2026年5月12日火曜日

ロンドン ハイドパークゲイト通り22番地(22 Hyde Park Gate)- その1

ヴァージニア・ウルフが生まれた
ハイドパークゲイト通り22番地の建物全景
<筆者撮影>

サー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Sir Arthur Ignatius Conan Doyle::1859年ー1930年)作「マスグレイヴ家の儀式書(The Musgrave Ritual)」の冒頭、シャーロック・ホームズがジョン・H・ワトスンに対して語ったように、ホームズは、大学卒業後、ロンドンに移り、モンタギューストリート(Montague Street → 2014年5月25日付ブログで紹介済)に部屋を借りて、諮問探偵を開業したが、残念ながら、数ヶ月経過しても、1件の仕事依頼も持ち込まれなかった。そこで、ホームズは、この暇な時間を有効活用すべく、将来役に立ちそうな学問の勉強のために、近所にある大英博物館(British Museum → 2014年5月26日付ブログで紹介済)の「円形閲覧室(Round Reading Room → 2026年5月6日付ブログで紹介済)」へ足繁く通った。


「ストランドマガジン(The Strand Magazine)」の
1893年5月号「マスグレイヴ家の儀式書」に掲載された挿絵 -
ジョン・H・ワトスンが、
事件解決後の倦怠期に入ったシャーロック・ホームズに対して、
部屋の住み心地を良くするために、室内の整理を提案した。
すると、少し悲しそうな顔をしたホームズは、寝室へ姿を消すと、
大きなブリキの箱を引っ張り出して来た。
ホームズは、ブリキの箱を部屋の真ん中に置き、
丸椅子に座ると、箱の蓋を開けた。
ブリキの箱の中には、ホームズが解決した
初期の事件の記録が入っていたのである。
挿絵:シドニー・エドワード・パジェット
(Sidney Edward Paget:1860年 - 1908年)


今回から、「円形閲覧室」において言及したヴァージニア・ウルフ(Virginia Woolf:1882年ー1941年)が住んだロンドンの住居について、一軒ずつ紹介していきたい。


大英博物館 / 円形閲覧室の内部
<筆者撮影>


英国の小説家 / 評論家であるヴァージニア・ウルフは、大英博物館周辺に住み、1905年、姉で、英国の画家 / インテリアデザイナーであるヴァネッサ・ベル(Vanessa Bell:1879年ー1961年)達と一緒に、「ブルームズベリーグループ(Bloomsbury )」と呼ばれる著述家や芸術家の知的サークルを結成して、20世紀モダニズム文学の主要な作家の一人として、重要な役割を果たしている。


大英博物館 / 円形閲覧室内に置かれているヴァージニア・ウルフの説明板
<筆者撮影>


ヴァージニア・ウルフが生まれたハイドパークゲイト通り22番地(22 Hyde Park Gate)は、ロンドンの中心部にあるケンジントン&チェルシー王立区(Royal Borough of Kensington and Chelsea)のブロンプトン地区(Brompton)内に所在している。


「Nicholson - Super Scale - London Atlas」から
ブロンプトン地区の地図を抜粋。


ハイドパーク(Hyde Park → 2015年3月14日付ブログで紹介済)/ ケンジントンガーデンズ(Kensington Gardens → 2026年1月31日付ブログで紹介済)を右手に見て、地下鉄ナイツブリッジ駅(Knightsbridge Tube Station)から地下鉄ハイストリートケンジントン駅(High Street Kensington Tube Station → 2016年6月25日付ブログで紹介済)へと向かって西に延びるケンジントンロード(Kensington Road)を進む。


ケンジントロードを曲がり、
ハイドパークゲイト通りへと入ったところ
<筆者撮影>


そして、進行方向左手に見えるロイヤルアルバートホール(Royal Albert Hall → 2016年2月20日付ブログで紹介済)を過ぎた後、ケンジントンロードを左折して、ハイドパークゲイト通り(Hyde Park Gate)へと入る。ハイドパークゲイト通りを南下して、行き止まる手前の左手に建っているのが、ハイドパークゲイト通り22番地の住居である。


ハイドパークゲイト通り22番地の建物の反対側から
ハイドパークゲイト通りの行き止まりを見たところ
<筆者撮影>


ヴァージニア・ウルフ(本名:アデリーン・ヴァージニア・スティーブン(Adeline Virginia Stephen))は、1882年1月25日、英国の著名な批評家 / 歴史家である父サー・レスリー・スティーヴン(Leslie Stephen:1832年ー1904年)と初代准男爵サー・エドワード・コーリー・バーン=ジョーンズ(Sir Edward Coley Burne-Jones, 1st Baronet:1833年ー1898年 → 2018年6月3日 / 6月10日 / 6月17日付ブログで紹介済)等のラファエル前派(Pre-Raphaelite)のモデルとして知られている母ジュリア・プリンセップ・ジャクスン(Julia Prinsep Jackson:1846年ー1895年)の次女として出生。
なお、長女は、前述の通り、ヴァネッサである。


ハイドパークゲイト通り22番地の建物入口
<筆者撮影>


ヴァージニア・ウルフの両親は共に再婚で、スティーヴン一家には、3つの婚姻による8人の子供が居た。


<サー・レスリー・スティーヴンと前妻ハリエット・マリアン・サッカレー(Harriet Marian Thackeray:1840年ー1875年)の子供>

(1)ローラ・メイクピース・スティーヴン(Laura Makepeace Stephen:1870年ー1945年)


<ジュリア・プリンセップ・ジャクスンと前夫ハーバート・ダックワース(Herbert Duckworth:?ー1870年)の子供>

(2)ジョージ(George:1868年ー1934年)

(3)ステラ(Stella:1869年ー1897年)

(4)ジェラルド(Gerald:1870年-1937年)


<サー・レスリー・スティーヴンとジュリア・プリンセップ・ジャクスンの子供>

(5)ヴァネッサ(1879年ー1961年)

(6)トビー(Thoby:1880年ー1906年)

(7)ヴァージニア(1882年ー1941年)

(8)エイドリアン(Adrian:1883年ー1948年)


2026年5月11日月曜日

ロンドン市内にあるヘンリー・スペンサー・ムーア彫刻作品(Sculptures by Henry Spencer Moore in London)- その1

バタシーパーク内に設置されている
ヘンリー・スペンサー・ムーア作彫刻「Three Standing Figures」を正面から見たところ
<筆者撮影>


ロンドンの特別区の一つであるワンズワース区(London Borough of Wandsworth)バタシー地区(Battersea)のバタシーパーク(Battersea Park → 2016年7月10日付ブログで紹介済)内には、英国の芸術家 / 彫刻家で、英国コンウォール州(Cornwall)にあるセントアイヴス(St. Ives)に住む芸術家のコミュニティーにおいて、主導的な役割を果たした人物であるジョスリン・バーバラ・ヘップワース(JocelynBarbara Hepworth:1903年ー1975年 → 2024年10月1日 / 10月31日 / 11月2日付ブログで紹介済)による彫刻作品「Single Form(→ 2026年5月5日付ブログで紹介済)」の他に、ヘンリー・スペンサー・ムーア(Henry Spencer Moore:1898年ー1986年)による彫刻作品も設置されている。


ヘンリー・スペンサー・ムーア作彫刻「Three Standing Figures」の台座部分
<筆者撮影>


ヘンリー・スペンサー・ムーアは、20世紀の英国を代表する芸術家 / 彫刻家で、1898年7月30日、ヨークシャー州(Yorkshire)カッスルフォード(Castleford)に、父レイモンド・スペンサー・ムーア(Raymond Spencer Moore)と母メアリー・ベイカー(Mary Baker)の8人のの子供の7人目として出生。

父親のレイモンド・スペンサー・ムーアは、カッスルフォードのウェルデイル炭鉱(Wheldale colliery)において、炭鉱夫として働いており、その後、下級のマネージャー、そして、鉱山技師になった。


ヘンリー・スペンサー・ムーア作彫刻「Three Standing Figures」を
右斜め後ろから見たところ

<筆者撮影>


長じて、1919年にリーズ美術学校(Leeds School of Art)へ入学したヘンリー・スペンサー・ムーアは、そこでジョスリン・バーバラ・ヘップワースと出会い、長年にわたる友人となる。


ヘンリー・スペンサー・ムーア作彫刻「Three Standing Figures」を
左斜め後ろから見たところ
<筆者撮影>


1929年7月19日にポーランド系ロシア人のイリーナ・ラデツキー(Irina Radetsky)と結婚したヘンリー・スペンサー・ムーアは、ハムステッド地区(Hampstead → 2018年8月26日付ブログで紹介済)に移り住んだ際、ジョスリン・バーバラ・ヘップワースも、パートナーで、英国の抽象画家であるベンジャミン・ローダー・ニコルスン(Benjamin Lauder Nicholson:1894年ー1982年)と一緒に、ハムステッド地区へ引っ越して来て、そこを根城に前衛的な芸術活動を始めている。


西側の駐車場近くに設置されているバタシーパークの案内図 -
ヘンリー・スペンサー・ムーア作「Three Standing Figures」は、
バタシーパークの南東部分に広がる湖を周回する遊歩道(北側)の湖のほとりに建っている。
<筆者撮影>


バタシーパークは、テムズ河(River Thames)南岸に位置しており、テムズ河沿いに広がる大きな公園である。

テムズ河を挟んで、バタシーパークの対岸には、ケンジントン&チェルシー王立区(Royal Borough of Kensington and Chelsea)のチェルシー地区(Chelsea - 高級住宅街の一つ)が位置している。


バタシーパーク内の地図 -
ヘンリー・スペンサー・ムーア作「Three Standing Figures」は、
バタシーパークの南東部分に広がる湖を周回する遊歩道(北側)の湖のほとりに建っている。


テムズ河北岸からバタシーパークへアクセスするためには、東側のチェルシー橋(Chelsea Bridge)、または、西側のアルバート橋(Albert Bridge → 2016年8月14日付ブログで紹介済)を使用。

東側のチェルシー橋を使用した場合、クイーンズタウンロード(Queenstown Road)を南下して、バタシーパークの南東の角にあるローズリーゲイト(Rosery Gate)から公園内に入り、西へと進む。

また、西側のアルバート橋を使用した場合、アルバートブリッジロード(Albert Bridge Road)を南下して、バタシーパークの南西の角にあるサンゲイト(Sun Gate)から公園内に入り、東へと進む。


ヘンリー・スペンサー・ムーア作彫刻「Three Standing Figures」は、
湖の向こう側にある遊歩道(北側)沿いに建っている。
なお、
ジョスリン・バーバラ・ヘップワース作「Single Form」は、
画面右側の遊歩道(南側)沿いに建っている。
<筆者撮影>


ヘンリー・スペンサー・ムーア作「Three Standing Figures」(1948年)は、バタシーパークの南東部分に広がる湖を周回する遊歩道(北側)の湖のほとりに、湖を挟んで、ジョスリン・バーバラ・ヘップワース作「Single Form」と向かい合うように建っている。 


2026年5月10日日曜日

ロンドン メアリー女王の庭園(Queen Mary’s Gardens)- その2

「メアリー女王の庭園」の北北西部分に設置されている噴水
<筆者撮影>

アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)が1967年に発表した長編「終りなき夜に生れつく(Endless Night → 2026年4月13日 / 4月30日付ブログで紹介済)」は、彼女が執筆した長編としては、第58作目に該り、エルキュール・ポワロやミス・ジェーン・マープル等が登場しないノンシリーズ作品である。


2026年に英国の HarperCollinsPublishers 社から出版された
アガサ・クリスティー作「終りなき夜に生れてつく」の
愛蔵版(ハードカバー版)の表紙
(Cover design and 
illustration
by Sarah Foster / 
HarperCollinsPublishers Ltd. ) -
ドライバー等の職業を転々とするその日暮らしの風来坊であるマイケル・ロジャー(通称:マイク)と

米国の大富豪(石油王)の娘で、裕福な相続人であるフェニラ・グットマン(通称:エリー)の2人は、

マイクがドライバーとして働いていた頃に知り合った芸術家気質の著名な建築家で、

余命いくばくもないルドルフ・サントニックス(Rudolf Santonix)に依頼して、

キングストンビショップ村にある

海を臨むことができる美しい眺望の景勝地「ジプシーが丘」に

自分達の夢の邸宅を建ててもらった場面が描かれている。


キングストンビショップ村(Kingston Bishop)にある「ジプシーが丘(Gipsy’s Acre)」は、海を臨むことができる美しい眺望の景勝地であったが、そこで以前に起こった不吉な事故によって、キングストンビショップ村の住民達からは、呪われた伝説を持つ土地として、非常に恐れられていたが、この「ジプシーが丘」において、


(1)ドライバー等の職業を転々とするその日暮らしの風来坊であるマイケル・ロジャース(Michael Rogers - 通称:マイク(Mike))→ この物語の語り手



(2)米国の大富豪(石油王)の娘で、裕福な相続人であるフェニラ・グットマン(Fenella Guteman - 通称:エリー(Ellie))


は出会い、会った瞬間に、若い二人は恋に落ち、「ジプシーが丘」こそ、自分達の生活のスタート地点として相応しいと考えた。


「メアリー女王の庭園」の北西部分に設けられている野外劇場(Open Air Theatre)
<筆者撮影>

野外劇場前から噴水へと至る周回路
<筆者撮影>


キングストンビショップ村の「ジプシーが丘」において出会ったマイクとエリーの二人が散歩した「メアリー女王の庭園(Queen Mary’s Gardens)」は、ロンドンのリージェンツパーク(Regent’s Park → 2016年11月19日付ブログで紹介済)内に所在する庭園で、リージェンツパークの南端近くに位置している。


「メアリー女王の庭園」の北部分の庭園(その1)
<筆者撮影>

「メアリー女王の庭園」の北部分の庭園(その2)
<筆者撮影>


1916年に、英国陸軍(British Army)に属する British Forces Post Office(郵便部門を管轄)/ Royal Engineers (The Corps of Royal Engineers - 技術部門を管轄)が、「メアリー女王の庭園」から、リージェンツパークを抜けて、東方面へと延びるチェスターロード(Chester Road)へと移転。

ただし、この時点で、「メアリー女王の庭園」はまだ存在していない。


リージェンツパークの案内板 -
円形の「メアリー女王の庭園」は、
リージェンツパークの南端近くで、
ボート遊び用湖(Boating Lake → 2025年7月12日付ブログで紹介済)の東側に位置している。
<筆者撮影>

「Nicholson - Super Scale - London Atlas」から
リージェンツパークとその周辺の地図を抜粋。


同年12月11日、ザクセン=コーブルク&ゴータ朝(House of Saxe-Coburg and Gotha)の初代英国国王エドワード7世(Edward VII:1841年ー1910年 在位期間:1901年ー1910年 → 2025年5月10日 / 5月26日 / 5月31日 / 6月8日 / 6月15日付ブログで紹介済)の次男で、ザクセン=コーブルク&ゴータ朝の第2代英国国王であるジョージ5世(George V:1865年ー1936年 在位期間:1910年ー1936年)とメアリー女王(Queen Mary:1867年ー1953年)が、これらの施設を訪問。


アビンドンストリート(Abingdon Street)を挟んで、
国会議事堂(House of Parliament)の反対側に建つジョージ5世像
<筆者撮影>


ジョージ5世時代(1913年)に発行された切手の図案をベースにして、
英国のロイヤルメールが発行した切手


ジョージ5世時代の在位中のうち、1920年代と1930年代に発行された切手の図案をベースにして、
英国のロイヤルメールが発行した切手


なお、ジョージ5世は、1917年に王朝名をザクセン=コーブルク&ゴータ朝から現在のウィンザー朝(Huse of Windsor)へ変更して、ウィンザー朝の初代君主となっている。


「メアリー女王の庭園」の北部分の庭園(その3)
<筆者撮影>

「メアリー女王の庭園」の北部分の庭園(その4)
<筆者撮影>


これらの施設は、1920年代初めに再度移転し、1930年代に入り、リージェンツパークの南端近くに、「メアリー女王の庭園」が創設されるが、上記の点から、庭園名として、メアリー女王の名前を冠したものと思われる。


2026年5月9日土曜日

ロンドン バタシー地区 / キングレオポルドマンションズ(Battersea / King Leopold Mansions)

バタシーパークの南側にあるアレクサンドラゲイト(Alexandra Gate)辺りから
プリンス オブ ウェールズ ドライヴの東方面を見たところ(その1)
<筆者撮影>

アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)が1940年に発表した「いち、にい、私の靴の留め金を締めて(One, Two, Buckle My Shoe → なお、米国版のタイトルは、「The Patriotic Murders(愛国殺人)となっている)」の場合、エルキュール・ポワロ(Hercule Poirot → 2025年10月11日付ブログで紹介済)がクイーンシャーロットストリート58番地(58 Queen Charlotte Street → 2016年5月29日付ブログで紹介済)にある歯科医ヘンリー・モーリー(Henry Morley)の待合室に居るところから、物語が始まる。

バタシーパークの南側にあるアレクサンドラゲイト辺りから
プリンス オブ ウェールズ ドライヴの東方面を見たところ(その2)
<筆者撮影>

流石の名探偵ポワロであっても、半年に一回の定期検診のために、歯科医の待合室で診療を待つのは、自分の自尊心を大いに傷つけられるのであった。ようやく診療を終えて、建物の外に出たポワロは、そこでタクシーから降りて来た女性の患者とすれ違った際、彼女が落とした靴の留め金(バックル)を拾って渡した。

そして、フラットに戻ったポワロを待っていたのは、ついさっき自分を診療したモーリー歯科医が診療室で拳銃自殺をしたとのスコットランドヤードのジャップ主任警部(Chief Inspector Japp)からの連絡であった。


バタシーパークの南側にあるアレクサンドラゲイト辺りから
プリンス オブ ウェールズ ドライヴの西方面を見たところ(その1)
<筆者撮影>

ポワロの後に、モーリー歯科医の待合室にやって来た患者は、以下の3名であることが判る。


(1)マーティン・アリステア・ブラント(Martin Alistair Blunt)/ 銀行頭取で、経済界の大立者

(2)アムバライオティス氏(Mr. Amberiotis)/ インドから帰国したばかりのギリシア人 → モーリー歯科医の患者で、元内務省官僚のレジナルド・バーンズ(Reginald Barnes)は、「アムバライオティスは、スパイである上に、恐喝者だ。」と、ポワロに告げる。

(3)メイベル・セインズベリー・シール(Mabelle Sainsbury Seale)/ アムバライオティス氏と同じく、インド帰りの元女優


バタシーパークの南側にあるアレクサンドラゲイト辺りから
プリンス オブ ウェールズ ドライヴの東方面を見たところ(その2)
<筆者撮影>


モーリー歯科医の死が自殺ではなく、他殺の可能性もあると考えて、捜査を開始したポワロであったが、その後、アムバライオティス氏が、宿泊先のサヴォイホテル(Savoy Hotel → 2016年6月12日付ブログで紹介済)において、歯科医が使用する局部麻酔剤の過剰投与により死亡しているのが発見される。

モーリー歯科医は、アムバライオティス氏の診療ミス(=注射する薬品量の間違い)を苦にして、拳銃自殺を遂げたのだろうか?


バタシーパークの西側にあるペットワースゲイト(Petworth Gate)辺りから
アルバートブリッジロードの北方面を見たところ(その1)
<筆者撮影>


続いて、メイベル・セインズベリー・シールが行方不明となり、バタシーパーク(Battersea Park → 2016年7月10日付ブログで紹介済 / ロンドンの特別区の一つであるワンズワース区(London Borough of Wandsworth)のバタシー地区(Battersea)内に所在)近くにあるキングレオポルドマンションズ(King Leopold Mansions)45号室(3階)のアルバート&シルヴィア・チャップマン(Albert & Sylvia Chapman)のフラットにおいて、彼女の死体が発見される、しかも、彼女の顔は見分けがつかない程の有り様だった。


バタシーパークの西側にあるペットワースゲイト辺りから
アルバートブリッジロードの北方面を見たところ(その2)
<筆者撮影>


チャップマン夫人がメイベル・セインズベリー・シールを殺害の上、逃亡したのだろうか?ところが、モーリー歯科医の診療記録によると、発見された死体は、メイベル・セインズベリー・シールではなく、チャップマン夫人であることが判明する。


バタシーパークの西側にあるペットワースゲイト辺りから
アルバートブリッジロードの北方面を見たところ(その3)
<筆者撮影>


ポワロが診療を終えて去った後、モーリー歯科医の診療室において、一体何があったのであろうか?ポワロの灰色の脳細胞がフル回転し始める。


西側の駐車場近くに設置されているバタシーパークの案内図 
<筆者撮影>


当初、メイベル・セインズベリー・シールだと思われた死体が発見されたキングレオポルドマンションズは、アガサ・クリスティーの原作上、ワンズワース区バタシー地区内のバタシーパーク近くにあると言う設定になっている。

キングレオポルドマンションズ45号室(3階)の住民は、地方巡りのセールスマンであるアルバート・チャップマンと妻のシルヴィア・チャップマンの2人だった。


バタシーパーク内の地図


キングレオポルドマンションズ自体は、残念ながら、架空の建物であるため、現存しないが、どの辺りにあるのかを検証してみたい。

アガサ・クリスティーの原作上、「キングレオポルドマンションズは、バタシーパーク近くにある。」となっている。

バタシーパークの北側は、テムズ河(River Thames)沿いなので、フラット等が建つ余地はない。従って、キングレオポルドマンションズは、


バタシーパークの東側:クイーンズタウンロード(Queenstown Road)

バタシーパークの南側:プリンス オブ ウェールズ ドライヴ(Prince of Wales Drive)

バタシーパークの西側:アルバートブリッジロード(Albert Bridge Road)


のいずれかに通り沿いに建っていたものと考えられる。


シーンロードの反対側から見たリッチフィールドコート
<筆者撮影>


英国のTV会社 ITV1 が放映したポワロシリーズ「Agatha Christie's Poirot」の第4シリーズ第33話「いち、にい、私の靴の留め金を締めて(One, Two, Buckle My Shoe)」(1992年)の回では、行方不明になったメイベル・セインズベリー・シールが死体となって発見されるのフラット外観として、アール・デコ(Art Deco)様式のリッチフィールドコート(Litchfield Court → 2016年6月26日付ブログで紹介済)が撮影に使用されている。

リッチフィールドコートは実在の建物で、テムズ河の南岸にあるロンドンの特別区の一つであるリッチモンド・アポン・テムズ区(London Borough of Richmond upon Thames)のリッチモンド地区(Richmond)内に所在している。


リッチフィールドコートの左側のフラット
<筆者撮影>


現在、リッチフィールドコートが建っている場所には、以前、セントポール大聖堂(St. Paul's Cathedral → 2018年8月18日 / 8月25日付ブログで紹介済)やハンプトンコート(Hampton Court → 2024年8月9日 / 8月13日 / 8月15日付ブログで紹介済)等の建設で有名な英国を代表する建築家サー・クリストファーマイケル・レン(Sir Christopher Michael Wren :1632年ー1723年)が設計したリッチフィールドハウス(Litchfield House)があった。

英国の保守党の政治家である初代ブロードブリッジ男爵ジョージ・トマス・ブロードブリッジ(George Thomas Broadbridge, 1st Baron of Broadbridge:1869年ー1952年)が1933年に当地を取得して、英国の建築家であるジョージ・バートラム・カーター(George Bertram Carter)が設計した二棟のフラット(=リッチフィールドコート)が1935年に建設された。

そして、リッチフィールドコートは、2004年にグレードⅡ(Grade II)の指定を受けている。


リッチフィールドコートの右側のフラット
<筆者撮影>


TV 版のポワロシリーズの場合、全作品の時代設定を第一次世界大戦(1914年ー1918年)と第二次世界大戦(1939年ー1945年)の間に置いており、当時流行したアールデコ様式の建築物、内装や小物等が画面にしばしば登場する。

リッチフィールドコートが竣工したのは、1935年であり、TV 版のポワロシリーズの時代設定に非常にうまくマッチしていたため、撮影場所として使用されたものと思われる。


2026年5月8日金曜日

エルキュール・ポワロの世界 <ジグソーパズル>(The World of Hercule Poirot )- その32A

英国の HarperCollinsPublishers 社から以前に出版されていた
アガサ・クリスティー作「白昼の悪魔」ペーパーバック版の表紙 -
エルキュール・ポワロが滞在するジョリーロジャーホテルがある
デヴォン州の密輸業者島の「妖精の洞穴(Pixy Cove)」において、
絞殺死体となって発見される
美貌の元女優である
アリーナ・ステュアート・マーシャルが描かれていると思われる。

英国の Orion Publishing Group Ltd. から2023年に発行されている「エルキュール・ポワロの世界(The World of Hercule Poirot)」と言うジグソーパズル内に散りばめられているエルキュール・ポワロシリーズの登場人物や各作品に関連した112個の手掛かりについて、引き続き、紹介したい。

前回に引き続き、各作品に出てくる登場人物、建物や手掛かり等が、その対象となる。


ジグソーパズル「エルキュール・ポワロの世界」の完成形
<筆者撮影>


(73)蝋人形(wax figure)



ジグソーパズル中央に立つエルキュール・ポワロ(Hercule Poirot → 2025年10月11日付ブログで紹介済)から右真横へ移動した画面右端近くにある柱の側に、彼の執事であるジョージ(George → 2025年10月23日付ブログで紹介済)が立っている。ポワロの執事ジョージが立つ左側の柱に、飾り棚があるが、その上の右端近くに、蝋人形がおかれている。


(74)ジョリーロジャーホテル(Jolly Roger Hotel)



ジグソーパズルの右下に設置されているガラスケース内の前列真ん中に、ジョリーロジャーホテルの模型が置かれている。


これらから連想されるのは、アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)が1941年に発表した「白昼の悪魔(Evil Under the Sun)」である。

「白昼の悪魔」は、アガサ・クリスティーが執筆した長編としては、第29作目に該り、そして、エルキュール・ポワロシリーズの長編としては、第20作目に該っている。


2024年に英国の HarperCollinsPublishers 社から出版された
アガサ・クリスティー作「白昼の悪魔」の愛蔵版(ハードカバー版)に付されている
ジョリーロジャーホテルが建つ密輸業者島の略図


名探偵エルキュール・ポワロは、デヴォン州の密輸業者島(Smugglers’ Island)にあるジョリーロジャーホテル(Jolly Roger Hotel)に滞在して、静かな休暇を楽しんでいた。

同ホテルには、美貌の元女優で、実業家ケネス・マーシャル(Captain Kenneth Marshall)の後妻となったアリーナ・ステュアート・マーシャル(Arlena Stuart Marshall)も宿泊しており、周囲の異性に対して、魅力を振り撒きながら、避暑地を満喫していた。


ジョリーロジャーホテルには、ポワロとアリーナ・マーシャルの他に、以下の人物が宿泊していた。


(1)ケネス・マーシャル(実業家 - 以前、ロザモンド・ダーンリーと交際していたが、アリーナ・マーシャルと結婚)

(2)リンダ・マーシャル(Linda Marshall - ケネス・マーシャルの娘 / 継母のアリーナを疎ましく感じている)

(3)ホーレス・ブラット(Horace Blatt - ヨットが趣味)

(4)バリー少佐(Major Barry - 退役将校)

(5)ロザモンド・ダーンリー(Rosamund Darnley - ドレスメーカー / 以前、ケネス・マーシャルと交際していた)

(6)パトリック・レッドファン(Patrick Redfern - アリーナ・マーシャルと不倫関係にある)

(7)クリスティーン・レッドファン(Christine Redfern - パトリックの妻で、元教師。夫の不倫のため、アリーナ・マーシャルを恨んでいる)

(8)オーデル・C・ガードナー(Odell C. Gardener - 米国人)

(9)キャリー・ガードナー(Carrie Gardener - オーデルの妻)

(10)スティーヴン・レーン(Reverend Stephen Lane - 元牧師)

(11)エミリー・ブルースター(Emily Brewster - スポーツが趣味。以前、投資話でアリーナ・マーシャルに損害を負わされたため、彼女を恨んでいる)


ホテルの宿泊客の数名が、アリーナ・マーシャルの存在を疎ましく感じており、そんな不穏な空気の中、ポワロは、「白昼にも、悪魔は居る。(There is evil everywhere under the sun.)」と呟くのであった。