2022年9月18日日曜日

オスカー・ワイルド作「ドリアン・グレイの肖像」<小説版>(The Picture of Dorian Gray by Oscar Wilde )- その1

英国の Penguin Books Ltd. から
Penguin Classics シリーズの一つとして出版されている
オスカー・ワイルド作「ドリアン・グレイの肖像」の表紙
(Cover : Detail from The Earl of Dahlhousie (1900)
by John Singer Sargent, in Brechin Castle)
(Photo : courtesy The Earl of Dalhousie)


英国の歴史家、作家で作曲家でもあるポール・W・ナッシュ(Paul W. Nash)が2010年に執筆して、英国の Strawberry Books 社から2011年に出版した短編集「シャーロック・ホームズの遺稿(The Remains of Sherlock Holmes → 2022年9月5日 / 9月8日 / 9月13日 / 9月15日 / 9月17日付ブログで紹介済)」に収録されている短編「ドリアン・グレイの謎(The Mystery of Dorian Gray)」は、英国の作家であるオスカー・フィンガル・オフラハティ・ウィルス・ワイルド(Oscar Fingal O’Flahertie Wills Wilde:1854年ー1900年)唯一の長編小説「ドリアン・グレイの肖像(The Picture of Dorian Gray)」をベースにしている。

「ドリアン・グレイの肖像」は、「リピンコット・マンスリー・マガジン(Lippincott’s Monthly Magazine)」の1890年7月号に掲載された後、1891年に刊行されている。


ナショナルポートレートギャラリー
(National Portrait Gallery)で販売されている
オスカー・ワイルドの写真の葉書
(Napoleon Sarony / 1882年 / Albumen panel card
305 mm x 184 mm) 


「ドリアン・グレイの肖像」の執筆経緯は、以下の通り。


1889年8月30日、ロンドン市内のオックスフォードサーカス(Oxford Circus → 2015年4月26日付ブログで紹介済)の近くに建つランガムホテル(Langham Hotel → 2014年7月6日付ブログで紹介済)において、以下のアイリッシュ系の男性3人が食事会を行った。


(1)米国のフィラデルフィアに本社を構える「リピンコット・マンスリー・マガジン」のエージェントであるジョセフ・マーシャル・ストッダート博士(Dr. Joseph Marshall Stoddart → アイルランド生まれの米国人)

(2)新進気鋭の若い作家として売り出し中のオスカー・フィンガル・オフラハティ・ウィルス・ワイルド(ダブリンの名門に生まれた生粋のアイルランド人)

(3)アーサー・イグナチウス・コナン・ドイル(Arthur Ignatius Conan Doyle:1859年ー1930年 → アイルランドの血をひくスコットランド人)


この食事会で、ストッダート博士は、オスカー・ワイルドとコナン・ドイルの2人から、それぞれ長編物を一作同誌に寄稿する約束を取り付けた。


コナン・ドイルは早速執筆に取り掛かり、約1ヶ月間で原稿を書き上げて、それをストッダート博士宛に送付。その作品のタイトルが「四つの署名(The Sign of the Four → 2017年8月12日付ブログで紹介済)」である。事件の依頼人であるメアリー・モースタン嬢(Mary Morstan)の父親で、約10年前の1878年12月、インドから帰国した後、行方不明になったアーサー・モースタン大尉(Captain Arthur Morstan)の宿泊先として、コナン・ドイル達が食事会を行なったランガムホテルが使用された。


「四つの署名」は、「リピンコット・マンスリー・マガジン」の1890年2月号に掲載されたが、続いて、同誌の1890年7月号に掲載されたオスカー・ワイルドの作品は、あの有名な「ドリアン・グレイの肖像」であった。


なお、コナン・ドイルの原稿料は、4万5千語の作品で100ポンドだったが、当時、英国の世紀末文学の旗手として期待されていたオスカー・ワイルドの原稿料は、コナン・ドイルの倍の200ポンドだった、とのこと。コナン・ドイルが「ストランドマガジン(The Strand Magazine)」の1891年7月号にホームズシリーズの短編小説「ボヘミアの醜聞(A Scandal in Bohemia)」を発表して爆発的な人気を得る前のことであり、残念ながら、売れっ子のオスカー・ワイルドとは、それ位の開きがあったのである。


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