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| タヴィストックプレイス通りの北側から タヴィストックプレイス32番地の建物全景を見たところ <筆者撮影> |
ジェローム・K・ジェロームは、1859年に、信徒伝道者である父親ジェローム・クラップ(Jerome Clapp)と母親マーガリート・ジョーンズ(Marguerite Jones)の4番目の子供として、ウェストミッドランズ(West Midlands - 当時は、スタッフォード州(Staffordshire))のウォルソール(Walsall)に出生。彼の上には、兄(幼くして死去)が1人と姉が2人。彼は、父親の改名に従い、ジェローム・クラップ・ジェロームと命名された。
ジェローム・K・ジェロームの父親が地方鉱工業への投資に失敗したため、一家は貧窮して、彼は貧窮の中で育った。
彼は、政治か、あるいは、文学の道へ進むことを望んでいたが、彼が13歳の時に、父親が、更に、15歳の時に、母親が亡くなったため、学校を辞めて、働かざるを得なくなり、ロンドン&ノースウェスタン鉄道に職を得た。
1877年、姉の演劇熱の影響を受けて、ジェローム・K・ジェロームは、役者を志して、ある移動劇団に加わった。それから3年間、彼は役者を続けたものの、うだつの上がらず、次は、ジャーナリストになるべく、随筆、風刺文や短編小説を書いたが、不採用の日々が続いた。その後、彼は、教師、梱包業者や事務弁護士の秘書等の職を転々とした。
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| タヴィストックプレイス32番地の建物を見上げたところ <筆者撮影> |
最終的に、ジェローム・K・ジェロームは、1885年に「On the Stage - and Off」を発表して、作家としての道を切り開き、翌年の1886年には、ユーモア随筆集の「Idle Thought of an Idle Fellow」を刊行した。
1888年6月に、ジェローム・K・ジェロームは、離婚歴があり、娘が1人居るジョージーナ・エリザベス・ヘンリエッタ・スタンリー・マリス(Georgina Elizabeth Henrietta Stanley Marris)と結婚。
ジェローム・K・ジェロームは、テムズ河(Thames River)で過ごした新婚旅行をベースにして、ユーモア旅行小説「ボートの三人男(Three Men in a Boat)」を執筆し始め、登場人物としては、彼の妻の代わりに、彼の親友二人を使った。1889年に出版された「ボートの三人男」は、直ぐに大当たりをとり、その後、映画、テレビドラマ、ラジオドラマ、舞台劇やミュージカルとして採用されたのである。
経済的な安定を得たジェローム・K・ジェロームは、その後も、戯曲、随筆や小説を書き続けたものの、残念ながら、「ボートの三人男」の成功を超えることはできなかった。
1898年に、彼は、ドイツでの滞在経験をベースにして、「ボートの三人男」の続編に該る「Three Men on the Bummel」を執筆し、「ボートの三人男」と同じ登場人物で、外国での自転車旅行をテーマにしたが、あまり大きな成功とはならず、これらのことが、彼の気分を滅入らせた。
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| タヴィストックプレイス32番地の建物地上階を見たところ <筆者撮影> |
第一次世界大戦(1914年ー1918年)が勃発すると、56歳だったジェローム・K・ジェロームは、英国陸軍へ入隊しようとしたが、年齢を理由に拒否されたため、フランス陸軍の救急車運転手に志願した。ただ、この戦争体験と義理の娘の死去(1921年)が、彼を更に滅入らせることになった。
1926年に自伝「My Life and Times」を出版したジェローム・K・ジェロームは、1927年6月に、デヴォン州(Devon)からロンドン までの自動車旅行に出発したが、途中で麻痺的な発作と脳出血に襲われて、2週間後に死去したのである。
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| 「Nicholson - Super Scale - London Atlas」から セントパンクラス地区の地図を抜粋。 |
ジェローム・K・ジェロームが住んでいた家が、ロンドンの特別区の一つであるカムデン区(London Borough of Camden)のセントパンクラス地区(St. Pancras)内にある。
ジェローム・K・ジェロームが住んでいた家は、ラッセルスクエア(Russell Square → 2026年4月4日 / 4月11日 / 4月15日付ブログで紹介済)の北側にあるタヴィストックスクエア(Tavistock Square)から東へ延びるタヴィストックプレイス通り(Tavistock Place)沿いにあり、西側のハーブランドストリート(Herbrand Street)と東側のマーチモントストリート(Marchmont Street)に挟まれたタヴィストックプレイス通りの南側の中間辺りに建つタヴィストックプレイス通り32番地(32 Tavistock Place)の建物が、それである。
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| タヴィストックプレイス通り32番地の建物の2階(1F)の外壁には、 ジェローム・K・ジェロームが、1884年から1885年の間、ここに住んでいたことを示す プラークが掛けられている。 <筆者撮影> |
タヴィストックプレイス通り32番地の建物の2階(1F)の外壁に、「「ボートの三人男」の作者であるジェローム・K・ジェローム(1859年ー1927年)が、1884年から1885年の間、ここに住んでいた」ことを示す Marchmont Association のプラークが掛けられている。
時期としては、ジェローム・K・ジェロームが「On the Stage - and Off」を執筆 / 発表して、作家としての道を切り開いた頃である。










































