2022年9月19日月曜日

エリザベス2世(HM Queen Elizabeth II)- その2(在位50周年記念切手)

2022年9月8日にスコットランドのアバディーン州(Aberdeenshire)にあるバルモラル城(Balmoral Castle)で崩御された英国のウィンザー朝第4代女王であるエリザベス2世(HM Queen Elizabeth II:1926年–2022年 / 在位期間:1952年–2022年)の在位50周年(The Golden Jubilee / The Fiftieth Anniversary)を記念して、2002年2月6日に英国のロイヤルメール(Royal Mail)から記念切手5種類が発行されているので、今回紹介したい。

「2nd Class」、「1st Class」、「E(欧州大陸向け)」、「45p」、そして、「65p」へと進むに従って、在位10週年、在位20周年、在位30周年、在位40周年、在位50周年の頃に撮影した写真を使っているのではないかと思われる。







2022年9月18日日曜日

オスカー・ワイルド作「ドリアン・グレイの肖像」<小説版>(The Picture of Dorian Gray by Oscar Wilde )- その1

英国の Penguin Books Ltd. から
Penguin Classics シリーズの一つとして出版されている
オスカー・ワイルド作「ドリアン・グレイの肖像」の表紙
(Cover : Detail from The Earl of Dahlhousie (1900)
by John Singer Sargent, in Brechin Castle)
(Photo : courtesy The Earl of Dalhousie)


英国の歴史家、作家で作曲家でもあるポール・W・ナッシュ(Paul W. Nash)が2010年に執筆して、英国の Strawberry Books 社から2011年に出版した短編集「シャーロック・ホームズの遺稿(The Remains of Sherlock Holmes → 2022年9月5日 / 9月8日 / 9月13日 / 9月15日 / 9月17日付ブログで紹介済)」に収録されている短編「ドリアン・グレイの謎(The Mystery of Dorian Gray)」は、英国の作家であるオスカー・フィンガル・オフラハティ・ウィルス・ワイルド(Oscar Fingal O’Flahertie Wills Wilde:1854年ー1900年)唯一の長編小説「ドリアン・グレイの肖像(The Picture of Dorian Gray)」をベースにしている。

「ドリアン・グレイの肖像」は、「リピンコット・マンスリー・マガジン(Lippincott’s Monthly Magazine)」の1890年7月号に掲載された後、1891年に刊行されている。


ナショナルポートレイトギャラリー
(National Portrait Gallery)で販売されている
オスカー・ワイルドの写真の葉書
(Napoleon Sarony / 1882年 / Albumen panel card
305 mm x 184 mm) 


「ドリアン・グレイの肖像」の執筆経緯は、以下の通り。


1889年8月30日、ロンドン市内のオックスフォードサーカス(Oxford Circus → 2015年4月26日付ブログで紹介済)の近くに建つランガムホテル(Langham Hotel → 2014年7月6日付ブログで紹介済)において、以下のアイリッシュ系の男性3人が食事会を行った。


(1)米国のフィラデルフィアに本社を構える「リピンコット・マンスリー・マガジン」のエージェントであるジョセフ・マーシャル・ストッダート博士(Dr. Joseph Marshall Stoddart → アイルランド生まれの米国人)

(2)新進気鋭の若い作家として売り出し中のオスカー・フィンガル・オフラハティ・ウィルス・ワイルド(ダブリンの名門に生まれた生粋のアイルランド人)

(3)アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Arthur Ignatius Conan Doyle:1859年ー1930年 → アイルランドの血をひくスコットランド人)


この食事会で、ストッダート博士は、オスカー・ワイルドとコナン・ドイルの2人から、それぞれ長編物を一作同誌に寄稿する約束を取り付けた。


コナン・ドイルは早速執筆に取り掛かり、約1ヶ月間で原稿を書き上げて、それをストッダート博士宛に送付。その作品のタイトルが「四つの署名(The Sign of the Four → 2017年8月12日付ブログで紹介済)」である。事件の依頼人であるメアリー・モースタン嬢(Mary Morstan)の父親で、約10年前の1878年12月、インドから帰国した後、行方不明になったアーサー・モースタン大尉(Captain Arthur Morstan)の宿泊先として、コナン・ドイル達が食事会を行なったランガムホテルが使用された。


「四つの署名」は、「リピンコット・マンスリー・マガジン」の1890年2月号に掲載されたが、続いて、同誌の1890年7月号に掲載されたオスカー・ワイルドの作品は、あの有名な「ドリアン・グレイの肖像」であった。


なお、コナン・ドイルの原稿料は、4万5千語の作品で100ポンドだったが、当時、英国の世紀末文学の旗手として期待されていたオスカー・ワイルドの原稿料は、コナン・ドイルの倍の200ポンドだった、とのこと。コナン・ドイルが「ストランドマガジン(The Strand Magazine)」の1891年7月号にホームズシリーズの短編小説「ボヘミアの醜聞(A Scandal in Bohemia)」を発表して爆発的な人気を得る前のことであり、残念ながら、売れっ子のオスカー・ワイルドとは、それ位の開きがあったのである。


2022年9月17日土曜日

ポール・W・ナッシュ作「シャーロック・ホームズの遺稿」(The Remains of Sherlock Holmes by Paul W. Nash) - その5

英国の Strawberry Books 社から2011年に出版された
ポール・W・ナッシュ作「シャーロック・ホームズの遺稿」の
カバーを外した本体の表紙(ハードカバー版)
(Dust-jacket design by Armand Dill /
Wood^engraving by Paul W. Nash)

読後の私的評価(満点=5.0)


(1)事件や背景の設定について ☆☆☆☆半(3.5)


いかにもサー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Sir Arthur Ignatius Conan Doyle:1859年ー1930年)による原作としても通用しそうな事件をちりばめつつ、「サリー州の巨人の冒険(The Adventure of The Surrey Giant)」や「ドリアン・グレイの謎(The Mystery of Dorian Gray)」といったスケールの大きな謎も加えて、短編集全体のバランスをうまくとっていると思う。


(2)物語の展開について ☆☆☆☆(4.0)


事件によっては、最初の展開の必要性に疑問符が付く短編があるものの、全体的には、うまく流れている。

特に、「シャーロック・ホームズの遺稿(The Remains of Sherlock Holmes)」においては、コナン・ドイル原作の「赤毛組合(The Red-Headed League)」が大きく関わってくるストーリーになっていて、まあまあ面白い。

ただ、物語の最後に衝撃の展開となるが、シャーロック・ホームズにとって本当に最後の事件と言うには、やや唐突な印象を否めない。


(3)ホームズ / ワトスンの活躍について ☆☆☆☆(4.0)


全編を通して、コナン・ドイルの原作に比べ、ホームズは、読者に対して、より判りやすく合理的な推理を披露している。

特に、「ドリアン・グレイの謎」においては、オスカー・フィンガル・オフラハティ・ウィルス・ワイルド(Oscar Fingal O'Flahertie Wills Wilde:1854年ー1900年)による原作「ドリアン・グレイの肖像(The Picture of Dorian Gray)」(1890年)のようなホラー的な要素を全て排除して、非常に理論的かつ合理的な解決に導いていて、興味深い。


(4)総合評価 ☆☆☆☆(4.0)


今まで読んできたホームズのパスティーシュ作品のほとんどが長編ものであったが、余程面白い題材でない限りは、一つのテーマで最初から最後までずーっと長く話を展開していくのは、正直ベース、非常に難しく感じた。そういった意味では、ホームズ作品は、長編よりも、短編や中編に向いているのではないかと思われる。

本短編集は、一部を除き、うまくまとまっていて、割合と好印象。特に、「ドリアン・グレイの謎」については、短編ではなく、逆に、もう少し長い話で読んでみたい。



2022年9月16日金曜日

ロンドン ウィンポールストリート82番地(82 Wimpole Street)

推理小説「月長石」の作者である
ウィリアム・ウィルキー・コリンズが亡くなった
ウィンポールストリート82番地は、
画面中央の外壁が白い建物である。

米国ユタ州ソルトレークシティー出身の作家であるサム・シチリアーノ(Sam Siciliano:1947年ー)が2017年に発表した「シャーロック・ホームズの更なる冒険 / 月長石の呪い(The further adventures of Sherlock Holmes / The Moonstone’s Curse → 2022年8月28日付ブログで紹介済)」 がベースにしている推理小説「月長石(The Monnstone)」(1868年)の作者で、ヴィクトリア朝時代(1837年-1901年)に活躍した英国の小説家 / 推理作家 / 劇作家のウィリアム・ウィルキー・コリンズ(William Wilkie Collins:1824年ー1889年 → 2022年9月2日 / 9月4日付ブログで紹介済)が亡くなった場所が、ロンドン 市内にある。



彼は、1824年1月8日に、ロイヤルアカデミー(Royal Academy)に所属する高名な風景画家であるウィリアム・コリンズ(William Collins)とハリエット・ゲッデス(Harriet Geddes)の長男としてロンドンに出生し、父親の名前に因んで、ウィリアム・ウィルキー・コリンズと名付けられるが、名付け親(godfather)であるデイヴィッド・ウィルキー(David Wilkie)からもらったミドルネームを用いて、ウィルキー・コリンズ(Wilkie Collins)と呼ばれるようになった。



1850年代、痛風(関節炎)の最初の発作がウィルキー・コリンズを襲い、鎮痛剤として服用した阿片チンキに次第に耽溺するようになり、この悪癖が彼の晩年を苦しめることになる。



1889年9月23日、ウィルキー・コリンズは、中風の発作(paralytic stroke)により亡くなるが、彼が亡くなった家が、ロンドン の中心部シティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)のマリルボーン地区(Marylebone)内にある。



南側には、地下鉄オックスフォードサーカス駅(Oxford Circus Tube Station)から、地下鉄マーブルアーチ駅(Marble Arch Tube Station)へと向かって、西に延びるオックスフォードストリート(Oxford Street → 2016年5月28日付ブログで紹介済)が、また、北側には、地下鉄グレイトポートランドストリート駅(Great Portland Street Tube Station)から、地下鉄ベイカーストリート駅(Baker Street Tube Station)へと向かって、西に延びるマリルボーンロード(Marylebone Road)がある。

オックスフォードストリートに並行して、その北側には、キャヴェンディッシュスクエア(Cavendish Square →2015年4月5日付ブログで紹介済)から西に延びるウィグモアストリート(Wigmore Street → 2017年8月19日付ブログで紹介済)がある。キャヴェンディッシュスクエアから始まるウィグモアストリートの右手には、今も医療関係の施設や建物が立ち並ぶハーリーストリート(Harley Street → 2015年4月11日付ブログで紹介済)が、マリルボーンロードへと向かって、北に延びている。更に、ウィグモアストリートを進み、次に右手に見えるウィンポールストリート(Wimpole Street)へと右折。ウィンポールストリートを北へ25m程進んだ左手に見えるウェルベックウェイ(Welbeck Way)の手前に建つウィンポールストリート82番地(82 Wimpole Street)が、それである。


ウィンポールストリート82番地の建物の外壁には、
プラークは掛けられていない。
(グロースタープレイス65番地の建物に、既にプラークが掛けられているため)


ウィンポールストリート82番地の建物の外壁には、ウィリアム・ウィルキー・コリンズがここで亡くなったことを示すプラークは、特に掛けられていない。

ウィリアム・ウィルキー・コリンズが、結婚という形態に批判的であり、生涯結婚はしなかったが、1850年代に出会ったキャロライン・グレーヴス(Caroline Graves)という未亡人の女性と、彼が1889年に亡くなるまで同居していた家であるグロースタープレイス65番地(65 Gloucester Place → 2022年9月14日付ブログで紹介済)に既にプラークが掛けられており、基本的に、1個人1プラークという原則があるためである。


2022年9月15日木曜日

ポール・W・ナッシュ作「シャーロック・ホームズの遺稿」(The Remains of Sherlock Holmes by Paul W. Nash)- その4

英国のロイヤルメール(Royal Mail)が発行した
サウスダウンズ国定公園(South Downs National Park)の切手 -
画面奥に見えるのは、白亜系チョークから成る海食崖である
セブンシスターズ(Seven Sisters → 2017年4月9日付ブログで紹介済)

(7)シャーロック・ホームズの遺稿(The Remains of Sherlock Holmes)


1929年の春、シャーロック・ホームズとジョン・H・ワトスンの二人が引退したサウスダウンズ(South Downs)において、事件は発生した。


そして、「ホームズが亡くなった。(It was in the spring of the year 1929 that my friend Sherlock Holmes died.)」という衝撃的な一文から、物語が始まる。ただし、ホームズの死体は見つかっておらず、彼の死は、未だに公式記録となっていない。(That, at least, is my belief, though his death has never been certified and his mortal remains have not been found.)


1925年6月に夫人が亡くなった後から、ワトスンは、サウスダウンズにあるホームズのコテージに同居していた。


ある日、サムスン・カーデュー(Samson Cardew)という男性が、事件の相談のために、ホームズのコテージを訪れる。

父親の死後、彼はヘイスティングス(Hastings - イーストサセックス州(East Sussex)にある街)へと移り、母親のアグネス(Agnes)と一緒に、そこでホテルを経営して成功を納めていた。


そんな時、ホテルに滞在していたベートマン(Bateman)と名乗る男が、サムスンのオフィスに突然入って来て、彼に対して、「チャーリー・ヴィンセント(Charlie Vincent)について、教えろ!」と迫った。

訳が分からず、断るサムスンに向かって、ベートマンは、ナイフをちらつかせて、暴行を加えたのである。


「チャーリー・ヴィンセント」とは、40年前、サムスンの父親が死に際に彼に残した謎の歌であった。


果たして、謎の歌に隠されたものは、何か?ベートマンと名乗る男は、一体、何を狙っているのか?


地下鉄ベイカーストリート駅(Baker Street Tube Station)内の
ジュビリーライン(Jubilee Line)のホーム壁に設置されているシャーロック・ホームズシリーズの名場面 -
これは、「赤毛組合」で、ジェイベス・ウィルスンが営む質屋の裏側に建つ銀行の地下室において、
画面左側から、銀行の頭取であるメリーウェザー氏(Mr. Merryweather)、
スコットランドヤードのピーター・ジョーンズ(Peter Jones)、
シャーロック・ホームズとジョン・H・ワトスンの4人が、
暗闇の中、黙って待ち伏せを続けている場面が描かれている。


サムスンの依頼に基づいて、ホームズが解き明かした事件の真相の裏には、彼が40年近く前の1890年に解決した「赤毛組合(The Red-Headed League)」事件が深く関わっていたのである。


なお、英語の「Remains」には、「遺稿」の他に、「遺体」や「遺骨」という意味もあるので、本短編のタイトルには、二重の意味がかけられていると言える。


2022年9月14日水曜日

ロンドン グロースタープレイス65番地(65 Gloucester Place)

推理小説「月長石」の作者であるウィリアム・ウィルキーコリンズが
住んでいたグロースタープレイス65番地の全景写真

米国ユタ州ソルトレークシティー出身の作家であるサム・シチリアーノ(Sam Siciliano:1947年ー)が2017年に発表した「シャーロック・ホームズの更なる冒険 / 月長石の呪い(The further adventures of Sherlock Holmes / The Moonstone’s Curse → 2022年8月28日付ブログで紹介済)」 がベースにしている推理小説「月長石(The Monnstone)」(1868年)の作者で、ヴィクトリア朝時代(1837年-1901年)に活躍した英国の小説家 / 推理作家 / 劇作家のウィリアム・ウィルキー・コリンズ(William Wilkie Collins:1824年ー1889年 → 2022年9月2日 / 9月4日付ブログで紹介済)が住んでいた場所が、ロンドン 市内にある。



彼は、1824年1月8日に、ロイヤルアカデミー(Royal Academy)に所属する高名な風景画家であるウィリアム・コリンズ(William Collins)とハリエット・ゲッデス(Harriet Geddes)の長男としてロンドンに出生し、父親の名前に因んで、ウィリアム・ウィルキー・コリンズと名付けられるが、名付け親(godfather)であるデイヴィッド・ウィルキー(David Wilkie)からもらったミドルネームを用いて、ウィルキー・コリンズ(Wilkie Collins)と呼ばれるようになった。

推理小説「月長石」の作者であるウィリアム・ウィルキーコリンズが、
キャロライン・グレーヴスという未亡人の女性と彼女の連れ子と一緒に
暮らしていた家が、グロースタープレイス65番地の建物である。


ウィルキー・コリンズは、結婚という形態に批判的であり、生涯結婚はしなかったが、1850年代に出会ったキャロライン・グレーヴス(Caroline Graves)という未亡人の女性と、(彼が全く結婚に同意しないため、彼女が別の男性と結婚していた2年間(1868年ー1870年)を除いて、)彼が1889年に亡くなるまで同居して、彼女の連れ子(ハリエット(Harriet))を自分の娘として育てた。ウィルキー・コリンズがキャロライン・グレーヴス達と一緒に同居していた家が、ロンドン の中心部シティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)のマリルボーン地区(Marylebone)内にある。


南側には、地下鉄オックスフォードサーカス駅(Oxford Circus Tube Station)から、地下鉄マーブルアーチ駅(Marble Arch Tube Station)へと向かって、西に延びるオックスフォードストリート(Oxford Street → 2016年5月28日付ブログで紹介済)が、また、北側には、地下鉄グレイトポートランドストリート駅(Great Portland Street Tube Station)から、地下鉄ベイカーストリート駅(Baker Street Tube Station)へと向かって、西に延びるマリルボーンロード(Marylebone Road)がある。

ベイカーストリート(Baker Street → 2016年10月1日付ブログで紹介済)に並行して、オックスフォードストリートからマリルボーンロードへと向かって北へ延びるグロースタープレイス(Gloucester Place)の左手、モンタギュープレイス(Montagu Place:北側)とジョージストリート(George Street)に挟まれたグロースタープレイス65番地(65 Gloucester Place)が、それである。


グロースタープレイス65番地の建物外壁に掛けられている
ウィリアム・ウィルキー・コリンズがここに住んでいたことを示すプラーク


現在、グロースタープレイス65番地の地上階(Ground Floor)の白い外壁に、「ウィリアム・ウィルキー・コリンズが、ここに住んでいた」旨の London County Council のプラークが掛けられている。


2022年9月13日火曜日

ポール・W・ナッシュ作「シャーロック・ホームズの遺稿」(The Remains of Sherlock Holmes by Paul W. Nash) - その3

英国の Strawberry Books 社から2011年に出版された
ポール・W・ナッシュ作
「シャーロック・ホームズの遺稿」のカバー表紙
(Dust-jacket design by Armand Dill /
Wood^engraving by Paul W. Nash)

(5)教授の助手の冒険(The Adventure of the Professor’s Assistant)


1898年の秋の事件である。


ハラム・パルフィット(Hallam Parfitt)という若い男性が、ベイカーストリート221B(

221B Baker Street → 2014年6月22日 / 6月29日付ブログで紹介済)のシャーロック・ホームズの元へ、事件の捜査を依頼しにやって来た。


彼は、ピナー(Pinner - ハーロウ・ロンドン特別区(London Borough of Harrow)内にある地区)に住む人類学者(anthropologist)であるエドワード・ブォーモント教授(Professor Edward Beaumont)の助手で、彼によると、5週間前のある夜、メイドがブォーモント夫人(Mrs. Beaumont)の寝室に入ると、カーペットの上に、夫人がブロンズ像で頭部を殴打されて死亡しているのを発見した、とのこと。

夫人の寝室の窓が開いていたため、警察は強盗の仕業だと考える。カーペットの上に残されていた毛を警察が調べたところ、教授が実験のために連れてきた「教授の助手(Professor’s Assistant)」である「サイラス(Silas - 西アフリカ原産のオナガザル科マンドリル属のヒヒ)」のものであることが判明。

「サイラス」自体は非常におとなしいため、警察は夫人の殺害容疑者から外すが、教授は、何故か、口を閉ざすのであった。


果たして、事件当夜、夫人の寝室において、何が発生したのか?


(6)沈黙した下男の冒険(The Adventure of the Silent Valet)


1901年5月に発生した事件である。


スコットランドヤードのグレッグスン主任警部(Chief Inspector Gregson → 警部から主任警部へ昇進している)の指示で、部下のフランシス・アラルダイス警部(Inspector Francis Allardyce)が、ホームズの元を事件の相談に訪れる。


前日の夜、トゥイッケナム(Twickenham - リッチモンド・ロンドン特別区(London Borough of Richmond)内にある地区)に住むマラビー伯爵(Earl Mallerby)が、内側から鍵がかかった自宅の寝室において、至近距離から銃で撃たれて殺害されたのである。

執事のジョイス(Joyce)が寝室のドアを押し破って内に入ってみると、殺害された伯爵の死体の側には、下男のヘンリー・ミドルトン(Henry Middleton)が気を失って倒れていた。ジョイスがミドルトンを起こしたところ、気が付いたミドルトンは、何故か、押し黙ったままで、何も語ろうとしなかった。


果たして、事件等や、伯爵の寝室において、何が起きたのだろうか?