カールトンハウステラス10番地の建物 |
サー・アーサー・コナン・ドイル作「プライオリー学校(The Priory School)」では、私立プライオリー学校 (The Priory School)の創立者で、校長でもあるソーニークロフト・ハックスタブル博士(Thorneycroft Huxtable)がベーカーストリート221Bのシャーロック・ホームズの元を突然訪れるが、居間に入って来た途端、疲労困憊のあまり、床に足を滑らせて気を失ってしまう。ホームズが急いで頭にクッションを当てて、ジョン・ワトスンが口にブランデーをふくませると、気を取り直した博士は、ホームズとワトスンに対して、彼の学校の寄宿舎から、ホルダーネス公爵(Duke of Holdernesse)の一人息子であるソルタイア卿(Lord Saltire)が誘拐されたと告げるのであった。
ホームズは細長い腕を伸ばして、彼の参照辞典からHの巻を取り出した。
「『ホルダーネス、第6代公爵、ガーター勲士、枢密顧問官』ー肩書きの略称がアルファベットの半分位を使っているな!『ベヴァリー男爵、カーストン伯爵』ーおやおや、大したリストだ!『1900年よりハラムシャー知事。サー・チャールズ・アップルドアの令嬢エディスと1888年に結婚。相続人は一人息子のソルタイア卿。約25万エーカーの土地を所有。ランカシャーとウェールズに鉱山を所有。住所は、カールトンハウステラス、ハラムシャーのホルダーネス館、ウェールズのバンガーにあるカーストン城。1872年に海軍大臣に就任。主席国務大臣で、担当は...』成る程、成る程、この人物は、確かに、英国王室の最も偉大な臣下の一人に違いない!」
Holmes shot out his long, thin arm and picked out Volume 'H' in his encyclopedia of reference.
'"Holdernesse, 6th Duke, K.G. (= Knight of the Garter), P.C. (= Privy Councillor)" - half the alphabet! "Baron Beverley, Earl of Carston" - dear me, what a list! "Lord Lieutenant of Hallamshire since 1900. Married Edith, daughter of Sir Charles Appledore, 1888. Heir and only a child, Lord Saltire. Owns about two hundred and fifty thousand acres. Minerals in Lancashire and Wales. address: Carlton House Terrace; Holdernesse Hall, Hallamshire; Carston Castle, Banger, Wales. Lord of the Admiralty, 1872; Chief Secretary of State for -" Well, well, this man is certainly one of the greatest subjects of the Crown!'
カールトンハウステラスの東側に建つ棟 |
ホルダーネス公爵のロンドンにおける住まいがあったカールトンハウステラス(Carlton House Terrace)は、シティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)のセントジェイムズ地区(St. James's)内にあり、トラファルガースクエア(Trafalgar Square)からセントジェイムズ宮殿(St. James's Palace)へと延びるパル・マル通り(Pall Mallー北側)とトラファルガースクエアからバッキンガム宮殿(Buckingham Palace)へと至るザ・マル通り(The Mallー南側)に挟まれた2ブロックにわたる家並みである。
カールトンハウステラスの西側に建つ棟 |
カールトンハウステラスは、元々、セントジェイムズ宮殿の一部で、「ロイヤルガーデン(Royal Garden)」と呼ばれていた。1709年、政治家ヘンリー・ボイル(Henry Boyle:1669年ー1725年)がアン女王(Queen Anne:1665年ー1714年 在位期間:1702年ー1714年)から土地を31年契約で賃借して開発を行った。1714年にヘンリー・ボイルが初代カールトン男爵(1st Baron Carlton)に叙せられたことに伴い、ある辞典で途中にある「e」が抜けてしまったものの、カールトンハウステラスと呼ばれるようになった。
ハノーヴァー王朝第3代目のジョージ3世(George Ⅲ:1738年-1820年 在位期間:1760年ー1820年)からカールトンハウステラスを与えられていた長男の摂政王太子(Prince Regent)は、1820年にジョージ4世(George Ⅳ:1762年-1830年 在位期間:1820年ー1830年)として即位すると、同地の再開発を命ずる。
近くにあるセントジェイムズスクエアガーデンズ (St. James's Square Gardens)内に置かれている ジョン・ナッシュのプラーク |
1813年から1825年にかけて、リージェンツパーク(Regents Park)とリージェントストリート(Regent Street)の開発を行った建築家で、かつ都市計画家のジョン・ナッシュ(John Nash:1752年-1835年)の設計により、1827年から1832年までに白いスタッコ仕上げの外観をした宮殿のようなテラスハウスが建設された(西側ー9棟(No. 1 - 9)+東側ー9棟(No. 10 - 18))。
カールトンハウステラスからウォーターループレイス(Waterloo Place)越しに パル・マル通りとその向こうのリージェントストリートを望む |
第二次世界大戦(1939年ー1945年)中、カールトンハウステラスも、他のロンドン市内と同様に、ドイツ軍による爆撃により甚大な被害を蒙ったものの、その後再建され、現在に至っている。
ジョン・ナッシュによる再開発後、カールトンハウステラスに居住するのは、貴族、政治家(ウィリス・エワート・グラッドストン(William Ewart Gladstone:1809年ー1898年)ー自由党を指導して、4度にわたって首相を務めた)や他国の外交官等が主であったが、現在は、起業家、協会やクラブ等が使用している。ただし、同地は今も王室所有地のままである。
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