Penguin Random House の Vintage Classics シリーズの一つとして、 2015年に出版されている ウィルキー・コリンズ作「呪われたホテル(The Haunted Hotel)」の表紙 (Cover design : Telegramme)- 物語の舞台として、前半は英国で、 後半はイタリアのヴェネツィア(Venice)である。 |
1851年3月、ウィリアム・ウィルキー・コリンズ(William Wilkie Collins:1824年ー1889年)こと、ウィルキー・コリンズは、共通の友人(画家)の紹介で、彼と同じくヴィクトリア朝時代(1837年-1901年)を代表する英国の小説家であるチャールズ・ジョン・ハファム・ディケンズ(Charles John Huffam Dickens:1812年ー1870年)と知り合う。
彼は、チャールズ・ディケンズが出版する雑誌「暮らしの言葉(Household Works)」に定期的に寄稿したり、また、チャールズ・ディケンズや共通の友人達と一緒に、フランス、スイスやイタリアを旅行したりして、親交を深め、二人は生涯にわたる親友かつ協力者となった。
ちょうど、この頃、痛風(関節炎)の最初の発作がウィルキー・コリンズを襲い、鎮痛剤として服用した阿片チンキに次第に耽溺するようになり、この悪癖が彼の晩年を苦しめることになる。
1860年代に入ると、ウィルキー・コリンズは、最盛期を迎える。彼の代表作と言われる以下の4作品は、この年代に集中している。
(1)「白衣の女(The Woman in White)」(1860年) → 1859年11月から1860年8月まで雑誌に連載され、連載後直ぐに出版されて、1860年11月までに第8版まで重ね、大ヒットとなった。
(2)「ノーネーム(No Name)」(1862年) → 1862年から1863年にかけて、雑誌に連載。
(3)「アーマデイル(Armadale)」(1866年) → 1864年から1866年にかけて、雑誌に連載。
(4)「月長石(The Monnstone)」(1868年) → 1868年1月から同年8月にかけて、雑誌に連載。英国の詩人 / 劇作家 / 文芸評論家であるトマス・スターンズ・エリオット(Thomas Stearns Eliot:1888年-1965年)は、この作品を「最初の最大にして最良の推理小説」と絶賛している。
ただし、その名声の裏で、彼の阿片チンキへの傾斜は、遥かに悪化の状況を辿っていたのである。
Penguin Random House の Vintage Classics シリーズの一つとして、 2015年に出版されている ウィルキー・コリンズ作「呪われたホテル(The Haunted Hotel)」の裏表紙 (Cover design : Telegramme)- 本作品は、元々、1878年6月から同年11月にかけて連載された後、 1879年に出版されている。 |
ウィルキー・コリンズは、結婚という形態に批判的であり、生涯結婚はしなかったが、1850年代に出会ったキャロライン・グレーヴス(Caroline Graves)という未亡人の女性と、(彼が全く結婚に同意しないため、彼女が別の男性と結婚していた2年間(1868年ー1870年)を除いて、)彼が1889年に亡くなるまで同居して、彼女の連れ子(ハリエット(Harriet))を自分の娘として育てた。ウィルキー・コリンズがキャロライン・グレーヴス達と一緒に同居していた家が、グロースタープレイス65番地(65 Gloucester Place)にある。
その一方で、彼は、1868年に知り合った19歳年下の女性マーサ・ルッド(Martha Rudd)との間に、3人の私生児(娘2人+息子1人)を設け、自分の家の近くに住まわせ、援助を行った。
こういった二重生活を亡くなるまでの20年間近く続けたため、晩年、彼は当時の社交界から追放されるという憂き目に会った。
そして、1889年9月23日、ウィルキー・コリンズは65歳でなくなり、ケンサルグリーン墓地(Kensal Green Cemetary)に葬られた。キャロライン・グレーヴスは、1895年に亡くなり、彼と一緒の墓に入った。また、マーサ・ルッドは、1919年に亡くなっている。
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