2026年7月23日木曜日

ロンドン リッチモンド宮殿(Richmond Palace)- その3

リッチモンド宮殿の一部として残る
Trumpeter's House
<筆者撮影>


英国のファンタジー / SF / 推理作家であるフィリップ・パーサー=ハラード(Philip Purser-Hallard:1971年ー)が、Titan Publishing Group Ltd. から、「シャーロック・ホームズの更なる冒険(The further adventures of Sherlock Holmes)」シリーズとは別シリーズの「シャーロック・ホームズ(Sherlock Holmes)」シリーズの一つとして、2019年に発表した「人間消失(The Vanishing Man → 2026年6月7日 / 6月15日 / 6月21日 / 7月3日付ブログで紹介済)」の場合、1896年9月14日(月)から9月15日(火)にかけて、トマス・ケルウェイ(Thomas Kellway)と名乗る人物が「テレキネシス(Telekinesis)」を使って、物体を移動する実験を、リッチモンド(Richmond → 2018年3月17日 / 3月24日付ブログで紹介済)にあるサー・ニューナム・スペイト(Sir Newham Speight - The Society for the Scientific Investigation of Psychical Phenomena の会長(Chairman))の自宅 Parapluvium House 内に設けれらた実験室で実施した際、衆人環視の中、トマス・ケルウェイが隔離された室内から姿を消してしまうと言う非常に不可思議な事件が発生したため、サー・ニューナム・スペイトは、シャーロック・ホームズに対して、助けを求める。


英国の Titan Publishing Group Ltd. の Titan Books 部門から
2019年に出版された
フィリップ・パーサー=ハラード作
「シャーロック・ホームズ:人間消失」の表紙
(Images : Shutterstock)


サー・ニューナム・スペイトの自宅である Parapluvium House が所在したリッチモンドは、ロンドンの特別区の一つで、ロンドン南西部郊外のリッチモンド・アポン・テムズ区(London Borough of Richmond upon Thames)内にあり、テムズ河の中流域に位置して、テムズ河の東岸に広がる高級住宅地である。


リッチモンドの周辺地図 -
Google Maps から抜粋。


リッチモンドに嘗てあったリッチモンド宮殿(Richmond Palace)は、薔薇戦争(Wars of the Roses → 2024年6月18日 / 6月24日 / 6月28日 / 7月2日付ブログで紹介済)の第三次内乱(1485年)に該り、1485年8月22日に行われたボズワースの戦い(Battle of Bosworth)において、ヨーク朝(House of York)の第3代イングランド王であるリチャード3世(Richard III:1452年-1485年 在位期間 1483年ー1485年 → 2023年10月9日 / 2024年6月14日付ブログで紹介済)を破り、テューダー朝(House of Tudor)の初代イングランド王として即位したヘンリー7世(Henry VII:1457年ー1509年 在位期間:1485年ー1509年 → 2024年7月5日付ブログで紹介済)が、同地にあった宮殿(大半が木造建築)が1497年12月23日の火災により焼失したため、翌年の1498年から1501年にかけて建設。


ナショナルポートレイトギャラリー(National Portrait Gallery)で販売されている
ヘンリー7世の肖像画の葉書
(Unknown Netherlandish artist / 1505年 / Oil on panel
425 mm x 305 mm) 


ヘンリー7世は、王位継承前、リッチモンド伯(Earl of Richmond)として知られていたので、それに因んで、新宮殿を「リッチモンド宮殿」と名付けられた。


セントバーソロミュー病院(St. Bartholomew's Hospital
→ 2014年6月14日付ブログで紹介済)の
北翼(North Wing → 2025年12月15日 / 12月19日 /
12月21日 / 12月22日付ブログで紹介済)
大広間の最奥の壁に掲げられている
ヘンリー8世の肖像画のアップ
<筆者撮影>


テューダー朝の第2代イングランド王として、ヘンリー7世の後を継いだヘンリー8世(Henry VIII:1491年ー1547年 在位期間:1509年ー1547年 → 2024年7月26日付ブログで紹介済)と最初の王妃であるキャサリン・オブ・アラゴン(Catherine of Aragon:1487年ー1536年 / カスティーリャ女王イザベル1世とアラゴン王フェルナンド2世の娘)の間に、後にテューダー朝の第4代イングランド王メアリー1世(Mary I:1516年ー1558年 在位期間:1553年-1558年)として即位するメアリー王女が生まれたものの、世継ぎとなる嫡出の王子には恵まれなかった。

ヘンリー8世がメアリー王女と母のキャサリン王妃を別居させた後、1531年8月から、リッチモンド 宮殿は、メアリー王女の主な住まいとなる。


ナショナルポートレイトギャラリーで販売されている
アン・ブーリンの肖像画の葉書
(Unknown artist / 1535 - 1536年頃 / Oil on panel
543 mm x 416 mm) 


ヘンリー8世は、キャサリン王妃の侍女であるメアリー・ブーリン(Mary Boleyn:1499年 / 1500年頃ー1543年)と関係を持っていた。更に、ヘンリー8世は、彼女の妹(諸説あり)であるアン・ブーリン(Anne Boleyn:1501年頃ー1536年)を求めるようになったが、アン・ブーリンは、姉(諸説あり)のメアリーとは異なり、愛人となることを拒み、正式な結婚を望んだ。


ザ・ウォードローブ(The Wardrobe)沿いに建つ住居(その1)-
左奥に見えるのが、リッチモンド宮殿の楼門「ゲイトハウス(Gatehouse)」
<筆者撮影>

ザ・ウォードローブ(The Wardrobe)沿いに建つ住居(その2)
<筆者撮影>


そこで、ヘンリー8世は、世継ぎとなる嫡出の王子を望めないキャサリン王妃を宮廷から追放すると、1533年、アン・ブーリンと結婚して、2番目の王妃として迎えた。そして、同年9月7日、アン・ブーリンは、グリニッジ宮殿(Greenwich Palace)において、後にテューダー朝の第5代かつ最後のイングランド王エリザベス1世(Elizabeth I:1533年ー1603年 在位期間:1558年-1603年 → 2023年6月24日 / 7月2日付ブログで紹介済)として即位するエリザベス王女を出産した。彼女の名前は、祖母に該るエリザベス・オブ・ヨーク(Elizabeth of York)とエリザベス・ハワード(Elizabeth Howard)に因んで、名付けられた。


オールドパレスヤード(Old Palace Yard)沿いに建つ住居
<筆者撮影>


最初の王妃であったキャサリンは、以前、ヘンリー8世の兄であるアーサーと結婚していたため、宮廷から追放され、故王太子の未亡人と言う地位に格下げされ、第一継承法に基づいて、エリザベス王女がヘンリー8世の世継ぎとなり、逆に、キャサリンの娘であるメアリー王女は、庶子の身分へ格下げとなった。つまり、王位継承順位で言うと、メアリー王女は、エリザベス王女の次位に下げられ、エリザベスの侍女となった。


Hatfield House and gardens by Marcus May (1995年頃)
庭園歴史博物館(Museum of Garden History)で購入した絵葉書 -
中央に建つ建物が、17世紀初めに
初代ソールズベリー伯爵ロバート・セシルが建設した主館で、
左後方に建つ建物が、
15世紀末に高位聖職者の邸宅として建設されたビショップ館、
そして、両方の館を取り巻く広大な庭園が描かれている。


メアリー王女は、1533年12月までリッチモンド宮殿に住み続けたが、生まれたばかりのエリザベス王女の侍女として、ハートフォードシャー州(Hertfordshire)のハットフィールドハウス(Hatfield Hose → 2023年6月25日付ブログで紹介済)へと移った。


ナショナルポートレイトギャラリーで販売されている
メアリー1世の肖像画の葉書
(Master John / 1544年 / Oil on panel
711 mm x 508 mm) 


テューダー朝の第3代イングランド王エドワード6世(Edward VI:1537年ー1553年 在位期間:1547年ー1553年)、そして、ヘンリー8世の妹メアリー・テューダー(Mary Tudor:1496年ー1533年)の孫に該るジェーン・グレイ(Jane Grey:1537年ー1554年 在位期間:1553年7月10日ー同年7月19日)を経て、メアリー王女がテューダー朝の第4代イングランド王メアリー1世として即位。


英国のロイヤルメール(Royal Mail)から、
2018年7月31日に発行されたハンプトンコート宮殿の記念切手の1枚 -
Hampton Court Palace : West Front


メアリー1世は、1554年、後にスペイン国王フェリペ2世(Felipe II:1527年ー1598年 在位期間:1556年ー1598年)となるフィリップ王子と結婚し、リッチモンド宮殿とハンプトンコート宮殿(Hampton Court Palace → 2024年8月9日 / 8月13日 / 8月15日付ブログで紹介済)において、ハネムーンを過ごした。


雨上がりの夕闇の中に照らされるロンドン塔
<筆者撮影>


東京創元社が発行する創元推理文庫
「帽子収集狂事件(The Mad Hatter Mystery
→ 2018年4月29日 / 5月5日付ブログで紹介済)」の表紙
カバーデザイン:本山 木犀
カバーイラスト: 榊原 一樹
(背後に見える建物が、ロンドン塔)


また、この後、妹エリザベスが生きている限り、自分の王位は安泰ではないと考えたメアリー1世は、同じカトリック教徒であるスペインのフィリップ王子と結婚することに対する宗教的反発として、1554年に勃発したトマス・ワイアット(Sir Thomas Wyatt:1521年ー1554年)によるワイアットの乱を使い、エリザベス王女による同反乱への加担を疑い、同年3月18日にロンドン塔(Tower of London → 2018年4月8日 / 4月15日 / 4月22日付ブログで紹介済)に投獄し、その後も、1年近く、彼女を幽閉状態に置いた。


セントジェイムズ宮殿の建物正面
<筆者撮影>


プロテスタントに対する過酷な弾圧を行い、「血まみれのメアリー(Bloody Mary)」と呼ばれたメアリー1世が、1558年11月17日にセントジェイムズ宮殿(St. James’s Palace → 2025年9月17日 / 9月24日 / 9月29日付ブログで紹介済)において崩御すると、エリザベス王女は、テューダー朝の第5代イングランド王エリザベス1世として即位(戴冠式は、1559年1月15日に行われた)。


ナショナルポートレイトギャラリーで販売されている
エリザベス1世の肖像画の葉書
(Unknown English artist / 1600年頃 / Oil on panel
1273 mm x 997 mm) -
エリザベス1世は、王族しか着れない
イタチ科オコジョの毛皮をその身に纏っている。
オコジョの白い冬毛は、「純血」を意味しており、
実際、エリザベス1世は、英国の安定のために、
生涯、誰とも結婚しなかったので、「処女女王」と呼ばれた。
エリザベス1世の」赤毛」と「白塗りの化粧」は、
当時流行したものである。


エリザベス1世は、新しいリッチモンドパーク(Newe Parke of Richmonde → 現在の Old Deer Park)での鹿狩りを楽しみ、リッチモンド宮殿において、多くの時を過ごす。


テムズ河(River Thames)沿いに設置されている
Old Deer Park の沿革を示す説明板
<筆者撮影>


そして、エリザベス1世は、1603年3月24日、リッチモンド宮殿において亡くなり、彼女の遺体は、艀でロンドンのホワイトホール宮殿(Whitehall Palace)へと移されたのである。


2026年7月22日水曜日

ジョシュア・レノルズ(Joshua Reynolds)- その1

ナショナルギャラリー(National Gallery)に所蔵 / 展示されている
サー・ジュシュア・レイノルズ作「Captain Robert Orme」
(1756年 / Oil paint on canvas)

<筆者撮影>

アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)が1967年に発表した長編「終りなき夜に生れつく(Endless Night → 2026年4月13日 / 4月30日付ブログで紹介済)」は、彼女が執筆した長編としては、第58作目に該り、エルキュール・ポワロやミス・ジェーン・マープル等が登場しないノンシリーズ作品である。


2026年に英国の HarperCollinsPublishers 社から出版された
アガサ・クリスティー作「終りなき夜に生れてつく」の
愛蔵版(ハードカバー版)の表紙
(Cover design and 
illustration
by Sarah Foster / 
HarperCollinsPublishers Ltd. ) -
ドライバー等の職業を転々とするその日暮らしの風来坊であるマイケル・ロジャー(通称:マイク)と

米国の大富豪(石油王)の娘で、裕福な相続人であるフェニラ・グットマン(通称:エリー)の2人は、

マイクがドライバーとして働いていた頃に知り合った芸術家気質の著名な建築家で、

余命いくばくもないルドルフ・サントニックスに依頼して、

キングストンビショップ村にある

海を臨むことができる美しい眺望の景勝地「ジプシーが丘」に

自分達の夢の邸宅を建ててもらった場面が描かれている。


キングストンビショップ村(Kingston Bishop)にある「ジプシーが丘(Gipsy’s Acre)」は、海を臨むことができる美しい眺望の景勝地であったが、そこで以前に起こった不吉な事故によって、キングストンビショップ村の住民達からは、呪われた伝説を持つ土地として、非常に恐れられていた。


ある日、皆に恐れられている「ジプシーが丘」において、


(1)ドライバー等の職業を転々とするその日暮らしの風来坊であるマイケル・ロジャース(Michael Rogers - 通称:マイク(Mike))→ この物語の語り手



(2)米国の大富豪(石油王)の娘で、裕福な相続人であるフェニラ・グットマン(Fenella Guteman - 通称:エリー(Ellie))


は出会い、会った瞬間に、若い二人は恋に落ちた。

そして、「ジプシーが丘」こそ、自分達の生活のスタート地点として相応しいと考えたのである。


エリーと結婚したマイクは、ドライバーとして働いていた頃に知り合った芸術家気質の著名な建築家で、余命いくばくもないルドルフ・サントニックス(Rudolf Santonix)に依頼して、「ジプシーが丘」に自分達の夢の邸宅を建ててもらう。


「ジプシーが丘」に建った自分達の夢の邸宅に住み始めた二人だったが、まもなく悲劇的な事件が発生する。

ある日、マイクは、キングストンビショップ村の住民で、友人となったフィルポット少佐(Major Phillpot)と一緒に、オークションへ出かけ、エリーは、乗馬に出かけた。2人は、フィルポット少佐を交えて、昼食を一緒にする約束をしていたが、いつまで待っても、エリーは待ち合わせ場所に姿を見せなかった。

やがて、エリーが森の中で死んでいるのが発見される。


ナショナルギャラリーに所蔵 / 展示されている
サー・ジュシュア・レイノルズ作「Anne, 2nd Countess of Albemarle」
(1760年頃 / Oil paint on canvas)

<筆者撮影>


I left the smaller car for Ellie as it was easier to park and took the big Chrysler myself. I got to Barrington Manor just before the sale began. Phillpot was there already and had kept a place for me.

’Some quite nice stuff here,’ he said. ‘One or two good pictures. A Romney and a Reynolds. I don’t know if you’re interested?’

I shook my head. My taste at the moment was entirely for modern artists.


僕は、エリー用に小型の車を残して、自分は大型のクライスラーを使った。小型車の方が、昼食の待ち合わせ場所に駐車し易いと思ったからだ。バリントンマナーハウスには、オークションが始まる直前に着いた。フィルポッツ少佐は、既に到着済で、僕のために席を確保しておいてくれた。

「いくつか良い掘り出し物があるんだ。」と、彼は言った。「素晴らしい絵画が1、2枚出品されている。(ジョージ・)ロムニーと(ジョシュア・)レノルズの絵画が1枚ずつ出ている。君が買いたいと思うかどうか、判らないが。」

僕は、関心がないことを示すために、首を横に振った。今のところ、僕の興味は、現代画家作品にしかなかったからだ。

<筆者 訳> 


ナショナルギャラリーに所蔵 / 展示されている
サー・ジュシュア・レイノルズ作「Lady Cockburn and her Three Eldest Sons」
(1773年 / Oil paint on canvas)

<筆者撮影>


バリントンマナーハウス(Barrington Manor)において開催されたオークションに出品された絵画の作者のうち、ジョシュア・レノルズ(Sir Joshua Reynolds:1723年ー1792年)は英国の画家で、同時代に活躍したジョージ・ロムニー(George Romney:1734年ー1802年 → 2026年5月16日 / 5月21日 / 5月26日 / 5月31日付ブログで紹介済)やトマス・ゲインズバラ(Thomas Gainsborough:1727年ー1788年)と並び称された著名な画家である。


1769年に開校した王立芸術院の250周年を記念して、
英国のロイヤルメールが2019年に発行した記念切手6枚のうちの1枚


なお、ジョシュア・レノルズは、1768年12月に創設された英国の王立芸術院(Royal Academy of Arts)の初代会長に就任して、1792年に亡くなるまで、会長職を務めている。


2026年7月21日火曜日

ロンドン コートールドギャラリー(Courtauld Gallery)- その5


ロンドンの中心部シティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)のストランド地区(Strand)にあり、テムズ河(River Thames)を見下ろす絶好のロケーションに建つサマセットハウス(Somerset House → 2016年7月17日)内に設けられているコートールドギャラリー(Courtauld Gallery)の4階(Floor 3)にある「Katja and Nicola Tangen 20th Century Gallery」において、「The Barber in London」と言う特別展が行われているので、今回紹介したい。


コートールドギャラリーの
4階(Floor 3)のレイアウト図


コートールドギャラリーは、


(1)英国の実業家であるサミュエル・コートールド(Samuel Courtauld:1876年ー1947年)

(2)英国の軍人 / 外交官 / 政治家 / 慈善家である初代/リー・オブ・フェアラム子爵アーサー・ハミルトン・リー(Arthur Hamilton Lee, 1st Viscount Lee of Fareham:1868年ー1947年)

(3)英国の美術史家であるサー・ロバート・クレルモン・ウィット(Sir Robert Clermont Witt:1872年ー1952年)


によるコレクションをベースにして、1932年に設立されたが、同じ年にバーミンガム(Birmingham)において設立されたバーバー美術研究所(Barber Institute of Fine Arts)の美術館に所蔵されている絵画の中から選定された作品が展示されている。


(1)ジョヴァンニ・ベッリーニ(Giovanni Bellini:1430年頃ー1516年)- イタリアのルネサンス期の画家


'Saint Jerome in the Wilderness' by Giovanni Bellini
1445年ー1460年頃 / Egg tempera on wood
<筆者撮影>


(2)ピーテル・パウル・ルーベンス(Peter Paul Rubens:1577年ー1640年)- バロック期のフランドルの画家 / 外交官


'A Landscape near Het Steen' by Peter Paul Rubens
1635年ー1640年頃 / Oil paint on wood
<筆者撮影>


(3)トマス・ゲインズバラ(Thomas Gainsborough:1727年ー1788年)- 英国の画家


'The Harvest Wagon' by Thomas Gainsborough
1767年 / Oil paint on canvas
<筆者撮影>


(4)ジョーゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー(Joseph Mallord William Turner:1775年ー1851年 → 2018年7月1日 / 7月8日 / 7月15日付ブログで紹介済)- 英国のロマン主義を代表する画家


'The Sun Setting through Vapour' by Joseph Mallord William Turner
1809年頃 / Oil paint on canvas
<筆者撮影>


(5)ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ(Dante Gabriel Rossetti:1828年ー1882年 → 2018年3月4日 / 3月11日付ブログで紹介済)- 英国の画家 / 詩人で、「ラファエル前派(Pre-Raphaelite Brotherhood)」(正確には、「ラファエロ以前兄弟団」)の一員


'The Blue Bower' by Dante Gabriel Rossetti
1865年 / Oil paint on canvas
<筆者撮影>


(6)エドガー・ジェルマン・イレール・ドガ(Edgar Germain Hilaire Degas:1834年ー1917年)- フランスの印象派の画家 /  彫刻家


'Jockeys before the Race' by Edgar Degas
1878年ー1879年頃 /
Oil paint, essence (thinned oil paint), opaque watercolour
and 
pastel on paper
<筆者撮影>


(7)クロード・モネ(Claude Monet:1840年ー1926年)- フランスの印象派を代表する画家


'The Church at Varengeville' by Claude Monet
1882年 / Oil paint on canvas
<筆者撮影>


(8)アンリ・マリー・レイモン・ド・トゥールーズ=ロートレック=モンファ(Henri Marie Raymond de Toulouse-Lautrec-Monfa:1864年ー1901年)- フランスの画家


'A Woman seated in a Garden'
by Henri de Toulouse-Lautrec

1890年頃 /
Essence (thinned oil paint) on cardboard

<筆者撮影>


2026年7月20日月曜日

ロンドン リッチモンド宮殿(Richmond Palace)- その2

緑地帯「リッチモンドグリーン(Richmond Green)」に面して建つ
リッチモンド宮殿の楼門「ゲイトハウス(Gatehouse)」を下から見上げたところ
<筆者撮影>

英国のファンタジー / SF / 推理作家であるフィリップ・パーサー=ハラード(Philip Purser-Hallard:1971年ー)が、Titan Publishing Group Ltd. から、「シャーロック・ホームズの更なる冒険(The further adventures of Sherlock Holmes)」シリーズとは別シリーズの「シャーロック・ホームズ(Sherlock Holmes)」シリーズの一つとして、2019年に発表した「人間消失(The Vanishing Man → 2026年6月7日 / 6月15日 / 6月21日 / 7月3日付ブログで紹介済)」の場合、1896年9月14日(月)から9月15日(火)にかけて、トマス・ケルウェイ(Thomas Kellway)と名乗る人物が「テレキネシス(Telekinesis)」を使って、物体を移動する実験を、リッチモンド(Richmond → 2018年3月17日 / 3月24日付ブログで紹介済)にあるサー・ニューナム・スペイト(Sir Newham Speight - The Society for the Scientific Investigation of Psychical Phenomena の会長(Chairman))の自宅 Parapluvium House 内に設けれらた実験室で実施した際、衆人環視の中、トマス・ケルウェイが隔離された室内から姿を消してしまうと言う非常に不可思議な事件が発生したため、サー・ニューナム・スペイトは、シャーロック・ホームズに対して、助けを求める。


英国の Titan Publishing Group Ltd. の Titan Books 部門から
2019年に出版された
フィリップ・パーサー=ハラード作
「シャーロック・ホームズ:人間消失」の表紙
(Images : Shutterstock)


サー・ニューナム・スペイトの自宅である Parapluvium House が所在したリッチモンドは、ロンドンの特別区の一つで、ロンドン南西部郊外のリッチモンド・アポン・テムズ区(London Borough of Richmond upon Thames)内にあり、テムズ河の中流域に位置して、テムズ河の東岸に広がる高級住宅地である。


リッチモンドの周辺地図 -
Google Maps から抜粋。


リッチモンド に嘗てあったリッチモンド宮殿(Richmond Palace)は、薔薇戦争(Wars of the Roses → 2024年6月18日 / 6月24日 / 6月28日 / 7月2日付ブログで紹介済)の第三次内乱(1485年)に該り、1485年8月22日に行われたボズワースの戦い(Battle of Bosworth)において、ヨーク朝(House of York)の第3代イングランド王であるリチャード3世(Richard III:1452年-1485年 在位期間 1483年ー1485年 → 2023年10月9日 / 2024年6月14日付ブログで紹介済)を破り、テューダー朝(House of Tudor)の初代イングランド王として即位したヘンリー7世(Henry VII:1457年ー1509年 在位期間:1485年ー1509年 → 2024年7月5日付ブログで紹介済)が、同地にあった宮殿(大半が木造建築)が1497年12月23日の火災により焼失したため、翌年の1498年から1501年にかけて建設。

ヘンリー7世は、王位継承前、リッチモンド伯(Earl of Richmond)として知られていたので、それに因んで、新宮殿を「リッチモンド宮殿」と名付けられた。


セントバーソロミュー病院(St. Bartholomew's Hospital
→ 2014年6月14日付ブログで紹介済)の
北翼(North Wing → 2025年12月15日 / 12月19日 /
12月21日 / 12月22日付ブログで紹介済)
大広間の最奥の壁に掲げられている
ヘンリー8世の肖像画のアップ
<筆者撮影>


ヘンリー7世が、1509年4月21日、結核のため、リッチモンド 宮殿において、52歳で崩御した後、ヘンリー8世(Henry VIII:1491年ー1547年 在位期間:1509年ー1547年 → 2024年7月26日付ブログで紹介済)が、テューダー朝の第2代イングランド王として、後を継いだ。


ケンブリッジ大学創立800周年を記念して、
英国の児童文学作家 / イラストレーターであるクェンティン・ブレイクが描いた
ヘンリー8世とキングスカレッジ合唱団の絵葉書
<筆者がケンブリッジのフィッツウィリアム博物館(Fitzwilliam Museum
→ 2024年7月20日 / 7月24日付ブログで紹介済)で購入>


ヘンリー8世は、1509年にキャサリン・オブ・アラゴン(Catherine of Aragon:1487年ー1536年 / カスティーリャ女王イザベル1世とアラゴン王フェルナンド2世の娘)と結婚し、同妃と一緒に、同年のクリスマスから十二夜までの12日間を、リッチモンド宮殿において過ごしている。

キャサリン王妃は、死産、王子を産んだが夭折、そして、流産を繰り返した後、後にテューダー朝の第4代イングランド王メアリー1世(Mary I:1516年ー1558年 在位期間:1553年-1558年)として即位するメアリー王女を1516年に出産するものの、世継ぎとなる嫡出の王子には恵まれなかった。


ナショナルポートレイトギャラリー(National Portrait Gallery)で販売されている
メアリー1世の肖像画の葉書
(Master John / 1544年 / Oil on panel
711 mm x 508 mm) 


ヘンリー8世がメアリー王女と母のキャサリン王妃を別居させた後、1531年8月から、リッチモンド 宮殿は、メアリー王女の主な住まいとなる。


現在も残る
リッチモンド宮殿の楼門「ゲイトハウス」を正面から見たところ
<筆者撮影>


メアリー王女は、1533年12月までリッチモンド宮殿に住み続けたが、ヘンリー8世の次女で、生まれたばかりのエリザベス王女(Princess Elizabeth - 後にテューダー朝の第5代かつ最後のイングランド王エリザベス1世(Elizabeth I:1533年ー1603年 在位期間:1558年-1603年 → 2023年6月24日 / 7月2日付ブログで紹介済)))の侍女になるよう、ヘンリー8世に命じられて、ハートフォードシャー州(Hertfordshire)のハットフィールドハウス(Hatfield Hose → 2023年6月25日付ブログで紹介済)へと移った。


ナショナルポートレイトギャラリーで販売されている
エリザベス1世の肖像画の葉書
(Unknown English artist / 1600年頃 / Oil on panel
1273 mm x 997 mm) -
エリザベス1世は、王族しか着れない
イタチ科オコジョの毛皮をその身に纏っている。
オコジョの白い冬毛は、「純血」を意味しており、
実際、エリザベス1世は、英国の安定のために、
生涯、誰とも結婚しなかったので、「処女女王」と呼ばれた。
エリザベス1世の」赤毛」と「白塗りの化粧」は、
当時流行したものである。


Hatfield House and gardens by Marcus May (1995年頃)
庭園歴史博物館(Museum of Garden History)で購入した絵葉書 -
中央に建つ建物が、17世紀初めに
初代ソールズベリー伯爵ロバート・セシルが建設した主館で、
左後方に建つ建物が、
15世紀末に高位聖職者の邸宅として建設されたビショップ館、
そして、両方の館を取り巻く広大な庭園が描かれている。


その後、ヘンリー8世は、1540年に、4番目の妻であるアン・オブ・クレーヴズ(Anne of Cleves)に対して、婚姻無効の合意の一環として、リッチモンド宮殿を与える。


現在、リッチモンド宮殿の楼門「ゲイトハウス」に隣接する部分は、
住居に改装の上、使用されている。
<筆者撮影>


そして、アン・オブ・クレーヴズは、1546年に、ディヴィッド・ヴィンセント(David Vincent:?ー1565年)をリッチモンド宮殿の管理人に指名。なお、ディヴィッド・ヴィンセントは、廷臣として、ヘンリー8世、テューダー朝の第3代イングランド王エドワード6世(Edward VI:1537年ー1553年 在位期間:1547年ー1553年)、メアリー1世、そして、エリザベス1世の4代にわたって仕えた。