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| モーツァルト一家がロンドンで最初に滞在した セシルコート11番地の建物を正面から見たところ <筆者撮影> |
アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)が1938年に発表した「ポワロのクリスマス(Hercule Poirot’s Christmas)」において、アドルスフィールドのロングデイルにある屋敷ゴーストンホールの当主シメオン・リー( Simeon Lee)がクリスマスに呼び集められた彼の四男で芸術家のデイヴィッド・リー(David Lee)に対して、妻のヒルダ・リー(Hilda Lee)がリクエストしたピアノ曲の作曲者は、主にオーストリアを活動拠点とした音楽家のヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart:1756年ー1791年)である。
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英国の HarperCollinsPublishers 社から以前に出版されていた アガサ・クリスティー作「ポワロのクリスマス」のペーパーバック版の表紙 -ゴーストンホールの2階の「密室」状態の自室において、 喉を切り裂かれて惨殺された当主のシメオン・リーを暗示するように、 彼の部屋のドアが表紙に描かれている。 |
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトは、8歳の時(1764年)、父親のヨーハン・ゲオルク・レオポルト・モーツァルト(Johann Georg Leopold Mozart:1719年ー1787年)と一緒に、ロンドンを訪れて、約15ヶ月間滞在している。
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| ナショナルポートレートギャラリー(National Portrait Gallery)内で所蔵 / 展示されている ハノーヴァー朝の第3代英国王であるジョージ3世の肖像画 (By the studio of Allan Ramsay / Oil on canvas / based on a portrait of 1761 - 1762) <筆者撮影> |
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| ナショナルポートレートギャラリー内で所蔵 / 展示されている ジョージ3世の王妃である ソフィア・シャーロット・オブ・メクレンバーグ=ストレリッツ (1744年ー1818年)の肖像画 (By the studio of Allan Ramsay / Oil on canvas / based on a portrait of 1761 - 1762) <筆者撮影> |
ロンドンに着いて、僅か4日後に、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトは、5歳年上の姉マリア・アンナ・モーツァルト(Maria Anna Walburga Ignatia Mozart:1751年ー1829年 - 愛称:ナンネル(Nannerl))と共に、ハノーヴァー朝の第3代国王であるジョージ3世(George III:1683年ー1820年 在位期間:1760年ー1820年)の前で演奏を披露している。
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| オレンジスクエア内に建つ「若きモーツァルト像」を正面から見たところ - 「若きモーツァルト像」の背後で左右に延びる通りが、エバリーストリート。 <筆者撮影> |
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| オレンジスクエアの案内板 - ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトのロンドン滞在のことが説明されている。 <筆者撮影> |
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| ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトを含むモーツァルト一家がロンドン訪問時に滞在していた エバリーストリート180番地の建物全景 <筆者撮影> |
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| エバリーストリート180番地の1階の外壁には、 「ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトが、1764年にここで最初の交響曲を作曲した」ことを示す プラークが掛けられている。 <筆者撮影> |
モーツァルト一家は、オレンジスクエア(Orange Square → 2026年4月8日付ブログで紹介済)のすぐ近くにあるエバリーストリート180番地(180 Ebury Street → 2026年4月12日付ブログで紹介済)に滞在していたが、その前に、彼らはセシルコート(Cecil Court)に居た。
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| セシルコートの西端において、北側の建物を見上げたところ <筆者撮影> |
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| セシルコートの西側から東側を見たところ - 画面右側中央に見える赤い建物が、 モーツァルト一家がロンドンで最初に滞在したセシルコート11番地。 <筆者撮影> |
セシルコートは、ロンドンの中心部シティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)のストランド地区(Strand)内にある。
セシルコートは、トラファルガースクエア(Trafalgar Square)に面して建つナショナルギャラリー(National Gallery)から北上するセントマーティンズレーン( St. Martin’s Lane → 2015年12月20日 / 2026年1月28日付ブログで紹介済)とチャリングクロスロード(Charing Cross Road)を東西に結ぶ小道で、左右にはアンティークショップ等の小売店が軒を連ねている。
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| モーツァルト一家がロンドンで最初に滞在したセシルコート11番地に 近付いたところ(その1) <筆者撮影> |
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| モーツァルト一家がロンドンで最初に滞在したセシルコート11番地に 近付いたところ(その2) <筆者撮影> |
欧州大陸からロンドンへ演奏旅行にやって来たモーツァルト一家が最初に滞在した場所は、セシルコート9番地(9 Cecil Couty - 現在、Mark Sullivan & Son と言うアンティークショップが入居)とセシルコート11番地(11 Cecil Couty - 現在、Liberty Joy Archive と言う洋服屋が入居)のどちらかであるが、モーツァルト一家の滞在を示すプラークが、セシルコート9番地とセシルコート11番地の間の柱に掛けられているため、判りづらい。ただ、柱の位置関係から考慮すると、モーツァルト一家がロンドンで最初に滞在した場所は、「セシルコート11番地」の方だと思われる。
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| モーツァルト一家がロンドンで最初に滞在したセシルコート11番地の柱に掛けられた プラークに近付いたところ(その1) <筆者撮影> |
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| モーツァルト一家がロンドンで最初に滞在したセシルコート11番地の柱に掛けられた プラークに近付いたところ(その2) <筆者撮影> |
Cecil Court Traders Association が掛けたプラークによると、セシルコート11番地には、当時、John Cousin と言う理髪師が住んでおり、もしくは、理髪店を営んでおり、モーツァルト一家は、1764年の4月から8月までの間、ここに滞在していたようである。









































