2026年6月10日水曜日

エマ・ハミルトン(Emma, Lady Hamilton)- その2

テイト・ブリテン美術館(Tate Britain
→ 2018年2月18日付ブログで紹介済)に所蔵 / 展示されている

ジョージ・ロムニー作「Emma Hart as Circe」(1782年頃)
<筆者撮影>


アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)が1967年に発表した長編「終りなき夜に生れつく(Endless Night → 2026年4月13日 / 4月30日付ブログで紹介済)」において、物語の語り手であるマイケル・ロジャース(Michael Rogers - 通称:マイク(Mike))が、キングストンビショップ村(Kingston Bishop)の住民で、友人となったフィルポット少佐(Major Phillpot)と一緒に出かけたバリントンマナーハウス(Barrington Manor)において開催されたオークションに出品された絵画の作者のうち、ジョージ・ロムニー(George Romney:1734年ー1802年 → 2026年5月16日 / 5月21日 / 5月26日 / 5月31日付ブログで紹介済)は英国の肖像画家で、同時代に活躍したサー・ジョシュア・レノルズ(Sir Joshua Reynolds:1723年ー1792年)やトマス・ゲインズバラ(Thomas Gainsborough:1727年ー1788年)と並び称された著名な画家である。


2026年に英国の HarperCollinsPublishers 社から出版された
アガサ・クリスティー作「終りなき夜に生れてつく」の
愛蔵版(ハードカバー版)の表紙
(Cover design and 
illustration
by Sarah Foster / 
HarperCollinsPublishers Ltd. ) -
ドライバー等の職業を転々とするその日暮らしの風来坊であるマイケル・ロジャー(通称:マイク)と

米国の大富豪(石油王)の娘で、裕福な相続人であるフェニラ・グットマン

(Fenella Guteman - 通称:エリー(Ellie))の2人は、

マイクがドライバーとして働いていた頃に知り合った芸術家気質の著名な建築家で、

余命いくばくもないルドルフ・サントニックス(Rudolf Santonix)に依頼して、

キングストンビショップ村にある

海を臨むことができる美しい眺望の景勝地「ジプシーが丘(Gipsy’s Acre)」に

自分達の夢の邸宅を建ててもらった場面が描かれている。


そのジョージ・ロムニーに多大な芸術的霊感を与えてくれる女神(muse)とも言える存在となったエマ・ハート(Emma Hart:1765年ー1815年)は、英国の絵画モデル / 舞踏家 / 女優である。


彼女は、1765年4月26日、鍛治職人(blacksmith)の父ヘンリー・ライオン(Henry Lyon)と母メアリー・キッド(Mary Kidd)の下、チェシャー州(Cheshire)のネス(Ness)に出生。本名は、エイミー・ライオン(Amy Lyon)。

彼女が生後2ヶ月の時に、父ヘンリー・ライオンが亡くなったため、母メアリー・キッドと祖母サラ・キッド(Sarah Kidd)に育てられたが、正規の教育を受けなかった。後に、彼女は、エイミー・ライオンからエマ・ハート(Emma Hart)へと名前を変えた。


エマ・ハートは、1777年(12歳)から家政婦として働き始め、1779年、もしくは、1780年初めに、ロンドンへと向かった。

彼女は、家政婦として働きつつ、コヴェントガーデン(Covent Garden)のドルリーレーン劇場(Drury Lane Theatre)で女優業を始め、また、絵画モデルや舞踏家としても働いた。

彼女は、1780年(15歳)、第2代準男爵サー・ヘンリー・フェザーストノー(Sir Henry Fetherstonhaugh, 2nd Baronet:1754年ー1846年)の愛人となり、後に娘エマ・カルー(Emma Carew)を生んでいる。


1781年6月 / 7月頃、エマ・ハートは、初代ウォーリック伯爵フランシス・グレヴィル(Francis Greville, 1st Earl of Warwick:1719年ー1773年)の次男であるチャールズ・フランシス・グレヴィル(Charles Francis Greville:1749年ー1809年)と親しくなり、彼の愛人となる。

1782年4月、チャールズ・フランシス・グレヴィルが、新しい愛人である彼女を連れて、友人のジョージ・ロムニーの元を訪れた。目的は、ジョージ・ロムニーに彼女の肖像画を依頼するためだった

当時、ジョージ・ロムニーは47歳、彼女は17歳で、2人は30歳と言う年齢の開きがあったが、この出会いは、芸術家としてのジョージ・ロムニーにとって、非常に得難い邂逅となり、ジョージ・ロムニーは、彼女にすっかりと魅せられた。こうして、彼女は、ジョージ・ロムニーに多大な芸術的霊感を与えてくれる女神とも言える存在となっていく。

彼女は、1782年4月から(イタリアのナポリへ行く前の)1786年3月までの間、ジョージ・ロムニーの前で約180回ポーズをとり、その多くは、文学的な主題における劇的なヒロインに扮した。そして、彼は彼女の肖像画を60作以上描き、それらは、通常の肖像画から神話や宗教的な絵画と多岐にわたった。


1786年、エマ・ハートは、ナポリ(Naples)へと向かい、チャールズ・フランシス・グレヴィルの叔父で、英国の外交官で、ナポリ公使として駐在していたサー・ウィリアム・ダグラス・ハミルトン(Sir William Douglas Hamilton:1730年ー1803年)の愛人となる。

当時、チャールズ・フランシス・グレヴィルは、裕福な妻を見つけて、正式な結婚をしようと考えており、彼女を叔父のサー・ウィリアム・ダグラス・ハミルトンの愛人とさせて、叔父の再婚を阻止するとともに、自分も彼女を厄介払いしようとしたのである。


エマ・ハートにすっかり魅了されたサー・ウィリアム・ダグラス・ハミルトンは、彼女と正式に結婚することを決める。彼女は、英国に一時帰国した際、1791年6月から同年9月にかけて、ジョージ・ロムニーのモデルを再度務めている。

また、1791年9月6日の結婚式の日にも、彼女は、ハミルトン夫人(Lady Hamilton)として、ただ一度、ジョージ・ロムニーの前に座ってもいる。

サー・ウィリアム・ダグラス・ハミルトンとの結婚後、彼女は、ナポリへと戻り、その後、ジョージ・ロムニーと再会することは二度となかったのである。 


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