2025年11月13日木曜日

ジョージ・エリオット(George Eliot)- その1

ナショナルポートレートギャラリー(National Portrait Gallery)内で
所蔵 / 展示されているジョージ・エリオット
(本名:メアリー・アン・エヴァンズ)の肖像画
(By Sir Frederic William Burton / chalk / 1865年 /
514 mm x 381 mm)

アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)が執筆した長編としては、第6作目に、そして、エルキュール・ポワロ(Hercule Poirot → 2025年10月11日付ブログで紹介済)シリーズの長編としては、第3作目に該る「アクロイド殺し(The Murder of Roger Ackroyd → 2023年9月25日 / 10月2日付ブログで紹介済)」において、事件の記録者となる「わたし」こと、キングスアボット村(King's Abbot)に住むジェイムズ・シェパード医師(Dr. James Sheppard)は、村の富豪であるロジャー・アクロイド(Roger Ackroyd)から夕食に招待され、9月17日(金)の午後7時半に、ロジャー・アクロイドが住むフェルンリーパーク館(Fernly Park)を訪れた。

会席者を待つ間、ジェイムズ・シェパード医師は、応接間において、ロジャー・アクロイドによる蒐集品の数々を眺めていると、そこへフローラ・アクロイド(Flora Ackroyd - ロジャー・アクロイドの義理の妹で、未亡人のセシル・アクロイド夫人(Mrs. Cecil Ackroyd)の娘)が姿を見せる。


2022年に英国の HarperCollins Publishers 社から出版された
アガサ・クリスティー作「アクロイド殺し」の
愛蔵版(ハードカバー版)の表紙
(Cover design by Holly Macdonald /
Illustrations by Shutterstock.com) 


‘That pen that George Eliot wrote The Mill on the Floss with - that sort of thing - well, it’s only just a pen after all. If you’re really keen on George Eliot, why not get The Mill on the Floss in a cheap edition and read it.’

‘I suppose you never read such old out-of-date stuff, Miss Flora?’

‘You’re wrong, Dr Sheppard. I love The Mill on the Floss.’

I was rather pleased to hear it. The things young women read nowadays and profess to enjoy positively frighten me.


「ジョージ・エリオットが「フロス河の水車場」を書いたと言うあのペン - 結局、ただのペンでしょ。本当にジョージ・エリオットが好きなら、「フロス河の水車場」の廉価版を買って読めばいいのよ。」

「ああいう時代遅れの小説は読んだことがないんだろうね、フローラさん?」

「あら、そんなことはないわ、シェパード先生。わたし、「フロス河の水車場」は大好きです」

それを聞いてとてもうれしくなった。最近の若い女性が読んで面白いという小説には、はっきり言って鳥肌が立つからだ。


2022年に英国の HarperCollins Publishers 社から出版された
アガサ・クリスティー作「アクロイド殺し」の
愛蔵版(ハードカバー版)の裏表紙
(Cover design by Holly Macdonald /
Illustrations by Shutterstock.com) 


ジェイムズ・シェパード医師とフローラ・アクロイドの会話に出てくる「ジョージ・エリオット(George Eliot)」は、英国の作家である。

実は、「ジョージ・エリオット」はペンネームで、本名はメアリー・アン・エヴァンズ(Mary Anne Evans:1819年ー1880年)。


メアリー・アン・エヴァンズは、1819年11月22日、土地差配人である父ロバート・エヴァンズ(Robert Evans:1773年ー1849年)と母クリスティアナ・エヴァンズ(Christiana Evans:1788年ー1836年 / 旧姓:ピアスン(Pearson))の下、ウォーリック州(Warwickshire)ヌニートン(Nuneaton)に出生。なお、母親のクリスティアナ・エヴァンズは、後妻だった。


メアリー・アン・エヴァンズは、メソジスト派の雰囲気の中で育ち、1832年(13歳)にバプテスト派の宗教色が強いコヴェントリー(Coventry)の学校に入学するが、1836年(16歳)に母親が死去し、父親の世話をするために、学校を退学。知識欲が旺盛だった彼女は、以後、家庭で古典や外国語等を学んだ。


メアリー・アン・エヴァンズが21歳の時、兄のアイザック・エヴァンズ(Isaac Evans:1816年ー1890年)が結婚して、エヴァンズ家の家を引き継いだため、彼女は、父親と一緒に、コヴェントリー近郊へ移った。

そこで、彼女は、哲学者であるチャールズ・ブレイ(Charles Bray:1811年ー1884年)とカーラ・ブレイ(Cara Bray)の夫妻と知り合う。

彼らとの交友を通じて、メアリー・アン・エヴァンズは、1846年(27歳)に、ドイツの神学者 / 哲学者であるダーフィト・フリードリヒ・シュトラウス(David Friedrich Strauss:1808年ー1874年)の「イエス伝」の英語翻訳版を刊行。


1849年(30歳)に父親が亡くなり、父の葬式を済ませた5日後に、メアリー・アン・エヴァンズは、ブレイ夫妻と一緒に、欧州大陸旅行へ出発。

ブレイ夫妻とともに、スイスを訪れた後、彼女は、一人で残り、ジュネーヴに滞在した。


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