2025年11月14日金曜日

ロンドン ブルネル博物館(Brunel Museum)- その3

ブルネル博物館のブルネルエンジンハウスを裏側から見たところ
<筆者撮影>


サー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Sir Arthur Ignatius Conan Doyle:1859年ー1930年)が、シャーロック・ホームズシリーズの短編小説56作のうち、43番目の作品として、英国の「ストランドマガジン(The Strand Magazine)」の1913年12月号に、また、米国の「コリアーズ ウィークリー(Collier’s Weekly)」の1913年11月22日号に発表した作「瀕死の探偵(The Dying Detective → 2025年5月5日 / 5月21日付ブログで紹介済)」に出てくるロザーハイズ地区(Rotherhithe → 2025年8月31日 / 9月6日付ブログで紹介済)は、以前(シャーロック・ホームズとジョン・H・ワトスンが活躍をするヴィクトリア朝時代よりも前)は波止場が主体であったが、19世紀中頃(1843年)に、フランス生まれの技術者であるサー・マーク・イザムバード・ブルネル(Marc Isambard Brunel:1769年ー1849年)と彼の息子で、英国の技師であるイザムバード・キングダム・ブルネル(Isambard Kingdom Brunel:1806年ー1859年)が「テムズトンネル(Thames Tunnell)」を完成させたことにより、テムズ河(River Thames)の北岸(ワッピング地区(Wapping))と南岸(ロザーハイズ地区)が接続された。


英国で出版された「ストランドマガジン」
1913年12月号に掲載された挿絵(その1) -
ジョン・H・ワトスンがシャーロック・ホームズとの共同生活を解消してから、
2年が経過していた。
ベイカーストリート221B の家主であるハドスン夫人が、
ワトスンの家を訪ねて来る。ホームズが謎の病に罹り、
瀕死の状態に陥っている、とのこと。
ハドスン夫人の依頼を受けて、ワトスンは、
直ぐにホームズの元へと向かい、
熱帯病に詳しい医師を連れて来ようと提案するものの、
何故か、ホームズは一切聞き入れず、
後で自分が指定する人物を読んで来るようにと言い張ったのである。
画面右側から、シャーロック・ホームズ、
そして、ジョン・H・ワトスン。
挿絵:ウォルター・スタンリー・パジェット
(Walter Stanley Paget:1862年 - 1935年)

なお、ウォルター・スタンリー・パジェットは、
シャーロック・ホームズシリーズのうち、

第1短編集の「シャーロック・ホームズの冒険

(The Adventures of Sherlock Holmes)」(1892年)、

第2短編集の「シャーロック・ホームズの回想

(The Memoirs of Sherlock Holmes)」(1893年)、

第3短編集の「シャーロック・ホームズの帰還

(The Return of Sherlock Holmes)」(1905年)および

長編第3作目の「バスカヴィル家の犬(The Hound of the Baskervilles)」

「ストランドマガジン」1901年8月号から1902年4月号にかけて連載された後、

単行本化)の挿絵を担当したシドニー・エドワード・パジェット

(Sidney Edward Paget:1860年 - 1908年)の弟である。


テムズ河の川底に初めてトンネルを通したブルネル親子による功績を称えて、ロザーハイズ地区内には、ブルネル博物館(Brunel Museum)が開館し、ブルネル親子が完成させた「テムズトンネル」に関する資料を展示している。


ブルネル博物館は、現在、


(1)ブルネルエンジンハウス(Brunel Engine House)


レイルウェイアベニュー(Railway Avenue)から見た
ブルネル博物館のブルネルエンジンハウス
<筆者撮影>


「ブルネルエンジンハウス」に掛けられているプラーク
<筆者撮影>



(2)テムズトンネルシャフト(Thames Tunnell Shaft)


ブルネルエンジンハウスの入口上部の壁画
<筆者撮影>

ブルネルエンジンハウスの入口左横の壁プレート
<筆者撮影>

の2つの建物で構成されている。


ブルネル博物館内に展示されている
サー・マーク・
イザムバード・ブルネルの肖像画
<筆者撮影>


ブルネルエンジンハウスは、父親のサー・マーク・イザムバード・ブルネルが設計して、ので、1825年から1843年にかけて、トンネルから水を吸い出すための蒸気駆動ポンプが設置された。


テムズ河北岸のヴィクトリアエンバンクメント通り
(Victoria Embankment → 2018年12月9日付ブログで紹介済)沿いに設置されている
英国の技師であるイザムバード・キングダム・ブルネル
(1806年ー1859年)のブロンズ像
<筆者撮影>


イザムバード・キングダム・ブルネルは、
パディントン駅(Paddington Station → 2014年8月3日付ブログで紹介済)を初めとする
グレイトウェスタン鉄道の施設や車輌等を設計したことで有名である。
<筆者撮影>


彼の息子であるイザムバード・キングダム・ブルネルは、1823年に「テムズトンネル」の建設プロジェクトに参加して、1827年1月に、僅か20歳の若さで建設プロジェクトの Resident Engineer に任命された。

当時、トンネルを建設する場合、「開削工法(地面から溝のような穴を掘り、その底にトンネルを建設した後に、埋め戻す工法)」が採られていたが、「テムズトンネル」の建設プロジェクトの場合、イザムバード・キングダム・ブルネルは、「シールド工法」を考案した。

「シールド工法」とは、「シールド」と呼ばれる筒で切羽(トンネル掘削の最前線)を支え、掘り進めながら、後方でトンネルの壁を構築していく工法で、イメージとしては、モグラのように地下を掘り進めつつ、その後方にトンネルの壁を造っていく方法と言える。

「シールド工法」の場合、地面から「立杭(シャフト)」と呼ばれる垂直の穴を掘り、そこから横方向へ掘り進めるため、「開削工法」に比べると、地表に与える影響が少ないと言う特徴があり、現在、都市部を通る鉄道、道路、上下水道や地下河川等のトンネルを建設する際、「シールドマシン」と呼ばれる機械を使用した「シールド工法」がよく使用されている。

この「立杭」が、テムズトンネルシャフトである。


ブルネル博物館内の壁に描かれている
「ブルネルエンジンハウス」と「立杭(シャフト)」の構造図
<筆者撮影>


1961年より、これらの建物は、トンネルの建設やブルネル親子によるその他のプロジェクトに関する資料を展示する博物館として運営されてきた。

1974年には、歴史的建造物として、煙突とブルネルエンジンハウスが、グレード II(Grade II Listed)の指定を受ける。

1975年に構造上の経年劣化が見つかり、「ブルネル  エキビション ロザーハイズ(Brunel Exhibition Rotherhithe)」と名付けられた慈善信託基金が集められ、1979年に補修が行われた。


サー・マーク・イザムバード・ブルネル自身が描いた
「テムズトンネル(The Thames Tunnel)」(1835年)
<筆者撮影>


2006年に、博物館の名前を「ブルネルエンジンハウス」から「ブルネル博物館」へ変更して、今までのブルネルエンジンハウスに加えて、テムズトンネルシャフトも一般に公開。

2018年には、助成金を含めて、20ポンドを超える資金を集め、サー・マーク・イザムバード・ブルネル自身が描いた「テムズトンネル(The Thames Tunnel)」(1835年)等を購入して、展示品に追加。


ブルネルエンジンハウスの地下に展示されている
「テムズトンネル」の建設プロジェクトに関する歴史年表(その1)
<筆者撮影>

ブルネルエンジンハウスの地下に展示されている
「テムズトンネル」の建設プロジェクトに関する歴史年表(その2)
<筆者撮影>

ブルネルエンジンハウスの地下に展示されている
イザムバード・キングダム・ブルネルが関わった様々なプロジェクトの記録写真
<筆者撮影>


現在、ブルネルエンジンハウスが展示室になっており、テムズトンネルシャフトでは、ブルネル親子が完成させた「テムズトンネル」に関するビデオ上映が行われている。 


テムズトンネルシャフト内で行われている
「テムズトンネル」に関するビデオ上映(その1)
<筆者撮影>

テムズトンネルシャフト内で行われている
「テムズトンネル」に関するビデオ上映(その2)
<筆者撮影>


テムズ河を横断する河底トンネルである「テムズトンネル」の建設は、元々、サー・マーク・イザムバード・ブルネルが計画したものである。

彼の息子であるイザムバード・キングダム・ブルネルが「テムズトンネル」の建設プロジェクトに技師として関与したのは、僅か2年間で、出水事故により負傷したため、建設プロジェクトから離れている。

にもかかわらず、現在、「テムズトンネル」の建設について有名になっているのは、何故か、父親のサー・マーク・イザムバード・ブルネルではなく、息子のイザムバード・キングダム・ブルネルと言うのが、実状である。


           

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