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| ジョシュア・レノルズが住んでいたレスタースクエア47番地の建物があった場所 <筆者撮影> |
1723年7月16日、サミュエル・レノルズ牧師(Reverend Samuel Reynolds)の三男(第7子)として、デヴォン州(Devon)プリンプトン(Plympton)に出生したジョシュア・レノルズは、少年の頃から絵画に興味を抱いており、1740年、英国の肖像画家で、同じデヴォン州生まれのトマス・ハドスン(Thomas Hudson:1701年ー1779年)に弟子入りして、修行を始める。
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| ナショナルポートレイトギャラリー(Naitional Portrait Gallery)に所蔵 / 展示されている ジョシュア・レノルズ作「Self-Portrait(自画像)」 (1747年ー1749年頃) <筆者撮影> |
1749年5月に英国海軍の代将に任ぜられた初代ケッペル子爵オーガスタス・ケッペル(Augustus Keppel, 1st Viscount Keppel:1725年ー1786年) が、海賊対策のため、地中海へ向けて出航した際、ジョシュア・レノルズは、戦列艦「セチュリオン(HMS Centurion)」に便乗して、地中海西部のメノルカ島(Menorca)まで一緒に行き、そこからイタリアへ渡り、約2年間、ローマ(Roma)に滞在して、ルネサンスを代表するイタリアの画家であるラファエロ・サンティ(Raffaello Santi:1483年ー1520年)等の古典作品を熱心に研究した。
ローマ滞在中に、ジョシュア・レノルズは、酷い風邪に罹患して、回復したものの、聴覚の一部を失ってしまう。その結果、彼は補聴器を持ち歩くようになる。
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| ジョシュア・レノルズが住んでいたレスタースクエア47番地の建物があった場所に建つ ビルを下から見上げたところ <筆者撮影> |
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| ジョシュア・レノルズが住んでいたレスタースクエア47番地の建物があった場所に建つ ビルの1階(GF)と2階(1F)の間の外壁に施された装飾 <筆者撮影> |
約2年間のローマ滞在を終えて、1752年10月に英国に戻ったジョシュア・レノルズは、デヴォン州(Devon)で3ヶ月程過ごした後、1753年にロンドンへ出て来ると、驚くべき速さで、肖像画家としての成功を手にしていく。
売れっ子の肖像画家となったジョシュア・レノルズは、彼の作品を展示する場所や彼のアシスタント達が住む場所等を含めて、より広いスペースが必要となったため、1760年、レスターフィールズ(Leicester Fields - 現在のレスタースクエア(Leicester Square))のレスタースクエア47番地(47 Leicester Square)の建物へと引っ越した。
超多忙のため、満足に休みをとれないジョシュア・レノルズは、肖像画のモデルの衣服については、ローマからの帰国時に一緒に帯同して来たイタリア人のジュゼッペ・フィリッポ・リベラティ・マルチ(Giuseppe Filippo Liberati Marchi:1735年ー1808年)を初めとするアシスタント達に任せるようになる。
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| 「Nicholson - Super Scale - London Atlas」から ソーホー地区の地図を抜粋。- レスタースクエアは、右下にある緑色で表示された広場で、 ジョシュア・レノルズが住んでいたレスタースクエア47番地の建物は、 レスタースクエアの西側に建っている。 |
レスタースクエア47番地は、ロンドンの中心部シティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)ソーホー地区(Soho)内に所在しており、レスタースクエアの西側に建っている。
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| レスタースクエア47番地の建物の1階(GF)と2階(1F)の間の外壁にあるプラーク(その1) <筆者撮影> |
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| レスタースクエア47番地の建物の1階(GF)と2階(1F)の間の外壁にあるプラーク(その2) <筆者撮影> |
レスタースクエア47番地の建物の1階(GF)と2階(1F)の間の外壁と1階(GF)の外壁の両方に、「SIR JOSHUA REYNOLDS 1723-1792 PORTRAIT PAINTER lived and died in a house on this site」と記したプラークがそれぞれ架けられている。
1階(GF)と2階(1F)の間の外壁に掛けられているプラークには、「London City Council」の表示がある一方、1階(GF)の外壁に掛けられているプラークには、「London City Council」の表示がないため、1階(GF)と2階(1F)の間の外壁に掛けられているプラークが正式なものと 考えられる。
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| レスタースクエア47番地の建物の1階(GF)の外壁にあるプラーク(その1) <筆者撮影> |
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| レスタースクエア47番地の建物の1階(GF)の外壁にあるプラーク(その2) <筆者撮影> |
ジョシュア・レノルズは、1768年12月に王立芸術院(Royal Academy of Arts)の初代会長に就任し、1769年4月に騎士爵(Knight)に叙せられた後、1784年8月に主席宮廷画家(Principal Painter in Ordinary)に任命されると言う立身出世の道を辿る。
ところが、彼は、1789年に左目の視力を失い、1790年に引退を余儀なくされた。
| セントポールズチャーチヤード(St. Pau's Churchyard→2015年7月26日付ブログで紹介済)から見た セントポールポール大聖堂の大ドームと側面 <筆者撮影> |
そして、ジョシュア・レノルズは、1792年2月23日の晩、レスタースクエア47番地の自宅において亡くなり、彼の遺体は、セントポール大聖堂(St. Paul’s Cathedral → 2018年8月18日 / 8月25日 / 9月1日付ブログで紹介済)に葬られたのである。









































