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| セントバーソロミュー病院の外壁に設置されている ワット・タイラーの乱の慰霊碑(その1) <筆者撮影> |
ウェストスミスフィールド(West Smithfield)に面して建つセントバーソロミュー病院(St. Bartholomew's Hospital → 2014年6月14日付ブログで紹介済)の外壁には、サー・ウィリアム・ウォレス(Sir William Wallace:1270年頃ー1305年 → 2026年3月24日付ブログで紹介済)の慰霊碑の他に、「農民反乱(Peasant’s Revolt)」を起こした後。同地で刺殺されたワット・タイラー(Wat Tyler:?ー1381年)の慰霊碑も設置されている。
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| セントバーソロミュー病院の外壁に設置されている ワット・タイラーの乱の慰霊碑(その2) <筆者撮影> |
プランタジネット朝(House of Plantagenet)最後のイングランド王であるリチャード2世(Richard II:1367年ー1400年 在位期間:1377年ー1399年)は、1378年と1380年の2回、百年戦争(Hundred Year’s War:1337年ー1453年 → フランス王国の王位継承をめぐるヴァロワ朝フランス王国とプランタジネット朝 / ランカスター朝イングランド王国の戦い)でフランスに奪われた元イングランド地域の奪還を目指して、欧州大陸へと遠征したものの、目的を達することができなかった。2回にわたる大陸遠征により、膨大な戦費調達が必要となったリチャード2世は人頭税の導入を図る。
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| セントバーソロミュー病院の外壁に設置されている ワット・タイラーの乱の慰霊碑(その3) <筆者撮影> |
ただし、この人頭税が、上層階級に対しては軽く、逆に下層階級に対しては重い税制だったため、1381年6月、増税に反対する下層階級の農民や労働者が反乱を起こす。
屋根瓦職人のワット・タイラー(Wat Tyler:?ー1381年)が、神父のジョン・ボール(John Ball:1338年頃ー1381年)と共に、この反乱に指導者として加わると、勢いを得た反乱軍は、カンタベリー(Cantebury)を占拠した後、ロンドン郊外、続いて、ロンドン市内へと侵入し、カンタベリー大司教や政府の幹部だった財務長官のロバート・イルズと尚書部長官のサイモン・サドベリーを殺害したのである。
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| セントバーソロミュー病院の外壁に設置されている ワット・タイラーの乱の慰霊碑(その4) <筆者撮影> |
これが、「ワット・タイラーの乱(Wat Tyler’s Rebellion)」、または、「農民反乱」と呼ばれている。
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| セントバーソロミュー病院の外壁に設置されている ワット・タイラーの乱の慰霊碑(その5) <筆者撮影> |
なお、ワット・タイラーの半生について、判っていることが非常に少なく、出生時の名前は「ウォルター(Walter)」とされているが、姓に関しては不明で、屋根瓦職人(roof tiler)であったことから、「Tyler」の姓が付けられたものと考えられている。
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| スミスフィールドマーケット(Smithfield Market)側からギルトスパーストリートを望む – ここからギルトスパーストリートの北側が始まる。 <筆者撮影> |
リチャード2世率いる国王軍は、ウェストスミスフィールドへと至る今のギルトスパーストリート(Giltspur Street → 2018年6月9日 / 6月16日 / 6月23日+2026年2月1日付ブログで紹介済)がある辺りで、ワット・タイラー達が率いる反乱軍を出迎え、同年6月14日、1回目の交渉が行われ、リチャード2世は、ワット・タイラー達に対して、農民や労働者の要求を保証すると回答した。
| 1381年6月15日に行われた2回目の交渉時、 ワット・タイラーに斬りつけたロンドン市長のウィリアム・ウォルワースの像 - ホルボーン高架橋(Holborn Viaduct → 2018年5月27日 / 6月2日付ブログで紹介済)に設置されている。 <筆者撮影> |
ところが、翌日の同年6月15日、2回目の交渉が行われている最中、当時のロンドン市長(Lord Mayor of the City of London / Lord Mayor of London)だったウィリアム・ウォルワース(William Walworth:?ー1385年)によって、ワット・タイラーは突然斬り付けられた。ワット・タイラーは近くにあるセントバーソロミュー教会(St. Bartholomew the Great Church - 現在のセントバーソロミュー・ザ・グレイト教会(The Priory Church of St. Bartholomew the Great → 2026年2月15日 / 2月17日 / 2月22日付ブログで紹介済))へ難を逃れようとしたものの、そのまま殺害されてしまったのである。
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| セントバーソロミュー・ザ・グレイト教会の 建物正面(西側)を見たところ <筆者撮影> |
ワット・タイラーと言う重要な指導者の一人を失った農民反乱軍も、リチャード2世率いる国王軍によって鎮圧されてしまった。
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