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| レナード・シドニー・ウルフとヴァージニア・ウルフの2人が、 約10年間を過ごしたリッチモンドを離れ、ロンドンの中心部へと戻り、 1924年3月に移ったタヴィストックスクエア52番地の跡地に建つ タヴィストックホテル(Tavistock Hotel) <筆者撮影> |
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| 1912年8月10日に結婚した ヴァージニア・ウルフとレナード・シドニー・ウルフの2人が 移り住んだフラット「クリフォーズイン」の玄関を北側から見たところ <筆者撮影> |
ヴァージニア・ウルフは、1912年12月から1913年3月にかけて行った彼女の最初の長編小説となる「船出(The Voyage Out)」の大幅な改稿作業の結果、肉体的にも、精神的にも、極度の消耗状態になった。その後、彼女は何度も神経衰弱に陥り、1913年9月9日には、睡眠薬のヴェロナール(veronal)の過剰摂取により、自殺を試みたが、なんとか一命をとりとめた。
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| ナショナルポートレイトギャラリー (National Portrait Gallery)で販売されている ヴァージニア・ウルフの肖像写真の絵葉書 (by George Charles Beresford / 1902年7月 / platinum print / 152 mm x 108 mm) |
重度の精神疾患に苦しむヴァージニア・ウルフのことを心配したレナード・シドニー・ウルフは、1914年の秋、彼女を連れて、ロンドン市内を離れ、テムズ河(River Thames)の中流域に位置する緑豊かなリッチモンド(Richmond → 2018年3月17日 / 3月24日付ブログで紹介済)にあるリッチモンドグリーン(Richmond Green → 2026年7月24日付ブログで紹介済)へと引っ越した。
ヴァージニア・ウルフとレナード・シドニー・ウルフの2人がリッチモンドグリーンへ引っ越した1914年の秋頃、彼女の精神状態は落ち着いていたが、引越後の1915年2月には、精神疾患が再発、彼女の容体は悪くなってしまう。
| リッチモンドグリーンの緑地帯を 南西側から北東方面へと進むところ <筆者撮影> |
そこで、1915年3月、彼らは、リッチモンドグリーン近くのパラダイスロード34番地(34 Paradise Road → 2026年7月31日 / 8月5日付ブログで紹介済)の家へ再度引っ越して、その家を「ホガースハウス(Hogarth House)」と名付けた。
リッチモンドグリーンからパラダイスロード34番地の「ホガースハウス」へ引っ越したものの、ヴァージニア・ウルフの精神疾患は、1917年まで続いた。
レナード・シドニー・ウルフは、彼女が興味を持てそうな趣味や活動をなんとか見つけて、執筆による精神的ストレスから彼女を解放しようと努めた。幸いにして、2人が興味を持っていた印刷技術に注目したレナード・シドニー・ウルフは、1917年3月、「ホガースプレス(Hogarth Press)」と言う出版社を、「ホガースハウス」の居間に設立。
レナード・シドニー・ウルフは、小さな手動印刷機、古い活字、道具や材料等を購入して、ヴァージニア・ウルフと2人で、活字を一字一字拾い、自分達で印刷と製本を行った。2人が「ホガースプレス」として出版した最初の本は、「Two Stories」で、1917年7月のことであった。「Two Stories」は、レナード・シドニー・ウルフの随筆とヴァージニア・ウルフの短編「壁の染み(The Mark on the Wall)」が収録された32ページの小冊子だった。
「ホガースプレス」は、当初、レナード・シドニー・ウルフとヴァージニア・ウルフの2人による手作業だったので、150部止まりの出版が多かったが、その後、「ホガースプレス」に追加の設備が導入され、事業が拡大した結果、一部の印刷作業は、外部の会社に委託されるようになった。
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| 1915年3月に ヴァージニア・ウルフとレナード・シドニー・ウルフの2人が リッチモンドグリーンから移り住んだパラダイスロード34番地の建物 <筆者撮影> |
ヴァージニア・ウルフは、レナード・シドニー・ウルフと一緒に、パラダイスロード34番地のホガースハウスに居る間に、以下の長編3作を発表して、小説家として歩み始めていた。
*長編第1作目「船出」
*長編第2作目「夜と昼(Night and Day)」
*長編第3作目「ジェイコブの部屋(Jacob’s Room)」
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| レナード・シドニー・ウルフとヴァージニア・ウルフの2人が 1924年3月から住んだタヴィストックスクエア52番地の建物は、 1939年にドイツ軍によるロンドン大空襲(Blitz)のため、 大きな被害を蒙ってしまう。 その結果、当時の住居は取り壊され、 その跡地には、現在、タヴィストックホテルが建っている。 <筆者撮影> |
「ホガースプレス」の出版事業に参加したことにより、ヴァージニア・ウルフの精神状態が落ち着き、その結果、執筆にも脂がのってきたため、レナード・シドニー・ウルフとヴァージニア・ウルフの2人は、1914年の秋から約10年間を過ごしたリッチモンドを離れ、ロンドンの中心部へと戻り、1924年3月、タヴィストックスクエア52番地(52 Tavistock Square)に居を構えた。
2人が1917年3月に設立した「ホガースプレス」は、タヴィストックスクエア52番地の建物の地下に設置。
タヴィストックスクエア52番地は、ロンドンの特別区の一つであるカムデン区(London Borough of Camden)のブルームズベリー地区(Bloomsbury)内に所在している。
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| 「Nicholson - Super Scale - London Atlas」から ブルームズベリー地区近辺の地図を抜粋。 |
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| 英国の著名な批評家 / 歴史家である父サー・レスリー・スティーヴンが 1904年2月22日に亡くなった後、 ハイドパークゲイト通り22番地の家 (22 Hyde Park Gate → 2026年5月12日 / 5月17日付ブログで紹介済)を売却して、 ヴァージニア・ウルフ達が引っ越したゴードンスクエア46番地の建物全景 <筆者撮影> |
タヴィストックスクエア52番地の建物が面するタヴィストックスクエア(Tavistock Square)は、英国の著名な批評家 / 歴史家である父サー・レスリー・スティーヴン(Leslie Stephen:1832年ー1904年)が1904年2月22日に亡くなった後、ヴァージニア・ウルフが、姉のヴァネッサ(Vanessa Bell:1879年ー1961年 → 後に英国の画家 / インテリアデザイナーとなる)、長男のトビー(Thoby:1880年ー1906年)や次男のエイドリアン(Adrian:1883年ー1948年)と一緒に移り住んだゴードンスクエア46番地(46 Gordon Square → 2026年5月22日 / 5月27日付ブログで紹介済)が面するゴードンスクエア(Gordon Square → 2026年6月1日付ブログで紹介済)の東側に位置している。
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| レナード・シドニー・ウルフとヴァージニア・ウルフの2人が 1924年3月から住んだタヴィストックスクエア52番地の跡地に建つ タヴィストックホテルの建物外壁を下から見上げたところ。 <筆者撮影> |
レナード・シドニー・ウルフとヴァージニア・ウルフの2人がロンドンの中心部へと戻って来たのは、第一次世界大戦(1914年ー1918年)を経て、戦勝国である英国の経済が急速に回復し、好景気に沸いている頃で、戦前のヴィクトリア朝時代の文化が過去のものとなりつつあった。











































