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| ウォレスコレクション(Wallace Coolection → 2014年6月15日付ブログで紹介済)の Front State Room 内に展示されている ジョシュア・レノルズによる肖像画の数々 <筆者撮影> |
アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)が1967年に発表した長編「終りなき夜に生れつく(Endless Night → 2026年4月13日 / 4月30日付ブログで紹介済)」は、彼女が執筆した長編としては、第58作目に該り、エルキュール・ポワロやミス・ジェーン・マープル等が登場しないノンシリーズ作品である。
キングストンビショップ村(Kingston Bishop)にある「ジプシーが丘(Gipsy’s Acre)」は、海を臨むことができる美しい眺望の景勝地であったが、そこで以前に起こった不吉な事故によって、キングストンビショップ村の住民達からは、呪われた伝説を持つ土地として、非常に恐れられていた。
ある日、皆に恐れられている「ジプシーが丘」において、
(1)ドライバー等の職業を転々とするその日暮らしの風来坊であるマイケル・ロジャース(Michael Rogers - 通称:マイク(Mike))→ この物語の語り手
と
(2)米国の大富豪(石油王)の娘で、裕福な相続人であるフェニラ・グットマン(Fenella Guteman - 通称:エリー(Ellie))
は出会い、会った瞬間に、若い二人は恋に落ちた。
そして、「ジプシーが丘」こそ、自分達の生活のスタート地点として相応しいと考えたのである。
エリーと結婚したマイクは、ドライバーとして働いていた頃に知り合った芸術家気質の著名な建築家で、余命いくばくもないルドルフ・サントニックス(Rudolf Santonix)に依頼して、「ジプシーが丘」に自分達の夢の邸宅を建ててもらう。
「ジプシーが丘」に建った自分達の夢の邸宅に住み始めた二人だったが、まもなく悲劇的な事件が発生する。
ある日、マイクは、キングストンビショップ村の住民で、友人となったフィルポット少佐(Major Phillpot)と一緒に、オークションへ出かけ、エリーは、乗馬に出かけた。2人は、フィルポット少佐を交えて、昼食を一緒にする約束をしていたが、いつまで待っても、エリーは待ち合わせ場所に姿を見せなかった。
やがて、エリーが森の中で死んでいるのが発見される。
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| ウォレスコレクションの 1階(Ground Floor)レイアウト図 |
I left the smaller car for Ellie as it was easier to park and took the big Chrysler myself. I got to Barrington Manor just before the sale began. Phillpot was there already and had kept a place for me.
’Some quite nice stuff here,’ he said. ‘One or two good pictures. A Romney and a Reynolds. I don’t know if you’re interested?’
I shook my head. My taste at the moment was entirely for modern artists.
僕は、エリー用に小型の車を残して、自分は大型のクライスラーを使った。小型車の方が、昼食の待ち合わせ場所に駐車し易いと思ったからだ。バリントンマナーハウスには、オークションが始まる直前に着いた。フィルポッツ少佐は、既に到着済で、僕のために席を確保しておいてくれた。
「いくつか良い掘り出し物があるんだ。」と、彼は言った。「素晴らしい絵画が1、2枚出品されている。(ジョージ・)ロムニーと(ジョシュア・)レノルズの絵画が1枚ずつ出ている。君が買いたいと思うかどうか、判らないが。」
僕は、関心がないことを示すために、首を横に振った。今のところ、僕の興味は、現代画家作品にしかなかったからだ。
<筆者 訳>
バリントンマナーハウス(Barrington Manor)において開催されたオークションに出品された絵画の作者のうち、ジョシュア・レノルズ(Sir Joshua Reynolds:1723年ー1792年)は英国の画家で、同時代に活躍したジョージ・ロムニー(George Romney:1734年ー1802年 → 2026年5月16日 / 5月21日 / 5月26日 / 5月31日付ブログで紹介済)やトマス・ゲインズバラ(Thomas Gainsborough:1727年ー1788年)と並び称された著名な画家である。
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| ウォレスコレクションの Front State Room 内に展示されている ジョシュア・レノルズ作「Frances, Countess of Lincolin」(1781年−1782年) <筆者撮影> |
ジョシュア・レノルズは、1723年7月16日、サミュエル・レノルズ牧師(Reverend Samuel Reynolds)の三男(第7子)として、デヴォン州(Devon)プリンプトン(Plympton)に出生したジョシュア・レノルズは、少年の頃から絵画に興味を抱いており、1740年、英国の肖像画家で、同じデヴォン州生まれのトマス・ハドスン(Thomas Hudson:1701年ー1779年)に弟子入りして、修行を始める。
トマス・ハドスンの元での修行は4年間の予定であったが、ジョシュア・レノルズは、1743年夏にトマス・ハドスンの元を離れ、デヴォンポート(Devonport)において、肖像画家として働く。
その後、ジョシュア・レノルズは、1744年の暮れ頃、ロンドンへと赴くが、1745年に父親のサミュエル・レノルズ牧師が亡くなったため、デヴォンポートへ戻った。
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| ウォレスコレクションの Front State Room 内に展示されている ジョシュア・レノルズ作「Lady Elizabeth Seymour-Conway」(1781年) <筆者撮影> |
1749年5月に英国海軍の代将に任ぜられた初代ケッペル子爵オーガスタス・ケッペル(Augustus Keppel, 1st Viscount Keppel:1725年ー1786年) が、海賊対策のため、地中海へ向けて出航した際、ジョシュア・レノルズは、戦列艦「セチュリオン(HMS Centurion)」に便乗して、地中海西部のメノルカ島(Menorca)まで一緒に行った。乗船時に、ジョシュア・レノルズは、初代ケッペル子爵オーガスタス・ケッペルの肖像画を描いている。
ジョシュア・レノルズは、メノルカ島からイタリアへ渡り、約2年間、ローマ(Roma)に滞在して、古典作品を熱心に研究。
ローマ滞在中に、ジョシュア・レノルズは、酷い風邪に罹患して、回復したものの、聴覚の一部を失ってしまう。その結果、彼は補聴器を持ち歩くようになる。
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| ウォレスコレクションの Front State Room 内に展示されている ジョシュア・レノルズ作「The 4th Duke of Queensberry ('Old Q') as Earl of Maarch」(1759年) <筆者撮影> |
約2年間のローマ滞在を終えたジョシュア・レノルズは、フィレンシェ(Florence)、ボローニャ(Bologna)、ヴェネツィア(Venice)、そして、パリ(Paris)を経由して、1752年10月に英国に戻った。
その際、後に画家 / 版画家になるジュゼッペ・フィリッポ・リベラティ・マルチ(Giuseppe Filippo Liberati Marchi:1735年ー1808年)が、ジョシュア・レノルズに帯同。彼は、1770年の一時期を除き、ジョシュア・レノルズの生涯を通じて、スタジオのアシスタントを務めた。
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| ウォレスコレクションの Front State Room 内に展示されている ジョシュア・レノルズ作「Mrs. June Braddyll」(1788年) <筆者撮影> |
英国への帰国後、ジョシュア・レノルズは、デヴォン州(Devon)で3ヶ月程過ごした後、1753年にロンドンへ再度出て来た。以降、彼は生涯をロンドンで送ることになる。
彼は、当初、セントマーティンズレーン(St. Martin’s Lane)にスタジオを構え、その後、グレイトニューポートストリート(Great Newport Street)へ移る。そして、驚くべき速さで、肖像画家としての成功を手にしていく。
売れっ子の肖像画家となったジョシュア・レノルズは、彼の作品を展示する場所や彼のアシスタント達が住む場所等を含めて、より広いスペースが必要となったため、1760年、レスターフィールズ(Leicester Fields - 現在のレスタースクエア(Leicester Square))の西側に建つ建物へと引っ越した。
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