2026年11月1日日曜日

サラ・シドンズ(Sarah Siddons)- その1



サラ・シドンズ(Sarah Siddens:1755年ー1831年)は、英国の舞台女優で、18世を代表する悲劇女優として有名である。


2026年に英国の HarperCollinsPublishers 社から出版された
アガサ・クリスティー作「終りなき夜に生れてつく」の
愛蔵版(ハードカバー版)の表紙
(Cover design and 
illustration
by Sarah Foster / 
HarperCollinsPublishers Ltd. ) -
ドライバー等の職業を転々とするその日暮らしの風来坊であるマイケル・ロジャー(通称:マイク)と

米国の大富豪(石油王)の娘で、裕福な相続人であるフェニラ・グットマン(通称:エリー)の2人は、

マイクがドライバーとして働いていた頃に知り合った芸術家気質の著名な建築家で、

余命いくばくもないルドルフ・サントニックスに依頼して、

キングストンビショップ村にある

海を臨むことができる美しい眺望の景勝地「ジプシーが丘」に

自分達の夢の邸宅を建ててもらった場面が描かれている。


アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)が1967年に発表した長編「終りなき夜に生れつく(Endless Night → 2026年4月13日 / 4月30日付ブログで紹介済)」において、バリントンマナーハウス(Barrington Manor)で開催されたオークションに出品された絵画の作者のうちの1人であるジョシュア・レノルズ(Sir Joshua Reynolds:1723年ー1792年)と彼と同時代に活躍したトマス・ゲインズバラ(Thomas Gainsborough:1727年ー1788年)の2人によって、彼女の肖像画が描かれている。


サラ・シドンズは、1755年7月5日、家族中心の旅まわり演劇一座(touring Theatre company)Warwickshire Company of Comedians のマネージャーであるロジャー・ケンブル(Roger Kemble:1721年ー1802年)とサラ・ウォード(Sarah Ward)の長女(本名:サラ・ケンブル(Sarah Kemble))として、ウェールズ(Wales)ブレックノックシャー州(Brecknockshire)のブレコン(Brecon)に出生。


サラ・ケンブルの父ロジャー・ケンブルはローマンカトリック教徒で、母のサラ・ウォードはプロテスタント(新教徒)だったため、彼女の弟3人は、父ロジャー・ケンブルの宗派で育てられた。


(1)長男:ジョン・フィリップ・ケンブル(John Philip Kemble:1757年ー1823年)→ 後に、舞台俳優になる。

(2)次男:ジョージ・スティーヴン・ケンブル(George Stephen Kemble:1758年ー1822年)→ 後に、劇団のマネージャー / 舞台俳優 / 劇作家になる。

(3)三男:チャールズ・ケンブル(Charles Kemble:1775年ー1854年)→ 後に、舞台俳優になる。


一方、サラ・ケンブルと彼女の妹2人は、母サラ・ウォードの宗派で育てられた。


(4)次女:エリザベス・ウィットロック(旧姓:ケンブル)(Elizabeth Whitlock:1761年ー1836年)→  後に、舞台女優になる。

(5)三女:アン・ジュリア・ハットン(旧姓:ケンブル)(Ann Julia Hatton:1764年ー1838年)→  後に、小説家になる。


サラ・ケンブルの両親は、当初、彼女に対して、舞台女優になるよう、諭した。何故ならば、当時、演劇、つまり、舞台女優になることが、女性にとって、唯一尊敬を受けられる職業だったからである。


ところが、サラ・ケンブルは、1770年から1773年までの間、ウォーリックシャー州(Warwickshire)の州都ウォーリック(Warwick)近郊において、レディー・ メアリー・バーティー・グレイトヘッド(Lady Mary Bertie Greathead)のメイド兼コンパニオンとして 働いていたが、18歳になった1773年に、舞台俳優であるウィリアム・シドンズ(William Siddons:1745年ー1808年)と結婚。

サラ・シドンズとなった彼女は、夫ウィリアム・シドンズとの間に、7人の子を成した(成人したのは、5人のみ)が、婚姻生活は次第に不自然なものとなり、最終的に、離婚はしないものの、別居生活を最後まで通したのである。