2022年9月8日木曜日

ポール・W・ナッシュ作「シャーロック・ホームズの遺稿」(The Remains of Sherlock Holmes by Paul W. Nash) - その2

Metro Media Ltd. の SelfMadeHero シリーズの一つとして
2008年に出版されている
オスカー・ワイルド作「ドリアン・グレイの肖像」のグラフィックノベル版
(構成: Mr. Ian Edginton / 作画: Mr. I. N. J. Culbard)

(3)真紅の針の冒険(The Adventure of the Scarlet Thorn)


1884年2月の事件である。



ルックモント公爵夫人(Duchess of Rookmont)は、ドーヴァーストリート(Dover Street)にあるブラウンズホテル(Brown’s Hotel → 2015年5月10日付ブログで紹介済)に滞在していた。

降霊術に心酔する公爵夫人は、ある晩、滞在するホテルにおいて、降霊術の会を開催。公爵夫人は、自分の亡くなった夫を呼び出してもらったのだが、密室となった降霊術の場から、彼女が着けていたティアラ(頭飾り)にちりばめられたダイヤモンドが全て消失してしまったのである。


ブラウンズホテルの入口


時を同じくして、ウィリアム・エヴァースン・ハーツホーン(William Everson Hartshorne)と名乗る若い男性が、シャーロック・ホームズの元を訪ねて来る。

グレートポートランドストリート(Great Portland Street)にあるオフィスからブルートンストリート(Bruton Street)にある自宅へ歩いて帰る途中、彼は自宅のドアが路上に打ち捨てられているのを見つける。慌てて自宅に戻った彼は、自宅内を見て廻るが、特に盗まれたものはないと言う。


果たして、この2つの事件は、どう結び付くのか?


(4)ドリアン・グレイの謎(The Mystery of Dorian Gray)


1890年の夏に発生するした事件である。



本作品は、アイルランドのダブリン生まれの詩人、作家かつ劇作家で、「幸福な王子その他(The Happy Prince and Other Tales)」(童話ー1888年)、「サロメ(Salome)」(戯曲ー1893年)や「ウィンダミア卿夫人の扇(Lady Windermere's Fan)」(戯曲ー1893年)等の作者で知られるオスカー・フィンガル・オフラハティ・ウィルス・ワイルド(Oscar Fingal O'Flahertie Wills Wilde:1854年ー1900年)が執筆した小説「ドリアン・グレイの肖像(The Picture of Dorian Gray)」(1890年)のストーリーをベースにしている。


グローヴナースクエア内に所在する広大な公園


社交界の名士であるドリアン・グレイ(Dorian Gray)は、38歳になったが、非常に不思議なことに、いつまでも18歳のように若く美しい姿を保っていた。

ある夜、グローヴナースクエア(Grosvenor Square → 2015年2月22日付ブログで紹介済)にある自宅において、内から鍵がかかった屋根裏部屋で、ドリアン・グレイは、心臓をナイフで刺されて、死亡しているのを、使用人達が発見したのである。

彼の死体を見つけた使用人達は、皆一様に驚く。何故ならば、一夜にして、ドリアン・グレイは、醜く年老いていたからであった。そして、彼の死体の傍らには、若く美しいままのドリアン・グレイの肖像画が残されていた。


密室となった屋根裏部屋の中で、一体、何が起きたのか?それに加えて、いつまでも若く美しい姿を保っていたドリアン・グレイが、一夜にして、醜く年老いた姿に変わったのは、何故なのだろか?


この事件に非常な興味を覚えたホームズは、ジョン・H・ワトスンと一緒に、早速、捜査に取り掛かるのであった。

ナショナルポートレートギャラリー
(National Portrait Gallery)で販売されている
オスカー・ワイルドの写真の葉書
(Napoleon Sarony / 1882年 / Albumen panel card
305 mm x 184 mm) 


オスカー・ワイルド作「ドリアン・グレイの肖像」においては、幻想的と言うか、それとも、ホラー的と言うか、非科学的な結末を迎える訳であるが、本作品「ドリアン・グレイの謎」の場合、作者であるポール・W・ナッシュ(Paul W. Nash)は、ホームズを使って、非常に理論的かつ合理的な解決へと導いている。


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