2015年10月24日土曜日

ロンドン カールトンハウステラス(Carlton House Terrace)

カールトンハウステラス10番地の建物

サー・アーサー・コナン・ドイル作「プライオリー学校(The Priory School)」では、私立プライオリー学校 (The Priory School)の創立者で、校長でもあるソーニークロフト・ハックスタブル博士(Thorneycroft Huxtable)がベイカーストリート221B(221B Baker Street → 2014年6月22日 / 6月29日付ブログで紹介済)のシャーロック・ホームズの元を突然訪れるが、居間に入って来た途端、疲労困憊のあまり、床に足を滑らせて気を失ってしまう。ホームズが急いで頭にクッションを当てて、ジョン・ワトスンが口にブランデーをふくませると、気を取り直した博士は、ホームズとワトスンに対して、彼の学校の寄宿舎から、ホールダーネス公爵(Duke of Holdernesse)の一人息子であるソルタイア卿(Lord Saltire)が誘拐されたと告げるのであった。


ホームズは細長い腕を伸ばして、彼の参照辞典からHの巻を取り出した。
「『ホールダーネス、第6代公爵、ガーター勲士、枢密顧問官』ー肩書きの略称がアルファベットの半分位を使っているな!『ベヴァリー男爵、カーストン伯爵』ーおやおや、大したリストだ!『1900年よりハラムシャー知事。サー・チャールズ・アップルドアの令嬢エディスと1888年に結婚。相続人は一人息子のソルタイア卿。約25万エーカーの土地を所有。ランカシャーとウェールズに鉱山を所有。住所は、カールトンハウステラス、ハラムシャーのホールダーネス館、ウェールズのバンガーにあるカーストン城。1872年に海軍大臣に就任。主席国務大臣で、担当は...』成る程、成る程、この人物は、確かに、英国王室の最も偉大な臣下の一人に違いない!」


Holmes shot out his long, thin arm and picked out Volume 'H' in his encyclopedia of reference.
'"Holdernesse, 6th Duke, K.G. (= Knight of the Garter), P.C. (= Privy Councillor)" - half the alphabet! "Baron Beverley, Earl of Carston" - dear me, what a list! "Lord Lieutenant of Hallamshire since 1900. Married Edith, daughter of Sir Charles Appledore, 1888. Heir and only a child, Lord Saltire. Owns about two hundred and fifty thousand acres. Minerals in Lancashire and Wales. address: Carlton House Terrace; Holdernesse Hall, Hallamshire; Carston Castle, Banger, Wales. Lord of the Admiralty, 1872; Chief Secretary of State for -" Well, well, this man is certainly one of the greatest subjects of the Crown!'

カールトンハウステラスの東側に建つ棟

ホールダーネス公爵のロンドンにおける住まいがあったカールトンハウステラス(Carlton House Terrace)は、シティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)のセントジェイムズ地区(St. James's)内にあり、トラファルガースクエア(Trafalgar Square)からセントジェイムズ宮殿(St. James's Palace)へと延びるパル・マル通り(Pall Mallー北側)とトラファルガースクエアからバッキンガム宮殿(Buckingham Palace)へと至るザ・マル通り(The Mallー南側)に挟まれた2ブロックにわたる家並みである。

カールトンハウステラスの西側に建つ棟

カールトンハウステラスは、元々、セントジェイムズ宮殿の一部で、「ロイヤルガーデン(Royal Garden)」と呼ばれていた。1709年、政治家ヘンリー・ボイル(Henry Boyle:1669年ー1725年)がアン女王(Queen Anne:1665年ー1714年 在位期間:1702年ー1714年)から土地を31年契約で賃借して開発を行った。1714年にヘンリー・ボイルが初代カールトン男爵(1st Baron Carlton)に叙せられたことに伴い、ある辞典で途中にある「e」が抜けてしまったものの、カールトンハウステラスと呼ばれるようになった。


ハノーヴァー王朝第3代目のジョージ3世(George Ⅲ:1738年-1820年 在位期間:1760年ー1820年)からカールトンハウステラスを与えられていた長男の摂政王太子(Prince Regent)は、1820年にジョージ4世(George Ⅳ:1762年-1830年 在位期間:1820年ー1830年)として即位すると、同地の再開発を命ずる。

近くにあるセントジェイムズスクエアガーデンズ
(St. James's Square Gardens)内に置かれている
ジョン・ナッシュのプラーク

1813年から1825年にかけて、リージェンツパーク(Regents Park)とリージェントストリート(Regent Street)の開発を行った建築家で、かつ都市計画家のジョン・ナッシュ(John Nash:1752年-1835年)の設計により、1827年から1832年までに白いスタッコ仕上げの外観をした宮殿のようなテラスハウスが建設された(西側ー9棟(No. 1 - 9)+東側ー9棟(No. 10 - 18))。

カールトンハウステラスからウォーターループレイス(Waterloo Place)越しに
パル・マル通りとその向こうのリージェントストリートを望む

第二次世界大戦(1939年ー1945年)中、カールトンハウステラスも、他のロンドン市内と同様に、ドイツ軍による爆撃により甚大な被害を蒙ったものの、その後再建され、現在に至っている。

ジョン・ナッシュによる再開発後、カールトンハウステラスに居住するのは、貴族、政治家(ウィリス・エワート・グラッドストン(William Ewart Gladstone:1809年ー1898年)ー自由党を指導して、4度にわたって首相を務めた)や他国の外交官等が主であったが、現在は、起業家、協会やクラブ等が使用している。ただし、同地は今も王室所有地のままである。

2015年10月18日日曜日

ロンドン ダチェス・オブ・ベッドフォーズ・ウォーク(Duchess of Bedford's Walk)


アガサ・クリスティー作「安いフラットの冒険(The Adventure of the Cheap Flat)」(1924年ー「ポワロ登場(Poirot Investigates)」に収録)では、物語の冒頭、友人の家で行われたパーティーでの席上、アーサー・ヘイスティングス大尉はロビンソン夫人(Mrs Robinson)と知り合いになる。彼女によると、ロビンソン夫妻はナイツブリッジ(Knightsbridge)にある高級フラットを格安の家賃で借りることができたと言う。


ヘイスティングス大尉から話を聞いたエルキュール・ポワロはこの奇妙な話に興味を示して、調査を始める。ポワロがその高級フラットのポーターにロビンソン夫妻の話題を向けると、ポーター曰く、ロビンソン夫妻はこのフラットに既に6ヶ月間住んでいると言う。しかし、ヘイスティングス大尉によれば、ロビンソン夫妻はこのフラットを借りたばかりのはずだった。話の食い違いに疑問を感じたポワロは早速同じフラット内に部屋を借りるのであった。


一方で、ポワロはスコットランドヤードのジャップ主任警部(Chief Inspector Japp)から国際的なスパイの話を聞きつける。米国海軍の非常に重要な設計図がイタリア人ルイジ・ヴァルダーノ(Luigi Valdarno)によって盗み出され、国際的なスパイであるエルサ・ハート(Elsa Hardt)の手に渡ったと言う。しかも、エルサ・ハートの人物像が、例の高級フラットのポーターがポワロに話したロビンソン夫人の人となりに非常に似通っていたのだ。
一見、関連性が全くなさそうに思える二つの話はどのように繋がっているのか?ポワロの灰色の脳細胞が事件の真相を突き止める。


アガサ・クリスティーの原作では、ロビンソン夫妻が格安の家賃で借りたのは、ナイツブリッジの「モンタギューマンション(Montague Mansion)」となっているが、英国のTV会社ITV1で放映されたポワロシリーズ「Agatha Christie's Poirot」の「安いフラットの冒険」(1990年)の回では、ケンジントン&チェルシー王立区(Royal Borough of Kensington and Chelsea)の高級地区ケンジントン(Kensington)にある「キャンプデンヒルゲート(Campden Hill Gate)」というフラットが撮影に使用されている。


地下鉄ノッティングヒルゲート駅(Notting Hill Gate Tube Station)の前を通るノッティングヒルゲート通り(Notting Hill Gate)がホーランドパークアヴェニュー(Holland Park Avenue)と名前を変える手前でキャンプデンヒルロード(Campden Hill Road)へと折れて、サウスケンジントン地区(South Kensington)方面へと南下する。キャンプデンヒルロードを中間辺りまで下ったところで右折すると、そこがダチェス・オブ・ベッドフォーズ・ウォーク(Duchess of Bedford's Walk)で、これを突き当たりにあるホーランドパーク(Holland Park)まで進んだ右手にフラット「キャンプデンヒルゲート」は建っている。


ダチェス・オブ・ベッドフォーズ・ウォークの突き当たりからは、キャンプデンヒルロードに並行して、フィリモアガーデンズ通り(Philimore Gardens)が地下鉄ハイストリートケンジントン駅(High Street Kensington Tube Station)の前を通るケンジントンハイストリート(Kensington Hight Street)まで南下している。ダチェス・オブ・ベッドフォーズ・ウォーク沿いに建つフラット「キャンプデンヒルゲート」へのアクセスは、キャンプデンヒルロード経由か、あるいは、フィリモアガーデンズ通り経由の2ルートしかなく、高級地区ケンジントン内でも奥まった場所にあるため、日中、特に週末はほとんど人通りがなく、非常に閑静な高級住宅街の一角である。そういった意味では、当時も、撮影場所として最適なロケーションだったと言える。

2015年10月17日土曜日

ロンドン ヒッポドローム劇場(The Hippodrome)

チャリングクロスロード越しに見た旧ヒッポドローム劇場の建物正面—
右手奥の建物がカジノ施設になっている

サー・アーサー・コナン・ドイル作「マザリンの宝石(The Mazarin Stone)」は、「ストランドマガジン(The Strand Magazine)」の1921年10月号に発表されているが、その原作となっている戯曲がある。それが、コナン・ドイル作「王冠のダイヤモンドーシャーロック・ホームズとの一夜(The Crown Diamond : An Evening with Sherlock Holmes)」である。
この戯曲は、1921年5月2日にロンドンのヒッポドローム劇場(The Hippodrome)で初演され、俳優のデニス・ニールソンーテリー(Dennis Neilson-Terry:1895年ー1932年)がシャーロック・ホームズを演じたが、28回上演された後、公演が終了してしまった。そして、同年10月にその戯曲は「マザリンの宝石」という短編に名前を変えて、「ストランドマガジン」に掲載されたのである。



ヒッポドローム劇場で上演された「王冠のダイヤモンドーシャーロック・ホームズとの一夜」の内容は、基本的に「マザリンの宝石」と同じであるものの、
(1)犯人役がネグレット・シルヴィウス伯爵(Count Negretto Sylvius)ではなく、「ストランドマガジン」の1903年10月号に発表された「空き家の冒険(The Emputy House)」に登場するセバスチャン・モラン大佐(Colonel Sebastian Moran)となっていること
(2)登場人物が、ホームズ、ジョン・ワトスン、給仕のビリー(Billy)、モラン大佐とボクサーで、彼の用心棒のサム・マートン(Sam Merton)の5人に限定されていて、犯人の逮捕で話は完結し、「マザリンの宝石」のように事件の依頼人であるカントルミア卿(Lord Cantlemere)が物語の最後にホームズの元を訪れる場面がないこと
等の差異がみられる。

戯曲の初演は1921年ではあるが、その後の調査や関係者の証言等から、コナン・ドイルが戯曲を執筆したのは、「空き家の冒険」よりも前であったと推測されている。ただし、戯曲の執筆後、コナン・ドイルが20年近くに長きにわたって発表しなかった理由は全く不明で、また、モラン大佐、蝋人形や空気銃等、戯曲に書かれた内容がどういった経緯で「空き家の冒険」に使用されたのかについても、残念ながら、判っていない。ただ、唯一言えるこてゃ、「空き家の冒険」において、モラン大佐は既に逮捕済であるため、コナン・ドイルが戯曲を「マザリンの宝石」として「ストランドマガジン」に発表する際に、モラン大佐を使用できず、新しい犯人役としてシルヴィウス伯爵を登場させる必要があったという点である。


旧ヒッポドローム劇場の近くにある花屋さんの店頭

「王冠のダイヤモンドーシャーロック・ホームズとの一夜」が初演されたヒッポドローム劇場は、ロンドンの中心部シティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)のソーホー地区(Soho)内に位置しており、トラファルガースクエア(Trafalgar Square)から北へ延びるチャリングクロスロード(Charing Cross Road)とコヴェントガーデン(Covent Garden)方面から西へ延びるクランボーンストリート(Cranbourne Street)が交差する北西の角に建っている。劇場名の「ヒッポドローム」は、「馬術演技場/曲馬場」を意味する。



ヒッポドローム劇場は、劇場やミュージックホール等の運営を行う会社モス・エンパイアズ(Moss Empires)を経営するサー・ホレース・エドワード・モス(Sir Horace Edward Moss:1852年ー1912年)の依頼に基づいて、劇場の建設やデザインを専門とする英国の建築家フランク・マッチャム(Frank Matcham:1854年ー1920年)によって設計された。劇場は、当初、サーカスやその他の演芸の興行を行う場所として建設され、劇場名もそれに付随して「ロンドン・ヒッポドローム(London Hippodrome)」と呼ばれた。劇場は1900年にオープンし、同年1月15日からサーカスの興行を開始した。
1909年にフランク・マッチャムによって建物は再建され、1300席を超える座席を有するミュージックホール/劇場として生まれ変わる。1910年には、ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー(Pyotr Ilyich Tchaikovsky:1840年ー1893年)作曲「白鳥の湖(Swan Lake)」のバレエ公演(英国初演)がここで行われている。
コナン・ドイルの戯曲「王冠のダイヤモンドーシャーロック・ホームズとの一夜」が上演されたのも、この頃である。
1958年には、当初の内装が全て取り壊され、「ザ・トーク・オブ・ザ・タウン(The Talk of the Town)」というナイトクラブへと改装された。出演者には、ダイアナ・ロス(Diana Ross)、ジュディー・ガーランド(Judy Garland)、フランク・シナトラ(Frank Sinatra)、サミー・ディヴィス・ジュニア(Sammy Davis Jr.)、スティーヴィー・ワンダー(Stevie Wonder)やニール・セダカ(Neil Sedaka)等の有名人が多く含まれている。
1983年に再度改装され、「ロンドン・ヒッポドローム」というナイトクラブ兼レストランとして再開したが、間もなく流行から取り残されるようになった。そのため、2004年に更に改装され、「サーク(円形劇場)・アット・ザ・ヒッポドローム(Cirque at the Hippodrome)」として再出発するが、レスタースクエア(Leicester Square)一帯の風紀規制をを強化する警察による取り締まりを受け、2005年10月にアルコールを販売するライセンスを取り消されてしまい、同年12月に閉鎖を余儀なくされた。
2006年1月に名前を「ロンドン・ヒッポドローム」に戻し、イベント会場として再開するも、2008年には劇場へとなり、運営方針がまた変わるのであった。



2009年に入ると、建物をフランク・マッチャムによるオリジナルのデザインに戻し、カジノへと改装する案が浮上する。隣接する建物を含む大改装が施工され、2012年7月13日、ロンドン市長のボリス・ジョンスン(Boris Johnson, Mayor of London)の出席の下、「ヒッポドローム・カジノ(Hippodorme Casino)」として正式にオープンし、現在に至っている。
上記の通り、1900年のオープン以降、所有者と運営方針が頻繁に変わったが、やっとカジノ場として落ち着いたのである。


2015年10月11日日曜日

戯曲版「ねずみとり(The Mousetrap)」

セントマーティンズ劇場での「ねずみとり」公演25周年を記念して
同劇場に送られた「銀のネズミ」

ある土曜日の午後、セントマーティンズ劇場(St. Martin's Theatre)へアガサ・クリスティー作の戯曲版「ねずみとり」を観に出かけた。最前席のストール(Stalls)で観劇。生憎と、夏季休暇期間のためか、お客さんの入りは半分弱という感じであった。


登場人物は、以下の8人。
(1)モリー・ロールストン(Mollie Ralston)
(2)ジャイルズ・ロールストン(Giles Ralston)
(3)クリストファー・レン(Christopher Wren)
(4)ボイル夫人(Mrs Boyle)
(5)メトカーフ少佐(Major Metcalf)
(6)ケースウェル嬢(Miss Casewell)
(7)パラヴィチーニ氏(Mr Paravicini)
(8)トロッター部長刑事(Detective Sergeant Trotter)
当日、モリー・ロールストン、ジャイルズ・ロールストンとボイル夫人の3人は、代役俳優/女優(understudy)による出演であった。
慣れによる演技やマンネリ等を防ぐため、毎年、全員ではないものの、役者や演出家をある程度入れ替えているようである。


ゲストハウスであるモンクスウェル山荘(Monkswell Manor)の居間に舞台が固定され、物語が展開する。
<第1幕第1場ー午後遅く>
モリーとジャイルズのロールストン夫妻が新しく開いたゲストハウスのオープン日当日、雪が激しく降り続く中、予約客4人と途中の道で車がスリップしたという外国人風の男性が次々に到着する。
<第1幕第2場ー翌日の昼食後>
雪で閉ざされて孤立したゲストハウスに警察から電話があり、ある殺人事件の捜査のために、トロッター部長刑事が派遣される。その後、突然、灯りが消えて、真っ暗闇になった居間で、ボイル夫人が何者かによって殺害されたところで、舞台は一旦休憩に入る。
<第2幕ー第1幕第2場の15分後>
ロンドンのパディントン駅近くで発生した殺人事件およびボイル夫人の殺害を行った犯人が明らかにされる。登場人物の多くが、昔ゲストハウス近辺で発生したある事件との繋がりを持っていたのであった。

「ねずみとり」のある一場面

舞台には、4つの出入口があり、
・左手奥ー玄関、玄関ホール、キッチンおよび裏階段へと通じている
・左手前(ドア)ー食堂へと通じている
・右手奥ー図書室や上階の部屋へと至る主階段とへ通じている
・右手前(ドア)ー客間へと通じている
左手奥と右手奥は上階経由でつながっていて、また、左手奥と左手前、更に、右手奥と右手前は、それそれ裏側で接続している設定のため、舞台を観ていると、登場人物が右手奥から退場した後、左手奥から現れたり、左手前から出て行った後、左手奥から戻って来たり、また、右手前から姿を消した後、右手奥から出て来るといったように、特に、第1幕第2場以降、登場人物の多くが入れ替わり立ち替わりで舞台から出たり入ったりを繰り返して、これが非常に気になった。
観劇後、「ねずみとり」の公演60周年を記念して出版された戯曲本「ねずみとりとその他(The Mousetrap and Other Plays)」を購入し、「ねずみとり」を改めて読んでみた。文章で読む限りでは、登場人物の移動はそれ程気にならないが、実際に俳優/女優がアガサ・クリスティーの戯曲通りに演技し始めると、印象が180度変わってしまうのである。役者や演出家の全面的なせいではないとは思うものの、この点が気になり始めてしまい、途中からあまり楽しめなかった。

左上から時計回りに、パラヴィチーニ氏、ジャイルズ・ロールストン、
クリストファー・レン、そして、モリー・ロールストン

アガサ・クリスティーとしても、小説とは異なり、戯曲の場合、限られた上演時間内で話を完結させる必要がある一方、登場人物のそれぞれに一定の見せ場を与えることが必要なので、登場人物が入れ替わり立ち替わりで舞台から出たり入ったりを繰り返すのは、やむを得ないのかもしれない。的を得ているかどうか判らないが、アガサ・クリスティー作品の映像化や舞台化があまり当たらないには、そんなところに理由があるのではないかと思う。
アガサ・クリスティー作品に関しては、何気ない会話の中に真相が隠されていたり、何通りかの解釈があったり、読者のミスディレクションにつながっていたり、また、聞いていた登場人物が全く異なる解釈をしたり等と、文書によるテクニックが冴えていると個人的には思っており、そういった意味では、本質的には、映像化や舞台化には適していないのではないかと考える。
TV版のポワロシリーズの場合、ポワロを演じた俳優デイヴィッド・スーシェ(David Suchet:1946年ー)がポワロとしてはまり役だったこともあって、例外的に評判が良かったと言える。また、脚本も極力アガサ・クリスティーの原作通りだったり、変更を加えるにしても、うまく脚色していたと思う。

左上から時計回りに、ボイル夫人、ケースウェル嬢、
トロッター部長刑事、そして、メトカーフ少佐

クリストファー・レンについては、アガサ・クリスティーの戯曲版に従い、子供っぽく落ち着きのない若い男性建築家通りではったが、子供っぽさと落ち着きのなさが非常に誇張された演技で、個人的にはやや鼻についた。
また、トロッター部長刑事に関しては、ロンドン訛の陽気な若い男性という設定であったが、登場した当初から、気難しく、かつ神経質な性格の演技が始まり、物語がずーっと沈んだまま進み、これもまた気になった。設定通りに陽気な演技を続けられても、殺人事件にかかる話なので、それはそれでそぐわなかった気はするが...

2015年10月10日土曜日

ロンドン ライムストリート(Lime Street)

ライムストリートの中間辺りから北側を望む

サー・アーサー・コナン・ドイル作「マザリンの宝石(The Mazarin Stone)」では、ある夏の晩7時頃、ジョン・ワトスンがベイカーストリート221B(221B Baker Street → 2014年6月22日 / 6月29日付ブログで紹介済)のシャーロック・ホームズの元を訪れるところから、物語が始まる。
給仕のビリー(Billy)によると、ホームズは現在ある事件にかかりきりだと言う。ホームズは、昨日、職探しの職人に、そして、今日は老婆に変装して出かけた、とのこと。ビリーがワトスンにこっそり教えてくれたところでは、「マザリンの宝石(Mazarin Stone)」という10万ポンドもする王冠のダイヤモンド盗難事件のためのようだ。また、窓辺には、(「空き家の冒険(The Empty House)」でも使われた)ホームズの蝋人形が置かれていた。一体何のために?


その時、寝室のドアが開いて、ホームズが姿を見せる。ホームズ曰く、「『マザリンの宝石』を盗んだのは、ネグレット・シルヴィウス伯爵(Count Negretto Sylvius)で、彼と彼の部下のサム・マートン(Sam Merton)が自分の命を付け狙っている。」と言う。
そこへ、一味の首領であるシルヴィウス伯爵がホームズの部屋にやって来る。ホームズはワトスンをスコットランドヤードへ送り出して、シルヴィウス伯爵と直接話をつけようとする。ホームズはシルヴィウス伯爵と後から合流したサム・マートンに対して、「ホワイトホール(Whitehall)から盗んだ『マザリンの宝石』を黙って渡せば、盗難事件のこと自体は見逃す。」と持ちかけるのであった。そして、二人だけで相談させるべく、席を外したホームズは寝室へ入り、ヴァイオリンを弾き始める。

ライムストリートの中間辺りから南側を望む—
奥に見えるのが、フェンチャーチストリート沿いに建つ
20 Fenchurch Street ビル

窓の方からかすかな音がしたように思えた。そのため、二人は慌てて辺りを見回したが、静まり返ったままだった。窓辺の椅子に座る奇妙な人形以外、部屋の内には確かに人気がなかった。
「通りの音か!」と、マートンが言った。「親分、いいですかい、あんたは頭がきれる。きっと、この状況を切り抜ける何か良い策を思いつけるに違いない。もし腕力が通用しないのなら、あんたの範疇だ。」
「俺はあいつ(=ホームズ)よりも頭が良い奴を何人も騙してきた。」と、伯爵は答えた。「例の宝石は、俺の隠しポケットの中に入っている。これを置いていくようなことはできない。今夜にも、宝石を英国から持ち出して、日曜日までにアムステルダムで四つに切るんだ。あいつはヴァン・セダのことを何も知らない。」
「ヴァン・セダは来週アムステルダムへ行く予定だったのでは?」
「その通りだ。しかし、こうなったら、ヴァン・セダは次の船でアムステルダムへ行く必要がある。俺達のどちらかがこの宝石をライムストリートまで持って行って、彼に連絡しなければならない。」
「しかし、二重底はまだ出来上がっていないのでは?」
「ヴァン・セダは一か八かそのまま持って行かざるを得ない。一刻も無駄にはできないからな。」
もう一度、狩猟家の本能である危険を察知する感覚を研ぎ澄まして、彼は話を止め、窓辺をじーっと見つめた。あのかすかな音は、間違いなく、通りから来ているようだ。

ライムストリートの北端近辺—
左側にはロイズ保険会社のビルが、
右側には保険ブローカーのウィリスが入居するビルが建つ
また、奥に見えるのが、ガーキンビル(The Gherkin - 30 St. Mary Axe)

There was a vague sound which seemed to come form the window. Both men sprang round, but all was quiet. Save for the one strange figure seated in the chair, the room was certainly empty.
'Something in the street,' said Merton. 'Now look here, guv'nor, you've got the brains. Surely you can think a way out of it. If slugging is no use then it's up to you.'
'I've fooled better men than he,' the Count answered. 'The stone is here in my secret pocket. I take no chances leaving it about. It can be out of England tonight and cut into four pieces in Amsterdam before Sunday. He knows nothing of Van Seddar.'
'I thought Van Seddar was going next week.'
'He was. But now he must get off by the next boat. One or other of us must slip round with the stone to Lime Street and tell him.'
'But the false bottom ain't ready.'
'Well, he must take it as it is and chance it. There's not a moment to lose.'
Again, with the sense of danger which becomes an instinct with the sportsman, he paused and looked hard at the window. Yes, it was surely from the street that the faint sound had come.

保険ブローカーのウィリスが入居するビルを
ライムストリートから見上げる

シルヴィウス伯爵とサム・マートンの仲間であるヴァン・セダが居るライムストリート(Lime Street)は、ロンドンの経済活動の中心地であるシティー(City)内に位置していて、地下鉄バンク駅(Bank Tube Station)から東へ向かって延びるレドンホールストリート(Leadenhall Streetー「花婿失踪事件(A Case of Identity)」で紹介済)とフェンチャーチストリート(Fenchurch Streetー同じく、「花婿失踪事件」で紹介済)を南北に結ぶ細い通りである。
ライムストリートの名前は、建築資材用に石灰(=ライム)を販売していた石灰業者がここで営業していたことに由来する。

保険ブローカーのウィリスが入居するビルの入口近くに
設置されているオブジェ

レドンホールストリート側から始まるライムストリートの西側にはロイズ保険会社(Lloyd's of London)のビルが、また、東側には被保険者と保険者の間を仲介する保険ブローカー大手のウィリス(Willis)本社が入居するビルが建っているため、日中でも両方の高層ビルの谷間になっていて、通りはやや暗い。
以前、この通り沿いでは石灰業者が営業していたが、現在は、ロイズ保険会社やウィリスが所在しているため、他の保険会社や保険ブローカーが数多く集中する通りとなっている。この辺りのポストコードは「EC2」、あるいは「EC4」となっていて、保険関係の会社の場合、どちらかのポストコードを有していないと(=このエリア内にオフィスを有していないと)、一流の会社とは見做されないという暗黙の了解が存在している。

2012年ロンドンオリンピックのマラソンコースに使用された
レドンホールマーケット

ライムストリートの西側には、レドンホールマーケット(Leadenhall Market)があり、このマーケットとライムストリートの南側は、2012年ロンドンオリンピックにおいて、マラソンコースの一部として使用された。

2015年10月4日日曜日

ロンドン セントマーティンズ劇場(St. Martin's Theatre)ーその2

「ねずみとり」のロングラン公演が行われているセントマーティンズ劇場—
現在は63周年であるが、2015年11月25日には、64周年に入る

1952年11月25日にアンバサダーズ劇場(Ambassadors Theatre)において初演を迎えたアガサ・クリスティー作の戯曲版「ねずみとり(The Mousetrap)」は、同劇場で1974年3月23日(土)までの21年間強にわたって上演された。翌週の同年3月25日(月)からは、隣りのセントマーティンズ劇場(St. Martin's Theatre)へその公演の場を移し、現在、63年目のロングランに入っている。


ウェストストリートを南側から見たところ—
右手手前にセントマーティンズ劇場、
その奥にアンバザダーズ劇場が建っている

セントマーティンズ劇所は、アンバサダーズ劇場と同じく、ロンドンの中心部シティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)のソーホー地区(Soho)内にあり、ウェストストリート(West Street)沿いに建っている。その収容人数は、アンバサダーズ劇場の約450名をやや上回る約550名である。



セントマーティンズ劇場は、隣に建つアンバサダーズ劇場と一緒に、劇場の設計者であるウィリアム・ジョージ・ロバート・スプラーグ(William George Robert Sprague:1863年ー1933年)によって建設された。アンバサダーズ劇場は1913年6月5日にオープンしたが、セントマーティンズ劇場の場合は、第一次世界大戦(1914年ー1918年)の勃発により工事が遅延して、オープンを迎えたのは、約3年半後の1916年11月23日であった。


セントマーティンズ劇場での「ねずみとり」公演25周年を記念して、
同劇場に送られた「銀のネズミ」

セントマーティンズ劇場も、アンバサダーズ劇場と同様に、1973年3月にイングリッシュヘリテージ(English Heritage)によって「グレードⅡ(Grade II)」の指定を受け、建物保護の対象となっている。


2015年7月末には公演回数が26,000回を超え、
今もロングランを続けている

アンバサダーズ劇場から公演を引き継いだ1974年3月25日から25年が経過した1999年3月25日に、セントマーティンズ劇場での公演25周年を記念して送られた「銀のネズミ」が同劇場の玄関ホールの壁内に展示されている。
また、1952年11月25日の初演からの50周年を記念して、2002年11月25日、英国女王エリザベス2世(HM The Queen)とフィリップ殿下(HRH The Duke of Edinburgh)を招待した記念公演が行われた。この公演には、「ねずみとり」の公演に以前出演した役者達も招かれている。
公演は、現在、26,000回を超え、今もロングラン回数を増やし続けている。


2015年10月3日土曜日

ロンドン ホワイトホール通り(Whitehall)

ホワイトホール通りを北側から見たところ-
画面中央の建物が、旧陸軍省ビル(former Old War Office building)

サー・アーサー・コナン・ドイル作「マザリンの宝石(The Mazarin Stone)」では、ある夏の晩7時頃、ジョン・ワトスンがベイカーストリート221B(221B Baker Street → 2014年6月22日 / 6月29日付ブログで紹介済)のシャーロック・ホームズの元を訪れるところから、物語が始まる。


給仕のビリー(Billy)によると、ホームズは現在ある事件にかかりきりだと言う。ホームズは、昨日、職探しの職人に、そして、今日は老婆に変装して出かけた、とのこと。ビリーがワトスンにこっそり教えてくれたところでは、「マザリンの宝石(Mazarin Stone)」という10万ポンドもする王冠のダイヤモンド盗難事件のためのようだ。また、窓辺には、(「空き家の冒険(The Empty House)」でも使われた)ホームズの蝋人形が置かれていた。一体何のために?

第8代デヴォンシャー公爵スペンサー・キャヴェンディッシュ
(Spencer Cavendish, 8th Duke of Devonshire:1833年—1908年)
のブロンズ像がホワイトホール通り沿いに立つ

その時、寝室のドアが開いて、ホームズが姿を見せる。ホームズ曰く、「『マザリンの宝石』を盗んだのは、ネグレット・シルヴィウス伯爵(Count Negretto Sylvius)で、彼と彼の部下のサム・マートン(Sam Merton)が自分の命を付け狙っている。」と言う。
そこへ、一味の首領であるシルヴィウス伯爵がホームズの部屋にやって来る。ホームズはワトスンをスコットランドヤードへ送り出して、シルヴィウス伯爵と直接話をつけようとする。まず最初に、ホームズはシルヴィウス伯爵の表沙汰になっていない過去の悪行を次々と暴きたてるのであった。

ホワイトホール通りから南側を望む—
左側の建物はバンケティングハウス(現在、改装中)
奥に国会議事堂のタワーが見える

「一体全体、この話がお前の言う宝石と何の関係があるんだ?」
「伯爵、穏やかに話をしようじゃないか!先走る気持ちを抑えるんだ。僕固有の方法で徐々に核心に迫るのを待つことだな。僕は君に不利な情報を全て持っている。しかし、とりわけ、王冠のダイヤモンド盗難事件の件では、君と君の用心棒にとって明らかに不利な証拠を握っているのさ。」
「まさか、そんなことはありえない!」
「僕には、君をホワイトホール通りまで乗せた御者の証言があるし、君をホワイトホール通りから乗せた御者の証言も得ている。それに加えて、現場近くで君を見かけたという退役軍人の証言もあるんだ。更に、君のために宝石をカットするのを拒んだアイキー・サンダースも居るよ。彼が密告してきたのさ。よって、君はもうお終いだ。」
ホームズの話を聞いた伯爵の額に血管が浮いた。彼の黒い毛だらけの両手は、こみ上げる怒りを抑えようと、固く握り締められたのである。彼は言葉を発しようとしたが、一言も話すことができなかった。

ホース ガーズ パレード(Horse Guards Parade)の建物

'What has all this talk to do with the jewel of which you spoke!'
'Gently, Count. Restrain that eager mind! Let me get to the points in my own humdrum fashion. I have all this against you; but, above all, I have a clear case against both you and your fighting bully in the case of the Crown diamond.'
'Indeed!'
'I have the cabman who took you to Whitehall and the cabman who brought you away. I have the Commissionaire who saw you near the case. I have Ikey Sanders, who refused to cut it up for you. Ikey has peached, and the game is up.'
The veins stood out on the Count's forehead. His dark, hairy hands were clenched in convulsion of restrained emotion. He tried to speak, but the words would not shape themselves.

ホース ガーズ パレードの入口を警備する衛兵

シルヴィウス伯爵が「マザリンの宝石」を盗難したホワイトホール通り(Whitehall)は、ロンドンの中心部シティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)内にあり、北側にあるトラファルガースクエア(Trafalgar Square)と南側にあるパーラメントスクエア(Parliament Square)を南北に結ぶ通りである。正確には、パーラメントスクエアから英国首相官邸(10 Downing Street)へと至るダウニングストリート(Downing Street)までの南側の通りは、パーラメントストリート(Parliament Street)と呼ばれ、ダウニングストリートからトラファルガースクエアまでの北側の通りがホワイトホール通りに該る。

バンケティングハウス内(上階)で
晩餐会等が開催される場所の天井から吊り下げられているシャンデリア

ホワイトホール通りの名前は、この辺りにあったホワイトホール宮殿(Palace of Whitehall - 1698年に火災で焼失)に由来している。
ホワイトホール宮殿の一部のうち、今でも現存しているのが、バンケティングハウス(Banqueting House)で、晩餐会や舞踏会等の目的で使用されているが、通常は、一般の見学者に開放されている。バンケティングハウスは、イタリア遊学中にイタリア・ルネッサンス建築の影響を大きく受けた英国の建築家イニゴー・ジョーンズ(Inigo Jones:1573年ー1662年)が設計し、1622年に建築された。また、晩餐会や舞踏会等が開催される部屋の天井画は、フランドルの画家で外交官でもあったピーテル・パウス・ルーベンス(Peter Paul Rubens:1577年ー1640年)によって描かれている。

ルーベンスによって描かれた天井画

なお、バンケティングハウスの前では、清教徒革命(Puritan Revolution:1642年ー1649年)を経て、英国王チャールズ1世(Charles Ⅰ:1600年ー1649年 在位期間:1625年ー1649年)の公開処刑が1649年1月30日に行われた。英国の歴史上、英国王が処刑された事例は、チャールズ1世のみである。バンケティングハウスの入口上の外壁に、チャールズ1世のレリーフが掛けられている。

バンケティングハウス入口上の外壁に設置されている
チャールズ1世のレリーフ

現在、ホワイトホール通りの両側には、英国首相官邸を初めとして、防衛省(Ministry of Defence)関係が入居するオフィスビルが建ち並んでいる。また、ロンドン警視庁(London Metropolitan Police Service)の本部であるスコットランドヤード(Scotland Yard)も以前はホワイトホール通りの近くに所在していたが、1890年にヴィクトリアエンバンクメント通り(Victoria Embankment)に移転して、以前のスコットランドヤードと対比して、ニュースコットランドヤード(New Scotland Yard)と呼ばれている。

ホワイトホール通りから北側を見たところ—
奥にナショナルギャラリー(National Gallery)、トラファルガースクエアや
ネルソン記念柱(Nelson Statue)等が見える