2024年5月6日月曜日

ロバート・J・ハリス作「深紅色の研究」(A Study in Crimson by Robert. J. Harris)- その1

英国の Birlinn Ltd から、Polygon Book として
2022年に刊行されている
 ロバート・J・ハリス
作「深紅色の研究」の
ペーパーバック版表紙

Cover design by Abigail Salvesen


ロバート・J・ハリス(Robert. J. Harris:1955年ー)は、スコットランドのダンディー(Dundee)出身の学者 / 作家である。なお、ダンディーは、北海(North Sea)に面するテイ湾(Firth of Tay)の北岸に位置しているスコットランドで人口4番目の都市となっている。

彼は、スコットランドのセントアンドリュース大学(University of St. Andrews)を卒業した後、学者となり、1990年代から作家活動を開始。


ロバート・J・ハリスは、特に、子供向けのファンタジー小説や歴史小説を著作しており、米国のファンタジー小説 / SF 小説家であるジェイン・ハイアット・ヨーレン(Jane Hyatt Yolen:1939年ー)との共著を2000年代に発表していることで、よく知られている。

また、彼は、ファンタジーボードゲームの「タリスマン(Talisman)」とその続編の「ミスガルディア(Mythgardia)」を発案している。


ロバート・J・ハリスは、米国ペンシルヴァニア州(Pennsylvania)出身のファンタジー小説家であるデボラ・ターナー・ハリス(Deborah Turner Harris:1951年ー)と結婚して、現在、スコットランドに在住。


ロバート・J・ハリスは、第二次世界大戦(1939年ー1945年)時に時代設定を置いた以下のシャーロック・ホームズシリーズを刊行している。


(1)「深紅色の研究(A Study in Crimson)」(2020年)

(2)「悪魔の業火(The Devil’s Blaze)」(2022年)


今回は、ロバート・J・ハリス作シャーロック・ホームズシリーズの第1作目に該る「深紅色の研究」について、紹介したい。


著者のロバート・J・ハリスは、1942年に公開された米国映画「シャーロック・ホームズと恐怖の声(Sherlock Holmes and the Voice of Terror)」を観て、着想を得た、とのこと。

なお、当該映画において、トランスヴァール共和国ヨハネスブルグ出身のイングランド人で、俳優のベイジル・ラズボーン(Basil Rathbone:1892年ー1967年)がシャーロック・ホームズを、そして、英国の俳優であるナイジェル・ブルース(Nigel Bruce:1895年ー1953年)がジョン・H・ワトスンを演じている。

当該映画は大ヒットして、シャーロック・ホームズの映画は、1946年まで全12作が制作された。その結果、ホームズ役を演じたベイジル・ラズボーンは、米国において、最高のシャーロック・ホームズ俳優として高名である。


1942年9月7日、陸軍省(War Office)からの依頼に基づき、シャーロック・ホームズとジョン・H・ワトスンは、ベーカーストリート221B(221B Baker Street)を出ると、クロイドン(Croydon)の飛行場からスコットランドへと離陸した。スコットランドの空軍基地へと着いた2人は、車である城へと向かう。

そこでは、秘密裡に軍事開発が行われており、新しい空雷(aerial torpedo)の研究をしていた女性科学者のエルスペス・マックレディー博士(Dr. Elspeth Mac Ready)の部屋から悲鳴が聞こえてきたため、別の博士達がドアをノックするも、何の反応もなかった。彼らがドアを破って、部屋の中に入ったところ、誰も居らず、室内を捜索した結果、エルスペス・マックレディー博士の姿を発見できなかった。

そのため、事態を重くみた陸軍省が、ホームズに対して、内密での捜査依頼を行ったのである。

翌日(9月8日)の朝、事件をあっさりと解決してしまったホームズは、インヴァネス駅(Inverness Staton)まで軍の車で送ってもらうと、ワトスンと一緒に、1等車に乗り、ロンドンへと戻ることにした。


ロンドンへと戻る列車の中、ワトスンの回想が続く。

1935年、ホームズは、ベーカーストリート221Bの諮問探偵事務所を閉めると、2年間、その行方が判らなかった。そして、2年後、世界中を巡ったホームズは、ロンドンへと帰還した。ちょうどその頃、ワトスンは、妻のメアリー(Mary)を亡くしていた。

その後、第二次世界大戦が勃発して、1940年9月7日、ドイツ軍による英国爆撃(The Blitz)が始まった。そして、爆撃により、ワトスンの家も破壊されたため、ワトスンは、再度、ホームズと一緒に、ベーカーストリート221Bに住むことにしたのである。


キングスクロス駅(King’s Cross Station)に着いた2人は、灯火管制による真っ暗闇の中、徒歩で駅からベーカーストリート221Bへ戻った。午後10時だった。そして、ハドスン夫人(Mrs. Hudson)が用意していた食事をとると、就寝。


翌日(9月9日)の早朝、誰かがベーカーストリート221Bを訪ねて来たため、ハドスン夫人が対応。ワトスンが時計で時刻を確かめると、まだ午前5時半過ぎだった。

早朝、ベーカーストリート221Bを訪ねて来たのは、スコットランドヤードのレストレード警部(Inspector Lestrade)だった。

ホームズは、レストレード警部に対して、「首相が誘拐されたのか?それとも、残忍な殺人事件なのか?」と尋ねると、レストレード警部は、「後者の方です。直ぐに着替えて、一緒に現場へ行ってほしい。」と頼み込む。

急いで着替えたホームズとワトスンの2人は、ベーカーストリート221Bの前で待っていた警察車輌に乗り込むと、レストレード警部と一緒に、現場であるコヴェントガーデン(Covent Garden)内のセブンダイヤルズ(Seven Dials)へと向かうのであった。


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