2026年7月17日金曜日

エルキュール・ポワロの世界 <ジグソーパズル>(The World of Hercule Poirot )- その38B

英国の HarperCollinsPublishers 社から現在出版されている
アガサ・クリスティー作「葬儀を終えて」の
ペーパーバック版の表紙 -
大富豪で、アバネシー家の当主であるリチャード・アバネシーの葬儀に出席するために、
彼の邸宅「エンダビーホール」に親族が一堂に会した場面が、
棺桶の形に切り取られている。
なお、葬儀の参列者達が髑髏(ドクロ)の形を成している。


アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)が1953年に発表した「葬儀を終えて(After the Funeral)」は、アガサ・クリスティーが執筆した長編としては、第44作目に該り、そして、エルキュール・ポワロシリーズの長編としては、第25作目に該っている。


大富豪で、アバネシー家の当主であるリチャード・アバネシー(Richard Abernethie)の葬儀に出席するために、彼の邸宅「エンダビーホール(Enderby Hall)」において、親族が一堂に会した。

リチャード・アバネシーの弟の1人であるレオ(Leo)は、第二次世界大戦(1939年-1945年)中に戦死していた。また、リチャード・アバネシーの妻は早くに亡くなっており、息子のモーティマー(Mortimer)も6ヶ月前に既に死去していた。


リチャード・アバネシーの葬儀に参列したのは、


(1)ティモシー・アバネシー(Timothy Abernethie):リチャードの弟

(2)モード・アバネシー(Maude Abernethie):ティモシーの妻 / リチャードの義妹


(3)ヘレン・アバネシー(Helen Abernethie):第二次世界大戦中に戦死したリチャードの弟レオの妻 / リチャードの義妹


(4)スーザン・バンクス(Susan Banks):リチャードの弟ゴードン(Gordon)の娘 / リチャードの姪

(5)グレゴリー・バンクス(Gregory Banks):スーザンの夫 / 薬剤師


(6)ローラ・クロスフィールド(Laura Crossfield):リチャードの妹

(7)ジョージ・クロスフィールド(George Crossfield):ローラの息子 / リチャードの甥 / 事務弁護士


(8)ロザムンド・シェーン(Rosamund Shane):リチャードの妹ジェラルディン(Geraldine)の娘 / リチャードの姪 / 女優

(9)マイケル・シェーン(Michael Shane):ロザムンドの夫 / 俳優


(10)コーラ・ランスケネ(Cora Lansquenet):リチャードの末妹


の面々だった。


2025年に英国の HarperCollinsPublishers 社から出版された
「アガサ・クリスティー 2026年オフィシャルカレンダー」のうち、
2026年6月のカレンダーに描かれている
エルキュール・ポワロシリーズの長編第25作目「葬儀を終えて」(1953年)-
大富豪で、アバネシー家の当主であるリチャード・アバネシーの葬儀が行われた
教会が描かれているものと思われる。
兄リチャード・アバネシーの墓の前に佇んでいるのは、
末妹のコーラ・ランスケネだろうか?
<筆者撮影>


アバネシー家の弁護士であるエントウィッスル氏(Mr. Entwhistle)が、リチャード・アバネシーの遺言執行者として、その内容を読み上げた。

リチャード・アバネシーの遺産の大部分は、彼の弟ティモシー・アバネシー、彼の亡き弟の妻ヘレン・アバネシー、彼の末妹コーラ・ランスケネ、彼の甥ジョージ・クロスフィールド、そして、彼の2人の姪スーザン・バンクスとロザムンド・シェーンの6人に当分されると言う極めて妥当な内容だった。


エントウィッスル氏が読み上げたリチャード・アバネシーの遺言書の内容を聞き、自分の相続分を素直に喜んだ末妹コーラ・ランスケネは、小首を傾げると、無邪気な一言を言い放った。

「だって、リチャードは殺されたんでしょう?」と。


末妹コーラ・ランスケネは、子供の頃から、少し頭が弱く、思い付いたことを何でも直ぐに口にする性格で、アバネシー家の皆は、彼女は無邪気過ぎて困ると感じていた。それ故に、リチャード・アバネシーの葬儀に参列した面々は、彼女の発言をまともには取り合わず、受け流してしまった。

その一方で、末妹コーラ・ランスケネの発言は昔から真実を突いていたため、リチャード・アバネシーの葬儀から帰途に就く人達の心に、拭いきれない疑惑が痼りのように残った。リチャード・アバネシーの遺言執行者であるエントウィッスル氏も、その例外ではなかった。


彼らの疑惑が的中したかのように、その翌日、末妹のコーラ・ランスケネが、自宅において、斧で惨殺されているのが発見される。


コーラ・ランスケネの家政婦だったギルクリスト(Miss Gilchrist)によると、「リチャード・アバネシーは、亡くなる3週間ほど前に、コーラ・ランスケネを訪ねて来ると、彼女と話をしていた。」とのことだった。

つまり、コーラ・ランスケネは、兄リチャード・アバネシーの死の原因について、何か知っており、彼の葬儀の場において、そのことを口にしたために、殺害されたのか?


末妹のコーラ・ランスケネが殺されたことを受けて、彼女の相続分はリチャード・アバネシーの遺産に戻り、最終的には、スーザン・バンクスの取り分となった。

また、家政婦のギルクリストには、コーラ・ランスケネが趣味で描いていた絵画が送られることになった。


エルキュール・ポワロは、
ジグソーパズル「エルキュール・ポワロの世界」の中央に立っている。
<筆者撮影>


リチャード・アバネシーの遺言執行者であるエントウィッスル氏は、真相を知るべく、エルキュール・ポワロ(Hercule Poirot → 2025年10月11日付ブログで紹介済)に対して、事件の調査を依頼するのであった。


(87)埠頭を描いた絵(painting of a pier)



大富豪で、アバネシー家の当主であるリチャード・アバネシーの末妹のコーラ・ランスケネが殺害された後、家政婦のギルクリストには、コーラ・ランスケネが趣味で描いていた絵画(埠頭を描いた絵)が送られることになったが、その絵画には、驚くべき謎が隠されていたのである。


(88)手斧(hatchet)



アバネシー家の弁護士であるエントウィッスル氏が読み上げたリチャード・アバネシーの遺言書の内容を聞いて、自分の相続分を素直に喜んだ後、「だって、リチャードは殺されたんでしょう?」と無邪気な一言を言い放った末妹コーラ・ランスケネは、その翌日、自宅において、斧で惨殺されているのが発見される。


(89)ウェディングケーキが乗った皿(slice of wedding cake)



自宅において斧で惨殺された末妹コーラ・ランスケネの葬儀が行われた翌日の晩、家政婦のギルクリストは、郵便で送られてきたウェディングケーキを食べて、危うく死にかける。彼女が食べたウェディングケーキには、ヒ素が入っていたのである。


2026年7月16日木曜日

ロンドン コートールドギャラリー(Courtauld Gallery)- その4

'A Bar at the Folies-Bergere(フォリー=ベルジェールのバー)' by Edouard Manet
1882年 / Oil paint on canvas
コートールドギャラリーが所蔵 / 展示する作品の中で、一番有名な絵画だと言える。
<筆者撮影> 

前回に引き続き、ロンドンの中心部シティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)のストランド地区(Strand)にあり、テムズ河(River Thames)を見下ろす絶好のロケーションに建つサマセットハウス(Somerset House → 2016年7月17日)内に設けられているコートールドギャラリー(Courtauld Gallery)に所蔵 / 展示されている主な絵画について、御紹介致したい。

今回が、2回目の後半です。


コートールドギャラリーの
4階(Floor 3)のレイアウト図


(1)カミーユ・ピサロ(Camille Pissarro:1830年ー1903年)- フランスの印象派の画家


'Lordship Lane Station, Dulwich' by Camille Pissaro
1871年 / Oil paint on canvas
<筆者撮影>


(2)エドゥアール・マネ(Edouard Manet:1832年ー1883年)- フランスの画家


'Study for 'Le Dejeuner sur l'herbe (Luncheon on the Grass)' by Edouard Manet
1863年頃 / Oil paint on canvas
<筆者撮影>


(3)エドガー・ジェルマン・イレール・ドガ(Edgar Germain Hilaire Degas:1834年ー1917年)- フランスの印象派の画家 /  彫刻家


'Two Dancers on a Stage' by Edgar Germain Hilaire Degas
1874年 / Oil paint on canvas
<筆者撮影>


(4)ポール・セザンヌ(Paul Cezanne:1839年-1906年)- フランスの画家


'Pot of Flowers and Fruit' by Paul Cezanne
1888年ー1890年頃 / Oil paint on canvas
<筆者撮影>


(5)クロード・モネ(Claude Monet:1840年ー1926年)- フランスの印象派を代表する画家


'Autumn Effect at Argenteuil' by Claude Monet
1873年 / Oil paint on canvas
<筆者撮影>

'Vase of Flowers' by Claude Monet
Begun in 1881 / Oil paint on canvas
<筆者撮影>


(6)ピエール=オーギュスト・ルノワール(Pierre-Auguste Renoir:1841年ー1919年)- フランスの印象派の画家


'La loge (The Theatre Box / 桟敷席)' by Pierre-Auguste Renior
1874年 / Oil paint on canvas
<筆者撮影>


(7)フィンセント・ヴィルム・ファン・ゴッホ(Vincent Willem van Gogh:1853年ー1890年)- オランダのポスト印象派の画家


'Self-Portrait with Bandaged Ear(耳を切った自画像)' by Vincent van Gogh
1889年 / Oil paint on canvas
<筆者撮影> 

(8)アンリ・マリー・レイモン・ド・トゥールーズ=ロートレック=モンファ(Henri Marie Raymond de Toulouse-Lautrec-Monfa:1864年ー1901年)- フランスの画家


(9)アメデオ・クレメンテ・モディリアーニ(Amedeo Clemente Modigliani:1884年ー1920年)- イタリアの画家 / 彫刻家


画面中央と右側の絵画が'トゥールーズ=ロートレックによる作品で、
左側の絵画がモディリアーニによる作品。
<筆者撮影>


これらの絵画は、英国の軍人 / 外交官 / 政治家 / 慈善家である初代/リー・オブ・フェアラム子爵アーサー・ハミルトン・リー(Arthur Hamilton Lee, 1st Viscount Lee of Fareham:1868年ー1947年)と英国の美術史家であるサー・ロバート・クレルモン・ウィット(Sir Robert Clermont Witt:1872年ー1952年)の2人と一緒に、コートールドギャラリーを共同設立した英国の実業家であるサミュエル・コートールド(Samuel Courtauld:1876年ー1947年)が寄贈したものである。


コートールドギャラリーの中でも、サミュエル・コートールドによる印象派や後期印象派のコレクションが、そのメインとなっている。

サミュエル・コートールドが印象派や後期印象派の作品を中心に収集を始めた当時、英国における印象派や後期印象派の評価はまだ低く、サミュエル・コートールドは、印象派や後期印象派の優れた作品を紹介することにより、この低評価を改善することを目指していた。


2026年7月15日水曜日

ハーバート・スペンサー(Herbert Spencer)- その3

ロンドンの特別区の一つであるカムデン区のハイゲイト地区内にある
ハイゲイト墓地
東区画にあるハーバート・スペンサーの墓(その5)
<筆者撮影>

アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)が執筆した長編としては、第6作目に、そして、エルキュール・ポワロ(Hercule Poirot → 2025年10月11日付ブログで紹介済)シリーズの長編としては、第3作目に該る「アクロイド殺し(The Murder of Roger Ackroyd → 2023年9月25日 / 10月2日付ブログで紹介済)」において、事件の記録者で、キングスアボット村(King's Abbot)の富豪であるロジャー・アクロイド(Roger Ackroyd)から夕食に招待され、9月17日(金)の午後7時半に、ロジャー・アクロイドが住むフェルンリーパーク館(Fernly Park)を訪れたジェイムズ・シェパード医師(Dr. James Sheppard)とフローラ・アクロイド(Flora Ackroyd - ロジャー・アクロイドの義理の妹で、未亡人のセシル・アクロイド夫人(Mrs. Cecil Ackroyd)の娘)の間で交わされた会話に出てくる「フロス河の水車場(The Mill on the Floss)」の作者であるジョージ・エリオット(George Eliot → 2025年11月13日+2026年5月20日 / 5月25日 / 5月30日付ブログで紹介済)は、英国の作家である。実は、「ジョージ・エリオット」はペンネームで、本名はメアリー・アン・エヴァンズ(Mary Anne Evans:1819年ー1880年)。


2022年に英国の HarperCollins Publishers 社から出版された
アガサ・クリスティー作「アクロイド殺し」の
愛蔵版(ハードカバー版)の表紙
(Cover design by Holly Macdonald /
Illustrations by Shutterstock.com) 


1819年11月22日、土地差配人である父ロバート・エヴァンズ(Robert Evans:1773年ー1849年)と母クリスティアナ・エヴァンズ(Christiana Evans:1788年ー1836年 / 旧姓:ピアスン(Pearson))の下、ウォーリック州(Warwickshire)ヌニートン(Nuneaton)に出生したメアリー・アン・エヴァンズは、1850年、作家を志して、ロンドンへと移った。


ジョージ・エリオット(本名:メアリー・アン・エヴァンズ)が
1860年に発表した長編小説第2作目
「フロス河の水車場」
<筆者撮影>


ナショナルポートレイトギャラリー(National Portrait Gallery内で
所蔵 / 展示されているジョージ・エリオット
(本名:メアリー・アン・エヴァンズ)の肖像画
(By Sir Frederic William Burton / chalk / 1865年 /
514 mm x 381 mm)


英国の哲学者 / 社会学者 / 倫理学者であるハーバート・スペンサー(Herbert Spencer:1820年ー1903年)の紹介により、作家を志して、1850年に故郷のウォーリック州(Warwickshire)ヌニートン(Nuneaton)からロンドンへと移ったメアリー・アン・エヴァンズは、1851年に英国の哲学者 / 文芸批評家であるジョージ・ヘンリー・ルイス(George Henry Lewes:1817年ー1878年)と知り合い、恋愛関係になる。当時、ジョージ・ヘンリー・ルイスは、アグネス・ジャーヴィス(Agnes Jervis)と結婚して、3人の子供が居る身だったが、メアリー・アン・エヴァンズとジョージ・ヘンリー・ルイスの恋愛関係は、彼が1878年11月30日に亡くなるまで、25年以上続いた。


1820年4月27日、イングランド北部のダービーシャー州(Derbyshire)ダービー(Derby)に出生したハーバート・スペンサーは、1848年から1853年までの間、経済誌「エコノミスト(The Economist)」の副編集長(sub-editor)を務めながら、著作活動を行った。

1853年に叔父の遺産を相続したハーバート・スペンサーは、「エコノミスト」の副編集長の職を辞し、在野の研究者として著述に専念。


「総合哲学体系(Synthetic Philosophy)」シリーズとして、「第一原理(First Principles)」、「生物学原理(Principles of Biology)」、「心理学原理(Principles of Psychology)」、「社会学原理(Principles of Sociology)」、そして、「倫理学原理(Principles of Ethics)」を1862年から順次刊行し、1896年に完結させたハーバート・スペンサーは、1870年代に入ると、最も有名な哲学者となり、それまでに出版した本や連載による収入で生活ができるようになった。彼の著作は、ドイツ語、イタリア語、スペイン語、フランス語、ロシア語、日本語や中国語等、多くの言語に翻訳され、欧州や北米において、称賛を受けた。

1882年7月から同年11月までの間、彼は米国を訪れ、各地で熱狂的な歓迎を受ける。

ハーバート・スペンサーは、英国よりも米国でより知られるようになり、1870年代から1880年代にかけて、米国全土で空前のスペンサーブームが起きた。


1890年代に入ると、ハーバート・スペンサーは、親しい友人を次々に失い、孤立感を深めていく。

また、彼は、生涯結婚せず、医師が診断できない痛みや病気を周囲に訴えるようになる。

その結果、彼は、日に日に保守的になっていく。


1902年、ハーバート・スペンサーは、ノーベル文学賞(Nobel Prize in Literature)の候補となるものの、残念ながら、受賞には至らなかった。


ハイゲイト墓地東区画にあるハーバート・スペンサーの墓(その6)-
墓の右側面に、ハーバート・スペンサーが、
1903年12月8日に死去したことが記されている。

<筆者撮影>


ハーバート・スペンサーは、晩年まで口述で著作活動を続けたが、1903年12月8日、サセックス州(Sussex)ブライトン(Brighton)において、83歳で死去。

彼の遺灰は、ロンドンの特別区の一つであるカムデン区(London Borough of Camden)のハイゲイト地区(Highgate)内にあるハイゲイト墓地(Highgate Cemetery → 2018年11月4日 / 11月11日付ブログで紹介済)の東区画(East Cemetery)に埋葬された。


ハイゲイト墓地入場時に受け取った東区画の地図から抜粋。


ハイゲイト墓地の東区画内にあるカール・マルクスの墓 –
カール・マルクスの死後、彼の友人で、かつ、ドイツの社会思想家である
フリードリヒ・エンゲルス(Friedrich Engels:1820年ー1895年)により、
東区画内の別の場所に墓が設けられたが、
1956年に散策道に面した現在の位置に移設され、写真の像も建てられた。
<筆者撮影>

なお、彼の墓の向かい側には、ドイツ・プロイセン王国出身の哲学者 / 思想家 / 経済学者 / 革命家で、1849年に渡英した以降、ロンドンで主に活動し、「資本論(Das Kapital)」の執筆で有名なカール・ハインリヒ・マルクス(Karl Heinrich Marx:1818年ー1883年)の墓があり、多くの観光客達が訪れている。カール・マルクスの墓が有名過ぎて、ハーバート・スペンサーの墓は、あまり見向きされていない。


2026年7月14日火曜日

ロンドン リッチモンド宮殿(Richmond Palace)- その1

緑地帯「リッチモンドグリーン(Richmond Green)」に面して、
リッチモンド宮殿の楼門「ゲイトハウス(Gatehouse)」が
現在も残っている。
<筆者撮影>

英国のファンタジー / SF / 推理作家であるフィリップ・パーサー=ハラード(Philip Purser-Hallard:1971年ー)が、Titan Publishing Group Ltd. から、「シャーロック・ホームズの更なる冒険(The further adventures of Sherlock Holmes)」シリーズとは別シリーズの「シャーロック・ホームズ(Sherlock Holmes)」シリーズの一つとして、2019年に発表した「人間消失(The Vanishing Man → 2026年6月7日 / 6月15日 / 6月21日 / 7月3日付ブログで紹介済)」の場合、1896年9月14日(月)から9月15日(火)にかけて、トマス・ケルウェイ(Thomas Kellway)と名乗る人物が「テレキネシス(Telekinesis)」を使って、物体を移動する実験を、リッチモンド(Richmond → 2018年3月17日 / 3月24日付ブログで紹介済)にあるサー・ニューナム・スペイト(Sir Newham Speight - The Society for the Scientific Investigation of Psychical Phenomena の会長(Chairman))の自宅 Parapluvium House 内に設けれらた実験室で実施した際、衆人環視の中、トマス・ケルウェイが隔離された室内から姿を消してしまうと言う非常に不可思議な事件が発生したため、サー・ニューナム・スペイトは、シャーロック・ホームズに対して、助けを求める。


英国の Titan Publishing Group Ltd. の Titan Books 部門から
2019年に出版された
フィリップ・パーサー=ハラード作
「シャーロック・ホームズ:人間消失」の表紙
(Images : Shutterstock)


サー・ニューナム・スペイトの自宅である Parapluvium House は、リッチモンド内に所在していると記されているが、残念ながら、具体的な場所については、明記されていない。


リッチモンドの周辺地図 -
Google Maps から抜粋。


テムズ河沿いの散歩道
<筆者撮影>


テムズ河(River Thames)の上流にあるリッチモンドは、ロンドンの特別区の一つで、ロンドン南西部郊外のリッチモンド・アポン・テムズ区(London Borough of Richmond upon Thames)内にあり、テムズ河の中流域に位置して、テムズ河の東岸に広がる高級住宅地である。


英国のロイヤルメールから2021年に発行された「薔薇戦争」の記念切手の1枚で、
同戦争の終結となる「ボズワースの戦い」
(1485年8月22日)が
描かれている


薔薇戦争(Wars of the Roses → 2024年6月18日 / 6月24日 / 6月28日 / 7月2日付ブログで紹介済)の第三次内乱(1485年)に該り、1485年8月22日に行われたボズワースの戦い(Battle of Bosworth)において、ヨーク朝(House of York)の第3代イングランド王であるリチャード3世(Richard III:1452年-1485年 在位期間 1483年ー1485年 → 2023年10月9日 / 2024年6月14日付ブログで紹介済)を破り、テューダー朝(House of Tudor)の初代イングランド王として即位したのが、ヘンリー7世(Henry VII:1457年ー1509年 在位期間:1485年ー1509年 → 2024年7月5日付ブログで紹介済)は、同地にあった宮殿(大半が木造建築)が1497年12月23日の火災により焼失したため、翌年の1498年から新宮殿の建設に着手。


ナショナルポートレイトギャラリー
(National Portrait Gallery)で販売されている
リチャード3世の肖像画の葉書
(Unknown artist / Late 16th century / Oil on panel
638 mm x 470 mm) 


ヘンリー7世は、王位継承前、リッチモンド伯(Earl of Richmond)として知られていたので、それに因んで、1500年に城下町を「リッチモンド 」へと改名。また、主に煉瓦と白い石で出来た新宮殿が1501年に完成したことに伴い、新宮殿を「リッチモンド宮殿(Richmond Palace)」と名付けたのである。


ナショナルポートレイトギャラリーで販売されている
ヘンリー7世の肖像画の葉書
(Unknown Netherlandish artist / 1505年 / Oil on panel
425 mm x 305 mm) 


1502年、新宮殿「リッチモンド宮殿」において、ヘンリー7世の長女であるマーガレット・テューダー(Margaret Tudor:1489年ー1541年)とスコットランドの国王であるジェイムズ4世(James VI:1473年ー1513年 在位期間:1488年-1513年)の婚約式が行われた。

後に(1603年に)英国王位を継承するステュアート家(House of Stuart)は、この婚姻を起源としている。


リッチモンド宮殿の楼門「ゲイトハウス」の右側の外壁には、
ヘンリー7世がリッチモンド 宮殿に住んでいたことが記されている。

<筆者撮影>


ヘンリー7世は、1509年4月21日、結核のため、リッチモンド 宮殿において、52歳で崩御。

ヘンリー8世(Henry VIII:1491年ー1547年 在位期間:1509年ー1547年 → 2024年7月26日付ブログで紹介済)が、テューダー朝の第2代イングランド王として、後を継いだ。


2026年7月13日月曜日

エルキュール・ポワロの世界 <ジグソーパズル>(The World of Hercule Poirot )- その38A

英国の HarperCollinsPublishers 社から以前に出版されていた
アガサ・クリスティー作「葬儀を終えて」ペーパーバック版の表紙 -
リチャード・アバネシーの葬儀の翌日、
手斧でズタズタにされて殺された末妹コーラ・ランスケネの家が
表紙として使用されていると思われる。
その証拠に、窓から見える壁には、
地元のセールで彼女が集めていた絵画が掛けられている。


英国の Orion Publishing Group Ltd. から2023年に発行されている「エルキュール・ポワロの世界(The World of Hercule Poirot)」と言うジグソーパズル内に散りばめられているエルキュール・ポワロシリーズの登場人物や各作品に関連した112個の手掛かりについて、引き続き、紹介したい。

前回に引き続き、各作品に出てくる登場人物、建物や手掛かり等が、その対象となる。


ジグソーパズル「エルキュール・ポワロの世界」の完成形
<筆者撮影>


(87)埠頭を描いた絵(painting of a pier)



ジグソーパズル中央に立つエルキュール・ポワロ(Hercule Poirot → 2025年10月11日付ブログで紹介済)から右真横へ移動した位置に居る執事のジョージ(George → 2025年10月23日付ブログで紹介済)の左側にある柱の壁に、埠頭を描いた絵が掛けられている。


(88)手斧(hatchet)



エルキュール・ポワロの執事ジョージの右足下に、手斧があり、柱に立てかけられている。


(89)ウェディングケーキが乗った皿(slice of wedding cake)



ジグソーパズルの右下に設置されているガラスケースの上に、ウェディングケーキが乗った皿が置かれている。


これらから連想されるのは、アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)が1953年に発表した「葬儀を終えて(After the Funeral)」である。

「マギンティー夫人は死んだ」は、アガサ・クリスティーが執筆した長編としては、第44作目に該り、そして、エルキュール・ポワロシリーズの長編としては、第25作目に該っている。


「葬儀を終えて」の場合、米国版のタイトルは、「Funerals Are Fatal」が使用されている。

1963年に本作品が英国映画として映像化された際、英国版のタイトルは、映画に合わせて、「Murder at the Gallop(寄宿舎の殺人)」へと改題された。なお、探偵役は、本来のエルキュール・ポワロではなく、ミス・ジェーン・マープルが務めている。


2025年に英国の HarperCollinsPublishers 社から出版された
「アガサ・クリスティー 2026年オフィシャルカレンダー」のうち、
2026年6月のカレンダーに描かれている
エルキュール・ポワロシリーズの長編第25作目「葬儀を終えて」(1953年)-
大富豪で、アバネシー家の当主であるリチャード・アバネシーの葬儀が行われた
教会が描かれているものと思われる。
兄リチャード・アバネシーの墓の前に佇んでいるのは、
末妹のコーラ・ランスケネだろうか?
<筆者撮影>


大富豪で、アバネシー家の当主であるリチャード・アバネシー(Richard Abernethie)の葬儀に出席するために、彼の邸宅「エンダビーホール(Enderby Hall)」において、親族が一堂に会した。

リチャード・アバネシーの弟の1人であるレオ(Leo)は、第二次世界大戦(1939年-1945年)中に戦死していた。また、リチャード・アバネシーの妻は早くに亡くなっており、息子のモーティマー(Mortimer)も6ヶ月前に既に死去していた。


リチャード・アバネシーの葬儀に参列したのは、


(1)ティモシー・アバネシー(Timothy Abernethie):リチャードの弟

(2)モード・アバネシー(Maude Abernethie):ティモシーの妻 / リチャードの義妹


(3)ヘレン・アバネシー(Helen Abernethie):第二次世界大戦中に戦死したリチャードの弟レオの妻 / リチャードの義妹


(4)スーザン・バンクス(Susan Banks):リチャードの弟ゴードン(Gordon)の娘 / リチャードの姪

(5)グレゴリー・バンクス(Gregory Banks):スーザンの夫 / 薬剤師


(6)ローラ・クロスフィールド(Laura Crossfield):リチャードの妹

(7)ジョージ・クロスフィールド(George Crossfield):ローラの息子 / リチャードの甥 / 事務弁護士


(8)ロザムンド・シェーン(Rosamund Shane):リチャードの妹ジェラルディン(Geraldine)の娘 / リチャードの姪 / 女優

(9)マイケル・シェーン(Michael Shane):ロザムンドの夫 / 俳優


(10)コーラ・ランスケネ(Cora Lansquenet):リチャードの末妹


の面々だった。


アバネシー家の弁護士であるエントウィッスル氏(Mr. Entwhistle)が、リチャード・アバネシーの遺言執行者として、その内容を読み上げた。

リチャード・アバネシーの遺産の大部分は、彼の弟ティモシー・アバネシー、彼の亡き弟の妻ヘレン・アバネシー、彼の末妹コーラ・ランスケネ、彼の甥ジョージ・クロスフィールド、そして、彼の2人の姪スーザン・バンクスとロザムンド・シェーンの6人に当分されると言う極めて妥当な内容だった。


エントウィッスル氏が読み上げたリチャード・アバネシーの遺言書の内容を聞き、自分の相続分を素直に喜んだ末妹コーラ・ランスケネは、小首を傾げると、無邪気な一言を言い放った。

「だって、リチャードは殺されたんでしょう?」と。