2026年2月14日土曜日

アガサ・クリスティー 2026年オフィシャルカレンダー(Agatha Christie Official Calendar 2026)- その14

2025年に英国の HarperCollinsPublishers 社から出版された
「アガサ・クリスティー 2026年オフィシャルカレンダー」のうち、
2026年12月のカレンダーに描かれている
エルキュール・ポワロシリーズの長編第12作目「メソポタミアの殺人」(1936年)-
英国人看護婦のエイミー・レザランが、
イラクの遺跡発掘調査隊を率いる米国人考古学者のエリック・ライドナー博士に雇われ、
彼の妻であるルイーズ・ライドナーの付き添いをするためにやって来た
古代メソポタミアの地、チグリス河岸にあるテル・ヤリミヤ遺跡の発掘調査隊宿舎が描かれている。

アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)の作品を出版している英国の HarperCollinsPublishers 社から、2026年オフィシャルカレンダーが出ているので、前回に引き続き、順番に紹介したい。


2026年カレンダーの場合、カレンダー用に新たに描き起こされたエルキュール・ポワロシリーズのイラストが使用されており、デザインについては、Diahann Sturge-Cambell が、また、イラストに関しては、Mr. Stephen Millership / Central Illustration Agency が担当している。


13番目は、2026年12月のカレンダーに該る「メソポタミアの殺人(Murder in Mesopotamia)」(1936年)である。


アガサ・クリスティーが執筆した長編としては、第19作目に該り、エルキュール・ポワロシリーズの長編のうち、第12作目に該っている。


なお、本作品は、「ナイルに死す(Death on the Nile)」(1937年)と「死との約束(Appointment with Death → 2021年3月13日付ブログで紹介済)」(1938年)へと続く中近東を舞台にした長編第1作目でもある。


バグダッドでの仕事を終えた英国人看護婦のエイミー・レザラン(Amy Leatheran)は、イラクの遺跡発掘調査隊を率いる米国人考古学者のエリック・ライドナー博士(Dr. Eric Leidner)に雇われ、彼の妻であるルイーズ・ライドナー(Louise Leidner)の付き添いをすることになった。そのため、エイミーは、古代メソポタミアの地、チグリス河岸にあるテル・ヤリミヤ(Tell Yarimjah)遺跡の発掘調査隊宿舎へとやって来た。


発掘調査隊宿舎に到着したエイミーは、ルイーズ・ライドナーから、ピッツタウン大学イラク調査隊のメンバーを紹介される。ルイーズは、40歳近くの魅力的で美しい女性であったが、神経衰弱により、ノイローゼになる位に怯えていたのである。


発掘調査隊宿舎に着いて1週間が経過し、エイミーのことを信頼したルイーズは、彼女に対して、「自分は、もうすぐ殺されてしまうかもしれない。」と打ち明ける。

ルイーズによると、第一次世界大戦(1914年ー1918年)中の20歳の時に、フレデリック・ボスナー(Frederick Bosner)と最初の結婚をした。フレデリックは米国政府で働いていたが、ルイーズは、夫のフレデリックが実際にはドイツのスパイであることに気付き、陸軍省に勤めていた父親に通報した。その結果、フレデリックは、米国政府によって逮捕されてしまう。そして、ルイーズは、夫のフレデリックがドイツのスパイとして、米国政府により処刑されたものと思っていた。


ところが、後にルイーズが他の男性と親しくなると、夫のフレデリックの名前で、「その相手と直ぐに別れろ。」と迫る脅迫状が届くようになる。驚くルイーズに対して、父親は真相を話す。ルイーズの夫フレデリックは、米国政府により逮捕されたものの、処刑前に脱走を図った後、列車の転覆事故に巻き込まれて、死亡したことになっていた。ただ、遺体の損傷が激しかったため、間違いなく、遺体がフレデリック本人であるとは断言できなかったのである。


その後も、ルイーズが新しい男性と親しくなる度に、夫のフレデリックの名前で、脅迫状が舞い込んだ。ところが、ルイーズがエリック・ライドナー博士と出会って結婚するまでの間、脅迫状は届かなかった。しかしながら、二人の結婚後、夫のフレデリックの名前で、「命令に背いたお前を殺す。」と書かれた脅迫状が再び届き、その直後、ルイーズとエリックの二人は、自宅において、危うくガス中毒で殺されかけたのである。そのため、二人は、イラクで発掘調査をする時以外も、海外で暮らし始めると、それから2年間、脅迫状はぱたりと止んだ。


しかし、今年の発掘調査が始まると、3週間前に、「お前の命は、風前の灯だ。」と、そして、1週間前には、「俺は、遂にやって来たぞ。」と書かれた脅迫状がまた届いたため、ルイーズは、恐怖に怯えていたのである。

ただ、脅迫状に書かれた筆跡が、ルイーズのものによく似ていたため、夫のエリックとエイミーの二人は、ルイーズが自分で自分宛に脅迫状を書いているのではないかと疑う。


翌日の午後、昼寝の床に就いたルイーズが自室の床の上で死んでいるのを、夫のエリックが発見した。何か重いものによる右のこめかみへの一撃が、彼女の死因だった。ところが、ルイーズの部屋の窓は、内側から鍵がかかっている上に、室内から凶器らしきものは、全く見つからなかった。


事件発生当時、ルイーズの部屋の前の中庭では、現地の少年が発掘された土器を洗っており、彼女の部屋には、誰も出入りしなかったと証言する。更に、中庭へと通じる宿舎の入口には、現地雇いの使用人達が集まって、雑談に興じており、見知らぬ外部の人間が宿舎内へと侵入することは、不可能だった。

つまり、ルイーズを殺害した犯人は、発掘調査隊のメンバーの中に居ると思われた。


エルキュール・ポワロは、
英国の Orion Publishing Group Ltd. から2023年に発行されている
「エルキュール・ポワロの世界」と言うジグソーパズルの中央に立っている。
<筆者撮影>


折しも、シリアからバグダッドへと向かう途中、この辺りを通りかかったエルキュール・ポワロ(Hercule Poirot → 2025年10月11日付ブログで紹介済)は、自分達の手には負えないと判断した地元の警察署長から要請され、事件の捜査を引き受けるのであった。


2026年2月13日金曜日

ロンドン バーソロミュークローズ(Bartholomew Close)


英国の TV 会社 ITV 社による制作の下、「Agatha Christie’s Poirot」の第20話(第2シリーズ)かつアガサ・クリスティー生誕100周年記念スペシャルとして、1990年9月16日に放映されたアガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)作「スタイルズ荘の怪事件The Mysterious Affair at Styles → 2023年12月3日 / 12月6日付ブログで紹介済)」(1920年)の TV ドラマ版において、物語の冒頭、第一次世界大戦(1914年ー1918年)中に負傷したアーサー・ヘイスティングス中尉(Lieutenant Arthur Hastings - アガサ・クリスティーの原作では、大尉(Captain)となっている)が彼の旧友であるジョン・キャヴェンディッシュ(John Cavendish)と再会する場面が、セントバーソロミュー病院(St. Bartholomew's Hospital → 2014年6月14日付ブログで紹介済)の北翼(North Wing → 2025年12月15日 / 12月19日 / 12月21日 / 12月22日付ブログで紹介済)にある「ホガースの階段(Hogarth Staircase → 2025年12月15日付ブログで紹介済)」と呼ばれる吹き抜け階段において撮影されている。


下から「ホガースの階段」と呼ばれる吹き抜け階段を下から見上げたところ -
アーサー・ヘイスティングス中尉と旧友のジョン・キャヴェンティッシュの2人が
上から降りて来る場面が、この角度で撮影されている。
<筆者撮影>


(1)右側の壁:「善きサマリア人(The Good Samaritan)」(1737年)

サマリア人善意で救命行為を行なっている場面が描かれている。


吹き抜け階段の上から見たウィリアム・ホガース作「善きサマリア人」
<筆者撮影>


(2)左側の壁:「ベテスダの池(The Pool of Bethesda)」(1736年)

万病を治す聖なる池において、病人が傷を癒している場面が描かれている。


吹き抜け階段の上から見たウィリアム・ホガース作「ベテスダの池」
<筆者撮影>


これらの壁画を描いたのは、18世紀の英国画壇を代表する国民的画家のウィリアム・ホガース(William Hogarth:1697年ー1764年 → 2026年1月17日 / 1月29日 / 2月5日付ブログで紹介済)である。


ナショナルギャラリー(National Gallery)において所蔵 / 展示されている
ウィリアム・ホガース作「自画像」(1745年) 
(Portrait of the Painter and his Pug)
<筆者撮影>


ウィリアム・ホガースは、1697年11月10日、ラテン語学校の教師であるリチャード・ホガース(Richard Hogarth)と母アン・ギボンズ(Anne Gibbons)の長男として、ロンドンのセントバーソロミュー病院の直ぐ近くのバーソロミュークローズ(Bartholomew Close)に出生。

彼の下には、1699年生まれのメアリー(Mary)と1701年生まれのアン(Ann)の妹2人が 居る。



「Nicholson - Super Scale - London Atlas」から
バービカン地区の地図を抜粋。


ウィリアム・ホガースが生まれたバーソロミュークローズは、セントバーソロミュー病院の北東に所在する通りで、非常に近接している。


ケンブリッジ大学(University of Cambridge)創立800周年を記念して、
英国の児童文学作家 / イラストレーターである
クェンティン・ブレイク(Quentin Blake:1932年ー)が描いた
ヘンリー8世とキングスカレッジ合唱団の絵葉書
<筆者がケンブリッジのフィッツウィリアム博物館(Fitzwilliam Museum
→ 2024年7月20日 / 7月24日付ブログで紹介済)で購入>



12世紀のイングランド王であるヘンリー1世碩学王(Henry I Beauclerc:1068年頃ー1135年 在位期間:1100年ー1135年)の寵臣ラヒア(Rahere:?ー1144年)が設立したセントバーソロミュー修道院(Priory of St. Bartholomew - 現在のセントバーソロミュー・ザ・グレイト教会(The Priory Church of St. Bartholomew the Great)とセントバーソロミュー病院の両方を含む)は、テューダー朝(House of Tudor)の第2代イングランド王であるヘンリー8世(Henry VIII:1491年ー1547年 在位期間:1509年ー1547年 → 2024年7月26日付ブログで紹介済)による宗教改革の一環として実施した修道院解散(Dissolution of the monasteries:1536年ー1539年)政策に基づき、セントバーソロミュー修道院とセントバーソロミュー病院の2つに分離された。


ナショナルポートレートギャラリーで販売されている
エリザベス1世の肖像画の葉書
(Unknown English artist / 1600年頃 / Oil on panel
1273 mm x 997 mm) -
エリザベス1世は、王族しか着れない
イタチ科オコジョの毛皮をその身に纏っている。
オコジョの白い冬毛は、「純血」を意味しており、
実際、エリザベス1世は、英国の安定のために、
生涯、誰とも結婚しなかったので、「処女女王」と呼ばれた。
エリザベス1世の」赤毛」と「白塗りの化粧」は、
当時流行したものである。


セントバーソロミュークローズから見たセントバーソロミュー・ザ・グレイト教会
<筆者撮影>


その後、テューダー朝の第5代かつ最後の君主であるエリザベス1世(Elizabeth I:1533年ー1603年 在位期間:1558年-1603年)により、セントバーソロミュー修道院は、英国国教会の教会へと変えられ、現在、セントバーソロミュー・ザ・グレイト教会として存続しているが、バーソロミュークローズは、この南側に位置している。




バーソロミュークローズの周辺は、再開発が行われて、オフィスやフラット等が立ち並んでいる。


2026年2月12日木曜日

ロンドン サザンプトンストリート(Southampton Street)

サザンプトンストリートのストランド通り側(南側)入口
<筆者撮影>


米国のペンシルヴェニア州(Pennsylvania)に出生して、英国人のクラリス・クルーヴス(Clarice Cleaves)との結婚後、1932年から1946年にかけて英国のブリストル(Bristol)に居を構えていた米国の推理作家で、「不可能犯罪の巨匠」とも呼ばれているジョン・ディクスン・カー(John Dickson Carr:1906年ー1977年)が、カーター・ディクスン(Carter Dickson)という別名義で1944年に発表した推理小説で、ヘンリー・メリヴェール卿(Sir Henry Merrivale)シリーズの長編第14作目に該る「爬虫類館の殺人He Wouldn’t Kill Patience → 2025年11月17日 / 11月19日付ブログで紹介済)」の舞台は、第2次世界大戦(1939年-1945年)下の首都ロンドンである。


京創元社が発行する創元推理文庫「爬虫類館の殺人」の表紙
    カバーイラスト:ヤマモト マサアキ
カバーデザイン:折原 若緒
  カバーフォーマット:本山 木犀


ケンジントンガーデンズ(Kensington Gardens → 2026年1月31日付ブログで紹介済)内にあるロイヤルアルバート動物園(Royal Albert Zoological Gardens)は、世界の蛇、蜥蜴や毒蜘蛛等を集めた爬虫類館で人気を集めていた。ところが、ドイツ軍の爆撃による空襲の脅威下、国家安全保証省(Department of Home Secuirty)からの要請により、閉園の危機を迎える。



園長のエドワード・ベントン(Edward Benton)は、なんとかして、ロイヤルアルバート動物園閉園の危機を乗り越えようといろいろと手を尽くしたものの、閉園の撤回は非常に難しい状況だった。


サザンプトンストリートの南側から北方面を見たところ
<筆者撮影>

ロイヤルアルバート動物園閉園の危機を迎えて、気落ちする父エドワード・ベントンを元気づけるため、娘のルイーズ・ベントンは、曾祖父の代から対立している2つの奇術師一家の若き後継者であるケアリー・クイント(Carey Quint - 奇術師の青年)とマッジ・パリサー(Madge Palliser - 奇術師の女性)の2人に手品を披露してもらうべく、1940年9月6日(金)の夕食会に招待した。また、陸軍省の御意見番で、手品を得意とするヘンリー・メリヴェール卿も、同じく招待されたのである。


ドイツ生まれの英国の科学者であるアンブローズ・ゴドフリー
(Ambrose Godfrey:1660年ー1741年)は、
火災消火器を発明したことで知られている。
<筆者撮影>


アンブローズ・ゴドフリーが1706年から1741年にかけて住んでいた
サザンプトンストリート31番地の建物(サザンプトンストリートの西側)の外壁には、
彼がここに住んでいたことを示すプラークが掛けられている。
<筆者撮影>

空襲警報が鳴り響く中、ケアリー・クイント、マッジ・パリサーとヘンリー・メリヴェール卿の3人は、午後8時半頃、ロイヤルアルバート動物園内にある園長の家に到着。

玄関のドアには、鍵がかかっておらず、廊下の突き当たりにある園長エドワード・ベントンの書斎のドアには、「入室無用」の札が掛かっていた。また、ドアは閉じたままで、その下から光は漏れていなかった。

ヘンリー・メリヴェール卿達は、廊下の突き当たりにある園長の書斎のドアを開けようとしたが、鍵がかかっていた。また、中から鍵穴に何かが貼り付けてあるようだった。


サザンプトンストリートの中間辺りから南方面(ストランド通り)を見たところ(その1)
<筆者撮影>

廊下に面したドアは、全て、同じ鍵を使っていることを知っているジャック・リヴァーズ(セントバーソロミュー病院(St. Bartholomew's Hospital → 2014年6月14日付ブログで紹介済)の医師で、ルイーズ・ベントンの恋人)は、食堂のドアから鍵を抜くと、ヘンリー・メリヴェール卿に手渡した。

ヘンリー・メリヴェール卿が書斎の鍵を解錠して、ドアを開けると、園長のエドワード・ベントンが、一匹の蛇と一緒に、ガス中毒により死亡しているのを発見する。

書斎のドアと窓の全てが内側から厳重に目張りされた「密室(sealed room)」状態で、状況的には、ロイヤルアルバート動物園の閉園を苦にしての自殺としか思えなかった。


サザンプトンストリートの中間辺りから南方面(ストランド通り)を見たところ(その2)
<筆者撮影>


その後、自宅に居たケアリー・クイントのところに、動物捕獲輸入業者であるキャプテン・ノーブルの妻アグネス・ノーブルから電話があった。


サザンプトンストリートとタヴィストックストリート(Tavistock Street)が交差する南東の角に建つビル
<筆者撮影>


ミセス・ノーブルはすぐさまいった。「でしたら、どうか、わたしの弁護士の事務所に来てくださいます? マクドナルド・マクドナルド・アンド・フィッシャーマン事務所に、十一時頃に」

「何のために?」

「来ていただかないと」ミセス・ノーブルは続けた。「後でとても不愉快なことになるかもしれません。住所を書き留めてくださいます?」

「ぼくにどうしろというんです?」

ミセス・ノーブルが、結んだ唇に勝利の笑みを浮かべているのが目に見えるようだった。

「住所は」彼女はいった。「WC二、サウサンプトン通り八七二です。書き留めておいてください。WC二、サウサンプトン通り八七二です。それから、どうか、時間通りに来てくださいね?」

(白須 清美訳)


「Nicholson - Super Scale - London Atlas」から
ストランド地区の地図を抜粋。


アグネス・ノーブルの弁護士事務所であるマクドナルド・マクドナルド・アンド・フィッシャーマン事務所が所在するサザンプトン通り(Southampton Street)は、ロンドンの中心部であるシティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)のストランド地区(Strand)内にある。


ストランド通り沿いに建つストランドパレスホテル(Strand Palace Hotel)
<筆者撮影>


サザンプトンストリートとメイデンレーン(Maiden Lane)が交差する北西の角に建つ建物
<筆者撮影>


サザンプトン通りの南側は、ストランド通り(Strand → 2015年3月29日付ブログで紹介済)から始まり、その北側は、コヴェントガーデンマーケット(Covent Garden Market)に突き当たって、終わっている。


サザンプトンストリート沿いの建物壁面に掛けられている
「コヴェントガーデンマーケット」の看板
<筆者撮影>


サザンプトンストリートの中間辺りから北方面(コヴェントガーデンマーケット)を見たところ
<筆者撮影>


サザンプトン通りは、それ程長くないので、カーター・ディクスン作「爬虫類館の殺人」で言及されているような872番地は、現在の住所表記上、存在していない。


2026年2月11日水曜日

アガサ・クリスティー 2026年オフィシャルカレンダー(Agatha Christie Official Calendar 2026)- その13

2025年に英国の HarperCollinsPublishers 社から出版された
「アガサ・クリスティー 2026年オフィシャルカレンダー」のうち、
2026年11月のカレンダーに描かれている
エルキュール・ポワロシリーズの長編第24作目「マギンティー夫人は死んだ」(1952年)-
自宅の客間の床の上で、マギンティー夫人が殺害されているのを発見され、
警察が彼女の庭を捜索している場面が描かれている。

アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)の作品を出版している英国の HarperCollinsPublishers 社から、2026年オフィシャルカレンダーが出ているので、前回に引き続き、順番に紹介したい。


2026年カレンダーの場合、カレンダー用に新たに描き起こされたエルキュール・ポワロシリーズのイラストが使用されており、デザインについては、Diahann Sturge-Cambell が、また、イラストに関しては、Mr. Stephen Millership / Central Illustration Agency が担当している。


12番目は、2026年11月のカレンダーに該る「マギンティー夫人は死んだ(Mrs. McGinty’s Dead)」(1952年)である。


アガサ・クリスティーが執筆した長編としては、第42作目に該り、エルキュール・ポワロシリーズの長編のうち、第24作目に該っている。


なお、当初、米国のシカゴトリビューン紙(Chicago Tribune)の日曜日版に、1951年10月7日から同年12月30日にかけて、13回の掲載が行われた際、「Blood Will Tell」と言うタイトルが使用されている。


エルキュール・ポワロは、
英国の Orion Publishing Group Ltd. から2023年に発行されている
「エルキュール・ポワロの世界」と言うジグソーパズルの中央に立っている。
<筆者撮影>


キルチェスター警察に勤務し、間もなく定年を迎えるスペンス警視(Superintendent Spence)は、友人であるエルキュール・ポワロ(Hercule Poirot → 2025年10月11日付ブログで紹介済)の元を訪れる。

スペンス警視は、ポワロに対して、「僅か30ポンドのために、家主であるマギンティー夫人(Mrs. McGinty)を殺害した罪状により、死刑判決を受けた間借り人のジェイムズ・ゴードン・ベントリー(James Gordon Bentley)が真犯人だと思えないので、事件の再調査をしてほしい。」と依頼するのであった。


スペンス警視は、事件の詳細について、ポワロに説明する。


雑益婦 / 掃除婦(charwoman)として、いくつもの家に通っていたマギンティー夫人は、自宅の客間の床の上で死んでいるのを発見された。マギンティー夫人の家内は、家探しされており、寝室の床板の下に隠してあった30ポンドの現金が紛失していた。マギンティー夫人を殺害した凶器は見つかっておらず、押し入れられた形跡もなかった。


マギンティー夫人の間借り人であるジェイムズ・ベントリーは、上着の袖口に血がついていたにもかかわらず、マギンティー夫人が殺害された前夜以来、彼女の顔を見ていないと主張した。

また、マギンティー夫人の寝室の床板の下から紛失した30ポンドの現金は、後に家の外に隠してあるのが見つかる。


当然のことのように、間借り人のジェイムズ・ベントリーは、マギンティー夫人殺害の罪で逮捕され、事件が公判に付されると、彼はあっさりと有罪となり、死刑が確定し、死刑を待つ身となった。

あらゆる証拠がジェイムズ・ベントリーを指しているものの、スペンス警視は「事件があまりにも単純過ぎる。」と懸念を示すと、彼の話を聞いていたポワロも、彼のコメントに同意する。


スペンス警視からの依頼を受けたポワロは、事件が起きたブローディニー村(Broadhinny village)へと向かった。

ブローディニー村の隣町にある唯一の宿屋で、サマーヘイズ夫妻(Summerhayes)が営むゲストハウスに滞在したポワロは、早速、事件の調査を開始する。


ポワロが調査したところ、マギンティー夫人は、殺される3日前に、


(1)タブロイド紙に掲載された昔の事件に関係して、その後、行方不明になった4人の女性達の写真を切り取っていたこと


(2)そのうちの誰かがブローディニー村に居ると手紙に認めて、新聞社宛に送っていたこ


を突き止める。


ブローディニー村の住民達の年齢を考慮して、ポワロは、4人の女性達のうち、


*僅か12歳で肉切り包丁によりおばを殺害したリリー・ガンボル(Lily Gamboll)- 釈放後、アイルランドへ転居


もしくは、


*雇い主であるクレイグ氏(Mr. Craig)と不倫関係にあり、クレイグ夫人(Mrs. Craig)の殺害を疑われた家庭教師(governess)のエヴァ・ケイン(Eva Kane)- オーストラリアへ逃亡 / イヴリン(Evelyn)と言う名前の子供が居たらしい。


のどちらかだと推理する。


アリアドニ・オリヴァー(Ariadne Oliver)は、
英国の Orion Publishing Group Ltd. から2023年に発行されている
「エルキュール・ポワロの世界」と言うジグソーパズルの中央に立
エルキュール・ポワロのすぐ右側に居て、

肘掛け椅子に座っている。

<筆者撮影>


果たして、ジェイムズ・ベントリーの死刑が執行されるまでに、ポワロは、真犯人を見つけることができるのか?


2026年2月10日火曜日

ロンドン メイダヴェール地区(Maida Vale)- その2

エルギンアベニュー(Elgin Avenue)と
ランドルフアベニュー(Randolph Avenue)が交差する南東の角にある
地下鉄メイダヴェール駅
<筆者撮影>

米国のペンシルヴェニア州(Pennsylvania)に出生して、英国人のクラリス・クルーヴス(Clarice Cleaves)との結婚後、1932年から1946年にかけて英国のブリストル(Bristol)に居を構えていた米国の推理作家で、「不可能犯罪の巨匠」とも呼ばれているジョン・ディクスン・カー(John Dickson Carr:1906年ー1977年)が、カーター・ディクスン(Carter Dickson)という別名義で1944年に発表した推理小説で、ヘンリー・メリヴェール卿(Sir Henry Merrivale)シリーズの長編第14作目に該る「爬虫類館の殺人He Wouldn’t Kill Patience → 2025年11月17日 / 11月19日付ブログで紹介済)」の舞台は、第2次世界大戦(1939年-1945年)下の首都ロンドンである。


京創元社が発行する創元推理文庫「爬虫類館の殺人」の表紙
    カバーイラスト:ヤマモト マサアキ
カバーデザイン:折原 若緒
  カバーフォーマット:本山 木犀


ケンジントンガーデンズ(Kensington Gardens → 2026年1月31日付ブログで紹介済)内にあるロイヤルアルバート動物園(Royal Albert Zoological Gardens)は、世界の蛇、蜥蜴や毒蜘蛛等を集めた爬虫類館で人気を集めていた。ところが、ドイツ軍の爆撃による空襲の脅威下、国家安全保証省(Department of Home Secuirty)からの要請により、閉園の危機を迎える。

園長のエドワード・ベントン(Edward Benton)は、なんとかして、ロイヤルアルバート動物園閉園の危機を乗り越えようといろいろと手を尽くしたものの、閉園の撤回は非常に難しい状況だった。



ロイヤルアルバート動物園閉園の危機を迎えて、気落ちする父エドワード・ベントンを元気づけるため、娘のルイーズ・ベントンは、曾祖父の代から対立している2つの奇術師一家の若き後継者であるケアリー・クイント(Carey Quint - 奇術師の青年)とマッジ・パリサー(Madge Palliser - 奇術師の女性)の2人に手品を披露してもらうべく、1940年9月6日(金)の夕食会に招待した。また、陸軍省の御意見番で、手品を得意とするヘンリー・メリヴェール卿も、同じく招待されたのである。


メイダヴェール通り(Maida Vale)からエルギンアベニューを西側へ向かうところ -
画面奥の建物は、エルギンアベニューとラナークロード(Lanark Road)が交差する
南西の角に建つフラット群
<筆者撮影>


空襲警報が鳴り響く中、ケアリー・クイント、マッジ・パリサーとヘンリー・メリヴェール卿の3人は、午後8時半頃、ロイヤルアルバート動物園内にある園長の家に到着。

玄関のドアには、鍵がかかっておらず、廊下の突き当たりにある園長エドワード・ベントンの書斎のドアには、「入室無用」の札が掛かっていた。また、ドアは閉じたままで、その下から光は漏れていなかった。

ヘンリー・メリヴェール卿達は、廊下の突き当たりにある園長の書斎のドアを開けようとしたが、鍵がかかっていた。また、中から鍵穴に何かが貼り付けてあるようだった。


メイダヴェール通りからエルギンアベニューを西側へ向かうところ -
画面奥の建物は、エルギンアベニューとラナークロードが交差する
北西の角に建つパブ「エルギン(Elgin)」
<筆者撮影>


廊下に面したドアは、全て、同じ鍵を使っていることを知っているジャック・リヴァーズ(セントバーソロミュー病院(St. Bartholomew's Hospital → 2014年6月14日付ブログで紹介済)の医師で、ルイーズ・ベントンの恋人)は、食堂のドアから鍵を抜くと、ヘンリー・メリヴェール卿に手渡した。

ヘンリー・メリヴェール卿が書斎の鍵を解錠して、ドアを開けると、園長のエドワード・ベントンが、一匹の蛇と一緒に、ガス中毒により死亡しているのを発見する。

書斎のドアと窓の全てが内側から厳重に目張りされた「密室(sealed room)」状態で、状況的には、ロイヤルアルバート動物園の閉園を苦にしての自殺としか思えなかった。


地下鉄メイダヴェール駅の反対側のエルギンアベニュー(北側)から東側を見たところ
<筆者撮影>

ロイヤルアルバート動物園内にある家において、「密室」状態で亡くなったエドワード・ベントン園長の弟であるホーレス・ベントン(Horace Benton)が住んでいるメイダヴェール地区(Maida Vale)は、ロンドンの中心部であるシティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)内に所在する地区の一つである。


地下鉄メイダヴェール駅前の環状交差点(roundabout)から
ランドルフアベニュー(南側)を見たところ
<筆者撮影>


ナポレオン戦争(Napoleonic Wars:1803年ー1815年 / フランスの第一執政期と第一帝政期における一連の戦争の総称)のうち、1806年に南イタリアで行われたメイダの戦い(Battle of Maida)に勝利を収めた英国陸軍の中将(Lieutenant-General)だったサー・ジョン・ステュアート(Sir John Stuart:1759年ー1815年)は、メイダ伯爵(Count of Maida)に叙せられた。


地下鉄メイダヴェール駅前の環状交差点から
西進するエルギンアベニューを見たところ(その1)
<筆者撮影>


メイダの戦いに勝利したサー・ジョン・ステュアートを讃えるパブ「The Hero of Maida」が、現在のメイダヴェール地区の東南の角に位置するリージェンツ運河(Rengent’s Canal)近くのエッジウェアロード(Edgware Road → 2016年1月30日付ブログで紹介済)沿いで営業しており、このことから、この辺りは「メイダヴェール」と呼ばれるようになった。そして、1860年代後半には、正式に、「メイダヴェール地区」と命名された。

なお、このパブは、1992年に閉店している。


地下鉄メイダヴェール駅前の環状交差点から
西進するエルギンアベニューを見たところ(その2)
<筆者撮影>


メイダヴェール地区内には、ヴィクトリア朝時代やエドワード朝時代に建てられた邸宅が並び、現在は、フラット群と化している。

メイダヴェール地区の東側が、高級住宅街の一つであるセントジョンズウッド地区(St. John’s Wood → 2014年8月17日付ブログで紹介済)と接していることもあって、特に、同地区の東側と南側(リージェンツ運河沿い近辺)は高級住宅街となっている。


画面奥の建物は、エルギンアベニューとランドルフアベニューが交差する
北東の角に建つベイカリー&カフェ「ゲイルズ( Gail's)」
<筆者撮影>


メイダヴェール地区内には、地下鉄のベイカールーライン(Bakerloo Line)が延伸しており、同地区の東側には、地下鉄メイダヴェール(Maida Vale Tube Station)が、また、同地区の南西側には、地下鉄ウォーリックアベニュー駅(Warwick Avenue Tube Station)があり、あまり広くない地区内に、2つの地下鉄の駅が設けられている。