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| ケンサルグリーン墓地内にある 英国の画家ジョン・ウィリアム・ウォーターハウスの墓(その1) <筆者撮影> |
ケンサルグリーン墓地は、北側のハーロウロード(Harrow Road)と南側のグランドユニオンカナル(Grand Union Canal)と言う運河に挟まれたエリア内にある広大な共同墓地(約29ヘクタール)である。
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| 「Nicholson - Super Scale - London Atlas」から ケンサルグリーン墓地周辺の地図を抜粋。 |
ケンサルグリーン墓地は、英国の弁護士、雑誌編集者で、実業家でもあったジョージ・フレデリック・カーデン(George Frederick Carden:1798年ー1874年)が出資者となり、1833年にオープンした。
ケンサルグリーン墓地は、ハイゲイト墓地(Highgate Cemetery → 2018年11月4日 / 11月11日付ブログで紹介済)やブロンプトン墓地(Brompton Cemetery → 2015年9月6日付ブログで紹介済)と同じように、ロンドンの「7大墓地(Magnificent Seven)」の一つであるが、7大墓地の中で、一番最初に出来た共同墓地である。
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| 英国の Harper Collins Publishers 社から出版されている アガサ・クリスティー作ミス・マープルシリーズ 「鏡は横にひび割れて」のペーパーバック版の表紙 <イラスト:ビル・ブラッグ氏(Mr. Bill Bragg)> |
アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)が1962年に発表したミス・マープルシリーズ作品の長編第8作目「鏡は横にひび割れて(Mirror Crack’d from Side to Side)」の題名は、ヴィクトリア朝時代に活躍した英国の詩人である初代テニスン男爵アルフレッド・テニスン(Alfred Tennyson, 1st Baron Tennyson:1809年ー1892年)による詩「シャロット姫(The Lady of Shalott → 2024年9月27日付ブログで紹介済)」をベースにしている。
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| ナショナルポートレイトギャラリー(National Portrait Gallery)で展示されている アルフレッド・テニスンの肖像画 (By George Frederic Watts / Oil on canvas / 1863年ー1864年頃) <筆者撮影> |
Out flew the web and floated wide -
The mirror crack’d from side to side;
“The curse is come upon me,” cried
The Lady of Shalott.
織物はとびちり、ひろがれり
鏡は横にひび割れぬ
「ああ、呪いがわが身に」と、
シャロット姫は叫べり。
(橋本福夫訳)
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| 横にひび割れた鏡 - ジグソーパズル「アガサ・クリスティーの世界(The World of Agatha Christie)」の一部 <筆者撮影> |
英国の画家であるジョン・ウィリアム・ウォーターハウス(John William Waterhouse:1849年ー1917年)が、初代テニスン男爵アルフレッド・テニスンによる詩「シャロット姫」におけるクライマックスの場面を、1888年に「シャロット姫(The Lady of Shalott → 2024年9月28日付ブログで紹介済)」として描いている。
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| テイト・ブリテン美術館(Tate Britain → 2018年2月18日付ブログで紹介済)で購入した ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス作「シャロット姫」(1888年)の絵葉書 (Oil paint on canvas / 153 cm x 200 cm / Presented by Sir Henry Tate in 1894) |
ジョン・ウィリアム・ウォーターハウスは、1849年4月6日、画家の両親であるウィリアム・ウォーターハウス(William Waterhouse)とイザベラ・ウォーターハウス(Isabella Waterhouse)の子として、ローマ(Rome)に出生。
彼が5歳の時(1854年)、ウォーターハウス一家は、英国へと戻り、当時設立されて間もないヴィクトリア&アルバート美術館(Victoria and Albert Museum)に近い、ロンドンのサウスケンジントン地区(South Kensington)に住む。
少年期、ジョン・ウィリアム・ウォーターハウスは、画家である父ウィリアムの元で絵画を学び、1871年に英国王立美術院(Royal Academy)に入学した後、彫刻、その後、絵画を学んだ。
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| ケンサルグリーン墓地内にある 英国の画家ジョン・ウィリアム・ウォーターハウスの墓(その2) <筆者撮影> |
1874年、25歳になったジョン・ウィリアム・ウォーターハウスは、寓意画「眠りと異母兄弟の死(Sleep and his Half-brother Death)」を英国王立美術院の夏の展示会において発表して、好評を得る。
これにより、彼は、以降、1890年と1915年の2回を除き、1917年に死去するまでの毎年、英国王立美術院の展示会へ招かれた。
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| ケンサルグリーン墓地内にある 英国の画家ジョン・ウィリアム・ウォーターハウスの墓(その3) <筆者撮影> |
1883年、ジョン・ウィリアム・ウォーターハウスは、ロンドンのイーリング(Ealing)に住む美術教師の娘であるエステル・ケンワージー(Esther Kenworthy:1857年ー1944年)と結婚。エステル・ケンワージー自身も、絵画を英国王立美術院の展覧会等に出品している。
ジョン・ウィリアム・ウォーターハウスが、初代テニスン男爵アルフレッド・テニスンによる詩「シャロット姫」におけるクライマックスの場面を、「シャロット姫」として描いていたのは、1888年である。
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| ケンサルグリーン墓地内にある 英国の画家ジョン・ウィリアム・ウォーターハウスの墓(その4) <筆者撮影> |
1895年に、ジョン・ウィリアム・ウォーターハウスは、英国王立美術院の最高芸術院会員(full Academician)へと選出される。
彼は、セントジョンズウッド美術学校(St. John’s Wood Art School)で教鞭を執り、セントジョンズウッド芸術クラブ(St. John’s Wood Arts Club)にも参加。
その後、彼は、英国王立美術院評議会(Royal Academy Council)にも所属。
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| ケンサルグリーン墓地内にある 英国の画家ジョン・ウィリアム・ウォーターハウスの墓(その5) <筆者撮影> |
ジョン・ウィリアム・ウォーターハウスは、1915年頃には癌に侵され、それでも絵を描き続けたが、2年後の1917年2月10日に死去、享年67歳だった。
彼の遺体は、ケンサルグリーン墓地に葬られた。
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| アルマプレイスにあるウェストゲイト(その1) <筆者撮影> |
ケンサルグリーン墓地には、2つの出入口があり、東側は、ハーロウロードとラドブローク通り(Ladbroke)が交差する辺りにあり、こちらがメインゲイト(Main (East) Gate)となっている。
一方、西側は、ケンサルグリーン駅(Kensal Green Station)を出て、ハーロウロード沿いに少し西へ進んだところにあるアルマプレイス(Alma Place)から、墓地内へ入ることができ、こちらがウェストゲイト(West Gate)となっている。
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| アルマプレイスにあるウェストゲイト(その2) <筆者撮影> |
ジョン・ウィリアム・ウォーターハウスの墓は、ウェストゲイト側からケンサルグリーン墓地へと入り、真っ直ぐに南下して、グランドユニオンカナルの近くまで近付いた辺りに所在している。












































