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| 東京創元社が発行する創元推理文庫「爬虫類館の殺人」の表紙(部分) カバーイラスト:ヤマモト マサアキ カバーデザイン:折原 若緒 カバーフォーマット:本山 木犀 |
第2次世界大戦(1939年-1945年)下の首都ロンドン、ケンジントンガーデンズ(Kensington Gardens)内にあるロイヤルアルバート動物園(Royal Albert Zoological Gardens)は、世界の蛇、蜥蜴や毒蜘蛛等を集めた爬虫類館で人気を集めていた。ところが、ドイツ軍の爆撃による空襲の脅威下、国家安全保証省(Department of Home Secuirty)からの要請により、閉園の危機を迎える。
園長のエドワード・ベントン(Edward Benton)は、なんとかして、ロイヤルアルバート動物園閉園の危機を乗り越えようといろいろと手を尽くしたものの、閉園の撤回は非常に難しい状況だった。
ロイヤルアルバート動物園閉園の危機を迎えて、気落ちする父エドワード・ベントンを元気づけるため、娘のルイーズ・ベントンは、曾祖父の代から対立している2つの奇術師一家の若き後継者であるケアリー・クイント(Carey Quint - 奇術師の青年)とマッジ・パリサー(Madge Palliser - 奇術師の女性)の2人に手品を披露してもらうべく、1940年9月6日(金)の夕食会に招待した。また、陸軍省の御意見番で、手品を得意とするヘンリー・メリヴェール卿(Sir Henry Merrivale)も、同じく招待されたのである。
空襲警報が鳴り響く中、ケアリー・クイント、マッジ・パリサーとヘンリー・メリヴェール卿の3人は、午後8時半頃、ロイヤルアルバート動物園内にある園長の家に到着。
玄関のドアには、鍵がかかっておらず、廊下の突き当たりにある園長エドワード・ベントンの書斎のドアには、「入室無用」の札が掛かっていた。また、ドアは閉じたままで、その下から光は漏れていなかった。
廊下の突き当たりにある園長の書斎を除くと、右の部屋も左の部屋も、ドアが開けっ放しで、夕食会の用意が為されていたものの、誰もいなかった。
ヘンリー・メリヴェール卿とマッジ・パリサーが、夕食を焦がしている臭いを嗅ぎつけると、3人は食堂へと急いだ。食堂内の閉じたオーブンの中では、ロースト料理が焦げていた。誰かが、全部のガスを全開にしていたのである。
慌ててオーブンのスイッチを切る3人であったが、何故か、食堂から廊下へ通じるドアに、鍵がかかっていた。3人以外に、園長の家内に居る誰かに、彼らは食堂内に閉じ込められてしまったのだ。
| 建物の外壁に刻まれた「セントバーソロミュー病院」の文字 <筆者撮影> |
ケアリー・クイントが奇術用の小道具を使い、ドアの鍵を解錠して、廊下へ出ると、丁度、飼育員のマイク・パーソンズとセントバーソロミュー病院(St. Bartholomew's Hospital → 2014年6月14日付ブログで紹介済)の医師で、ルイーズ・ベントンの恋人のジャック・リヴァーズが玄関のドアから入って来た。
ジャック・リヴァーズによると、午後7時に、園長のエドワード・ベントン本人から、「夕食会は中止になった」旨の電話連絡があった、とのこと。園長の声の様子に不自然さを感じたジャック・リヴァーズは、病院から駆け付けたのであった。
ヘンリー・メリヴェール卿を含めた5人は、廊下の突き当たりにある園長の書斎のドアを開けようとしたが、鍵がかかっていた。また、中から鍵穴に何かが貼り付けてあるようだった。
廊下に面したドアは、全て、同じ鍵を使っていることを知っているジャック・リヴァーズは、食堂のドアから鍵を抜くと、ヘンリー・メリヴェール卿に手渡した。
ヘンリー・メリヴェール卿が書斎の鍵を解錠して、ドアを開けると、園長のエドワード・ベントンが、一匹の蛇と一緒に、ガス中毒により死亡しているのを発見する。
書斎のドアと窓の全てが内側から厳重に目張りされた「密室(sealed room)」状態で、状況的には、ロイヤルアルバート動物園の閉園を苦にしての自殺としか思えなかった。
そんな最中、園長の娘であるルイーズ・ベントンが戻って来る。
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| ホルボーン高架橋通り(西側) / ニューゲートストリート(東側)方面から ギルップールストリートを北へ眺めたところ – 画面右手前のビルには Bank of America Merrill Lynch が入居しており、 画面右手奥にはセントバーソロミュー病院がある。 <筆者撮影> |
彼女によると、午後7時頃、夕食の支度を始めようとした際、男性の声で電話があり、「ジャック・リヴァーズが乗った車が、病院近くのギルップールストリート(Giltspur Street → 2018年6月9日 / 6月16日 / 6月23日付ブログで紹介済)で大型トラックに衝突して、本人は大怪我を負った。」とのことだったので、メイドのローズマリーに夕食の支度を任せ、彼女は慌てて病院へと向かったのだった。
ところが、メイドのローズマリーも、その後、同じ声の電話で「ルイーズ・ベントンが、ジャック・リヴァーズの看護を手伝ってほしい。」との連絡があったため、同じく、病院へと駆け付けた結果、園長の家は不在となっていたのである。
自殺だと思われる状況ではあったが、ルイーズ・ベントンは、「爬虫類の研究に生涯を捧げた父が、大事にしていた蛇のペイシェンスを道連れにする筈がない。」と言って、他殺を主張する。
園長エドワード・ベントンのガス中毒による死亡は、状況通り、自殺なのか、それとも、他殺なのか?
仮に他殺だったとして、犯人は、一体どのようにして、糊付けした紙で目張りされた書斎から抜け出すことができたのか?
日本において、本作品は、「爬虫類館の殺人」というタイトルで通っているが、作者のジョン・ディクスン・カー(John Dickson Carr:1906年ー1977年 / 筆名:カーター・ディクスン(Carter Dickson))による原題は、「He Wouldn’t Kill Patience」となっている。
これは、ロイヤルアルバート動物園の園長エドワード・ベントンの娘であるルイーズ・ベントンがヘンリー・メリヴェール卿に対して放った「父がペイシェンスを殺す筈がない。(He wouldn’t kill Patience.)」が、そのまま原題として使用されているのである。
米国の推理作家 / 推理雑誌編集者で、アマチュア奇術師でもあったクレイトン・ロースン(Clayton Rawson:1906年ー1971年)は、ジョン・ディクスン・カーと親交が深く、奇術趣味同士と言うこともあり、推理小説の分野において、お互いに影響を与え合った。
クレイトン・ロースンが出した「ドアや窓を目張りした部屋における密室殺人」と言う主題に基づいて、彼とジョン・ディクスン・カーの2人は、競作を行う。
ジョン・ディクスン・カーは、1944年にヘンリー・メリヴェール卿シリーズの長編第14作目「爬虫類館の殺人」で、また、クレイトン・ロースンは、1948年に短編「この世の外から(Out of this World)」により、それぞれ全く異なる解決を導き出している。


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