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| 北側のヴィーゴストリートから南側のピカデリー通りへ向かって、 サックヴィルストリートを見たところ。 <筆者撮影> |
アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)が1967年に発表した長編「終りなき夜に生れつく(Endless Night → 2026年4月13日 / 4月30日付ブログで紹介済)」において、バリントンマナーハウス(Barrington Manor)で開催されたオークションに出品された絵画の作者のうちの1人であるジョシュア・レノルズ(Sir Joshua Reynolds:1723年ー1792年)は英国の画家で、同時代に活躍したジョージ・ロムニー(George Romney:1734年ー1802年 → 2026年5月16日 / 5月21日 / 5月26日 / 5月31日付ブログで紹介済)やトマス・ゲインズバラ(Thomas Gainsborough:1727年ー1788年)と並び称された著名な画家である。
1723年7月16日、サミュエル・レノルズ牧師(Reverend Samuel Reynolds)の三男(第7子)として、デヴォン州(Devon)プリンプトン(Plympton)に出生したジョシュア・レノルズは、少年の頃から絵画に興味を抱いており、1740年、英国の肖像画家で、同じデヴォン州生まれのトマス・ハドスン(Thomas Hudson:1701年ー1779年)に弟子入りして、修行を始める。
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| ナショナルポートレイトギャラリー(Naitional Portrait Gallery)に所蔵 / 展示されている ジョシュア・レノルズ作「Self-Portrait(自画像)」 (1747年ー1749年頃) <筆者撮影> |
1749年5月に英国海軍の代将に任ぜられた初代ケッペル子爵オーガスタス・ケッペル(Augustus Keppel, 1st Viscount Keppel:1725年ー1786年) が、海賊対策のため、地中海へ向けて出航した際、ジョシュア・レノルズは、戦列艦「セチュリオン(HMS Centurion)」に便乗して、地中海西部のメノルカ島(Menorca)まで一緒に行き、そこからイタリアへ渡り、約2年間、ローマ(Roma)に滞在して、ルネサンスを代表するイタリアの画家であるラファエロ・サンティ(Raffaello Santi:1483年ー1520年)等の古典作品を熱心に研究した。
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| 北側のヴィーゴストリートから始まるサックヴィルストリート <筆者撮影> |
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| 北側のヴィーゴストリートから南側のピカデリー通りへ向かって、 サックヴィルストリートの中間辺りまでを進んで来たところ。 <筆者撮影> |
約2年間のローマ滞在を終えて、1752年10月に英国に戻ったジョシュア・レノルズは、デヴォン州(Devon)で3ヶ月程過ごした後、1753年にロンドンへ出て来ると、驚くべき速さで、肖像画家としての成功を手にしていく。
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| ジョシュア・レノルズが住んでいたレスタースクエア47番地の建物があった場所 <筆者撮影> |
売れっ子の肖像画家となったジョシュア・レノルズは、彼の作品を展示する場所や彼のアシスタント達が住む場所等を含めて、より広いスペースが必要となったため、1760年、レスターフィールズ(Leicester Fields - 現在のレスタースクエア(Leicester Square))の西側に建つレスタースクエア47番地(47 Leicester Square → 2026年10月16日付ブログで紹介済)の建物へと引っ越した。
ジョシュア・レノルズは、18世紀の英国において、小説家、詩人、評論家、道徳家、文芸評論家、伝記作家、編集者、そして、辞書編纂者として多岐にわたり、英国の文学界に多大な貢献をした人物であるサミュエル・ジョンスン(Samuel Johnson:1709年ー1784年 → 2017年4月23日付ブログで紹介済)と親交を深め、1764年2月、食堂「Turks Head」(住所:ジェラルドストリート9番地(9 Gerrard Street → 2026年10月21日付ブログで紹介済))の2階(1F)に、サミュエル・ジョンスンを中心メンバーにして、「ザ・クラブ(The Club)」を創設。
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| サミュエル・ジョンスンを中心メンバーにして、 ジョシュア・レノルズが「ザ・クラブ」を創設した ジェラルドストリート9番地の建物全体(左側)を見たところ。 <筆者撮影> |
1783年に、食堂「Turks Head」の店主が亡くなり、店舗が売られたため、「ザ・クラブ」は、ジェラルドストリートからサックヴィルストリート(Sackville Street)へと移った。
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| サックヴィルストリート32番地の玄関口 <筆者撮影> |
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| サックヴィルストリート32番地の玄関口左側の外壁に掛けられたプラーク <筆者撮影> |
サックヴィルストリートは、ロンドンの中心部シティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)の高級住宅街メイフェア地区(Mayfair)内に所在している。
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| 「Nicholson - Super Scale - London Atlas」から ピカデリーサーカス周辺の地図を抜粋。 |
サックヴィルストリートは、現在、王立芸術院(Royal Academy of Arts)が入っているバーリントンハウス(Burlington House)の東側にある通りで、南北に延びており、北側のヴィーゴストリート(Vigo Street)と南側のピカデリー通り(Piccadilly → 2025年7月31日付ブログで紹介済)を結んでいる。
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| 南側のピカデリー通りから北側のヴィーゴストリートへ向かって、 サックヴィルストリートを戻りつつあるところ(その1)。 <筆者撮影> |
後にバース伯爵(Earl of Bath)となるウィリアム/・プルトニー(William Pulteney)による開発が1730年に始まり、1733年までに、サックヴィルストリートと左右に建ち並ぶ家屋が建設された。
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| 南側のピカデリー通りから北側のヴィーゴストリートへ向かって、 サックヴィルストリートを戻りつつあるところ(その2)。 <筆者撮影> |
なお、ジェラルドストリートからサックヴィルストリートへ移った「ザ・クラブ」の具体的な番地は不明。















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