2026年10月30日金曜日

エルキュール・ポワロの世界 <ジグソーパズル>(The World of Hercule Poirot )- その44B

英国の HarperCollinsPublishers 社から現在出版されている
アガサ・クリスティー作「ハロウィーンパーティー 」のペーパーバック版の表紙 -
ハロウィーンに使われるカボチャの山が、猫の形に切り取られている。


アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)が1969年に発表した「ハロウィーンパーティー(Hallowe’en Party → 2023年10月6日 / 10月11日付ブログで 紹介済)」は、アガサ・クリスティーが執筆した長編としては、第60作目に該り、そして、エルキュール・ポワロシリーズの長編としては、第31作目に該っている。

アリアドニ・オリヴァーは、
ジグソーパズル「エルキュール・ポワロの世界」の中央に立つ
エルキュール・ポワロ
のすぐ右側に居て、

肘掛け椅子に座っている。

<筆者撮影>


「ハロウィーンパーティー」の場合、女性推理作家として有名なアリアドニ・オリヴァー夫人(Mrs. Ariadne Oliver → 2025年10月26日付ブログで紹介済)が、ロンドンから30ー40マイル程離れた町ウッドリーコモン(Woodleigh Common)に住む友人のジュディス・バトラー(Judith Butler)宅に滞在していルところから、物語が始まる。

ウッドリーコモンの中心的な存在であるロウィーナ・ドレイク夫人(Mrs. Rowena Drake)が、学校の生徒達のために、ハロウィーンパーティーを主催することになり、オリヴァー夫人やジュディス・バトラーも、準備作業を含めて、参加する運びとなった。


2025年に英国の HarperCollinsPublishers 社から出版された
「アガサ・クリスティー 2026年オフィシャルカレンダー」のうち、
2026年10月のカレンダーに描かれている
エルキュール・ポワロシリーズの長編第31作目
「ハロウィーンパーティー(→ 2026年2月9日付ブログで紹介済)」(1969年)-

ロンドンから30ー40マイル程離れた町ウッドリーコモンの中心的な存在である

ロウィーナ・ドレイク夫人の自宅「リンゴの木荘」において、

学校の生徒達のために開催されるハロウィーンパーティー用に準備された

カボチャやリンゴが描かれている。

<筆者撮影>


ハロウィーンパーティーを晩に控えた午後、ドレイク夫人宅「リンゴの木荘(Apple Trees House)」において、学校の生徒達が準備の手伝いをしていた。その際、生徒の一人である13歳のジョイス・レノルズ(Joyce Reynolds)が、突然、「ずっと前に殺人を目撃したことがある。ただ、当時は、それが殺人だと判らなかった。(I witnessed a murder once, when I was little. I didn’t understand what was going on at the time.)」と言い出したのである。

ジョイス・レノルズの話を聞いた他の生徒達は、日頃から彼女が人の関心を惹くために、いろいろと嘘をつくので、彼女を全く相手にしない。ドレイク夫人宅に準備の手伝いに来ていたオリヴァー夫人も、ジョイスが推理作家である自分の気を引こうとしているものと思い、彼女の話を本気にしなかった。


エルキュール・ポワロは、
ジグソーパズル「エルキュール・ポワロの世界」の中央に立っている。
<筆者撮影>


ドレイク夫人宅において、ハロウィーンパーティーが行われた日の翌日の晩、オリヴァー夫人が、ロンドンのエルキュール・ポワロ(Hercule Poirot → 2025年10月11日付ブログで紹介済)のフラットに電話をかけてきた後、慌ててやって来る。オリヴァー夫人は、ポワロに対して、ヒステリー気味に話を始めた。

ハロウィーンパーティーが終わった後、以前殺人を目撃したことがあると言っていたジョイス・レノルズが、ドレイク夫人宅の図書室において、リンゴが浮かぶブリキのバケツに頭を押し込まれて、溺死しているのが見つかったのである。


オリヴァー夫人から話を聞いて、ハロウィーンパーティー前の発言のために、ジョイス・レノルズが口封じされたものと考えたポワロは、早速、行動に移った。

ポワロは、古い友人であるバート・スペンス元警視(ex Superintendent Bart Spence)の元を訪れる。偶然にも、スペンス元警視は、引退後、夫を亡くした妹のエルスペス・マッケイ(Elspeth McKay)と一緒に、ジョイス・レノルズが殺害された町ウッドリーコモンに住んでいたのである。


スペンス元警視の場合、ウッドリーコモンに住み始めて、それ程長くはないものの、彼の妹であるエルスペス・マッケイは、彼よりも長く、ウッドリーコモンに住んでいるので、ポワロは、2人の協力を得て、過去数年間にウッドリーコモン周辺で殺された人物、あるいは、殺害された可能性のある人物のリストを作成してもらい、一つ一つ捜査を進める。


*ルウェリン=スマイス夫人(Mrs. Llewellyn-Smythe):

富豪の未亡人である彼女(ロウィーナ・ドレイク夫人の夫が、彼女の甥に該る)が突然亡くなり、彼女の遺言書(codicil)により、彼女の屋敷で働いていたオルガ・セミノフ(Olga Seminoff - ヘルツェゴヴィナ(Herzegovina)出身 / 外国語の勉強を目的として、家事手伝いをしながら、外国の家庭に住まわせてもらう制度を利用していた女性(au pair girl))が彼女の遺産相続人として指定される。ところが、後に、その遺言書が偽造と判明し、オルガ・セミノフも失踪して、行方不明となる。


*レスリー・フェリアー(Leslie Ferrier):

ルウェリン=スマイス夫人の顧問弁護士であるジェレミー・フラートン(Jeremy Fullerton)が経営する法律事務所(Fullerrton, Harrison and Leadbetter)の事務員として働いていたが、ある夜、パブ(The Green Swan)からの帰り道、何者かに背中を刺されて死亡(当時28歳)。当時、彼は、パブの経営者の妻と不倫関係にある上に、他の女性との関係も噂されていた。


*シャーロット・ベンフィールド(Charlotte Benfield):

店員として働いていたが、採掘場(quarry)近くの森の小道において、頭部に複数の傷を負って、死亡しているのが発見される(当時16歳)。2人の男性が容疑者として疑われたものの、決定的な証拠が挙がらなかった。


*ジェネット・ホワイト(Janet White):

エルムズ学校(Elms school)の教師として働いていたが、学校から自宅への帰り道において、何者かに首を絞められて死亡。彼女と同居していた同じく教師のノーラ・アンブローズ(Nora Ambrose)によると、ジェネット・ホワイトは、1年程前に、交際していた男性と別れたが、その男性が、彼女に対して、しつこく脅迫の手紙を送ってくることに悩んでいた、とのこと。ただし、残念ながら、その男性が誰なのかについては、ハッキリしなかった。


果たして、この中に、ジョイス・レノルズが目撃したと言う殺人事件が含まれているのだろうか?


次に、ポワロは、エルムズ学校を訪ねて、ハロウィーンパーティーに参加していた教師であるエリザベス・ウィッテカー(Elizabeth Whittaker)に面会した。

エリザベス・ウィッテカーによると、パーティーの途中、廊下に出た際、階段の一番上に居たドレイク夫人が、手に抱えていた花瓶を突然落として割ってしまう現場を目撃した、とのこと。手に抱えていた花瓶を落として割ってしまった際、ドレイク夫人は、階段の上から図書室(ジョイス・レノルズが殺害された部屋)の方へ視線を向けており、エリザベス・ウィッテカーとしては、「ドレイク夫人は、図書室を出入りした誰かを目撃したのではないか?」と答えた。残念ながら、エリザベス・ウィッテカーが居た場所から、図書室の方を見ることはできなかったのである。


ポワロが、ルウェリン=スマイス夫人が住んでいた屋敷の様子を見に出かけた際、造園師である美青年のマイケル・ガーフィールド(Michael Garfield)に出会う。彼は、亡くなる前のルウェリン=スマイス夫人からの依頼を受けて、彼女が所有していた元の採掘場(quarry)を非常に美しい庭園へと造園していた。


エリザベス・ウィッテカーの話に基づいて、ポワロは、ドレイク夫人に対して、「図書室を出入りした誰かを見たのか?」と尋ねるが、ドレイク夫人は、「何も見ていない。」と答えるのみであった。


その後、ジョイス・レノルズの弟で、ここのところ、妙に金まわりがよくなったレオポルド・レノルズ(Leopold Reynolds)が、小川において、溺死体で発見される。

レオポルド・レノルズの溺死体を発見された後、ドレイク夫人がやって来て、ポワロに対して、突然、花瓶を落とした理由について、「図書室から出て来たレオポルド・レノルズを見かけたからだ。」と告白するのであった。


果たして、ジョイス・レノルズと彼女の弟であるレオポルド・レノルズの2人を殺害した犯人は、一体、誰なのか?

また、これらの殺人は、過去に発生したルウェリン=スマイス夫人、レスリー・フェリアー、シャーロット・ベンフィールド、そして、ジェネット・ホワイトのうち、いずれの事件と関連しているのだろうか?


(104)口で咥えるゲーム用に、水に浮かべたリンゴが入ったバケツ(apple-bobbing bucket)



ハロウィーンパーティーを晩に控えた午後、ロウィーナ・ドレイク夫人宅「リンゴの木荘」において、学校の生徒達が準備の手伝いをしていた際、生徒の一人である13歳のジョイス・レノルズが、突然、「ずっと前に殺人を目撃したことがある。」と言い出す。

ドレイク夫人宅に準備の手伝いに来ていたオリヴァー夫人は、ジョイスが推理作家である自分の気を引こうとしているものと思い、彼女の話を本気にしなかったが、ハロウィーンパーティーが終わった後、ジョイスが、ドレイク夫人宅の図書室において、リンゴが浮かぶブリキのバケツに頭を押し込まれて、溺死しているのが見つかったのである。


(105)魔除けのガラス玉と手鏡(witch ball and hand mirror)



魔除けのガラス玉と手鏡は、ロウィーナ・ドレイク夫人宅「リンゴの木荘」において開催されるハロウィーンパーティーで使われるもので、特に手鏡は、女生徒に将来の夫が映る道具として使用された。


2026年10月29日木曜日

ロンドン バーリントンハウス(Burlington House)- その1

バーリントンハウス内の中庭 -
反対側に見える建物に、王立芸術院が入居している。
<筆者撮影>


ロンドンには、共同で展覧会を開催するための芸術家の団体として、大英芸術家協会(Society of Artists of Great Britain)が1760年に設立され、英国の画家で、同時代に活躍したジョージ・ロムニー(George Romney:1734年ー1802年 → 2026年5月16日 / 5月21日 / 5月26日 / 5月31日付ブログで紹介済)やトマス・ゲインズバラ(Thomas Gainsborough:1727年ー1788年)と並び称された著名な画家であるジョシュア・レノルズ(Sir Joshua Reynolds:1723年ー1792年)も、当初は、同協会の創設メンバーの一人だった。


ナショナルポートレイトギャラリー(Naitional Portrait Gallery)に所蔵 / 展示されている
ジョシュア・レノルズ作「Self-Portrait(自画像)」
(1747年ー1749年頃)
<筆者撮影>


ところが、1767年に入ると、会員のうち、有力な建築家であるジェイムズ・ペイン(James Paine:1717年ー1789年)とサー・ウィリアム・チェンバーズ(Sir William Chambers:1723年ー1796年)の間で派閥争いが勃発したことに伴い、サー・ウィリアム・チェンバーズやジョシュア・レノルズ達は、大英芸術家協会を脱退。

彼らは、新しい芸術家の団体として、王立芸術院(Royal Academy of Arts → 2026年10月24日 / 10月25日付ブログで紹介済)を1768年に設立して、ジョシュア・レノルズが初代会長に選任され、1792年に亡くなるまで、会長職を務めた。


現在、王立芸術院が入っている
バーリントンハウスの中庭に建つ
王立芸術院の初代会長を務めたジョシュア・レノルズのブロンズ像
Sculptor : Alfred Drury / Bronze / 1931年
<筆者撮影>


設立当初(1768年)、パル・マル通り(Pall Mall → 2016年4月30日付ブログで紹介済)に置かれた王立芸術院は、


1771年:初代サマセットハウス(Somerset House → 2016年7月17日付ブログで紹介済)

1780年:2代目サマセットハウス

1837年:トラファルガースクエア(Trafalgar Square)の北側に新たに建設された建物(現在のナショナルギャラリー(National Gallery)の東棟)


と言う変遷を辿り、1869年にロンドンの中心部シティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)の高級住宅街メイフェア地区(Mayfair)内に所在しているバーリントンハウス(Burlington House)へ移転して、現在に至っている。


バーリントンハウスの中庭に建つ
王立芸術院の初代会長を務めたジョシュア・レノルズのブロンズ像(その2)
<筆者撮影>


1664年頃、英国の詩人で、廷臣でもあったサー・ジョン・デナム(Sir John Denham:1614年ー1669年)が、ピカデリー通り(Piccadilly → 2025年7月31日付ブログで紹介済)の北側に建設を始めた大規模な民間住宅の一つが、バーリントンハウスの始まりである。ただし、この時点では、建物の外観は、赤煉瓦で建てられた。

なお、サー・ジョン・デナムは、工事監督官(Surveyor of the King’s Works)も務めている。


1667年に、建設途上の建物は、サー・ジョン・デナムから初代バーリントン伯爵リチャード・ボイル(Richard Boyle, 1st Earl of Burlington:1612年ー1698年)へ売却された。

初代バーリントン伯爵リチャード・ボイルは、王政復古期(Restoration)に活躍した英国の建築家であるヒュー・メイ(Hugh May:1621年ー1684年)の関与を経て、建物を完成させた。そして、完成した建物は、所有者である初代バーリントン伯爵リチャード・ボイルに因んで、「バーリントンハウス 」と呼ばれるようになった。


1704年に、「バーリントンハウス」は、当時まだ10歳だった第3代バーリントン伯爵リチャード・ボイル(Richard Boyle, 3rd Earl of Burlington:1694年ー1753年)に譲られた。後に、第3代バーリントン伯爵リチャード・ボイルは、政治家に加えて、建築家となり、現在の「バーリントンハウス」の建築様式である「パラディオ式建築(Palladian architecture)」を、  18世紀の英国において推進していく中心的な存在となるのである。


 

2026年10月28日水曜日

エセル・リナ・ホワイト作「消えた女性」<小説版>(The Lady Vanishes by Ethel Lina White )- その2

2024年に英国の Pushkin Press 社から出版された
エセル・リナ・ホワイト作「消えた女性」のペーパーバック版の表紙
(Cover design by Jo Walker / Photo by SSPL + Getty Images /
Photo by Found Image Holdings + Corbis via Getty Images) 

英国ウェールズ地方(Wales)モンマスシャー(Monmouthshire)生まれの女性推理作家で、1930ー1940年代を代表する推理作家の一人と言われているエセル・リナ・ホワイト(Ethel Lina White:1876年ー1944年)が1936年に発表した長編第9作目に該る「消えた女性(The Lady Vanishes - 原題:「車輪の空転(The Wheel Spins)」)の場合、社交界の名士(名花)であるアイリス・カー(Iris Carr)が、欧州大陸で夏の休暇を過ごした後、アドリア海に臨むイタリア北東部の港市トリエステ(Trieste)から英国へ戻るところから、物語が始まる。

駅のプラットフォームにおいて、2人の男性が裁判の証人のことで議論しているのを見ていたアイリス・カーは、突然、気を失ってしまう。暫くして気が付くと、彼女は、待合室のベンチで横になっていた。スーツケースと帽子は近くにあったが、お金、切符やパスポート等が入った鞄が手元になかった。周囲で見守っていたポーターが、彼女に鞄を手渡す。幸いにして、鞄の中に、お金、切符やパスポート等は入っていた。ホテルの領収書も、一緒に入っていた。

アイリス・カーは、鞄の中から取り出した切符をポーターに見せると、ポーターは、彼女の手をとり、プラットフォームへ向かって、駆け出す。そして、ポーターは、 動き出した列車の一番近い車輌のドアを開けると、アイリス・カーのスーツケースを車輌内へ放り込んだ後、乗客の女性の手助けを得て、アイリス・カーもなんとか車輌に無事乗せることができた。

アイリス・カーがなんとか列車に乗ることを手助けした乗客の女性は、英国人の教師(English governess)であるウィニフレッド・フォイ(Winifred Foy - 愛称:ウィニー(Winnie))で、休暇のため、英国へと戻る途中だった。ウィニフレッド・フォイは、落ち着いたアイリス・カーを、食堂車でのお茶へと誘う。

食堂車へ行く前に、ウィニフレッド・フォイは、アイリス・カーに対して、自分の両親等のことを話し始める。

*父親(シオドア(Theodore):77歳)- 65歳で引退して、70歳からヘブライ語(Hebrew)を学び始めた。

*母親(80歳)- 小説好きで、毎週、長距離バスに乗って、本を借りに行く。 

*犬(ソック(Sock))


ウィニフレッド・フォイの話を聞いている途中、アイリス・カーは、酷い頭痛がして、気分が悪くなってきた。目を閉じたアイリス・カーのことを心配したウィニフレッド・フォイは、アイリス・カーが食べられそうなものを買いに、食堂車へ一人で向かった。

暫くして、アイリス・カーが目を覚ますと、ウィニフレッド・フォイの席は空いたままで、食堂車からまだ戻って来ていなかった。


アイリス・カーが、別のコンパートメントに居る牧師のケネス・バーンズ(Kenneth Barnes)と妻のエドナ・バーンズ(Edna Barnes)に、ウィニフレッド・フォイのことを尋ねるが、2人からは、「彼女(ウィニフレッド・フォイ)のことは見ていない。」と言う答えが返ってきた。


ウィニフレッド・フォイが食堂車から戻ってこないことを心配するアイリス・カーに、山岳地帯でダム建設に従事する技師のマクシミリアン・ヘア(Maximilian Hare)とトッドハンター教授(Professor Todhunter)が協力する。

ウィニフレッド・フォイとアイリス・カーが居たコンパートメントの乗客達にヒアリングするものの、皆、「そういった女性のことは知らない。」と答えるのであった。


アイリス・カーは、マクシミリアン・ヘアと一緒に、食堂車へ赴くものの、残念ながら、何の情報も得られなかった。そこへ、トッドハンター教授が「ウィニフレッド・フォイは、自分の席に戻った。」と告げに来た。


アイリス・カーとマクシミリアン・ヘアが元のコンパートメントへ戻ってみると、確かに、その席に女性が座っていたが、ウィニフレッド・フォイとは全く別人だった。その女性は、クマー夫人(Frau Kummer)だと名乗り、食堂車でアイリス・カーとお茶したことも付け加えたのだ。

その話を聞いたアイリス・カーは、思わず、「そんなのは嘘です。私は、貴女とお茶などしていません。私は、今までに貴女に会ったことはありません。(That’s a lie. I never had tea with you. You’re a complete stranger to me.)」と叫んだ。


ウィニフレッド・フォイは、一体、何処へ姿を消してしまったのか?それとも、彼女は、アイリス・カーが見た幻なのか?


2026年10月27日火曜日

エルキュール・ポワロの世界 <ジグソーパズル>(The World of Hercule Poirot )- その44A

英国の HarperCollinsPublishers 社から以前に出版されていた
アガサ・クリスティー作「ハロウィーンパーティー」のペーパーバック版の表紙


英国の Orion Publishing Group Ltd. から2023年に発行されている「エルキュール・ポワロの世界(The World of Hercule Poirot)」と言うジグソーパズル内に散りばめられているエルキュール・ポワロシリーズの登場人物や各作品に関連した112個の手掛かりについて、引き続き、紹介したい。

前回に引き続き、各作品に出てくる登場人物、建物や手掛かり等が、その対象となる。


ジグソーパズル「エルキュール・ポワロの世界」の完成形
<筆者撮影>


(104)口で咥えるゲーム用に、水に浮かべたリンゴが入ったバケツ(apple-bobbing bucket)



ジグソーパズルの上段中央のやや右手にあるフランス窓の外に、水に浮かべたリンゴが入ったバケツが置かれている。


(105)魔除けのガラス玉と手鏡(witch ball and hand mirror)



ジグソーパズルの中段の一番左手にあるテーブルの上の左端に、魔除けのガラス玉と手鏡に置かれている。


これらから連想されるのは、アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)が1969年に発表した「ハロウィーンパーティー(Hallowe’en Party → 2023年10月6日 / 10月11日付ブログで 紹介済)」である。

「ハロウィーンパーティー」は、アガサ・クリスティーが執筆した長編としては、第60作目に該り、そして、エルキュール・ポワロシリーズの長編としては、第31作目に該っている。


アリアドニ・オリヴァーは、
ジグソーパズル「エルキュール・ポワロの世界」の中央に立つ
エルキュール・ポワロ
のすぐ右側に居て、

肘掛け椅子に座っている。

<筆者撮影>


女性推理作家として有名なアリアドニ・オリヴァー夫人(Mrs. Ariadne Oliver → 2025年10月26日付ブログで紹介済)は、ロンドンから30ー40マイル程離れた町ウッドリーコモン(Woodleigh Common)に住む友人のジュディス・バトラー(Judith Butler)宅に滞在していた。

ウッドリーコモンの中心的な存在であるロウィーナ・ドレイク夫人(Mrs. Rowena Drake)が、学校の生徒達のために、ハロウィーンパーティーを主催することになり、オリヴァー夫人やジュディス・バトラーも、準備作業を含めて、参加する運びとなった。


2025年に英国の HarperCollinsPublishers 社から出版された
「アガサ・クリスティー 2026年オフィシャルカレンダー」のうち、
2026年10月のカレンダーに描かれている
エルキュール・ポワロシリーズの長編第31作目
「ハロウィーンパーティー(→ 2026年2月9日付ブログで紹介済)」(1969年)-

ロンドンから30ー40マイル程離れた町ウッドリーコモンの中心的な存在である

ロウィーナ・ドレイク夫人の自宅「リンゴの木荘」において、

学校の生徒達のために開催されるハロウィーンパーティー用に準備された

カボチャやリンゴが描かれている。

<筆者撮影>


ハロウィーンパーティーを晩に控えた午後、ドレイク夫人宅「リンゴの木荘(Apple Trees House)」において、学校の生徒達が準備の手伝いをしていた。その際、生徒の一人である13歳のジョイス・レノルズ(Joyce Reynolds)が、突然、「ずっと前に殺人を目撃したことがある。ただ、当時は、それが殺人だと判らなかった。(I witnessed a murder once, when I was little. I didn’t understand what was going on at the time.)」と言い出したのである。

ジョイス・レノルズの話を聞いた他の生徒達は、日頃から彼女が人の関心を惹くために、いろいろと嘘をつくので、彼女を全く相手にしない。ドレイク夫人宅に準備の手伝いに来ていたオリヴァー夫人も、ジョイスが推理作家である自分の気を引こうとしているものと思い、彼女の話を本気にしなかった。


エルキュール・ポワロは、
ジグソーパズル「エルキュール・ポワロの世界」の中央に立っている。
<筆者撮影>


ドレイク夫人宅において、ハロウィーンパーティーが行われた日の翌日の晩、オリヴァー夫人が、ロンドンのエルキュール・ポワロ(Hercule Poirot → 2025年10月11日付ブログで紹介済)のフラットに電話をかけてきた後、慌ててやって来る。オリヴァー夫人は、ポワロに対して、ヒステリー気味に話を始めた。

ハロウィーンパーティーが終わった後、以前殺人を目撃したことがあると言っていたジョイス・レノルズが、ドレイク夫人宅の図書室において、リンゴが浮かぶブリキのバケツに頭を押し込まれて、溺死しているのが見つかったのである。


オリヴァー夫人から話を聞いて、ハロウィーンパーティー前の発言のために、ジョイス・レノルズが口封じされたものと考えたポワロは、早速、行動に移った。

ポワロは、古い友人であるバート・スペンス元警視(ex Superintendent Bart Spence)の元を訪れる。偶然にも、スペンス元警視は、引退後、夫を亡くした妹のエルスペス・マッケイ(Elspeth McKay)と一緒に、ジョイス・レノルズが殺害された町ウッドリーコモンに住んでいたのである。


2026年10月26日月曜日

エルキュール・ポワロの世界 <ジグソーパズル>(The World of Hercule Poirot )- その43B

英国の HarperCollinsPublishers 社から現在出版されている
アガサ・クリスティー作「第三の女」のペーパーバック版の表紙 -
樹木の枝にとまる鳥の絵が、孔雀の羽根の形に切り取られている。
欲を言えば、背景の絵として、
孔雀が使われていると、なおよかったのではないかと思われる。

アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)が1966年に発表した「第三の女(Third Girl)」は、アガサ・クリスティーが執筆した長編としては、第57作目に該り、そして、エルキュール・ポワロシリーズの長編としては、第30作目に該っている。


エルキュール・ポワロは、
ジグソーパズル「エルキュール・ポワロの世界」の中央に立っている。
<筆者撮影>


「第三の女」の場合、ノーマ・レスタリック(Norma Restarick)と言う若い女性が、エルキュール・ポワロ(Hercule Poirot → 2025年10月11日付ブログで紹介済)の元を訪れるところから、物語が始まる。

彼女曰く、「自分は殺人を犯したのかもしれない。」と言って、ポワロに助けを求めに来たのだが、実際に、ポワロ本人に面会すると、「あなたは年を取り過ぎている。」と告げると、何故か、急にその場から逃げ出してしまった。


アリアドニ・オリヴァーは、
ジグソーパズル「エルキュール・ポワロの世界」の中央に立つ
エルキュール・ポワロ
のすぐ右側に居て、

肘掛け椅子に座っている。

<筆者撮影>


人気推理作家で、昔なじみのアリアドニ・オリヴァー夫人(Mrs. Ariadne Oliver → 2025年10月26日付ブログで紹介済)がノーマ・レスタリックに対して自分のことを紹介したことを知ったポワロは、オリヴァー夫人と一緒に、ノーマ・レスタリックの実家や彼女が住むアパートを訪ねるのであった。

今回、ポワロとオリヴァー夫人の2人は、死体なき犯罪の行方を追うことになる。


ノーマ・レスタリックは、ロンドンのアパートにも実家にも居らず、行方不明になっていた。

数日後、ノーマ・レスタリックが恋人のディヴィッド・ベイカー(David Baker)と一緒にカフェに居るところを、偶然、オリヴァー夫人が発見。

カフェに残ったノーマ・レスタリックをポワロに任せると、オリヴァー夫人は、ディヴィッド・ベイカーを尾行する。

ポワロはノーマ・レスタリックに殺人のことを再度尋ねたものの、彼女は思い出すことができず、再び恐怖に駆られて、その場から立ち去ってしまった。

一方、ディヴィッド・ベイカーの尾行を開始したオリヴァー夫人は、狭い路地に入ったところで、彼に尾行を気付かれてしまう。なんとか話を繕って、その場を凌いだオリヴァー夫人であったが、ディヴィッド・ベイカーのアトリエを出たところで、何者かに背後から頭を殴られて、病院へと搬送される。


ポワロは、精神科医であるジョン・スティリングフリート(Dr. John Stillingfleet)に依頼して、ノーマ・レスタリックを尾行させた。

ジョン・スティリングフリート医師は、ノーマ・レスタリックが交通事故に遭う場から救い出すと、彼女の治療と安全確保のために、自分の家に連れて行くのであった。


果たして、ノーマ・レスタリックは、自分の記憶通り、殺人を犯しているのだろうか?


(101)孔雀が描かれた絵画(painting of a peacock)



ノーマ・レスタリックの恋人であるディヴィッド・ベイカーが派手な格好をしているため、オリヴァー夫人は、彼のことを孔雀に例えている。


(102)アトリエが描かれた絵画(art studio)



カフェからディヴィッド・ベイカーを尾行したオリヴァー夫人は、彼に尾行を気付かれてしまう。オリヴァー夫人は、なんとか話を繕って、その場を凌いだが、ディヴィッド・ベイカーのアトリエを出たところで、何者かに背後から頭を殴られて、病院へと搬送されてしまう。


(103)夫婦が描かれた肖像画(portrait of a husband and wife)



ノーマ・レスタリックの父親で、実業界の大物であるアンドリュー・レスタリック(Andrew Restarick)は、ノーマ・レスタリックの恋人であるディヴィッド・ベイカーに依頼して、20年前に流行した画家のスタイルで、自分と亡き妻グレース(Grace)の肖像画を描かせた。この肖像画が、後に、物語上、非常に重要な役割を果たすのである。


2026年10月25日日曜日

ロンドン 王立芸術院(Royal Academy of Arts)- その2

1769年に開校した王立芸術院の250周年を記念して、
英国のロイヤルメールが2019年にが発行した記念切手(その4)


会員間(有力な建築家であるジェイムズ・ペイン(James Paine:1717年ー1789年)とサー・ウィリアム・チェンバーズ(Sir William Chambers:1723年ー1796年)の間で勃発した派閥争いに伴い、サー・ウィリアム・チェンバーズやジョシュア・レノルズ(Sir Joshua Reynolds:1723年ー1792年)達は、大英芸術家協会(Society of Artists of Great Britain - 1760年に設立)を脱退すると、新しい芸術家の団体として、王立芸術院(Royal Academy of Arts)を1768年に設立。そして、ジョシュア・レノルズが初代会長に選任された。


1769年に開校した王立芸術院の250周年を記念して、
英国のロイヤルメールが2019年に発行した記念切手(その5)


王立芸術院は、設立当初(1768年)、パル・マル通り(Pall Mall → 2016年4月30日付ブログで紹介済)に置かれた。



夕暮れが迫るパル・マル通り
<筆者撮影>


その後、王立芸術院は、1771年に初代サマセットハウス(Somerset House → 2016年7月17日付ブログで紹介済)に、1780年に2代目サマセットハウスへ移った。


サマセットハウスの中庭 - 奥に南ウィングが見える。
画面右手前に建つのは、
ハノーヴァー朝の第3代国王であるジョージ3世
(George III:1683年ー1820年 在位期間:1760年ー1820年)のブロンズ像
(Sculptor : John Bacon the Elder / Bronze / 1780年)
<筆者撮影>


1539年にハートフォード伯爵エドワード・シーモア(Edward Seymour, Earl of Hertford:1500年ー1552年)が、 時の英国王ヘンリー8世(Henry III:1491年ー1547年 在位期間:1509年ー1547年)からこの地を譲り受け、自分の邸宅を建設したのが、(初代)サマセットハウスのそもそもの始まりである。ちなみに、彼は、ヘンリー8世の3番目の王妃ジェーン・シーモア(Jane Seymour:1509年ー1537年)の兄である。

ヘンリー8世の子供のエドワード6世(Edward VI:1537年ー1553年 在位期間:1547年ー1553年)が1547年に即位したことに伴い、ハートフォード伯爵エドワード・シーモアは初代サマセット公爵(Duke of Somerset)かつ護国卿/摂政(Lord Protector)に叙せられたことに伴い、彼の邸宅は「サマセットハウス」と呼ばれるようになった。しかし、邸宅の完成前に、彼は反逆罪に問われ、処刑されてしまったため、邸宅は未完成のまま取り残され、この地は英国王の所有地へ戻されることとなった。

その後、サマセットハウスは英国王家で使用され、1685年には英国の建築家サー・クリストファー・レン(Sir Christopher Wren:1632年ー1723年)による改修も実施されたが、1688年の名誉革命(Glourious Revolution)以降、建物の維持費が次第に捻出できなくなり、次第に劣化するようになる。18世紀に入ると、倉庫や軍の兵舎等として使用されたものの、1775年には取り壊しの憂き目に会う。

同年の1775年、新サマセットハウスの設計者として、前述のサー・ウィリアム・チェンバーズが任命され、1776年から建設工事が開始された。彼の新古典主義建築に基づいて、ストランド通り(Strand → 2015年3月29日付ブログで紹介済)に面した北ウィング部分が最初に完成。1782年に彼は建築総監に就任し、建設計画を進めるものの、残念ながら、1796年に死去。


サマセットハウスの北ウィング部分を
ストランド通り側から見たところ
<筆者撮影>


彼の後を継いだ英国の建築家ジェイムズ・ワイアット(James Wyatt:1746年ー1813年)によって、同年の1796年、大部分の建物が完成を迎えた。建物が竣工した時期は不明で、1800年代に入っても、工事はまだ残っていたようである。


中庭側から見たサマセットハウスの西ウィング部分
<筆者撮影>


その後、サー・ウィリアム・チェンバーズが計画していたものの、彼の存命中には成し得なかった東ウィングと西ウィングが19世紀中に増築され、中庭を東西南北のウィングが囲む現在の建物が完成。


バーリントンハウス内の中庭 -
反対側に見える建物に、王立芸術院が入居している。
<筆者撮影>


王立芸術院は、続いて、1837年にトラファルガースクエア(Trafalgar Square)の北側に新たに建設された建物(現在のナショナルギャラリー(National Gallery)の東棟)へ移り、更に、1869年にロンドンの中心部シティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)の高級住宅街メイフェア地区(Mayfair)内に所在しているバーリントンハウス(Burlington House)へ移転して、現在に至っている。


現在、王立芸術院が入っている
バーリントンハウスの中庭に建つ
王立芸術院の初代会長を務めたジョシュア・レノルズのブロンズ像
Sculptor : Alfred Drury / Bronze / 1931年
<筆者撮影>


また、バーリントンハウスの中庭には、王立芸術院の初代会長を務めたジョシュア・レノルズのブロンズ像が建っている。


1769年に開校した王立芸術院の250周年を記念して、
英国のロイヤルメールが2019年に発行した記念切手(その6)


王立芸術院は、 現在、国立美術学校(Royal Academy Schools)や美術館が併設されており、ナショナルギャラリーやテイト・ブリテン美術館(Tate Britain → 2018年2月18日付ブログで紹介済)に匹敵する存在として存続しているが、一方、サー・ウィリアム・チェンバーズやジョシュア・レノルズ達が脱退してしまった大英芸術家協会は、1791年まで展覧会を開催した後、解散の憂き目に遭っている。