2026年3月18日水曜日

ロンドン クレイヴンストリート25番地(25 Craven Street)

米国の作家 / 小説家であるハーマン・メルヴィルが住んでいた
クレイヴンストリート25番地の建物全景
<筆者撮影>


印刷業で成功を収めた後、政界へ進出したベンジャミン・フランクリン(Benjamin Franklin:1706年ー1790年 / 米国の政治家 / 外交官 / 著述家 / 物理学者 / 気象学者 → 2026年2月20日 / 2月26日付ブログで紹介済)は、英国領北米植民地における待遇改善を要求するため、1757年に、ペンシルヴェニア植民地(Pennsylvania Assembly)により、英国へと派遣される。



彼は、1757年から1775年までの約20年間、現在のシティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)のストランド地区(Strand)内にあるクレイヴンストリート36番地(36 Craven Street → 2026年2月27日付ブログで紹介済)に間借りしており、現在、この建物は、「ベンジャミン・フランクリンハウス(Benjamin Franklin House)」として、一般に公開されている。


クレイヴンストリート25番地の建物を見上げたところ
<筆者撮影>


チャリングクロス駅(Charing Cross Station → 2014年9月20日付ブログで紹介済)の前を通って東西に延びるストランド通り(Stand → 2015年3月29日付ブログで紹介済)からテムズ河(River Thames)へ向かい、クレイヴンストリート(Craven Street → 2014年8月3日付ブログで紹介済)が南北に延びている。

クレイヴンストリート36番地の建物は、クレイヴンストリートの東側に、チャリングクロス駅に隣接するように建っている。


クレイヴンストリート25番地の建物入口(その1)
<筆者撮影>


クレイヴンストリートには、ベンジャミン・フランクリン以外にも、著名人が住んでいた建物がある。

ドイツの詩人 / 文芸評論家 / エッセイスト / ジャーナリストであるクリスティアン・ヨハン・ハインリヒ・ハイネ(Christian Johann Henrich Heine:1797年ー1856年)が一時住んでいたクレイヴンストリート32番地(32 Craven Streetについては、2026年3月2日付ブログで既に紹介済であるが、クレイヴンストリートには、著名人が住んでいた建物がもう1軒ある。

それは、クレイヴンストリート25番地(25 Craven Street)の建物で、ベンジャミン・フランクリンが住んでいたクレイヴンストリート36番地やクリスティアン・ヨハン・ハインリヒ・ハイネが住んでいたクレイヴンストリート32番地と同じ側(=クレイヴンストリートの東側)に建っている。


クレイヴンストリート25番地の建物入口(その2)
<筆者撮影>


クレイヴンストリート25番地の建物には、米国の作家 / 小説家で、「白鯨(Moby-Dick or The Whale)」(1851年)等の作者として有名なハーマン・メルヴィル (Herman Melville:1819年ー1891年)が一時住んでいた。


日本の出版社である岩波書店から
岩波文庫として出版されている

ハーマン・メルヴィル作「白鯨(上)」の表紙
       カバーデザイン: 中野 達彦
 カバーカット: ロックウェル・ケント
(Rockwell Kent:1882年ー1971年 - 米国の画家 / イラストレーター)


1819年8月1日、米国ニューヨーク(New York)の裕福な食料品輸入商の三男として生まれたハーマン・メルヴィルだったが、家の経済状態が悪化し、父親が多額の借金を残して亡くなったため、已む無く、兄の紹介で船員となる。

船員として捕鯨船に乗ったもの、厳しい環境に嫌気が差したため、仲間と一緒に脱走し、各地に滞在した後、米国に戻ったハーマン・メルヴィルは、文筆業で身を立てようと考え、波乱万丈な航海を体験したことを踏まえて、当時流行していた海洋小説に手を染めた。


クレイヴンストリート25番地の建物外壁には、
ハーマン・メルヴィルがここに住んでいたことを示す
イングリッシュヘリテージ(English Heritage)のプラークが掛けられている。
<筆者撮影>


ハーマン・メルヴィルは、マルケサス諸島(Marquesas Islands)のヌク・ヒヴァ島(Nuku Hiva)での体験をベースにした処女作「タイピー(Typee)」を1846年に発表し、タヒチ島(Tahiti)周辺でのベースにした第2作「オムー(Omoo)」を1847年に出版した。


クレイヴンストリート25番地の建物外壁に掛けられている
ハーマン・メルヴィルがここに住んでいたことを示すプラークのアップ
<筆者撮影>


その後、彼は、太平洋を舞台にした寓話的作品「マーディ(Mardi and a Voyage Thither)」を1849年に発表し、リヴァプール(Liverpool)への初航海に取材した「レッドバーン(Redburn, His First Voyaga)」を同年に出版した後、英国へ旅行した際、クレイヴンストリート25番地に短期滞在した。

英国に滞在した後、ハーマン・メルヴィルは、パリ、ブリュッセル、ケルンやラインラントを巡っている。


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