2026年10月21日水曜日

ロンドン ジェラルドストリート9番地(9 Gerrard Street)

サミュエル・ジョンスンを中心メンバーにして、
ジョシュア・レノルズが「ザ・クラブ」を創設した
ジェラルドストリート9番地の建物全体(左側)を見たところ。
<筆者撮影>


アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)が1967年に発表した長編「終りなき夜に生れつく(Endless Night → 2026年4月13日 / 4月30日付ブログで紹介済)」において、バリントンマナーハウス(Barrington Manor)で開催されたオークションに出品された絵画の作者のうちの1人であるジョシュア・レノルズ(Sir Joshua Reynolds:1723年ー1792年)は英国の画家で、同時代に活躍したジョージ・ロムニー(George Romney:1734年ー1802年 → 2026年5月16日 / 5月21日 / 5月26日 / 5月31日付ブログで紹介済)やトマス・ゲインズバラ(Thomas Gainsborough:1727年ー1788年)と並び称された著名な画家である。


2026年に英国の HarperCollinsPublishers 社から出版された
アガサ・クリスティー作「終りなき夜に生れてつく」の
愛蔵版(ハードカバー版)の表紙
(Cover design and 
illustration
by Sarah Foster / 
HarperCollinsPublishers Ltd. ) -
ドライバー等の職業を転々とするその日暮らしの風来坊であるマイケル・ロジャー(通称:マイク)と

米国の大富豪(石油王)の娘で、裕福な相続人であるフェニラ・グットマン(通称:エリー)の2人は、

マイクがドライバーとして働いていた頃に知り合った芸術家気質の著名な建築家で、

余命いくばくもないルドルフ・サントニックスに依頼して、

キングストンビショップ村にある

海を臨むことができる美しい眺望の景勝地「ジプシーが丘」に

自分達の夢の邸宅を建ててもらった場面が描かれている。


1723年7月16日、サミュエル・レノルズ牧師(Reverend Samuel Reynolds)の三男(第7子)として、デヴォン州(Devon)プリンプトン(Plympton)に出生したジョシュア・レノルズは、少年の頃から絵画に興味を抱いており、1740年、英国の肖像画家で、同じデヴォン州生まれのトマス・ハドスン(Thomas Hudson:1701年ー1779年)に弟子入りして、修行を始める。


バーリントンハウス(Burlington House)の中庭に建つ
王立芸術院(Royal Academy of Arts)の初代会長を務めた
ジョシュア・レノルズのブロンズ像
Sculptor : Alfred Drury / Bronze / 1931年
<筆者撮影>


1749年5月に英国海軍の代将に任ぜられた初代ケッペル子爵オーガスタス・ケッペル(Augustus Keppel, 1st Viscount Keppel:1725年ー1786年) が、海賊対策のため、地中海へ向けて出航した際、ジョシュア・レノルズは、戦列艦「セチュリオン(HMS Centurion)」に便乗して、地中海西部のメノルカ島(Menorca)まで一緒に行き、そこからイタリアへ渡り、約2年間、ローマ(Roma)に滞在して、ルネサンスを代表するイタリアの画家であるラファエロ・サンティ(Raffaello Santi:1483年ー1520年)等の古典作品を熱心に研究した。

ローマ滞在中に、ジョシュア・レノルズは、酷い風邪に罹患して、回復したものの、聴覚の一部を失ってしまう。その結果、彼は補聴器を持ち歩くようになる。


ジェラルドストリート9番地の建物(左側)を下から見上げたところ。
<筆者撮影>


約2年間のローマ滞在を終えて、1752年10月に英国に戻ったジョシュア・レノルズは、デヴォン州(Devon)で3ヶ月程過ごした後、1753年にロンドンへ出て来ると、驚くべき速さで、肖像画家としての成功を手にしていく。

売れっ子の肖像画家となったジョシュア・レノルズは、彼の作品を展示する場所や彼のアシスタント達が住む場所等を含めて、より広いスペースが必要となったため、1760年、レスターフィールズ(Leicester Fields - 現在のレスタースクエア(Leicester Square))の西側に建つレスタースクエア47番地(47 Leicester Square)の建物へと引っ越した。

多忙となり、滅多に休みをとれないジョシュア・レノルズは、肖像画のモデルの衣服については、ジュゼッペ・フィリッポ・リベラティ・マルチ(Giuseppe Filippo Liberati Marchi:1735年ー1808年)を初めとするアシスタント達に任せるようになる。


トラファルガースクエア(Trafalgar Square)から
シティー・オブ・ロンドン(City of London
→ 2018年8月4日 / 8月11日付ブログで紹介済)へ向かって東に延びる
ストランド通り(Strand → 2015年3月29日付ブログで紹介済)
の中州に建つ
セントクレメントディンズ教会(St. Clement Danes)の裏手に建つ
サミュエル・ジョンスン像
Sculptor : Percy Fitzgerald / Stonebust / 1910年
<筆者撮影>


ジョシュア・レノルズは、18世紀の英国において、小説家、詩人、評論家、道徳家、文芸評論家、伝記作家、編集者、そして、辞書編纂者として多岐にわたり、英国の文学界に多大な貢献をした人物であるサミュエル・ジョンスン(Samuel Johnson:1709年ー1784年 → 2017年4月23日付ブログで紹介済)と親交を深め、1764年2月、食堂「Turks Head」(住所:ジェラルドストリート9番地(9 Gerrard Street))の2階(1F)に、サミュエル・ジョンスンを中心メンバーにして、「ザ・クラブ(The Club)」を創設。そして、毎週月曜日の夜7時に集まり、夜が更けるまで、議論を交わした。最終的に、「ザ・クラブ」のメンバーは、35人までになった。


「Nicholson - Super Scale - London Atlas」から
ソーホー地区の地図を抜粋。-
ジェラルドストリートは、シャフツベリーアヴェニューの南側に、
シャフツベリーアヴェニューに並行して、東西に延びる通りで、
東側のジェラルドプレイスと西側のウォーダーストリートを結んでいる。



ジェラルドストリート9番地は、ロンドンの中心部シティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)ソーホー地区(Soho)内に所在している。



シャフツベリーアヴェニューから左手奥に入ると、
中華街(チャイナタウン)がある。
<筆者撮影>


ジェラルドストリートは、シャフツベリーアヴェニュー(Shaftesbury Avenue → 2016年5月15日付ブログで紹介済)の南側に、シャフツベリーアヴェニューに並行して、東西に延びる通りで、東側のジェラルドプレイス(Gerrard Place)と西側のウォーダーストリート(Wardour Street)を結んでいる。


南側のウォーダーストリートからジェラルドストリートへと入るところ。
<筆者撮影>

ジェラルドストリートを西側から東側へと進んでいるところ。
<筆者撮影>


現在、ジェラルドストリートの両側には、中華料理店が建ち並び、中華街(Chinatown)と化している。


ジェラルドストリートの外壁に掛かっているプラークを見上げたところ。
<筆者撮影>


ジェラルドストリート9番地は、東側のジェラルドプレイス寄りのジェラルドストリートの北側に建っていて、現在、中華系のスーパーマーケットが入居して、営業している。


ジェラルドストリートの外壁に掛かっているプラークの拡大写真。
<筆者撮影>


ジェラルドストリート9番地の建物の1階(GF)と2階(1F)の間の外壁に、「Here in the former Turk’s Head Tavern Dr. SAMUEL JOHNSON & JOSHUA REYNOLDS founded The Club in 1764」と記した Westminster City Council のプラークが架けられている。 


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