2026年6月16日火曜日

ロンドン キャヴェンディッシュスクエア32番地(32 Cavendish Square)

イタリア旅行から戻ったジョージ・ロムニーが
新たな本拠地を構えたキャヴェンディッシュスクエア32番地は、
現在の住所表記上、
キャヴェンディッシュスクエア33番地に建つオフィスビルに含まれていると思われる。
<筆者撮影>

アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)が1967年に発表した長編「終りなき夜に生れつく(Endless Night → 2026年4月13日 / 4月30日付ブログで紹介済)」において、物語の語り手であるマイケル・ロジャース(Michael Rogers - 通称:マイク(Mike))が、キングストンビショップ村(Kingston Bishop)の住民で、友人となったフィルポット少佐(Major Phillpot)と一緒に出かけたバリントンマナーハウス(Barrington Manor)において開催されたオークションに出品された絵画の作者のうち、ジョージ・ロムニー(George Romney:1734年ー1802年 → 2026年5月16日 / 5月21日 / 5月26日 / 5月31日付ブログで紹介済)は英国の肖像画家で、同時代に活躍したサー・ジョシュア・レノルズ(Sir Joshua Reynolds:1723年ー1792年)やトマス・ゲインズバラ(Thomas Gainsborough:1727年ー1788年)と並び称された著名な画家である。


2026年に英国の HarperCollinsPublishers 社から出版された
アガサ・クリスティー作「終りなき夜に生れてつく」の
愛蔵版(ハードカバー版)の表紙
(Cover design and 
illustration
by Sarah Foster / 
HarperCollinsPublishers Ltd. ) -
ドライバー等の職業を転々とするその日暮らしの風来坊であるマイケル・ロジャー(通称:マイク)と

米国の大富豪(石油王)の娘で、裕福な相続人であるフェニラ・グットマン

(Fenella Guteman - 通称:エリー(Ellie))の2人は、

マイクがドライバーとして働いていた頃に知り合った芸術家気質の著名な建築家で、

余命いくばくもないルドルフ・サントニックス(Rudolf Santonix)に依頼して、

キングストンビショップ村にある

海を臨むことができる美しい眺望の景勝地「ジプシーが丘(Gipsy’s Acre)」に

自分達の夢の邸宅を建ててもらった場面が描かれている。


ジョージ・ロムニーは、1734年12月26日、家具職人(cabinet maker)の父ジョン・ロムニー(John Romney)と母アン・シンプスン(Anne Simpson)の三男として、ランカシャー州(Lancashire - 現在のカンブリア州(Cumbria))ダルトン・イン・ファーネス(Dalton-in-Furness)のベックサイド(Beckside)に出生したジョージ・ロムニーは、21歳の時(1755年)にケンダル(Kendal)へ行き、地元の肖像画家であるクリストファー・スティール(Christopher Steele)の弟子となり、絵画を正式に学び始めるが、2年後の1757年に、クリストファー・スティールとの師弟関係を解消。その頃には、彼は、地元ケンダルの後援者の間で、肖像画家 / 風景画家 / 歴史画家として有名になりつつあった。



ジョージ・ロムニーは、見習い期間中に病気に罹り、女家主の娘であるメアリー・アボット(Mary Abbot)に手厚く看護されたことが縁となり、1756年に2人は結婚し、同年に長男ジョンが生まれている。

1760年には、2人目の子供で、長女のアンが生まれたが、1762年3月、彼は、歴史画家として成功することを夢見て、妻メアリー・アボットと2人の子供(ジョン+アン)を地元ケンダルに残し、単身ロンドンへと向かった。

ロンドンにやって来たジョージ・ロムニーは、歴史画家としての生活が困窮したため、2度、地元のケンダルへと戻らざるを得なかった。

ちなみに、その後、深刻な体調不良に陥り、肖像画の仕事を縮小して、1799年の夏に地元ケンダルへ戻るまで、彼は、家族とは一度も会わないままだった。ただし、家族との連絡を絶やすことはなく、また、家族への仕送りも続けた。


キャヴェンディッシュスクエアの南西の角から
キャヴェンディッシュスクエア32番地方面を眺めたところ -
画面右側に建っているいるのは、ジョン・ルイスデパート(John Lewis Department)。
<筆者撮影>


1763年と1765年の2回、王立芸術協会(Royal Society of Arts)のコンペにおいて、第2位の賞を獲得すると、肖像画家として売れっ子になっていく。


キャヴェンディッシュスクエアの南東の角から
キャヴェンディッシュスクエア31番地(サンドウィッチ店の「Pret A Manger」)と
キャヴェンディッシュスクエア32番地
キャヴェンディッシュスクエア33番地に建つオフィスビルの右側半分)方面を眺めたところ
<筆者撮影>


古典への造詣の欠如を自覚したジョージ・ロムニーは、1773年3月に、仲間で、英国の肖像画家であるオージアス・ハンフリー(Ozias Humphry:1742年ー1810年)と一緒に、イタリア旅行へ出発。

彼らは、パリ(Paris)、リヨン(Lyon)、マルセイユ(Marseille)、ニース(Nice)、ジェノヴァ(Genoa)、リヴォルノ(Livorno)、フィレンシェ(Florence)、そして、ピサ(Pisa)を巡り、同年6月、ローマ(Roma)に到着。ジョージ・ロムニーは、第249代ローマ教皇であるクレメンス14世(Clemens XIV:1705年ー1774年 在位期間:1769年ー1774年)に謁見の上、許可を得て、ヴァチカン宮殿(Palazzi Apostolici / Palazzi Vaticani - ローマ教皇の住居)のラファエロの間(Stanze di Raffaello)に脚立を組み、フレスコ画の研究に務めた。

ローマで18ヶ月を過ごしたジョージ・ロムニーは、フィレンシェ、ボローニャ(Bologna)、ヴェネチア(Venice)、パルマやトリノ(Turin)等を経由して、1775年7月、ロンドンに戻り、仕事を再開。

彼は、英国の肖像画家であるフランシス・コーツ(Francis Cotes:1726年ー1770年)が所有していたキャヴェンディッシュスクエア32番地(32 Cavendish Square)の邸宅を取得の上、新たな本拠地として、最先端の肖像画家に上り詰めた。


サンドウィッチ店「Pret A Manger」の住所は、
キャヴェンディッシュスクエア31番地。
<筆者撮影>


イタリア旅行から戻ったジョージ・ロムニーが新たな本拠地を構えたキャヴェンディッシュスクエア32番地は、ロンドン中心部のシティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)マリルボーン地区(Marylebone)内にあるキャヴェンディッシュスクエア(Cavendish Square → 2015年4月5日付ブログで紹介済)に面している。

具体的には、オックスフォードストリート(Oxford Street → 2016年5月28日付ブログで紹介済)から北へ延びるホールズストリート(Holles Street)がキャヴェンディッシュスクエアに突き当たった南東の角近くに、キャヴェンディッシュスクエア32番地は所在している。


キャヴェンディッシュスクエア33番地に建つオフィスビルの入口 -
イタリア旅行から戻ったジョージ・ロムニーが
新たな本拠地を構えたキャヴェンディッシュスクエア32番地は、
キャヴェンディッシュスクエア33番地に建つオフィスビルの右側半分だと考えられる。
<筆者撮影>


厳密に言うと、キャヴェンディッシュスクエアに面しているサンドウィッチ店「Pret A Manger」の住所は「キャヴェンディッシュスクエア31番地」で、左隣りに建つオフィスビルの住所は「キャヴェンディッシュスクエア33番地」なので、現在の住所表記上、「キャヴェンディッシュスクエア32番地」は存在していない。

現状、「キャヴェンディッシュスクエア32番地」は、「キャヴェンディッシュスクエア33番地」のオフィスビルの右側半分になっていると考えられる。


                                    

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