2026年3月26日木曜日

ロンドン ケンブリッジストリート32番地(32 Cambridge Street)

オーブリー・ビアズリーが1888年にブライトンの初等中学校を卒業した後、

ビアズリー一家が移り住んだケンブリッジストリート32番地の建物正面(その1)

<筆者撮影>


アイルランド出身の詩人 / 作家 / 劇作家で、シャーロック・ホームズシリーズの作者サー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Sir Arthur Ignatius Conan Doyle:1859年ー1930年)の友人でもあったオスカー・フィンガル・オフラハティ・ウィルス・ワイルド(Oscar Fingal O’Flahertie Wills Wilde:1854年ー1900年)による一幕物の悲劇である戯曲「サロメ(Salome → 2026年3月11日 / 3月12日付ブログで紹介済)」は、1891年にフランス語で執筆されて、1893年にパリで出版された。

同戯曲の英訳版は、1894年に出版されているが、当時、オスカー・ワイルドの同性の恋人だった第9代クイーンズベリー侯爵ジョン・ショルト・ダグラス(John Sholto Douglas, 9th Marquess of Queensberry:1844年ー1900年)の三男で、作家 / 詩人 / 翻訳家のロード・アルフレッド・ブルース・ダグラス(Lord Alfred Bruce Douglas:1870年ー1945年)が英訳を行ったものの、出来が悪かったため、オスカー・ワイルド自身が、その英訳を修正している。

同戯曲の英訳版には、英国のイラストレーター / 詩人 / 小説家であるオーブリー・ヴィンセント・ビアズリー(Aubrey Vincent Beardsley:1872年ー1898年)による挿画が使用されている。



ヴィクトリア朝時代の世紀末美術を代表するオーブリー・ビアズリーは、1872年8月21日、父ヴィンセント・ポール・ビアズリー(Vincent Paul Beadsley:1839年-1909年)と母エレン・アグナス・ピット(Ellen Agnus Pitt:1846年ー1932年)の長男として、イングランド南部のサセックス州(Sussex)ブライトン(Brighton)に出生。

彼の1歳上には、後に女優となる姉のメイベル・ビアズリー(Mable Beardsley:1871年ー1916年)が居た。


ヒューストリート側(北側)からケンブリッジストリートを眺めたところ -

オーブリー・ビアズリーが1888年にブライトンの初等中学校を卒業した後、

ビアズリー一家が移り住んだケンブリッジストリート32番地の建物は、

画面右側に建っている。

<筆者撮影>


オーブリー・ビアズリーは、父方から工芸家としての器用さを受け継ぎ、また、母方から芸術に対する洗練された趣味を受け継いだ。

肺結核(tuberculosis)のため、稼ぎがなかった父ヴィンセントに代わり、母エレンが、音楽教師として働いて、オーブリー・ビアズリーに文学や音楽の本格的な教育を施した。


ケンブリッジストリート32番地の建物の反対側の歩道から

ヒューストリート方面(北西側)を眺めたところ

<筆者撮影>


オーブリー・ビアズリーは、1878年、ブライトン近郊の寄宿学校ハミルトンロッジ(Hamilton Lodge)に入学して、絵を描き始めるが、1879年に肺結核の兆候が出てきたため、1881年にハミルトンロッジを退学。

彼の治療のため、同年(1881年)、ビアズリー一家は、ロンドン 南郊のエプソム(Epsom)へ転居、更に、1883年にロンドンへ移住するが、1884年に、再びブライトンに戻る。


ケンブリッジストリート32番地の建物の反対側の歩道から

ウォーリックウェイ方面(南東側)を眺めたところ

<筆者撮影>


オーブリー・ビアズリーは、1885年1月に地元の初等中学校(Brighton, Hove and Sussex Grammar School)に入学し、母方の大伯母による学費援助を受けながら、4年間の勉学を修めて、1888年に同初等中学校を卒業。

その後、ビアズリー一家は、ロンドンへと移り住み、現在のシティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)ピムリコ地区(Pimlico)内にあるケンブリッジストリート32番地(32 Cambridge Street)に居を構えた。


オーブリー・ビアズリーが1888年にブライトンの初等中学校を卒業した後、

ビアズリー一家が移り住んだケンブリッジストリート32番地の建物正面(その2)

<筆者撮影>


ケンブリッジストリート32番地は、地下鉄ヴィクトリアライン(Victoria Line)が停まる地下鉄ピムリコ駅(Pimlico Tube Station)とヴィクトリア駅(Victoria Station → 2015年6月13日付ブログで紹介済)の間に所在している。

ケンブリッジストリート(Cambridge Street)の南側は、地下鉄ピムリコ駅から西へ延びるルプスストリート(Lupus Street)から始まり、北西に延びて、その北側は、ヴィクトリア駅の東側を走るヒューストリート(Hugh Street)にぶつかって終わっている。

ヒューストリートの北側は、ヴィクトリア駅から南側に延びる線路となっている。


「Nicholson - Super Scale - London Atlas」から
ピムリコ地区の地図を抜粋。

ケンブリッジストリート32番地は、北側のヒューストリートと南側のウォーリックウェイ(Warwick Way)に挟まれたケンブリッジストリートの丁度中間辺りの西側に建っている。

ヴィクトリア駅に近い関係上、通勤 / 通学や旅行等に非常に便利ではあるものの、生活環境としては、若干劣っていると言える。

ケンブリッジストリート沿いで言うと、ウォーリックウェイを越えて、更に南へ下った場所の方が、生活環境としては、かなり上だと思われる。


オーブリー・ビアズリーが1888年にブライトンの初等中学校を卒業した後、

ビアズリー一家が移り住んだケンブリッジストリート32番地の建物正面(その3)

<筆者撮影>


オーブリー・ビアズリーが後に自分で購入したケンブリッジストリート114番地(114 Cambridge Street)の建物の外壁に、ブループラークが掛けられている(ブループラークは、一個人一つに限定されている)ため、ケンブリッジストリート32番地の建物の外壁には、ブループラークが掛けられていない。


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