2015年10月17日土曜日

ロンドン ヒッポドローム劇場(The Hippodrome)

チャリングクロスロード越しに見た旧ヒッポドローム劇場の建物正面—
右手奥の建物がカジノ施設になっている

サー・アーサー・コナン・ドイル作「マザリンの宝石(The Mazarin Stone)」は、「ストランドマガジン(The Strand Magazine)」の1921年10月号に発表されているが、その原作となっている戯曲がある。それが、コナン・ドイル作「王冠のダイヤモンドーシャーロック・ホームズとの一夜(The Crown Diamond : An Evening with Sherlock Holmes)」である。
この戯曲は、1921年5月2日にロンドンのヒッポドローム劇場(The Hippodrome)で初演され、俳優のデニス・ニールソンーテリー(Dennis Neilson-Terry:1895年ー1932年)がシャーロック・ホームズを演じたが、28回上演された後、公演が終了してしまった。そして、同年10月にその戯曲は「マザリンの宝石」という短編に名前を変えて、「ストランドマガジン」に掲載されたのである。



ヒッポドローム劇場で上演された「王冠のダイヤモンドーシャーロック・ホームズとの一夜」の内容は、基本的に「マザリンの宝石」と同じであるものの、
(1)犯人役がネグレット・シルヴィウス伯爵(Count Negretto Sylvius)ではなく、「ストランドマガジン」の1903年10月号に発表された「空き家の冒険(The Emputy House)」に登場するセバスチャン・モラン大佐(Colonel Sebastian Moran)となっていること
(2)登場人物が、ホームズ、ジョン・ワトスン、給仕のビリー(Billy)、モラン大佐とボクサーで、彼の用心棒のサム・マートン(Sam Merton)の5人に限定されていて、犯人の逮捕で話は完結し、「マザリンの宝石」のように事件の依頼人であるカントルミア卿(Lord Cantlemere)が物語の最後にホームズの元を訪れる場面がないこと
等の差異がみられる。

戯曲の初演は1921年ではあるが、その後の調査や関係者の証言等から、コナン・ドイルが戯曲を執筆したのは、「空き家の冒険」よりも前であったと推測されている。ただし、戯曲の執筆後、コナン・ドイルが20年近くに長きにわたって発表しなかった理由は全く不明で、また、モラン大佐、蝋人形や空気銃等、戯曲に書かれた内容がどういった経緯で「空き家の冒険」に使用されたのかについても、残念ながら、判っていない。ただ、唯一言えるこてゃ、「空き家の冒険」において、モラン大佐は既に逮捕済であるため、コナン・ドイルが戯曲を「マザリンの宝石」として「ストランドマガジン」に発表する際に、モラン大佐を使用できず、新しい犯人役としてシルヴィウス伯爵を登場させる必要があったという点である。


旧ヒッポドローム劇場の近くにある花屋さんの店頭

「王冠のダイヤモンドーシャーロック・ホームズとの一夜」が初演されたヒッポドローム劇場は、ロンドンの中心部シティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)のソーホー地区(Soho)内に位置しており、トラファルガースクエア(Trafalgar Square)から北へ延びるチャリングクロスロード(Charing Cross Road)とコヴェントガーデン(Covent Garden)方面から西へ延びるクランボーンストリート(Cranbourne Street)が交差する北西の角に建っている。劇場名の「ヒッポドローム」は、「馬術演技場/曲馬場」を意味する。



ヒッポドローム劇場は、劇場やミュージックホール等の運営を行う会社モス・エンパイアズ(Moss Empires)を経営するサー・ホレース・エドワード・モス(Sir Horace Edward Moss:1852年ー1912年)の依頼に基づいて、劇場の建設やデザインを専門とする英国の建築家フランク・マッチャム(Frank Matcham:1854年ー1920年)によって設計された。劇場は、当初、サーカスやその他の演芸の興行を行う場所として建設され、劇場名もそれに付随して「ロンドン・ヒッポドローム(London Hippodrome)」と呼ばれた。劇場は1900年にオープンし、同年1月15日からサーカスの興行を開始した。
1909年にフランク・マッチャムによって建物は再建され、1300席を超える座席を有するミュージックホール/劇場として生まれ変わる。1910年には、ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー(Pyotr Ilyich Tchaikovsky:1840年ー1893年)作曲「白鳥の湖(Swan Lake)」のバレエ公演(英国初演)がここで行われている。
コナン・ドイルの戯曲「王冠のダイヤモンドーシャーロック・ホームズとの一夜」が上演されたのも、この頃である。
1958年には、当初の内装が全て取り壊され、「ザ・トーク・オブ・ザ・タウン(The Talk of the Town)」というナイトクラブへと改装された。出演者には、ダイアナ・ロス(Diana Ross)、ジュディー・ガーランド(Judy Garland)、フランク・シナトラ(Frank Sinatra)、サミー・ディヴィス・ジュニア(Sammy Davis Jr.)、スティーヴィー・ワンダー(Stevie Wonder)やニール・セダカ(Neil Sedaka)等の有名人が多く含まれている。
1983年に再度改装され、「ロンドン・ヒッポドローム」というナイトクラブ兼レストランとして再開したが、間もなく流行から取り残されるようになった。そのため、2004年に更に改装され、「サーク(円形劇場)・アット・ザ・ヒッポドローム(Cirque at the Hippodrome)」として再出発するが、レスタースクエア(Leicester Square)一帯の風紀規制をを強化する警察による取り締まりを受け、2005年10月にアルコールを販売するライセンスを取り消されてしまい、同年12月に閉鎖を余儀なくされた。
2006年1月に名前を「ロンドン・ヒッポドローム」に戻し、イベント会場として再開するも、2008年には劇場へとなり、運営方針がまた変わるのであった。



2009年に入ると、建物をフランク・マッチャムによるオリジナルのデザインに戻し、カジノへと改装する案が浮上する。隣接する建物を含む大改装が施工され、2012年7月13日、ロンドン市長のボリス・ジョンソン(Boris Johnson, Mayor of London)の出席の下、「ヒッポドローム・カジノ(Hippodorme Casino)」として正式にオープンし、現在に至っている。
上記の通り、1900年のオープン以降、所有者と運営方針が頻繁に変わったが、やっとカジノ場として落ち着いたのである。


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