2015年6月21日日曜日

ロンドン イングランド銀行(Bank of England)—その1

イングランド銀行の建物正面

アガサ・クリスティー作「百万ドル債券盗難事件(The Million Dollar Bond Robbery)」(1924年ー「ポワロ登場(Poirot Investigates)」に収録)は、フィリップ・リッジウェイ(Philip Ridgeway)の婚約者エズミー・ダルリーシュ(Esmee Dalgleish)がエルキュール・ポワロの元を事件の相談に訪れるところから始まる。

地下鉄バンク駅の出口手前にある踊り場—
右側へ上がると、スレッドニードルストリートやイングランド銀行へ、
左側へ上がると、プリンシズストリートやロスベリー通りへ行ける

彼女によると、フィリップは、ロンドン&スコティッシュ銀行(London and Scottish Bank)に勤務しており、同行の副支店長ヴァヴァソア氏(Mr Vavasour)の甥である。フィリップは、伯父で副支店長のヴァヴァソア氏と支店長のショー氏(Mr Shaw)の指示を受けて、米国における同行の信用枠を増額するため、1百万ドルの自由公債をニューヨークへ運搬する役目を請け負った。1百万ドルの自由公債は、フィリップの面前でカウントされ、封印された上で、特別な鍵でしか解錠できない革製の旅行鞄に入れられた。
ところが、フィリップが乗船した汽船オリンピア(Olympia)がニューヨークに着く数時間前に、鞄の中から自由公債が全て紛失していることが判明。ニューヨーク税関が船を封鎖して、船内を捜索するも、紛失した自由公債は発見できなかった。更に、紛失した自由公債は、汽船オリンピアがニューヨークに着く前に売却されていたことが、後で判ったのである。果たして、1百万ドルの自由公債はどのようにして盗難されたのか?
フィリップの婚約者エズミーの依頼を受けて、ポワロが捜査に乗り出す。


スレッドニードルストリート側に面した
地下鉄バンク駅の出口

英国TV会社ITV1が放送していたポワロシリーズ「Agatha Christie's Poirot」の「百万ドル債券盗難事件」(1991年)は、強い雨が降るある朝、ショー氏とヴァヴァソア氏の2人が地下鉄バンク駅(Bank Tube Station)からスレッドニードルストリート(Threadneedle Street)側に面した出口から外に出て来る場面から始まる。
強い雨の中、傘をさして、プリンシズストリート(Princes Street)をロンドン&スコティッシュ銀行へと向かう2人、そして、彼らの後をつける謎の赤い車。プリンシズストリートとロスベリー通り(Lothbury)の角にある花屋スタンドに立ち寄るヴァヴァソア氏。ヴァヴァソア氏をその場に残して、ショー氏は独りロスベリー通りを横断しようとしたその瞬間、謎の赤い車が突然加速して、ショー氏へと向かって来る。それに気付いて、ショー氏の助けに入ろうとするヴァヴァソア氏と花屋の主人。間一髪のところで、ショー氏は謎の赤い車に轢き殺されるところだった。
元々、1百万ドルの自由公債をニューヨークへ運搬する役目には、ショー氏が選ばれていたのだが、何者かがそれを妨害しようと、ショー氏をつけ狙っているようである。果たして、誰がショー氏の命を奪おうとしているのか?謎の赤い車と同じ車を保有しているフィリップ・リッジウェイが疑われるが、彼は数週間前に自分の車を既に売却したと主張するのであった。

プリンシズストリート沿いにある
イングランド銀行建物の外壁の扉装飾

ショー氏とヴァヴァソア氏が出て来た地下鉄バンク駅の出口やヴァヴァソア氏が花を買おうとして立ち寄った花屋のスタンドがあった場所は、実際には、イングランド銀行(Bank of England)の建物の一部である。


プリンシズストリート側に面した
地下鉄バンク駅の出口

地下鉄バンク駅の出口は、今現在も、TVドラマとは全く変わらないまま存在している。本当は、もう一つ、プリンシズストリート側に面した出口があり、位置関係的には、こちらの方が近いが、こちらの出口の前の歩道はかなり狭いこと、また、出口の前には横断歩道用の信号機があること等から、ドラマの撮影上難しいということで、スレッドニードルストリート側に面した出口の方が、撮影場所として選ばれたものと思われる。

プリンシズストリート側から見た
ロスベリー通りへのショートカット

TVドラマでは、画面左手のところに
花屋のスタンドが営業していた

また、ヴァヴァソア氏が立ち寄った花屋のスタンドは、プリンシズストリートからロスベリー通りへのショートカットに該る場所で営業していたが、厳密には、イングランド銀行の敷地内であり、許可なく、ここでの営業はできないはずである。もちろん、ドラマの撮影時には、イングランド銀行から事前の許可を得たものと思うものの、ドラマの場面を観ていて、ちょっと気になった。ただし、ドラマの中では、ショー氏とヴァヴァソア氏がロンドン&スコティッシュ銀行へと向かう途中に横を通った建物がイングランド銀行であるという描写は、特になかった。


右側の通りがプリンシズストリートで、
左側の通りがロスベリー通り—
ショー氏は画面左手にある横断歩道の辺りで
謎の赤い車に轢き殺されそうになった

アガサ・クリスティーの原作(ポワロは、フィリップの婚約者エズミーから、1百万ドルの自由公債盗難後に、事件捜査の依頼を受けている)とは異なり、TVシリーズでは、ポワロは、ロンドン&スコティッシュ銀行から、1百万ドルの自由公債運搬前に、事件捜査の依頼をうけており、彼は、ヘイスティングス大尉を連れて、同行を訪問している。ロンドン&スコティッシュ銀行も、ドラマの場面に出てくるが、おそらく、ロンバードストリート(Lombard Street)で撮影されたものと思われる。ただし、ロンバードストリートは、実際には、地下鉄バンク駅からショー氏とヴァヴァソア氏が向かったプリンシズストリートやロスベリー通りとは全く正反対の場所にあり、位置関係的には、整合性がとれていない。

2015年6月20日土曜日

ロンドン マウントヴァーノン通り7番地(7 Mount Vernon)

ロバート・スティーヴンスンが住んでいたマウントヴァーノン通り7番地

「宝島(Treasure Island)」(1883年)や「ジキル博士とハイド氏の奇妙な事件(Strange Case of Dr Jekyll and Mr Hyde)」(1886年)等の作品で知られるロバート・ルイス・バルフォア・スティーヴンスン(Robert Louis Balfour Stevenson:1850年ー1894年)は、スコットランドのエディンバラ生まれの小説家、詩人でエッセイストである。


彼は、灯台建設を専門とする技術者である父トマス・スティーヴンスン(Thomas Stevenson)と母マーガレット・バルフォア(Margaret Balfour)の間に生まれる。祖父のロバート(Rober Stevenson)、そして、伯父/叔父のアラン(Alan Stevenson)やデイヴィッド(David Stevenson)も、父のトマスと同様に、灯台建設に従事する技術者であった。
生憎と、彼は生まれつき病弱だったため、生涯各地を転地療養することになる。ただし、これが彼の処女作である紀行文へとつながっていく。
スティーヴンスン家の流れを汲むべく、1867年11月に彼はエディンバラ大学の土木工学科に入学するが、土木工学に興味を持つことができず、後に法科に転科して、弁護士になる。彼の出生時の名前は 'Robert Lewis Balfour Stevenson' であったが、18歳の時(1868年)に、セカンドネームの「Lewis」を「Louis」に変更し、更に23歳の時(1873年)には、名前の間に入っていた Balfour を外してしまう。

「ロバート・スティーヴンスンがここに住んでいた」ことを示すプレート
—建物玄関の右の外壁に掛けられている

彼の興味は、段々と旅行と著作だけに特化していく。
友人のサー・ウォルター・シンプソン(Sir Walter Simpson)と一緒に出かけたベルギーやフランスでのカヌー旅行がベースとなり、彼は処女作として紀行文「内陸の旅人(An Inland Voyage)」を1878年に発表することになる。
その前の1876年9月、彼はパリで後の妻となるファニー・ヴァン・デ・グリフト・オズボーン(Fanny Van de Grift Osbourne:1840年ー1914年)と出会う。彼女は米国のインディアナポリス出身で、当時既婚で2人の子供が居た。長女が絵画の勉強でパリに留学するため、1875年に彼女もパリに来ていたのである。夫の度重なる不貞行為に嫌気をさしていたファニー・オズボーンとロバート・スティーヴンスンは、1877年に入る頃には恋人関係になっていた。1878年8月に彼女が米国のサンフランシスコへ戻っても、当初、彼は旅行を続けていた。1年後の1879年8月に、彼は船でニューヨークへ、そして、陸路でサンフランシスコへ向かうが、これが彼の健康状態を悪化させる。一方、彼女は、夫が病気を患ったことに伴い、1879年に夫と離婚し、ロバート・スティーヴンスンの看病に努めた。そして、体調が改善したロバート・スティーヴンスンとファニー・オズボーンは1880年5月に結婚し、彼女の2人の子供を連れて英国に戻り、その後は精力的に創作に取り組んだのである。

マウントヴァーノン通り—画面左手奥に7番地の建物がある

その頃に執筆/発表したのが、「宝島」や「ジキル博士とハイド氏の奇妙な事件」等であったが、彼の健康上の理由から英国各地を転々としていた。彼が「ジキル博士とハイド氏の奇妙な事件」を執筆した場所は、英国南部海岸沿いのボーンマスであった。
彼は、コカインを飲んだ後、まるで別人になったかのように原稿が進んだ自分の体験に基づいて、「ジキル博士とハイド氏の奇妙な事件」を執筆したのである。現在では、コカインの恐ろしい依存性が一般的に知られていて、世界中で麻薬として規制されているが、当時はコカインが有害だという情報が英国にはまだ届いておらず、強壮剤、あるいは、興奮剤としてもてはやされていたため、誰でもコカインを簡単に入手することができた。ロバート・スティーヴンスンはコカインを飲んで、最初の原稿を三日三晩で仕上げたが、妻に「人物が書けていない。」と批判されたので、その原稿を暖炉に放り込んで焼き捨ててしまった。彼はもう一度コカインを飲んで、再度三日間で書き直したのが、現在も出版されている版となっている。この「ジキル博士とハイド氏の奇妙な事件」は、シャーロック・ホームズシリーズの作者で、同じスコットランド出身のサー・アーサー・コナン・ドイルにも高く評価されている。

ある日曜日の昼下がり—起伏に富むマウントヴァーノン通り

1887年に父親が死去したのを機に、彼は妻子とともに米国へ移住する。その後、出版社の依頼で取材した南太平洋の島々の環境が自分の健康に適していると考え、1890年サモア諸島のウポル島に移り住み、残りの生涯をそこで過ごした。そして、1894年12月3日、ワインを飲んでいる際、突然発作を起こして、ウポル島で44歳の生涯を終えた。原因は脳溢血とされている。

マウントヴァーノン通り(左側)と
ホーリーウォーク(Holy Walk—右側)が交差する角に、
ロバート・スティーヴンスンが住んでいた7番地がある

ロバート・スティーヴンスンが住んでいた家が、ハムステッド(Hampstead)内にある。ハムステッドはロンドン北部の閑静な高級住宅地で、地下鉄ノーザンライン(Northern Line)が通るハムステッド駅(Hampstead Tube Station)を中心として、何本もの通りが起伏を描いて広がるとともに、それらの通り沿いに18世紀のタウンハウスが整然と並んでいる。
ハムステッド駅の前を南北に延びるヒースストリート(Heath Street)に交差するホーリーヒル通り(Holy Hill)を上って行くと、直ぐ左手に歩行者専用道が現れる。ホーリーヒル通りを離れて、この急勾配の歩行者専用道を進むと、その突き当たりがマウントヴァーノン通り(Mount Vernon)である。マウントヴァーノン通り7番地(7 Mount Vernon)に、ロバート・スティーヴンスンは住んでいた。ホーリーヒル通りもかなり道幅が狭いが、マウントヴァーノン通りは更に狭く、車一台が通るので精一杯な位である。この辺りは、通りが非常に入り組んでいる上に、道幅が狭いため、車を含めて、付近の住民しか通らないので、ハムステッドの中でも、夜間になると寂しい位に静かである。

急勾配のホーリーウォーク
—画面奥にマウントヴァーノン通りがある

マウントヴァーノン通りを南に下って行くと、チャーチロウ(Church Row)に突き当たる。この通りは、コナン・ドイル作「サー・チャールズ・オーガスタス・ミルヴァートン(Sir Charles Augustus Milverton)」において、ハムステッドにある彼の屋敷に侵入すべく、ホームズとジョン・ワトスンがオックスフォードストリート(Oxford Street)から乗って来た馬車を降りた場所である。

ホーリーウォークの途中にある教会

2015年6月14日日曜日

ロンドン 地下鉄ハイドパークコーナー駅(Hyde Park Corner Tube Station)

地下鉄ハイドパークコーナー駅のプラットフォーム

アガサ・クリスティー作「茶色の服の男(The Man in the Brown Suit)」(1924年)に登場する主人公のアン・ベディングフェルド(Anne Beddingfeld)は、常に冒険を求める好奇心に溢れた若い女性である。
著名な考古学者である父親チャールズ・ベディングフェルド教授(Professor Charles Beddingfeld)を亡くして孤児となった彼女は、ロンドンのケンジントン地区(Kensington)にある弁護士のフレミング氏(Mr. Flemming)の家に一時身を寄せることになる。生憎と、父親がアンに87ポンドしか遺してくれなかったため、彼女は早速生活の糧を見つける必要があった。

プラットフォームの壁に設置されている駅名の表示

ある日、アンは、結果がおもわしくない採用面接から帰る途中、地下鉄のハイドパークコーナー駅(Hyde Park Corner Tube Station)のプラットフォームで電車を待っていた。その時、顎髭を生やした、小柄で細身の男がプラットフォームから下に誤って転落して死亡するという事件に、彼女は遭遇する。プラットフォームから転落して死亡した男が着ていたコートからは、防虫剤の臭いが漂っていた。
その場に居合わせた人達の中に、茶色の服を着た医師が居て、彼が死体を検分するが、アンは彼が医師ではないことを見抜く。また、偽者の医師が死体のポケットから抜き取ったものの、うっかりと落としていったメモを彼女は拾うことになる。そのメモには、’17.122 キルモーデンキャッスル(17.122 Kilmorden Castle)’と書かれてあった。プラットフォームから転落死した男は、L. B. カートン(L. B. Carton)という名前で、事故死として扱われてしまう。

ハイドパーク側にある地下鉄への入口

地下鉄への入口上にある地名の表示

アンはメモの内容を解読しようとするが、あまりにもデータが不足していた。ある日、彼女がロンドン汽船会社の事務所の前を通った際、「キルモーデンキャッスル」が地名ではなく、英国のサザンプトン(Southampton)から南アフリカのケープタウン(Cape Town)へと向かう汽船の名であることが判った。更に、その船は’1922年1月17日’にサザンプトンを出航することになっていた。彼女は事件の真相を探るため、汽船キルモーデンキャッスルに乗船するのであった。

地下鉄の改札口へ向かう連絡通路の壁に
掛けられている行き先の表示

連絡通路の壁に描かれている
ハイドパークコーナー駅近辺の歴史的な一コマの一つ

地下鉄ハイドパークコーナー駅は、ハイドパーク(Hyde Park)の南東の角ハイドパークコーナー(Hyde Park Corner)にある駅で、ピカデリーライン(Piccadilly Line)が通っている。当駅の東隣りはグリーンパーク(Green Park)に面している地下鉄グリーンパーク駅(Green Park Tube Station)で、西隣りはハロッズ(Harrods)デパートの近くにある地下鉄ナイツブリッジ駅(Knightsbridge Tube Station)である。


地上にあった改札口が入った建物には、
現在、ホテルが入居している—
外壁の赤茶色の部分が当時のままである

ホテル玄関の両側にあるのは、
地下鉄の改札口とプラットフォームを結ぶリフト用のシャフトで、
現在も、通風口として残されている—
植栽でうまく隠されている

地下鉄ハイドパークコーナー駅は1906年12月15日にオープンした。
当初は、地上にある改札口と地下のプラットフォームはリフトで結ばれる仕組みとなっていたが、プラットフォームからのエスカレーターが設置され、1932年5月23日に地下の改札口がオープンしたことに伴い、地上の改札口が入った建物は使用されなくなった。最近では、2010年6月まではピザ屋が当該建物に入居していたが、その後、大改装が行われて、現在は、ホテルのウェルスレー(The Wellesley)が入居している。その結果、ハイドパークコーナー駅は、地上に改札口等を含む関連施設を伴わない数少ない地下鉄の駅の一つとなっている。

ナイツブリッジ駅へと西方面に向かう線の
プラットフォーム

主人公のアンは、採用面接の後、ケンジントン地区のフレミング氏の家へ帰る途中で、地下鉄ハイドパークコーナー駅のプラットフォームにおいて事件に遭遇した訳で、これを実際の駅に当てはめると、ハイドパークコーナー駅からナイツブリッジ駅へと西方面に向かう線のプラットフォームが事件の舞台だと言える。

2015年6月13日土曜日

ロンドン ヴィクトリア駅(Victoria Station)

ウィルトンロード(Wilton Road)側に面したヴィクトリア駅の入口

サー・アーサー・コナン・ドイル作「最後の事件(The Final Problem)」の冒頭、ベイカーストリート221B(221B Baker Street → 2014年6月22日 / 6月29日付ブログで紹介済)を突然訪れた犯罪界のナポレオンと呼ばれるジェイムズ・モリアーティー教授(Professor James Moriarty)に、自分から手を引くように告げられたシャーロック・ホームズは、これをキッパリと断る。そのため、ホームズはモリアーティー教授配下の者に命を狙われることになった。


1891年4月24日の昼間、オックスフォードストリート(Oxford Street)へ出かけたホームズであったが、最初は、ベンティンクストリート(Bentinck Street)とウェルベックストリート(Welbeck Street)の角で、突然暴走して来た二頭立て馬車に危うく轢き殺されそうになった。二度目は、ヴェアストリート(Vere Street)を歩いていると、ある家の屋根からレンガが落ちてきて、ホームズの足下で粉々に砕け散ったのであった。
スコットランドヤードがモリアーティー教授を含めた一味を一網打尽するまでの間、ホームズはジョン・ワトスンと一緒に欧州大陸へと身を隠すことにした。彼らはヴィクトリア駅(Victoria Station)から欧州大陸へ向かう計画をたてた。翌朝、ワトスンはホームズの指示に従って、行動を開始する。

ヴィクトリア駅の構内

翌日の朝、私はホームズの指示に忠実に従った。我々を待ち伏せしている馬車を避ける用心のために、ハンサム型馬車(二人乗り一頭立て二輪の辻馬車)を一台確保した。朝食後、私は直ぐにロウザーアーケードへ向けて出発し、道中全速力で走るよう、御者を急かした。アーケードの反対側には、黒いマントに身を包んだ非常にガッチリした体格の御者がブルーム型馬車(一頭立て四輪箱馬車)を停めて、私を待っていた。私が馬車に乗り込んだ瞬間、御者は馬に鞭を当て、ヴィクトリア駅へ向かって疾走した。ヴィクトリア駅で私が馬車から降りると、御者は馬車を返し、私の方を一瞥もしないで、再び走り去って行った。
ここまでのところは、全て非常にうまく事が運んだ。私の荷物は無事駅に到着していた。ホームズが指定した客車を見つけるのは全く難しくなかったし、客車の内で「予約済」と表示された客室はたった一つだけだったので、困ることはなかった。私の唯一の心配事は、ホームズが姿を見せないことだった。駅の時計は、我々の列車の発車時刻まであと7分を示した。私は旅行者や見送りの集団の中にホームズを探したが、彼の姿は影も形もなかったのである。

列車の発着ホーム

天井から吊り下げられている構内表示板

In the morning I obeyed Holmes's injunctions to the letter. A hansom was procured with such precaution as would prevent its being one which was placed ready for us, and I drove immediately after breakfast to the Lowther Arcade, through which I hurried at the top of my speed. A brougham was waiting with a very massive driver wrapped in a dark cloak, who, the instant that I had stepped in, whipped up the horse and rattled off to Victoria Station. On my alighting there he turned the carriage, and dashed away again without so much as a look in my direction.
So far all had gone admirably. My luggage was waiting for me, and I had no difficulty in finding the carriage which Holmes had indicated, the less so as it was the only one in the train which was marked 'Engaged'. My only source of anxiety now was the non-appearance of Holmes. The station clock marked only seven minutes from the time when we were due to start. In vain I searched among the groups of travellers and leave-takers for the little figure of my friend. There was no sign of him.

ターミナスプレイス(Terminus Place)側に面した駅ビル—
インフォメーションセンター等が入っている
手前では、2018年竣工を目指して、駅の改修工事が進められている

ヴィクトリア駅の正面入口—
手前は、ロンドン市内用バスが発着するバスターミナルになっている

ヴィクトリア駅(Victoria Station)はベルグレイヴィア地区(Belgravia)内にあり、ロンドン市内ではウォータールー駅(Waterloo Station)に次いで2番目に列車の発着が多い駅である。1860年に建設された当初は、グローヴナーターミナス(Grosvenor Terminus)と呼ばれていたが、当時のヴィクトリア女王(Queen Victoria:1819年ー1901年)に因んで、現在の名前となったものと思われる。

ヴィクトリアストリート(Victoria Street)沿いに建つ
ヴィクトリアパレス劇場(Victoria Palace Theatre)—
映画でもヒットした「ビリー・エリオット(Billy Elliot—
日本題:リトルダンサー)の講演が行われている

当駅からは、ロンドン南部、サセックス州(Sussex)やサリー州(Surrey)等へ向かうサザンライン(Southern Line)、ロンドン南東部やケント州(Kent)等へ向かうサウスイースタンライン(Southeastern Line)、そして、ガトウィック空港(Gatwick Airport)へ向かうガトウィックエクスプレス(Gatwick Express)等が出ている。
ヴィクトリア駅の正面入口前は、ロンドン市内用バスが発着するバスターミナルになっており、長距離バスが発着するヴィクトリアコーチステーション(Victoria Coach Station)は駅の裏手にある。

ヴィクトリア駅の近くにあるロウワーグローヴナーガーデン
(Lower Grosvenor Garden)内に設置されているオブジェ

また、駅の下には地下鉄ヴィクトリア駅(Victoria Tube Station)があり、サークルライン(Circle Line)、ディストリクトライン(District Line)とヴィクトリアライン(Victoria Line)の3線が乗り入れている。

2015年6月7日日曜日

ロンドン アディソンマンションズ(Addison Mansions)

オリンピア展示場の裏手ブライスロード(Blythe Road)沿いに建つフラット

第一次世界大戦(1914年ー1918年)が終わって1年が経った1919年に、実家のデヴォン(Devon)州アッシュフィールド(Ashfield)で一人娘のロザリンド(Rosalind)を出産したアガサ・クリスティーと(最初の夫である)アーチボルド・クリスティー(Archibald Christie:1889年ー1962年/通称 アーチー(Archie))は、ケンジントン区(Kensington)にアパートを見つけて、それまで住んでいたノースウィックテラス5番地(5 Northwick Terrace)から引っ越した。彼らが引っ越した先は、ケンジントン・オリンピア駅(Kensington Olympia Station)の近くで、オリンピア展示場(Olympia Exhibition Centre)の裏にあった二棟のアパート「アディソンマンションズ(Addison Mansions)」の25号室であった。

ケンジントンハイストリート側のオリンピア展示場

オリンピア展示場では、アンティーク本フェアが開催されていた

オリンピア展示場の裏側

その後、クリスティー夫妻は、中庭を挟んで別棟にあるより住環境が良い96号室へ移り、アガサ・クリスティーは4つの寝室と2つの居間の改装に取りかかった。アディソン・マンションズ96号室は、クリスティー夫妻と一人娘のロザリンドに加えて、乳母のジェシー・スワネル(Jessie Swannell)とメイドのルーシー(Lucy)が暮らすには充分な広さであった。そして、クリスティー一家はここで1922年1月まで心地良い暮らしを送った。1922年1月に、アガサ・クリスティーは、(1924年に開催予定の)大英帝国博覧会の宣伝使節の一員となったアーチボルドと一緒に、1年近く世界歴訪の旅に出かけることとなった。クリスティー夫妻は、娘のロザリンドをアガサの姉の元に預けて、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドや南アフリカ等を巡っている。

ブライスロード沿いにあるカフェ

ブライスロード沿いに建つ郵便局の集配施設—
建物の一部を大英博物館等が使用している模様

アガサ・クリスティーは、アディソンマンションズに住んでいた間、娘のロザリンドを乳母車に乗せて、ケンジントンハイストリート(Kensington High Street)を通り、ホーランドパーク(Holland Park)までよく散歩に出かけた。ただ、「乳母車を押して、ホーランドパークまで行って戻って来るのは、冗談にならない位、非常に大変だった。」と、彼女は後に述懐しているようである。
ケンジントンハイストリート沿いには街路樹が生い茂り、通りを一歩北側に入ると、ホーランドパークとケンジントンガーデンズ(Kensington Gardens)に挟まれた区域には、ヴィクトリア朝の住宅や大使館/領事館等が建ち並ぶ高級住宅街で、散歩するにはうってつけの場所だったと言える。

ハズリットロード(Hazlitt Road)と
マクリースロード(Maclise Road)の角に建つフラット(その1)

ハズリットロード(Hazlitt Road)と
マクリースロード(Maclise Road)の角に建つフラット(その2)

アガサ・クリスティーがアディソンマンションズに住んでいた頃(1919年ー1922年)から、近くにあった「ジョーゼフ・ライオンズ会社(Joseph Lyons and Co.)」という仕出し会社が、同社の敷地拡張のため、アディソンマンションズの取り壊しを計画しており、実際、その30年後に取り壊しが行われ、その跡地には同社の本社ビルであるキャドビーホール(Cadby Hall)が建てられたとのこと。

ただ、1970年代に入ると、同社の業績が傾き、1978年には他社に売却された後、1983年6月には本社ビルのキャドビーホールを含め、一帯の建物は取り壊されてしまったので、残念ながら、今現在、当時の面影は全く残っていない。

ライオンズウォーク—
当時あった仕出し会社の名前が通り名に残っている

2015年6月6日土曜日

ロンドン モーティマーストリート(Mortimer Street)

モーティマーストリートを東方面に望む―
突き当たりは、リージェントストリート

サー・アーサー・コナン・ドイル作「最後の事件(The Final Problem)」の冒頭、ベイカーストリート221B(221B Baker Street → 2014年6月22日 / 6月29日付ブログで紹介済)を突然訪れた犯罪界のナポレオンと呼ばれるジェイムズ・モリアーティー教授(Professor James Moriarty)に、自分から手を引くように告げられたシャーロック・ホームズは、これをキッパリと断る。そのため、ホームズはモリアーティー教授配下の者に命を狙われることになった。



1891年4月24日の昼間、オックスフォードストリート(Oxford Street)へ出かけたホームズであったが、最初は、ベンティンクストリート(Bentinck Street)とウェルベックストリート(Welbeck Street)の角で、突然暴走して来た二頭立て馬車に轢き殺されそうになった。二度目は、ヴェアストリート(Vere Street)を歩いていると、ある家の屋根からレンガが落ちてきて、ホームズの足下で粉々に砕け散ったのであった。
スコットランドヤードがモリアーティー教授を含めた一味を一網打尽にするまでの間、ホームズはジョン・ワトスンと一緒に欧州大陸へと身を隠すことにした。彼らはヴィクトリア駅(Victoria Station)から欧州大陸へ向かう計画である。ホームズからワトスンへの説明は続く。

南北に走るグレイトティッチフィールドストリート
(Great Titchfield Street)から見たモーティマーストリート

「どこで君と落ち合えばいいんだい?」
「ヴィクトリア駅でだ。先頭から二両目の一等車を僕達用に予約しておく。」
「それじゃ、その客車で落ち合うんだな。」
「そうだ。」
私はホームズに今夜は自分の家に泊まっていくように言ってみたが、無駄だった。
ホームズは、私の家に居ると厄介事を招きかねないと考えており、そのため、私の家から立ち去るつもりであることが、私には明らかだった。明日の計画について早口で話をすると、彼は立ち上がり、私と一緒に庭へ出た。そして、彼はモーティマーストリートに続く塀を乗り越えると、すぐに笛を吹いて、ハンサム型馬車(二人乗り一頭立て二輪の辻馬車)を呼んだ。庭に居る私には、ホームズが馬車に乗って去って行く音が聞こえた。

モーティマーストリートとグレイトティッチフィールドストリートの角に
建つ建物の外壁に掛けられているブループラーク

'Where shall I meet you?'
'At the station. The second first-class carriage from the front will be reserved for us.'
'The carriage is our rendezvous, then.'
'Yes.'
It was in vain that I asked Holmes to remain for the evening. It was evident to me that he thought he might bring trouble to the roof he was under, and that that was the motive which impelled him to go. With a few hurried words as to our plans for the morrow he rose and came out with me into the garden, clambering over the wall which leads into Mortimer Street, and immediately whistling for a hansom, in which I heard him drive away.

モーティマーストリートを西方面に望む―
突き当たりは、トッテナムコートロード

モーティマーストリート(Mortimer Street)は、地下鉄オックスフォードサーカス駅(Oxford Circus Tube Station)と地下鉄トッテナムコートロード駅(Tottenham Court Road Tube Station)を結ぶオックスフォードストリート(Oxford Street)の北側にあり、東西に並行して走る通りである。
また、モーティマーストリートは、リージェンツパーク(Regent's Park)へ向かって南北に走るリージェントストリート(Regent Street)から東側に延びている。リージェントストリートの西側には、ホームズ作品に複数回登場するランガムホテル(Langham Hotelー「四つの署名」、「ボヘミアの醜聞」や「レディー・フランシス・カーファックスの失踪」に登場)やハーレーストリート(Harley Streetー「入院患者」や「悪魔の足」に登場)等がある。モーティマーストリートは東へ延びる途中、グッジストリート(Goodge Streetー「青いガーネット」に登場)と名前を変えて、トッテナムコートロード(Tottenham Court Road)に突き当たる。

モーティマーストリートとグレイトポートランドストリート
(Great Portland Street)の角に建つパブ「ザ・ジョージ(The George)
」

ワトスンは、複数に渡る結婚生活の都度、ベイカーストリート221Bでのホームズとの共同生活を解消しているが、パディントン駅(Paddington Station)近辺、ハーレーストリート近くのクイーンアンストリート(Queen Anne Street)や今回のモーティマーストリート等、生活のベースを変えているものの、基本的には、何かあれば、ホームズが住むベイカーストリート221B へ直ぐに駆け付けられるように、地下鉄ベイカーストリート駅(Baker Street Tube Station)に近い場所となっている。なお、今回、ワトスンがモーティマーストリートに庭が面した家に住んでいたのは、同じ道路沿いにミドルセックス病院(Middlesex Hospital)があったためかもしれない。


モーティマーストリートを南へ下ったところにある
マーケットプレイス(Market Place)―レストランが数多く営業している

モーティマーストリートは、買い物客や観光客等で賑わうオックスフォードストリートから北側にやや離れているため、発展から取り残されていた感じがあった。ただし、賃料が非常に高いオックスフォードストリート沿いを嫌った服飾関係の店舗が近年いくつかモーティマーストリート近辺にオープンしており、少しずつではあるものの、お洒落な通りとなりつつある。

マーガレットストリート(Margaret Street)と
グレイトティッチストリートの角に建つフラット
「ザ・オードレーハウス(The Audley House)」