2018年1月28日日曜日

ジェイムズ・ボンド(James Bond)

2014年7月4日から同年9月15日までの間、
ロンドン市内で開催された「ブックス・アバウト・タウン(Books about Town)」というイベントにおいて、
ブルームズベリー スクエア ガーデンズ(Bloomsbury Square Gardens)に設置された
ジェイムズ・ボンドをテーマにした本の形をしたベンチ(BookBench)

英国のファンタジー作家、映画批評家で、かつ、ジャーナリストでもあるキム・ニューマン(Kim Newman:1959年ー)が執筆した「ドラキュラ崩御(Judgement of Tears - Anno Dracula 1959→2018年1月21日付ブログで紹介済)」に、英国情報部のヘイミッシュ・ボンド中佐(Commander Hamish Bond)が登場する。
彼のモデルとなったジェイムズ・ボンド(James Bond)は、ジャーナリスト、銀行員、株式仲買人、軍人、そして、作家という経歴を辿った英国のイアン・ランカスター・フレミング(Ian Lancaster Fleming:1908年ー1964年)が創出したキャラクターである。ジェイムズ・ボンドは、英国秘密情報部員(British Secret Service agent)であり、イアン・フレミングが発表したスパイ小説の主人公として活躍した。


ジェイムズ・ボンドは、ヴィカーズ・ディフェンス・システムズ社に勤めるスコットランド人である父アンドリュー・ボンド(Andrew Bond)とスイス人である母モニック・ドラクロワ(Monique Delacroix)の間に、長男として出生。なお、彼の生年月日は、公式には明らかにされていない。
彼の父アンドリューは企業スパイだったため、父の転勤に伴い、幼少期は西ヨーロッパ各地に移り住んだ。その後、ジェイムズが11歳の時、彼の両親がフレンチアルプスの登山中に事故死したため、叔母のチャーミアンに引き取られて、育てられた。
オックスフォード大学(Oxford University → 2015年11月21日付ブログで紹介済)を卒業した後、ジェイムズ・ボンドは、海軍中尉として、第二次世界大戦(1939年ー1945年)に出征し、終戦後、秘密情報部に入り、現在に至っている。

ジェイムズ・ボンドは、英国秘密情報部員としての任務を遂行するために、自分の一存で容疑者を殺めても、形而上の罪に問われないという殺人許可証、所謂、「殺しのライセンス」を付与されており、「007(ダブル・オー・セブン)」のコードネームで呼ばれている。なお、「007」とは、英国秘密情報部の00セクションに所属する7番目の番号を割り当てられたエージェントのことを指す。

ジェイムズ・ボンドをテーマにしたブックベンチの裏側

作者のイアン・フレミングは、第二次世界大戦中、英国海軍情報部(NID = Naval Intelligence Division)において、特殊工作に携わっており(最終的な階級は中佐)、その際の経験を活かして、ジェイムズ・ボンド(007)シリーズを執筆した、と言われている。

ジェイムズ・ボンドは、以下の長編12作の他、「薔薇と拳銃(For Your Eyes Only)」(1960年)や「オクトパシー(Octopussy and the Living Daylights)」(1966年)の短編集でも大活躍している。

(1)「カジノ・ロワイヤル(Casino Royale)」(1953年)
(2)「死ぬのは奴らだ(Live and Let Die)」)1954年)
(3)「ムーンレイカー(Moonraker)」(1955年)
(4)「ダイヤモンドは永遠に(Diamonds Are Forever)」(1956年)
(5)「ロシアから愛をこめて(From Russia, With Love)」(1957年)
(6)「ドクター・ノオ(Doctor No)」(1958年)
(7)「ゴールドフィンガー(Goldfinger)」(1959年)
(8)「サンダーボール作戦(Thunderball)」(1961年)
(9)「わたしを愛したスパイ(The Spy Who Loved Me)」(1962年)
(10)「女王陛下の007(On Her Majesty’s Secret Service)」(1963年)
(11)「007は二度死ぬ(You Only Live Twice)」(1964年)
(12)「黄金の銃を持つ男(The Man With the Golden Gun)」(1965年)

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