した「ポワロのクリスマス(Hercule Poirot’s Christmas)」において、アドルスフィールドのロングデイルにある屋敷ゴーストンホールの当主シメオン・リー( Simeon Lee)がクリスマスに呼び集められた彼の四男で芸術家のデイヴィッド・リー(David Lee)に対して、妻のヒルダ・リー(Hilda Lee)がリクエストしたピアノ曲の作曲者は、主にオーストリアを活動拠点とした音楽家のヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart:1756年ー1791年)である。


英国の HarperCollinsPublishers 社から以前に出版されていた
アガサ・クリスティー作「ポワロのクリスマス」ペーパーバック版の表紙 -
ゴーストンホールの2階の「密室」状態の自室において、
喉を切り裂かれて惨殺された当主のシメオン・リーを暗示するように、
彼の部屋のドアが表紙に描かれている。


ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトは、8歳の時(1764年)、父親のヨーハン・ゲオルク・レオポルト・モーツァルト(Johann Georg Leopold Mozart:1719年ー1787年)と一緒に、ロンドンを訪れて、約15ヶ月間滞在している。


ナショナルポートレートギャラリー(National Portrait Gallery)内で所蔵 / 展示されている
ハノーヴァー朝の第3代英国王であるジョージ3世の肖像画
(By the studio of Allan Ramsay / Oil on canvas /
based on a portrait of 1761 - 1762)
<筆者撮影>


ナショナルポートレートギャラリー内で所蔵 / 展示されている
ジョージ3世の王妃である
ソフィア・シャーロット・オブ・メクレンバーグ=ストレリッツ
(1744年ー1818年)の肖像画

(By the studio of Allan Ramsay / Oil on canvas /
based on a portrait of 1761 - 1762)
<筆者撮影>


ロンドンに着いて、僅か4日後に、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトは、5歳年上の姉マリア・アンナ・モーツァルト(Maria Anna Walburga Ignatia Mozart:1751年ー1829年 - 愛称:ナンネル(Nannerl))と共に、ハノーヴァー朝の第3代国王であるジョージ3世(George III:1683年ー1820年 在位期間:1760年ー1820年)の前で演奏を披露している。


オレンジスクエア内に建つ「若きモーツァルト像」を正面から見たところ -
「若きモーツァルト像」の背後で左右に延びる通りが、エバリーストリート。
<筆者撮影>


オレンジスクエアの案内板 -
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトのロンドン滞在のことが説明されている。
<筆者撮影>


ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトを含むモーツァルト一家がロンドン訪問時に滞在していた
エバリーストリート180番地の建物全景
<筆者撮影>


エバリーストリート180番地の1階の外壁には、
「ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトが、1764年にここで最初の交響曲を作曲した」ことを示す
プラークが掛けられている。
<筆者撮影>


モーツァルト一家は、オレンジスクエア(Orange Square → 2026年4月8日付ブログで紹介済)のすぐ近くにあるエバリーストリート180番地(180 Ebury Street → 2026年4月12日付ブログで紹介済)に滞在していたが、その前に、彼らはセシルコート(Cecil Court)に居た。


セシルコートの西端において、北側の建物を見上げたところ
<筆者撮影>

セシルコートの西側から東側を見たところ -
画面右側中央に見える赤い建物が、
モーツァルト一家がロンドンで最初に滞在した
セシルコート11番地。
<筆者撮影>


セシルコートは、ロンドンの中心部シティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)のストランド地区(Strand)内にある。

セシルコートは、トラファルガースクエア(Trafalgar Square)に面して建つナショナルギャラリー(National Gallery)から北上するセントマーティンズレーン( St. Martin’s Lane → 2015年12月20日 / 2026年1月28日付ブログで紹介済)とチャリングクロスロード(Charing Cross Road)を東西に結ぶ小道で、左右にはアンティークショップ等の小売店が軒を連ねている。


モーツァルト一家がロンドンで最初に滞在したセシルコート11番地に
近付いたところ(その1)
<筆者撮影>

モーツァルト一家がロンドンで最初に滞在したセシルコート11番地に
近付いたところ(その2)
<筆者撮影>


欧州大陸からロンドンへ演奏旅行にやって来たモーツァルト一家が最初に滞在した場所は、セシルコート9番地(9 Cecil Couty - 現在、Mark Sullivan & Son と言うアンティークショップが入居)とセシルコート11番地(11 Cecil Couty - 現在、Liberty Joy Archive と言う洋服屋が入居)のどちらかであるが、モーツァルト一家の滞在を示すプラークが、セシルコート9番地とセシルコート11番地の間の柱に掛けられているため、判りづらい。ただ、柱の位置関係から考慮すると、モーツァルト一家がロンドンで最初に滞在した場所は、「セシルコート11番地」の方だと思われる。


モーツァルト一家がロンドンで最初に滞在したセシルコート11番地の柱に掛けられた
プラークに近付いたところ(その1)
<筆者撮影>

モーツァルト一家がロンドンで最初に滞在したセシルコート11番地の柱に掛けられた
プラークに近付いたところ(その2)
<筆者撮影>


Cecil Court Traders Association が掛けたプラークによると、セシルコート11番地には、当時、John Cousin と言う理髪師が住んでおり、もしくは、理髪店を営んでおり、モーツァルト一家は、1764年の4月から8月までの間、ここに滞在していたようである。


2026年4月13日月曜日

アガサ・クリスティー作「終りなき夜に生れつく」<小説版(愛蔵版)>(Endless Night by Agatha Christie )- その1

2026年に英国の HarperCollinsPublishers 社から出版された
アガサ・クリスティー作「終りなき夜に生れてつく」の
愛蔵版(ハードカバー版)の表紙
(Cover design and 
illustration
by Sarah Foster / 
HarperCollinsPublishers Ltd. ) -
ドライバー等の職業を転々とするその日暮らしの風来坊であるマイケル・ロジャース
(Michael Rogers - 通称:マイク(Mike))と

米国の大富豪(石油王)の娘で、裕福な相続人であるフェニラ・グットマン

(Fenella Guteman - 通称:エリー(Ellie))の2人は、

マイクがドライバーとして働いていた頃に知り合った芸術家気質の著名な建築家で、

余命いくばくもないルドルフ・サントニックス(Rudolf Santonix)に依頼して、

キングストンビショップ村(Kingston Bishop)にある

海を臨むことができる美しい眺望の景勝地「ジプシーが丘(Gipsy’s Acre)」に

自分達の夢の邸宅を建ててもらった場面が描かれている。


英国の HarperCollinsPublishers 社から、アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)が生まれたトーキー(Torquay → 2023年9月1日 / 9月4日付ブログで紹介済)が所在するデヴォン州(Devon)が舞台となったエルキュール・ポワロシリーズの長編作品のうち、「死者のあやまち(Dead Man’s Folly)」(1956年)の愛蔵版(ハードバック版 → 2023年8月18日 / 8月22日付ブログで紹介済)と「五匹の子豚(Five Little Pigs)」(1942年)の愛蔵版(ハードバック版 → 2023年11月9日 / 11月13日付ブログで紹介済)が2023年に、更に、「白昼の悪魔(Evil Under the Sun)」(1941年)の愛蔵版(ハードバック版 → 2024年6月8日 / 6月12日付ブログで紹介済)が刊行されてい「エンドハウスの怪事件(Peril at End House)」(1932年)の愛蔵版(ハードバック版 → 2024年7月13日 / 7月21日 / 7月25日付ブログで紹介済)が2024年に出版されている。


2023年に英国の HarperCollins Publishers 社から出版された
アガサ・クリスティー作「死者のあやまち」の
愛蔵版(ハードカバー版)の表紙
(Cover design by HarperCollinsPublishers Ltd. /
Cover illustration by Becky Bettesworth) -
アガサ・クリスティーの夏期の住まいである
デヴォン州のグリーンウェイ(Greenway)が、ナス屋敷として描かれている。


2023年に英国の HarperCollins Publishers 社から出版された
アガサ・クリスティー作「五匹の子豚」の
愛蔵版(ハードカバー版)の表紙
(Cover design by HarperCollinsPublishers Ltd. /
Cover illustration by Becky Bettesworth) -
英国の有名な画家であるアミアス・クレイル(Amyas Crale)が
毒殺される事件現場になった砲台庭園が描かれている。


2024年に英国の HarperCollins Publishers 社から出版された
アガサ・クリスティー作「白昼の悪魔」の
愛蔵版(ハードカバー版)の表紙
(Cover design and 
illustration
by Sarah Foster / 
HarperCollinsPublishers Ltd. ) -

名探偵エルキュール・ポワロは、デヴォン州の密輸業者島(Smugglers’ Island)にある

Jolly Roger Hotel に滞在して、静かな休暇を楽しんでいた。

同ホテルには、美貌の元女優で、実業家ケネス・マーシャル(Captain Kenneth Marshall)の後妻となった

アリーナ・ステュアート・マーシャル(Arlena Stuart Marshall)が、

この島で何者かによって殺害されることになる。


2024年に英国の HarperCollinsPublishers 社から出版された
アガサ・クリスティー作「エンドハウスの怪事件」の
愛蔵版(ハードカバー版)の表紙
(Cover design and 
illustration
by Sarah Foster / 
HarperCollinsPublishers Ltd. ) -
「コーニッシュ リヴィエラ(Cornish Riviera)」と呼ばれる
コンウォール州(Cornwall)のセントルー村(St. Loo - 架空の場所)に近い
マジェスティックホテル(Majestic Hotel)において、
エルキュール・ポワロとアーサー・ヘイスティングス大尉は、優雅な休暇を楽しんでいた。
一方、新聞では、世界一周飛行に挑戦中の飛行家である
マイケル・シートン大尉(Captain Michael Seton)が、
太平洋上で行方不明になっていることを伝えていた。
テラスから庭へと通じる階段でポワロが足を踏み外したところ、
丁度運良くそこに通りかかったニック・バックリー(Nick Buckley -
本名:マグダラ・バックリー(Magdala Buckley))に助けられる。
彼女は、ホテルからほんの目と鼻の先にある岬の突端に立つ
やや古びた屋敷エンドハウス(End House)の若き女主人であった。


また、映画化に先立って、「ハロウィーンパーティー(Hallowe’en Party)」(1969年)の愛蔵版(ハードバック版 → 2023年10月6日 / 10月11日付ブログで紹介済)も、2023年に出ている。


2023年に英国の HarperCollins Publishers 社から出版された
アガサ・クリスティー作「ハロウィーンパーティー」の
愛蔵版(ハードカバー版)の表紙
(Cover design by Sarah Foster / HarperCollinsPublishers Ltd.
Cover images by Shutterstock.com)


更に、2025年には、動物をテーマにした「もの言えぬ証人(Dumb Witness)」(1937年)の愛蔵版(ハードバック版 → 2025年6月29日 / 7月3日付ブログで紹介済)と「鳩のなかの猫(Cat Among the Pigeons)」(1959年)の愛蔵版(ハードバック版 → 2025年8月3日 / 8月4日付ブログで紹介済)が出版された。


2025年に英国の HarperCollinsPublishers 社から出版された
アガサ・クリスティー作「もの言えぬ証人」の
愛蔵版(ハードカバー版)の表紙
(Cover design and 
illustration
by Sarah Foster / 
HarperCollinsPublishers Ltd. ) -
小緑荘(Littlegreen House)の女主人である
エミリー・アランデル(Emily Arundell)の
飼い犬であるボブ(Bob)と犬の遊び道具のボールが描かれている。
また、
エミリー・アランデルが転落して、
寝込む原因となった階段が、画面右手に描かれている。


2025年に英国の HarperCollinsPublishers 社から出版された
アガサ・クリスティー作「鳩のなかの猫」の
愛蔵版(ハードカバー版)の表紙
(Cover design and 
illustration
by Sarah Foster / 
HarperCollinsPublishers Ltd. ) -
小説のタイトルの上に留まっている鳩達と
床の上に静かに座り、鳩達を狙っている猫が描かれている。


また、2025年の冬には、エルキュール・ポワロやミス・ジェーン・マープル等が登場しないノンシリーズ作品である「シタフォードの謎(東京創元社)/ シタフォードの秘密(早川書房)(The Sittaford Mystery)」(1931年)の愛蔵版(ハードバック版 → 2026年3月19日 / 3月22日 / 3月30日付ブログで紹介済)も出版されている。


2025年に英国の HarperCollinsPublishers 社から出版された
アガサ・クリスティー作「シタフォードの謎」の
愛蔵版(ハードカバー版)の表紙
(Cover design and 
illustration
by Toby James / 
HarperCollinsPublishers Ltd. ) -
南アフリカから英国へとやって来たウィレット夫人(Mrs. Willett)と
娘のヴァイオレット・ウィレット(Miss Violet Willett)が借りている
シタフォード荘(Sittaford House)において催され降霊術会で
霊が「
トリヴェリアン大佐が死んだ(Trevelyan Dead)」と告げたため、
大佐の友人で、彼の安否を気遣った
ジョン・エドワード・バーナビー少佐(Major John Edward Burnaby)が、
吹雪の中、大佐が住む
シタフォード村(Sittaford)から6マイル離れた
エクスハンプトン村(Exhampton)の
ヘイゼルムーア荘(Hazelmoor)を訪れる場面が描かれている。


今回は、今年(2026年)に出た「終りなき夜に生れつく(Endless Night)」(1967年)について、紹介したい。

本作品は、アガサ・クリスティーが執筆した長編としては、第58作目に該り、エルキュール・ポワロやミス・ジェーン・マープル等が登場しないノンシリーズ作品である。


ちなみに、タイトルの「終りなき夜に生れつく(Endless Night)」は、英国の詩人、画家で、銅版画職人でもあったウィリアム・ブレイク(William Blake:1757年ー1827年 → 2023年5月15日付ブログで紹介済)による詩「無垢の予兆(Auguries of Innocence)」の一節である「Some are born to Endless Night.」から採られている。


2026年4月12日日曜日

ロンドン エバリーストリート180番地(180 Ebury Street)

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトを含むモーツァルト一家がロンドン訪問時に滞在していた
エバリーストリート180番地の建物全景
<筆者撮影>


アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)が1938年に発表した「ポワロのクリスマス(Hercule Poirot’s Christmas)」において、アドルスフィールドのロングデイルにある屋敷ゴーストンホールの当主シメオン・リー( Simeon Lee)がクリスマスに呼び集められた彼の四男で芸術家のデイヴィッド・リー(David Lee)に対して、妻のヒルダ・リー(Hilda Lee)がリクエストしたピアノ曲の作曲者は、主にオーストリアを活動拠点とした音楽家のヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart:1756年ー1791年)である。


英国の HarperCollinsPublishers 社から以前に出版されていた
アガサ・クリスティー作「ポワロのクリスマス」ペーパーバック版の表紙 -
ゴーストンホールの2階の「密室」状態の自室において、
喉を切り裂かれて惨殺された当主のシメオン・リーを暗示するように、
彼の部屋のドアが表紙に描かれている。


ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトは、8歳の時(1764年)、父親のヨーハン・ゲオルク・レオポルト・モーツァルト(Johann Georg Leopold Mozart:1719年ー1787年)と一緒に、ロンドンを訪れて、約15ヶ月間滞在している。


ナショナルポートレートギャラリー(National Portrait Gallery)内で所蔵 / 展示されている
ハノーヴァー朝の第3代英国王であるジョージ3世の肖像画
(By the studio of Allan Ramsay / Oil on canvas /
based on a portrait of 1761 - 1762)
<筆者撮影>


ナショナルポートレートギャラリー内で所蔵 / 展示されている
ジョージ3世の王妃である
ソフィア・シャーロット・オブ・メクレンバーグ=ストレリッツ
(1744年ー1818年)の肖像画

(By the studio of Allan Ramsay / Oil on canvas /
based on a portrait of 1761 - 1762)
<筆者撮影>


ロンドンに着いて、僅か4日後に、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトは、5歳年上の姉マリア・アンナ・モーツァルト(Maria Anna Walburga Ignatia Mozart:1751年ー1829年 - 愛称:ナンネル(Nannerl))と共に、ハノーヴァー朝の第3代国王であるジョージ3世(George III:1683年ー1820年 在位期間:1760年ー1820年)の前で演奏を披露している。


オレンジスクエア内に建つ「若きモーツァルト像」を正面から見たところ -
「若きモーツァルト像」の背後で左右に延びる通りが、エバリーストリート。
<筆者撮影>


オレンジスクエアの案内板 -
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトのロンドン滞在のことが説明されている。
<筆者撮影>


彼の没後200周年を記念して、スコットランドの彫刻家であるフィリップ・ヘンリー・クリストファー・ジャクスン(Philip Henry Christopher Jackson:1944年ー)が制作して、ウィンザー朝(House of Windsor)の第4代女王であるエリザベス2世(Elizabeth II:1926年ー2022年 在位期間:1952年ー2022年)の妹スノードン伯爵夫人マーガレット王女(Princess Margaret, Countess of Snowdon:1930年ー2002年)が1994年に除幕式を行なった「若きモーツァルト像(The Young Mozart)」が設置されているオレンジスクエア(Orange Square)については、2026年4月8日付ブログで紹介済である。


「Nicholson - Super Scale - London Atlas」から
ベルグラヴィア地区の地図を抜粋。-
ピムリコロード近くの「WC」表示がある場所に、オレンジスクエアが所在している。


モーツァルト一家が滞在していた家は、オレンジスクエアのすぐ近くにあるエバリーストリート(Ebury Street)沿いに建っている。

エバリーストリートは、ロンドンの中心部シティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)のベルグラヴィア地区(Belgravia)内にある。なお、ベルグラヴィア地区は、西側の地下鉄スローンスクエア駅(Sloane Square Tube Station)と東側のヴィクトリア駅(Victoria Station → 2015年6月13日付ブログで紹介済)/ 地下鉄ヴィクトリア駅(Victoria Tube Station → 2017年7月2日付ブログで紹介済)に挟まれた地域である。

エバリーストリートは、オレンジスクエアがある場所で、ピムリコロード(Pimlico Road)から枝分かれして北上し、ヴィクトリア駅 / 地下鉄ヴィクトリア駅の前を通るグローヴナーガーデンズ通り(Grosvenor Gardens)に突き当たって終わるかなり長い通りである。



エバリーストリート180番地の反対側(東側)から北方面を見たところ
<筆者撮影>

エバリーストリート180番地の反対側(東側)から北方面を見たところ -
画面左奥にオレンジスクエアが所在している。
<筆者撮影>


ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトを含むモーツァルト一家が滞在していたエバリーストリート180番地は、北側のイートンテラス(Eaton Terrace)と南側のボーンストリート(Bourne Street)に挟まれたエバリーストリートの西側の中間辺りに建っている。


エバリーストリート180番地の1階(Ground Floor)のアップ
<筆者撮影>


姉マリア・アンナ・モーツァルトの日記によると、父ヨーハン・ゲオルク・レオポルト・モーツァルトが病気の間、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトは、暇潰しのために、交響曲の作曲を始めて、「交響曲第1番」を完成させている。


エバリーストリート180番地の1階の外壁には、
「ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトが、1764年にここで最初の交響曲を作曲した」ことを示す
プラークが掛けられている。
<筆者撮影>


エバリーストリート180番地の外壁には、「ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトが、1764年にここで最初の交響曲を作曲した(Wolfgang Amadeus Mozart (1756 - 1791) composed his first symphony here in 1764)」ことを示す London City Council のプラークが掛けられている。 


2026年4月11日土曜日

ロンドン ラッセルスクエア(Russell Square)- その2

南東の入口近くに設置されている
ラッセルスクエアの沿革に関する説明板
<筆者撮影>

アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)が1931年に発表した「シタフォードの謎(東京創元社)/ シタフォードの秘密(早川書房)(The Sittaford Mystery → 2026年3月19日 / 3月22日 / 3月30日付ブログで紹介済)」は、彼女が執筆した長編としては、第11作目に該り、エルキュール・ポワロやミス・ジェーン・マープル等が登場しないノンシリーズ作品である。


2025年に英国の HarperCollinsPublishers 社から出版された
アガサ・クリスティー作「シタフォードの謎」の
愛蔵版(ハードカバー版)の表紙
(Cover design and 
illustration
by Toby James / 
HarperCollinsPublishers Ltd. ) -
南アフリカから英国へとやって来たウィレット夫人と
娘のヴァイオレット・ウィレットが借りている
シタフォード荘において催され降霊術会で
霊が「
トリヴェリアン大佐が死んだ」と告げたため、
大佐の友人で、彼の安否を気遣った
ジョン・エドワード・バーナビー少佐が、
吹雪の中、大佐が住む
シタフォード村から6マイル離れたエクスハンプトン村の
ヘイゼルムーア荘を訪れる場面が描かれている。


海軍のジョーゼフ・アーサー・トリヴェリアン大佐(Captain Joseph Arthur Trevelyan)は、10年前に退役した後、デヴォン州(Devon)ダートムーア(Dartmoor)の周辺部に所在するシタフォード(Sittaford)と言う小さな村に退き、シタフォード荘(Sittaford House)と言う屋敷を建てて、そこに住んでいたが、ある年の10月の終わり頃、不動産エージェント経由、冬の間、シタフォード荘を借りたいと言う依頼があり、先方が提示した家賃の額も非常に良かったため、彼はシタフォード村から6マイル離れたエクスハンプトン(Exhampton)と言う村に所在するヘイゼルムーア荘(Hazelmoor)を借りて、転居した。


そして、南アフリカから英国へとやって来たウィレット夫人(Mrs. Willett)と娘のヴァイオレット・ウィレット(Miss Violet Willett)の2人がシタフォード荘に入居して、約2ヶ月が経過した12月のある金曜日の午後、ウィレット母娘の2人やお茶会に招待されたシタフォード荘の周りに住む4人が行ったテーブルターニング(table-turning / 降霊術会)での霊のお告げ通り、ジョーゼフ・トリヴェリアン大佐の安否を気遣ったジョン・バーナビー少佐(Major John Edward Burnaby)が、2時間半後(午後8時前)、吹雪の中、ジョーゼフ・トリヴェリアン大佐が住むヘイゼルムーア荘に到着したところ、ジョーゼフ・トリヴェリアン大佐は、砂が入った緑色の袋で頭部を殴打されて、殺害されていたのである。


2025年に英国の HarperCollinsPublishers 社から出版された
アガサ・クリスティー作「シタフォードの謎」の愛蔵版(ハードカバー版)の内扉 
-
南アフリカから英国へとやって来たウィレット夫人と
娘のヴァイオレット・ウィレットが借りている
シタフォード荘において催され降霊術会で
霊が「
トリヴェリアン大佐が死んだ」と告げたため、
大佐の友人で、彼の安否を気遣った
ジョン・エドワード・バーナビー少佐が、
吹雪の中、大佐が住む
エクスハンプトン村(シタフォード村から6マイル離れている)の
ヘイゼルムーア荘を訪れるが、
地面に降り積もった雪の上に残された
ジョン・エドワード・バーナビー少佐の足跡が、
内扉にデザインされているものと思われる。


ジョーゼフ・トリヴェリアン大佐の遺産の相続人の一人で、彼の妹メアリー・ピアスン(Mary Pearson - 故人)の次男ブライアン・ピアスン(Brian Pearson)は、オーストラリア(Australia)のニューサウスウェールズ(New South Wales)に在住しているとのことだったが、実際には、英国に居て、その上、ヴァイオレット・ウィレットと恋仲であることも判明した。

そして、ブライアン・ピアスンは、ロンドン市内のラッセルスクエア(Russell Square)にある Ormsby Hotel に宿泊していたのだった。


「Nicholson - Super Scale - London Atlas」から
ブルームズベリー地区の地図を抜粋。


ブライアン・ピアスンが滞在していたホテルが所在するラッセルスクエアは、ロンドンの特別区の一つであるカムデン区(London Borough of Camden)のブルームズベリー地区(Bloomsbury)内にある正方形の広場で、ロンドンで2番目に大きい。


ラッセルスクエアの南東の入口近くから北方面を見たところ
<筆者撮影>

ラッセルスクエアの南東の入口近くから東方面を見たところ
<筆者撮影>

ラッセルスクエアの南東の入口近くから南方面を見たところ
<筆者撮影>


現在のラッセルスクエアとブルームズベリースクエア(Bloomsbury Square → 2025年2月24日 / 2月26日付ブログで紹介済)の間に、ベッドフォード公爵(Duke of Bedord)が所有するベッドフォードハウス(Bedford House)が建っていた。


ラッセルスクエア内で見かけることができる野鳥に関する説明板
<筆者撮影>

英国の貴族で、ホイッグ党(Whig)の政治家でもあった第5代ベッドフォード公爵フランシス・ラッセル(Francis Russell, 5th Duke of Bedford:1765年ー1802年)は、1800年にベッドフォードハウスを取り壊すと、英国の不動産開発業者であるジェイムズ・バートン(James Burton:1761年ー1837年)に依頼して、住宅の建設を進めた。

また、英国の造園師であるハンフリー・レプトン(Humphry Repton:1752年ー1818年)に依頼して、ラッセルスクエアの設計を行った。


ラッセルスクエア内の案内図
<筆者撮影>

ラッセルスクエアは、1801年から1805年までの建設期間を経て、完成。生憎と、第5代ベッドフォード公爵フランシス・ラッセルは、ラッセルスクエアの完成を見ないまま、1802年に亡くなった。

開発以前は、近隣のサザンプトンロウ(Southampton Row)に因んで、「サザンプトンフィールズ(Southampton Fields)」、あるいは、「ロングフィールズ(Long Fields)」と呼ばれていたが、完成後、ベッドフォード公爵家の姓に因んで、「ラッセルスクエア」と命名された。



その後、英国の彫刻家であるサー・リチャード・ウェストマコット(Sir Richard Westmacott:1775年ー1856年)により、第5代ベッドフォード公爵フランシス・ラッセル像が制作され、1809年にラッセルスクエアの南側に設置された。


ラッセルスクエアの南側に建つ
第5代ベッドフォード公爵フランシス・ラッセル像の全景
<筆者撮影>

ラッセルスクエアの南側に建つ
第5代ベッドフォード公爵フランシス・ラッセル像のアップ
<筆者撮影>

ラッセルスクエアの南側に建つ
第5代ベッドフォード公爵フランシス・ラッセル像の台座 -
「MDCCCIX」は、像が設置された「1809年」を示す。
『M」は「1000年」、「D」は「500年」、「C」は「100年」、
そして、「IX」は「9年」を意味している。
<筆者撮影>

なお、第5代ベッドフォード公爵フランシス・ラッセル像は、ラッセルスクエアには背を向けて、以前、ベッドフォードハウスが建っていた方向を見つめている。