2026年3月24日火曜日

サー・ウィリアム・ウォレス(Sir William Wallace)

セントバーソロミュー病院の外壁に設置されている
サー・ウィリアム・ウォレスの慰霊碑(その1)
<筆者撮影>

シティー・オブ・ロンドン(City of London → 2018年8月4日 / 8月11日付ブログで紹介済)を防衛するために築かれたロンドンウォール(London Wall)にあった7つの門の一つで、ローマ時代に遡る6つの門の一つでもあるニューゲート(New Gate)の直ぐ外側にある広大な放牧地だったウェストスミスフィールド(West Smithfield)は、12世紀頃から、馬の販売所として知られていた。


12世紀に入ると、ニューゲートは、殺人や強盗等の重罪人を収容するニューゲート監獄(Newgate Prison)の一部として使用されたが、1666年9月に発生したロンドン大火(Great Fire of London → 2018年9月8日 / 9月15日 / 9月22日 / 9月29日付ブログで紹介済)によって焼失した。その後、再建されたものの、ニューゲートは1767年に、また、ニューゲート監獄は1777年に取り壊されてしまう。


中央刑事裁判所の建物上部全景
<筆者撮影>


ニューゲート監獄の跡地に建つ中央刑事裁判所(Central Criminal Court → 2016年1月17日付ブログで紹介済)のニューゲートストリート側に面している建物外壁には、「1777年に取り壊されたニューゲート監獄が建っていた場所である(Site of Newgate Demonlished 1777)」ことを示すブループラークが掛けられている。


中央刑事裁判所の建物外壁(北側)には、「ここに建っていたニューゲート監獄が
1777年に取り壊された」ことを示すプラークが設置されている。
<筆者撮影>


ニューゲートがニューゲート監獄の一部として使用された経緯もあり、ウェストスミスフィールドにおいて、騎士の決闘の他に、重罪人の公開処刑も頻繁に行われていた。


その関係で、ウェストスミスフィールドに面して建つセントバーソロミュー病院(St. Bartholomew's Hospital → 2014年6月14日付ブログで紹介済)の外壁に、サー・ウィリアム・ウォレス(Sir William Wallace:1270年頃ー1305年)の慰霊碑が設置されている。


セントバーソロミュー病院の外壁に設置されている
サー・ウィリアム・ウォレスの慰霊碑(その2)
<筆者撮影>

サー・ウィリアム・ウォレスは、スコットランドの愛国者 / 騎士 / 軍事指導者であるが、彼の出自や前半生については、ほぼ不明で、伝承が多いため、確証できていない。


ウィリアム・ウォレスは、1290年代後半に、プランタジネット朝(House of Plantagenet)の第5代イングランド国王であるエドワード1世(1239年ー1307年 在位期間:1272年ー1307年)による過酷なスコットランド支配に対して、抵抗運動を始め、スコットランド民衆の国民感情を鼓舞した。

そして、彼は、1297年9月11日、スターリングブリッジの戦い(Battle of Stirling Bridge)において、スコットランド総督である第6代サリー伯爵ジョン・ド・ワーレン率いるイングランド軍と交戦して、勝利を収め、この戦功により、スコットランド守護官(Guardian of Scotland)に任じられる。

これ以降、彼は「サー・ウィリアム・ウォレス」と呼ばれるようになった。


しかし、サー・ウィリアム・ウォレスの破竹の勢いも長くは続かず、約1年後の1298年7月22日、フォルカークの戦い(Battle of Falkirk)において、エドワード1世率いるイングランド軍に敗れたことに伴い、スコットランド守護官の職を辞す。

その後も、彼はフランスやローマ教皇を訪問して、エドワード1世に対する抵抗運動への援助を求める交渉を行なったが、エドワード1世は、1300年以降、スコットランド侵攻を何度も行い、1303年5月、遂にスコットランド制圧に成功。


セントバーソロミュー病院の外壁に設置されている
サー・ウィリアム・ウォレスの慰霊碑(その3)
<筆者撮影>

スコットランドに帰国したサー・ウィリアム・ウォレスは、かつての部下だったダンバートン(Dumbarton)総督のサー・ジョン・ド・メンティス(Sir John Menteith:1275年ー1329年)の裏切りにあって、1305年8月5日、イングランド軍に引き渡される。

同年8月22日にロンドンへ護送されたサー・ウィリアム・ウォレスは、翌日の8月23日、ウェストミンスター宮殿(Palace of Westminster)のウェストミンスターホール(Westminster Hall)へ連行され、エドワード1世への大逆罪にかかる裁判に付された。

裁判において有罪判決が下ったサー・ウィリアム・ウォレスは、同日、ウェストスミスフィールドの処刑場までの約8㎞の道を引き摺られていき、到着後、首吊り / 内蔵抉り / 四つ裂きと言う残虐刑で処刑された。


彼の首はロンドン橋(London Bridge)に串刺しとなり、四つに引き裂かれたhあ、ニューカッスル・アポン・タイン(Newcastle upon Tyne)/ ベリック=アポン=ツィード(Berwick-pon-Tweed)/ パース(Perth)/ アバディーン(Aberdeen)で晒しものにされた。


英国のロイヤルメールから2002年9月10日に発行された
記念切手「ロンドンの橋」のうちの
1枚である「ロンドン橋」


イングランドのエドワード1世は、サー・ウィリアム・ウォレスを残虐刑に処すことで、スコットランドの抵抗運動を抑えつけようとした。

しかしながら、エドワード1世の計画は成功せず、逆にスコットランドの国民感情を駆り立てることになり、その結果、イングランドによるスコットランド支配は崩壊へと向かったのである。


当時、スコットランドに国家や国民と言った概念がほとんどない中、スコットランド人を愛国精神で導いたサー・ウィリアム・ウォレスは、スコットランドでは、今も英雄視されている。


2026年3月23日月曜日

エルキュール・ポワロの世界 <ジグソーパズル>(The World of Hercule Poirot )- その27A

英国の HarperCollinsPublishers 社から以前に出版されていた
アガサ・クリスティー作「ナイルに死す」ペーパーバック版の表紙 -
本作品の事件の舞台となるカルナック号(Karnak)が、
ナイル川を遊覧する場面が描かれている。


英国の Orion Publishing Group Ltd. から2023年に発行されている「エルキュール・ポワロの世界(The World of Hercule Poirot)」と言うジグソーパズル内に散りばめられているエルキュール・ポワロシリーズの登場人物や各作品に関連した112個の手掛かりについて、引き続き、紹介したい。

前回に引き続き、各作品に出てくる登場人物、建物や手掛かり等が、その対象となる。


ジグソーパズル「エルキュール・ポワロの世界」の完成形
<筆者撮影>


(59)ナイル川の遊覧船(クルーズ船)(cruise down the Nile)



ジグソーパズル中央に立つエルキュール・ポワロ(Hercule Poirot 2025年10月11日付ブログで紹介済)から右真横へ移動した位置に居る執事のジョージ(George → 2025年10月23日付ブログで紹介済)の左側にある柱の一番上(回廊と同じ高さの場所)に、ナイル川の遊覧船(クルーズ船)の絵が掛けられている。


(60)真珠のネックレス (pearl necklace)



ジグソーパズルの下段のやや右手にあるテーブルの上段の真ん中辺り(花瓶の左側)に、真珠のネックレスが置かれている。


(61)銃座に真珠の装飾が施された拳銃(pearl-handed pistol)



ジグソーパズルの中央のやや左側にある暖炉の一番右側にある柱の上に、真珠が銃座に付いた拳銃が置かれている。


(62)赤いマニキュア液(red nail varnish)



ジグソーパズルの下段のやや右手にあるテーブルの上段の真ん中辺り(花瓶の右側)に、赤いマニキュア液が入った瓶が置かれている。


(63)ヴェルヴェット(ビロード)の肩掛け(velvet stole)



ジグソーパズルの下段の一番左手にあるテーブルに寄せられた椅子の背に、ヴェルヴェット(ビロード)の肩掛けが掛けられている。


(64)アブ・シンベル神殿(Temple of Abu Simbel)



ジグソーパズルの右下に設置されているガラスケース内の前列右端に、アブ・シンベル神殿の模型が置かれている。


これらから連想されるのは、アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)が1937年に発表した「ナイルに死す(Death on the Nile → 2020年10月4日付ブログで紹介済)」である。

「ナイルに死す」は、アガサ・クリスティーが執筆した長編としては、第22作目に、そして、エルキュール・ポワロシリーズの長編としては、第15作目に該っている。


「ナイルに死す」は、「メソポタミアの殺人(Murder in Mesopotamia → 2020年11月8日付ブログで紹介済)」(1936年)に続く中近東を舞台にした長編第2作目で、中近東シリーズの最高峰でもある。

本作品の後、中近東を舞台にした長編第3作目として、「死との約束(Appointment with Death → 2021年3月13日付ブログで紹介済)」(1938年)が発表されている。


夫アーチボルド・クリスティー(Archibald Christie:1889年ー1962年)の不倫に端を発して、アガサ・クリスティーは、1928年に彼と離婚し、その後、1930年に考古学者で、14歳年下のマックス・エドガー・ルシアン・マローワン(Max Edgar Lucien Mallowan:1904年ー1978年)と再婚。

アガサ・クリスティーは、1933年にマックス・マローワンと一緒に、ナイル川のクルーズ船「スーダン号」に乗船した旅に触発されて、4年後に「ナイルに死す」を書き上げたのである。


2026年3月22日日曜日

アガサ・クリスティー作「シタフォードの謎」<小説版(愛蔵版)>(The Sittaford Mystery by Agatha Christie )- その2

2025年に英国の HarperCollinsPublishers 社から出版された
アガサ・クリスティー作「シタフォードの謎」の
愛蔵版(ハードカバー版)の裏表紙
(Cover design and 
illustration
by Toby James / 
HarperCollinsPublishers Ltd. ) -
南アフリカから英国へとやって来たウィレット夫人と
娘のヴァイオレット・ウィレットが借りている
シタフォード荘において催され降霊術会で
霊が「
トリヴェリアン大佐が死んだ」と告げたため、
大佐の友人で、彼の安否を気遣った
ジョン・エドワード・バーナビー少佐が、
吹雪の中、大佐が住む
シタフォード村から6マイル離れたエクスハンプトン村の
ヘイゼルムーア荘を訪れる場面が描かれている。
ただし、表紙とは異なり、裏表紙の場合、
ヘイゼルムーア荘の門の前に立つジョン・バーナビー少佐が居なくなっている。


アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)が1931年に発表した「シタフォードの謎(東京創元社)/ シタフォードの秘密(早川書房)(The Sittaford Mystery)」(1931年)の場合、事件の舞台となるのは、デヴォン州(Devon)ダートムーア(Dartmoor)の周辺部に所在するシタフォード(Sittaford)と言う小さな村である。


海軍のジョーゼフ・アーサー・トリヴェリアン大佐(Captain Joseph Arthur Trevelyan)は、10年前に退役した後、シタフォード村に退き、シタフォード荘(Sittaford House)と言う屋敷を建てて、そこに住んでいた。

ある年の10月の終わり頃、不動産エージェント経由、冬の間、シタフォード荘を借りたいと言う依頼があり、先方が提示した家賃の額も非常に良かったため、ジョーゼフ・アーサー・トリヴェリアン大佐は、シタフォード村を出ると、シタフォード村から6マイル離れたエクスハンプトン(Exhampton)と言う村に所在するヘイゼルムーア荘(Hazelmoor)を借りて、転居していた。

そして、南アフリカから英国へとやって来たウィレット夫人(Mrs. Willett)と娘のヴァイオレット・ウィレット(Miss Violet Willett)の2人がシタフォード荘に入居して、約2ヶ月が経過する。


なお、シタフォード荘の周りには、6つのコテージがあり、以下の人物が住んでいた。


*1号コテージ:ジョン・エドワード・バーナビー少佐(Major John Edward Burnaby - ジョーゼフ・アーサー・トリヴェリアン大佐の友人)

*2号コテージ:ワイアット大尉(Captain Wyatt - 病人)+使用人(インド人)のアブドゥル(Abdul)

*3号コテージ:ライクロフト氏(Mr. Rycroft - 心霊研究会(Psychical Research Society)会員)

*4号コテージ:キャロライン・パーシハウス(Miss Caroline Percehouse - 未婚の婦人)+ロナルド・ガーフィールド(Ronald Garfield - キャロラインの甥 / 愛称:ロニー(Ronnie))

*5号コテージ:カーティス氏(Mr. Curtis - シタフォード荘のの元庭師)+カーティス婦人(Mrs. Curtis - カーティス氏の妻)

*6号コテージ:デューク氏(Mr. Duke - 最近、シタフォード村に越して来た人物)


12月のある金曜日の午後(午後3時半)、ウィレット母娘の2人は、


*1号コテージ:ジョン・バーナビー少佐

*3号コテージ:ライクロフト氏

*4号コテージ:ロナルド・ガーフィールド

*6号コテージ:デューク氏


の4人をシタフォード荘のお茶会に招待する。4日間にわたって、雪が英国中で降り続き、シタフォード村でも、数フィートの雪が積もっていた。


毎週金曜日の晩、ジョン・バーナビー少佐が、ジョーゼフ・トリヴェリアン大佐が住むエクスハンプトン村のヘイゼルムーア荘(10月末以前は、シタフォード荘)を訪れ、毎週火曜日の晩、逆に、ジョーゼフ・トリヴェリアン大佐が、ジョン・バーナビー少佐が住む1号コテージを訪れる習慣を長年続けていた。

そのため、ウィレット母娘は、ジョン・バーナビー少佐がお茶会の招待を受けないのではないかと危惧していたが、蓋を開けてみると、ジョン・バーナビー少佐は、ウィレット母娘の招待を受けて、シタフォード荘に姿を見せていた。

シタフォード荘でのお茶会後、ジョン・バーナビー少佐は、今までの習慣通り、ヘイゼルムーア荘にジョーゼフ・トリヴェリアン大佐を訪ねるつもりのようだが、これから更に降雪がある模様だった。


お茶会の後、ウィレットは、他の5人に対して、ブリッジ(bridge)を提案したものの、残念ながら、デューク氏は「ブリッジはやらない。」とのことだったので、ロナルド・ガーフィールドが、代わりに、テーブルターニング(table-turning / 降霊術会)を提案する。

心霊研究会の会員であるライクロフト氏は、直ぐに賛意を示したが、ジョン・バーナビー少佐は、あまり乗り気ではないようだった。ブリッジを断ったデューク氏も、ロナルド・ガーフィールドの提案に賛同したため、6人はテーブルターニングを始めた。


テーブルターニングの最中、驚くことに、霊が「トリヴェリアン大佐が死んだ(Trevelyan Dead)」と告げた。霊のお告げを見たジョン・バーナビー少佐は、長年の友人であるジョーゼフ・トリヴェリアン大佐の安否を気遣う。

残念なことに、シタフォード荘には、電話がなく、ジョーゼフ・トリヴェリアン大佐が住むヘイゼルムーア荘に連絡をとることができない。また、今日までの降雪のため、道路は車が通れない状況だった。更に、これから大雪になると言う予報がが出ていた。

ジョーゼフ・トリヴェリアン大佐の安否を心配するジョン・バーナビー少佐は、シタフォード村から6マイル離れたエクスハンプトン村まで歩いて行くことを宣言すると、シタフォード荘を出て行った。


そして、2時間半後(午後8時前)、吹雪の中、ジョン・バーナビー少佐は、ジョーゼフ・トリヴェリアン大佐が住むヘイゼルムーア荘に到着。

ジョン・バーナビー少佐はヘイゼルムーア荘のベルを鳴らしたが、不思議なことに、屋内からは誰の応答もなかった。

不測の事態に困ったジョン・バーナビー少佐は、ヘイゼルムーア荘の近くにある派出所のグレイヴス巡査(Constable Graves)と派出所の直ぐ隣に住んでいるウォーレン医師(Dr. Warren)を呼んで、ヘイゼルムーア荘へと戻る。

そして、3人がヘイゼルムーア荘の書斎の窓から家の中に入ったところ、ジョーゼフ・トリヴェリアン大佐が床の上に横たわっているのを発見する。残念ながら、彼は既に死亡していた。

ウォーレン医師がジョーゼフ・トリヴェリアン大佐の死体を調べた結果、頭蓋骨の骨折が死因であり、凶器は死体の傍らに落ちていた砂が入った緑色の袋だった。


ジョン・バーナビー少佐が懸念していた通り、シタフォード荘で催されたテーブルターニングの最中、霊が告げた内容が本当のことになったのである。


         

2026年3月21日土曜日

オーブリー・ヴィンセント・ビアズリー(Aubrey Vincent Beardsley)- その2

テイト・ブリテン美術館(Tate Britain
→ 2018年2月18日付ブログで紹介済)
で販売されている
オーブリー・ヴィンセント・ビアズリー作
「Cover Design for 'The Yellow Book' Volume 1」
(1894年 / ink on paper / 26 cm x 21.6 cm)-
「イエローブック(The Yellow Book)」とは、
オーブリー・ヴィンセント・ビアズリーが1894年に創刊した挿絵入りの文芸誌で、
彼は同誌の美術担当編集主任を務めている。


後に英国のイラストレーター / 詩人 / 小説家となるオーブリー・ヴィンセント・ビアズリー(Aubrey Vincent Beardsley:1872年ー1898年)が1888年に彼の生まれ故郷であるサセックス州(Sussex)ブライトン(Brighton)の初等中学校(Brighton, Hove and Sussex Grammar School)を卒業した後、ビアズリー一家は、ロンドンへと移り住み、現在のシティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)ピムリコ地区(Pimlico)内にあるケンブリッジストリート32番地(32 Cambridge Street)に居を構えた。


オーブリー・ビアズリーは、1888年、クラーケンウェル地区(Clerkenwell)の測量事務所に事務員として勤務し、1889年にガーディアン生命&火災保険会社の書記に転職したものの、持病の肺結核(tuberculosis)のため、年末に喀血して、休職を余儀無くされる。


テイト・ブリテン美術館に所蔵 / 展示されている
エドワード・コーリー・バーン=ジョーンズ作
「Frieze of Eight Women Gathering Apples」(1876年)
<筆者撮影>


オーブリー・ビアズリーは、1891年7月12日、後に女優となる姉のメイベル・ビアズリー(Mable Beardsley:1871年ー1916年)と一緒に、英国の画家 / デザイナーであるエドワード・コーリー・バーン=ジョーンズ(Edward Coley Burne-Jones:1833年ー1898年 → 2018年6月3日 / 6月10日 / 6月17日付bログで紹介済)のアトリエを訪れて、描き溜めた作品を見せたところ、才能を絶賛され、画家を志すように勧められた。


テイト・ブリテン美術館に所蔵 / 展示されている
エドワード・コーリー・バーン=ジョーンズ作
「黄金の階段(The Golden Stairs)」(1880年)
<筆者撮影>


エドワード・バーン=ジョーンズの勧めに基づき、オーブリー・ビアズリーは、同年8月より、ウェストミンスター美術学校(Westminster School of Art)の夜間クラスに出席して、校長のフレデリック・ブラウン(Frederick Brown:1851年ー1941年 → 英国の画家 / 美術教師)に師事する。これが、オーブリー・ビアズリーにとって、生涯で唯一の正式な絵画の勉強となった。


テイト・ブリテン美術館に所蔵 / 展示されている
エドワード・コーリー・バーン=ジョーンズ作
「コフェチュア王と乞食娘(King Cophetua and the Beggar Maid)」(1884年)
<筆者撮影>


テイト・ブリテン美術館に所蔵されている
初代准男爵サー・エドワード・コーリー・バーン=ジョーンズ作
「コフェチュア王と乞食娘(King Cophetua and the Beggar Maid)」(1884年)


オーブリー・ビアズリーは、1892年6月に、ガーディアン生命&火災保険会社の年次休暇を使って、パリを初めて訪れ、アンリ・マリー・レイモン・ド・トゥールーズ=ロートレック=モンファ(Henri Marie Raymond de Toulouse-Lautrec-Monfa::1864年ー1901年)の絵画や版画等に魅せられる。

パリから戻ったオーブリー・ビアズリーは、同年の晩夏、同生命&火災保険会社に対して、辞表を出した。


行きつけの書店の主人であるフレデリック・エヴァンズの紹介により、出版業者のJ・M・デント(J. M. Dent)と知り合ったオーブリー・ビアズリーは、1893年から約1年半にわたって、トマス・マロリー(Thomas Malory:1399年ー1471年)作「アーサー王の死(Le Morte d’Arthur)」の挿絵を描いた。これが、彼にとって、イラストレーターとしてのデビューとなる。

この挿絵の仕事が始める際、彼はウェストミンスター美術学校を退学している。


ナショナルポートレートギャラリー
(National Portrait Gallery)
で販売されている
オスカー・ワイルドの写真の葉書
(Napoleon Sarony / 1882年 / Albumen panel card
305 mm x 184 mm) 


その翌年、オーブリー・ビアズリーは、アイルランド出身の詩人 / 作家 / 劇作家で、シャーロック・ホームズシリーズの作者サー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Sir Arthur Ignatius Conan Doyle:1859年ー1930年)の友人でもあったオスカー・フィンガル・オフラハティ・ウィルス・ワイルド(Oscar Fingal O’Flahertie Wills Wilde:1854年ー1900年)による一幕物の悲劇である戯曲「サロメ(Salome → 2026年3月11日 / 3月12日付ブログで紹介済)」に、挿画を提供することになる。


2026年3月20日金曜日

エルキュール・ポワロの世界 <ジグソーパズル>(The World of Hercule Poirot )- その26B

英国の HarperCollinsPublishers 社から現在出版されている
アガサ・クリスティー作「もの言えぬ証人」の
ペーパーバック版の表紙 -

壁紙の絵が、謎の死を遂げたエミリー・アランデルの愛犬(テリア犬)である

ボブの形に切り取られている。


アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)が執筆した長編としては、第21作目に該り、エルキュール・ポワロシリーズの長編のうち、第14作目に該る「もの言えぬ証人(Dumb Witness)」(1937年)の場合、1936年6月28日、エルキュール・ポワロ(Hercule Poirot → 2025年10月11日付ブログで紹介済)が、エミリー・アランデル(Emily Arundell - なお、フルネームは、エミリー・ハリエット・ラヴァートン・アランデル(Emily Harriet Laverton Arundell))と名乗る老婦人から、自分の命に危険が迫っていることを示唆する内容の手紙を受け取るところから、その物語が始まる。奇妙なことに、手紙の日付は、その年の4月17日になっており、手紙が書かれてから2ヶ月後も経ってから投函されているのだった。


エルキュール・ポワロは、
ジグソーパズル「エルキュール・ポワロの世界」の中央に立っている。
<筆者撮影>


ポワロの相棒で、友人でもあるアーサー・ヘイスティングス大尉(Captain Arthur Hastings → 2025年10月12日付ブログで紹介済)は、「老婦人のとりとめのない妄想ではないか?」と疑問を呈したが、手紙が差し出された経緯について興味を覚えたポワロは、ヘイスティングス大尉を伴って、事実を確かめるために、エミリー・アランデルが住むバークシャー州(Berkshire)のマーケットベイジング(Market Basing)へと赴くことにした。


アーサー・ヘイスティングス大尉は、
ジグソーパズル「エルキュール・ポワロの世界」の中央に立つ
エルキュール・ポワロの左斜め後ろに居る。

<筆者撮影>


ポワロとヘイスティングス大尉の二人が、エミリー・アランデルの住所である小緑荘(Littlegreen House)を訪れると、屋敷の前には、「売家」の札が掲げられていた。疑問を抱いた二人が地元で尋ねると、エミリー・アランデル本人は、1ヶ月以上も前の1936年5月1日に亡くなっていたのである。


亡くなったエミリー・アランデルは、長女マチルダ(Matilda - なお、フルネームは、マチルダ・アン・アランデル(Matilda ann Arundell))、三女アラベラ(Arabella)、長男トマス(Thomas)および四女アグネス(Agnes - なお、フルネームは、アグネス・ジョルジーナ・メアリー・アランデル(Agnes Georgina Mary Arundell))の五人兄弟の次女で、ただ一人存命中だった。

彼女は、父親のアランデル将軍からかなりの財産を相続しており、非常に裕福であった。彼女は、生涯未婚の上、自分の財産を遺す子供が居なかったため、以下の姪と甥が将来彼女の遺産を分け合うものと思われていた。


* ベラ・タニオス(Bella Tanios):三女アラベラの娘   

* チャールズ・アランデル(Charles Arundell):長男トマスの長男で、テリーザの兄

* テリーザ・アランデル(Theresa Arundell):長男トマスの長女で、チャールズの妹


なお、ベラ・タニオスは、ジャコブ・タニオス(Dr. Jacob Tanios - ギリシア人の医者)と結婚して、2人の間には、2人の子供(娘+息子)を設けていた。

また、テリーザ・アランデルは、マーケットベイジングに住むレックス・ドナルドスン医師(Dr. Rex Donaldson)と婚約していた。


ところが、エミリー・アランデルは、亡くなるわずか数日前に、遺言書を書き換えていて、新しい遺言書により、彼女の全財産は、彼女の相手役(コンパニオン)であるウィルへルミナ・ロウスン(Wilhelmina Lawson - 通称:ミニー(Minnie))に遺贈され、彼女の本当の肉親である姪2人と甥1人に対しては、何も残されなかったのである。そのため、地元マーケットベイジングの住人達の間では、その噂でもちきりだった。


エミリー・アランデルの遺族の間で憤懣がつのる中、彼女の愛犬であった「もの言えぬ証人(Dumb Witness)」のテリア犬ボブ(Bob)は、彼女の死の真相究明に乗り出したポワロとヘイスティングス大尉に対して、何かを伝えようとしていたのである。


(56)テリア犬のボブ(Bob the dog)



テリア犬のボブは、バークシャー州のマーケットベイジングにある小緑荘の女主人だったエミリー・アランデルの愛犬である。


(57)燐光を発する煙に似たもの(phosphorescent smoke)



ポワロは、調査の過程において、「エミリー・アランデルが亡くなる少し前、小緑荘で降霊会が催された際、彼女の口から光るオーラが出るのを見た。」と言う証言を得た。

その証言を聞いたポワロは、「エミリー・アランデルの命を狙う犯人が、彼女が服用していた肝臓の薬のカプセルの1つを燐(リン)が入ったものにすり替えた」と推理する。燐の毒による死は、肝不全の症状に似ていることを、ポワロは知っていた。つまり、降霊会に出席した人達が目撃したエミリー・アランデルの口から出た光るオーラは、彼女が犯人に摂取させられた燐によるものだった。


(58)階段(stairwell)



小緑荘に住むエミリー・アランデルの元を甥や姪達が訪れた日の夜、彼女は階段から転落して、それが原因で寝込んでしまう。

当初は、彼女の愛犬ボブが遊び道具のボールを階段に置き忘れたままにした結果、彼女がボールに躓いたことが、階段から転落した原因と考えられていた。

ところが、彼女が亡くなった後、小緑荘に赴いたポワロは、階段の上の両側にニスが塗られた釘が打たれているのを発見して、そこに紐が張られていたのではないかと推理する。つまり、エミリー・アランデルが階段から転落したのは、単なる事故ではなく、階段の上に張られた紐に躓いて転落させれた疑いが強まったのである。


2026年3月19日木曜日

アガサ・クリスティー作「シタフォードの謎」<小説版(愛蔵版)>(The Sittaford Mystery by Agatha Christie )- その1

2025年に英国の HarperCollinsPublishers 社から出版された
アガサ・クリスティー作「シタフォードの謎」の
愛蔵版(ハードカバー版)の表紙
(Cover design and 
illustration
by Toby James / 
HarperCollinsPublishers Ltd. ) -
南アフリカから英国へとやって来たウィレット夫人と
娘のヴァイオレット・ウィレットが借りている
シタフォード荘において催され降霊術会で
霊が「
トリヴェリアン大佐が死んだ(Trevelyan Dead)」と告げたため、
大佐の友人で、彼の安否を気遣った
ジョン・エドワード・バーナビー少佐が、
吹雪の中、大佐が住む
シタフォード村から6マイル離れたエクスハンプトン村の
ヘイゼルムーア荘を訪れる場面が描かれている。


英国の HarperCollinsPublishers 社から、アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)が生まれたトーキー(Torquay → 2023年9月1日 / 9月4日付ブログで紹介済)が所在するデヴォン州(Devon)が舞台となったエルキュール・ポワロシリーズの長編作品のうち、「死者のあやまち(Dead Man’s Folly)」(1956年)の愛蔵版(ハードバック版 → 2023年8月18日 / 8月22日付ブログで紹介済)と「五匹の子豚(Five Little Pigs)」(1942年)の愛蔵版(ハードバック版 → 2023年11月9日 / 11月13日付ブログで紹介済)が2023年に、更に、「白昼の悪魔(Evil Under the Sun)」(1941年)の愛蔵版(ハードバック版 → 2024年6月8日 / 6月12日付ブログで紹介済)が刊行されてい「エンドハウスの怪事件(Peril at End House)」(1932年)の愛蔵版(ハードバック版 → 2024年7月13日 / 7月21日 / 7月25日付ブログで紹介済)が2024年に出版されている。


2023年に英国の HarperCollins Publishers 社から出版された
アガサ・クリスティー作「死者のあやまち」の
愛蔵版(ハードカバー版)の表紙
(Cover design by HarperCollinsPublishers Ltd. /
Cover illustration by Becky Bettesworth) -
アガサ・クリスティーの夏期の住まいである
デヴォン州のグリーンウェイ(Greenway)が、ナス屋敷として描かれている。


2023年に英国の HarperCollins Publishers 社から出版された
アガサ・クリスティー作「五匹の子豚」の
愛蔵版(ハードカバー版)の表紙
(Cover design by HarperCollinsPublishers Ltd. /
Cover illustration by Becky Bettesworth) -
英国の有名な画家であるアミアス・クレイル(Amyas Crale)が
毒殺される事件現場になった砲台庭園が描かれている。


2024年に英国の HarperCollins Publishers 社から出版された
アガサ・クリスティー作「白昼の悪魔」の
愛蔵版(ハードカバー版)の表紙
(Cover design and 
illustration
by Sarah Foster / 
HarperCollinsPublishers Ltd. ) -

名探偵エルキュール・ポワロは、デヴォン州の密輸業者島(Smugglers’ Island)にある

Jolly Roger Hotel に滞在して、静かな休暇を楽しんでいた。

同ホテルには、美貌の元女優で、実業家ケネス・マーシャル(Captain Kenneth Marshall)の後妻となった

アリーナ・ステュアート・マーシャル(Arlena Stuart Marshall)が、

この島で何者かによって殺害されることになる。


2024年に英国の HarperCollinsPublishers 社から出版された
アガサ・クリスティー作「エンドハウスの怪事件」の
愛蔵版(ハードカバー版)の表紙
(Cover design and 
illustration
by Sarah Foster / 
HarperCollinsPublishers Ltd. ) -
「コーニッシュ リヴィエラ(Cornish Riviera)」と呼ばれる
コンウォール州(Cornwall)のセントルー村(St. Loo - 架空の場所)に近い
マジェスティックホテル(Majestic Hotel)において、
エルキュール・ポワロとアーサー・ヘイスティングス大尉は、優雅な休暇を楽しんでいた。
一方、新聞では、世界一周飛行に挑戦中の飛行家である
マイケル・シートン大尉(Captain Michael Seton)が、
太平洋上で行方不明になっていることを伝えていた。
テラスから庭へと通じる階段でポワロが足を踏み外したところ、
丁度運良くそこに通りかかったニック・バックリー(Nick Buckley -
本名:マグダラ・バックリー(Magdala Buckley))に助けられる。
彼女は、ホテルからほんの目と鼻の先にある岬の突端に立つ
やや古びた屋敷エンドハウス(End House)の若き女主人であった。


また、映画化に先立って、「ハロウィーンパーティー(Hallowe’en Party)」(1969年)の愛蔵版(ハードバック版 → 2023年10月6日 / 10月11日付ブログで紹介済)も、2023年に出ている。


2023年に英国の HarperCollins Publishers 社から出版された
アガサ・クリスティー作「ハロウィーンパーティー」の
愛蔵版(ハードカバー版)の表紙
(Cover design by Sarah Foster / HarperCollinsPublishers Ltd.
Cover images by Shutterstock.com)


更に、2025年には、動物をテーマにした「もの言えぬ証人(Dumb Witness)」(1937年)の愛蔵版(ハードバック版 → 2025年6月29日 / 7月3日付ブログで紹介済)と「鳩のなかの猫(Cat Among the Pigeons)」(1959年)の愛蔵版(ハードバック版 → 2025年8月3日 / 8月4日付ブログで紹介済)が出版された。


2025年に英国の HarperCollinsPublishers 社から出版された
アガサ・クリスティー作「もの言えぬ証人」の
愛蔵版(ハードカバー版)の表紙
(Cover design and 
illustration
by Sarah Foster / 
HarperCollinsPublishers Ltd. ) -
小緑荘の女主人であるエミリー・アランデルの
飼い犬であるボブ(Bob)と犬の遊び道具のボールが描かれている。
また、
エミリー・アランデルが転落して、
寝込む原因となった階段が、画面右手に描かれている。


2025年に英国の HarperCollinsPublishers 社から出版された
アガサ・クリスティー作「鳩のなかの猫」の
愛蔵版(ハードカバー版)の表紙
(Cover design and 
illustration
by Sarah Foster / 
HarperCollinsPublishers Ltd. ) -
小説のタイトルの上に留まっている鳩達と
床の上に静かに座り、鳩達を狙っている猫が描かれている。


今回は、昨年(2025年)の冬に出た「シタフォードの謎(東京創元社)/ シタフォードの秘密(早川書房)(The Sittaford Mystery)」(1931年)について、紹介したい。

本作品は、アガサ・クリスティーが執筆した長編としては、第11作目に該り、エルキュール・ポワロやミス・ジェーン・マープル等が登場しないノンシリーズ作品である。

なお、「シタフォードの謎」の場合、米国版のタイトルは、「Murder at Hazelmoor」が使用されている。


事件の舞台となるのは、デヴォン州(Devon)ダートムーア(Dartmoor)の周辺部に所在するシタフォード(Sittaford)と言う小さな村である。


海軍のジョーゼフ・アーサー・トリヴェリアン大佐(Captain Joseph Arthur Trevelyan)は、10年前に退役した後、シタフォード村に退き、シタフォード荘(Sittaford House)と言う屋敷を建てて、そこに住んでいた。

ある年の10月の終わり頃、不動産エージェント経由、冬の間、シタフォード荘を借りたいと言う依頼があり、先方が提示した家賃の額も非常に良かったため、ジョーゼフ・アーサー・トリヴェリアン大佐は、シタフォード村を出ると、シタフォード村から6マイル離れたエクスハンプトン(Exhampton)と言う村に所在するヘイゼルムーア荘(Hazelmoor)を借りて、転居していた。

そして、南アフリカから英国へとやって来たウィレット夫人(Mrs. Willett)と娘のヴァイオレット・ウィレット(Miss Violet Willett)の2人がシタフォード荘に入居して、約2ヶ月が経過する。


なお、シタフォード荘の周りには、6つのコテージがあり、以下の人物が住んでいた。


*1号コテージ:ジョン・エドワード・バーナビー少佐(Major John Edward Burnaby - ジョーゼフ・アーサー・トリヴェリアン大佐の友人)

*2号コテージ:ワイアット大尉(Captain Wyatt - 病人)+使用人(インド人)のアブドゥル(Abdul)

*3号コテージ:ライクロフト氏(Mr. Rycroft - 心霊研究会(Psychical Research Society)会員)

*4号コテージ:キャロライン・パーシハウス(Miss Caroline Percehouse - 未婚の婦人)+ロナルド・ガーフィールド(Ronald Garfield - キャロラインの甥 / 愛称:ロニー(Ronnie))

*5号コテージ:カーティス氏(Mr. Curtis - シタフォード荘のの元庭師)+カーティス婦人(Mrs. Curtis - カーティス氏の妻)

*6号コテージ:デューク氏(Mr. Duke - 最近、シタフォード村に越して来た人物)