2026年4月3日金曜日

ロンドン クロムウェルストリート21番地(21 Cromwell Street)

クロムウェルロードの北側に建つ自然史博物館を囲む柵のアップ
<筆者撮影>


アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)が1931年に発表した「シタフォードの謎(東京創元社)/ シタフォードの秘密(早川書房)(The Sittaford Mystery → 2026年3月19日 / 3月22日 / 3月30日付ブログで紹介済)」は、彼女が執筆した長編としては、第11作目に該り、エルキュール・ポワロやミス・ジェーン・マープル等が登場しないノンシリーズ作品である。


2025年に英国の HarperCollinsPublishers 社から出版された
アガサ・クリスティー作「シタフォードの謎」の
愛蔵版(ハードカバー版)の表紙
(Cover design and 
illustration
by Toby James / 
HarperCollinsPublishers Ltd. ) -
南アフリカから英国へとやって来たウィレット夫人と
娘のヴァイオレット・ウィレットが借りている
シタフォード荘において催され降霊術会で
霊が「
トリヴェリアン大佐が死んだ」と告げたため、
大佐の友人で、彼の安否を気遣った
ジョン・エドワード・バーナビー少佐が、
吹雪の中、大佐が住む
シタフォード村から6マイル離れたエクスハンプトン村の
ヘイゼルムーア荘を訪れる場面が描かれている。


海軍のジョーゼフ・アーサー・トリヴェリアン大佐(Captain Joseph Arthur Trevelyan)は、10年前に退役した後、デヴォン州(Devon)ダートムーア(Dartmoor)の周辺部に所在するシタフォード(Sittaford)と言う小さな村に退き、シタフォード荘(Sittaford House)と言う屋敷を建てて、そこに住んでいたが、ある年の10月の終わり頃、不動産エージェント経由、冬の間、シタフォード荘を借りたいと言う依頼があり、先方が提示した家賃の額も非常に良かったため、彼はシタフォード村から6マイル離れたエクスハンプトン(Exhampton)と言う村に所在するヘイゼルムーア荘(Hazelmoor)を借りて、転居した。

そして、南アフリカから英国へとやって来たウィレット夫人(Mrs. Willett)と娘のヴァイオレット・ウィレット(Miss Violet Willett)の2人がシタフォード荘に入居して、約2ヶ月が経過する。



12月のある金曜日の午後(午後3時半)、ウィレット母娘の2人は、シタフォード荘の周りに住む


*1号コテージ:ジョン・バーナビー少佐(Major John Edward Burnaby - ジョーゼフ・アーサー・トリヴェリアン大佐の友人)

*3号コテージ:ライクロフト氏(Mr. Rycroft - 心霊研究会(Psychical Research Society)会員)

*4号コテージ:ロナルド・ガーフィールド(Ronald Garfield - キャロライン・パーシハウス(Miss Caroline Percehouse - 未婚の婦人)の甥 / 愛称:ロニー(Ronnie))

*6号コテージ:デューク氏(Mr. Duke - 最近、シタフォード村に越して来た人物)


の4人をシタフォード荘のお茶会に招待する。4日間にわたって、雪が英国中で降り続き、シタフォード村でも、数フィートの雪が積もっていた。


クロムウェルロードの北側(その1)-
自然史博物館の建物をを見上げたところ
<筆者撮影>

お茶会の後、ロナルド・ガーフィールドが、他の5人に対して、テーブルターニング(table-turning / 降霊術会)を提案する。

テーブルターニングの最中、驚くことに、霊が「トリヴェリアン大佐が死んだ(Trevelyan Dead)」と告げた。霊のお告げを見たジョン・バーナビー少佐は、長年の友人であるジョーゼフ・トリヴェリアン大佐の安否を気遣う。

残念なことに、シタフォード荘には、電話がなく、ジョーゼフ・トリヴェリアン大佐が住むヘイゼルムーア荘に連絡をとることができない。また、今日までの降雪のため、道路は車が通れない状況だった。更に、これから大雪になると言う予報がが出ていた。

ジョーゼフ・トリヴェリアン大佐の安否を心配するジョン・バーナビー少佐は、シタフォード村から6マイル離れたエクスハンプトン村まで歩いて行くことを宣言すると、シタフォード荘を出て行った。


2025年に英国の HarperCollinsPublishers 社から出版された
アガサ・クリスティー作「シタフォードの謎」の愛蔵版(ハードカバー版)の内扉 
-
南アフリカから英国へとやって来たウィレット夫人と
娘のヴァイオレット・ウィレットが借りている
シタフォード荘において催され降霊術会で
霊が「
トリヴェリアン大佐が死んだ」と告げたため、
大佐の友人で、彼の安否を気遣った
ジョン・エドワード・バーナビー少佐が、
吹雪の中、大佐が住む
エクスハンプトン村(シタフォード村から6マイル離れている)の
ヘイゼルムーア荘を訪れるが、
地面に降り積もった雪の上に残された
ジョン・エドワード・バーナビー少佐の足跡が、
内扉にデザインされているものと思われる。


そして、2時間半後(午後8時前)、吹雪の中、ジョン・バーナビー少佐は、ジョーゼフ・トリヴェリアン大佐が住むヘイゼルムーア荘に到着。

ジョン・バーナビー少佐はヘイゼルムーア荘のベルを鳴らしたが、不思議なことに、屋内からは誰の応答もなかった。

不測の事態に困ったジョン・バーナビー少佐は、ヘイゼルムーア荘の近くにある派出所のグレイヴス巡査(Constable Graves)と派出所の直ぐ隣に住んでいるウォーレン医師(Dr. Warren)を呼んで、ヘイゼルムーア荘へと戻る。

そして、3人がヘイゼルムーア荘の書斎の窓から家の中に入ったところ、ジョーゼフ・トリヴェリアン大佐が床の上に横たわっているのを発見する。残念ながら、彼は既に死亡していた。

ウォーレン医師がジョーゼフ・トリヴェリアン大佐の死体を調べた結果、頭蓋骨の骨折が死因であり、凶器は死体の傍らに落ちていた砂が入った緑色の袋だった。


クロムウェルロードの南側(その1)-
画面奥に見えるのは、フランス人学校の建物。
<筆者撮影>


ジョン・バーナビー少佐が懸念していた通り、シタフォード荘で催されたテーブルターニングの最中、霊が告げた内容が本当のことになったのである。


クロムウェルロードの南側(その2)
<筆者撮影>


エクスハンプトン村から汽車で30分の場所にあるエクセター(Exeter)のナラコット警部(Inspector Narracott)が、捜査を担当する。

ウォルターズ&カークウッド(Walters & Kirkwood)弁護士事務所の弁護士フレデリック・カークウッド(Frederick Kirkwood)によると、ジョーゼフ・トリヴェリアン大佐の遺言に基づき、大佐の財産は、


(1)ジェニファー・ガードナー(Jennifer Gardner)- 大佐の妹 / エクセターのローレル荘(The Laurels)に在住 / 夫のロバート・ガードナー(Robert Gardner)は、戦争の後遺症のため、寝たきりの状態。


大佐のもう一人の妹であるメアリー・ピアスン(Mary Pearson)は既に死去していた関係上、


(2)ジェイムズ・ピアスン(James Pearson:28歳)- メアリーの長男(大佐の甥)/ ロンドンの保険会社に勤務

(3)シルヴィア・デリング(Sylvia Dering:25歳)- メアリーの長女(大佐の姪)/ ウィンブルドン(Wimbledon)のヌック荘(The Nook)に在住 / 夫のウィリアム・マーティン・デリング(William Martin Dering)は小説家

(4)ブライアン・ピアスン(Brian Pearson)- メアリーの次男(大佐の甥)/ オーストラリア(Australia)のニューサウスウェールズ(New South Wales)に在住


の4人で等分することになっていた。


クロムウェルロードの北側(その2)-
自然史博物館の建物をを振り返って見たところ
<筆者撮影>


エクセターのローレル荘に住むジェニファー・ガードナーの元を訪れたナラコット警部は、ジョーゼフ・トリヴェリアン大佐の親族のことを尋ねる。


‘Do you know how many relatives living your brother has besides yourself?’

‘Of near relation, only the Pearsons. My sister Mary’s children.’

‘And they are?’

‘James, Sylvia and Brian.’

‘James?’

‘He is the eldest. He works in an insurance office.’

‘What age is he?’

‘Twenty-eight.’

‘Is he married?’

‘No, but he is engaged - to a very nice girl, I believe. I’ve not yet met her.’

‘And his address?’

’21 Cromwell Street, S.W.3.’

The inspector noted it down.


クロムウェルロードの南側(その3)
<筆者撮影>


ジェニファー・ガードナーの妹メアリー・ピアスンの長男であるジェイムズ・ピアスンの住所は、「クロムウェルストリート21番地」となっているが、現在の住所表記上、ポストコード(日本の郵便番号に該当)「SW3(ロンドンの特別区の一つである「ケンジントン&チェルシー王立区(Royal Borough of Kensington and Chelsea)」のチェルシー地区(Chelsea))」内に、クロムウェルストリートは存在していない。

従って、ジェイムズ・ピアスンの住所「クロムウェルストリート21番地」は、架空の住所だと言える。


クロムウェルロードの東側から西方面を見たところ
<筆者撮影>


「ケンジントン&チェルシー王立区」内に、クロムウェルストリート」ではなく、「クロムウェルロード(Cromwell Road)」は存在している。

クロムウェルロードは、ポストコード「SW7」のブロンプトン地区(Brompton)内にある自然史博物館(National History Museum)の前から西の方へ延びる通りで、ポストコード「SW5」のアールズコート地区(Earl’s Court)内にある地下鉄アールズコート駅(Earl’s Court Tube Station)の前を南北に延びるアールズコートロード(Earl’s Court Road)と交差すると、ウェストクロムウェルロード(West Cromwell Road)へと名前を変え、更に西進する。

クロムウェルロード / ウェストクロムウェルロードは、ヒースロー空港(Heathrow Airport)へと至る幹線道路なので、昼夜を問わず、車の往来は激しい。 


2026年4月2日木曜日

エルキュール・ポワロの世界 <ジグソーパズル>(The World of Hercule Poirot )- その28B

英国の HarperCollinsPublishers 社から現在出版されている
アガサ・クリスティー作「死との約束」の
ペーパーバック版の表紙 -

黄色地に描かれた皮下注射器が毒蛇の形に切り取られている。


アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)が1938年に発表した中近東を舞台にした長編第3作目である「死との約束(Appointment with Death → 2021年3月13日付ブログで紹介済)」の場合、エルキュール・ポワロ(Hercule Poirot → 2025年10月11日付ブログで紹介済)が、休暇を兼ねて、エルサレム(Jerusalem)のキングソロモンホテル(King Solomon Hotel)に滞在しているところから、その物語が始まる。

エルサレムは、三大宗教にとっての聖地であり、ユダヤ教文化、キリスト教文化、そして、イスラム教文化が入り混じる魅惑の地であった。


エルキュール・ポワロは、
ジグソーパズル「エルキュール・ポワロの世界」の中央に立っている。
<筆者撮影>


「いいかい、彼女を殺してしまわなきゃいけないんだよ。(You do see, don’t you, that she’s got to be killed ?)」

ポワロがホテルに宿泊した最初の晩、開け放った窓から、夜の静けさをぬって、男女の危険な囁き声をポワロは耳にした。どこへ行こうとも、彼には、犯罪が付いて回るのだろうか?


同じホテルに滞在しているボイントン一家は、行く先々で皆の注目を集めていた。

家族の行動は、全て、母親であるボイントン夫人(Mrs. Boynton)中心に回っていて、全ての面において、彼女は家族の行動を監視するとともに、厳しい批判を行っていた。ボイントン夫人は、残酷な仕打ちそのものに非常な喜びを見出す精神的なサディストであり、可哀想なことに、彼女の家族全員がそのはけ口となっていたのである。


ヨルダン(Jordan)の古都ペトラ(Petra)にある遺跡等を見物するため、ボイントン一家が旅行に出かけた際、彼らが滞在しているキャンプ地において、殺人事件が発生する。

家族を見物に行かせて、キャンプ地に一人残ったボイントン夫人が、洞窟の入口近くで、多量のジギトキシンを皮下注射器で投与され、殺害されているのが見つかったのである。


ジギトキシン(Digitoxin)の化学式(構造式)-
Bloomsbury Publishing Plc から出版された
キャサリン・ハーカップ作「アガサ・クリスティーと14の毒薬
(A is for Arsenic - The Poisons of Agatha Christie by Kathryn Harkup
→ 2020年5月17日 / 5月24日付ブログで紹介済)」の
ペーパーバック版から抜粋。


現地の警察署長で、ポワロの旧友でもあるカーバリー大佐(Colonel Carbury)は、偶然にも、現地に居合わせたポワロに助力を求める。


エルキュール・ポワロとカーバリー大佐を除く主な登場人物は、以下の通り。


(1)ボイントン夫人: 一家を支配する金持ちの老婦人

(2)レノックス・ボイントン(Lennox Boynton): ボイントン夫人の(義理の)長男

(3)ネイディーン・ボイントン(Nadine Boynton): レノックスの妻

(4)レイモンド・ボイントン(Raymond Boynton): ボイントン夫人の(義理の)次男

(5)キャロル・ボイントン(Carol Boynton): ボイントン夫人の(義理の)長女

(6)ジネヴラ・ボイントン(Ginevra Boynton): ボイントン夫人の次女

(7)ジェファーソン・コープ(Jefferson Cope): ネイディーンの友人(米国人)

(8)サラ・キング(Sarah King): 女医

(9)テオドール・ジェラール(Theodore Gerard): 心理学者(フランス人)

(10)ウェストホルム卿夫人(Lady Westholme): 英国下院議員

(11)アマベル・ピアス(Amabel Pierce): 保母


アガサ・クリスティーの小説版は、2部構成になっており、第一部については、ボイントン夫人が殺害されるまでが、そして、第2部においては、ボイントン夫人が殺害された後の顛末が描かれている。

ポワロは、全編にわたって登場する訳ではなく、キングソロモンホテルにおいて男女の危険な囁き声を耳にするプロローグと第2部のみである。


(65)ペトラ(Petra)



ヨルダンの古都ペトラにある遺跡等を見物するため、旅行に出かけたボイントン一家が滞在しているキャンプ地が、今回の事件の舞台となる。


(66)皮下注射器(hypodermic syringe)



ボイントン一家が滞在しているキャンプ地において、家族を見物に行かせた後、キャンプ地に一人残ったボイントン夫人が、洞窟の入口近くで、多量のジギトキシンを皮下注射器で投与されて、殺害されると言う事件が発生するのである。


2026年4月1日水曜日

ロンドン ケンブリッジストリート114番地(114 Cambridge Street)

挿絵入り文芸誌「イエローブック」を創刊して、同誌の美術担当編集主任となり、

経済的に余裕ができたオーブリー・ビアズリーが1894年に購入した

ケンブリッジストリート114番地の建物正面(その1)

<筆者撮影>


アイルランド出身の詩人 / 作家 / 劇作家で、シャーロック・ホームズシリーズの作者サー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Sir Arthur Ignatius Conan Doyle:1859年ー1930年)の友人でもあったオスカー・フィンガル・オフラハティ・ウィルス・ワイルド(Oscar Fingal O’Flahertie Wills Wilde:1854年ー1900年)による一幕物の悲劇である戯曲「サロメ(Salome → 2026年3月11日 / 3月12日付ブログで紹介済)」は、1891年にフランス語で執筆されて、1893年にパリで出版された。

同戯曲の英訳版は、1894年に出版されているが、当時、オスカー・ワイルドの同性の恋人だった第9代クイーンズベリー侯爵ジョン・ショルト・ダグラス(John Sholto Douglas, 9th Marquess of Queensberry:1844年ー1900年)の三男で、作家 / 詩人 / 翻訳家のアルフレッド・ブルース・ダグラス卿(Lord Alfred Bruce Douglas:1870年ー1945年)が英訳を行ったものの、出来が悪かったため、オスカー・ワイルド自身が、その英訳を修正している。

同戯曲の英訳版には、英国のイラストレーター / 詩人 / 小説家であるオーブリー・ヴィンセント・ビアズリー(Aubrey Vincent Beardsley:1872年ー1898年)による挿画が使用されている。


オスカー・ワイルド作戯曲「サロメ」の英訳版に付されている
オードリー・ビアズリーによる挿画


オーブリー・ビアズリーは、1894年に、米国の作家であるヘンリー・ハーランド(Henry Harland:1861年ー1905年)と一緒に、挿絵入り文芸誌「イエローブック(The Yellow Book)」を創刊して、同誌の美術担当編集主任となった。


テイト・ブリテン美術館(Tate Britain
→ 2018年2月18日付ブログで紹介済)
で販売されている
オーブリー・ヴィンセント・ビアズリー作
「Cover Design for 'The Yellow Book' Volume 1」
(1894年 / ink on paper / 26 cm x 21.6 cm)-
「イエローブック(The Yellow Book)」とは、
オーブリー・ヴィンセント・ビアズリーが1894年に創刊した挿絵入りの文芸誌で、
彼は同誌の美術担当編集主任を務めている。


経済的に余裕ができたオーブリー・ビアズリーは、同年、現在のシティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)ピムリコ地区(Pimlico)内にあるケンブリッジストリート114番地(114 Cambridge Street)を購入して、1歳上の姉メイベル・ビアズリー(Mable Beardsley:1871年ー1916年)と同居。



この建物は、ビアズリー一家が1888年にイングランド南部のサセックス州(Sussex)ブライトン(Brighton)からロンドンに移った際に住んだケンブリッジストリート32番地(32 Cambridge Street → 2026年3月26日付ブログで紹介済)と同じ通り沿いに所在している。


挿絵入り文芸誌「イエローブック」を創刊して、同誌の美術担当編集主任となり、

経済的に余裕ができたオーブリー・ビアズリーが1894年に購入した

ケンブリッジストリート114番地の建物正面(その2)

<筆者撮影>


ケンブリッジストリート114番地は、地下鉄ヴィクトリアライン(Victoria Line)が停まる地下鉄ピムリコ駅(Pimlico Tube Station)とヴィクトリア駅(Victoria Station → 2015年6月13日付ブログで紹介済)の間に所在している。

ケンブリッジストリート(Cambridge Street)の南側は、地下鉄ピムリコ駅から西へ延びるルプスストリート(Lupus Street)から始まり、北西に延びて、その北側は、ヴィクトリア駅の東側を走るヒューストリート(Hugh Street)にぶつかって終わっている。

ヒューストリートの北側は、ヴィクトリア駅から南側に延びる線路となっている。


「Nicholson - Super Scale - London Atlas」から
ピムリコ地区の地図を抜粋。


ケンブリッジストリート114番地の建物は、北側のサセックスストリート(Sussex Street)と南側のグロースターストリート(Gloucester Street)に挟まれたケンブリッジストリートの西側に建っている。

ケンブリッジストリートを挟んで、ケンブリッジストリート114番地の建物の反対側には、英国国教会のセントゲイブリエル教会(St. Gabriel’s Church)が建っている。


ケンブリッジストリートの南側から
セントゲイブリエル教会を見たところ
<筆者撮影>

セントゲイブリエル教会を下から見上げたところ
<筆者撮影>


ケンブリッジストリート32番地とケンブリッジストリート114番地は、200ー300 m 程離れており、ケンブリッジストリート114番地の方が、ヴィクトリア駅からやや遠くなっているが、生活環境としては、こちらの方がかなり上だと思われる。


ケンブリッジストリート114番地の建物入口

<筆者撮影>


ケンブリッジストリート114番地の建物入口横外壁には、

オーブリー・ビアズリーがここに住んでいたことを示すブループラークが掛けられている。

<筆者撮影>


ケンブリッジストリート114番地の建物の外壁には、オーブリー・ビアズリーがここに住んでいたことを示す London City Council のブループラークが掛けられている。

ブループラークは、一個人一つに限定されている関係上、ケンブリッジストリート32番地の建物の外壁には、ブループラークは掛けられていない。


2026年3月31日火曜日

エルキュール・ポワロの世界 <ジグソーパズル>(The World of Hercule Poirot )- その28A

英国の HarperCollinsPublishers 社から以前に出版されていた
アガサ・クリスティー作「死との約束」ペーパーバック版の表紙 -
本作品の事件(家族を見物に行かせて、
キャンプ地に一人残ったボイントン夫人が、洞窟の入口近くで、
多量のジギトキシンを皮下注射器で投与されて、殺害される)の舞台となる
ヨルダンの古都ペトラにある遺跡が描かれている。


英国の Orion Publishing Group Ltd. から2023年に発行されている「エルキュール・ポワロの世界(The World of Hercule Poirot)」と言うジグソーパズル内に散りばめられているエルキュール・ポワロシリーズの登場人物や各作品に関連した112個の手掛かりについて、引き続き、紹介したい。

前回に引き続き、各作品に出てくる登場人物、建物や手掛かり等が、その対象となる。


ジグソーパズル「エルキュール・ポワロの世界」の完成形
<筆者撮影>


(65)ペトラ(Petra)



ジグソーパズルの右下に設置されているガラスケース内の後列真ん中に、ヨルダン(Jordan)の古都ペトラにある遺跡の模型が置かれている。


(66)皮下注射器(hypodermic syringe)



ジグソーパズルの下段の一番左手にあるテーブルに寄せられた椅子の近くに、皮下注射器が置かれている。


これらから連想されるのは、アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)が1938年に発表した「死との約束(Appointment with Death → 2021年3月13日付ブログで紹介済)」である。

「死との約束」は、アガサ・クリスティーが執筆した長編としては、第23作目に、そして、エルキュール・ポワロシリーズの長編としては、第16作目に該っている。


本作品は、「メソポタミアの殺人(Murder in Mesopotamia → 2020年11月8日付ブログで紹介済)」(1936年)と「ナイルに死す(Death on the Nile → 2020年10月4日付ブログで紹介済)」(1937年)に続く中近東を舞台にした長編第3作目でもある。


エルキュール・ポワロは、
ジグソーパズル「エルキュール・ポワロの世界」の中央に立っている。
<筆者撮影>


エルキュール・ポワロ(Hercule Poirot → 2025年10月11日付ブログで紹介済)は、休暇を兼ねて、エルサレム(Jerusalem)のキングソロモンホテル(King Solomon Hotel)に滞在していた。エルサレムは、三大宗教にとっての聖地であり、ユダヤ教文化、キリスト教文化、そして、イスラム教文化が入り混じる魅惑の地であった。


「いいかい、彼女を殺してしまわなきゃいけないんだよ。(You do see, don’t you, that she’s got to be killed ?)」

ポワロがホテルに宿泊した最初の晩、開け放った窓から、夜の静けさをぬって、男女の危険な囁き声をポワロは耳にした。どこへ行こうとも、彼には、犯罪が付いて回るのだろうか?


同じホテルに滞在しているボイントン一家は、行く先々で皆の注目を集めていた。

家族の行動は、全て、母親であるボイントン夫人(Mrs. Boynton)中心に回っていて、全ての面において、彼女は家族の行動を監視するとともに、厳しい批判を行っていた。ボイントン夫人は、残酷な仕打ちそのものに非常な喜びを見出す精神的なサディストであり、可哀想なことに、彼女の家族全員がそのはけ口となっていたのである。


2026年3月30日月曜日

<第2100回> アガサ・クリスティー作「シタフォードの謎」<小説版(愛蔵版)>(The Sittaford Mystery by Agatha Christie )- その3

2025年に英国の HarperCollinsPublishers 社から出版された
アガサ・クリスティー作「シタフォードの謎」の愛蔵版(ハードカバー版)の内扉 
-
南アフリカから英国へとやって来たウィレット夫人と
娘のヴァイオレット・ウィレットが借りている
シタフォード荘において催され降霊術会で
霊が「
トリヴェリアン大佐が死んだ」と告げたため、
大佐の友人で、彼の安否を気遣った
ジョン・エドワード・バーナビー少佐が、
吹雪の中、大佐が住む
エクスハンプトン村(シタフォード村から6マイル離れている)の
ヘイゼルムーア荘を訪れるが、
地面に降り積もった雪の上に残された
ジョン・エドワード・バーナビー少佐の足跡が、
内扉にデザインされているものと思われる。

海軍のジョーゼフ・アーサー・トリヴェリアン大佐(Captain Joseph Arthur Trevelyan)は、10年前に退役した後、デヴォン州(Devon)ダートムーア(Dartmoor)の周辺部に所在するシタフォード(Sittaford)と言う小さな村に退き、シタフォード荘(Sittaford House)と言う屋敷を建てて、そこに住んでいたが、ある年の10月の終わり頃、不動産エージェント経由、冬の間、シタフォード荘を借りたいと言う依頼があり、先方が提示した家賃の額も非常に良かったため、彼はシタフォード村から6マイル離れたエクスハンプトン(Exhampton)と言う村に所在するヘイゼルムーア荘(Hazelmoor)を借りて、転居した。

そして、南アフリカから英国へとやって来たウィレット夫人(Mrs. Willett)と娘のヴァイオレット・ウィレット(Miss Violet Willett)の2人がシタフォード荘に入居して、約2ヶ月が経過する。


12月のある金曜日の午後(午後3時半)、ウィレット母娘の2人は、シタフォード荘の周りに住む


*1号コテージ:ジョン・バーナビー少佐(Major John Edward Burnaby - ジョーゼフ・アーサー・トリヴェリアン大佐の友人)

*3号コテージ:ライクロフト氏(Mr. Rycroft - 心霊研究会(Psychical Research Society)会員)

*4号コテージ:ロナルド・ガーフィールド(Ronald Garfield - キャロライン・パーシハウス(Miss Caroline Percehouse - 未婚の婦人)の甥 / 愛称:ロニー(Ronnie))

*6号コテージ:デューク氏(Mr. Duke - 最近、シタフォード村に越して来た人物)


の4人をシタフォード荘のお茶会に招待する。4日間にわたって、雪が英国中で降り続き、シタフォード村でも、数フィートの雪が積もっていた。


お茶会の後、ロナルド・ガーフィールドが、他の5人に対して、テーブルターニング(table-turning / 降霊術会)を提案する。

テーブルターニングの最中、驚くことに、霊が「トリヴェリアン大佐が死んだ(Trevelyan Dead)」と告げた。霊のお告げを見たジョン・バーナビー少佐は、長年の友人であるジョーゼフ・トリヴェリアン大佐の安否を気遣う。

残念なことに、シタフォード荘には、電話がなく、ジョーゼフ・トリヴェリアン大佐が住むヘイゼルムーア荘に連絡をとることができない。また、今日までの降雪のため、道路は車が通れない状況だった。更に、これから大雪になると言う予報がが出ていた。

ジョーゼフ・トリヴェリアン大佐の安否を心配するジョン・バーナビー少佐は、シタフォード村から6マイル離れたエクスハンプトン村まで歩いて行くことを宣言すると、シタフォード荘を出て行った。


そして、2時間半後(午後8時前)、吹雪の中、ジョン・バーナビー少佐は、ジョーゼフ・トリヴェリアン大佐が住むヘイゼルムーア荘に到着。

ジョン・バーナビー少佐はヘイゼルムーア荘のベルを鳴らしたが、不思議なことに、屋内からは誰の応答もなかった。

不測の事態に困ったジョン・バーナビー少佐は、ヘイゼルムーア荘の近くにある派出所のグレイヴス巡査(Constable Graves)と派出所の直ぐ隣に住んでいるウォーレン医師(Dr. Warren)を呼んで、ヘイゼルムーア荘へと戻る。

そして、3人がヘイゼルムーア荘の書斎の窓から家の中に入ったところ、ジョーゼフ・トリヴェリアン大佐が床の上に横たわっているのを発見する。残念ながら、彼は既に死亡していた。

ウォーレン医師がジョーゼフ・トリヴェリアン大佐の死体を調べた結果、頭蓋骨の骨折が死因であり、凶器は死体の傍らに落ちていた砂が入った緑色の袋だった。


ジョン・バーナビー少佐が懸念していた通り、シタフォード荘で催されたテーブルターニングの最中、霊が告げた内容が本当のことになったのである。


エクスハンプトン村から汽車で30分の場所にあるエクセター(Exeter)のナラコット警部(Inspector Narracott)が、捜査を担当する。

ウォルターズ&カークウッド(Walters & Kirkwood)弁護士事務所の弁護士フレデリック・カークウッド(Frederick Kirkwood)によると、ジョーゼフ・トリヴェリアン大佐の遺言に基づき、大佐の財産は、


(1)ジェニファー・ガードナー(Jennifer Gardner)- 大佐の妹 / エクセターのローレル荘(The Laurels)に在住 / 夫のロバート・ガードナー(Robert Gardner)は、戦争の後遺症のため、寝たきりの状態。


大佐のもう一人の妹であるメアリー・ピアスン(Mary Pearson)は既に死去していた関係上、


(2)ジェイムズ・ピアスン(James Pearson:28歳)- メアリーの長男(大佐の甥)/ ロンドンの保険会社に勤務

(3)シルヴィア・デリング(Sylvia Dering:25歳)- メアリーの長女(大佐の姪)/ ウィンブルドン(Wimbledon)のヌック荘(The Nook)に在住 / 夫のウィリアム・マーティン・デリング(William Martin Dering)は小説家

(4)ブライアン・ピアスン(Brian Pearson)- メアリーの次男(大佐の甥)/ オーストラリア(Australia)のニューサウスウェールズ(New South Wales)に在住


の4人で等分することになっていた。


ナラコット警部による捜査の結果、ジョーゼフ・トリヴェリアン大佐が殺害された日、ジェイムズ・ピアスンは、ロンドンからエクスハンプトン村に来ており、大佐から借金しようとしたが、断られていたことが判明。そのため、ジェイムズ・ピアスンは、大佐殺害容疑で逮捕されてしまう。


ジェイムズ・ピアスンの婚約者であるエミリー・トレファシス(Emily Trefusis)は、彼の無実を信じて、独自に事件を調べ始める。

その過程で知り合ったディリーワイヤー誌(Daily Wire)の記者であるチャールズ・エンダビー(Charles Enderby)と一緒に、 エミリー・トレファシスは、シタフォード荘の庭師だったカーティス夫妻(Mr. & Mrs. Curties)の家(5号コテージ)に滞在して、ジョーゼフ・トリヴェリアン大佐を殺害した真犯人の手掛かりを探すのであった。


2026年3月29日日曜日

オーブリー・ヴィンセント・ビアズリー(Aubrey Vincent Beardsley)- その3

オスカー・ワイルド作戯曲「サロメ」の英訳版に付されている
オードリー・ビアズリーによる挿画(その1)


後に英国のイラストレーター / 詩人 / 小説家となるオーブリー・ヴィンセント・ビアズリー(Aubrey Vincent Beardsley:1872年ー1898年)は、行きつけの書店の主人であるフレデリック・エヴァンズの紹介により、出版業者のJ・M・デント(J. M. Dent)と知り合い、1893年から約1年半にわたって、トマス・マロリー(Thomas Malory:1399年ー1471年)作「アーサー王の死(Le Morte d’Arthur)」の挿絵を描いた。これによって、彼はイラストレーターとしてのデビューを飾る。


1893年6月にパリから帰国したオーブリー・ビアズリーは、アイルランド出身の詩人 / 作家 / 劇作家で、シャーロック・ホームズシリーズの作者サー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Sir Arthur Ignatius Conan Doyle:1859年ー1930年)の友人でもあったオスカー・フィンガル・オフラハティ・ウィルス・ワイルド(Oscar Fingal O’Flahertie Wills Wilde:1854年ー1900年)による一幕物の悲劇である戯曲「サロメ(Salome → 2026年3月11日 / 3月12日付ブログで紹介済)」に挿画を提供する契約を締結。


ナショナルポートレートギャラリー(National Portrait Gallery)で販売されている
オスカー・ワイルドの写真の葉書
(Napoleon Sarony / 1882年 / Albumen panel card
305 mm x 184 mm) 


戯曲「サロメ」は、1891年にオスカー・ワイルドによりフランス語で執筆されて、1893年にパリで出版された。

同戯曲の英訳版は、1894年に出版されているが、当時、オスカー・ワイルドの同性の恋人だった第9代クイーンズベリー侯爵ジョン・ショルト・ダグラス(John Sholto Douglas, 9th Marquess of Queensberry:1844年ー1900年)の三男で、作家 / 詩人 / 翻訳家のアルフレッド・ブルース・ダグラス卿(Lord Alfred Bruce Douglas:1870年ー1945年)が英訳を行ったものの、出来が悪かったため、オスカー・ワイルド自身が、その英訳を修正している。

当初、オーブリー・ビアズリーは、戯曲「サロメ」の英訳者となることを望んでいたものの、残念ながら、彼の希望は叶えられなかった。


戯曲「サロメ」の英訳版への挿絵提供を依頼したのは、作者であるオスカー・ワイルド自身であったが、彼は、出来上がったオーブリー・ビアズリーについて、「自分の劇はビザンティン的なのに対して、ビアズリーの挿絵はあまりにも、日本的だ。」とコメントしており、お気に召さなかったようである。


オスカー・ワイルド作戯曲「サロメ」の英訳版に付されている
オードリー・ビアズリーによる挿画(その2


オーブリー・ビアズリーは、1894年に、米国の作家であるヘンリー・ハーランド(Henry Harland:1861年ー1905年)と一緒に、挿絵入り文芸誌「イエローブック(The Yellow Book)」を創刊して、同誌の美術担当編集主任となった。


テイト・ブリテン美術館(Tate Britain
→ 2018年2月18日付ブログで紹介済)
で販売されている
オーブリー・ヴィンセント・ビアズリー作
「Cover Design for 'The Yellow Book' Volume 1」
(1894年 / ink on paper / 26 cm x 21.6 cm)-
「イエローブック(The Yellow Book)」とは、
オーブリー・ヴィンセント・ビアズリーが1894年に創刊した挿絵入りの文芸誌で、
彼は同誌の美術担当編集主任を務めている。


経済的に余裕ができたオーブリー・ビアズリーは、同年、現在のシティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)ピムリコ地区(Pimlico)内にあるケンブリッジストリート114番地(114 Cambridge Street)を購入して、1歳上の姉メイベル・ビアズリー(Mable Beardsley:1871年ー1916年)と同居。

この建物は、ビアズリー一家が1888年にイングランド南部のサセックス州(Sussex)ブライトン(Brighton)からロンドンに移った際に住んだケンブリッジストリート32番地(32 Cambridge Street → 2026年3月26日付ブログで紹介済)と同じ通り沿いに所在している。


オーブリー・ビアズリーが1888年にブライトンの初等中学校を卒業した後、

ビアズリー一家が移り住んだケンブリッジストリート32番地の建物正面

<筆者撮影>


1895年4月5日、オスカー・ワイルドがアルフレッド・ブルース・ダグラスとの男色の罪状で逮捕される。

オーブリー・ビアズリー自身は男色家ではなかったものの、戯曲「サロメ」の英訳版への挿絵提供以降、彼はオスカー・ワイルドと同一視されていたため、当時の世論から猛攻撃を受けてしまい、その結果、前年に創刊した挿絵入り文芸誌「イエローブック」から追放されると言う憂き目に遭った。

そして、オーブリー・ビアズリーは、同年4月20日、追われるようにロンドンからパリへと渡る。


ヴァインストリート(Vine Street → 2025年9月19日付ブログで紹介済)の西側入口から
東側の行き止まりを見たところ -
アルフレッド・ブルース・ダグラス卿は、オスカー・ワイルドと同性愛の関係にあったため、
ヴァインストリート警察署において逮捕されている。

<筆者撮影>


同年5月5日にパリから帰国したオーブリー・ビアズリーは、同年7月にケンブリッジストリート114番地からリージェンツパーク(Regent’s Park → 2016年11月19日付ブログで紹介済)近くのチェスターテラス(Chester Terrace)の借家に転居すると、その後、フランスのディエップ(Dieppe)を訪問。