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| コートールドギャラリーの 3階(Floor 2)のレイアウト図 |
ジョスリン・バーバラ・ヘップワースは、土木技師(civil engineer)である父ハーバート・ヘップワース(Herbert Hepworth)と母ガートルード・ヘップワース(Gertrude Hepworth)の長子(長女)として、1903年1月10日、ヨークシャー州(Yorkshire)のウェイクフィールド(Wakefield)に出生。
彼女は、ウェイクフィールド女子高等学校(Wakefield Girls’ High School)で学んだ後、奨学金を得て、1920年からリーズ美術学校(Leeds School of Art)へ通った。ここで、彼女は、将来、20世紀の英国を代表する芸術家 / 彫刻家となるヘンリー・スペンサー・ムーア(Henry Spencer Moore:1898年ー1986年)と同窓になる。2人は友人となり、友好的なライバル関係は、長年にわたって続くことになる。
男性優位な環境下にもかかわらず、彼女は、再度、奨学金を得ると、1921年からロンドンの王立美術カレッジ(Royal College of Art (RCA))で学び、1924年に学位を取得している。
2人は、シエナ(Sienna)とローマ(Rome)を一緒に旅行した後、フィレンツェに戻り、1925年5月13日に結婚する。
結婚後、彼女は、同地において、彫刻家であるジョヴァンニ・アルディーニ(Giovanni Ardini)に師事して、大理石彫刻を学んだ。
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| Portrait of Barbara Hepworth by Paul Laib (1869 - 1958) 1933年 / Vintage gelation silver print |
ジョスリン・バーバラ・ヘップワースとジン・ラッテンベリー・スキーピングの2人は、1926年に英国へ戻り、ロンドンのフラットに住居を構えると、そこで共同個展を開催。
そして、1929年には、2人の間に、長男のポール(Paul)が生まれた。
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| Portrait of Ben Nicholson by Paul Laib (1869 - 1958) 1933年 / Vintage gelation silver print |
その結果、ジョスリン・バーバラ・ヘップワースは、1938年11月17日、ロンドンの北西部にあるハムステッド登記所(Hampstead Register Office)において、ベンジャミン・ローダー・ニコルスンと結婚した。
コートールドギャラリーにおいて開催されている特別展「Hepworth and Nicholson / The Hampstead Studio Photographs」は、ジョスリン・バーバラ・ヘップワースとベンジャミン・ローダー・ニコルスンの2人がハムステッド地区(Hampstead → 2018年8月26日付ブログで紹介済)近辺に保有していた制作スタジオにおいて撮影された写真である。
第二次世界大戦中、セントアイヴスは、多くの芸術家にとって、疎開場所となったのである。
第二次世界大戦後の1949年2月8日、ジョスリン・バーバラ・ヘップワースとベンジャミン・ローダー・ニコルスンは、コンウォール州のセントアイヴスにおいて、ペンウィズ芸術協会(Penwith Society of Arts)を共同創設し、19名の芸術家が創設メンバーとして参加。
1950年、ジョスリン・バーバラ・ヘップワースの彫刻作品が、第25回ヴェネツィアビエンナーレ(XXV Venice Biennale)の英国パヴィリオン(British Pavilion)において展示される。
1951年、ジョスリン・バーバラ・ヘップワースは、夫のベンジャミン・ローダー・ニコルスンと離婚。
この頃、ジョスリン・バーバラ・ヘップワースは、彫刻作品として、石や木だけではなく、ブロンズや粘土を使い始めた。彼女は、大きなブロンズ彫刻作品を、セントアイヴスに所在する自宅のトレウィンスタジオの庭園内に設置した。
ジョスリン・バーバラ・ヘップワースと前夫のジョン・ラッテンベリー・スキーピングの間に1929年に生まれた長男のポールは、英国空軍に入隊後、タイ王国に駐在していたが、1953年2月13日、飛行機事故により、死亡。
彼女は、長男ポール追悼のため、彫刻作品「聖母子(Madonna and Child)」を制作して、セントアイヴス教区教会(parish church of St. Ives)に寄贈した。
長男ポールの死により精神的に追い込まれていた彼女は、1954年8月、彼女の親友で、芸術家のパトロンでもあるマーガレット・エミリア・ガーディナー(Margaret Emilia Gardiner:1904年ー2005年)と一緒に、ギリシアへと旅立ち、アテネ(Athens)、デルフィ(Delphi)やエーゲ海の諸島を巡る。














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