2026年8月29日土曜日

ロンドン サザンベルグレイヴィア(Southern Belgravia)- その1

ベルグレイヴィア地区のノーザングレイヴィアとサザングレイヴィアの境にある
イートンスクエアガーデンズ(Eaton Square Gardens)(その1)
<筆者撮影>


アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)の長編第2作目で、かつ、トマス・ベレズフォード(Thomas Beresford - 愛称:トミー(Tommy))とプルーデンス・カウリー(Prudence Cowley - 愛称:タペンス(Tuppence))の記念すべきシリーズ第1作目に該る「秘密機関(The Secret Adversary → 2025年7月20日 / 10月1日付ブログで紹介済)」(1922年)は、英国の海運会社であるキュナードライン(Cunard Line)が所有する当時世界最大の旅客船で、米国ニューヨーク(New York)から英国リヴァプール(Liverpool)へと向かっていたルシタニア号(RMS Lusitania → 2025年7月22日 / 7月23日付ブログで紹介済)が、1915年5月7日の午後2時、アイルランド(Ireland)沖15㎞ の地点で、ドイツ帝国海軍(Imperial Germany Navy)の潜水艦 Uボート(U-boat)から2発の魚雷攻撃を受けて、沈没したところから、その物語が始まる。


2015年に英国の HarperCollinsPublishers 社から出版された
アガサ・クリスティー作「秘密機関」の
ペーパーバック版の表紙
(Cover design : 
HarperCollinsPublishers Ltd. /
Agatha Christie Ltd. 2015
)


第一次世界大戦(1914年ー1918年)が終わり、世界が復興へと向かう中、ロンドンの地下鉄ドーヴァーストリート駅(Dover Street Tube Station → 2025年7月30日 / 8月5日付ブログで紹介済)のドーヴァーストリート(Dover Street → 2025年7月28日 / 7月29日付ブログで紹介済)出口において、昔馴染みのトミーとタペンスは、偶然出くわした。


ロンドンの地下鉄ドーヴァーストリート駅のドーヴァーストリート出口があった
ドーヴァーストリート5−7番地(5-7 Dover Street
→ 2025年8月5日付ブログで紹介済)の建物外観
<筆者撮影>


二人は、お互いに戦後の就職難に悩まされていた。トミーの方は、大戦中の1916年に負傷しており、一方、タペンスの方は、大戦中ずーっと、ボランティアとして、様々な形で働いていたのである。


HarperCollins Publishers 社から2008年に出ている
アガサ・クリスティー作「秘密機関」のグラフィックノベル版
(→ 2023年8月1日 / 8月14日 / 8月16日 / 8月21日付ブログで紹介済)
-
第一次世界大戦後、タペンスこと、プルーデンス・カウリーと
トミーこと、トマス・ベレズフォードの2人は、
ロンドンの地下鉄ドーヴァーストリート駅のドーヴァーストリート出口において、数年ぶりに再会する。


久々の再会を果たしたトミーとタペンスは、ドーヴァーストリートを下って、ピカデリー通り(Piccadilly → 2025年7月31日付ブログで紹介済)へと向かう。



ドーヴァーストリート5−7番地の建物の右側には、現在、パブが建っている。
画面奥で左右に延びる通りが、ピカデリー通り。
<筆者撮影>


ピカデリー通り -
画面中央奥に見える建物が、ホテル「リッツ ロンドン」。
<筆者撮影>


カフェ「リオンズ(Lyons)」に腰を落ち着けた2人は、お互いの近況を語り合う。

日々のお金に困っていたトミーとタペンスは、「青年冒険家商会(The Young Adventurers, Ltd.)」を設立して、2人で報酬を獲得する術を話し合った。

その際、トミーは、タペンスに対して、「今日、通りで2人の男性がジェーン・フィン(Jane Finn)について話しているのを耳にした。」と言う少し変わったことを告げる。


地下鉄ピカデリーサーカス駅の
ベイカールーラインが停まるプラットフォームの壁にある駅表示
<筆者撮影>


翌日の昼12時に、地下鉄ピカデリーサーカス駅(Piccadilly Circus Tube Station → 2026年8月12日 / 8月23日付ブログで紹介済)で待ち合わせて、「青年冒険家商会」の内容を更に詰めることを約束した2人は、カフェ「リオンズ」を出る。


タペンスと別れた後、トミーが散策する予定だったホテル「リッツ ロンドン」 -
ピカデリー通りを間に挟んで、通りの反対側から見上げたところ。
<筆者撮影>


トミーは、ホテル「リッツ ロンドン(The Ritz London → 2025年7月2日 / 7月14日付ブログで紹介済)」辺りまで、ブラブラと散策するつもりだった。一方、タペンスの方は、サザンベルグレイヴィア(Southern Belgravia)の寄宿寮(hostel)へ真っ直ぐに帰ることにした。


ベルグレイヴィア地区のノーザングレイヴィアとサザングレイヴィアの境にある
イートンスクエアガーデンズ(その2)
<筆者撮影>


The two young people went off in opposite directions. Tuppence’s hostel was situated in what was charitably called Southern Belgravia. For reasons of economy she did no take a bus.


二人は別れて反対方向に歩きだした。タペンスが泊まっているユースホステルは、ロンドン市内の高級住宅地であるサザン・ベルグレーヴィアにあった。倹約するために、バスに乗らないことにする。

(嵯峨 静江訳)


ベルグレイヴィア地区のサザングレイヴィア内にある
チェスタースクエアガーデンズ(Chester Square Gardens)(その1)
<筆者撮影>


タペンスが住む寄宿寮が所在したサザンベルグレイヴィアは、ロンドンの中心部であるシティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)の高級住宅街ベルグレイヴィア地区(Belgravia)の南側に該る。


ベルグレイヴィア地区のサザングレイヴィア内にある
チェスタースクエアガーデンズ(その2)
<筆者撮影>


ベルグレイヴィア地区は、以下の通りに囲まれている。


*北側:ナイツブリッジ通り(Knightsbridge)- 東側の地下鉄ハイドパークコーナー駅(Hyde Park Corner Tube Station → 2015年6月14日付ブログで紹介済)と西側の地下鉄ナイツブリッジ駅(Knightsbridge Tube Station)を結ぶ通り


*東側:グローヴナープレイス通り(Grosvenor Place)+ロウワーグローヴナープレイス通り(Lower Grosvenor Place)+バッキンガムパレスロード(Buckingham Palace Road)- 北側の地下鉄ハイドパークコーナー駅と南側の地下鉄ヴィクトリア駅(Victoria Tube Station → 2017年7月2日付ブログで紹介済)を結ぶ通り


*南側:ピムリコロード(Pimlico Road)


*西側:スローンストリート(Sloane Street)+ロウワースローンストリート(Lower Sloane Street)


「Nicholson - Super Scale - London Atlas」から
ベルグレイヴィア地区の南側の地図を抜粋。


ベルグレイヴィア地区の南側に該るサザンベルグレイヴィアは、以下の通りに囲まれた場所を指しているものと思われる。


*北側:クリーヴデンプレイス(Cliveden Place)+イートンゲイト(Eaton Gate)+イートンスクエア(Eaton Square)+ホウバートプレイス(Hobart Place)


*東側:ロウワーグローヴナープレイス通り+バッキンガムパレスロード


*南側:ピムリコロード


*西側:ロウワースローンストリート



2026年8月28日金曜日

エルキュール・ポワロの世界 <ジグソーパズル>(The World of Hercule Poirot )- その43A

英国の HarperCollinsPublishers 社から以前に出版されていた
アガサ・クリスティー作「第三の女」ペーパーバック版の表紙 


英国の Orion Publishing Group Ltd. から2023年に発行されている「エルキュール・ポワロの世界(The World of Hercule Poirot)」と言うジグソーパズル内に散りばめられているエルキュール・ポワロシリーズの登場人物や各作品に関連した112個の手掛かりについて、引き続き、紹介したい。

前回に引き続き、各作品に出てくる登場人物、建物や手掛かり等が、その対象となる。


ジグソーパズル「エルキュール・ポワロの世界」の完成形
<筆者撮影>


(101)孔雀が描かれた絵画(painting of a peacock)



ジグソーパズル中央に立つエルキュール・ポワロ(Hercule Poirot → 2025年10月11日付ブログで紹介済)から右真横へ移動した位置に居る執事のジョージ(George → 2025年10月23日付ブログで紹介済)の左側にある柱の壁に、埠頭を描いた絵(painting of a pier → 2026年7月13日付ブログで紹介済)が掛けられている。そして、その上に、孔雀が描かれた絵画が掛けられている。


(102)アトリエが描かれた絵画(art studio)



ジグソーパズル中央に立つエルキュール・ポワロの右斜め後ろの位置に立っているスコットランドヤードのジェイムズ・ハロルド・ジャップ警部(Inspector James Harold Japp / 後に主任警部(Chief Inspector)に昇進 → 2025年10月24日付ブログで紹介済)の背後にある柱の壁に、アトリエが描かれた絵画が掛けられている。


(103)夫婦が描かれた肖像画(portrait of a husband and wife)



ジグソーパズル中央に立つエルキュール・ポワロの左斜め後ろで、両腕を胸の前で組んだアーサー・ヘイスティングス大尉(Captain Arthur Hastings → 2025年10月12日付ブログで紹介済)が凭れ掛かっている大理石の暖炉(marble fireplace → 2026年6月25日 / 6月30日付ブログで紹介済)の上に、夫婦が描かれた肖像画が掛けられている。


これらから連想されるのは、アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)が1966年に発表した「第三の女(Third Girl)」である。

「第三の女」は、アガサ・クリスティーが執筆した長編としては、第57作目に該り、そして、エルキュール・ポワロシリーズの長編としては、第30作目に該っている。


「第三の女」の場合、エルキュール・ポワロが物語の最初から登場しており、後期のポワロシリーズ作品の中では非常に珍しいと言える。


エルキュール・ポワロは、
ジグソーパズル「エルキュール・ポワロの世界」の中央に立っている。
<筆者撮影>


ノーマ・レスタリック(Norma Restarick)と言う若い女性が、ポワロの元を訪れるところから、物語が始まる。

彼女曰く、「自分は殺人を犯したのかもしれない。」と言って、ポワロに助けを求めに来たのだが、実際にポワロ本人に面会すると、「あなたは年を取り過ぎている。」と告げると、何故か、急にその場から逃げ出してしまった。


アリアドニ・オリヴァーは、
ジグソーパズル「エルキュール・ポワロの世界」の中央に立つ
エルキュール・ポワロ
のすぐ右側に居て、

肘掛け椅子に座っている。

<筆者撮影>


人気推理作家で、昔なじみのアリアドニ・オリヴァー夫人(Mrs. Ariadne Oliver → 2025年10月26日付ブログで紹介済)がノーマ・レスタリックに対して自分のことを紹介したことを知ったポワロは、オリヴァー夫人と一緒に、ノーマ・レスタリックの実家や彼女が住むアパートを訪ねるのであった。


          

2026年8月27日木曜日

エルキュール・ポワロの世界 <ジグソーパズル>(The World of Hercule Poirot )- その42B

英国の HarperCollinsPublishers 社から現在出版されている
アガサ・クリスティー作「複数の時計」ペーパーバック版の表紙 -
壁紙が、時計の形に切り取られている。
欲を言えば、原作通り、
時計の針が(午後)4時13分を指しているとベストだった。

アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)が1963年に発表した「複数の時計(The Clocks)」の場合、キャサリン・マーティンデール(Miss Katherine Martindale)が所長を勤めるキャヴェンディッシュ秘書紹介所(Cavendish Secretarial Bureau)から派遣された速記タイピストのシーラ・ウェッブ(Sheila Webb)が、ウィルブラームクレッセント通り19番地(19 Wilbraham Crescent)へと急いでいるところから、物語が始まる。

ウィルブラームクレッセント通り19番地に到着したシーラ・ウェッブが電話で指示された部屋(居間)へ入ると、彼女はそこで身なりの立派な男性の死体を発見する。男性の死体の周囲には、6つの時計が置かれており、そのうちの4つが何故か午後4時13分を指していた。

鳩時計が午後3時を告げた時、ウィルブラームクレッセント19番地の住人で、目の不自由な女教師ミリセント・ペブマーシュ(Miss Millicent Pebmarsh)が帰宅する。自宅内の異変を感じたミリセント・ペブマーシュが男性の死体へと近づこうとした際、シーラ・ウェッブは悲鳴を上げながら、表へと飛び出した。そして、彼女は、ちょうどそこに通りかかった青年コリン・ラム(Colin Lamb)の腕の中に飛び込むことになった。

実は、コリン・ラム青年は、警察の公安部員(Special Branch agent)で、何者かに殺された同僚のポケット内にあったメモ用紙に書かれていた「M」という文字、「61」という数字、そして、「三日月」の絵から、ウィルブラームクレッセント19番地が何か関係して入るものと考え、付近を調査していたのである。「M」を逆さまにすると、「W」になり、「ウィルブラーム」の頭文字になる。「三日月」は「クレッセント」であり、「61」を逆さまにすると、「19」となる。3つを繋げると、「ウィルブラームクレッセント通り19番地」を意味するのだ。


クローディン警察署のディック・ハードキャッスル警部(Inspector Dick Hardcastle)が、本事件を担当することになった。

シーラ・ウェッブは、「ミリセント・ペブマーシュの家へ今までに一度も行ったことがない。」と言う。また、ミリセント・ペブマーシュは、「キャヴェンディッシュ秘書紹介所に対して、シーラ・ウェッブを名指しで仕事を依頼する電話をかけた覚えはない。」と答える。更に、シーラ・ウェッブとミリセント・ペブマーシュの二人は、「ウィルブラームクレッセント通り19番地の居間で死体となって発見された男性について、全く覚えがない。」と証言するのであった。


ミリセント・ペブマーシュの居間においてキッチンナイフで刺されて見つかった身元不明の死体は「R.・H・カリイ(R. H. Curry)」とされたが、スコットランドヤードの捜査の結果、全くの偽名であることが判明し、身元不明へと逆戻りする。彼が目の不自由な老婦人の居間で刺殺される理由について、スコットランドヤードも、そして、コリン・ラムも、皆目見当がつかなかった。

途方に暮れたコリン・ラムは、エルキュール・ポワロに助けを求める。年若き友人からの頼みを受けて、ポワロの灰色の脳細胞が事件の真相を解き明かす。


エルキュール・ポワロは、
ジグソーパズル「エルキュール・ポワロの世界」の中央に立っている。
<筆者撮影>


アガサ・クリスティー作「複数の時計」は、エルキュール・ポワロシリーズの長編ではあるものの、今回、ポワロは殺人事件の現場へは赴かず、また、殺人事件の容疑者や証人への尋問も直接は行わないで、ロンドンにある自分のフラットに居ながらにして(=完全な安楽椅子探偵として)、事件の謎を解決するのである。


(99)(午後)4時13分を指した4つの時計(four clocks set at 4:13)






キャヴェンディッシュ秘書紹介所から派遣された速記タイピストのシーラ・ウェッブが、指定されたウィルブラームクレッセント通り19番地に到着して、電話で指示された部屋(居間)へ入ったところ、そこで身なりの立派な男性の死体を発見した。男性の死体の周囲には、6つの時計が置かれていたのだが、不可解なことに、そのうちの4つが何故か午後4時13分を指していたのである。


(100)通り名を示す標識(street sign)



キャヴェンディッシュ秘書紹介所から派遣された速記タイピストのシーラ・ウェッブが身なりの立派な男性の死体を発見したのが、ウィルブラームクレッセント通り19番地の居間だった。


2026年8月26日水曜日

ロンドン ピカデリー通り23番地(23 Piccadilly)

ピカデリー通りの対岸からホテル「ザ・ディリー」(画面左側の建物)を見たところ -
エマ・ハミルトンがホレーショ・ネルソンの娘ホレイシア・ネルソンを出産したピカデリー通り23番地は、
画面左下にあるバス停留所の背後の店舗部分に該る。
<筆者撮影>


アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)が1967年に発表した長編「終りなき夜に生れつく(Endless Night → 2026年4月13日 / 4月30日付ブログで紹介済)」において、物語の語り手であるマイケル・ロジャース(Michael Rogers - 通称:マイク(Mike))が、キングストンビショップ村(Kingston Bishop)の住民で、友人となったフィルポット少佐(Major Phillpot)と一緒に出かけたバリントンマナーハウス(Barrington Manor)において開催されたオークションに出品された絵画の作者のうち、ジョージ・ロムニー(George Romney:1734年ー1802年 → 2026年5月16日 / 5月21日 / 5月26日 / 5月31日付ブログで紹介済)は英国の肖像画家で、同時代に活躍したサー・ジョシュア・レノルズ(Sir Joshua Reynolds:1723年ー1792年)やトマス・ゲインズバラ(Thomas Gainsborough:1727年ー1788年)と並び称された著名な画家である。


2026年に英国の HarperCollinsPublishers 社から出版された
アガサ・クリスティー作「終りなき夜に生れてつく」の
愛蔵版(ハードカバー版)の表紙
(Cover design and 
illustration
by Sarah Foster / 
HarperCollinsPublishers Ltd. ) -
ドライバー等の職業を転々とするその日暮らしの風来坊であるマイケル・ロジャース
(Michael Rogers - 通称:マイク(Mike))と

米国の大富豪(石油王)の娘で、裕福な相続人であるフェニラ・グットマン

(Fenella Guteman - 通称:エリー(Ellie))の2人は、

マイクがドライバーとして働いていた頃に知り合った芸術家気質の著名な建築家で、

余命いくばくもないルドルフ・サントニックス(Rudolf Santonix)に依頼して、

キングストンビショップ村(Kingston Bishop)にある

海を臨むことができる美しい眺望の景勝地「ジプシーが丘(Gipsy’s Acre)」に

自分達の夢の邸宅を建ててもらった場面が描かれている。


ナショナルポートレイトギャラリー(National Portrait Gallery)に所蔵 / 展示されている
ジョージ・ロムニー作の自画像(Self-portrait)(1784年)
<筆者撮影>


そのジョージ・ロムニーに多大な芸術的霊感を与えてくれる女神(muse)とも言える存在となったエマ・ハート(Emma Hart:1765年ー1815年)は、英国の絵画モデル / 舞踏家 / 女優である。


ナショナルポートレイトギャラリーに所蔵 / 展示されている
ジョージ・ロムニー作のエマ・ハートの肖像画(1785年頃)
<筆者撮影>


英国の外交官で、ナポリ公使として駐在していたサー・ウィリアム・ダグラス・ハミルトン(Sir William Douglas Hamilton:1730年ー1803年)の愛人を経て、1791年9月6日の結婚後、彼の正式な妻、即ち、ナポリ公使夫人となったレディー・エマ・ハミルトンは、1793年9月の初対面の5年後の1798年9月に再会した後に英国海軍提督となる初代ネルソン子爵ホレーショ・ネルソン(Horatio Nelson, 1st Viscount Nelson:1758年ー1805年)と恋愛関係になる。

前述の通り、エマ・ハミルトンは、1791年にサー・ウィリアム・ダグラス・ハミルトンと結婚して、ナポリ公使夫人と言う立場にあり、また、ホレーショ・ネルソンも、1787年にフランシス・ハーバート・ウールワード(Frances Herbert Woolward:1758年ー1831年)と結婚していたため、2人とも不倫だった訳である。

2人の不倫関係は、何故か、周囲から寛大に見られており、エマ・ハミルトンの夫であるサー・ウィリアム・ダグラス・ハミルトンも、そうであった。サー・ウィリアム・ダグラス・ハミルトンとしては、ホレーショ・ネルソンを英国にとって必要不可欠な人物であると見做して、エマ・ハミルトンとホレーショ・ネルソンの不倫関係を黙認する一方、ホレーショ・ネルソンとの友情関係も維持していた、とのこと。

ただ、エマ・ハミルトンとホレーショ・ネルソンの不倫関係は、ナポリから本国である英国へと伝わり、新聞報道を経て、公となってしまった。


ナショナルポートレイトギャラリーに所蔵 / 展示されている
Sir William Beechey 作のホレーショ・ネルソンの肖像画(1800年)
<筆者撮影>


ホレーショ・ネルソンの英国への召喚と時を同じくして、サー・ウィリアム・ダグラス・ハミルトンもナポリ公使の任を解かれた。

エマ・ハミルトンは、少なくとも、1800年4月の時点で、ホレーショ・ネルソンの子を懐妊していたと推測される。

エマ・ハミルトンは、母メアリー・キッド(Mary Kidd)、夫サー・ウィリアム・ダグラス・ハミルトンや愛人ホレーショ・ネルソンと一緒に、中央ヨーロッパ経由で、1800年11月6日に英国へ帰国。

妊娠しているエマ・ハミルトンを見たホレーショ・ネルソンの妻フランシス・ハーバート・ウールワードは、不快な表情を見せたため、これがまた新聞の恰好なネタとなり、エマ・ハミルトンとホレーショ・ネルソンの不倫関係は、再度世間を騒がせた。サー・ウィリアム・ダグラス・ハミルトンとは異なり、フランシス・ハーバート・ウールワードは、エマ・ハミルトンとホレーショ・ネルソンの不倫関係を最後まで認めなかった。


グローヴナースクエアグローヴナースクエア
(Grosvenor Square → 2015年2月22日付ブログで紹介済)
から北へ延びる
ノースオードリーストリート(North Audley Street)の対岸から見た
グローヴナースクエア22番地の建物全景
<筆者撮影>


英国への帰国後、サー・ウィリアム・ダグラス・ハミルトンとエマ・ハミルトンは、グローヴナースクエア22番地(22 Grosvenor Square → 2026年8月15日付ブログで紹介済)にある英国の作家 / 政治家であるウィリアム・トマス・ベックフォード(William Thomas Beckford:1760年ー1844年)の邸宅へ一旦入居。

1800年12月に、サー・ウィリアム・ダグラス・ハミルトンとエマ・ハミルトンは、ピカデリー通り23番地(23 Piccadilly)の家を賃借して、グローヴナースクエア22番地から転居。


画面右側が、ホテル「ザ・ディリー」(ピカデリー通り21番地)の入口で、
画面左側が、
エマ・ハミルトンがホレーショ・ネルソンの娘ホレイシア・ネルソンを出産したピカデリー通り23番地。
<筆者撮影>


1801年1月1日、ホレーショ・ネルソンは、青色艦隊中将(Vice-admiral of the Blue)へ昇進し、新たな任務を帯びる。

航海中、ホレーショ・ネルソンは、妻フランシス・ハーバート・ウールワード宛に、短く、かつ、冷淡な手紙を送り、以降、彼女に会うことは二度となかった。一方、彼は、エマ・ハミルトンとは、何度も書簡を交わし、彼女の健康状態を気にかけていた。

エマ・ハミルトンは、1780年(15歳)に産んだ娘エマ・カルー(Emma Carew - 愛人だった第2代準男爵サー・ヘンリー・フェザーストノー(Sir Henry Fetherstonhaugh, 2nd Baronet:1754年ー1846年)の子供)の存在を、ホレーショ・ネルソンから隠し続けた。


バス停留所の背後にある店舗部分が、
エマ・ハミルトンがホレーショ・ネルソンの娘ホレイシア・ネルソンを出産したピカデリー通り23番地。

<筆者撮影>


そして、1801年1月29日、エマ・ハミルトンは、ピカデリー通り23番地の家において、ホレーショ・ネルソンの娘ホレイシア・ネルソン(Horatia Nelson:1801年ー1881年)を出産したのである。


「Nicholson - Super Scale - London Atlas」から
ソーホー地区の地図を抜粋。-
エマ・ハミルトンがホレーショ・ネルソンの娘ホレイシア・ネルソンを出産したピカデリー通り23番地は、
画面中央下部にある「
Le Meridien」と言う表示辺りに位置している。


エマ・ハミルトンがホレーショ・ネルソンの娘ホレイシア・ネルソンを出産したピカデリー通り23番地は、ロンドンの中心部シティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)の高級住宅街メイフェア地区(Mayfair)内に所在している。



ピカデリー通り23番地は、ベイカールーライン(Bakerloo Line)とピカデリーライン(Piccadilly Line)の2線が乗り入れる地下鉄ピカデリーサーカス駅(Piccadilly Circus Tube Station → 2026年8月12日 / 8月23日付ブログで紹介済)とピカデリーラインが停まる地下鉄ハイドパークコーナー駅(Hyde Park Corner Tube Station → 2015年6月14日付ブログで紹介済)を東西に結ぶ約1マイルの幹線道路であるピカデリー通り(Piccadilly → 2025年7月31日付ブログで紹介済)の北側に位置している。


英国で出版された「ストランドマガジン(The Strand Magazine)」
1891年8月号に掲載された挿絵 -

シャーロック・ホームズは、昼食後、
ジョン・H・ワトスンと一緒に、
セントジェイムズホールにおいて、
サラサーテのヴァイオリン演奏会を楽しむ。
挿絵:シドニー・エドワード・パジェット
(Sidney Edward Paget 1860年 - 1908年)


サー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Sir Arthur Ignatius Conan Doyle:1859年ー1930年)の「赤毛組合(The Red-Headed League → 2022年9月25日 / 10月9日 / 10月11日 / 10月16日付ブログで紹介済)」の中で、ベイカーストリート221B(221B Baker Street → 2014年6月22日 / 6月29日付ブログで紹介済)に相談に訪れた質屋(pawnbroker)のジェイベス・ウィルスン(Jabez Wilson)が帰った後、シャーロック・ホームズはジョン・H・ワトスンをセントジェイムズホール(St. James's Hall → 2014年10月4日付ブログで紹介済)へ誘う。

ホームズによると、その日の午後、セントジェイムズホールで、スペイン出身の作曲家兼ヴァイオリン奏者であるパブロ・マルティン・メリトン・デ・サラサーテ・イ・ナバスクエス(Pablo Martin Meliton de Sarasate y Navascuez:1844年ー1908年)の演奏会がある、とのことだった。

ホームズとワトスンは、ジェイベス・ウィルスンの質屋の様子を見に行った後、昼食をとってから、セントジェイムズホールへ向かう。


昼間のル・メリディアン・ピカデリー・ホテル(2014年10月時点)の建物正面
<筆者撮影>


夕闇に浮かぶル・メリディアン・ピカデリー・ホテル(2014年10月時点)
<筆者撮影>


残念ながら、セントジェイムズホールは現存しておらず、ホテルに様変わりしており、2014年10月時点では、「ル・メリディアン・ピカデリー・ホテル(Le Meridien Piccadilly Hotel)」と言うホテルだったが、現在(2026年8月時点)、「ザ・ディリー(The Dilly)」と言う5つ星のホテルが営業している。

当該ホテルの住所は、「ピカデリー通り21番地(21 Piccadilly, Mayfair, London W1J 0BH)」となっているので、エマ・ハミルトンがホレーショ・ネルソンの娘ホレイシア・ネルソンを出産したピカデリー通り23番地の場合、ホテル「ザ・ディリー」の入口の左隣りにある店舗部分が、それに該る。


、エマ・ハミルトンがホレーショ・ネルソンの娘ホレイシア・ネルソンを出産したピカデリー通り23番地は、
現在、空き店舗となっている。

<筆者撮影>


ピカデリー通り23番地に該る店舗部分の前は、現在、バスの停留所が置かれている。

最近、ピカデリー通り23番地を含めた店舗部分の入れ替わりが頻繁にあり、現状、ピカデリー通り23番地に該る店舗部分は、空き店舗となっている。