2026年5月17日日曜日

ロンドン ハイドパークゲイト通り22番地(22 Hyde Park Gate)- その2

ヴァージニア・ウルフが生まれた
ハイドパークゲイト通り22番地の建物全景
<筆者撮影>

サー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Sir Arthur Ignatius Conan Doyle::1859年ー1930年)作「マスグレイヴ家の儀式書(The Musgrave Ritual)」の冒頭、シャーロック・ホームズがジョン・H・ワトスンに対して語った通り、ホームズは、大学卒業後、ロンドンに移り、モンタギューストリート(Montague Street → 2014年5月25日付ブログで紹介済)に部屋を借りて、諮問探偵を開業したが、残念ながら、数ヶ月経過しても、1件の仕事依頼も持ち込まれなかった。そこで、ホームズは、この暇な時間を有効活用すべく、将来役に立ちそうな学問の勉強のために、近所にある大英博物館(British Museum → 2014年5月26日付ブログで紹介済)の「円形閲覧室(Round Reading Room → 2026年5月6日付ブログで紹介済)」へ足繁く通った。


「ストランドマガジン(The Strand Magazine)」の
1893年5月号「マスグレイヴ家の儀式書」に掲載された挿絵 -
ジョン・H・ワトスンが、
事件解決後の倦怠期に入ったシャーロック・ホームズに対して、
部屋の住み心地を良くするために、室内の整理を提案した。
すると、少し悲しそうな顔をしたホームズは、寝室へ姿を消すと、
大きなブリキの箱を引っ張り出して来た。
ホームズは、ブリキの箱を部屋の真ん中に置き、
丸椅子に座ると、箱の蓋を開けた。
ブリキの箱の中には、ホームズが解決した
初期の事件の記録が入っていたのである。
挿絵:シドニー・エドワード・パジェット
(Sidney Edward Paget:1860年 - 1908年)


ホームズが足繁く通った「円形閲覧室」があった大英博物館周辺に住んだヴァージニア・ウルフ(Virginia Woolf / 本名:アデリーン・ヴァージニア・スティーブン(Adeline Virginia Stephen):1882年ー1941年)は、1882年1月25日、英国の著名な批評家 / 歴史家である父サー・レスリー・スティーヴン(Leslie Stephen:1832年ー1904年)と初代准男爵サー・エドワード・コーリー・バーン=ジョーンズ(Sir Edward Coley Burne-Jones, 1st Baronet:1833年ー1898年 → 2018年6月3日 / 6月10日 / 6月17日付ブログで紹介済)等のラファエル前派(Pre-Raphaelite)のモデルとして知られている母ジュリア・プリンセップ・ジャクスン(Julia Prinsep Jackson:1846年ー1895年)の次女として、ハイドパークゲイト通り22番地(22 Hyde Park Gate)に出生。

ヴァージニア・ウルフの両親は共に再婚で、サー・レスリー・スティーヴンには、1875年に亡くなった前妻との間に、娘1人が、また、ジュリア・プリンセップ・ジャクスンには、1870年に亡くなった前夫との間に、息子2人と娘1人が居た。

そして、サー・レスリー・スティーヴンとジュリア・プリンセップ・ジャクスンの間に、息子2人と娘2人が生まれた。5番目の子供で、夫妻にとって長女となるヴァネッサ・ベル(Vanessa Bell:1879年ー1961年)は、後に英国の画家 / インテリアデザイナーとなり、妹ヴァージニア・ウルフ達と一緒に、1905年に「ブルームズベリーグループ(Bloomsbury )」と呼ばれる著述家や芸術家の知的サークルを結成することになる。ヴァージニア・ウルフは、7番目の子供で、夫妻にとっては次女となる。


ハイドパークゲイト通り22番地の建物前から
北側(ハイドパークゲイト通りの入口)を見たところ
<筆者撮影>


ヴァージニア・ウルフが生まれたハイドパークゲイト通り22番地は、ロンドンの中心部にあるケンジントン&チェルシー王立区(Royal Borough of Kensington and Chelsea)のブロンプトン地区(Brompton)内の高級住宅街に所在している。


ハイドパークゲイト通り22番地の建物を見上げたところ
<筆者撮影>


父親のサー・レスリー・スティーヴンは、英国の著名な批評家 / 歴史家で、「英国人名辞典(Dictionary of National Biography)」の編集者として知られていることに加えて、前妻の父で、英国の小説家であるウィリアム・メイクピース・サッカレー(William Makepeace Thackeray:1811年ー1863年)との繋がりがあり、多くの著名な知識人や作家が家を訪れた。

また、母親のジュリア・プリンセップ・ジャクスンの一族から、ヴィクトリア朝社会に名を馳せた美女を輩出しており、本人も「ラファエル前派(Pre-Raphaelite Brotherhood)」(正確には、「ラファエロ以前兄弟団」)の画家達や写真家達のモデルを務めた関係で、知己に恵まれていた。

その結果、ヴァージニア・ウルフは、文学に造詣が深く、豊かな人脈を知己に持つ両親の下で育った。


更に、スティーヴン家の書斎には、膨大な蔵書があり、ヴァージニア・ウルフは、姉のヴァネッサと一緒に、古典や英国文学を書物から学んだ。

一方、長男のトビー(Thoby:1880年ー1906年)と次男のエイドリアン(Adrian:1883年ー1948年)は、正規の教育を受けて、ケンブリッジ大学(University of Cambridge)へ進学しており、ヴァージニア・ウルフは、当時の男女不平等な慣習に対して、非常に悔しい思いを抱いていた。


ヴァージニア・ウルフが13歳になった1895年に、母親のジュリアが48歳で急死し、ヴァージニア・ウルフが15歳になった1897年に、異父姉ステラ(Stella:1869年ー1897年)が亡くなったことに伴い、彼女は神経衰弱を発病した。

にもかかわらず、ヴァージニア・ウルフは、1897年から1901年にかけて、キングス カレッジ ロンドン(King’s College London)の女子学部で、ギリシア語、ラテン語、ドイツ語と歴史を履修し、いくつかの課程で学位レベルまで修めた。姉のヴァネッサも、キングス カレッジ ロンドンの女子学部において、ラテン語、イタリア語と建築を学んだ。


ハイドパークゲイト通り22番地の建物外壁には、
(1)父サー・レスリー・スティーヴン、
(2)姉ヴァネッサ・ベルと
(3)妹ヴァージニア・ウルフの
3人分のブループラークが掛けられている。
<筆者撮影>


ハイドパークゲイト通り22番地の建物の1階(GF)の外壁には、


(1)サー・レスリー・スティーヴン(London City Council 制作)

(2)ヴァネッサ・ベル(非公認のものと思われる)

(3)ヴァージニア・ウルフ(非公認のものと思われる)


の3つのブループラークが掛けられている。


ナショナルポートレートギャラリー(National Portrait Gallery)で所蔵 / 展示されている
ウィンストン・レナード・スペンサー=チャーチルの肖像画
(by Sir William Orpen / 1916年 / Oil on canvas)
<筆者撮影>


ヴァージニア・ウルフが生まれたハイドパークゲイト通り22番地の右斜め前にあるハイドパークゲイト通り28番地の建物には、英国の政治家、軍人、従軍記者、作家であるウィンストン・レナード・スペンサー=チャーチル(Sir Winston Leonard Spencer-Churchill:1874年ー1965年)が住んでおり、ここで亡くなっている。 


ウィンストン・レナード・スペンサー=チャーチルが亡くなった
ハイドパークゲイト通り28番地の建物全景
<筆者撮影>

ハイドパークゲイト通り28番地の建物外壁には、
ウィンストン・レナード・スペンサー=チャーチルが住み、
ここで亡くなったことを示すブループラークが掛けられている。
<筆者撮影>

2026年5月16日土曜日

ジョージ・ロムニー(George Romney)- その1

ウォレスコレクション(Wallace Coolection → 2014年6月15日付ブログで紹介済)に所蔵 / 展示されている
ジョージ・ロムニー作「メアリー・ロビンスン夫人(Mrs Mary Robinson)」(1780年−1781年)
<筆者撮影>


アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)が1967年に発表した長編「終りなき夜に生れつく(Endless Night → 2026年4月13日 / 4月30日付ブログで紹介済)」は、彼女が執筆した長編としては、第58作目に該り、エルキュール・ポワロやミス・ジェーン・マープル等が登場しないノンシリーズ作品である。


2026年に英国の HarperCollinsPublishers 社から出版された
アガサ・クリスティー作「終りなき夜に生れてつく」の
愛蔵版(ハードカバー版)の表紙
(Cover design and 
illustration
by Sarah Foster / 
HarperCollinsPublishers Ltd. ) -
ドライバー等の職業を転々とするその日暮らしの風来坊であるマイケル・ロジャー(通称:マイク)と

米国の大富豪(石油王)の娘で、裕福な相続人であるフェニラ・グットマン(通称:エリー)の2人は、

マイクがドライバーとして働いていた頃に知り合った芸術家気質の著名な建築家で、

余命いくばくもないルドルフ・サントニックスに依頼して、

キングストンビショップ村にある

海を臨むことができる美しい眺望の景勝地「ジプシーが丘」に

自分達の夢の邸宅を建ててもらった場面が描かれている。


キングストンビショップ村(Kingston Bishop)にある「ジプシーが丘(Gipsy’s Acre)」は、海を臨むことができる美しい眺望の景勝地であったが、そこで以前に起こった不吉な事故によって、キングストンビショップ村の住民達からは、呪われた伝説を持つ土地として、非常に恐れられていた。


ある日、皆に恐れられている「ジプシーが丘」において、


(1)ドライバー等の職業を転々とするその日暮らしの風来坊であるマイケル・ロジャース(Michael Rogers - 通称:マイク(Mike))→ この物語の語り手



(2)米国の大富豪(石油王)の娘で、裕福な相続人であるフェニラ・グットマン(Fenella Guteman - 通称:エリー(Ellie))


は出会い、会った瞬間に、若い二人は恋に落ちた。

そして、「ジプシーが丘」こそ、自分達の生活のスタート地点として相応しいと考えたのである。


エリーと結婚したマイクは、ドライバーとして働いていた頃に知り合った芸術家気質の著名な建築家で、余命いくばくもないルドルフ・サントニックス(Rudolf Santonix)に依頼して、「ジプシーが丘」に自分達の夢の邸宅を建ててもらう。


「ジプシーが丘」に建った自分達の夢の邸宅に住み始めた二人だったが、まもなく悲劇的な事件が発生する。

ある日、マイクは、キングストンビショップ村の住民で、友人となったフィルポット少佐(Major Phillpot)と一緒に、オークションへ出かけ、エリーは、乗馬に出かけた。2人は、フィルポット少佐を交えて、昼食を一緒にする約束をしていたが、いつまで待っても、エリーは待ち合わせ場所に姿を見せなかった。

やがて、エリーが森の中で死んでいるのが発見される。


ウォレスコレクションの建物を下から見上げたところ
<筆者撮影>


I left the smaller car for Ellie as it was easier to park and took the big Chrysler myself. I got to Barrington Manor just before the sale began. Phillpot was there already and had kept a place for me.

’Some quite nice stuff here,’ he said. ‘One or two good pictures. A  Romney and a Reynolds. I don’t know if you’re interested?’

I shook my head. My taste at the moment was entirely for modern artists.


僕は、エリー用に小型の車を残して、自分は大型のクライスラーを使った。小型車の方が、昼食の待ち合わせ場所に駐車し易いと思ったからだ。バリントンマナーハウスには、オークションが始まる直前に着いた。フィルポッツ少佐は、既に到着済で、僕のために席を確保しておいてくれた。

「いくつか良い掘り出し物があるんだ。」と、彼は言った。「素晴らしい絵画が1、2枚出品されている。(ジョージ・)ロムニーと(ジョシュア・)レノルズの絵画が1枚ずつ出ている。君が買いたいと思うかどうか、判らないが。」

僕は、関心がないことを示すために、首を横に振った。今のところ、僕の興味は、現代画家作品にしかなかったからだ。

<筆者 訳> 


上の肖像画が
ジョージ・ロムニー作「メアリー・ロビンスン夫人」(1780年−1781年)で、
下の肖像画が
トマス・ゲインズバラ作「ネリー・オブライエン嬢(Miss Nelly O'Brien)」(1762年ー1764年頃)。
<筆者撮影>


バリントンマナーハウス(Barrington Manor)において開催されたオークションに出品された絵画の作者のうち、ジョージ・ロムニー(George Romney:1734年ー1802年)は英国の肖像画家で、同時代に活躍したサー・ジョシュア・レノルズ(Sir Joshua Reynolds:1723年ー1792年)やトマス・ゲインズバラ(Thomas Gainsborough:1727年ー1788年)と並び称された著名な画家である。


2026年5月15日金曜日

ロンドン メアリー女王の庭園(Queen Mary’s Gardens)- その3



アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)が1967年に発表した長編「終りなき夜に生れつく(Endless Night → 2026年4月13日 / 4月30日付ブログで紹介済)」は、彼女が執筆した長編としては、第58作目に該り、エルキュール・ポワロやミス・ジェーン・マープル等が登場しないノンシリーズ作品である。


2026年に英国の HarperCollinsPublishers 社から出版された
アガサ・クリスティー作「終りなき夜に生れてつく」の
愛蔵版(ハードカバー版)の表紙
(Cover design and 
illustration
by Sarah Foster / 
HarperCollinsPublishers Ltd. ) -
ドライバー等の職業を転々とするその日暮らしの風来坊であるマイケル・ロジャー(通称:マイク)と

米国の大富豪(石油王)の娘で、裕福な相続人であるフェニラ・グットマン(通称:エリー)の2人は、

マイクがドライバーとして働いていた頃に知り合った芸術家気質の著名な建築家で、

余命いくばくもないルドルフ・サントニックス(Rudolf Santonix)に依頼して、

キングストンビショップ村にある

海を臨むことができる美しい眺望の景勝地「ジプシーが丘」に

自分達の夢の邸宅を建ててもらった場面が描かれている。


キングストンビショップ村(Kingston Bishop)にある「ジプシーが丘(Gipsy’s Acre)」は、海を臨むことができる美しい眺望の景勝地であったが、そこで以前に起こった不吉な事故によって、キングストンビショップ村の住民達からは、呪われた伝説を持つ土地として、非常に恐れられていたが、この「ジプシーが丘」において、


(1)ドライバー等の職業を転々とするその日暮らしの風来坊であるマイケル・ロジャース(Michael Rogers - 通称:マイク(Mike))→ この物語の語り手



(2)米国の大富豪(石油王)の娘で、裕福な相続人であるフェニラ・グットマン(Fenella Guteman - 通称:エリー(Ellie))


は出会い、会った瞬間に、若い二人は恋に落ち、「ジプシーが丘」こそ、自分達の生活のスタート地点として相応しいと考えた。


リージェンツパークの案内板 -
円形の「メアリー女王の庭園」は、
リージェンツパークの南端近くで、
ボート遊び用湖(Boating Lake → 2025年7月12日付ブログで紹介済)の東側に位置している。
<筆者撮影>



キングストンビショップ村の「ジプシーが丘」において出会ったマイクとエリーの二人が散歩した「メアリー女王の庭園(Queen Mary’s Gardens)」は、ロンドンのリージェンツパーク(Regent’s Park → 2016年11月19日付ブログで紹介済)内に所在する庭園で、リージェンツパークの南端近くに位置している。


「Nicholson - Super Scale - London Atlas」から
リージェンツパークとその周辺の地図を抜粋。



「メアリー女王の庭園」は円形の庭園で、その周囲を取り巻くインナーサークル(Inner Circle)と言う道路が、「メアリー女王の庭園」とリージェンツパーク内の他のエリアを隔てている。


「メアリー女王の庭園」内に見かけることができる鳥類 / 爬虫類 / 両生類 / 昆虫
<筆者撮影

「メアリー女王の庭園」内にある池のほとりを歩くオオバン(coot)
<筆者撮影


現在、「メアリー女王の庭園」があるインナーサークルの内部は、当初、英国の鉱物学者(mineralogist)/ 植物学者(botanist)であるジェイムズ・デ・カール・ソワビー(James De Carle Sowerby:1787年ー1871年)が1839年に創設した英国王立植物学協会(Royal Botanic Society)に貸し出されていた。英国王立植物学協会は、賃借したインナーサークルの内部を使い、新機軸の庭園整備を目的としていた。インナーサークルの内部は、基本的に、協会会員だけに開放されていたが、フラワーショウ等を開催する際には、一般にも開放された。



画面中央の奥に、日本の灯籠が建っているのが見える。
<筆者撮影>


その後、インナーサークルの内部の賃借契約更新がうまくできなかった英国王立植物学協会は、1932年に解散してしまう。




英国王立植物学協会が賃借契約を更新できなかったインナーサークルの内部は、庭園として再整備された後、一般向けに初めて開放された。


アビンドンストリート(Abingdon Street)を挟んで、
国会議事堂(House of Parliament)の反対側に建つジョージ5世像
<筆者撮影>


その際、インナーサークルから、リージェンツパークを抜けて、東方面へと延びるチェスターロード(Chester Road)沿いに所在した英国陸軍(British Army)に属する British Forces Post Office(郵便部門を管轄)/ Royal Engineers (The Corps of Royal Engineers - 技術部門を管轄)を、1916年12月11日、ザクセン=コーブルク&ゴータ朝(House of Saxe-Coburg and Gotha)の初代英国国王エドワード7世(Edward VII:1841年ー1910年 在位期間:1901年ー1910年 → 2025年5月10日 / 5月26日 / 5月31日 / 6月8日 / 6月15日付ブログで紹介済)の次男で、ザクセン=コーブルク&ゴータ朝の第2代英国国王であるジョージ5世(George V:1865年ー1936年 在位期間:1910年ー1936年)とメアリー女王(Queen Mary:1867年ー1953年)が、これらの施設を訪問したことを踏まえ、庭園名として、メアリー女王の名前を冠して、「メアリー女王の庭園」と名付けられたのである。


「メアリー女王の庭園」内にある薔薇園(その1)
<筆者撮影>

「メアリー女王の庭園」内にある薔薇園(その2)
<筆者撮影>

「メアリー女王の庭園」内には、薔薇園があり、薔薇の開花時期には、様々な薔薇が咲き誇り、多くの人達が集っている。


2026年5月14日木曜日

ロンドン バンヒルフィールズ(Bunhill Fields)- その3

バンヒルフィールズ内にある
ダニエル・デフォーのお墓(その1)
<筆者撮影>

バンヒルフィールズ(Bunhill Fields)には、1827年8月12日に亡くなった英国の詩人、画家で、銅版画職人でもあったウィリアム・ブレイク(William Blake:1757年ー1827年 → 2023年5月15日付ブログで紹介済)のお墓(→ 2026年5月7日付ブログで紹介済)の他に、英国の著述家 / ジャーナリストで、小説「ロビンスン・クルーソー(Robinson Crusoe)」を執筆したことで知られているダニエル・デフォー(Daniel Defoe:1660年ー1731年)のお墓もある。

バンヒルフィールズ内にある
ダニエル・デフォーのお墓(その2)
<筆者撮影>

ダニエル・デフォーのお墓も、ウィリアム・ブレイクのお墓と同様に、シティーロード(City Road)側の入口からバンヒルフィールズへ入った場合、暫く直進して、右側の墓地を回り込んだ場所にある。


シティーロードの反対側から見たバンヒルフィールズの入口
<筆者撮影>


バンヒルフィールズの入口から墓地エリアへ入ったところ
<筆者撮影>

バンヒルフィールズの墓地エリアの右側部分(その1)
<筆者撮影>


バンヒルフィールズの墓地エリアの右側部分(その2)-
ダニエル・デフォーのお墓は、右奥へ回り込んだ場所にある。
<筆者撮影>


ダニエル・デフォーの本名はダニエル・フォー(Daniel Foe)で、1660年、獣脂蠟燭製造業者であるジェイムズ・フォー(James Foe) の息子として、ロンドンに出生。

ダニエル・デフォーは、著作活動に入る前に、様々な商業活動に従事して、巨万の富を築いたり、破産したりと、浮き沈みの激しい実生活を送った。

上記のような商業活動をを経て、ダニエル・デフォーは、パンフレット作者 / ジャーナリストとなり、その後、作家活動に入った。

ダニエル・デフォーは、貴族的な響きを持つ「De」を姓の「Foe」に付けて、「ダニエル・デフォー(Daniel Defoe)」をペンネームとした。これは、本名の姓である「Foe」が「敵 / 仇 / 敵対者 / 障害」と言った負の意味を有することを、本人が嫌ったためだとされている。


バンヒルフィールズ内の案内板(その1)
<筆者撮影>


バンヒルフィールズ内の案内板(その2)
<筆者撮影>


ダニエル・デフォーは、1719年(59歳)に「ロビンスン・クルーソー」を出版して、大成功を収めた。翌年の1720年(60歳)に「海賊シングルトン(Captain Singleton)」と「ロビンスン・クルーソー反省録(
Serious Reflections During the Life and Surprising Adventures of Robinson Crusoe: With his Vision of the Angelick World)」を、1722年(62歳)に「ペスト(A Journal of the Plague Year)」、「ジャック大佐(Colonel Jack)」や「モル・フランダース(Moll Flanders)」を、そして、1724年(64歳)に「ロクサーナ(Roxana)」を出版。

1731年4月21日、ロンドンで亡くなった。享年71歳だった。


バンヒルフィールズ内にある
ダニエル・デフォーのお墓のオベリスク部分 -
「DANIEL DEFOE
BORN 1661
DIED 1731
AUTHOR OF
ROBINSON CRUSOE」と
刻まれている。
<筆者撮影>


1732年12月に亡くなった妻のメアリー(Mary)も、ダニエル・デフォーと同じお墓に埋葬された。


バンヒルフィールズ内にある
ダニエル・デフォーのお墓の台座部分 -
1870年9月に設置された旨が記されている。
<筆者撮影>


1857年、もしくは、1858年の冬に落雷があり、ダニエル・デフォーが眠る墓石が破損。

そのため、1869年、ダニエル・デフォー用に新たなお墓をつくる運動が起き、大理石によるオベリスク(obelisk)形の墓石がデザインされ、ボーンマス(Bournemouth)の彫刻家サミュエル・ホーナー(Samuel Horner)がこれを制作。

1870年9月16日に、ダニエル・デフォーの子孫を招いて、除幕式が行われた。


左側がダニエル・デフォーのお墓で、
右側がウィリアム・ブレイクのお墓。
<筆者撮影>


現在、ダニエル・デフォーのお墓は、ウィリアム・ブレイクのお墓に隣り合うように建っている。


2026年5月13日水曜日

エルキュール・ポワロの世界 <ジグソーパズル>(The World of Hercule Poirot )- その32B

英国の HarperCollinsPublishers 社から現在出版されている
アガサ・クリスティー作「白昼の悪魔」の
ペーパーバック版の表紙 -
事件の舞台となるジョリーロジャーホテルが所在するデヴォン州の密輸業者島が、
デッキチェアの形に切り取られている。

アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)が1941年に発表した「白昼の悪魔(Evil Under the Sun)」の場合、エルキュール・ポワロ(Hercule Poirot → 2025年10月11日付ブログで紹介済)が、デヴォン州の密輸業者島(Smugglers’ Island)にあるジョリーロジャーホテル(Jolly Roger Hotel)に滞在して、静かな休暇を楽しんでいるところから、物語が始まる。


エルキュール・ポワロは、
英国の Orion Publishing Group Ltd. から2023年に発行されている
「エルキュール・ポワロの世界」と言うジグソーパズルの中央に立っている。
<筆者撮影>


同ホテルには、美貌の元女優で、実業家ケネス・マーシャル(Captain Kenneth Marshall)の後妻となったアリーナ・ステュアート・マーシャル(Arlena Stuart Marshall)も宿泊しており、周囲の異性に対して、魅力を振り撒きながら、避暑地を満喫していた。


ジョリーロジャーホテルには、ポワロとアリーナ・マーシャルの他に、以下の人物が宿泊していた。


* ケネス・マーシャル(実業家 - 以前、ロザモンド・ダーンリーと交際していたが、アリーナ・マーシャルと結婚)

* リンダ・マーシャル(Linda Marshall - ケネス・マーシャルの娘 / 継母のアリーナを疎ましく感じている)

* ホーレス・ブラット(Horace Blatt - ヨットが趣味)

 バリー少佐(Major Barry - 退役将校)

 ロザモンド・ダーンリー(Rosamund Darnley - ドレスメーカー / 以前、ケネス・マーシャルと交際していた)

 パトリック・レッドファン(Patrick Redfern - アリーナ・マーシャルと不倫関係にある)

 クリスティーン・レッドファン(Christine Redfern - パトリックの妻で、元教師。夫の不倫のため、アリーナ・マーシャルを恨んでいる)

 オーデル・C・ガードナー(Odell C. Gardener - 米国人)

 キャリー・ガードナー(Carrie Gardener - オーデルの妻)

 スティーヴン・レーン(Reverend Stephen Lane - 元牧師)

 エミリー・ブルースター(Emily Brewster - スポーツが趣味。以前、投資話でアリーナ・マーシャルに損害を負わされたため、彼女を恨んでいる)


ホテルの宿泊客の数名が、アリーナ・マーシャルの存在を疎ましく感じており、そんな不穏な空気の中、ポワロは、「白昼にも、悪魔は居る。(There is evil everywhere under the sun.)」と呟くのであった。


8月25日の朝、自分の部屋で朝食を済ませたポワロは、通常よりも30分程早い午前10時に、ホテルを出ると、Bathing Beach へと下りて行った。砂浜には、ポワロを除くと、アリーナ・マーシャルしか居なかった。

ポワロに手伝ってもらい、ボートに乗ったアリーナ・マーシャルは、ポワロに対して、「自分の居場所は、誰にも言わないで。一人になりたいの。」と秘密めかして言うと、岬を右へ曲がり、Sunny Ledge 方面へと向かった。「アリーナ・マーシャルには、内密の待ち合わせがあるようだ。多分、相手は、パトリック・レッドファンだ。」と、ポワロは理解した。

アリーナ・マーシャルが岬の先に姿を消した時、夫のケネス・マーシャルが砂浜に現れ、ポワロに妻の居場所を尋ねるが、ポワロは、アリーナ・マーシャルに頼まれた通り、知らない振りを通す。ケネス・マーシャルは、午前中、急いで送る必要がある手紙をいくつかタイプする仕事を抱えていた。

更に、アリーナ・マーシャルの不倫相手であるパトリック・レッドファンが砂浜に下りて来る。彼の様子から、アリーナ・マーシャルを探していることは、明白だった。彼女の居場所が判らないパトリック・レッドファンは、非常にイライラしていた。それでは、内密の待ち合わせへと向かったアリーナ・マーシャルの相手は、アリーナ・マーシャルではないのか?

続いて、米国人のオーデルとキャリーの ガードナー夫妻、そして、エミリー・ブルースターが、砂浜に姿を見せた。


ケネス・マーシャルの娘であるリンダ・マーシャルとパトリック・レッドファンの妻であるクリスティーン・レッドファンの2人は連れ立って、午前10時半にホテルを出発すると、Gull Cove へと向かった。午前中、日当たりが良い Gull Cove において、リンダ・マーシャルは海水浴を、クリスティーン・レッドファンは写生(スケッチ)をする予定だった。


ロザモンド・ダーンリーは、読書する本を携えて、Sunny Ledge へと出発した。


バリー少佐は、セントルー(St. Loo)へ観光に、また、スティーヴン・レーン牧師は、St. Petrock-in-the-Combe へウォーキングに、そして、ホーレス・ブラットは、ヨットで出かけていた。


上記の通り、午前中、アリーナ・マーシャルを除くホテルの宿泊客達は、各々、自由な時間を過ごしていたのである。


2024年に英国の HarperCollinsPublishers 社から出版された
アガサ・クリスティー作「白昼の悪魔」の
愛蔵版(ハードカバー版 → 2024年6月8日 / 6月12日付ブログで紹介済)に付されている
ジョリーロジャーホテルが建つ密輸業者島の略図 -
8月25日の昼前に、アリーナ・マーシャルの絞殺死体が、
Pixy Cove の砂浜において、発見された。
8月25日の午前中における各容疑者のアリバイは、以下の通り。
ケネス・マーシャルは、ホテルの自分の部屋で、急ぎの手紙をタイプしていた。
Bathing Beach には、エルキュール・ポワロと一緒に、パトリック・レッドファン、
ガードナー夫妻とエミリー・ブルースターが居た。
Sunny Ledge では、
ロザモンド・ダーンリーが読書していた。
Gull Cove では、
リンダ・マーシャルは海水浴を、
クリスティーン・レッドファンは写生(スケッチ)をしていた。
バリー少佐は、St. Loo へ観光に、
また、スティーヴン・レーン牧師は、St. Petrock-in-the-Combe へウォーキングに、
そして、ホーレス・ブラットは、ヨットで出かけていた。


昼前、エミリー・ブルースターを伴い、アリーナ・マーシャルを探しに、手漕ぎボートで出かけたパトリック・レッドファンは、Pixy Cove(妖精の入り江 / 洞窟)の浜辺に、水着の女性が倒れているのを発見する。パトリック・レッドファンを現場に残して、エミリー・ブルースターは、ボートを漕いで、ホテルへ助けを求めに戻った。

ホテルからの連絡を受けて、Pixy Cove へと駆け付けた地元警察によると、Pixy Cove の浜辺に倒れていた女性は、アリーナ・マーシャルで、男の手で絞殺されていたとの検死結果だった。


アリーナ・マーシャルに対して殺害動機を有する容疑者として、夫のケネス・マーシャルや不倫相手のパトリック・レッドファン等が浮かび上がるものの、完璧なアリバイがあるため、地元警察の捜査は難航する。

アリーナ・マーシャルを殺害した犯人を見つけ出すには、ポワロの登場が必要だった。ポワロは、州警察のウェストン警視正(Chief Constable Weston)とコルゲイト警部(Inspector Colgate)に協力して、捜査を進めるのだった。


(73)蝋人形(wax figure)



Pixy Cove の浜辺において、アリーナ・マーシャルが何者かによって絞殺された後、リンダ・マーシャルが睡眠薬で自殺を図った。ブードゥー教の呪文を用いて、継母のアリーナ・マーシャルを殺したと思い込んで、リンダ・マーシャルが罪悪感に苛まれていたことが、自殺を図った原因だと、ポワロは後に知る。リンダ・マーシャルがブードゥー教の呪文に使ったのが、蝋人形だった。


(74)ジョリーロジャーホテル(Jolly Roger Hotel)



事件の舞台となるのが、デヴォン州の密輸業者島にあるホテルで、ポワロはそこに滞在して、静かな休暇を楽しんでいた。