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| ヴァージニア・ウルフとレナード・シドニー・ウルフの2人が、 約10年間を過ごしたリッチモンドを離れ、ロンドンの中心部へと戻り、 1924年3月に移ったタヴィストックスクエア52番地の跡地に建つ タヴィストックホテル(Tavistock Hotel)- 手前に見える庭園は、タヴィストックスクエアガーデンズ(Tavistock Square Gardens)。 <筆者撮影> |
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| ナショナルポートレイトギャラリー (National Portrait Gallery)で販売されている ヴァージニア・ウルフの肖像写真の絵葉書 (by George Charles Beresford / 1902年7月 / platinum print / 152 mm x 108 mm) |
レナード・シドニー・ウルフが、1917年3月、パラダイスロード34番地 / ホガースハウス(Hogarth House, 34 Paradise Road → 2026年7月31日 / 8月5日付ブログで紹介済)に設立した出版社「ホガースプレス(Hogarth Press)」に参加したことにより、ヴァージニア・ウルフの精神状態が落ち着き、その結果、執筆にも脂がのってきたこと、また、ヴァージニア・ウルフ自身が若い頃から慣れ親しんできたロンドンの街の刺激が恋しくなったことが、彼らがロンドンの中心部へと戻った理由だった。
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| ヴァージニア・ウルフとレナード・シドニー・ウルフの2人が、1915年3月に リッチモンドグリーン(Richmond Green → 2026年7月24日付ブログで紹介済)から移り住んだ パラダイスロード34番地の建物 <筆者撮影> |
2人がリッチモンドで経営した出版社「ホガースプレス」は、タヴィストックスクエア52番地の建物の地下に設置された。
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| 「Nicholson - Super Scale - London Atlas」から ブルームズベリー地区近辺の地図を抜粋。 |
タヴィストックスクエア52番地は、ロンドンの特別区の一つであるカムデン区(London Borough of Camden)のブルームズベリー地区(Bloomsbury)内に所在しており、ヴァージニア・ウルフがリッチモンドへ引っ越す前に住み慣れた住居の直ぐ近くだった。
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| ヴァージニア・ウルフとレナード・シドニー・ウルフの2人が 1924年3月に移ったタヴィストックスクエア52番地の跡地に建つ タヴィストックホテル内には、 ヴァージニア・ウルフの名前を冠した「Woolf & Whistle」と言うレストランが営業している。 <筆者撮影> |
ヴァージニア・ウルフは、この頃、叔母からの遺言で、毎年500ポンド(現在価値で言うと、約500万円)の遺産を受け取るようになった。これにより、彼女には、金銭的な余裕ができて、小説等の執筆に専念することが可能となった。
ヴァージニア・ウルフは、1924年3月、タヴィストックスクエア52番地に移った後、
*長編第4作目「ダロウェイ夫人(Mrs Dalloway)」(1925年)
*長編第5作目「灯台へ(To the Lighthouse)」(1927年)
*長編第6作目「オーランドー(Orlando)」(1928年)
*長編第7作目「波(The Waves)」(1931年)
*長編第8作目「歳月(The Years)」(1937年)
を次々と意欲的に発表。
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| タヴィストックホテルの玄関左側の外壁には、 Virginia Woolf Society of Great Britain のプラークが掛けられている。 <筆者撮影> |
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| タヴィストックホテルの玄関左側の外壁に掛けられている Virginia Woolf Society of Great Britain のプラークには、 ヴァージニア・ウルフとレナード・ウルフの2人が、1924年から1939年までの間、 タヴィストックスクエア52番地の建物に住んでいたことが記されている。 <筆者撮影> |
ヴァージニア・ウルフとレナード・シドニー・ウルフの2人がロンドンの中心部へと戻って来た1924年3月当時は、第一次世界大戦(1914年ー1918年)を経て、戦勝国である英国の経済が急速に回復し、好景気に沸いている頃だった。
残念ながら、この好景気は一時的なものにすぎず、1929年の米国ニューヨーク株式市場における大暴落を皮切りに始まった世界恐慌(The Great Depression)は、全世界へと拡大して、各地に失業と貧困を引き起こした。その結果、ナチズムとファシズムが台頭、再び戦争の足音が聞こえ始めるのだった。
レナード・シドニー・ウルフはユダヤ人だったため、2人は反ユダヤ主義を伴ったファシズムを非常に恐れていた。こうして、ヴァージニア・ウルフの精神状態は、またもや悪化の一途を辿っていくのである。









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