2026年10月13日火曜日

コナン・ドイル作「シャーロック・ホームズの冒険」<グラフィックノベル版>(The Adventures of Sherlock Holmes by Conan Doyle )- その6

2024年に英国の Guild of Master Craftsman Publishing Ltd. から
Button Books シリーズの1冊として、英訳版が刊行されている
Noh Yi-jeong 作「シャーロック・ホームズの冒険」に収録されている
「六つのナポレオン像」から抜粋(その1)

韓国(South Korea)のイラストレーターである Noh Yi-jeong により制作の上、2022年に韓国の Blue Rabbit Publishing Co, Ltd. から Manga Classic Literature シリーズの1冊として出版された後、2024年に英国の Guild of Master Craftsman Publishing Ltd. から Button Books シリーズの1冊として、英訳版が刊行されているサー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Sir Arthur Ignatius Conan Doyle:1859年ー1930年)作「シャーロック・ホームズの冒険(The Adventures of Sherlock Holmes)」のグラフィックノベル版に収録されている短編5作のうち、4番目の作品は、「六つのナポレオン像(The Six Napoleons)」である。

「六つのナポレオン像」は、シャーロック・ホームズシリーズの短編小説56作のうち、32番目に発表された作品で、英国の「ストランドマガジン(The Strand Magazine)」の1904年5月号に、また、米国の「コリアーズ ウィークリー(Collier's Weekly)」の1904年4月30日号に掲載された後、1905年発行の第3短編集「シャーロック・ホームズの帰還(The Return of Sherlock Holmes)」に収録されている。

グラフィックノベル版に収録されている短編5作のうち、「ボヘミアの醜聞(A Scandal in Bohemia → 2026年1月19日付ブログで紹介済)」、「赤毛組合(The Red-Headed League → 2024年1月24日付ブログで紹介済)」、「まだらの紐(The Speckled Band  → 2026年10月10日付ブログで紹介済)」および「ぶな屋敷(The Copper Beeches)」の4作については、1892年発行の第1短編集「シャーロック・ホームズの冒険(The Adventures of Sherlock Holmes)」に収録されているので、当グラフィックノベル版に入っていても不思議ではないが、第3短編集「シャーロック・ホームズの帰還」に収録されている「六つのナポレオン像」が残りの1作に選ばれたのは、特別だと言える。

「ボヘミアの醜聞」の場合、「アイリーン・アドラー(Irene Adler)」が、「まだらの紐」の場合、「ヘレン・ストーナー(Helen Stoner)」が、そして、「ぶな屋敷」の場合、「ヴァイオレット・ハンター(Violet Hunter)」が、物語において、女性が重要な役割を果たすので、それぞれの間に、質屋(pawnbroker)のジェイベス・ウィルスン(Jabez Wilson)とスコットランドヤードのレストレイド警部(Inspector Lestrade)と言う2人の男性を入れて、全体のバランスをとっているのかもしれない。


シャーロック・ホームズ生還100周年記念切手「六つのナポレオン像」が添付された絵葉書


「六つのナポレオン像」は、ある夜、スコットランドヤードのレストレイド警部がベイカーストリート221B(221B Baker Street → 2014年6月22日 / 6月29日付ブログで紹介済)のシャーロック・ホームズの元を訪れるところから、物語が始まる。


最近、ロンドンの街中で何者かが画廊や住居等に押し入って、ナポレオンの石膏胸像を壊してまわっていたのだ。そのため、レストレイド警部はホームズのところへ相談に来たのである。

最初の事件は、4日前にモース・ハドソン氏(Mr. Morse Hudson)がテムズ河(River Thames)の南側にあるケニントンロード(Kennington Road → 2016年6月11日付ブログで紹介済)で経営している画廊で、そして、2番目の事件は、昨夜、バーニコット博士(Dr. Barnicot)の住まい(ケニントンロード)と診療所(ロウワーブリクストンロード(Lower Brixton Road → 2017年7月30日付ブログで紹介済))で発生していた。

続いて、3番目の事件がケンジントン地区(Kensington)のピットストリート131番地(131 Pitt Street → 2016年6月18日付ブログで紹介済)にあるセントラル通信社(Central Press Syndicate)の新聞記者ホーレス・ハーカー氏(Mr. Horace Harker)の自宅で起きたのであった。4体目の石膏胸像が狙われた上に、今回は殺人事件にまで発展したのだ。


ステップニー地区(Stepney)のチャーチストリート(Church Street→2016年7月16日付ブログで紹介済)にあるゲルダー社(Gelder and Co.)を訪れたホームズとジョン・H・ワトスンは、ナポレオンの石膏胸像が全部で6体制作され、3体がケニントンロードのモース・ハドソン氏の画廊へ、そして、残りの3体はケンジントンハイストリート(Kensington High Street → 2016年7月9日付ブログで紹介済)のハーディングブラザーズ(Harding Brothers)の店へ送られたことを聞き出す。モース・ハドソン氏の画廊へ送られた3体は、全て何者かによって壊されたため、ホームズとワトスンはハーディングブラザーズの店へ出向き、ホーレス・ハーカー氏が購入した1体を除く残りの2体の行方について尋ねたのであった。


ステップニー地区にあるゲルダー社が制作した6体のナポレオン像のうち、4体までが謎の侵入者によって粉々に破壊されてしまう。

残った2体の所有者の一人であるチジック(Chiswick → 2016年7月23日付ブログで紹介済)のラバーナム荘(Laburnum Villa)に住むジョサイア・ブラウン氏(Mr. Josiah Brown)宅近くに張り込んでいたホームズ、ワトスンとレストレイド警部の三人は、同宅から石膏鏡像を盗んで出て来た犯人を取り押さえることに成功する。ただし、組み合う最中に、胸像は粉々に砕けてしまった。

翌日、残りの1体の所有者であるレディング(Reading)に住むサンドフォード氏(Mr. Sandeford)から10ポンドという高額で石膏胸像を買い取ったホームズは、サンドフォード氏を帰した後、ワトスンとレストレイド警部の目の前で、テーブルの上に置いた胸像に対して、狩猟用鞭で鋭い一撃を加える。すると、そこには・・・


シャーロック・ホームズ生還100周年記念切手
「六つのナポレオン像」のアップ写真 -
画面右側から、シャーロック・ホームズ、
スコットランドヤードのレストレイド警部、
そして、ジョン・H・ワトスンが描かれている。


(1)「壊された ナポレオンの石膏胸像(The smashed bust)」(14ページ)


2024年に英国の Guild of Master Craftsman Publishing Ltd. から
Button Books シリーズの1冊として、英訳版が刊行されている
Noh Yi-jeong 作「シャーロック・ホームズの冒険」に収録されている
「六つのナポレオン像」から抜粋(その2)


ある夜、スコットランドヤードのレストレイド警部がベイカーストリート221B のホームズの元を訪れる冒頭から、ケンジントン地区のピットストリート131番地にあるセントラル通信社の新聞記者ホーレス・ハーカー氏の自宅において、4体目の石膏胸像が狙われた上に、殺人事件が起きたところまでが描かれている。


(2)「シャーロック・ホームズによる調査(Sherlock Holmes investigates)」(20ページ)


2024年に英国の Guild of Master Craftsman Publishing Ltd. から
Button Books シリーズの1冊として、英訳版が刊行されている
Noh Yi-jeong 作「シャーロック・ホームズの冒険」に収録されている
「六つのナポレオン像」から抜粋(その3)


ホームズとワトスンの2人がケニントンロードのモース・ハドソン氏の画廊を訪れるところから、物語の最後までが描かれている。


2024年に英国の Guild of Master Craftsman Publishing Ltd. から
Button Books シリーズの1冊として、英訳版が刊行されている
Noh Yi-jeong 作「シャーロック・ホームズの冒険」に収録されている
「六つのナポレオン像」から抜粋(その4)


イケメンのホームズ / ワトスンや彼らの年齢設定等については、読者によって好みが分かれると思われるが、「ボヘミアの醜聞」、「赤毛組合」や「まだらの紐」と同様に、34ページの中に、物語がうまくまとめられている。


2026年10月12日月曜日

ジョーゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー作「戦艦テメレール号」(The Fighting Temeraire by J. M. W. Turner)

ナショナルギャラリーに所蔵 / 展示されている
ジョーゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー作
「
解体されるために最後の停泊地へ曳航される戦艦テメレール号、1838年」(1839年)
Oil on canvas / 90.7 cm x 121.6 cm
<筆者撮影>


今回は、一般的には、「J・M・W・ターナー(J. M. W. Turner)」として知られている英国のロマン主義の画家であるジョーゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー(Joseph Mallord William Turner:1775年ー1851年 → 2018年7月1日 / 7月8日 / 7月15日付ブログで紹介済)が描いた「戦艦テメレール号(The Fighting Temeraire)」について、紹介したい。

本作品の正式な名前は、「解体されるために最後の停泊地へ曳航される戦艦テメレール号、1838年(The Fighting Temeraire, tugged to her last berth to be broken up, 1838)」で、「英国最高の絵画(The Greatest Painting in Britain)」と評されている。


「トラファルガーの海戦」(1805年10月21日)の200周年を記念して、
英国のロイヤルメール(Royal Mail)が、2005年10月18日に発行した
記念切手に付いている海戦図


戦艦テメレール号は、1805年10月21日に、スペインのトラファルガー岬(Cape of Trafalgar)の沖で、英国地中海艦隊とフランス / スペイン連合艦隊が合間見えた「トラファルガーの海戦(Battle of Trafalgar → 2022年4月18日 / 4月22日付ブログで紹介済)」において、地中海艦隊司令長官(Commander-in-Chief of the Mediterranean Fleet)であった初代ネルソン子爵ホレーショ・ネルソン(Horatio Nelson, 1st Viscount Nelson:1758年ー1805年)が率いた旗艦「ビクトリー号(HMS Victory → 2022年1月16日付ブログで紹介済)」と共に、英国を勝利へと導いた船である。


ナショナルポートレイトギャラリー(National Portrait Gallery)に
所蔵 / 展示されている

Sir William Beechey 作「初代ネルソン子爵ホレーショ・ネルソンの肖像画」(1800年)
<筆者撮影>


1805年の「トラファルガーの海戦」において、
英国海軍提督の初代ネルソン子爵ホレーショ・ネルソンが座乗して、
旗艦を務めた「HMS ビクトリー」-
英国海軍の500周年を記念して、
2019年に英国のロイヤルメールが発行した8種類の記念切手のうちの1枚。


ただし、時代は、既に「帆船」から「蒸気船」への移行期に入っており、数々の歴戦をくぐり抜けてきた戦艦テメレール号も、そういった時の流れに抗うことはできず、1838年、解体および廃棄処分の決定を受け、新たな時代を担う蒸気船に曳かれて、最後の航海を迎えた。


ナショナルポートレイトギャラリーに所蔵 / 展示されている
ヴィクトリア女王の肖像画
(By Sir George Hayter / Oil on canvas / 1863年 /
based on a portrait of 1838)
<筆者撮影>


J・M・W・ターナーは、ハノーヴァー朝(House of Hanover)の第6代女王で、かつ、初代インド女帝であるヴィクトリア女王(Queen Victoria:1819年ー1901年 在位期間:1837年ー1901年 → 2017年12月10日 / 12月17日付ブログで紹介済)の即位を祝う祝砲を撃ち、黒い蒸気船によって、テムズ河(River Thames)を解体場所へと曳航されていく場面を、1839年に描いている。


本作品から感じられるのは、夕焼けと言う1日の終わりに擬えた一つの時代の終焉である。

本作品を描いた当時、J・M・W・ターナーは、60代半ばであり、戦艦テメレール号に、老いていく自分自身を重ね合わせていたのであろう。


「解体されるために最後の停泊地へ曳航される戦艦テメレール号、1838年」は、J・M・W・ターナーにとって、お気に入りの絵画の1作であり、1851年に亡くなるまでの生涯、どんなに大金を積まれても、手放すことは決してなかった。


ナショナルギャラリーの建物正面を下から見上げたところ 
<筆者撮影>


J・M・W・ターナーは、自分の死後、自分の手元にあった全作品を国に遺贈することを決めていたため、彼が1851年に亡くなった後の1856年に、本作品を含む絵画等がナショナルギャラリー(National Gallery)に収蔵された。


テイト・ブリテン美術館の建物正面を階段下から見上げたところ 
<筆者撮影>


1897年にテイト・ブリテン美術館(Tate Britain → 2018年2月18日付ブログで紹介済)が設立された際、J・M・W・ターナーの作品のほとんどが、ナショナルギャラリーからテイト・ブリテン美術館へと移管されたが、「解体されるために最後の停泊地へ曳航される戦艦テメレール号、1838年」は、ナショナルギャラリーに残り、今も同ギャラリーに所蔵 / 展示されている。


テイト・ブリテン美術館に所蔵 / 展示されている
ジョーゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー作
「自画像(Self-Portrait)」(1799年頃)
<筆者撮影>


2020年に新らしい20ポンド札が発行されているが、その裏面には、J・M・W・ターナーの肖像画(テイト・ブリテン美術館所蔵)と一緒に、本作品も描かれている。


英国銀行博物館(Bank of England Museum)内に展示されている
新20ポンド札の裏面(画面手前)と
ジョーゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー作
「
解体されるために最後の停泊地へ曳航される戦艦テメレール号、1838年」のコピー(画面奥)
<筆者撮影>

2026年10月11日日曜日

ジョシュア・レノルズ(Joshua Reynolds)- その3

ウォレスコレクション(Wallace Coolection → 2014年6月15日付ブログで紹介済)の
Front State Room 内に展示されている
ジョシュア・レノルズによる肖像画の数々
<筆者撮影>


アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)が1967年に発表した長編「終りなき夜に生れつく(Endless Night → 2026年4月13日 / 4月30日付ブログで紹介済)」は、彼女が執筆した長編としては、第58作目に該り、エルキュール・ポワロやミス・ジェーン・マープル等が登場しないノンシリーズ作品である。


2026年に英国の HarperCollinsPublishers 社から出版された
アガサ・クリスティー作「終りなき夜に生れてつく」の
愛蔵版(ハードカバー版)の表紙
(Cover design and 
illustration
by Sarah Foster / 
HarperCollinsPublishers Ltd. ) -
ドライバー等の職業を転々とするその日暮らしの風来坊であるマイケル・ロジャー(通称:マイク)と

米国の大富豪(石油王)の娘で、裕福な相続人であるフェニラ・グットマン(通称:エリー)の2人は、

マイクがドライバーとして働いていた頃に知り合った芸術家気質の著名な建築家で、

余命いくばくもないルドルフ・サントニックスに依頼して、

キングストンビショップ村にある

海を臨むことができる美しい眺望の景勝地「ジプシーが丘」に

自分達の夢の邸宅を建ててもらった場面が描かれている。


キングストンビショップ村(Kingston Bishop)にある「ジプシーが丘(Gipsy’s Acre)」は、海を臨むことができる美しい眺望の景勝地であったが、そこで以前に起こった不吉な事故によって、キングストンビショップ村の住民達からは、呪われた伝説を持つ土地として、非常に恐れられていた。


ある日、皆に恐れられている「ジプシーが丘」において、


(1)ドライバー等の職業を転々とするその日暮らしの風来坊であるマイケル・ロジャース(Michael Rogers - 通称:マイク(Mike))→ この物語の語り手


と


(2)米国の大富豪(石油王)の娘で、裕福な相続人であるフェニラ・グットマン(Fenella Guteman - 通称:エリー(Ellie))


は出会い、会った瞬間に、若い二人は恋に落ちた。

そして、「ジプシーが丘」こそ、自分達の生活のスタート地点として相応しいと考えたのである。


エリーと結婚したマイクは、ドライバーとして働いていた頃に知り合った芸術家気質の著名な建築家で、余命いくばくもないルドルフ・サントニックス(Rudolf Santonix)に依頼して、「ジプシーが丘」に自分達の夢の邸宅を建ててもらう。


「ジプシーが丘」に建った自分達の夢の邸宅に住み始めた二人だったが、まもなく悲劇的な事件が発生する。

ある日、マイクは、キングストンビショップ村の住民で、友人となったフィルポット少佐(Major Phillpot)と一緒に、オークションへ出かけ、エリーは、乗馬に出かけた。2人は、フィルポット少佐を交えて、昼食を一緒にする約束をしていたが、いつまで待っても、エリーは待ち合わせ場所に姿を見せなかった。

やがて、エリーが森の中で死んでいるのが発見される。


ウォレスコレクションの
1階(Ground Floor)レイアウト図


I left the smaller car for Ellie as it was easier to park and took the big Chrysler myself. I got to Barrington Manor just before the sale began. Phillpot was there already and had kept a place for me.

’Some quite nice stuff here,’ he said. ‘One or two good pictures. A Romney and a Reynolds. I don’t know if you’re interested?’

I shook my head. My taste at the moment was entirely for modern artists.


僕は、エリー用に小型の車を残して、自分は大型のクライスラーを使った。小型車の方が、昼食の待ち合わせ場所に駐車し易いと思ったからだ。バリントンマナーハウスには、オークションが始まる直前に着いた。フィルポッツ少佐は、既に到着済で、僕のために席を確保しておいてくれた。

「いくつか良い掘り出し物があるんだ。」と、彼は言った。「素晴らしい絵画が1、2枚出品されている。(ジョージ・)ロムニーと(ジョシュア・)レノルズの絵画が1枚ずつ出ている。君が買いたいと思うかどうか、判らないが。」

僕は、関心がないことを示すために、首を横に振った。今のところ、僕の興味は、現代画家作品にしかなかったからだ。

<筆者 訳> 


バリントンマナーハウス(Barrington Manor)において開催されたオークションに出品された絵画の作者のうち、ジョシュア・レノルズ(Sir Joshua Reynolds:1723年ー1792年)は英国の画家で、同時代に活躍したジョージ・ロムニー(George Romney:1734年ー1802年 → 2026年5月16日 / 5月21日 / 5月26日 / 5月31日付ブログで紹介済)やトマス・ゲインズバラ(Thomas Gainsborough:1727年ー1788年)と並び称された著名な画家である。


ウォレスコレクションの Front State Room 内に展示されている
ジョシュア・レノルズ作「Frances, Countess of Lincolin」(1781年−1782年)
<筆者撮影>


ジョシュア・レノルズは、1723年7月16日、サミュエル・レノルズ牧師(Reverend Samuel Reynolds)の三男(第7子)として、デヴォン州(Devon)プリンプトン(Plympton)に出生したジョシュア・レノルズは、少年の頃から絵画に興味を抱いており、1740年、英国の肖像画家で、同じデヴォン州生まれのトマス・ハドスン(Thomas Hudson:1701年ー1779年)に弟子入りして、修行を始める。

トマス・ハドスンの元での修行は4年間の予定であったが、ジョシュア・レノルズは、1743年夏にトマス・ハドスンの元を離れ、デヴォンポート(Devonport)において、肖像画家として働く。

その後、ジョシュア・レノルズは、1744年の暮れ頃、ロンドンへと赴くが、1745年に父親のサミュエル・レノルズ牧師が亡くなったため、デヴォンポートへ戻った。


ウォレスコレクションの Front State Room 内に展示されている
ジョシュア・レノルズ作「Lady Elizabeth Seymour-Conway」(1781年)
<筆者撮影>


1749年5月に英国海軍の代将に任ぜられた初代ケッペル子爵オーガスタス・ケッペル(Augustus Keppel, 1st Viscount Keppel:1725年ー1786年) が、海賊対策のため、地中海へ向けて出航した際、ジョシュア・レノルズは、戦列艦「セチュリオン(HMS Centurion)」に便乗して、地中海西部のメノルカ島(Menorca)まで一緒に行った。乗船時に、ジョシュア・レノルズは、初代ケッペル子爵オーガスタス・ケッペルの肖像画を描いている。

ジョシュア・レノルズは、メノルカ島からイタリアへ渡り、約2年間、ローマ(Roma)に滞在して、古典作品を熱心に研究。

ローマ滞在中に、ジョシュア・レノルズは、酷い風邪に罹患して、回復したものの、聴覚の一部を失ってしまう。その結果、彼は補聴器を持ち歩くようになる。


ウォレスコレクションの Front State Room 内に展示されている
ジョシュア・レノルズ作「The 4th Duke of Queensberry ('Old Q')
as Earl of Maarch」(1759年)
<筆者撮影>


約2年間のローマ滞在を終えたジョシュア・レノルズは、フィレンシェ(Florence)、ボローニャ(Bologna)、ヴェネツィア(Venice)、そして、パリ(Paris)を経由して、1752年10月に英国に戻った。

その際、後に画家 / 版画家になるジュゼッペ・フィリッポ・リベラティ・マルチ(Giuseppe Filippo Liberati Marchi:1735年ー1808年)が、ジョシュア・レノルズに帯同。彼は、1770年の一時期を除き、ジョシュア・レノルズの生涯を通じて、スタジオのアシスタントを務めた。


ウォレスコレクションの Front State Room 内に展示されている
ジョシュア・レノルズ作「Mrs. June Braddyll」(1788年)
<筆者撮影>


英国への帰国後、ジョシュア・レノルズは、デヴォン州(Devon)で3ヶ月程過ごした後、1753年にロンドンへ再度出て来た。以降、彼は生涯をロンドンで送ることになる。

彼は、当初、セントマーティンズレーン(St. Martin’s Lane)にスタジオを構え、その後、グレイトニューポートストリート(Great Newport Street)へ移る。そして、驚くべき速さで、肖像画家としての成功を手にしていく。


売れっ子の肖像画家となったジョシュア・レノルズは、彼の作品を展示する場所や彼のアシスタント達が住む場所等を含めて、より広いスペースが必要となったため、1760年、レスターフィールズ(Leicester Fields - 現在のレスタースクエア(Leicester Square))の西側に建つ建物へと引っ越した。


        

2026年10月10日土曜日

コナン・ドイル作「シャーロック・ホームズの冒険」<グラフィックノベル版>(The Adventures of Sherlock Holmes by Conan Doyle )- その5

2024年に英国の Guild of Master Craftsman Publishing Ltd. から
Button Books シリーズの1冊として、英訳版が刊行されている
Noh Yi-jeong 作「シャーロック・ホームズの冒険」に収録されている
「まだらの紐」から抜粋(その1)

韓国(South Korea)のイラストレーターである Noh Yi-jeong により制作の上、2022年に韓国の Blue Rabbit Publishing Co, Ltd. から Manga Classic Literature シリーズの1冊として出版された後、2024年に英国の Guild of Master Craftsman Publishing Ltd. から Button Books シリーズの1冊として、英訳版が刊行されているサー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Sir Arthur Ignatius Conan Doyle:1859年ー1930年)作「シャーロック・ホームズの冒険(The Adventures of Sherlock Holmes)」のグラフィックノベル版に収録されている短編5作のうち、3番目の作品は、「まだらの紐(The Speckled Band)」である。

「まだらの紐」は、シャーロック・ホームズシリーズの短編小説56作のうち、8番目に発表された作品で、英国の「ストランドマガジン(The Strand Magazine)」の1892年2月号に掲載された後、 同年発行の第1短編集「シャーロック・ホームズの冒険(The Adventures of Sherlock Holmes)」に収録されている。


ホームズシリーズにおいて、一番有名な長編は「バスカヴィル家の犬(The Hound of the Baskerville)」(1901年ー1902年)で、一番有名な短編は「まだらの紐」と言っても良い位である。

実際のところ、「ストランドマガジン」の1927年3月号で、コナン・ドイルは、シャーロック・ホームズシリーズの自選12編の中で、本作品を第1位に推している。


英国で出版された「ストランドマガジン」1892年2月号に掲載された挿絵 -
1883年4月の初め、ヘレン・ストーナーが、
双子の姉ジュリア・ストーナーが2年前に遂げた謎の死、
そして、自分に現在ふりかかっている不安と恐怖について相談するため、
サリー州にあるストークモラン屋敷を早朝に出て、レザーヘッド駅から一番列車に乗り、
ウォータールー駅に到着、ベイカーストリート221B のシャーロック・ホームズの元を訪れる。
画面左側から、ヘレン・ストーナー、シャーロック・ホームズ、
そして、ジョン・H・ワトスン。
挿絵:シドニー・エドワード・パジェット
(Sidney Edward Paget:1860年 - 1908年)


1883年4月の初め、ヘレン・ストーナー(Helen Stoner)が、双子の姉ジュリア・ストーナー(Julia Stoner)が2年前に遂げた謎の死、そして、自分に現在ふりかかっている不安と恐怖について相談するため、サリー州にあるストークモラン屋敷(Stoke Moran Manor)を早朝に出て、レザーヘッド(Leatherhead)から一番列車に乗り、ウォータールー駅(Waterloo Station → 2014年10月19日付ブログで紹介済)に到着、ベイカーストリート221B(221B Baker Street → 2014年6月22日 / 6月29日付ブログで紹介済)のホームズの元を訪れるところから、物語は始まる。


(1)「 早朝の訪問者 / 依頼人(An early caller)」(18ページ)


2024年に英国の Guild of Master Craftsman Publishing Ltd. から
Button Books シリーズの1冊として、英訳版が刊行されている
Noh Yi-jeong 作「シャーロック・ホームズの冒険」に収録されている
「まだらの紐」から抜粋(その2)


1883年4月初めの早朝、事件の依頼人であるヘレン・ストーナーがベイカーストリート221B のホームズの元を訪れたため、ホームズがまだ眠っているジョン・H・ワトスンを起こす冒頭から、ヘレン・ストーナーがホームズの元を辞去した後、彼女の後を付けて来た義理の父親であるグリムズビー・ロイロット博士(Dr. Grimesby Roylott)が、突然、怒鳴り込んで来て、ホームズと間で一悶着があるところまでが描かれている。


英国で出版された「ストランドマガジン」
1892年2月号に掲載された挿絵 -
事件依頼人であるヘレン・ストーナーが
シャーロック・ホームズの元を辞去した後、
彼女の後を付けて来たグリムズビー・ロイロット博士が、
突然、ベイカーストリート221B に怒鳴り込んで来た。
画面左側から、グリムズビー・ロイロット博士、
ホームズ、そして、ジョン・H・ワトスン。

挿絵:シドニー・エドワード・パジェット


(2)「ストークモラン屋敷の秘密(The secrets of Stoke Moran)」(18ページ)


2024年に英国の Guild of Master Craftsman Publishing Ltd. から
Button Books シリーズの1冊として、英訳版が刊行されている
Noh Yi-jeong 作「シャーロック・ホームズの冒険」に収録されている
「まだらの紐」から抜粋(その3)


ヘレン・ストーナーからの依頼を引き受けたホームズが、彼女の亡き母親が遺した遺産について調べた後、ワトスンと一緒に、レザーヘッドのストークモラン屋敷へと赴くところから、物語の最後までが描かれている。


2024年に英国の Guild of Master Craftsman Publishing Ltd. から
Button Books シリーズの1冊として、英訳版が刊行されている
Noh Yi-jeong 作「シャーロック・ホームズの冒険」に収録されている
「まだらの紐」から抜粋(その4)


イケメンのホームズ / ワトスンや彼らの年齢設定等については、読者によって好みが分かれると思われるが、「ボヘミアの醜聞(A Scandal in Bohemia → 2026年1月19日付ブログで紹介済)」や「赤毛組合(The Red-Headed League → 2026年1月24日付ブログで紹介済)」と同様に、36ページの中に、物語がうまくまとめられている。


2026年10月9日金曜日

エセル・リナ・ホワイト作「螺旋階段」<小説版>(The Spiral Staircase by Ethel Lina White )- その1

2025年に英国の Pushkin Press 社から出版された
エセル・リナ・ホワイト作「螺旋階段」のペーパーバック版の表紙
(Cover design by Jo Walker
) 


エセル・リナ・ホワイト(Ethel Lina White:1876年ー1944年)作「誰かが見ている(Some Must Watch)」については、2020年6月7日付ブログで既に紹介済であるが、英国の出版社であるプーシキンプレス社(Pushkin Press)から、「螺旋階段(The Spiral Staircase)」と言うタイトルで、2025年に出版されたので、再読してみた。


エセル・リナ・ホワイトは、英国ウェールズ地方(Wales)モンマスシャー(Monmouthshire)生まれの女性推理作家で、1930ー1940年代を代表する推理作家の一人と言われている。

彼女は、アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Arthur Ignatius Conan Doyle:1859年ー1930年)の活躍時期(1887年ー1927年)の後半部分とアガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)の活躍時期(1920年ー1976年)の前半部分にちょうどオーバーラップしている。

また、彼女は、アガサ・クリスティーのような多作ではなく、1944年に亡くなるまでに、長編推理小説は17作品しか執筆していない。


長編第6作目に該る本作品は、彼女の代表作の一つで、1933年に「誰かが見ている(Some Must Watch)」と言うタイトルで発表されて、ドイツ人のロバート・シオドマク監督(Robert Siodmak:1900年ー1973年)により、1946年に「螺旋階段(The Spiral Staircase)」というタイトルで、米国で映画化されている。また、1975年に、再度、映画化され、2000年には、TV ドラマ化もされている。

2025年にプーシキンプレス社から出た版は、ロバート・シオドマク監督により映画化された際のタイトルに準拠している。


他には、英国人で、「サイコ」、「鳥」や「レベッカ」等で有名なアルフレッド・ジョーゼフ・ヒッチコック監督(Alfred Joseph Hitchcock:1899年ー1980年)が映画化した長編第9作目に該る「バルカン超特急:消えた女(The Lady Vanishes)」(1936年)等がある。


「螺旋階段」の場合、イングランドとウェールズの境界、何もない荒涼とした田園地帯に建つ「サミット邸(The Summit)」が、物語の舞台となる。サミット邸は、一番近い町から22マイル(約36㎞)、一番近い村からは12マイル(約20㎞)離れた辺鄙で、不便な場所に所在していた。


一風変わったウォーレン(Warren)一家が住むこの屋敷に、女主人の世話役として雇われたヘレン・カペル(Helen Capel:23歳)は、不吉な予感に震えていた。

何故ならば、近隣の町や村で、若い女性4人が連続して、何者かに殺害されているのだ。最初の2人は町(パブの外の通りや庭)で、3人目は村(パブの屋内)で殺されたのだが、サミット邸からはまだ離れた世界の話である。ところが、4人目はサミット邸から僅か5マイル(約8㎞)しか離れていない一軒家の中で絞殺されたのである。

つまり、若い女性ばかりを殺害している犯人は、少しずつサミット邸へと近づいて来ているのであった。次に殺人鬼に狙われるのは、自分かもしれない。何故か、ヘレンは、そう感じていた。


雷鳴が近づくある夕暮れ、散歩に出かけたヘレンは、サミット邸に戻ろうとしていた。雨と風が激しくなりつつある中、正門からサミット邸の玄関へと向かうヘレンは、ある樹木の幹が2つに分かれるのを目撃した。それは、つまり、謎の男が樹木の幹の後ろから出て来て、暗闇の中へと姿を消したのである。


2026年10月8日木曜日

アガサ・クリスティー作「書斎の死体」<小説版(愛蔵版)>(The Body in the Library by Agatha Christie )- その1

2026年に英国の HarperCollinsPublishers 社から出版された
アガサ・クリスティー作「書斎の死体」の
愛蔵版(ハードカバー版)の表紙
(Cover design and 
illustration
by Megan Smith / 
HarperCollinsPublishers Ltd. +
Cover illustsrations: Shutterstock.com) -
ロンドン郊外のセントメアリーミード村にある
ゴシントンホールに住むドリー・バントリーの
ベッド脇に置かれた灯りと本が手前に、
そして、なぞの女性が死体となって発見された
書斎の本棚が奥に描かれている。
なお、「The Clue of the Broken Match」は、
ドリー・バントリーが読んでいる
推理小説のタイトルである。


英国の HarperCollinsPublishers 社から、アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)作「牧師館の殺人(The Murder at the Vicarage → 2022年10月30日 / 10月31日付ブログで紹介済)」(1930年)の愛蔵版(ハードバック版 → 2026年9月28日 / 10月3日付ブログで紹介済)が、今年(2026年)出版された。

本作品は、アガサ・クリスティーが執筆した長編としては、第10作目に該り、ミス・ジェーン・マープル(Miss Jane Marple)シリーズに属する長編のうち、第1作目に該っている。


2026年に英国の HarperCollinsPublishers 社から出版された
アガサ・クリスティー作「牧師館の殺人」の
愛蔵版(ハードカバー版)の表紙
(Cover design and 
illustration
by Poppy Loughtman / 
HarperCollinsPublishers Ltd. ) -
ロンドン郊外のセントメアリーミード村にある教会が、
表紙に描かれている。
なお、レナード・クレメント牧師(Reverend Leonard Clement
→ 2024年8月18日付ブログで紹介済)が、司祭を務めている。


なお、エルキュール・ポワロ(Hercule Poirot)は、アガサ・クリスティーが執筆した長編第1作目の「スタイルズ荘の怪事件(The Mysterious Affair at Styles → 2023年12月3日 / 12月6日付ブログで紹介済)」(1920年)に、また、トマス・ベレズフォード(Thomas Beresford - 愛称:トミー(Tommy))とプルーデンス・カウリー(Prudence Cowley - 愛称:タペンス(Tuppence)のコンビは、アガサ・クリスティーが執筆した長編第2作目の「秘密機関(The Secret Adversary → 2025年7月20日 / 10月1日付ブログで紹介済)」(1922年)に既に登場済で、数年が経過しているので、ミス・マープルの初登場は、やや遅めと言える。


今年、HarperCollinsPublishers 社から、「牧師館の殺人」に続いて、「書斎の死体(The Body in the Library)」(1942年)の愛蔵版(ハードバック版)が出たので、今回、紹介したい。


ジグソーパズル「ミス・マープルの世界」の完成形
<筆者撮影>


「書斎の死体」は、アガサ・クリスティーが執筆した長編としては、第31作目に該り、ミス・ジェーン・マープル(Miss Jane Marple)シリーズに属する長編のうち、第2作目に該っている。


ドリー・バントリーは、
ジズソーパズルの左下の位置に居て、
夫のアーサー・バントリー大佐と立ち話をしている。
<筆者撮影>


「奥様、奥様!書斎に死体があります!」

メイドのメアリー(Mary)が発するヒステリックな第一声で、ドリー・バントリー(Mrs. Dolly Bantry → 2024年8月14日付ブログで紹介済)は目を覚ますと、退役軍人である夫のアーサー・バントリー大佐(Colonel Arthur Bantry → 2024年8月14日付ブログで紹介済)を起こす。こうして、邸宅ゴシントンホール(Gossington Hall)における平和で穏やかな秋の朝は、メイドの叫び声で打ち破られるのであった。


アーサー・バントリー大佐は、
ジズソーパズルの左下の位置に居て、
妻のドリー・バントリーと立ち話をしている。
<筆者撮影>


バントリー大佐が書斎に赴くと、暖炉の前の敷物の上に、銀色のスパンコールを散りばめたイヴニングドレス姿の、背の高いプラチナブロンドの若い女性の絞殺死体が横たわっていた。ところが、大佐には、殺されている女性の身元に全く心当たりがなかった。


2026年に英国の HarperCollinsPublishers 社から出版された
アガサ・クリスティー作「書斎の死体」の
愛蔵版(ハードカバー版)の見開き部分


バントリー大佐は、直ぐに警察に連絡を行い、バントリー大佐の友人で、ラドフォードシャー州(Radfordshire)警察の本部長(Chief Constable)であるメルチェット大佐(Colonel Melchett)が、部下のスラック警部(Inspector Slack → 2024年8月20日付ブログで紹介済)を伴い、ゴシントンホールへと駆け付ける。


ジズソーパズルのやや右上の位置で、
右手を右頬に当てて、
ヘイドック医師(Dr. Haydock → 2024年8月18日付ブログで紹介済)と
話をしている背広姿の男性が、スラック警部である。
<筆者撮影>


一方、妻のバントリー夫人は、人間の本質を鋭く見抜く眼力を持つ旧友のミス・マープルに、助けを求める。


ミス・ジェーン・マープルは、
ジズソーパズル中央のやや右側の位置に居て、
テラス用の椅子に座り、得意の編み物をしている。
<筆者撮影>


何故、閑静な屋敷に、それも、書斎に、若い女性の死体が突然現れたのか?彼女の身元は?何故、彼女は絞殺されることになったのか?そして、彼女は、どこからここまでやって来たのか?

様々な噂や憶測が、ゴシントンホールが所在するセントメアリーミード村(St. Mary Mead)の中を駆け巡るのであった。