2026年9月4日金曜日

ロンドン クラルジズストリート11番地(11 Clarges Street)

クラルジズストリート11番地の建物正面を
左側(北側)から見たところ
<筆者撮影>


アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)が1967年に発表した長編「終りなき夜に生れつく(Endless Night → 2026年4月13日 / 4月30日付ブログで紹介済)」において、物語の語り手であるマイケル・ロジャース(Michael Rogers - 通称:マイク(Mike))が、キングストンビショップ村(Kingston Bishop)の住民で、友人となったフィルポット少佐(Major Phillpot)と一緒に出かけたバリントンマナーハウス(Barrington Manor)において開催されたオークションに出品された絵画の作者のうち、ジョージ・ロムニー(George Romney:1734年ー1802年 → 2026年5月16日 / 5月21日 / 5月26日 / 5月31日付ブログで紹介済)は英国の肖像画家で、同時代に活躍したサー・ジョシュア・レノルズ(Sir Joshua Reynolds:1723年ー1792年)やトマス・ゲインズバラ(Thomas Gainsborough:1727年ー1788年)と並び称された著名な画家である。


2026年に英国の HarperCollinsPublishers 社から出版された
アガサ・クリスティー作「終りなき夜に生れてつく」の
愛蔵版(ハードカバー版)の表紙
(Cover design and 
illustration
by Sarah Foster / 
HarperCollinsPublishers Ltd. ) -
ドライバー等の職業を転々とするその日暮らしの風来坊であるマイケル・ロジャース
(Michael Rogers - 通称:マイク(Mike))と

米国の大富豪(石油王)の娘で、裕福な相続人であるフェニラ・グットマン

(Fenella Guteman - 通称:エリー(Ellie))の2人は、

マイクがドライバーとして働いていた頃に知り合った芸術家気質の著名な建築家で、

余命いくばくもないルドルフ・サントニックス(Rudolf Santonix)に依頼して、

キングストンビショップ村(Kingston Bishop)にある

海を臨むことができる美しい眺望の景勝地「ジプシーが丘(Gipsy’s Acre)」に

自分達の夢の邸宅を建ててもらった場面が描かれている。


ナショナルポートレイトギャラリー(National Portrait Gallery)に所蔵 / 展示されている
ジョージ・ロムニー作の自画像(Self-portrait)(1784年)
<筆者撮影>


そのジョージ・ロムニーに多大な芸術的霊感を与えてくれる女神(muse)とも言える存在となったエマ・ハート(Emma Hart:1765年ー1815年)は、英国の絵画モデル / 舞踏家 / 女優である。


ナショナルポートレイトギャラリーに所蔵 / 展示されている
ジョージ・ロムニー作のエマ・ハートの肖像画(1785年頃)
<筆者撮影>


英国の外交官で、ナポリ公使として駐在していたサー・ウィリアム・ダグラス・ハミルトン(Sir William Douglas Hamilton:1730年ー1803年)の愛人を経て、1791年9月6日の結婚後、彼の正式な妻、即ち、ナポリ公使夫人となったレディー・エマ・ハミルトンは、1793年9月の初対面の5年後の1798年9月に再会した後に英国海軍提督となる初代ネルソン子爵ホレーショ・ネルソン(Horatio Nelson, 1st Viscount Nelson:1758年ー1805年)と恋愛関係になる。

前述の通り、エマ・ハミルトンは、1791年にサー・ウィリアム・ダグラス・ハミルトンと結婚して、ナポリ公使夫人と言う立場にあり、また、ホレーショ・ネルソンも、1787年にフランシス・ハーバート・ウールワード(Frances Herbert Woolward:1758年ー1831年)と結婚していたため、2人とも不倫だった訳である。

2人の不倫関係は、何故か、周囲から寛大に見られており、エマ・ハミルトンの夫であるサー・ウィリアム・ダグラス・ハミルトンも、そうであった。サー・ウィリアム・ダグラス・ハミルトンとしては、ホレーショ・ネルソンを英国にとって必要不可欠な人物であると見做して、エマ・ハミルトンとホレーショ・ネルソンの不倫関係を黙認する一方、ホレーショ・ネルソンとの友情関係も維持していた、とのこと。

ただ、エマ・ハミルトンとホレーショ・ネルソンの不倫関係は、ナポリから本国である英国へと伝わり、新聞報道を経て、公となってしまった。


ナショナルポートレイトギャラリーに所蔵 / 展示されている
Sir William Beechey 作のホレーショ・ネルソンの肖像画(1800年)
<筆者撮影>


ホレーショ・ネルソンの英国への召喚と時を同じくして、ナポリ公使の任を解かれたサー・ウィリアム・ダグラス・ハミルトンと一緒に、英国に帰国したエマ・ハミルトンは、1801年1月29日、ピカデリー通り23番地(23 Piccadilly → 2026年8月26日付ブログで紹介済)の家において、ホレーショ・ネルソンの娘ホレイシア・ネルソン(Horatia Nelson:1801年ー1881年)を出産した。


ピカデリー通りの対岸からホテル「ザ・ディリー(The Dilly)」(画面左側の建物)を見たところ -
エマ・ハミルトンがホレーショ・ネルソンの娘ホレイシア・ネルソンを出産したピカデリー通り23番地は、
画面左下にあるバス停留所の背後の店舗部分に該る。
<筆者撮影>


1803年4月6日に、サー・ウィリアム・ダグラス・ハミルトンが、ピカデリー通り23番地の家において亡くなった後、世間的な体裁を保つため(=ホレーショ・ネルソンとは異なる住所を確保するため)、エマ・ハミルトンは、ピカデリー通り23番地の家から、あまり離れていないクラルジズストリート11番地(11 Clarges Street)の家へ引っ越した。


「Nicholson - Super Scale - London Atlas」から
メイフェア地区の地図を抜粋。


夫のサー・ウィリアム・ダグラス・ハミルトンが亡くなった後、エマ・ハミルトンがピカデリー通り23番地の家から引っ越したクラルジズストリート11番地は、ロンドンの中心部シティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)の高級住宅街メイフェア地区(Mayfair)内に所在している。


クラルジズストリート11番地の建物の前から
北方面(カーゾンストリート(Curzon Street))を見たところ
<筆者撮影>

クラルジズストリート11番地の建物の前から
南方面(ピカデリー通り)を見たところ
<筆者撮影>


クラルジズストリート(Clarges Street)は、ピカデリーライン(Piccadilly Line)とベイカールーライン(Bakerloo Line)の2線が乗り入れる地下鉄ピカデリーサーカス駅(Piccadilly Circus Tube Station → 2026年8月12日付ブログで紹介済)とピカデリーラインが停まる地下鉄ハイドパークコーナー駅(Hyde Park Corner Tube Station → 2015年6月14日付ブログで紹介済)を東西に結ぶ約1マイルの幹線道路であるピカデリー通り(Piccadilly → 2025年7月31日付ブログで紹介済)から北北西へ延びる通りである。


クラルジズストリート11番地の建物正面を
右側(南側)から見たところ
<筆者撮影>


地下鉄ピカデリーサーカス駅から地下鉄ハイドパークコーナー駅へ向かって、ピカデリー通りを西方面に進む。

進行方向右手に地下鉄グリーンパーク駅(Green Park Tube Station → 2025年7月30日付ブログで紹介済)の入口を見た後、1番目のストラットンストリート(Stratton Street)とボルトンストリート(Bolton Street)を過ぎて、3番目のクラルジズストリートへ右折。

クラルジズストリート11番地に該る建物は、クラルジズストリートの中間辺りに建っている。


クラルジズストリート11番地の建物入口
<筆者撮影>


クラルジズストリート11番地周辺は再開発されており、同建物には、現在、「ロイヤルケンネルクラブ(The Royal Kennel Club - 住所:10 Clarges St, London W1J 8AB)」等が入居している。

1873年に「ケンネルクラブ(The Kennel Club)」として設立され、150年を超える歴史を有するドッグショー等を管理する団体の本部で、バー、ラウンジや会食スペースを備えた会員制クラブ、応接室、会議室、アートギャラリーや図書館等も含まれている。


チャールズ3世の70歳の誕生日を記念して、
英国のロイヤルメールから2018年に発行された切手の1枚 -
ウェールズ公(Prince of Wales)時代のチャールズ3世


2023年5月6日、ウェストミンスター寺院(Westminster Abbey)において行われた
チャールズ3世の戴冠式を記念して、
英国のロイヤルメールから2023年に発行された切手の1枚 -
The Coronation : representing the monarchy, continuity, longevity, heritage and tradition


設立150周年を迎えた2023年、ウィンザー朝の第5代国王であるチャールズ3世(Charles II:1948年ー 在位期間:2022年ー)が「ロイヤル」の称号を使用する許可を出したことを受けて、「ロイヤルケンネルクラブ」へと改名。


クラルジズストリート11番地の建物入口の右側の外壁に、
「ロイヤルケネルクラブ」のプレートが掛けられている。
<筆者撮影>

        

2026年9月3日木曜日

ロンドン キューガーデンズ / ヘンリー・ムーア展(Kew Gardens / Henry Moore : Monumental Nature)- その1


ロンドンの特別区の一つで、ロンドン南西部郊外のリッチモンド・アポン・テムズ区(London Borough of Richmond upon Thames)のリッチモンド(Richmond → 2018年3月17日 / 3月24日付ブログで紹介済)内に所在するキューガーデンズ(Kew Gardens)において、20世紀の英国を代表する芸術家 / 彫刻家であるヘンリー・スペンサー・ムーア(Henry Spencer Moore:1898年ー1986年)の展覧会「Henry Moore : Monumental Nature」が、2027年1月31日まで開催されている。


ヘンリー・スペンサー・ムーアによる彫刻作品30点が、キューガーデンズ内の野外(正確に言うと、2点だけは屋内)に展示されている。



今回から6回に分けて、5作品毎に紹介したい。


(1)「Three Piece Sculpture : Vertebrae」




制作年:1968年-1969年

LH 580 / Cast 0

Bronze

Henry Moore Foundation : Acquired in 1989 


(2)「Large Interior Form」




制作年:1953年ー1954年

LH 297b / Cast 0

Bronze

Henry Moore Foundation : Acquired in 1986


(3)「Reclining Mother and Child」




制作年:1975年-1976年

LH 649 / Cast 0

Bronze

Henry Moore Foundation : Acquired in 1986


(4)「Hill Arches」




制作年:1973年

LH 636 / Cast 0

Bronze

Henry Moore Foundation : Gift of the artist in 1977


(5)「Three Piece Reclining Figure : Draped」




制作年:1975年

LH 655 / Cast 0

Bronze

Henry Moore Foundation : Acquired in 1987


2026年9月2日水曜日

ロンドン タヴィストックスクエア(Tavistock Square)- その1

画面奥に見える建物は、
ヴァージニア・ウルフとレナード・シドニー・ウルフの2人が
約10年間を過ごしたリッチモンドを離れ、ロンドンの中心部へと戻り、
1924年3月に移った
タヴィストックスクエア52番地の跡地に建つタヴィストックホテル -
手前に見える庭園は、タヴィストックスクエアガーデンズ(Tavistock Square Gardens)。
<筆者撮影>


1912年8月10日に結婚した英国の小説家 / 評論家であるヴァージニア・ウルフ(Virginia Woolf / 本名:アデリーン・ヴァージニア・スティーブン(Adeline Virginia Stephen):1882年ー1941年)英国の作家 / 出版業者 / 公務員であるレナード・シドニー・ウルフ(Leonard Sidney Woolf:1880年ー1969年の2人は、1914年の秋から約10年間を過ごしたリッチモンド(Richmond → 2018年3月17日 / 3月24日付ブログで紹介済)を離れ、ロンドンの中心部へと戻り、1924年3月、タヴィストックスクエア52番地(52 Tavistock Square)に居を構えた。


ナショナルポートレイトギャラリー
(National Portrait Gallery)で販売
されている
ヴァージニア・ウルフの肖像写真の絵葉書
(by George Charles Beresford / 1902年7月 /
platinum print / 152 mm x 108 mm)


レナード・シドニー・ウルフが、1917年3月、パラダイスロード34番地 / ホガースハウス(Hogarth House, 34 Paradise Road → 2026年7月31日 / 8月5日付ブログで紹介済)に設立した出版社「ホガースプレス(Hogarth Press)」に参加したことにより、ヴァージニア・ウルフの精神状態が落ち着き、その結果、執筆にも脂がのってきたこと、また、ヴァージニア・ウルフ自身が若い頃から慣れ親しんできたロンドンの街の刺激が恋しくなったことが、彼らがロンドンの中心部へと戻った理由だった。

2人がパラダイスロード34番地 / ホガースハウスの居間に設立した「ホガースプレス」は、タヴィストックスクエア52番地の建物の地下に設置された。


1915年3月に
ヴァージニア・ウルフとレナード・シドニー・ウルフの2人が
リッチモンドグリーンから移り住んだパラダイスロード34番地の建物
<筆者撮影>



ヴァージニア・ウルフとレナード・シドニー・ウルフの2人は、1924年から第二次世界大戦(1939年-1945年)が始まった1939年までの間、タヴィストックスクエア52番地に住むことになる。

現在、タヴィストックスクエア52番地の跡地には、タヴィストックホテル(Tavistock Hotel)が建っている。


レナード・シドニー・ウルフとヴァージニア・ウルフの2人が、
リッチモンドから引っ越した
タヴィストックスクエア52番地の跡地に建つ
タヴィストックホテル
<筆者撮影>


タヴィストックスクエア52番地は、ロンドンの特別区の一つであるカムデン区(London Borough of Camden)のブルームズベリー地区(Bloomsbury)内に所在している。


「Nicholson - Super Scale - London Atlas」から
ブルームズベリー地区近辺の地図を抜粋。


タヴィストックスクエア52番地の建物が面するタヴィストックスクエア(Tavistock Square)は、英国の著名な批評家 / 歴史家である父サー・レスリー・スティーヴン(Leslie Stephen:1832年ー1904年)が1904年2月22日に亡くなった後、ヴァージニア・ウルフが、姉のヴァネッサ(Vanessa Bell:1879年ー1961年 → 後に英国の画家 / インテリアデザイナーとなる)、長男のトビー(Thoby:1880年ー1906年)や次男のエイドリアン(Adrian:1883年ー1948年)と一緒に移り住んだゴードンスクエア46番地(46 Gordon Square → 2026年5月22日 / 5月27日付ブログで紹介済)が面するゴードンスクエア(Gordon Square → 2026年6月1日付ブログで紹介済)の東側に位置している。


英国の著名な批評家 / 歴史家である父サー・レスリー・スティーヴンが
1904年2月22日に亡くなった後、
ハイドパークゲイト通り22番地の家
(22 Hyde Park Gate → 2026年5月12日 / 5月17日付ブログで紹介済)を売却して、
ヴァージニア・ウルフ達が引っ越したゴードンスクエア46番地の建物全景
<筆者撮影>


ゴードンスクエアガーデンの南側入口から北方面を見たところ
<筆者撮影>

南側の入口近くに設置されている
ゴードンスクエアガーデンの沿革に関する説明板

<筆者撮影>


現在のラッセルスクエア(Russell Square → 2026年4月4日 / 4月11日 / 4月15日付ブログで紹介済)とブルームズベリースクエア(Bloomsbury Square → 2025年2月24日 / 2月26日付ブログで紹介済)の間に、ベッドフォード公爵(Duke of Bedord)が所有するベッドフォードハウス(Bedford House)が建っていた。


「Nicholson - Super Scale - London Atlas」から
ブルームズベリー地区の地図を抜粋。


英国の貴族で、ホイッグ党(Whig)の政治家でもあった第5代ベッドフォード公爵フランシス・ラッセル(Francis Russell, 5th Duke of Bedford:1765年ー1802年)は、1800年にベッドフォードハウスを取り壊すと、英国の不動産開発業者であるジェイムズ・バートン(James Burton:1761年ー1837年)に依頼して、住宅の建設を進めた。

また、英国の造園師であるハンフリー・レプトン(Humphry Repton:1752年ー1818年)に依頼して、ラッセルスクエアの設計を行った。


ラッセルスクエア内の案内図
<筆者撮影>


ラッセルスクエアの南東の入口近くから北方面を見たところ
<筆者撮影>


ラッセルスクエアは、1801年から1805年までの建設期間を経て、完成。生憎と、第5代ベッドフォード公爵フランシス・ラッセルは、ラッセルスクエアの完成を見ないまま、1802年に亡くなった。


南東の入口近くに設置されている
ラッセルスクエアの沿革に関する説明板
<筆者撮影>


完成後、ベッドフォード公爵家の姓に因んで、「ラッセルスクエア」と命名された。


ラッセルスクエアの南側に建つ
第5代ベッドフォード公爵フランシス・ラッセル像のアップ
<筆者撮影>


その後、英国の彫刻家であるサー・リチャード・ウェストマコット(Sir Richard Westmacott:1775年ー1856年)により、第5代ベッドフォード公爵フランシス・ラッセル像が制作され、1809年にラッセルスクエアの南側に設置された。


南側の入口近くに設置されている
タヴィストックスクエアガーデンズの沿革に関する説明板

<筆者撮影>

タヴィストックスクエアガーデンズ内の植栽
<筆者撮影>


ラッセルスクエアに続き、ゴードンスクエア46番地が建つゴードンスクエアと
タヴィストックスクエア52番地が建つタヴィストックスクエアが、英国の不動産開発業者であるジェイムズ・バートンと建設業者/不動産開発業者であるトマス・キュービット(Thomas Cubitt:1788年ー1855年)によって、1820年代に開発された。

なお、トマス・キュービットは、ベルグレイヴィア地区(Belgravia)やピムリコ地区(Pimlico)等を開発したことで有名である。


シティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)の
ピムリコ地区(Pimlico)内の Denbigh Street 沿いに設置されている
トマス・キュービット像
<筆者撮影>


完成後、ベッドフォード公爵家の長男に与えられる称号「タヴィストック侯爵(Marquess of Tavistock)」に因んで、「タヴィストックスクエア」と命名された。