東京創元社から創元推理文庫の1冊として 1987年に初版が出版された ロジャー・スカーレット作「エンジェル家の殺人」の表紙 <カバーイラスト:ひらい たかこ カバーデザイン:矢島 高光> |
日本の推理作家である横溝正史(Seishi Yokomizo:1902年ー1981年)による長編推理小説で、金田一耕助(Kosuke Kindaichi)シリーズの第1作目に該る「本陣殺人事件(The Honjin Murders)」は、降り積もった雪で囲まれた日本家屋での密室殺人事件を取り扱っており、第二次世界大戦(1939年ー1945年)/ 太平洋戦争(1941年-1945年)の翌年、つまり、1946年(昭和21年)4月から同年12月にかけて、雑誌「宝石」に連載された。
作者の横溝正史は、「本陣殺人事件」を執筆する上で、米国の推理作家であるロジャー・スカーレット(Roger Scarlett)作「エンジェル家の殺人(Murder Among the Angells)」(1932年)に着想を得たと語っている。
ロジャー・スカーレットは、実は、イヴリン・ペイジ(Evelyn Page:1902年ー1977年)とドロシー・ブレア(Dorothy Blair:1903年ー1976年)と言う女性2人のペンネームである。
イヴリン・ペイジの経歴は、以下の通り。
1902年(11月9日):ウィリアム・ハンセルとサラ・ペイジ夫妻の子として、ペンシルヴァニア州(Commonwealth of Pennsylvania)フィラデルフィア(Philadelphia)に出生。
1923年:ブリン・モー・カレッジ(Bryn Mawr College)文学部を卒業。
1926年:ブリン・モー・カレッジ大学院修士課程を終了。
その後、出版社に勤務して、フリーランスのライターとしても活躍。
1942年ー1945年:海軍飛行研究所と空軍の飛行検査官(aircarft inspector)
1945年ー1949年:陸軍婦人部隊(Women’s Army Corps)の医療部隊に配属され、後に軍曹(sergeant)に昇進。
1949年ー1956年:マサチューセッツ州(Commonwealth of Massachusetts)ノーサンプトン(Northampton)のスミスカレッジ(Smith College)の専任講師となり、後に助教授(assistant professor)に昇格。
1956年ー1964年:コネティカット州(Commonwealth of Connecticut)ニューロンドン(New London)のコネティカットカレッジ(Connecticut College)へと移り、英語学の助教授(1956年ー1962年)、そして、歴史学の助教授(1962年ー1964年)を務める。
彼女は、単独の著作として、長編小説「The Chestnut Tree」(1964年)と学術書「American Genesis : Pre-Colonial writing in the North」(1973年)を発表している。
一方のドロシー・ブレアの経歴は、以下の通り。
1903年:地元の医師の子として、モンタナ州(Commonwealth of Monata)ボーズマン(Bozeman)に出生。
1924年:ヴァサーカレッジ(Vassar College)を卒業。
イヴリン・ペイジとドロシー・ブレアの2人は、大学卒業後、マサチューセッツ州ボストン(Boston)にあるホートンミフリンハーコート(Houghton Mifflin Harcourt)と言う出版社で、編集者として働いている時に出会い、共同生活を始める。
そして、彼女達は、ロジャー・スカーレットと言うペンネームを使い、僅か4年の間に、長編推理小説を5作発表した。
(1)「ビーコン街の殺人(The Beacon Hill Murders)」(1930年)
(2)「白魔(Back-Bay Murder Mystery)」(1930年)
(3)「猫の足(Cat’s Paw)」(1931年)
(4)「エンジェル家の殺人」(1932年)
(5)「ローリング邸の殺人(In the First Degree)」(1933年)
上記の5作は、いずれも、米国のダブルデー社(Doubleday, Doran & Co.)から出版されている。
残念ながら、その後、彼女達は、推理小説の筆を断ってしまった。
イヴリン・ペイジとドロシー・ブレアの2人がロジャー・スカーレットとして活動した期間は、非常に短期間だったこともあり、米国では、すっかりと忘れ去られた作家である。
一方、日本では、明智小五郎シリーズ等で有名な日本の推理作家である江戸川乱歩(Rampo Edogawa:1894年ー1965年)が「エンジェル家の殺人」を「三角館の恐怖」(1951年)として翻案していることもあって、米国とは異なり、未だに知名度が高い作家である。
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