2026年4月15日水曜日

ロンドン ラッセルスクエア(Russell Square)- その3

カフェ越しに、ラッセルスクエア内から見た Kimpton Fitzroy London ホテル
<筆者撮影>

アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)が1931年に発表したノンシリーズ長編「シタフォードの謎(東京創元社)/ シタフォードの秘密(早川書房)(The Sittaford Mystery → 2026年3月19日 / 3月22日 / 3月30日付ブログで紹介済)」の場合、10年前に海軍を退役して、デヴォン州(Devon)ダートムーア(Dartmoor)の周辺部に所在するシタフォード村(Sittaford)のシタフォード荘(Sittaford House)に住んでいたジョーゼフ・アーサー・トリヴェリアン大佐(Captain Joseph Arthur Trevelyan)が、南アフリカから英国へとやって来たウィレット夫人(Mrs. Willett)と娘のヴァイオレット・ウィレット(Miss Violet Willett)の2人に対して、シタフォード荘を賃貸するために、シタフォード村から6マイル離れたエクスハンプトン村(Exhampton)に所在するヘイゼルムーア荘(Hazelmoor)を借りて転居するところから、物語は始まる。


2025年に英国の HarperCollinsPublishers 社から出版された
アガサ・クリスティー作「シタフォードの謎」の
愛蔵版(ハードカバー版)の表紙
(Cover design and 
illustration
by Toby James / 
HarperCollinsPublishers Ltd. ) -
南アフリカから英国へとやって来たウィレット夫人と
娘のヴァイオレット・ウィレットが借りている
シタフォード荘において催され降霊術会で
霊が「
トリヴェリアン大佐が死んだ」と告げたため、
大佐の友人で、彼の安否を気遣った
ジョン・エドワード・バーナビー少佐が、
吹雪の中、大佐が住む
シタフォード村から6マイル離れたエクスハンプトン村の
ヘイゼルムーア荘を訪れる場面が描かれている。


12月のある金曜日の午後、ウィレット母娘の2人やお茶会に招待されたシタフォード荘の周りに住む4人が行ったテーブルターニング(table-turning / 降霊術会)での霊のお告げ通り、ジョーゼフ・トリヴェリアン大佐の安否を気遣ったジョン・バーナビー少佐(Major John Edward Burnaby)が、2時間半後(午後8時前)、吹雪の中、ジョーゼフ・トリヴェリアン大佐が住むヘイゼルムーア荘に到着したところ、ジョーゼフ・トリヴェリアン大佐は、砂が入った緑色の袋で頭部を殴打されて、殺害されていたのである。


ジョーゼフ・トリヴェリアン大佐の遺産の相続人の一人で、彼の妹メアリー・ピアスン(Mary Pearson - 故人)の次男ブライアン・ピアスン(Brian Pearson)は、オーストラリア(Australia)のニューサウスウェールズ(New South Wales)に在住しているとのことだったが、実際には、英国に居て、その上、ヴァイオレット・ウィレットと恋仲であることも判明した。

そして、ブライアン・ピアスンは、ロンドン市内のラッセルスクエア(Russell Square)にある Ormsby Hotel に宿泊していたのだった。


ラッセルスクエア内の植栽(その1)
<筆者撮影>

ラッセルスクエア内の植栽(その2)
<筆者撮影>


ロンドンの特別区の一つであるカムデン区(London Borough of Camden)のブルームズベリー地区(Bloomsbury)内にあるラッセルスクエアとその周辺を開発したのは、英国の貴族で、ホイッグ党(Whig)の政治家でもあった第5代ベッドフォード公爵フランシス・ラッセル(Francis Russell, 5th Duke of Bedford:1765年ー1802年)で、自身が所有するベッドフォードハウス(Bedford House)を取り壊すと、英国の不動産開発業者であるジェイムズ・バートン(James Burton:1761年ー1837年)に依頼して、住宅の建設を進めた。また、英国の造園師であるハンフリー・レプトン(Humphry Repton:1752年ー1818年)に依頼して、ラッセルスクエアの設計を行った。


ラッセルスクエアの南側に建つ
第5代ベッドフォード公爵フランシス・ラッセル像のアップ
<筆者撮影>


ラッセルスクエアは、1801年から1805年までの建設期間を経て、完成。生憎と、第5代ベッドフォード公爵フランシス・ラッセルは、ラッセルスクエアの完成を見ないまま、1802年に亡くなったが、完成後、ベッドフォード公爵家の姓に因んで、「ラッセルスクエア」と命名される。


ラッセルスクエア内の植栽(その3)
<筆者撮影>

ラッセルスクエア内の植栽(その4)
<筆者撮影>


英国の詩人 / 劇作家 / 文芸批評家で、1948年にノーベル文学賞を受賞したトマス・スターンズ・エリオット(Thomas Stearns Eliot:1888年ー1965年 → 2017年6月25日付uログで紹介済)は、1888年9月26日に米国ミズーリ州セントルイスに誕生し、ハーバード大学を卒業した後、ソルボンヌ大学(フランス)、フィリップ大学マールブルク(ドイツ)やオックスフォード大学(英国)にも通った。彼は1917年から1925年までロイズ銀行の渉外部門で働いた後、1927年に英国に帰化し、英国国教会に入信。

その後、T.S.エリオットは、出版社 Faber & Faber Limited でも編集者として働いており、Faber and Faber 社が当時入居していた建物(Faber Building)が、ラッセルスクエア沿いに建っている。


ラッセルスクエア沿いにあった出版社 Faber & Faber Limited で
編集者として働いていた 
T.S.エリオットを記念して整備された
ラッセルスクエアガーデンズ(Russell Square Gardens)(その1)
<筆者撮影>

ラッセルスクエア沿いにあった出版社 Faber & Faber Limited で
編集者として働いていた 
T.S.エリオットを記念して整備された
ラッセルスクエアガーデンズ(その2)
<筆者撮影>


ラッセルスクエア周辺は、第二次世界大戦(1939年ー1945年)中、ドイツ軍の爆撃により甚大な被害を受けたが、戦後に再開発された。

ラッセルスクエアは、現在、Grade II listing の指定を受けている。

ラッセルスクエア周辺の建物のうち、北側と西側の多くが、ロンドン大学(University of London → 2016年8月6日付ブログで紹介済)関連の施設となっている。


ラッセルスクエア内に生息する昆虫や鳥用の巣箱 -
ラッセルスクエアの東側に建つ 
Kimpton Fitzroy London ホテルに因んで、
その名前が付けられている。
<筆者撮影>

ラッセルスクエア内に生息する昆虫や鳥の説明板
<筆者撮影>


推理小説で言うと、ラッセルスクエアは、


(1)米国ペンシルヴェニア州生まれで、英国人のクラリス・クルーヴス(Clarice Cleaves)との結婚後、1932年から1946年にかけて英国のブリストル(Bristol)に居を構えていた米国の推理作家で、「不可能犯罪の巨匠」とも呼ばれているジョン・ディクスン・カー(John Dickson Carr:1906年ー1977年)作のギディオン・フェル博士(Dr. Gideon Fell)シリーズ第6作目長編「三つの棺(The Three Coffins 英題: The Hollow Man → 2020年5月3日 / 5月16日 / 5月23日 / 6月13日付ブログで紹介済)」(1935年)


英国の Orion Books 社から出版されている
ジョン・ディクスン・カー作「三つの棺」の表紙
(Cover design & illustration : obroberts)



(2)ベルギーの小説家であるスタニスラス=アンドレ・ステーマン(Stanislas-Andre Steeman:1908年ー1970年)作「殺人者は21番地に住む(L'Assasin habite au 21 → 2016年11月6日付ブログで紹介済)」(1939年)


東京創元社の創元推理文庫から出版されている
スタニスラス=アンドレ・ステーマン作「殺人者は21番地に住む」
(カバー画:安田忠幸)


において、事件の主要な舞台となっている。


0 件のコメント:

コメントを投稿