2018年1月20日土曜日

ケント州(Kent) グレーヴゼンド(Gravesend)

グレーヴゼンドの南東に位置するロチェスター(Rochester)にある
ロチェスター城(Rochester Castle)

サー・アーサー・コナン・ドイル作「四つの署名(The Sign of the Four)」(1890年)では、若い女性メアリー・モースタン(Mary Morstan)がベーカーストリート221Bのシャーロック・ホームズの元を訪れて、風変わりな事件の調査依頼をする。

元英国陸軍インド派遣軍の大尉だった彼女の父親アーサー・モースタン(Captain Arthur Morstan)は、インドから英国に戻った10年前に、謎の失踪を遂げていた。彼はロンドンのランガムホテル(Langham Hotel→2014年7月6日付ブログで紹介済)に滞在していたが、娘のモースタン嬢が彼を訪ねると、身の回り品や荷物等を残したまま、姿を消しており、その後の消息が判らなかった。そして、6年前から年に1回、「未知の友」を名乗る正体不明の人物から彼女宛に大粒の真珠が送られてくるようになり、今回、その人物から面会を求める手紙が届いたのである。
彼女の依頼に応じて、ホームズとジョン・H・ワトスンの二人は彼女に同行して、待ち合わせ場所のライシアム劇場(Lyceum Theatreー2014年7月12日付ブログで紹介済)へ向かった。そして、ホームズ達一行は、そこで正体不明の人物によって手配された馬車に乗り込むのであった。

ホームズ、ワトスンとモースタン嬢の三人は、ロンドン郊外のある邸宅へと連れて行かれ、そこでサディアス・ショルト(Thaddeus Sholto)という小男に出迎えられる。彼が手紙の差出人で、ホームズ達一行は、彼からモースタン嬢の父親であるアーサー・モースタン大尉と彼の父親であるジョン・ショルト少佐(Major John Sholto)との間に起きたインド駐留時代の因縁話を聞かされるのであった。
サディアス・ショルトによると、父親のジョン・ショルト少佐が亡くなる際、上記の事情を聞いて責任を感じた兄のバーソロミュー・ショルト(Bartholomew Sholto)と彼が、モースタン嬢宛に毎年真珠を送っていたのである。アッパーノーウッド(Upper Norwood)にある屋敷の屋根裏部屋にジョン・ショルト少佐が隠していた財宝を発見した彼ら兄弟は、モースタン嬢に財宝を分配しようと決めた。

しかし、ホームズ一行がサディアス・ショルトに連れられて、バーソロミュー・ショルトの屋敷を訪れると、バーソロミュー・ショルトはインド洋のアンダマン諸島の土着民が使う毒矢によって殺されているのを発見した。そして、問題の財宝は何者かによって奪い去られていたのである。
ホームズの依頼に応じて、ワトスンは、ランベス地区(Lambeth)の水辺近くにあるピンチンレーン3番地(No. 3 Pinchin Lane→2017年10月28日付ブログで紹介済)に住む鳥の剥製屋シャーマン(Sherman)から、犬のトビー(Toby)を借り出す。そして、ホームズとワトスンの二人は、バーソロミュー・ショルトの殺害現場に残っていたクレオソートの臭いを手掛かりにして、トビーと一緒に、現場からロンドン市内を通り、犯人の逃走経路を追跡して行く。

ホームズとワトスンの二人が、犬のトビーと一緒に、ストリーサム地区(Streatham→2017年12月2日付ブログで紹介済)、ブリクストン地区(Brixton→2017年12月3日付ブログで紹介済)、キャンバーウェル地区(Camberwell→2017年12月9日付ブログで紹介済)、オヴァールクリケット場(Oval)を抜けて、ケニントンレーン(Kennington Lane→2017年12月16日付ブログで紹介済)へと達した。そして、彼らは更にボンドストリート(Bond Street→2017年12月23日付ブログで紹介済)、マイルズストリート(Miles Street→2017年12月23日付ブログで紹介済)やナイツプレイス(Knight’s Place→2017年12月23日付ブログで紹介済)を通って、ナインエルムズ地区(Nine Elms→2017年12月30日付ブログと2018年1月6日付ブログで紹介済)までやって来たが、ブロデリック&ネルソンの材木置き場という間違った場所に辿り着いてしまった。どうやら、犬のトビーは、どこかの地点から違うクレオソートの臭いを辿ってしまったようだ。

二人はトビーをクレオソートの臭いの跡が二つの方向に分かれていたナイツプレイスへと戻し、犯人達の跡を再度辿らせた。そして、彼らはベルモントプレイス(Belmon Place→2018年1月13日付ブログで紹介済)とプリンスズストリート(Prince’s Street→2018年1月13日付ブログで紹介済)を抜けて、ブロードストリート(Broad Street→2018年1月13日付ブログで紹介済)の終点で、テムズ河岸に出るが、そこは船着き場で、どうやら犯人達はここで船に乗って、警察の追跡をまこうとしたようだ。

「御主人は御留守ですか?」と、ホームズは残念そうな声で言った。「それは残念ですね。御主人と御話をしたかったのですが…」
「主人は昨日の朝から出かけております。実を申しますと、主人のことが心配になり始めているんです。しかし、船のことであれば、私でお役に立てるかもしれません。」
「御主人の蒸気船をお借りしたいと思っていたんです。」
「まあ、どうしましょう。主人はその蒸気船に乗って出かけてしまったんですよ。それで、私は不思議に思っているんです。その蒸気船には、ウールウィッチまで行って、帰って来る位の石炭しか積んでいないことを知っています。もし主人が艀で出かけて行ったのであれば、私は何も心配しません。というのも、主人はグレーヴゼンドまでなんども仕事で行っているからです。もし仕事が長引いているのであれば、主人はどこかに泊まったのかもしれません。でも、石炭を充分に積んでいない蒸気船では、何の役にも立ちません。」
「御主人は、テムズ河を下ったところの船着き場で、石炭を追加で買ったのかもしれませんよ。」
「そうかもしれませんが、それは主人の主義には合いません。何故なら、臨時で買った石炭の袋の金額のことで、主人が何度も声を荒げているのを聞いたことがあるからです。それに、醜い顔で外国風の話し方をする木の義足をした男が、私は嫌いなんです。一体、何の目的があって、彼はこの辺りをうろついているんでしょうか?」
「木の義足をした男ですって!」と、ホームズは軽い驚きを示しながら言った。

‘Away, is he?’ Said Holmes, in a disappointed voice. ‘I am sorry for that, for I wanted to speak to Mr Smith.’
‘He’s been away since yesterday mornin’, sir, and, truth to tell, I am beginning to feel frightened about him. But if it was about a boat, sir, maybe I could serve as well.’
‘I wanted to hire his steam launch.’
‘Why, bless you, sir, it is in the steam launch that he has gone. That’s what puzzles me; for I know there ain’t more coals in her than would take her to about Woolwich and back. If he’d been away in the barge I’d ha’ thought nothin’; for many a time a job has taken him as far as Gravesend, and then if there was much do in’ there he might ha’ stayed over. But what good is a steam launch without coals?’
‘He might have bought some at a wharf down the river.’
‘He might, sir, but it weren’t his way. Many a time I’ve heard him call out at the prices they charge for a few odd bags. Besides, I don’t like that wooden-legged man, wi’ his ugly face and outlandish talk. What did he want always knockin’ about here for?’
‘A wood-legged man?’ said Holmes, with bland surprise.

スミス夫人(Mrs. Smith)がホームズに語ったグレーヴゼンド(Gravesend)は、英国の南東部に位置するケント州(Kent)のうち、その北西部にあるグレーヴシャム地区(Gravesham)内に所在しており、テムズ河(River Thames)下流部の南岸に臨む河港都市である。
グレーヴゼンドは、「地の涯(at the end of grove)」を意味する「graaf-ham」に因んで名付けられたという説があるが、実際には諸説ある。

グレーヴゼンドでは、当初は農業が産業の中心であったが、プランタジネット朝最後のイングランド王であるリチャード2世(Richard II:1367年ー1400年 在位期間:1377年ー1399年)によりロンドンへの旅客輸送にかかる渡船独占営業権を勅許されたことに伴い、テムズ河の水運に関する行政業務に携わるようになった。また、16世紀以降、英国の海上貿易の発展に伴って、グレーヴゼンドは貿易港としても成長する。そして、19世紀前半には、保養地や海水浴場としても一般に知られるようになった他、各種工場や埠頭等が建設される。
つまり、スミス夫人がホームズに語った通り、「四つの署名」事件が発生した1888年当時、グレーヴゼンドは河港都市として既にかなりの発展を遂げていたものと思われる。
現在、グレーヴゼンドには、河港都市としての立地条件を生かして、製紙、セメント、機械や造船等の工場が多く建ち並ぶ工業都市となっている上、テムズ河南岸沿いに広がっている工業地帯の商業、教育や娯楽等の中心地という役割も果たしている。

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