2026年3月29日日曜日

オーブリー・ヴィンセント・ビアズリー(Aubrey Vincent Beardsley)- その3

オスカー・ワイルド作戯曲「サロメ」の英訳版に付されている
オードリー・ビアズリーによる挿画(その1)


後に英国のイラストレーター / 詩人 / 小説家となるオーブリー・ヴィンセント・ビアズリー(Aubrey Vincent Beardsley:1872年ー1898年)は、行きつけの書店の主人であるフレデリック・エヴァンズの紹介により、出版業者のJ・M・デント(J. M. Dent)と知り合い、1893年から約1年半にわたって、トマス・マロリー(Thomas Malory:1399年ー1471年)作「アーサー王の死(Le Morte d’Arthur)」の挿絵を描いた。これによって、彼はイラストレーターとしてのデビューを飾る。


1893年6月にパリから帰国したオーブリー・ビアズリーは、アイルランド出身の詩人 / 作家 / 劇作家で、シャーロック・ホームズシリーズの作者サー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Sir Arthur Ignatius Conan Doyle:1859年ー1930年)の友人でもあったオスカー・フィンガル・オフラハティ・ウィルス・ワイルド(Oscar Fingal O’Flahertie Wills Wilde:1854年ー1900年)による一幕物の悲劇である戯曲「サロメ(Salome → 2026年3月11日 / 3月12日付ブログで紹介済)」に挿画を提供する契約を締結。


ナショナルポートレートギャラリー(National Portrait Gallery)で販売されている
オスカー・ワイルドの写真の葉書
(Napoleon Sarony / 1882年 / Albumen panel card
305 mm x 184 mm) 


戯曲「サロメ」は、1891年にオスカー・ワイルドによりフランス語で執筆されて、1893年にパリで出版された。

同戯曲の英訳版は、1894年に出版されているが、当時、オスカー・ワイルドの同性の恋人だった第9代クイーンズベリー侯爵ジョン・ショルト・ダグラス(John Sholto Douglas, 9th Marquess of Queensberry:1844年ー1900年)の三男で、作家 / 詩人 / 翻訳家のアルフレッド・ブルース・ダグラス卿(Lord Alfred Bruce Douglas:1870年ー1945年)が英訳を行ったものの、出来が悪かったため、オスカー・ワイルド自身が、その英訳を修正している。

当初、オーブリー・ビアズリーは、戯曲「サロメ」の英訳者となることを望んでいたものの、残念ながら、彼の希望は叶えられなかった。


戯曲「サロメ」の英訳版への挿絵提供を依頼したのは、作者であるオスカー・ワイルド自身であったが、彼は、出来上がったオーブリー・ビアズリーについて、「自分の劇はビザンティン的なのに対して、ビアズリーの挿絵はあまりにも、日本的だ。」とコメントしており、お気に召さなかったようである。


オスカー・ワイルド作戯曲「サロメ」の英訳版に付されている
オードリー・ビアズリーによる挿画(その2


オーブリー・ビアズリーは、1894年に、米国の作家であるヘンリー・ハーランド(Henry Harland:1861年ー1905年)と一緒に、挿絵入り文芸誌「イエローブック(The Yellow Book)」を創刊して、同誌の美術担当編集主任となった。


テイト・ブリテン美術館(Tate Britain
→ 2018年2月18日付ブログで紹介済)
で販売されている
オーブリー・ヴィンセント・ビアズリー作
「Cover Design for 'The Yellow Book' Volume 1」
(1894年 / ink on paper / 26 cm x 21.6 cm)-
「イエローブック(The Yellow Book)」とは、
オーブリー・ヴィンセント・ビアズリーが1894年に創刊した挿絵入りの文芸誌で、
彼は同誌の美術担当編集主任を務めている。


経済的に余裕ができたオーブリー・ビアズリーは、同年、現在のシティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)ピムリコ地区(Pimlico)内にあるケンブリッジストリート114番地(114 Cambridge Street)を購入して、1歳上の姉メイベル・ビアズリー(Mable Beardsley:1871年ー1916年)と同居。

この建物は、ビアズリー一家が1888年にイングランド南部のサセックス州(Sussex)ブライトン(Brighton)からロンドンに移った際に住んだケンブリッジストリート32番地(32 Cambridge Street → 2026年3月26日付ブログで紹介済)と同じ通り沿いに所在している。


オーブリー・ビアズリーが1888年にブライトンの初等中学校を卒業した後、

ビアズリー一家が移り住んだケンブリッジストリート32番地の建物正面

<筆者撮影>


1895年4月5日、オスカー・ワイルドがアルフレッド・ブルース・ダグラスとの男色の罪状で逮捕される。

オーブリー・ビアズリー自身は男色家ではなかったものの、戯曲「サロメ」の英訳版への挿絵提供以降、彼はオスカー・ワイルドと同一視されていたため、当時の世論から猛攻撃を受けてしまい、その結果、前年に創刊した挿絵入り文芸誌「イエローブック」から追放されると言う憂き目に遭った。

そして、オーブリー・ビアズリーは、同年4月20日、追われるようにロンドンからパリへと渡る。


ヴァインストリート(Vine Street → 2025年9月19日付ブログで紹介済)の西側入口から
東側の行き止まりを見たところ -
アルフレッド・ブルース・ダグラス卿は、オスカー・ワイルドと同性愛の関係にあったため、
ヴァインストリート警察署において逮捕されている。

<筆者撮影>


同年5月5日にパリから帰国したオーブリー・ビアズリーは、同年7月にケンブリッジストリート114番地からリージェンツパーク(Regent’s Park → 2016年11月19日付ブログで紹介済)近くのチェスターテラス(Chester Terrace)の借家に転居すると、その後、フランスのディエップ(Dieppe)を訪問。


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