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| リッチモンド宮殿の跡地(東側)と Old Deer Park(西側)の間を 南北に延びるオールドパレスレーン沿いに建つ住居(その3) <筆者撮影> |
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| 英国の Titan Publishing Group Ltd. の Titan Books 部門から 2019年に出版された フィリップ・パーサー=ハラード作 「シャーロック・ホームズ:人間消失」の表紙 (Images : Shutterstock) |
サー・ニューナム・スペイトの自宅である Parapluvium House が所在したリッチモンドは、ロンドンの特別区の一つで、ロンドン南西部郊外のリッチモンド・アポン・テムズ区(London Borough of Richmond upon Thames)内にあり、テムズ河の中流域に位置して、テムズ河の東岸に広がる高級住宅地である。
リッチモンドに嘗てあったリッチモンド宮殿(Richmond Palace)は、薔薇戦争(Wars of the Roses → 2024年6月18日 / 6月24日 / 6月28日 / 7月2日付ブログで紹介済)の第三次内乱(1485年)に該り、1485年8月22日に行われたボズワースの戦い(Battle of Bosworth)において、ヨーク朝(House of York)の第3代イングランド王であるリチャード3世(Richard III:1452年-1485年 在位期間 1483年ー1485年 → 2023年10月9日 / 2024年6月14日付ブログで紹介済)を破り、テューダー朝(House of Tudor)の初代イングランド王として即位したヘンリー7世(Henry VII:1457年ー1509年 在位期間:1485年ー1509年 → 2024年7月5日付ブログで紹介済)が、同地にあった宮殿(大半が木造建築)が1497年12月23日の火災により焼失したため、翌年の1498年から1501年にかけて建設。
ヘンリー7世は、王位継承前、リッチモンド伯(Earl of Richmond)として知られていたので、それに因んで、新宮殿を「リッチモンド宮殿」と名付けられた。
リッチモンド宮殿は、
(1)テューダー朝の初代イングランド王であるヘンリー7世
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| ナショナルポートレイトギャラリー(National Portrait Gallery)で販売されている ヘンリー7世の肖像画の葉書 (Unknown Netherlandish artist / 1505年 / Oil on panel 425 mm x 305 mm) |
(2)テューダー朝の第2代イングランド王であるヘンリー8世(Henry VIII:1491年ー1547年 在位期間:1509年ー1547年 → 2024年7月26日付ブログで紹介済)
| セントバーソロミュー病院(St. Bartholomew's Hospital → 2014年6月14日付ブログで紹介済)の 北翼(North Wing → 2025年12月15日 / 12月19日 / 12月21日 / 12月22日付ブログで紹介済)大広間の最奥の壁に掲げられている ヘンリー8世の肖像画 <筆者撮影> |
(3)テューダー朝の第4代イングランド王メアリー1世(Mary I:1516年ー1558年 在位期間:1553年-1558年)
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| ナショナルポートレイトギャラリーで販売されている メアリー1世の肖像画の葉書 (Master John / 1544年 / Oil on panel 711 mm x 508 mm) |
(4)テューダー朝の第5代かつ最後のイングランド王エリザベス1世(Elizabeth I:1533年ー1603年 在位期間:1558年-1603年 → 2023年6月24日 / 7月2日付ブログで紹介済)
(5)ステュアート朝(House of Stuart)の初代国王であるジェイムズ1世(James I:1566年ー1625年 在位期間:1603年-1625年)が即位。
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| ナショナルポートレイトギャラリーで所蔵 / 展示されている ジェイムズ1世の肖像画 (By Daniel Mytens / Oil on canvas / 1621年) <筆者撮影> |
(6)ステュアート朝の第2代国王であるチャールズ1世(Charles Ⅰ:1600年ー1649年 在位期間:1625年ー1649年 → 2017年4月29日付ブログで紹介済)
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| ナショナルポートレイトギャラリーで販売されている チャールズ1世の肖像画の葉書 (Daniel Mytens / 1631年 / Oil on canvas 2159 mm x 1346 mm) |
と、テューダー朝の第3代イングランド王エドワード6世(Edward VI:1537年ー1553年 在位期間:1547年ー1553年)とヘンリー8世の妹メアリー・テューダー(Mary Tudor:1496年ー1533年)の孫に該るジェーン・グレイ(Jane Grey:1537年ー1554年 在位期間:1553年7月10日ー同年7月19日)を除き、連続はしないものの、6代にわたって、英国王室の住まい、もしくは、宮廷であり続けた。
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| リッチモンド宮殿の跡地(東側)と Old Deer Park(西側)の間を 南北に延びるオールドパレスレーン沿いに建つ住居の外壁には、 「嘗て此処にはリッチモンド宮殿が建っていて、 ヘンリー7世とエリザベス1世は、当該宮殿において亡くなっている」ことを示す 銘板が掛けられている。 <筆者撮影> |
チャールズ1世は、ステュアート朝の初代国王ジェイムズ1世の次男として出生したが、兄であるヘンリー王子(Prince Henry - 正式名:ヘンリー・フレデリック / ウェールズ公(Henry Frederick, Prince of Wales:1594年ー1612年))が腸チフスに倒れて18歳の若さで死亡したため、1616年に王太子(Prince of Wales)に叙位された。
1625年に父ジェイムズ1世の死去に伴い、王位を継承して、チャールズ1世となる。彼は、父王と同様に「王権神授説」を信奉して、議会と対立。1628年に議会は「権利の請願(Petition of Right)」を提出し、課税には議会の承認を得ることを求めたが、チャールズ1世は1629年に議会を解散して、議会の指導者を投獄する等、専制政治を実行した。
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| ナショナルポートレイトギャラリーで販売されている アンソニー・ヴァン・ダイクの肖像画の葉書 (Sir Anthony van Dyck / 1640年頃 / Oil on panel 560 mm x 460 mm) |
チャールズ1世は、1626年頃、王妃ヘンリエッタ・マリア・オブ・フランス(Henrietta Maria of France:1609年-1669年)に対して、リッチモンド宮殿と荘園を与えたため、リッチモンド宮殿が、英国王室子息の住まいとなる。
更に、彼は国教統一にも乗り出し、ピューリタン(Puritan)を弾圧したため、各地での反乱を引き起こす引き金となった。
1642年、チャールズ1世が反国王派の議員を逮捕しようとしたことに伴い、議会派と王党派の内戦が勃発。これが、清教徒革命(Puritan Revolution:1642年ー1649年)である。
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| ナショナルポートレイトギャラリーで販売されている オリヴァー・クロムウェルの肖像画の葉書 (Robert Walker / 1649年頃 / Oil on canvas 1257 mm x 1016 mm) |
当初、内戦は王党派が優勢であったが、鉄騎隊を率いるオリヴァー・クロムウェル(Oliver Cromwell:1599年ー1658年)が議会派を勝利に導いた。1646年、チャールズ1世は議会派に降伏して、囚われの身となる。一旦脱出するものの、1648年、再度幸降伏する。
| フランドルの画家パーテル・パウル・ルーベンスが描いた バンケティングハウス内の天井画 <筆者撮影> |
1649年1月27日、チャールズ1世の処刑が宣告され、同年1月30日、フランドルの画家パーテル・パウル・ルーベンス(Peter Paul Rubens:1577年ー1640年)に内装や天井画を依頼したホワイトホール宮殿(Whitehall Palace)のバンケティングハウス(Banqueting House)前で公開処刑(斬首)された。
| バンケティングハウスの入口上に設置されている チャールズ1世の胸像 <筆者撮影> |
チャールズ1世の処刑後、英国議会の命令に基づき、リッチモンド宮殿の不動産鑑定が行われ、13,000ポンドで売却される。
その後、リッチモンド宮殿の大部分が、1649年から1659年にかけて、オリヴァー・クロムウェルにより取り壊され、石材や木材等は建築資材として再利用された。
1660年の王政復古(Restoration)を経て、チャールズ2世(Charles II:1630年ー1685年 在位期間:1660年ー1685年)がステュアート朝の第3代国王として即位した際、リッチモンド宮殿と荘園は、彼の母で、チャールズ1世の未亡人であるヘンリエッタ・マリア・オブ・フランスの手へ戻されたが、清教徒革命中および護国卿(Lord Protector)オリヴァー・クロムウェルによる独裁体制中、彼女はフランスで亡命生活を送っていた。
ヘンリエッタ・マリア・オブ・フランスは、1662年に英国へ帰国したが、リッチモンド宮殿のほとんどが解体された後だったことに加えて、1665年に酷い気管支炎を患い、湿気が多いイングランドの気候が原因と考えた彼女は、同年にフランスへ戻ってしまったこと等もあり、その後、宮殿が再建されることはなかった。
リッチモンド宮殿のうち、現在も残っているのは、
*「ゲイトハウス(Gate House)」と呼ばれる楼門
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| 緑地帯「リッチモンドグリーン(Richmond Green → 2026年7月24日付ブログで紹介済)」に面して、 リッチモンド宮殿の楼門「ゲイトハウス」が 現在も残っている。 <筆者撮影> |
*「トランピーターズハウス(Trumpeters’ House)」と呼ばれる邸宅
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| リッチモンド宮殿の一部として残る 「トランピーターズハウス」 <筆者撮影> |
*「ワードローブ(Wardrobe)」と呼ばれる衣類が保管されていた家屋
等に限られ、これらは Grade I listed の指定を受けている。
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| リッチモンドの周辺地図 - Google Maps から抜粋。 |
これらの周辺には、オールドパレスヤード(Old Palace Yard)やオールドパレスレーン(Old Palace Lane)と言う名称の通りが残り、以前、ここに宮殿が建っていた場所であることを今に伝えている。






































