2026年7月14日火曜日

ロンドン リッチモンド宮殿(Richmond Palace)- その1

緑地帯「リッチモンドグリーン(Richmond Green)」に面して、
リッチモンド宮殿の楼門「ゲイトハウス(Gatehouse)」が
現在も残っている。
<筆者撮影>

英国のファンタジー / SF / 推理作家であるフィリップ・パーサー=ハラード(Philip Purser-Hallard:1971年ー)が、Titan Publishing Group Ltd. から、「シャーロック・ホームズの更なる冒険(The further adventures of Sherlock Holmes)」シリーズとは別シリーズの「シャーロック・ホームズ(Sherlock Holmes)」シリーズの一つとして、2019年に発表した「人間消失(The Vanishing Man → 2026年6月7日 / 6月15日 / 6月21日 / 7月3日付ブログで紹介済)」の場合、1896年9月14日(月)から9月15日(火)にかけて、トマス・ケルウェイ(Thomas Kellway)と名乗る人物が「テレキネシス(Telekinesis)」を使って、物体を移動する実験を、リッチモンド(Richmond → 2018年3月17日 / 3月24日付ブログで紹介済)にあるサー・ニューナム・スペイト(Sir Newham Speight - The Society for the Scientific Investigation of Psychical Phenomena の会長(Chairman))の自宅 Parapluvium House 内に設けれらた実験室で実施した際、衆人環視の中、トマス・ケルウェイが隔離された室内から姿を消してしまうと言う非常に不可思議な事件が発生したため、サー・ニューナム・スペイトは、シャーロック・ホームズに対して、助けを求める。


英国の Titan Publishing Group Ltd. の Titan Books 部門から
2019年に出版された
フィリップ・パーサー=ハラード作
「シャーロック・ホームズ:人間消失」の表紙
(Images : Shutterstock)


サー・ニューナム・スペイトの自宅である Parapluvium House は、リッチモンド内に所在していると記されているが、残念ながら、具体的な場所については、明記されていない。


リッチモンドの周辺地図 -
Google Maps から抜粋。


テムズ河沿いの散歩道
<筆者撮影>


テムズ河(River Thames)の上流にあるリッチモンドは、ロンドンの特別区の一つで、ロンドン南西部郊外のリッチモンド・アポン・テムズ区(London Borough of Richmond upon Thames)内にあり、テムズ河の中流域に位置して、テムズ河の東岸に広がる高級住宅地である。


英国のロイヤルメールから2021年に発行された「薔薇戦争」の記念切手の1枚で、
同戦争の終結となる「ボズワースの戦い」
(1485年8月22日)が
描かれている


薔薇戦争(Wars of the Roses → 2024年6月18日 / 6月24日 / 6月28日 / 7月2日付ブログで紹介済)の第三次内乱(1485年)に該り、1485年8月22日に行われたボズワースの戦い(Battle of Bosworth)において、ヨーク朝(House of York)の第3代イングランド王であるリチャード3世(Richard III:1452年-1485年 在位期間 1483年ー1485年 → 2023年10月9日 / 2024年6月14日付ブログで紹介済)を破り、テューダー朝(House of Tudor)の初代イングランド王として即位したのが、ヘンリー7世(Henry VII:1457年ー1509年 在位期間:1485年ー1509年 → 2024年7月5日付ブログで紹介済)は、同地にあった宮殿(大半が木造建築)が1497年12月23日の火災により焼失したため、翌年の1498年から新宮殿の建設に着手。


ナショナルポートレイトギャラリー
(National Portrait Gallery)で販売されている
リチャード3世の肖像画の葉書
(Unknown artist / Late 16th century / Oil on panel
638 mm x 470 mm) 


ヘンリー7世は、王位継承前、リッチモンド伯(Earl of Richmond)として知られていたので、それに因んで、1500年に城下町を「リッチモンド 」へと改名。また、主に煉瓦と白い石で出来た新宮殿が1501年に完成したことに伴い、新宮殿を「リッチモンド宮殿(Richmond Palace)」と名付けたのである。


ナショナルポートレイトギャラリーで販売されている
ヘンリー7世の肖像画の葉書
(Unknown Netherlandish artist / 1505年 / Oil on panel
425 mm x 305 mm) 


1502年、新宮殿「リッチモンド宮殿」において、ヘンリー7世の長女であるマーガレット・テューダー(Margaret Tudor:1489年ー1541年)とスコットランドの国王であるジェイムズ4世(James VI:1473年ー1513年 在位期間:1488年-1513年)の婚約式が行われた。

後に(1603年に)英国王位を継承するステュアート家(House of Stuart)は、この婚姻を起源としている。


リッチモンド宮殿の楼門「ゲイトハウス」の右側の外壁には、
ヘンリー7世がリッチモンド 宮殿に住んでいたことが記されている。

<筆者撮影>


ヘンリー7世は、1509年4月21日、結核のため、リッチモンド 宮殿において、52歳で崩御。

ヘンリー8世(Henry VIII:1491年ー1547年 在位期間:1509年ー1547年 → 2024年7月26日付ブログで紹介済)が、テューダー朝の第2代イングランド王として、後を継いだ。


2026年7月13日月曜日

エルキュール・ポワロの世界 <ジグソーパズル>(The World of Hercule Poirot )- その38A

英国の HarperCollinsPublishers 社から以前に出版されていた
アガサ・クリスティー作「葬儀を終えて」ペーパーバック版の表紙 -
リチャード・アバネシーの葬儀の翌日、
手斧でズタズタにされて殺された末妹コーラ・ランスケネの家が
表紙として使用されていると思われる。
その証拠に、窓から見える壁には、
地元のセールで彼女が集めていた絵画が掛けられている。


英国の Orion Publishing Group Ltd. から2023年に発行されている「エルキュール・ポワロの世界(The World of Hercule Poirot)」と言うジグソーパズル内に散りばめられているエルキュール・ポワロシリーズの登場人物や各作品に関連した112個の手掛かりについて、引き続き、紹介したい。

前回に引き続き、各作品に出てくる登場人物、建物や手掛かり等が、その対象となる。


ジグソーパズル「エルキュール・ポワロの世界」の完成形
<筆者撮影>


(87)埠頭を描いた絵(painting of a pier)



ジグソーパズル中央に立つエルキュール・ポワロ(Hercule Poirot → 2025年10月11日付ブログで紹介済)から右真横へ移動した位置に居る執事のジョージ(George → 2025年10月23日付ブログで紹介済)の左側にある柱の壁に、埠頭を描いた絵が掛けられている。


(88)手斧(hatchet)



エルキュール・ポワロの執事ジョージの右足下に、手斧があり、柱に立てかけられている。


(89)ウェディングケーキが乗った皿(slice of wedding cake)



ジグソーパズルの右下に設置されているガラスケースの上に、ウェディングケーキが乗った皿が置かれている。


これらから連想されるのは、アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)が1953年に発表した「葬儀を終えて(After the Funeral)」である。

「マギンティー夫人は死んだ」は、アガサ・クリスティーが執筆した長編としては、第44作目に該り、そして、エルキュール・ポワロシリーズの長編としては、第25作目に該っている。


「葬儀を終えて」の場合、米国版のタイトルは、「Funerals Are Fatal」が使用されている。

1963年に本作品が英国映画として映像化された際、英国版のタイトルは、映画に合わせて、「Murder at the Gallop(寄宿舎の殺人)」へと改題された。なお、探偵役は、本来のエルキュール・ポワロではなく、ミス・ジェーン・マープルが務めている。


2025年に英国の HarperCollinsPublishers 社から出版された
「アガサ・クリスティー 2026年オフィシャルカレンダー」のうち、
2026年6月のカレンダーに描かれている
エルキュール・ポワロシリーズの長編第25作目「葬儀を終えて」(1953年)-
大富豪で、アバネシー家の当主であるリチャード・アバネシーの葬儀が行われた
教会が描かれているものと思われる。
兄リチャード・アバネシーの墓の前に佇んでいるのは、
末妹のコーラ・ランスケネだろうか?
<筆者撮影>


大富豪で、アバネシー家の当主であるリチャード・アバネシー(Richard Abernethie)の葬儀に出席するために、彼の邸宅「エンダビーホール(Enderby Hall)」において、親族が一堂に会した。

リチャード・アバネシーの弟の1人であるレオ(Leo)は、第二次世界大戦(1939年-1945年)中に戦死していた。また、リチャード・アバネシーの妻は早くに亡くなっており、息子のモーティマー(Mortimer)も6ヶ月前に既に死去していた。


リチャード・アバネシーの葬儀に参列したのは、


(1)ティモシー・アバネシー(Timothy Abernethie):リチャードの弟

(2)モード・アバネシー(Maude Abernethie):ティモシーの妻 / リチャードの義妹


(3)ヘレン・アバネシー(Helen Abernethie):第二次世界大戦中に戦死したリチャードの弟レオの妻 / リチャードの義妹


(4)スーザン・バンクス(Susan Banks):リチャードの弟ゴードン(Gordon)の娘 / リチャードの姪

(5)グレゴリー・バンクス(Gregory Banks):スーザンの夫 / 薬剤師


(6)ローラ・クロスフィールド(Laura Crossfield):リチャードの妹

(7)ジョージ・クロスフィールド(George Crossfield):ローラの息子 / リチャードの甥 / 事務弁護士


(8)ロザムンド・シェーン(Rosamund Shane):リチャードの妹ジェラルディン(Geraldine)の娘 / リチャードの姪 / 女優

(9)マイケル・シェーン(Michael Shane):ロザムンドの夫 / 俳優


(10)コーラ・ランスケネ(Cora Lansquenet):リチャードの末妹


の面々だった。


アバネシー家の弁護士であるエントウィッスル氏(Mr. Entwhistle)が、リチャード・アバネシーの遺言執行者として、その内容を読み上げた。

リチャード・アバネシーの遺産の大部分は、彼の弟ティモシー・アバネシー、彼の亡き弟の妻ヘレン・アバネシー、彼の末妹コーラ・ランスケネ、彼の甥ジョージ・クロスフィールド、そして、彼の2人の姪スーザン・バンクスとロザムンド・シェーンの6人に当分されると言う極めて妥当な内容だった。


エントウィッスル氏が読み上げたリチャード・アバネシーの遺言書の内容を聞き、自分の相続分を素直に喜んこんだ末妹コーラ・ランスケネは、小首を傾げると、無邪気な一言を言い放った。

「だって、リチャードは殺されたんでしょう?」と。


2026年7月12日日曜日

エルキュール・ポワロの世界 <ジグソーパズル>(The World of Hercule Poirot )- その37B

英国の HarperCollinsPublishers 社から現在出版されている
アガサ・クリスティー作「マギンティー夫人は死んだ」の
ペーパーバック版の表紙 -
背景は、事件が起きたブローディニー村の風景だと思われる。
ただし、それを切り取る形は、
マギンティー夫人殺害に使用された凶器の砂糖ハンマーとは思えない。
雑役婦 / 掃除婦であるマギンティー夫人が使っていた肉切り包丁なのだろうか?


アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)が1952年に発表した「マギンティー夫人は死んだ(Mrs. McGinty’s Dead)」は、アガサ・クリスティーが執筆した長編としては、第42作目に該り、そして、エルキュール・ポワロシリーズの長編としては、第24作目に該っている。


なお、当初、米国のシカゴトリビューン紙(Chicago Tribune)の日曜日版に、1951年10月7日から同年12月30日にかけて、13回の掲載が行われた際、「Blood Will Tell」と言うタイトルが使用されている。


エルキュール・ポワロは、
ジグソーパズル「エルキュール・ポワロの世界」の中央に立っている。
<筆者撮影>


「マギンティー夫人は死んだ」の場合、キルチェスター警察に勤務し、間もなく定年を迎えるスペンス警視(Superintendent Spence)は、友人であるエルキュール・ポワロ(Hercule Poirot → 2025年10月11日付ブログで紹介済)の元を訪れるところから、その物語が始まる。

スペンス警視は、ポワロに対して、「僅か30ポンドのために、家主であるマギンティー夫人(Mrs. McGinty)を殺害した罪状により、死刑判決を受けた間借り人のジェイムズ・ゴードン・ベントリー(James Gordon Bentley)が真犯人だと思えないので、事件の再調査をしてほしい。」と依頼するのであった。


スペンス警視は、事件の詳細について、ポワロに説明する。


雑役婦 / 掃除婦(charwoman)として、いくつもの家に通っていたマギンティー夫人は、自宅の客間の床の上で死んでいるのを発見された。マギンティー夫人の家内は、家探しされており、寝室の床板の下に隠してあった30ポンドの現金が紛失していた。マギンティー夫人を殺害した凶器は見つかっておらず、押し入れられた形跡もなかった。


マギンティー夫人の間借り人であるジェイムズ・ベントリーは、上着の袖口に血がついていたにもかかわらず、マギンティー夫人が殺害された前夜以来、彼女の顔を見ていないと主張した。

また、マギンティー夫人の寝室の床板の下から紛失した30ポンドの現金は、後に家の外に隠してあるのが見つかる。


2025年に英国の HarperCollinsPublishers 社から出版された
「アガサ・クリスティー 2026年オフィシャルカレンダー」のうち、
2026年11月のカレンダーに描かれている
エルキュール・ポワロシリーズの長編第24作目「マギンティー夫人は死んだ」(1952年)-
自宅の客間の床の上で、マギンティー夫人が殺害されているのを発見され、
警察が彼女の庭を捜索している場面が描かれている。
<筆者撮影>


当然のことのように、間借り人のジェイムズ・ベントリーは、マギンティー夫人殺害の罪で逮捕され、事件が公判に付されると、彼はあっさりと有罪となり、死刑が確定し、死刑を待つ身となった。

あらゆる証拠がジェイムズ・ベントリーを指しているものの、スペンス警視は「事件があまりにも単純過ぎる。」と懸念を示すと、スペンス警視の話を聞いていたポワロも、彼のコメントに同意するのであった。


スペンス警視からの依頼を受けたポワロは、事件が起きたブローディニー村(Broadhinny village)へと向かった。

ブローディニー村の隣町にある唯一の宿屋で、サマーヘイズ夫妻(Maureen Summerhayes + Major Johnnie Summerhayes)が営むゲストハウスに滞在したポワロは、早速、事件の調査を開始する。


ポワロが調査したところ、マギンティー夫人は、殺される3日前に、


*タブロイド紙に掲載された昔の事件に関係して、その後、行方不明になった4人の女性達の写真を切り取っていたこと


*「そのうちの誰かがブローディニー村に居る。」と手紙に認めて、新聞社宛に送っていたこと


を突き止める。


ブローディニー村の住民達の年齢を考慮して、ポワロは、4人の女性達のうち、


*僅か12歳で肉切り包丁によりおばを殺害したリリー・ガンボル(Lily Gamboll)- 釈放後、アイルランドへ転居


もしくは、


*雇い主であるクレイグ氏(Mr. Craig)と不倫関係にあり、クレイグ夫人(Mrs. Craig)の殺害を疑われた家庭教師(governess)のエヴァ・ケイン(Eva Kane)- オーストラリアへ逃亡 / イヴリン(Evelyn)と言う名前の子供が居たらしい。


のどちらかだと推理する。


果たして、ジェイムズ・ベントリーの死刑が執行されるまでに、ポワロは、真犯人を見つけることができるのか?


(84)砂糖ハンマー(sugar hammer)



ポワロは、滞在先のサマーヘイズ夫妻が営むゲストハウスににおいて、血痕が付いた古い砂糖ハンマーを発見。これが、マギンティー夫人を殺害した凶器と考えられた。生憎と、ゲストハウスには、鍵がかかっておらず、砂糖ハンマーは、誰でも容易に使用可能だった。


(85)写真(photograph)



ポワロが調査を進めた結果、ブローディニー村に住む裕福なローラ・アップワード(Laura Upward)の家から、イヴリン・ホープ(Evelyn Hope)の名前が入った本が発見される。

更に、ポワロは、サマーヘイズ夫妻が営むゲストハウスの引き出しの中から、一枚の写真を見つけ出し、それがマギンティー夫人が問題視した写真であることに気付く。それは、エヴァ・ケインの写真で、裏には「my mother」と書かれていたのである。


(86)口紅が付いた紅茶茶碗(teacup with a lipstick stain)



ある夜、ブローディニー村に住む裕福なローラ・アップワードが、自宅において、絞殺死体となって見つかる。

生憎と、メイドは休みの夜の上、ローラ・アップワードの息子で、劇作家(playwright)のロビン・アップワード(Robin Upward)は、フィンランド人探偵(Sven Hjerson)を主人公とするシリーズで有名な女性推理作家であるアリアドニ・オリヴァー(Ariadne Oliver → 2025年10月26日付ブログで紹介済)の小説を戯曲化する関係で、アリアドニ・オリヴァーと一緒に、劇場へ出かけていたため、ローラ・アップワードは自宅に一人だった。


アリアドニ・オリヴァーは、
ジグソーパズル中央に立つエルキュール・ポワロのすぐ右側に居て、

肘掛け椅子に座っている。

<筆者撮影>


ロビン・アップワードとアリアドニ・オリヴァーの2人が劇場から戻ったところ、ローラ・アップワードは絞殺されていたのである。

現場には、絞殺されたローラ・アップワードが、彼女を殺害した犯人と一緒に飲んだと思われるコーヒーカップが残されていた。コーヒーカップには、口紅が付いており、また、室内には、香水の匂いが残されていた。

調べたところ、その夜、ローラ・アップワードは、イヴ・カーペンター(Eve Carpenter)、ディアドレ・ヘンダースン(Deirdre Henderson)とシェララ・レンデル(Shelagh Rendell)の3人を、個別に招いていたことが判明する。


ジグソーパズル「エルキュール・ポワロの世界 (The World of Hercule Poirot)」では、「口紅が付いた紅茶茶碗」となっているので、これは誤りと言える。


2026年7月11日土曜日

ロンドン コートールドギャラリー(Courtauld Gallery)- その3

'The Trinity with Saints Mary Magdalen and John the Baptist'
by Sandro Botticelli
Around 1491 - 1494 / Egg tempera on wood
<筆者撮影>

今回から2回に分けて、ロンドンの中心部シティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)のストランド地区(Strand)にあり、テムズ河(River Thames)を見下ろす絶好のロケーションに建つサマセットハウス(Somerset House → 2016年7月17日)内に設けられているコートールドギャラリー(Courtauld Gallery)に所蔵 / 展示されている主な絵画について、御紹介致したい。


コートールドギャラリーの地階(Lower Ground Floor)と
1階(Ground Floor)のレイアウト図


コートールドギャラリーの地階(Lower Ground Floor)と
2階(Floor 1)のレイアウト図


コートールドギャラリーの地階(Lower Ground Floor)と
3階(Floor 2)のレイアウト図


(1)サンドロ・ボッティチェッリ(Sandro Bottivelli:1445年頃ー1510年 - ルネサンス期のイタリアの画家)


(2)ルーカス・クラナッハ(父)(Lucas Cranach the Elder:1472年ー1553年)- ルネサンス期のドイツの画家


(3)ピーテル・パウル・ルーベンス(Peter Paul Rubens:1577年ー1640年)- バロック期のフランドルの画家 / 外交官


'Moses and the Brazen Serpent' by Peter Paul Rubens
1609 - 1610 / Oil paint on wood
<筆者撮影>

'Studies for an Altarpiece in Antwerp Cathedral' by Peter Paul Rubens
<筆者撮影>


(4)アンソニー・ヴァン・ダイク(Anthony van Dyck:1599年ー1641年 → 2025年9月27日 / 10月4日 / 10月8日 / 10月13日付ブログで紹介済)- バロック期のフランドルの画家


ナショナルポートレイトギャラリー
(National Portrait Gallery)で販売されている
アンソニー・ヴァン・ダイクの肖像画の葉書
(Sir 
Anthony van Dyck / 1640年頃 / Oil on panel
560 mm x 460 mm) 


'Ecce Homo' by Anthony van Dyck
Around 1625 - 1626 / Oil paint on canvas
<筆者撮影> 


これらの絵画は、英国の実業家であるサミュエル・コートールド(Samuel Courtauld:1876年ー1947年)とコートールドギャラリーを共同設立した英国の軍人 / 外交官 / 政治家 / 慈善家である初代/リー・オブ・フェアラム子爵アーサー・ハミルトン・リー(Arthur Hamilton Lee, 1st Viscount Lee of Fareham:1868年ー1947年)が寄贈したものである。


(5)サー・ジョシュア・レイノルズ(Sir Joshua Reynolds:1723年ー1792年)- 英国の画家 / 王立芸術協会(Royal Society of Arts)の初代会長を務めた。


'Portrait of Maria Marow Gideon and her brother, William'
by Joshua Reynolds
1786 - 1787 / Oil paint on canvas
<筆者撮影> 

'Cupid and Psyche' by Joshua Reynolds
Around 1789 / Oil paint on canvas
<筆者撮影>


(6)トマス・ゲインズバラ(Thomas Gainsborough:1727年ー1788年)- 英国の画家


'Portrait of Thomas Gainsborough'
by Thomas Gainsborough
Completed by Gainsborough Dupont (1754 - 1797)
Late 1760s / Completed 1788
Oil paint on canvas
<筆者撮影>

(7)ジョージ・ロムニー(George Romney:1734年ー1802年 → 2026年5月16日 / 5月21日 / 5月26日 / 5月31日付ブログで紹介済)- 英国の肖像画家


'Portrait of Georgiana, Lady Grenville' by George Romney
Around 1771 - 1772 / Oil paint on canvas
<筆者撮影>


これらの絵画は、英国の実業家であるサミュエル・コートールド(Samuel Courtauld:1876年ー1947年)とコートールドギャラリーを共同設立した英国の美術史家であるサー・ロバート・クレルモン・ウィット(Sir Robert Clermont Witt:1872年ー1952年)が寄贈したものである。


2026年7月10日金曜日

ロンドン クリフォーズイン(Clifford’s Inn)- その2

1912年に結婚したヴァージニア・ウルフとレナード・シドニー・ウルフの2人が
移り住んだフラット「クリフォーズイン」の玄関を北側から見たところ
<筆者撮影>

1912年8月10日に結婚した英国の小説家 / 評論家であるヴァージニア・ウルフ(Virginia Woolf / 本名:アデリーン・ヴァージニア・スティーブン(Adeline Virginia Stephen):1882年ー1941年 / 英国の小説家 / 評論家)レナード・シドニー・ウルフ(Leonard Sidney Woolf:1880年ー1969年 / 英国の作家 / 出版業者 / 公務員の2人は、南フランス / スペイン / イタリアへの新婚旅行から戻って来た後、クリフォーズイン(Clifford’s Inn)と言うフラットへ移り住んだ。


ナショナルポートレイトギャラリー
(National Portrait Gallery)で販売
されている
ヴァージニア・ウルフの肖像写真の絵葉書
(by George Charles Beresford / 1902年7月 /
platinum print / 152 mm x 108 mm)


妻となったヴァージニア・ウルフは、子供を欲しがったが、夫のレナード・シドニー・ウルフは、以下の理由から、2人の間い子供を持つことを良しとはしなかった。


1912年に結婚したヴァージニア・ウルフとレナード・シドニー・ウルフの2人が
移り住んだフラット「クリフォーズイン」の建物を南側から見上げたところ
<筆者撮影>


<理由(その1)>

1895年(ヴァージニア・ウルフが13歳の時)に、母親で、初代准男爵サー・エドワード・コーリー・バーン=ジョーンズ(Sir Edward Coley Burne-Jones, 1st Baronet:1833年ー1898年 → 2018年6月3日 / 6月10日 / 6月17日付ブログで紹介済)等の「ラファエル前派(Pre-Raphaelite Brotherhood)」(正確には、「ラファエロ以前兄弟団」)のモデルとして知られている母ジュリア・プリンセップ・ジャクスン(Julia Prinsep Jackson:1846年ー1895年)が48歳で急死し、1897年(ヴァージニア・ウルフが15歳の時)に、異父姉ステラ(Stella:1869年ー1897年)が亡くなったことに伴い、彼女は最初の神経衰弱を発病。

1904年(ヴァージニア・ウルフが22歳の時)に、父親で、英国の著名な批評家 / 歴史家である父サー・レスリー・スティーヴン(Leslie Stephen:1832年ー1904年)が72歳で亡くなり、彼女は2度目の神経衰弱に陥った。

1906年(ヴァージニア・ウルフが24歳の時)の秋、兄(長男)のトビー(Thoby:1880年ー1906年)がギリシア / トルコ旅行へ出かけた際、腸チフス(typhoid fever)に罹患し、同年11月20日に、26歳の若さで急死したため、彼女の精神状態はまた不安定になり、そう言った状況が続いている。


1912年に結婚したヴァージニア・ウルフとレナード・シドニー・ウルフの2人が
移り住んだフラット「クリフォーズイン」の玄関を南側から見たところ
<筆者撮影>


<理由(その2)>

ヴァージニア・ウルフは、母親になる(=子供を産んで育てる)には、精神的に強くなく、子供を持った場合、彼女の精神状態は更に悪化すると懸念。


1912年に結婚したヴァージニア・ウルフとレナード・シドニー・ウルフの2人が
移り住んだフラット「クリフォーズイン」の建物を北側から見上げたところ
<筆者撮影>


一方、ヴァージニア・ウルフは、レナード・シドニー・ウルフと結婚する前に、彼女の最初の長編小説となる「船出(The Voyage Out)」を概ね完成させていたが、結婚後の1912年12月から1913年3月にかけて、大幅な改稿を行った。

同作品は、彼女の異父兄であるジェラルド・ダックワース(Gerald Duckworth:1870年-1937年)が興した出版社(Gerald Duckworth and Company Ltd. - 1898年設立)から1915年3月26日に刊行されることになるが、上記の大幅な改稿が、肉体的にも、精神的にも、彼女を極度の消耗状態へと追い込んだ。

その結果、彼女は何度も神経衰弱に陥り、1913年9月9日には、睡眠薬のヴェロナール(veronal)の過剰摂取により、自殺を試みたが、なんとか一命をとりとめた。


フラット「クリフォーズイン」の玄関左側の壁には、
「ヴァージニア・ウルフとレナード・ウルフの2人が、1912年から1913年までの間、
この建物に住んでいた」ことを示すプラークが掛けられている。
<筆者撮影>


フラット「クリフォーズイン」の玄関左側の壁に、「ヴァージニア・ウルフ(1882年ー1941年)とレナード・ウルフ(1880年ー1969年)の2人が、1912年から1913年までの間、この建物に住んでいた」ことを示す Virginia Woolf Society of Great Britain のプラークが掛けられている。