2026年7月7日火曜日

エルキュール・ポワロの世界 <ジグソーパズル>(The World of Hercule Poirot )- その37A

英国の HarperCollinsPublishers 社から以前に出版されていた
アガサ・クリスティー作「マギンティー夫人は死んだ」ペーパーバック版の表紙 -
スペンス警視の依頼に応じて、事件の再調査を始めたエルキュール・ポワロは、
マギンティー夫人が、殺される3日前に、
タブロイド紙に掲載された昔の事件に関係した女性達の写真を切り取っていたこと、
また、そのうちの誰かが村に居ると手紙に記して
新聞社宛に送っていたことを知る。
マギンティー夫人がタブロイド紙に掲載された昔の事件に関係した女性達の写真を
切り取るのに使われた鋏が、表紙に使用されたものと思われる。


英国の Orion Publishing Group Ltd. から2023年に発行されている「エルキュール・ポワロの世界(The World of Hercule Poirot)」と言うジグソーパズル内に散りばめられているエルキュール・ポワロシリーズの登場人物や各作品に関連した112個の手掛かりについて、引き続き、紹介したい。

前回に引き続き、各作品に出てくる登場人物、建物や手掛かり等が、その対象となる。


ジグソーパズル「エルキュール・ポワロの世界」の完成形
<筆者撮影>


(84)砂糖ハンマー(sugar hammer)



ジグソーパズル中央に立つエルキュール・ポワロ(Hercule Poirot → 2025年10月11日付ブログで紹介済)の左斜め後ろで、両腕を胸の前で組んだアーサー・ヘイスティングス大尉(Captain Arthur Hastings → 2025年10月12日付ブログで紹介済)が凭れ掛かっているのが、大理石の暖炉(marble fireplace → 2026年6月25日付ブログで紹介済)である。この暖炉の上の中央辺りに、砂糖ハンマーが置かれている。


(85)写真(photograph)



ジョン・レイス大佐(Colonel John Race → 2025年10月25日付ブログで紹介済)が、ジグソーパズルの左下近くに居て、ジグソーパズル中央に立つエルキュール・ポワロの方を見つめている。背広を着て、右手には、帽子を持っている。なお、背広の右ポケットから、メモ用紙なのか、紙のようなものがはみ出ている。ジョン・レイス大佐の足下に、女性の写真が落ちている。


(86)口紅が付いた紅茶茶碗(teacup with a lipstick stain)



ジグソーパズル中央に立つエルキュール・ポワロの前にあるテーブルの上に、口紅が付いた紅茶茶碗がおかれている。


これらから連想されるのは、アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)が1952年に発表した「マギンティー夫人は死んだ(Mrs. McGinty’s Dead)」である。

マギンティー夫人は死んだ」は、アガサ・クリスティーが執筆した長編としては、第42作目に該り、そして、エルキュール・ポワロシリーズの長編としては、第24作目に該っている。


なお、当初、米国のシカゴトリビューン紙(Chicago Tribune)の日曜日版に、1951年10月7日から同年12月30日にかけて、13回の掲載が行われた際、「Blood Will Tell」と言うタイトルが使用されている。


エルキュール・ポワロは、
ジグソーパズル「エルキュール・ポワロの世界」の中央に立っている。
<筆者撮影>


「マギンティー夫人は死んだ」の場合、キルチェスター警察に勤務し、間もなく定年を迎えるスペンス警視(Superintendent Spence)は、友人であるエルキュール・ポワロの元を訪れるところから、その物語が始まる。

スペンス警視は、ポワロに対して、「僅か30ポンドのために、家主であるマギンティー夫人(Mrs. McGinty)を殺害した罪状により、死刑判決を受けた間借り人のジェイムズ・ゴードン・ベントリー(James Gordon Bentley)が真犯人だと思えないので、事件の再調査をしてほしい。」と依頼するのであった。


スペンス警視は、事件の詳細について、ポワロに説明する。


雑役婦 / 掃除婦(charwoman)として、いくつもの家に通っていたマギンティー夫人は、自宅の客間の床の上で死んでいるのを発見された。マギンティー夫人の家内は、家探しされており、寝室の床板の下に隠してあった30ポンドの現金が紛失していた。マギンティー夫人を殺害した凶器は見つかっておらず、押し入れられた形跡もなかった。


マギンティー夫人の間借り人であるジェイムズ・ベントリーは、上着の袖口に血がついていたにもかかわらず、マギンティー夫人が殺害された前夜以来、彼女の顔を見ていないと主張した。

また、マギンティー夫人の寝室の床板の下から紛失した30ポンドの現金は、後に家の外に隠してあるのが見つかる。


当然のことのように、間借り人のジェイムズ・ベントリーは、マギンティー夫人殺害の罪で逮捕され、事件が公判に付されると、彼はあっさりと有罪となり、死刑が確定し、死刑を待つ身となった。

あらゆる証拠がジェイムズ・ベントリーを指しているものの、スペンス警視は「事件があまりにも単純過ぎる。」と懸念を示すと、スペンス警視の話を聞いていたポワロも、彼のコメントに同意するのであった。


2026年7月6日月曜日

ロンドン コートールドギャラリー(Courtauld Gallery)- その2

コートールドギャラリーが入るサマセットハウスの北ウィング部分を
ストランド通り側から見たところ
<筆者撮影>

ロンドンの中心部シティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)のストランド地区(Strand)にあり、テムズ河(River Thames)を見下ろす絶好のロケーションに建つサマセットハウス(Somerset House → 2016年7月17日)内に設けられているコートールドギャラリー(Courtauld Gallery)は、


(1)英国の実業家であるサミュエル・コートールド(Samuel Courtauld:1876年ー1947年)

(2)英国の軍人 / 外交官 / 政治家 / 慈善家である初代/リー・オブ・フェアラム子爵アーサー・ハミルトン・リー(Arthur Hamilton Lee, 1st Viscount Lee of Fareham:1868年ー1947年)

(3)英国の美術史家であるサー・ロバート・クレルモン・ウィット(Sir Robert Clermont Witt:1872年ー1952年)


によるコレクションをベースにして、1932年に設立された。


その中でも、サミュエル・コートールドによる印象派や後期印象派のコレクションが、そのメインとなっている。

サミュエル・コートールドが印象派や後期印象派の作品を中心に収集を始めた当時、英国における印象派や後期印象派の評価はまだ低く、サミュエル・コートールドは、印象派や後期印象派の優れた作品を紹介することにより、この低評価を改善することを目指していた。


コートールドギャラリーが入るサマセットハウスの北ウィング部分を
中庭側から見たところ(その1)
<筆者撮影>


1958年から1989年にかけて、コートールド美術研究所(Courtauld Institute of Art)は、シティー・オブ・ウェストミンスター区のマリルボーン地区(Marylebone)内にあるポートマンスクエア(Portman Square)に所在する一方、コレクションは、ロンドンの特別区の一つであるカムデン区(London Borough of Camden)のブルームズベリー地区(Bloomsbury)内にあるウォバーンスクエア(Woburn Square)に置かれ、分離された扱いとなっていたが、コートールド美術研究所とコレクションの両方は、英国の建築家で、ロイヤルアカデミー(Royal Academy)の創設メンバーの一人でもあるサー・ウィリアム・チェンバーズ(Sir William Chambers:1723年ー1796年)が完成させたストランド通り(Strand → 2015年3月29日付ブログで紹介済)に面した新サマセットハウスの北ウィング部分へと、1989年に集約された。

コートールドギャラリーが入るサマセットハウスの北ウィング部分を
中庭側から見たところ(その2)
<筆者撮影>


コートールドギャラリーは、大改修工事のため、2018年9月3日に一旦閉鎖し、竣工後、2021年11月19日に再オープン。


コートールドギャラリーが入るサマセットハウスの北ウィング部分を
中庭側から見たところ(その3)
<筆者撮影>


コートールドギャラリーは、現在、ロンドン大学(University of London → 2016年8月6日付ブログで紹介済)附属コートールド美術研究所(Courtauld Institute of Art)の美術館で、500枚を超える絵画と26000枚を超える素描等を所蔵。比較的小規模であるものの、特に印象派や後期印象派のコレクションで非常に有名である。


2026年7月5日日曜日

ウィリアム・シェイクスピア作戯曲「オセロー」(’Othello’ by William Shakespeare)

ジズソーパズル「シェイクスピアの世界(The World of Shakespeare)」において、
グローブ座(Globe Theatre → 2023年5月8日付ブログで紹介済)の
右側に建っている居酒屋(tavern)の前に、
オセロー(画面右側の人物が)と
イアーゴー(画面左側の人物)が佇んでいる。
<筆者撮影>


アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)が1967年に発表した長編「終りなき夜に生れつく(Endless Night → 2026年4月13日 / 4月30日付ブログで紹介済)」は、彼女が執筆した長編としては、第58作目に該り、エルキュール・ポワロやミス・ジェーン・マープル等が登場しないノンシリーズ作品である。


2026年に英国の HarperCollinsPublishers 社から出版された
アガサ・クリスティー作「終りなき夜に生れてつく」の
愛蔵版(ハードカバー版)の表紙
(Cover design and 
illustration
by Sarah Foster / 
HarperCollinsPublishers Ltd. ) -
ドライバー等の職業を転々とするその日暮らしの風来坊であるマイケル・ロジャー(通称:マイク)と

米国の大富豪(石油王)の娘で、裕福な相続人であるフェニラ・グットマン(通称:エリー)の2人は、

マイクがドライバーとして働いていた頃に知り合った芸術家気質の著名な建築家で、

余命いくばくもないルドルフ・サントニックスに依頼して、

キングストンビショップ村にある

海を臨むことができる美しい眺望の景勝地「ジプシーが丘」に

自分達の夢の邸宅を建ててもらった場面が描かれている。


キングストンビショップ村(Kingston Bishop)にある「ジプシーが丘(Gipsy’s Acre)」は、海を臨むことができる美しい眺望の景勝地であったが、そこで以前に起こった不吉な事故によって、キングストンビショップ村の住民達からは、呪われた伝説を持つ土地として、非常に恐れられていた。


ある日、皆に恐れられている「ジプシーが丘」において、


(1)ドライバー等の職業を転々とするその日暮らしの風来坊であるマイケル・ロジャース(Michael Rogers - 通称:マイク(Mike))→ この物語の語り手



(2)米国の大富豪(石油王)の娘で、裕福な相続人であるフェニラ・グットマン(Fenella Guteman - 通称:エリー(Ellie))


は出会い、会った瞬間に、若い二人は恋に落ちた。

そして、「ジプシーが丘」こそ、自分達の生活のスタート地点として相応しいと考えたのである。


結婚したマイクとエリーの2人は、マイクがドライバーとして働いていた頃に知り合った芸術家気質の著名な建築家で、余命いくばくもないルドルフ・サントニックス(Rudolf Santonix)に依頼して、キングストンビショップ村にある海を臨むことができる美しい眺望の景勝地「ジプシーが丘」に自分達の夢の邸宅を建ててもらう。


ナショナルポートレイトギャラリー
(National Portrait Gallery)で販売されている
ウィリアム・シェイクスピアの肖像画の葉書
(Associated with John Taylor
 / 1610年頃 / Oil on panel
552 mm x 438 mm)


物語の後半、マイクとエリーの元を訪れたマイクの母親が帰った直後、マイクの母親の性格に関連して、マイクとエリーの2人の間で、イングランドの劇作家 / 詩人であるウィリアム・シェイクスピア(William Shakespeare:1564年ー1616年 → 2023年5月19日付ブログで紹介済)にかかる会話が交わされる。


‘That’s like a Shakespeare play I once saw. They did it at a school I was at.’ I quoted self-consciously, ‘“She has deceiv’d her father and may thee.”’

‘What did you play - Othello?’

‘No,’ I said, ‘I played the girl’s father. That’s why I remember that speech, I suppose. It’s practically the only thing I had to say.’

‘“She has deceiv’d her father and may thee,”’ said Ellie thoughtfully. ‘I didn’t even deceive my father as far as I know. Perhaps I would have later.’


<マイク>「僕が前に観たシェイクスピアの劇に似ている。僕が在籍していた学校では、シェイクスピアの劇を上演したんだ。」僕は、シェイクスピアの劇のある台詞を口にした。「彼女(デズデモーナ)は、父親(ブラバンショー)を騙したのだから、お前(オセロー)も騙しかねない。」

<エリー>「マイク、あなたは、オセローを演じたの?」

<マイク>「いいや」と、僕は答えた。「僕は、デズデモーナの父親ブラバンショーの役だった。だから、このセリフをを覚えているんだと思う。正直に言うと、僕が覚えているのは、この台詞だけなんだ。」

<エリー>「彼女は、父親を騙したのだから、お前も騙しかねない。」と、エリーは考え込むように言った。「私は、今までに父を騙したことは、一度もないわ。多分、これからは、あるかもしれないけれど。」


「彼女は、父親を騙したのだから、お前も騙しかねない。」は、ウィリアム・シェイクスピアによる戯曲「オセロー(Othello)」(1603年ー1604年)の有名な台詞で、デズデモーナの父親であるブラバンショーが、自分の娘であるデズデモーナと勝手に結婚したオセローに対して発したものである。


全5幕で構成される「ウィリアム・シェイクスピア作の「オセロー」の副題は、「ヴェニスのムーア人(The Moor of Venice)」で、四大悲劇の一つとなっている。


誇り高いムーア人(イスラム教徒)で、ヴェニスの軍隊の指揮官であるオセロー(Othello)は、デズデモーナ(Desdemona)と愛し合い、彼女の父親で、ヴェニス議会の議員でもあるブラバンショー(Brabantio)の反対を押し切って、彼女と結婚する。


オセローのことを嫌っている旗手のイアーゴー(Iago)は、オセローに気に入られた結果、自分よりも先に武官へと昇進したキャシオー(Cassio)がデズデモーナと不義密通をしていると、オセローに対して、讒言した。イアーゴーは、自分の讒言に真実味を加えるために、オセローがデズデモーナに贈ったハンカチを盗み出して、キャシオーの部屋に置き去ったのである。


ジズソーパズル「シェイクスピアの世界(The World of Shakespeare)」において、
居酒屋の前に居るイアーゴーは、オセローに対して、
「(オセローの)武官であるキャシオーが、(オセローの妻である)デズデモーナと不義密通している。」と、
嘘の情報を讒言している。
画面左側から、イアーゴー、オセロー、キャシオー、そして、デズデモーナ。
<筆者撮影>


イアーゴーの奸計に引っ掛かったオセローは、妻デズデモーナの貞操を疑い、嫉妬に怒り狂うと、イアーゴーに対して、キャシオーを殺すように命じる一方、デズデモーナの命を自らの手で絶ってしまう。


すると、イアーゴーの妻で、デズデモーナの召使いであるエミリア(Emilia)は、「デズデモーナのハンカチを盗んだのは、夫のイアーゴーである」ことを告白したため、怒ったイアーゴーは、妻のエミリアを刺し殺して、逃走を図った。

後に、イアーゴーは捕えられるが、真実を知って、自らの行いを深く後悔したオセローは、デズデモーナに口付けをしながら、自殺をするのであった。


ウィリアム・シェイクスピア作「オセロー」の元ネタは、ツィンツィオの「百物語(Gli Hecatommithi)」第3篇第7話にあり、


(1)

「百物語」:デズデモーナのみ、固有名が与えられているが、オセローに該る人物は「ムーア人」、また、イアーゴーに該る人物は「旗手」と呼ばれている。

「オセロー」:各人、デズデモーナ、オセロー、そして、イアーゴーと言う固有名が与えられている。


(2)

「百物語」:デズデモーナは、オセローによって、事故死に見せかけて殺される。

「オセロー」:デズデモーナは、オセロー自らの手で殺される。


(3)

「百物語」:デズデモーナを殺したことで錯乱したオセローは、イアーゴーを解職するが、後にこの罪を問われて追放されると、デズデモーナの親戚によって殺害される。

「オセロー」:真実を知って、自らの行いを深く後悔したオセローは、デズデモーナに口付けをしながら、自殺をする。


(4)

「百物語」:オセローを奸計に陥入れさせたイアーゴーは、拷問の末に死亡。

「オセロー」:イアーゴーは、真実を告白した妻のエミリアを刺し殺すと、逃亡するものの、後に捕らえられる。


等の違いはあるものの、基本的な筋は同じと言える。


バンケティングハウス入口上の外壁に設置されている
ステュアート朝第2代国王であるチャールズ1世
(Charles Ⅰ:1600年ー1649年 在位期間:1625年ー1649年
→ 2017年4月29日付ブログで紹介済)
のレリーフ -
清教徒革命(Puritan Revolution:1642年ー1649年)を経て、
1649年1月30日、バンケティングハウスの前において、
チャールズ1世の公開処刑が行われた。
<筆者撮影>


ウィリアム・シェイクスピア作「オセロー」が上演された最も古い記録は、1604年11月1日にロンドンのホワイトホール宮殿(Palace of Whitehall)で行われたものである。

ホワイトホール宮殿は、英国王室の居住地として使用されていたが、1698年の火災で大半が焼失した結果、今でも現存しているのは、バンケティングハウス(Banqueting House → 2015年10月3日付ブログで紹介済)のみ。


バンケティングハウス内(上階)で
晩餐会等が開催される場所の天井から吊り下げられているシャンデリア
<筆者撮影>


バンケティングハウスは、晩餐会や舞踏会等の目的で使用されているが、通常は、一般の見学者に開放されている。

バンケティングハウスは、イタリア遊学中にイタリア・ルネッサンス建築の影響を大きく受けた英国の建築家イニゴー・ジョーンズ(Inigo Jones:1573年ー1662年)が設計し、1622年に建築された。


ピーテル・パウス・ルーベンスによって描かれた天井画
<筆者撮影>


また、晩餐会や舞踏会等が開催される部屋の天井画は、フランドルの画家で外交官でもあったピーテル・パウス・ルーベンス(Peter Paul Rubens:1577年ー1640年)によって描かれている。 


                                       

2026年7月4日土曜日

ジョン・ディクスン・カー作「死が二人をわかつまで / 毒殺魔」(Till Death Do Us Part by John Dickson Carr)- その1

大英図書館(British Library → 2014年5月31日付ブログで紹介済)から
2023年に出版された
ジョン・ディクスン・カー作「死が二人をわかつまで / 毒殺魔」の表紙
(Front cover : NRM / Pictorial Collection / Science & Society Picture Library)

「不可能犯罪の巨匠」とも呼ばれているジョン・ディクスン・カー(John Dickson Carr:1906年ー1977年)は、米国のペンシルヴェニア州(Pennsylvania)に出生して、英国人のクラリス・クルーヴス(Clarice Cleaves)との結婚後、1932年から1946年にかけて英国のブリストル(Bristol)に居を構えていた米国の推理作家である。彼は、シャーロック・ホームズシリーズで有名なサー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Sir Arthur Ignatius Conan Doyle:1859年ー1930年)の伝記を執筆するとともに、コナン・ドイルの息子であるエイドリアン・コナン・ドイル(Adrian Conan Doyle:1910年ー1970年)と一緒に、ホームズシリーズにおける「語られざる事件」をテーマにした短編集「シャーロック・ホームズの功績(The Exploits of Sherlock Holmes)」(1954年)を発表している。


東京創元社から、創元推理文庫の一冊として出版されている
ジョン・ディクスン・カー作
「カー短編全集6 ヴァンパイアの塔」の表紙
カバー イラスト: 志村 敏子
カバーデザイン:東京創元社装幀室


ジョン・ディクスン・カーは、1944年に、「男性は、どこまで自分の妻 / 婚約者を信用しているか?」をテーマにして、英国の BBC 用にラジオドラマ「ヴァンパイアの塔(Vampire Tower → 2026年6月14日付bブログで紹介済)」を執筆している。

彼は、プロットの展開は同じであるが、米国の CBS 用にラジオドラマ「Will You Walk into My Parlor?」を執筆している。ただし、登場人物の名前は、前述の「ヴァンパイアの塔」とは異なっている上に、台詞のほとんどが書き直されている。


ジョン・ディクスン・カーは、ラジオドラマ「ヴァンパイアの塔」をベースに、ギディオン・フェル博士(Dr. Gideon Fell)シリーズの長編第15作目として、「死が二人をわかつまで / 毒殺魔(Till Death Do Us Part)」を1944年に発表しているので、今回、御紹介したい。


「死が二人をわかつまで / 毒殺魔」の場合、ある年の6月10日(木)の午後から、その物語は始まる。

Six Ashes 村の Ashe Hall において、アッシュ卿(Lord Ashe)がガーデンパーティーを開催していた。そのガーデンパーティーのバザー会場に、リチャード・マーカム(Richard Markham - 愛称:ディック(Dick))とレスリー・グラント(Lesley Grant - 28歳)の2人が訪れる。


リチャード・マーカムは、Six Ashes 村の郊外にあるコテージに住む劇作家(playwright)で、「Poisoner’s Mistake」や「Panic in the Family」と言うスリラー劇を執筆して、最近成功をおさめた(=大当たりをとった)ばかりだった。

一方、レスリー・グラントは、約半年前に Six Ashes 村にやって来た女性で、リチャード・マーカムとレスリー・グラントの2人は、先週婚約したところだった。

Six Ashes 村の住民達は、元々、前からの知り合いであるリチャード・マーカムとシンシア・ドリュー(Cynthia Drew)の2人が結婚するものと思っていたため、リチャード・マーカムとレスリー・グラントの婚約は、驚きを以って迎えられたのである。


リチャード・マーカムとレスリー・グラントの2人がバザー会場に訪れた時、今にも雨が降り出しそうな天候で、東の空では、雷鳴が微かに轟いていた。

生憎と、バザー会場の人達は、近くで行われているクリケットの試合観戦に出払っており、射的店(miniature shooting gallery)を担当しているホーレス・プライス少佐(Major Horace Price)だけが、バザー会場に残っていた。


先週、レスリー・グラントと婚約したばかりで、幸せの絶頂に居たリチャード・マーカムは、まもなく不幸のどん底へと突き落とされる羽目に陥ることになる。


2026年7月3日金曜日

フィリップ・パーサー=ハラード作「シャーロック・ホームズ / 人間消失」(Sherlock Holmes / The Vanishing Man by Philip Purser-Hallard) - その4

英国の Titan Publishing Group Ltd. の Titan Books 部門から
2019年に出版された
フィリップ・パーサー=ハラード作「シャーロック・ホームズ:人間消失」の表紙(部分)
(Images : Shutterstock)


読後の私的評価(満点=5.0)


(1)事件や背景の設定について ☆☆☆半(3.5)


英国のファンタジー / SF / 推理作家であるフィリップ・パーサー=ハラード(Philip Purser-Hallard:1971年ー)が、Titan Publishing Group Ltd. から、「シャーロック・ホームズの更なる冒険(The further adventures of Sherlock Holmes)」シリーズとは別シリーズの「シャーロック・ホームズ(Sherlock Holmes)」シリーズの一つとして、2019年に発表した「人間消失(The Vanishing Man)」の場合、1896年9月14日(月)から9月15日(火)にかけて、トマス・ケルウェイ(Thomas Kellway)と名乗る人物が「テレキネシス(Telekinesis)」を使って、物体を移動する実験を、リッチモンド(Richmond)にあるサー・ニューナム・スペイト(Sir Newham Speight - The Society for the Scientific Investigation of Psychical Phenomena の会長(Chairman))の自宅 Parapluvium House 内に設けれらた実験室で実施した際、衆人環視の中、トマス・ケルウェイが隔離された室内から姿を消してしまうと言う非常に不可思議な事件が発生したため、サー・ニューナム・スペイトは、シャーロック・ホームズに対して、助けを求める。


ヴィクトリア女王の生誕200周年を記念して、
2019年に英国のロイヤルメール(Royal Mail)から発行された切手の1枚


ハノーヴァー朝(House of Hanover)の第6代女王であるヴィクトリア女王(Queen Victoria:1819年ー1901年 在位期間:1837年ー1901年 → 2017年12月10日 / 12月17日付ブログで紹介済)が統治していたヴィクトリア朝(1837年ー1901年)、産業革命(Industrial Revolution)による経済の発展が成熟して、大英帝国は絶頂期に達した時代である。

ヴィクトリア朝の後期(1870年代ー1901年)、特に1890年代に神智学(theosophy)やその他のオカルト趣味が勃興しており、フィリップ・パーサー=ハラード作「人間消失」事件は、丁度この時期に該っている。


リッチモンドにあるサー・ニューナム・スペイトの自宅 Parapluvium House 内に設けられた
実験室の見取り図 - 
Titan Publishing Group Ltd. の Titan Books 部門から
2019年に出版された
フィリップ・パーサー=ハラード作「シャーロック・ホームズ:人間消失」から抜粋。


(2)物語の展開について ☆☆半(2.5)


サー・ニューナム・スペイトから依頼を受けたシャーロック・ホームズとジョン・H・ワトスンは、トマス・ケルウェイによるテレキネシス実験に立ち会ったサー・ニューナム・スペイト、タルボット・ライヌ(Talbot Rhyne - サー・ニューナム・スペイトの助手)や The Society for the Scientific Investigation of Psychical Phenomena の会員達から事情聴取を行うが、実験に立ち会った関係者の数が多く、この事情聴取にページ数が割かれており、残念ながら、話がなかなか進まない。


リッチモンドにあるサー・ニューナム・スペイトの自宅 Parapluvium House 内で行われた
実験における見張りのスケジュール / 組み合わせ - 
Titan Publishing Group Ltd. の Titan Books 部門から
2019年に出版された
フィリップ・パーサー=ハラード作「シャーロック・ホームズ:人間消失」から抜粋。


(3)ホームズ / ワトスンの活躍について ☆☆☆(3.0)


ページの大部分が、ホームズ / ワトスンによる関係者の事情聴取に取られてしまい、話がなかなか進まない上に、活躍の場が少ない。


(4)総合評価 ☆☆☆(3.0)


フィリップ・パーサー=ハラード作「人間消失」の場合、衆人環視の中、トマス・ケルウェイが隔離された室内から姿を消してしまうと言う非常に不可思議な事件が発生。本格推理小説的な事件である。

シャーロック・ホームズシリーズ作品に対して、本格推理小説的な解決を求めることは、正直なところ、酷なことなのかもしれないが、事件の真相は平凡で、あまり魅力的ではない。

前述の通り、ページの大部分が、ホームズ / ワトスンによる関係者の事情聴取に取られてしまい、話がなかなか進まない上に、活躍の場が少なく、物語のカタルシスを感じられない。


2026年7月2日木曜日

ロンドン コートールドギャラリー(Courtauld Gallery)- その1

コートールドギャラリーの4階(3F)にある
ルーム「Bloomsbury Group」内へ入った左手の壁に展示されている
ヴァージニア・ウルフの姉ヴァネッサ・ベルによる絵画2作品
<筆者撮影>


ロンドンの中心部シティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)のストランド地区(Strand)にあり、テムズ河(River Thames)を見下ろす絶好のロケーションに建つサマセットハウス(Somerset House → 2016年7月17日)内に設けられているコートールドギャラリー(Courtauld Gallery)には、英国の小説家 / 評論家であるヴァージニア・ウルフ(Virginia Woolf:1882年ー1941年)が、彼女の姉で、英国の画家 / インテリアデザイナーであるヴァネッサ・ベル(Vanessa Bell:1879年ー1961年)達と一緒に結成した「ブルームズベリーグループ(Bloomsbury Group)」と呼ばれる著述家や芸術家の知的サークルの作品が所蔵 / 展示されているので、今回紹介したい。


「ブルームズベリーグループ」のメンバーによる作品は、
コートールドギャラリーの4階(3F)にある
ルーム「Bloomsbury Group」内に展示されている。


コートールドギャラリーは、ロンドン大学(University of London → 2016年8月6日付ブログで紹介済)附属コートールド美術研究所(Courtauld Institute of Art)の美術館で、比較的小規模であるものの、印象派や後期印象派のコレクションで非常に有名である。


コートールドギャラリーの4階(3F)にある案内標識
<筆者撮影>


(1)ヴァネッサ・ベル(1879年ー1961年)- 英国の画家 / インテリアデザイナー


'A Conversation' by Vanessa Bell
Around 1913 - 1916 / Oil paint on canvas
<筆者撮影>

'Lilies and Iris' by Vanessa Bell
Around 1919 / Oil paint on canvas
<筆者撮影>

'Still Life at a Window' by Vanessa Bell
1922 / Oil paint on canvas
<筆者撮影>

'Study of Duncan Grant' by Vanessa Bell
1944 / Oil paint and bodycolour on wove paper
<筆者撮影>


(2)ダンカン・ジェイムズ・コロウ・グラント(Duncan James Corrowr Grant:1885年ー1978年)- 英国の画家 / 織物・陶芸・舞台美術・服飾デザイナー


'Seated Woman, Ka (Katherine) Cox' by Duncan Grant
1912 / Oil paint on wooden papel
<筆者撮影>


(3)ロジャー・エリオット・フライ(Roger Eliot Fry:1866年ー1934年)- 英国の画家 / 芸術批評家


'Copy after a Self-Portrait by Cezanne' by Roger Fry
1925 / Oil paint on cardboard
<筆者撮影>

ロジャー・フライが1913年に設立した
Omega Workshops Ltd. が制作した陶磁器 -
残念ながら、Omega Workshops Ltd. の経営はうまく行かず、
1919年に閉鎖となった。
<筆者撮影>

’Rug design' by Omega Workshops
1913 - 19 / Graphite and bodycolour on wove paper
<筆者撮影>


コートールドギャラリーに所蔵 / 展示されている作品の多くは、前述のロジャー・エリオット・フライが所有していたもので、彼が1934年に亡くなった際、彼の妹であるサラ・マージェリー・フライ(Sara Margery Fry:1874年ー1958年)がコートールドギャラリーに対して寄付したのである。


なお、ロジャー・エリオット・フライの妹サラ・マージェリー・フライは、英国の刑務所改革指導者(prison reformer)で、後に治安判事(magistrate)になった最初の女性の一人である。また、彼女は、オックスフォード(Oxford)にあるサマーヴィルカレッジ(Somerville College)の学長(principal)も務めている。


2026年7月1日水曜日

メアリー女王の庭園 - 薔薇園(Queen Mary's Gardens - Rose Gardens)- その3

Rosa - You're Beautiful(その1)
<筆者撮影>

メアリー女王の庭園(Queen Mary's Gardens → 2026年5月4日 / 5月10日 / 5月15日付ブログで紹介済)内にある薔薇園(Rose Gardens)において、主だった薔薇の写真を撮ってきたので、3回に分けて、御紹介したい。今回は、3回目です。なお、品種によっては、最盛期を過ぎている薔薇があるが、御容赦願います。

Rosa - Norwich Castle
<筆者撮影>

Rosa - Precious Time
<筆者撮影>

Rosa - Princess Anne
<筆者撮影>

Rosa - Rock & Roll
<筆者撮影>

Rosa - Saffie-Rose
<筆者撮影>

Rosa - Scarborough Fair
<筆者撮影>

Rosa - Tiamo
<筆者撮影>

Rosa - You're Beautiful(その2)
<筆者撮影>

Rosa - Your Lovely Eyes
<筆者撮影>