2026年4月20日月曜日

ロンドン ポーランドストリート15番地(15 Poland Street)

英国のロマン派詩人であるパーシー・ビッシュ・シェリーが住んでいた
ポーランドストリート15番地の建物全景
<筆者撮影>

アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)が1967年に発表したノンシリーズ作品である長編「終りなき夜に生れつく(Endless Night)」のタイトルは、英国の詩人、画家で、銅版画職人でもあったウィリアム・ブレイク(William Blake:1757年ー1827年 → 2023年5月15日付ブログで紹介済)による詩「無垢の予兆(Auguries of Innocence → 2026年4月16日付ブログで紹介済)」の一節である「Some are born to Endless Night.」から採られている。


2020年に英国のロイヤルメール(Royal Mail)から発行された
英国の詩人を特集した切手10種類の一人として、
ウィリアム・ブレイクが作詞した「無垢の予兆」が選ばれた。
132行に及ぶ「無垢の予兆」のうち、最初の2行が抜粋されている。
「To see a World in a Grain of Sand
And a Heaven in a Wild Flower」
「一粒の砂にも、世界を見
一輪の野の花にも、天国を見」(筆者訳)


ウィリアム・ブレイクは、1757年11月28日、現在のシティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)ソーホー地区(Soho)内に所在するブロードウィックストリート28番地(28 Broadwick Street → 2026年4月19日付ブログで紹介済)で生まれているが、パーシー・ビッシュ・シェリー(Percy Bysshe Shelley:1792年ー1822年)が住んでいた家が近くに所在している。


ナショナルポートレートギャラリー(National Portrait Gallery)で所蔵 / 展示されている
パーシー・ビッシュ・シェリーの肖像画
(By Alfred Clint, after Amelia Curran, and Edward Ellerker Williams /
Oil on canvas / about 1829, based on a work of 1819)
<筆者撮影>

パーシー・ビッシュ・シェリーは、英国のロマン派詩人で、ゴシック小説「フランケンシュタイン、或いは、現代のプロメテウス(Frankenstein; or, the Modern Prometheus. → 2021年3月24日付ブログで紹介済)」(1818年)を執筆し、フランケンシュタインの怪物を創造して、SF の先駆者と見做される英国の小説家メアリー・ウルストンクラフト・ゴドウィン・シェリー(Mary Wollstonecraft Godwin Shelley:1797年ー1851年 → 2021年3月9日 / 3月16日付ブログで紹介済)の夫である。


2020年に英国のロイヤルメールから発行された
英国の詩人を特集した切手10種類の一人として、
パーシー・ビッシュ・シェリーが選ばれている。


パーシー・シェリーは、1792年8月4日、ウェストサセックス州(West Sussex)ホルシャム(Horsham)近くのフィールドプレイス(Field Place)に、富裕な貴族の長男として出生。父親は、サー・ティモシー・シェリー(Timonthy Shelley:1753年ー1844年)で、母親は、エリザベス・ピルフォルド(Elizabeth Pilfold:1763年ー1846年)。


イートン校(Eton College)を経て、1810年10月にオックスフォード大学(University College, Oxford → 2015年11月21日付ブログで紹介済)に入学するも、1811年に「無神論の必要(Necessity of Atheism)」というパンフレットを書いて、オックスフォードの書店で売り出すという暴挙に出たため、同年3月に大学から放校となった。


オックスフォード大学から放校となる前の1810年12月、彼は、妹の学友であるハリエット・ウェストブルック(Harriet Westbrook:1795年ー1816年)と出会い、彼女の学校での不遇に同情して、翌年の1811年8月に、彼女と結婚する。その後、彼は、アイルランドやウェールズを放浪する。


1814年、妻ハリエットやその姉と不和になったパーシー・シェリーは、幼い頃に読んだ「政治的正義」を執筆した無政府主義の先駆者でもある英国の政治評論家 / 著述家のウィリアム・ゴドウィン(William Godwin:1756年ー1836年)の邸に足しげく通うようになる。

そして、そこで、彼は、ウィリアム・ゴドウィンの娘であるメアリー(当時の名前は、まだメアリー・ウルストンクラフト・ゴドウィン)と出会い、付き合うようになる。ただ、当時、パーシー・シェリーは、妻帯者だったため、彼との恋愛に父親であるウィリアム・ゴドウィンは大反対をし、その結果、同年、メアリー・ウルストンクラフト・ゴドウィンは、パーシー・シェリーと一緒に、欧州大陸へ駆け落ちをするのであった。


ナショナルポートレートギャラリーで販売されている
第6代バイロン男爵ジョージ・ゴードン・バイロンの肖像画の葉書
(Richard Westall
 / 1813年 / Oil on canvas
914 mm x 711 mm) 


一旦、欧州大陸から英国に帰国するものの、パーシー・シェリーの友人で、英国のロマン派詩人である第6代バイロン男爵ジョージ・ゴードン・バイロン(George Gordon Byron, 6th Baron Byron:1788年ー1824年 → 2021年5月9日+2024年8月24日 / 8月30日付ブログで紹介済)に誘われて、1816年5月、バイロン卿、彼の愛人であるクレア・クレモント(Claire Clairmont:1798年ー1879年 / メアリー・シェリーの義姉妹)、パーシー・シェリーとメアリー・ウルストンクラフト・ゴドウィンの4人は、スイス / ジュネーヴ近郊のレマン湖畔にあるディオダディ荘(Villa Diodati)に滞在した。


020年に英国のロイヤルメールから発行された
英国の詩人を特集した切手10種類の一人として、
第6代バイロン男爵ジョージ・ゴードン・バイロン(=バイロン卿)が選ばれている。


同年7月、長く降り続く雨のため、屋内に閉じ込められていた折、バイロン卿は、「皆で一つずつ怪奇譚を書こう。(We will write a ghost story.)」と、他の3人に提案した。このディオダディ荘での怪奇談議を切っ掛けに、メアリー・ウルストンクラフト・ゴドウィンは、フランケンシュタインの怪物の着想を得て、小説の執筆に取りかかった。


英国の The Orion Publishing Group Ltd. より2022年に出ている
ジグソーパズル「フランケンシュタインの世界(The World of Frankenstein)」における
スイス / ジュネーヴ近郊のレマン湖畔にある
ディオダディ荘での怪奇談議 -
画面左側から、
英国のロマン派詩人であるパーシー・ビッシュ・シェリー、
メアリー・ウルストンクラフト・ゴドウィン・シェリー
(当時は、まだ
メアリー・ウルストンクラフト・ゴドウィン)、
そして、
英国のロマン派詩人である第6代バイロン男爵ジョージ・ゴードン・バイロンだと思われる。
<筆者撮影>


同年9月、彼ら4人が英国に帰国した後、同年12月10日に、ハイドパーク(Hyde Park → 2015年3月14日付ブログで紹介済)のサーペンタイン湖(Serpentine → 2015年3月15日付ブログで紹介済)から入水自殺したパーシー・シェリーの妻ハリエット・シェリーの遺体が発見される。検死によると、ハリエット・シェリーは、パーシー・シェリー以外の男の子供を身籠っていた、とのこと。

その20日後の同年12月30日、パーシー・シェリーは、ロンドンの教会でメアリー・ウルストンクラフト・ゴドウィンと正式に結婚して、彼女は、メアリー・ウルストンクラフト・ゴドウィン・シェリーとなった。


ナショナルポートレートギャラリーで所蔵 / 展示されている
メアリー・ウルストンクラフト・ゴドウィン・シェリーの肖像画
(By Richard Rothwell / 
Oil on canvas / about 1830 - 1840)
<筆者撮影>


メアリー・シェリーは、スイス / ジュネーヴ近郊のレマン湖畔にあるディオダディ荘での怪奇談議を切っ掛けに着想を得たフランケンシュタインの怪物の話を1817年5月に脱稿し、翌年の1818年1月に匿名で出版した。このゴシック小説の正式なタイトルが、「フランケンシュタイン、或いは、現代のプロメテウス」である。当作品の出版により、後に、彼女は SF の先駆者と見做されるようになる。

1818年3月に、彼女は、夫であるパーシー・シェリーの序文を付けて、再度、匿名で同作品を出版した。

現在、一般に流布している版は、1831年に出版された第3版(改訂版)がベースとなっている。


東京創元社から刊行されている
メアリー・シェリー作「フランケンシュタイン」(創元推理文庫)の表紙
(表紙デザイン:松野光洋)-
レオナルド・ダ・ヴィンチ(Leonardo da Vinci:1452年 - 1519年)が
1485年 - 1490年頃に描いた「ウィトルウィウス的人体図(Uomo vitruviano)」が、
デザインのベースになっていると思われる。


パーシー・シェリーとメアリー・シェリーの間には、1815年に長女を生後間もなくして亡くした後、長男のウィリアム(1816年ー1819年)と次女のクレアラ(1817年ー1818年)が生まれているが、1818年9月にクレアラを赤痢で、そして、1819年6月にウィリアムをマラリアで、幼少期に亡くしまうという波瀾の人生を送っている。


1822年7月8日、パーシー・シェリーは、ジェノヴァ(Genoa)の造船業者に特注で建造させた帆船に乗り、イタリアのリヴォルノ(Livorno)からレーリチ(Lerici)への帰途についた数時間後、突然の暴風雨に襲われ、ヴィアレッジョ(Viareggio)沖で帆船は沈没。

10日後、パーシー・シェリーの遺体がヴィアレッジョ郊外の海岸に漂着したが、身元確認も困難な程に、無残な水死体となっていた。疫病の蔓延を恐れた当局の指示により、彼の遺体は、海岸で火葬された。その際、彼の友人である第6代バイロン男爵ジョージ・ゴードン・バイロンは立ち会ったが、妻のメアリー・シェリーは、当時の英国の慣習を守り、火葬には参列しなかった。


パーシー・シェリーの遺骨は、ローマのプロテスタント墓地に葬られ、墓石の表面には、「Cor Cordium(ラテン語で「心の心」の意味)」と彼が生前愛誦した句が刻まれた。

「Nothing of him that doth fade / But doth suffer a sea-change / Into something rich and strange」

(ウィリアム・シェイクスピア「テンペスト」)


また、パーシー・シェリーの心臓は、妻のメアリー・シェリーとともに、英国南部ボーンマス(Bournemouth)にあるセントピーター教区教会(The Parish Church of St. Peter)敷地内の墓に安置されている。


「Nicholson - Super Scale - London Atlas」から
ソーホー地区の地図を抜粋。



パーシー・シェリーが住んでいた家は、ウィリアム・ブレイクは、1757年11月28日が生まれたブロードウィックストリート28番地の西側を南北に延びるポーランドストリート(Poland Street)沿いにある。ブロードウィックストリート(Broadwick Street)から北へ延びるポーランドストリートが、グレイトマルボローストリート(Great Marborough Street)/ ノエルストリート(Noel Street)と交差した南東の角に建つポーランドストリート15番地(15 Poland Street)の建物が、それである。


ポーランドストリート15番地の2階(1F)の外壁には、
「詩人のパーシー・ビッシュ・シェリーが1811年にここに住んでいた」ことを示す
プラークが掛けられている。
<筆者撮影>


ポーランドストリート15番地の2階(1F)の外壁には、「詩人のパーシー・ビッシュ・シェリー(1792年ー1822年)が1811年にここに住んでいた」ことを示すイングリッシュヘリテージ(English Heritage)のプラークが掛けられている。

1881年と言うと、パーシー・シェリーが、オックスフォード大学から放校となった後、妹の学友であるハリエット・ウェストブルックと結婚した頃に該る。


ポーランドストリートの西側から
ポーランドストリート15番地の建物を見上げたところ(その1)
<筆者撮影>

ポーランドストリートの西側から
ポーランドストリート15番地の建物を見上げたところ(その2)
<筆者撮影>


ポーランドストリート15番地の建物の地上階(GF)には、現在、「Bubala Soho」と言う中華料理店が入居して営業している。


2026年4月19日日曜日

ロンドン ブロードウィックストリート28番地(28 Broadwick Street)

ウィリアム・ブレイクが出生した
ブロードウィックストリート(当時:ブロードストリート)28番地の建物全景
<筆者撮影>


アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)が1967年に発表したノンシリーズ作品である長編「終りなき夜に生れつく(Endless Night)」のタイトルは、英国の詩人、画家で、銅版画職人でもあったウィリアム・ブレイク(William Blake:1757年ー1827年 → 2023年5月15日付ブログで紹介済)による詩「無垢の予兆(Auguries of Innocence → 2026年4月16日付ブログで紹介済)」の一節である「Some are born to Endless Night.」から採られている。


2026年に英国の HarperCollinsPublishers 社から出版された
アガサ・クリスティー作「終りなき夜に生れてつく」の
愛蔵版(ハードカバー版)の表紙
(Cover design and 
illustration
by Sarah Foster / 
HarperCollinsPublishers Ltd. ) -
ドライバー等の職業を転々とするその日暮らしの風来坊であるマイケル・ロジャース
(Michael Rogers - 通称:マイク(Mike))と

米国の大富豪(石油王)の娘で、裕福な相続人であるフェニラ・グットマン

(Fenella Guteman - 通称:エリー(Ellie))の2人は、

マイクがドライバーとして働いていた頃に知り合った芸術家気質の著名な建築家で、

余命いくばくもないルドルフ・サントニックス(Rudolf Santonix)に依頼して、

キングストンビショップ村(Kingston Bishop)にある

海を臨むことができる美しい眺望の景勝地「ジプシーが丘(Gipsy’s Acre)」に

自分達の夢の邸宅を建ててもらった場面が描かれている。


2020年に英国のロイヤルメール(Royal Mail)から発行された
英国の詩人を特集した切手10種類の一人として、
ウィリアム・ブレイクが作詞した「無垢の予兆」が選ばれた。
132行に及ぶ「無垢の予兆」のうち、最初の2行が抜粋されている。
「To see a World in a Grain of Sand
And a Heaven in a Wild Flower」
「一粒の砂にも、世界を見
一輪の野の花にも、天国を見」(筆者訳)


ウィリアム・ブレイクは、1757年11月28日、現在のシティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)ソーホー地区(Soho)内に所在するブロードウィックストリート28番地(28 Broadwick Street)に、靴下商人である父ジェイムズ・ブレイク(James Blake)と母キャサリン・ブレイク(Catherine Blake)の第3子として出生。

ブロードウィックストリートは、当時、ブロードストリート(Broad Street)と呼ばれていた。


ピカデリー通り(Piccadilly → 2025年7月31日付ブログで紹介済)の北側から見た
セントジェイムズ教会
<筆者撮影>


そして、彼は、同年12月11日に、ピカデリー地区(Piccadilly)内に所在するセントジェイムズ教会(St. James’s Church → 2018年10月13日付ブログで紹介済)において、洗礼を受けた。


「Nicholson - Super Scale - London Atlas」から
ソーホー地区の地図を抜粋。


ブロードウィックストリートは、地下鉄ピカデリーサーカス駅(Piccadilly Circus Tube Station)と地下鉄オックスフォードサーカス駅(Oxford Circus Tube Station)を南北に結ぶリージェントストリート(Regent Street)、それと並行して延びるキングリーストリート(Kingly Street → 2024年7月9日付ブログで紹介済)やカーナビーストリート(Carnaby Street)の東側にあり、西側はカーナビーストリートから始まり、東側はウォーダーストリート(Wardour Street)に突き当たって終わる通りである。



ブロードウィックストリートの西側から
ブロードウィックストリート28番地(画面中央)の建物を見たところ
<筆者撮影>


ウィリアム・ブレイクがブロードウィックストリート28番地は、南北に延びるポーランドストリート(Poland Street:西側)とバーウィックストリート(Berwick Street:東側)に挟まれたブロードウィックストリートの北側の中間辺りに所在している。


ブロードウィックストリート26 / 28番地の地上階(GF)では、
現在、
「The Ivy Soho Brasserie」と言う英国料理のレストランが営業している。
<筆者撮影>

ブロードウィックストリート26 / 28番地の上階(1F / 2F / 3F / 4F)は、
現在、オフィスとして使用されているものと思われる
<筆者撮影>


ブロードウィックストリート26 / 28番地の建物の地上階(GF)には、現在、「The Ivy Soho Brasserie」と言う英国料理のレストランが入居して営業しており、26番地側が入口として使用されている。

また、ブロードウィックストリート26 / 28番地の建物の上階(1F / 2F / 3F / 4F)は、オフィスとして使用されていると思われる。


2026年4月18日土曜日

ロンドン タヴィストックプレイス通り32番地(32 Tavistock Place)

タヴィストックプレイス通りの北側から
タヴィストックプレイス32番地の建物全景を見たところ
<筆者撮影>

ジェローム・クラップ・ジェローム(Jerome Klapka Jerome:1859年ー1927年)は、シャーロック・ホームズシリーズの作者であるサー・アーサー・イグナティス・コナン・ドイル(Sir Arthur Ignatius Conan Doyle:1859年ー1930年)の友人で、英国の作家でもある。


英国の The Orion Publishing Group Ltd. から2020年に出ている
「シャーロック・ホームズの世界(The World of Sherlock Holmes)」と言うジグソーパズルの場合、
大英博物館(British Museum → 2014年5月26日付ブログで紹介済)の前に立つ人物が、
ユーモア旅行小説「ボートの三人男」等で有名な
英国の作家であるジェローム・クラップ・ジェロームである。
<筆者撮影>


ジェローム・K・ジェロームは、1859年に、信徒伝道者である父親ジェローム・クラップ(Jerome Clapp)と母親マーガリート・ジョーンズ(Marguerite Jones)の4番目の子供として、ウェストミッドランズ(West Midlands - 当時は、スタッフォード州(Staffordshire))のウォルソール(Walsall)に出生。彼の上には、兄(幼くして死去)が1人と姉が2人。彼は、父親の改名に従い、ジェローム・クラップ・ジェロームと命名された。


ジェローム・K・ジェロームの父親が地方鉱工業への投資に失敗したため、一家は貧窮して、彼は貧窮の中で育った。

彼は、政治か、あるいは、文学の道へ進むことを望んでいたが、彼が13歳の時に、父親が、更に、15歳の時に、母親が亡くなったため、学校を辞めて、働かざるを得なくなり、ロンドン&ノースウェスタン鉄道に職を得た。


1877年、姉の演劇熱の影響を受けて、ジェローム・K・ジェロームは、役者を志して、ある移動劇団に加わった。それから3年間、彼は役者を続けたものの、うだつの上がらず、次は、ジャーナリストになるべく、随筆、風刺文や短編小説を書いたが、不採用の日々が続いた。その後、彼は、教師、梱包業者や事務弁護士の秘書等の職を転々とした。


タヴィストックプレイス32番地の建物を見上げたところ
<筆者撮影>


最終的に、ジェローム・K・ジェロームは、1885年に「On the Stage - and Off」を発表して、作家としての道を切り開き、翌年の1886年には、ユーモア随筆集の「Idle Thought of an Idle Fellow」を刊行した。

1888年6月に、ジェローム・K・ジェロームは、離婚歴があり、娘が1人居るジョージーナ・エリザベス・ヘンリエッタ・スタンリー・マリス(Georgina Elizabeth Henrietta Stanley Marris)と結婚。

ジェローム・K・ジェロームは、テムズ河(Thames River)で過ごした新婚旅行をベースにして、ユーモア旅行小説「ボートの三人男(Three Men in a Boat)」を執筆し始め、登場人物としては、彼の妻の代わりに、彼の親友二人を使った。1889年に出版された「ボートの三人男」は、直ぐに大当たりをとり、その後、映画、テレビドラマ、ラジオドラマ、舞台劇やミュージカルとして採用されたのである。


経済的な安定を得たジェローム・K・ジェロームは、その後も、戯曲、随筆や小説を書き続けたものの、残念ながら、「ボートの三人男」の成功を超えることはできなかった。

1898年に、彼は、ドイツでの滞在経験をベースにして、「ボートの三人男」の続編に該る「Three Men on the Bummel」を執筆し、「ボートの三人男」と同じ登場人物で、外国での自転車旅行をテーマにしたが、あまり大きな成功とはならず、これらのことが、彼の気分を滅入らせた。


タヴィストックプレイス32番地の建物地上階を見たところ
<筆者撮影>


第一次世界大戦(1914年ー1918年)が勃発すると、56歳だったジェローム・K・ジェロームは、英国陸軍へ入隊しようとしたが、年齢を理由に拒否されたため、フランス陸軍の救急車運転手に志願した。ただ、この戦争体験と義理の娘の死去(1921年)が、彼を更に滅入らせることになった。


1926年に自伝「My Life and Times」を出版したジェローム・K・ジェロームは、1927年6月に、デヴォン州(Devon)からロンドン までの自動車旅行に出発したが、途中で麻痺的な発作と脳出血に襲われて、2週間後に死去したのである。


「Nicholson - Super Scale - London Atlas」から
セントパンクラス地区の地図を抜粋。


ジェローム・K・ジェロームが住んでいた家が、ロンドンの特別区の一つであるカムデン区(London Borough of Camden)のセントパンクラス地区(St. Pancras)内にある。

ジェローム・K・ジェロームが住んでいた家は、ラッセルスクエア(Russell Square → 2026年4月4日 / 4月11日 / 4月15日付ブログで紹介済)の北側にあるタヴィストックスクエア(Tavistock Square)から東へ延びるタヴィストックプレイス通り(Tavistock Place)沿いにあり、西側のハーブランドストリート(Herbrand Street)と東側のマーチモントストリート(Marchmont Street)に挟まれたタヴィストックプレイス通りの南側の中間辺りに建つタヴィストックプレイス通り32番地(32 Tavistock Place)の建物が、それである。


タヴィストックプレイス通り32番地の建物の2階(1F)の外壁には、
ジェローム・K・ジェロームが、1884年から1885年の間、ここに住んでいたことを示す
プラークが掛けられている。
<筆者撮影>


タヴィストックプレイス通り32番地の建物の2階(1F)の外壁に、「「ボートの三人男」の作者であるジェローム・K・ジェローム(1859年ー1927年)が、1884年から1885年の間、ここに住んでいた」ことを示す Marchmont Association のプラークが掛けられている。

時期としては、ジェローム・K・ジェロームが「On the Stage - and Off」を執筆 / 発表して、作家としての道を切り開いた頃である。


2026年4月17日金曜日

エルキュール・ポワロの世界 <ジグソーパズル>(The World of Hercule Poirot )- その29B

英国の HarperCollinsPublishers 社から現在出版されている
アガサ・クリスティー作「ポワロのクリスマス」の
ペーパーバック版の表紙 -

雪が降る空を背景にした表紙が、

柊(ヒイラギ)の葉の形に切り取られている。


アドルスフィールドのロングデイルにある屋敷ゴーストンホールの当主シメオン・リー( Simeon Lee)は、英国上流階級に属する大富豪の老人で、若い頃、南アフリカでダイヤモンドを採掘して、ひと財産を築いた。そして、今でも、自室の金庫に保管しているダイヤモンドの原石を取り出して、手に取っては、過去を懐かしんでいた。

シメオン・リーは若い頃から残酷な仕打ちと絶え間無い女遊びを続けたため、彼の妻は心を病んだ結果、既に亡くなっており、現在は寡暮らしだった。そのため、シドニー・ホーベリー(Sydney Horbury)と言う従者 / 付き人が、彼の身の回りの世話を行っていた。


シメオン・リーは、冷酷で横暴な性格で、弱さを非常に嫌悪していた。また、彼は、力と勇気を讃え、金銭的には気前がよかったものの、彼が好んで発するユーモアには、サディスティックな傾向が強かった。更に、他人の貪欲さや欲望等につけ込んで、人の感情を掻き回すことが大好きだったのである。


クリスマスが間近に迫る中、シメオン・リーは、最も新しい気晴らしをを思い付いた。

それは、クリスマスに、方々に住んでいる自分の家族全員をゴーストンホールに呼び集めた上、彼らを色々と動揺させて楽しむと言う遊びだった。


シメオン・リーによってゴーストンホールに呼び集めた家族は、以下の通り。


*アルフレッド・リー(Alfred Lee):シメオン・リーの長男で、父親と同居

*リディア・リー(Lydia Lee):アルフレッド・リーの妻

*ハリー・リー(Harry Lee):シメオン・リーの次男で、放蕩息子(prodigal son)

*ジョージ・リー(George Lee):シメオン・リーの三男で、英国下院議員

*マグダリーン・リー(Magdalene Lee):ジョージ・リーの妻

*ディヴィッド・リー(David Lee):シメオン・リーの四男で、画家

*ヒルダ・リー(Hilda Lee):ディヴィッド・リーの妻

*ピラール・エストラバドス(Pilar Estravados):シメオン・リーの長女ジェニファー(Jennifer - 故人)の娘


また、シメオン・リーの旧友の息子であるスティーヴン・ファー(Stephen Farr)が、思い掛け無い飛び入りゲストとして、上記のメンバーに加わった。


軍に入隊していたにもかかわらず、父シメオン・リーに呼び戻されて、ゴーストンホールでの同居を強いられている長男アルフレッド、父シメオン・リーの金を着服した後、行方をくらましたにもかかわらず、その後も何度も不始末を仕出かしては、父に金をせびる次男ハリー。本来であれば、次男のハリーが父シメオン・リーの後を継ぐ予定だったが、次男ハリーの放蕩ぶりのため、ゴーストンホールに呼び戻された長男アルフレッドは、次男ハリーの帰還のことを快く思っていなかった。そのため、再会早々に不仲となる長男アルフレッドと次男ハリー。

妻マグダリーンによる浪費と議員活動のために、金が必要な三男ジョージ。

不遇の中、早世した母親のために、父シメオン・リーに対して長年の恨みを募らせる四男ディヴィッド。

その上、彼らの感情を更に煽るかのように、シメオン・リーは、家族全員の前で、「遺言状を書き換える」旨の発言を行い、ゴーストンホールは、不穏な空気に包まれる。


自分に対して絶対的な自信を有するシメオン・リーであったが、今度ばかりは、お遊びの度が過ぎていた。

そして、地元警察のサグデン警視(Superintendent Sugden)が、警察孤児院への寄付の集金のため、シメオン・リーの元を訪れたクリスマスイヴの日(12月24日)の夜、事件は発生する。

サグデン警視がゴーストンホールを辞去した後、シメオン・リーの部屋から、凄まじい物音と叫び声が聞こえてきたのである。それを聞いて、家族全員が鍵のかかったドアを壊して、部屋の中に入ると、そこには、メチャクチャになった家具とシメオン・リーの惨殺死体が転がっていたのである。


エルキュール・ポワロは、
ジグソーパズル「エルキュール・ポワロの世界」の中央に立っている。
<筆者撮影>


シメオン・リーの惨殺死体を発見したアルフレッド・リー達が警察に連絡しようとしたところ、サグデン警視が丁度ゴーストンホールに戻って来たところで、サグデン警視が事件の捜査を担当することとなった。

クリスマス休暇を過ごすために、ミドルシャー州の警察部長であるジョンスン大佐(Colonel Johnson)の家を訪れていたエルキュール・ポワロ(Hercule Poirot → 2025年10月11日付ブログで紹介済)は、ジョンスン大佐からの依頼を受けて、サグデン警視による事件捜査に協力することになる。

事件捜査を担当するサグデン警視は、上司であるジョンスン大佐とポワロに対して、「ゴーストンホールのシメオン・リーの元を訪れたが、警察孤児院への寄付の集金と言うのは、表向きのの理由で、実際には、シメオン・リーから「金庫に保管していたダイヤモンドの原石が盗まれたので、盗んだ犯人を捕まえてほしい。」と言う依頼を受けたからだ。」と説明するのであった。


(67)研磨していないダイヤモンド / ダイヤモンドの原石(uncut diamonds)



ゴーストンホールの当主シメオン・リーは、英国上流階級に属する大富豪の老人で、若い頃、南アフリカでダイヤモンドを採掘して、ひと財産を築いた。そして、今でも、自室の金庫に保管しているダイヤモンドの原石を取り出して、手に取っては、過去を懐かしんでいた。


(68)クリスマスツリー(Christmas tree)



シメオン・リーは、冷酷で横暴な性格で、他人の貪欲さや欲望等につけ込んで、人の感情を掻き回すことが大好きだった。

クリスマスが間近に迫る中、シメオン・リーは、クリスマスに、方々に住んでいる自分の家族全員をゴーストンホールに呼び集めた上、彼らを色々と動揺させて楽しむと言う新しい気晴らしを思い付いた。


2026年4月16日木曜日

ウィリアム・ブレイク作詩「無垢の予兆」(Auguries of Innocence by William Blake)

2020年に英国のロイヤルメール(Royal Mail)から発行された
英国の詩人を特集した切手10種類の一人として、
ウィリアム・ブレイクが作詞した「無垢の予兆」が選ばれた。
132行に及ぶ「無垢の予兆」のうち、最初の2行が抜粋されている。
「To see a World in a Grain of Sand
And a Heaven in a Wild Flower」
「一粒の砂にも、世界を見
一輪の野の花にも、天国を見」(筆者訳)


アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)が1967年に発表したノンシリーズ作品である長編「終りなき夜に生れつく(Endless Night)」のタイトルは、英国の詩人、画家で、銅版画職人でもあったウィリアム・ブレイク(William Blake:1757年ー1827年 → 2023年5月15日付ブログで紹介済)による詩「無垢の予兆(Auguries of Innocence)」の一節である「Some are born to Endless Night.」から採られている。


2026年に英国の HarperCollinsPublishers 社から出版された
アガサ・クリスティー作「終りなき夜に生れてつく」の
愛蔵版(ハードカバー版)の表紙
(Cover design and 
illustration
by Sarah Foster / 
HarperCollinsPublishers Ltd. ) -
ドライバー等の職業を転々とするその日暮らしの風来坊であるマイケル・ロジャース
(Michael Rogers - 通称:マイク(Mike))と

米国の大富豪(石油王)の娘で、裕福な相続人であるフェニラ・グットマン

(Fenella Guteman - 通称:エリー(Ellie))の2人は、

マイクがドライバーとして働いていた頃に知り合った芸術家気質の著名な建築家で、

余命いくばくもないルドルフ・サントニックス(Rudolf Santonix)に依頼して、

キングストンビショップ村(Kingston Bishop)にある

海を臨むことができる美しい眺望の景勝地「ジプシーが丘(Gipsy’s Acre)」に

自分達の夢の邸宅を建ててもらった場面が描かれている。


ウィリアム・ブレイクは、1757年11月28日、ロンドンのソーホー地区(Soho)内に所在するブロードウィックストリート28番地(28 Broadwick Street)に、靴下商人である父ジェイムズ・ブレイク(James Blake)と母キャサリン・ブレイク(Catherine Blake)の第3子として出生し、同年12月11日に、ピカデリー地区(Piccadilly)内に所在するセントジェイムズ教会(St. James’s Church → 2018年10月13日付ブログで紹介済)において、洗礼を受けた。


ピカデリー通り(Piccadilly → 2025年7月31日付ブログで紹介済)の北側から見た
セントジェイムズ教会
<筆者撮影>


ウィリアム・ブレイクは、幼少期から絵の才能を開花し、絵画の学校に入学。また、1772年に、彫刻家であるジェイムズ・バサイア(James Basire:1730年-1802年)に弟子入り。

長じると、彼は、銅版画家、そして、挿絵画家として、生計を立てた。


イングランドの劇作家 / 詩人であるウィリアム・シェイクスピア
(William Shakespeare:1564年ー1616年)作の喜劇
「夏の夜の夢(A Midsummer Night’s Dream)」(1595年ー1596年)を題材にして、
ウィリアム・ブレイクが描いた
水彩画「オーベロン、ティターニア、パックと妖精の踊り
(Oberon, Titania and Puck with Fairies Dancing)」(1786年頃)-
画面左側から、「妖精の王オーベロン(Oberon)」、

「妖精の女王ティターニア(Titania)」と「悪戯好きの妖精パック(Puck)」が居て、

「蛾の羽(Moth)の妖精」、「芥子の種(Mustardseed)の妖精」、

「蜘蛛の巣(Cobweb)の妖精」、そして、「豆の花(Peaseblossom)の妖精」の4人は、

両手を繋ぎ、輪になって踊っている

この水彩画を所蔵しているテイト・ブリテン美術館

(Tate Britain → 2018年2月18日付ブログで紹介済)で購入した絵葉書から抜粋。


1787年頃、ウィリアム・ブレイクは、新しいレリーフ・エッチングの手法を発明し、言語テクストと視覚テクストを同列に表現できるようにしたことに加えて、出版者に頼らず、自分の印刷機を使って、自分の本を印刷できるようになった。


上記の通り、ウィリアム・ブレイクは、後の出版印刷業界に対して、大きな影響を与えることになったものの、実際には、世に殆ど認知されないまま、極貧の生活を辿り、1827年8月12日に亡くなり、シティー(City → 2018年8月4日 / 8月11日付ブログで紹介済)のバンヒルフィールズ(Bunhill Fields)に埋葬された。


ウィリアム・ブレイクによる詩「無垢の予兆」は、132行に及ぶが、アガサ・クリスティー作「終りなき夜に生れつく」の冒頭には、119行目から124行目までの6行分が引用されている。


Every Night and every Morn

Some to Misery are born.

Every Morn and every Night

Some are born to Sweet Delight,


Some are born to Sweet Delight,

Some are born to Endless Night,


ありとあらゆる夜と朝に、

不幸に生まれる者が居る。

ありとあらゆる朝と夜に、

甘美なる喜びに生まれる者が居る。


ある者は、甘美なる喜びに生まれる。

ある者は、終りなき夜に生れつく。

<筆者訳>