2026年10月4日日曜日

ジョシュア・レノルズ(Joshua Reynolds)- その2

Self-Portrait(自画像)by Sir Joshua Reynolds
1747年ー1749年頃
ナショナルポートレイトギャラリー(Naitional Portrait Gallery)が所蔵
<筆者撮影>

ナショナルポートレイトギャラリーの館内
<筆者撮影>


アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)が1967年に発表した長編「終りなき夜に生れつく(Endless Night → 2026年4月13日 / 4月30日付ブログで紹介済)」は、彼女が執筆した長編としては、第58作目に該り、エルキュール・ポワロやミス・ジェーン・マープル等が登場しないノンシリーズ作品である。


2026年に英国の HarperCollinsPublishers 社から出版された
アガサ・クリスティー作「終りなき夜に生れてつく」の
愛蔵版(ハードカバー版)の表紙
(Cover design and 
illustration
by Sarah Foster / 
HarperCollinsPublishers Ltd. ) -
ドライバー等の職業を転々とするその日暮らしの風来坊であるマイケル・ロジャー(通称:マイク)と

米国の大富豪(石油王)の娘で、裕福な相続人であるフェニラ・グットマン(通称:エリー)の2人は、

マイクがドライバーとして働いていた頃に知り合った芸術家気質の著名な建築家で、

余命いくばくもないルドルフ・サントニックスに依頼して、

キングストンビショップ村にある

海を臨むことができる美しい眺望の景勝地「ジプシーが丘」に

自分達の夢の邸宅を建ててもらった場面が描かれている。


キングストンビショップ村(Kingston Bishop)にある「ジプシーが丘(Gipsy’s Acre)」は、海を臨むことができる美しい眺望の景勝地であったが、そこで以前に起こった不吉な事故によって、キングストンビショップ村の住民達からは、呪われた伝説を持つ土地として、非常に恐れられていた。


Sir William Chambers (1722 - 1796) by Sir Joshua Reynolds
1756年頃
ナショナルポートレイトギャラリーが所蔵
<筆者撮影>

Horace Walpole (1717 - 1797) by Sir Joshua Reynolds
1756年−1757年頃
ナショナルポートレイトギャラリーが所蔵
<筆者撮影>


ある日、皆に恐れられている「ジプシーが丘」において、


(1)ドライバー等の職業を転々とするその日暮らしの風来坊であるマイケル・ロジャース(Michael Rogers - 通称:マイク(Mike))→ この物語の語り手


と


(2)米国の大富豪(石油王)の娘で、裕福な相続人であるフェニラ・グットマン(Fenella Guteman - 通称:エリー(Ellie))


は出会い、会った瞬間に、若い二人は恋に落ちた。

そして、「ジプシーが丘」こそ、自分達の生活のスタート地点として相応しいと考えたのである。


エリーと結婚したマイクは、ドライバーとして働いていた頃に知り合った芸術家気質の著名な建築家で、余命いくばくもないルドルフ・サントニックス(Rudolf Santonix)に依頼して、「ジプシーが丘」に自分達の夢の邸宅を建ててもらう。


「ジプシーが丘」に建った自分達の夢の邸宅に住み始めた二人だったが、まもなく悲劇的な事件が発生する。

ある日、マイクは、キングストンビショップ村の住民で、友人となったフィルポット少佐(Major Phillpot)と一緒に、オークションへ出かけ、エリーは、乗馬に出かけた。2人は、フィルポット少佐を交えて、昼食を一緒にする約束をしていたが、いつまで待っても、エリーは待ち合わせ場所に姿を見せなかった。

やがて、エリーが森の中で死んでいるのが発見される。


Sir Joseph Banks (1743 - 1820) by Sir Joshua Reynolds
1771年−1773年頃
ナショナルポートレイトギャラリーが所蔵
<筆者撮影>

David Garrick (1717 - 1779) and
Eva Maria Garrick (1724 - 1822) by Sir Joshua Reynolds

1772年ー1773年頃
ナショナルポートレイトギャラリーが所蔵
<筆者撮影>


I left the smaller car for Ellie as it was easier to park and took the big Chrysler myself. I got to Barrington Manor just before the sale began. Phillpot was there already and had kept a place for me.

’Some quite nice stuff here,’ he said. ‘One or two good pictures. A Romney and a Reynolds. I don’t know if you’re interested?’

I shook my head. My taste at the moment was entirely for modern artists.


僕は、エリー用に小型の車を残して、自分は大型のクライスラーを使った。小型車の方が、昼食の待ち合わせ場所に駐車し易いと思ったからだ。バリントンマナーハウスには、オークションが始まる直前に着いた。フィルポッツ少佐は、既に到着済で、僕のために席を確保しておいてくれた。

「いくつか良い掘り出し物があるんだ。」と、彼は言った。「素晴らしい絵画が1、2枚出品されている。(ジョージ・)ロムニーと(ジョシュア・)レノルズの絵画が1枚ずつ出ている。君が買いたいと思うかどうか、判らないが。」

僕は、関心がないことを示すために、首を横に振った。今のところ、僕の興味は、現代画家作品にしかなかったからだ。

<筆者 訳> 


John Stuart, 3rd Earl of Bute (1713 - 1792) /
Former Prime Minister (1762 - 1763) by Sir Joshua Reynolds

1773年頃
ナショナルポートレイトギャラリーが所蔵
<筆者撮影>

(上の肖像画)
James Boswell (1740 - 1795) by Sir Joshua Reynolds

1785年頃
ナショナルポートレイトギャラリーが所蔵
<筆者撮影>


バリントンマナーハウス(Barrington Manor)において開催されたオークションに出品された絵画の作者のうち、ジョシュア・レノルズ(Sir Joshua Reynolds:1723年ー1792年)は英国の画家で、同時代に活躍したジョージ・ロムニー(George Romney:1734年ー1802年 → 2026年5月16日 / 5月21日 / 5月26日 / 5月31日付ブログで紹介済)やトマス・ゲインズバラ(Thomas Gainsborough:1727年ー1788年)と並び称された著名な画家である。


ジョシュア・レノルズは、1723年7月16日、サミュエル・レノルズ牧師(Reverend Samuel Reynolds)の三男(第7子)として、デヴォン州(Devon)プリンプトン(Plympton)に出生。

父親のサミュエル・レノルズ牧師は、地元のプリンプトンフリーグラマースクール(Plympton Free Grammar School)の校長を務めていたため、ジョシュア・レノルズは、父親から

教育を受けた。父親のサミュエル・レノルズ牧師は、オックスフォード(Oxford)のベリオルカレッジ(Balliol College)のフェロー(fellow:教官)でもあったが、彼は子供のジョシュア・レノルズを大学へ進学させることはなかった。


Georg Friedrich Handel (1685 - 1759) by Thomas Hudson
1756年
ナショナルポートレイトギャラリーが所蔵 -
ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデルは、
ドイツ出身の作曲家 / オルガニスト。
<筆者撮影>


少年の頃から絵画に興味を抱いていたジョシュア・レノルズは、1740年、英国の肖像画家で、同じデヴォン州生まれのトマス・ハドスン(Thomas Hudson:1701年ー1779年)に弟子入りして、修行を始める。

トマス・ハドスンの元での修行は4年間の予定であったが、ジョシュア・レノルズは、1743年夏にトマス・ハドスンの元を離れ、デヴォンポート(Devonport)において、肖像画家として働く。

その後、ジョシュア・レノルズは、1744年の暮れ頃、ロンドンへと赴くが、1745年に父親のサミュエル・レノルズ牧師が亡くなったため、デヴォンポートへ戻り、姉妹達と同居。 


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