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| Self-Portrait(自画像)by Sir Joshua Reynolds 1747年ー1749年頃 ナショナルポートレイトギャラリー(Naitional Portrait Gallery)が所蔵 <筆者撮影> |
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| ナショナルポートレイトギャラリーの館内 <筆者撮影> |
アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)が1967年に発表した長編「終りなき夜に生れつく(Endless Night → 2026年4月13日 / 4月30日付ブログで紹介済)」は、彼女が執筆した長編としては、第58作目に該り、エルキュール・ポワロやミス・ジェーン・マープル等が登場しないノンシリーズ作品である。
キングストンビショップ村(Kingston Bishop)にある「ジプシーが丘(Gipsy’s Acre)」は、海を臨むことができる美しい眺望の景勝地であったが、そこで以前に起こった不吉な事故によって、キングストンビショップ村の住民達からは、呪われた伝説を持つ土地として、非常に恐れられていた。
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| Sir William Chambers (1722 - 1796) by Sir Joshua Reynolds 1756年頃 ナショナルポートレイトギャラリーが所蔵 <筆者撮影> |
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| Horace Walpole (1717 - 1797) by Sir Joshua Reynolds 1756年−1757年頃 ナショナルポートレイトギャラリーが所蔵 <筆者撮影> |
ある日、皆に恐れられている「ジプシーが丘」において、
(1)ドライバー等の職業を転々とするその日暮らしの風来坊であるマイケル・ロジャース(Michael Rogers - 通称:マイク(Mike))→ この物語の語り手
と
(2)米国の大富豪(石油王)の娘で、裕福な相続人であるフェニラ・グットマン(Fenella Guteman - 通称:エリー(Ellie))
は出会い、会った瞬間に、若い二人は恋に落ちた。
そして、「ジプシーが丘」こそ、自分達の生活のスタート地点として相応しいと考えたのである。
エリーと結婚したマイクは、ドライバーとして働いていた頃に知り合った芸術家気質の著名な建築家で、余命いくばくもないルドルフ・サントニックス(Rudolf Santonix)に依頼して、「ジプシーが丘」に自分達の夢の邸宅を建ててもらう。
「ジプシーが丘」に建った自分達の夢の邸宅に住み始めた二人だったが、まもなく悲劇的な事件が発生する。
ある日、マイクは、キングストンビショップ村の住民で、友人となったフィルポット少佐(Major Phillpot)と一緒に、オークションへ出かけ、エリーは、乗馬に出かけた。2人は、フィルポット少佐を交えて、昼食を一緒にする約束をしていたが、いつまで待っても、エリーは待ち合わせ場所に姿を見せなかった。
やがて、エリーが森の中で死んでいるのが発見される。
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| Sir Joseph Banks (1743 - 1820) by Sir Joshua Reynolds 1771年−1773年頃 ナショナルポートレイトギャラリーが所蔵 <筆者撮影> |
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| David Garrick (1717 - 1779) and Eva Maria Garrick (1724 - 1822) by Sir Joshua Reynolds 1772年ー1773年頃 ナショナルポートレイトギャラリーが所蔵 <筆者撮影> |
I left the smaller car for Ellie as it was easier to park and took the big Chrysler myself. I got to Barrington Manor just before the sale began. Phillpot was there already and had kept a place for me.
’Some quite nice stuff here,’ he said. ‘One or two good pictures. A Romney and a Reynolds. I don’t know if you’re interested?’
I shook my head. My taste at the moment was entirely for modern artists.
僕は、エリー用に小型の車を残して、自分は大型のクライスラーを使った。小型車の方が、昼食の待ち合わせ場所に駐車し易いと思ったからだ。バリントンマナーハウスには、オークションが始まる直前に着いた。フィルポッツ少佐は、既に到着済で、僕のために席を確保しておいてくれた。
「いくつか良い掘り出し物があるんだ。」と、彼は言った。「素晴らしい絵画が1、2枚出品されている。(ジョージ・)ロムニーと(ジョシュア・)レノルズの絵画が1枚ずつ出ている。君が買いたいと思うかどうか、判らないが。」
僕は、関心がないことを示すために、首を横に振った。今のところ、僕の興味は、現代画家作品にしかなかったからだ。
<筆者 訳>
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| John Stuart, 3rd Earl of Bute (1713 - 1792) / Former Prime Minister (1762 - 1763) by Sir Joshua Reynolds 1773年頃 ナショナルポートレイトギャラリーが所蔵 <筆者撮影> |
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| (上の肖像画) James Boswell (1740 - 1795) by Sir Joshua Reynolds 1785年頃 ナショナルポートレイトギャラリーが所蔵 <筆者撮影> |
バリントンマナーハウス(Barrington Manor)において開催されたオークションに出品された絵画の作者のうち、ジョシュア・レノルズ(Sir Joshua Reynolds:1723年ー1792年)は英国の画家で、同時代に活躍したジョージ・ロムニー(George Romney:1734年ー1802年 → 2026年5月16日 / 5月21日 / 5月26日 / 5月31日付ブログで紹介済)やトマス・ゲインズバラ(Thomas Gainsborough:1727年ー1788年)と並び称された著名な画家である。
ジョシュア・レノルズは、1723年7月16日、サミュエル・レノルズ牧師(Reverend Samuel Reynolds)の三男(第7子)として、デヴォン州(Devon)プリンプトン(Plympton)に出生。
父親のサミュエル・レノルズ牧師は、地元のプリンプトンフリーグラマースクール(Plympton Free Grammar School)の校長を務めていたため、ジョシュア・レノルズは、父親から
教育を受けた。父親のサミュエル・レノルズ牧師は、オックスフォード(Oxford)のベリオルカレッジ(Balliol College)のフェロー(fellow:教官)でもあったが、彼は子供のジョシュア・レノルズを大学へ進学させることはなかった。
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| Georg Friedrich Handel (1685 - 1759) by Thomas Hudson 1756年 ナショナルポートレイトギャラリーが所蔵 - ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデルは、 ドイツ出身の作曲家 / オルガニスト。 <筆者撮影> |
トマス・ハドスンの元での修行は4年間の予定であったが、ジョシュア・レノルズは、1743年夏にトマス・ハドスンの元を離れ、デヴォンポート(Devonport)において、肖像画家として働く。
その後、ジョシュア・レノルズは、1744年の暮れ頃、ロンドンへと赴くが、1745年に父親のサミュエル・レノルズ牧師が亡くなったため、デヴォンポートへ戻り、姉妹達と同居。











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