2026年3月2日月曜日

ロンドン クレイヴンストリート32番地(32 Craven Street)

ドイツの詩人であるハインリヒ・ハイネが住んでいた
クレイヴンストリート32番地の建物全景
<筆者撮影>

印刷業で成功を収めた後、政界へ進出したベンジャミン・フランクリン(Benjamin Franklin:1706年ー1790年 / 米国の政治家 / 外交官 / 著述家 / 物理学者 / 気象学者 → 2026年2月20日 / 2月26日付ブログで紹介済)は、英国領北米植民地における待遇改善を要求するため、1757年に、ペンシルヴェニア植民地(Pennsylvania Assembly)により、英国へと派遣される。


彼は、1757年から1775年までの約20年間、現在のシティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)のストランド地区(Strand)内にあるクレイヴンストリート36番地(36 Craven Street → 2026年2月27日付ブログで紹介済)に間借りしており、現在、この建物は、「ベンジャミン・フランクリンハウス(Benjamin Franklin House)」として、一般に公開されている。

クレイヴンストリート32番地の建物を見上げたところ
<筆者撮影>


チャリングクロス駅(Charing Cross Station → 2014年9月20日付ブログで紹介済)の前を通って東西に延びるストランド通り(Stand → 2015年3月29日付ブログで紹介済)からテムズ河(River Thames)へ向かい、クレイヴンストリート(Craven Street → 2014年8月3日付ブログで紹介済)が南北に延びている。

クレイヴンストリート36番地の建物は、クレイヴンストリートの東側に、チャリングクロス駅に隣接するように建っている。


クレイヴンストリート32番地の建物入口(その1)
<筆者撮影>


クレイヴンストリートには、ベンジャミン・フランクリン以外にも、著名人が住んでいた建物がある。

それは、クレイヴンストリート32番地(32 Craven Street)の建物で、ベンジャミン・フランクリンが住んでいたクレイヴンストリート36番地と同じ側(=クレイヴンストリートの東側)に建っている。


クレイヴンストリート32番地の建物入口(その2)
<筆者撮影>


クレイヴンストリート32番地の建物には、ドイツの詩人 / 文芸評論家 / エッセイスト / ジャーナリストであるクリスティアン・ヨハン・ハインリヒ・ハイネ(Christian Johann Henrich Heine:1797年ー1856年)が一時住んでいた。


クレイヴンストリート32番地の建物外壁には、
ハインリヒ・ハイネがここに住んでいたことを示す
LCC (London City Council) のプラークが掛けられている。
<筆者撮影>


1797年にデュッセルドルフ(
Düsseldorf)に生まれ、1825年に名門ゲオルク・アウグスト大学ゲッティンゲン(Georg-August-Universität Göttingen)を卒業して、法学の学士を取得したハインリヒ・ハイネは、学生時代から雑誌に寄稿していたため、職業作家 / ジャーナリストとしての活動を始める。
ハインリヒ・ハイネは、ハンブルク(Hamburg)に移住した後、1827年にミュンヘン(München)へ、そして、1829年にベルリン(Berlin)へ移り住むが、その間に、1827年に英国とオランダを、また、1829年にイタリアを旅行している。


クレイヴンストリート32番地の建物外壁に掛けられている
ハインリヒ・ハイネがここに住んでいたことを示すプラークのアップ
<筆者撮影>


つまり、1827年に英国を訪れた際、ハインリヒ・ハイネは、一時、クレイヴンストリート32番地の建物に滞在していた訳である。

彼の旅行体験は、「旅の絵(Reisebilder)」(1826年-1831年)や「イギリス断章(Englische Fragmente)」(1827年)等の作品に結実することになる。


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