2026年4月14日火曜日

ロンドン セシルコート11番地(11 Cecil Court)

モーツァルト一家がロンドンで最初に滞在した
セシルコート11番地の建物を正面から見たところ
<筆者撮影>

アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)が1938年に発表した「ポワロのクリスマス(Hercule Poirot’s Christmas)」において、アドルスフィールドのロングデイルにある屋敷ゴーストンホールの当主シメオン・リー( Simeon Lee)がクリスマスに呼び集められた彼の四男で芸術家のデイヴィッド・リー(David Lee)に対して、妻のヒルダ・リー(Hilda Lee)がリクエストしたピアノ曲の作曲者は、主にオーストリアを活動拠点とした音楽家のヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart:1756年ー1791年)である。


英国の HarperCollinsPublishers 社から以前に出版されていた
アガサ・クリスティー作「ポワロのクリスマス」ペーパーバック版の表紙 -
ゴーストンホールの2階の「密室」状態の自室において、
喉を切り裂かれて惨殺された当主のシメオン・リーを暗示するように、
彼の部屋のドアが表紙に描かれている。


ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトは、8歳の時(1764年)、父親のヨーハン・ゲオルク・レオポルト・モーツァルト(Johann Georg Leopold Mozart:1719年ー1787年)と一緒に、ロンドンを訪れて、約15ヶ月間滞在している。


ナショナルポートレートギャラリー(National Portrait Gallery)内で所蔵 / 展示されている
ハノーヴァー朝の第3代英国王であるジョージ3世の肖像画
(By the studio of Allan Ramsay / Oil on canvas /
based on a portrait of 1761 - 1762)
<筆者撮影>


ナショナルポートレートギャラリー内で所蔵 / 展示されている
ジョージ3世の王妃である
ソフィア・シャーロット・オブ・メクレンバーグ=ストレリッツ
(1744年ー1818年)の肖像画

(By the studio of Allan Ramsay / Oil on canvas /
based on a portrait of 1761 - 1762)
<筆者撮影>


ロンドンに着いて、僅か4日後に、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトは、5歳年上の姉マリア・アンナ・モーツァルト(Maria Anna Walburga Ignatia Mozart:1751年ー1829年 - 愛称:ナンネル(Nannerl))と共に、ハノーヴァー朝の第3代国王であるジョージ3世(George III:1683年ー1820年 在位期間:1760年ー1820年)の前で演奏を披露している。


オレンジスクエア内に建つ「若きモーツァルト像」を正面から見たところ -
「若きモーツァルト像」の背後で左右に延びる通りが、エバリーストリート。
<筆者撮影>


オレンジスクエアの案内板 -
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトのロンドン滞在のことが説明されている。
<筆者撮影>


ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトを含むモーツァルト一家がロンドン訪問時に滞在していた
エバリーストリート180番地の建物全景
<筆者撮影>


エバリーストリート180番地の1階の外壁には、
「ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトが、1764年にここで最初の交響曲を作曲した」ことを示す
プラークが掛けられている。
<筆者撮影>


モーツァルト一家は、オレンジスクエア(Orange Square → 2026年4月8日付ブログで紹介済)のすぐ近くにあるエバリーストリート180番地(180 Ebury Street → 2026年4月12日付ブログで紹介済)に滞在していたが、その前に、彼らはセシルコート(Cecil Court)に居た。


セシルコートの西端において、北側の建物を見上げたところ
<筆者撮影>

セシルコートの西側から東側を見たところ -
画面右側中央に見える赤い建物が、
モーツァルト一家がロンドンで最初に滞在した
セシルコート11番地。
<筆者撮影>


セシルコートは、ロンドンの中心部シティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)のストランド地区(Strand)内にある。

セシルコートは、トラファルガースクエア(Trafalgar Square)に面して建つナショナルギャラリー(National Gallery)から北上するセントマーティンズレーン( St. Martin’s Lane → 2015年12月20日 / 2026年1月28日付ブログで紹介済)とチャリングクロスロード(Charing Cross Road)を東西に結ぶ小道で、左右にはアンティークショップ等の小売店が軒を連ねている。


モーツァルト一家がロンドンで最初に滞在したセシルコート11番地に
近付いたところ(その1)
<筆者撮影>

モーツァルト一家がロンドンで最初に滞在したセシルコート11番地に
近付いたところ(その2)
<筆者撮影>


欧州大陸からロンドンへ演奏旅行にやって来たモーツァルト一家が最初に滞在した場所は、セシルコート9番地(9 Cecil Couty - 現在、Mark Sullivan & Son と言うアンティークショップが入居)とセシルコート11番地(11 Cecil Couty - 現在、Liberty Joy Archive と言う洋服屋が入居)のどちらかであるが、モーツァルト一家の滞在を示すプラークが、セシルコート9番地とセシルコート11番地の間の柱に掛けられているため、判りづらい。ただ、柱の位置関係から考慮すると、モーツァルト一家がロンドンで最初に滞在した場所は、「セシルコート11番地」の方だと思われる。


モーツァルト一家がロンドンで最初に滞在したセシルコート11番地の柱に掛けられた
プラークに近付いたところ(その1)
<筆者撮影>

モーツァルト一家がロンドンで最初に滞在したセシルコート11番地の柱に掛けられた
プラークに近付いたところ(その2)
<筆者撮影>


Cecil Court Traders Association が掛けたプラークによると、セシルコート11番地には、当時、John Cousin と言う理髪師が住んでおり、もしくは、理髪店を営んでおり、モーツァルト一家は、1764年の4月から8月までの間、ここに滞在していたようである。


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